2-9 小話「法王庁襲撃編‘No4 魂喰(こんじき)の狂犬’」
今夜の月は、厚い雲に覆われていた。
通常であれば月の光は聖都ロンバルディアを照らし、濃度の異なる白と黒との幻想的なグラデーションを彩っているはずだった。
だが、今夜この聖都を彩っているのは、今までになかった阿鼻叫喚と破壊の音だった。
「・・・の・・・・へ急げ! ・・・班はまだか!」
夜の静寂は兵士たちの足音やら悲鳴やら怒号やらで、破られていた。
「・・・やっとか。ったく、ぐずぐずしやがって」
月の薄明かりさえ届かない、暗い深い牢獄の中。
過度とも言えるほどの多くの拘束具に身を包んだ罪人が、ぽつりと呟いた。
だが、その呟きを聞いた者は一人も居なかった。
なぜなら、牢獄の中は囚人たちの奇声と怒声とに支配されていたから。
扉が蹴破られ解放された囚人たちは、また新たな囚人を解放する。
『法王庁で最も警戒厳重な牢獄』と言われた牢獄は、今破られようとしていた。
最も警戒厳重な牢獄の、最も警戒厳重な最深部に、その男はいた。
常人であれば発狂しかねないほどの『薬物』による洗脳もその男には効果が無かった。
普通の人間であれば、身体がねじり切られるほどの強度の拘束具にも男は耐えていた。
牢番の話では、信じられない程の苦痛の中で、男は笑いながら言ったという。
「もっとだ! もっと俺に苦痛を与えろ! この程度の痛みじゃあ、俺の乾きは潤せねぇ! 乾く!・・・乾くんだよお!!」
別の話もある。
法王庁の異端審問官二人の盾として異端狩りに赴いた話。
だが、その盾は盾と成り得ず、代わりに血塗られた諸刃の剣となった。
異端は殲滅させられた。
だが、審問官の二人も殺された。
その村で生き残ったのは、その男だけ。
その男―彷徨える逆十字団、死徒No4”魂喰(こんじき)の狂犬”だけだった。
牢獄は破られようとしていた。
既に中に居た看守や衛兵は自由を失っている。
逆に自由を得た、否、自由を得ようとする囚人たちは牢獄の扉へと群がった。
自由への扉が開かれ・・・だが、そこで囚人たちは最後の関門に後ずさりした。
大柄で、よく鍛えられた無駄の無い筋肉。
それを包み込むような黒い神父服。
その手には巨大なハルバードが握られている。
斧の部分は長く巨大で、その影は巨大な十字架にも見える。
男 ―異端審問官アズール― の堅く重い口が言葉を紡いだ。
「大人しく自分の牢へ戻るというのであれば、それで良し。
だが、これ以上の狼藉を働くというのであれば・・・」
ハルバードの先が囚人たちへと向けられる。
「今のお主らの状況を理解させてしんぜよう。」
巨大な石像を思わせる重厚な出で立ちに、囚人たちに動揺が走る。
だが、数の優位は囚人たちの背中を後押しする。
「へ、へへっ・・この人数を相手に、何言ってやがんだ? 消えろよっ!」
数人が神父へと殴りかかる。
「・・・無益な」
呟き、異端審問官アズールは、その手のハルバードを振るう。
轟音と閃光が牢獄を染め上げ、囚人たちを吹き飛ばした。
威力は抑えられていたのか、その場に居た囚人たちは呻いているだけで死者は出ていないようだった。
「むっ?」
アズールの太い眉が『疑問』を形作る。
二人の囚人たちは、その直撃を受けても尚立っていた。
否、正確に言えば立っていたのは一人。
その一人に後ろから掴まれ、盾代わりにされていたからだ。
「おっ・・お前・・・仲間じゃあ・・・」
口から泡を吐きながら、盾にされた囚人が呻く。
「くはははっ・・・気にするな。お前は”仲間”として俺の役に立った。
満足して寝てろ」
壊れた笑いを浮かべながら、罪人ラグジャは言い放った。
「貴様・・・今の状況を理解出来ているか?」
確認するように、アズールがハルバードを構える。
男はにやけた笑いで、別の事を口にした。
「異端審問官様は、武器を持たない相手にも武器で闘うのか?」
「普通の人間に対してならば、考える。だが、貴様ら囚人はそれに非ず」
アズールの筋肉が、戦闘態勢を取るかのように一瞬膨れ上がる。
「そうかい。なら、自分の得物は自分で手に入れるとしよう。ははっ!」
突然、掴んでいた囚人をアズールに放り投げる。
審問官の視界に、気絶した囚人の姿が広がる。
「くっ・・・!?」
一瞬の隙を突き、男はアズールの横を駆け抜ける。
振り下ろされたハルバードの重い刃は、ラグジャの影のみを捉え、石畳を舞い上がらせただけに過ぎなかった。
「小癪な・・・」
呟くと、アズールは指輪に語りかける。
「ジェーンドゥ、一人・・・いや一匹捕り逃がした。おそらくあれが死徒No4『狂犬』だ」
指輪は光り輝き、遠距離にいる女性の返答を発する。
「・・・了解しました。逃走経路を検討後、予想地点へと向かいます」
通信を終えると、アズールも男の後を追った。
「随分と派手にやってるようじゃねぇか。どうやらパーティーに遅れずに参加出来そうだなぁ。ははっ!」
聖都ロンバルディア。
大陸で最も美麗で、最も平穏で、最も栄えるこの都も、今日はその姿を維持する事は出来ていなかった。
都のあちこちで戦火の炎が上がり、悲鳴が上がる。
その混沌をBGMにしながら、死徒No4"魂喰の狂犬"ラグジャは街を徘徊する。
「ようやく持って来たか。まったく、どいつもこいつも」
僅かに差し込んだ月明かりさえも届かない建物の影。
そこにラグジャは苛立たしげな声をかける。
「・・・・・」
影から小さな影が伸び、その影の主である少年が姿を現す。
少年は、その小さな身体よりも長い精緻な細工が施された棒を掲げる。
「ふん・・・ようやくパーティーチケットも準備出来たか」
ラグジャはそれを受け取ると、壊れた笑いを浮かべる。
「・・・銀水晶よりの指示を伝えます」
抑揚の無い声で、少年が言葉を紡ぎ始める。
「あぁ?」
「死徒No4、魂喰の狂犬はこれより法王庁の・・・」
少年の言葉は途中で遮られた。
ラグジャの腕が、少年の細い首を掴んでいる。
「俺に指図するんじゃねぇよ。・・・死ぬか? 餓鬼?」
「・・・・・」
少年の口から声が出なかったのは、恐怖からでは無い。
その証拠に少年の目には恐怖の感情は無かった。
それどころか、喜怒哀楽といった全てが無いようだった。
あくまで伝言するための道具。
ラグジャの性格を理解している"銀水晶"の伝言者(メッセンジャー)でしか無いようだ。
「ちっ・・・どいつもこいつも・・・俺の乾きを潤してくれる奴ぁいねえってのか? 足りねぇ・・・血が、感情が! 乾くっ・・乾くんだよっ!!」
少年を突き飛ばすと、ラグジャは狂ったように喚いた。
「そこまでです」
冷たい抑揚の無い、女性の声が響いた。
男が目を向けると、月明かりに照らされた橋の前に立つ人影が見える。
「法衣・・・ってことは、お前も法王庁の一員ってわけか。はははっ!」
死徒No4は目を細め、狂った笑いを浮かべる。
「私は法王庁所属"猟犬"ジェーンドゥ・・・無駄な抵抗は止めて、降伏なさい」
一陣の風が、彼女の髪と法衣の裾とを靡かせる。
「ははっ! たった一人でこの俺の相手をするつもりかよ?」
「一人ではない」
ラグジャの背後から、低い男の声が聞こえた。
神父服に身を包み、屈強な肉体と十字型のハルバードを持つ異端審問官アズールだった。
アズールは続けて言う。
「私とジェーンドゥ・・・その間に位置する貴様の状況が理解出来るか?」
二対一。
だが、この不利な状況においても、ラグジャは喉の奥で笑っていた。
「くはははっ! 分かるさ! 俺は使徒No4魂喰の狂犬!! さぁ、潤してくれよ? この俺の乾きをっ!!」
ラグジャの持つ棒が鈍い光を放つと同時に、その先端から鋭く長い刃が形作られる。
持つ者の生命力に呼応して刃を生み出すアーティファクト『魂喰の鎌(テスティレンスサイズ)』がその姿を現す。
「神よ、感謝致しますぞ。一度捕り逃した異端者に、再び裁きを与える機会を頂けたことを!」
「・・・・・」
三者三様の決意と言葉が、闘いの始まりの合図だった。
夜の都で、三つの影が踊る。
振るわれた鎌とハルバードが白い火花を散らしながら、柄の部分でぶつかり合う。
そのまま双方の力が均衡する。
「俺の得物の長さを見切った・・・とでも言いたげだなぁ?」
ぎりぎりと得物を押しながら、狂犬が笑った。
「っ!?」
その言葉と同時に、鎌の刃の部分が伸びる。
刃はアズールの肩を軽く切り裂き、地面へと刺さる。
体勢を崩すアズールに追い打ちは来なかった。
弾かれたように、狂犬が距離を保つ。
同時に飛来した細身の人影が、拳を振り下ろす。
石畳の床が砕け、小規模なクレーターを形成する。
「はんっ!」
飛び退きながら狂犬は鎌を、飛来した人影、ジェーンドゥへと投じる。
今度はそれをアズールのハルバードが迎撃し、弾き飛ばす。
「くはははっ! やっぱり闘いはいい。闘っている時だけは、乾きを感じずに済む。」
ラグジャが腕を軽く振ると、意志を持っているかのように、『テスティレンスサイズ』はその手へと舞い戻る。
「・・・!!」
その戻り武器を掴む瞬間をジェーンドゥは見逃さなかった。
地を蹴り、即座に間合いを詰めると、ラグジャの膝あたりへ蹴りを放つ。
ラグジャの鎌がそれを迎撃しようと、刃を向ける。
素手と刃物の闘いであれば、防御しているだけでも刃物は有利となる。
それはジェーンドゥも理解している事だった。
足を狙っていた蹴りが、上段へと変化し、ラグジャの顔面付近へと爆ぜる。
衝撃によろめいたかのように見えたが、その一撃は鎌の柄で防御されていた。
それにも関わらず、ジェーンドゥは攻撃を繰り返す。
「ははっ! やるじゃねぇか、人形! だが、単調過ぎる攻撃は人間様に読まれるぜぇ!」
「単調でしたら・・・ね」
彼女の身体が沈み込み、ラグジャの足を刈るような攻撃に変化した。
同時に宙空からアズールが刃を振り下ろす。
上段と下段の同時攻撃。
回避しようが無い攻撃だった。
だが、ラグジャは足下にその鎌を突き立てる。
「はっ!・・・喰え、そして答えろ『テスティレンスサイズ』!」
「!?」「っ!?」
刃の華が咲いた。
その花弁の一枚一枚は鋼鉄の鋭い刃。
鎌の先端からは何本もの刃が飛び出し、それがラグジャを囲むように伸びる。
鎌で出来た球体の檻。
それが狂犬の身を守る。
激しい金属同士の悲鳴が響き、攻撃を仕掛けた二人の方が吹き飛ばされる。
「はぁ・・はぁ・・・もっとだ・・・もっと俺を潤わせろっ! なあっ!」
狂犬は吠えた。
「ジェーンドゥ・・・一番有効な戦術は?」
油断なくハルバードを構えながら、審問官が尋ねる。
「最も損害を少なくするのであれば、このまま時が過ぎるのを待つべきです。
『魂喰の鎌(テスティレンスサイズ)』は使用者の生命力をも喰らいます。
時間をかけ消耗戦にすれば、相手は自滅するでしょう」
感情の欠落した声で、少女は答える。
その足は、先ほどの攻撃でぱっくりと裂けており、そこから機械部分が見える。
「・・・ふむ」
「ただ、その場合捕り逃す可能性が高くなります」
「・・・それは断る」
アズールの重い呟きが答えた。
「では、別の戦術になります」
彼女の表情の無い整った顔が、言葉を紡いだ。
愚直なまでの突進。
しかも彼女のその右足は損傷が激しく、その速度は遅い。
「わざわざ自分から魂を喰われに来たか? その望み、叶えてやるっ!」
自棄になったかのような彼女の突進に、『魂喰の鎌』が突き刺さる。
刃は左肩口へ刺さり、彼女の細い肩を貫いた。
突進は止まったが、彼女のまだ動く右腕が、鎌の柄を掴む。
搭カ犬狽フ動きは封じられた。
「てめぇ・・・わざと受けやがったか? そんなに魂を喰われてぇか!?」
「ええ。ですが私には・・・喰われる魂などありません」
彼女の呟きと、アズールの詠唱とが重なった。
「エイバムの柱第1段階始動!」
まばゆいばかりの光の柱が立ち昇り、轟音と衝撃とが響き渡った。
爆煙がゆるゆるとその濃さを薄めていく。
そこから浮かび上がるのは、二つの影。
爆発の瞬間、咄嗟に鎌を手放したものの、ラグジャの右腕は黒く焼けただれていた。
おそらく二度と使い物にはならない。
ジェーンドゥの方も、左半身に重傷を負っているようだった。
それでもラグジャの方が傷が深いのは、狙っての事だったろう。
「はぁ・・はぁ・・・投獄されてからが・・・長いか!?
てめえら如きに・・・俺の身体が完全であれば・・・」
ラグジャは奥歯を噛みしめる。
そこから血が流れるほどに。
巨躯の審問官が、再びハルバードを構える。
「今の貴様の状況が理解出来るか?」
諭すような審問官の言葉に答えたのは、ラグジャでは無かった。
「そちらこそ状況が理解出来ますか?」
抑揚の無い声は、少年からの声だった。
手には鎌を握り、その刃をジェーンドゥの首へと向けている。
「それがしの役目は狂犬を再び鎖に繋ぐ事。・・・人形の代わりなどいくらでもいる。
それは・・・人質になどはならぬ」
言って、アズールはハルバードを構える。
「その割には、動きが・・・鈍いぜっ!!」
狂犬が動く。
彼の得物と人質を得る為に。
「くっ! エイバムの柱第2段階始動!」
響き渡る轟音と、視界を支配する閃光と、舞い上がった土煙とが生まれた。
橋の半分ほどが破壊され、その場にはジェーンドゥのみが残されていた。
アズールは懐から二、三個の塊を取り出し、川へと投げる。
川に複数の水柱が上がる。
「・・・逃がしたか。だが、再起不能なほどの手傷を負っているはずだ。
事実上、梼徒No4狽ヘ死んだ」
アズールはそう呟いた。
それは任務完了の言葉。
その言葉を聞き、ジェーンドゥは瞳を閉じる。
「どうやら・・・少し・・・疲れました。・・・眠って・・・よろしいですか?」
「うむ・・・」
ぶっきらぼうに答えたアズールの言葉に、ジェーンドゥが脱力する。
私が躊躇した!?
例え姿が若い女だとはいえ、ただの猟犬だぞ?
だから逃がしたのか?
それとも・・・いや・・・・
異端審問官アズールの内心の疑問に答える者は居ない。
ただ川のせせらぎだけが聞こえるだけだった。
光が爆発した。
その瞬間、狂犬は死を覚悟した。
老いて鈍り、傷を負った身体に、その一撃は回避不可能だった。
「ちいっ!・・・・・・っ!?」
その瞬間だった。
少年の顔が一瞬だけ恐怖を浮かべ、力を発動した。
彼が持つ鎌が金色の刃の花を咲かせて、二人を防御した。
金色の後に、景色が水に濡れ、そして流れた。
そして今、二人は下流の岸へと辿り着いたのだった。
少年はぐったりとしている。
生きてはいるだろう。
「・・・・・」
ラグジャは自らの右腕を見る。
焼けただれたその腕は、もう二度と元通りにはならないだろう。
続いて少年を見る。
光り輝く金色の刃。
持つ者の生命力に呼応して刃を生み出す鎌。
その小さな身体には、彼が予想もしなかった力が内在している。
「・・・・・・・へっ」
退屈しのぎ。
所詮、退屈しのぎなのだ。
彼の乾きを癒す為の。
「お前を鍛えてやる。何者にも負けない、最強の存在へと。
・・・今からお前は、死徒No4、金色の鎌だ」
元死徒No4の、高笑いが周囲の闇を包み込んだ。
今夜の月は、厚い雲に覆われていた。
通常であれば月の光は聖都ロンバルディアを照らし、濃度の異なる白と黒との幻想的なグラデーションを彩っているはずだった。
だが、今夜この聖都を彩っているのは、今までになかった阿鼻叫喚と破壊の音だった。
「・・・の・・・・へ急げ! ・・・班はまだか!」
夜の静寂は兵士たちの足音やら悲鳴やら怒号やらで、破られていた。
「・・・やっとか。ったく、ぐずぐずしやがって」
月の薄明かりさえ届かない、暗い深い牢獄の中。
過度とも言えるほどの多くの拘束具に身を包んだ罪人が、ぽつりと呟いた。
だが、その呟きを聞いた者は一人も居なかった。
なぜなら、牢獄の中は囚人たちの奇声と怒声とに支配されていたから。
扉が蹴破られ解放された囚人たちは、また新たな囚人を解放する。
『法王庁で最も警戒厳重な牢獄』と言われた牢獄は、今破られようとしていた。
最も警戒厳重な牢獄の、最も警戒厳重な最深部に、その男はいた。
常人であれば発狂しかねないほどの『薬物』による洗脳もその男には効果が無かった。
普通の人間であれば、身体がねじり切られるほどの強度の拘束具にも男は耐えていた。
牢番の話では、信じられない程の苦痛の中で、男は笑いながら言ったという。
「もっとだ! もっと俺に苦痛を与えろ! この程度の痛みじゃあ、俺の乾きは潤せねぇ! 乾く!・・・乾くんだよお!!」
別の話もある。
法王庁の異端審問官二人の盾として異端狩りに赴いた話。
だが、その盾は盾と成り得ず、代わりに血塗られた諸刃の剣となった。
異端は殲滅させられた。
だが、審問官の二人も殺された。
その村で生き残ったのは、その男だけ。
その男―彷徨える逆十字団、死徒No4”魂喰(こんじき)の狂犬”だけだった。
牢獄は破られようとしていた。
既に中に居た看守や衛兵は自由を失っている。
逆に自由を得た、否、自由を得ようとする囚人たちは牢獄の扉へと群がった。
自由への扉が開かれ・・・だが、そこで囚人たちは最後の関門に後ずさりした。
大柄で、よく鍛えられた無駄の無い筋肉。
それを包み込むような黒い神父服。
その手には巨大なハルバードが握られている。
斧の部分は長く巨大で、その影は巨大な十字架にも見える。
男 ―異端審問官アズール― の堅く重い口が言葉を紡いだ。
「大人しく自分の牢へ戻るというのであれば、それで良し。
だが、これ以上の狼藉を働くというのであれば・・・」
ハルバードの先が囚人たちへと向けられる。
「今のお主らの状況を理解させてしんぜよう。」
巨大な石像を思わせる重厚な出で立ちに、囚人たちに動揺が走る。
だが、数の優位は囚人たちの背中を後押しする。
「へ、へへっ・・この人数を相手に、何言ってやがんだ? 消えろよっ!」
数人が神父へと殴りかかる。
「・・・無益な」
呟き、異端審問官アズールは、その手のハルバードを振るう。
轟音と閃光が牢獄を染め上げ、囚人たちを吹き飛ばした。
威力は抑えられていたのか、その場に居た囚人たちは呻いているだけで死者は出ていないようだった。
「むっ?」
アズールの太い眉が『疑問』を形作る。
二人の囚人たちは、その直撃を受けても尚立っていた。
否、正確に言えば立っていたのは一人。
その一人に後ろから掴まれ、盾代わりにされていたからだ。
「おっ・・お前・・・仲間じゃあ・・・」
口から泡を吐きながら、盾にされた囚人が呻く。
「くはははっ・・・気にするな。お前は”仲間”として俺の役に立った。
満足して寝てろ」
壊れた笑いを浮かべながら、罪人ラグジャは言い放った。
「貴様・・・今の状況を理解出来ているか?」
確認するように、アズールがハルバードを構える。
男はにやけた笑いで、別の事を口にした。
「異端審問官様は、武器を持たない相手にも武器で闘うのか?」
「普通の人間に対してならば、考える。だが、貴様ら囚人はそれに非ず」
アズールの筋肉が、戦闘態勢を取るかのように一瞬膨れ上がる。
「そうかい。なら、自分の得物は自分で手に入れるとしよう。ははっ!」
突然、掴んでいた囚人をアズールに放り投げる。
審問官の視界に、気絶した囚人の姿が広がる。
「くっ・・・!?」
一瞬の隙を突き、男はアズールの横を駆け抜ける。
振り下ろされたハルバードの重い刃は、ラグジャの影のみを捉え、石畳を舞い上がらせただけに過ぎなかった。
「小癪な・・・」
呟くと、アズールは指輪に語りかける。
「ジェーンドゥ、一人・・・いや一匹捕り逃がした。おそらくあれが死徒No4『狂犬』だ」
指輪は光り輝き、遠距離にいる女性の返答を発する。
「・・・了解しました。逃走経路を検討後、予想地点へと向かいます」
通信を終えると、アズールも男の後を追った。
「随分と派手にやってるようじゃねぇか。どうやらパーティーに遅れずに参加出来そうだなぁ。ははっ!」
聖都ロンバルディア。
大陸で最も美麗で、最も平穏で、最も栄えるこの都も、今日はその姿を維持する事は出来ていなかった。
都のあちこちで戦火の炎が上がり、悲鳴が上がる。
その混沌をBGMにしながら、死徒No4"魂喰の狂犬"ラグジャは街を徘徊する。
「ようやく持って来たか。まったく、どいつもこいつも」
僅かに差し込んだ月明かりさえも届かない建物の影。
そこにラグジャは苛立たしげな声をかける。
「・・・・・」
影から小さな影が伸び、その影の主である少年が姿を現す。
少年は、その小さな身体よりも長い精緻な細工が施された棒を掲げる。
「ふん・・・ようやくパーティーチケットも準備出来たか」
ラグジャはそれを受け取ると、壊れた笑いを浮かべる。
「・・・銀水晶よりの指示を伝えます」
抑揚の無い声で、少年が言葉を紡ぎ始める。
「あぁ?」
「死徒No4、魂喰の狂犬はこれより法王庁の・・・」
少年の言葉は途中で遮られた。
ラグジャの腕が、少年の細い首を掴んでいる。
「俺に指図するんじゃねぇよ。・・・死ぬか? 餓鬼?」
「・・・・・」
少年の口から声が出なかったのは、恐怖からでは無い。
その証拠に少年の目には恐怖の感情は無かった。
それどころか、喜怒哀楽といった全てが無いようだった。
あくまで伝言するための道具。
ラグジャの性格を理解している"銀水晶"の伝言者(メッセンジャー)でしか無いようだ。
「ちっ・・・どいつもこいつも・・・俺の乾きを潤してくれる奴ぁいねえってのか? 足りねぇ・・・血が、感情が! 乾くっ・・乾くんだよっ!!」
少年を突き飛ばすと、ラグジャは狂ったように喚いた。
「そこまでです」
冷たい抑揚の無い、女性の声が響いた。
男が目を向けると、月明かりに照らされた橋の前に立つ人影が見える。
「法衣・・・ってことは、お前も法王庁の一員ってわけか。はははっ!」
死徒No4は目を細め、狂った笑いを浮かべる。
「私は法王庁所属"猟犬"ジェーンドゥ・・・無駄な抵抗は止めて、降伏なさい」
一陣の風が、彼女の髪と法衣の裾とを靡かせる。
「ははっ! たった一人でこの俺の相手をするつもりかよ?」
「一人ではない」
ラグジャの背後から、低い男の声が聞こえた。
神父服に身を包み、屈強な肉体と十字型のハルバードを持つ異端審問官アズールだった。
アズールは続けて言う。
「私とジェーンドゥ・・・その間に位置する貴様の状況が理解出来るか?」
二対一。
だが、この不利な状況においても、ラグジャは喉の奥で笑っていた。
「くはははっ! 分かるさ! 俺は使徒No4魂喰の狂犬!! さぁ、潤してくれよ? この俺の乾きをっ!!」
ラグジャの持つ棒が鈍い光を放つと同時に、その先端から鋭く長い刃が形作られる。
持つ者の生命力に呼応して刃を生み出すアーティファクト『魂喰の鎌(テスティレンスサイズ)』がその姿を現す。
「神よ、感謝致しますぞ。一度捕り逃した異端者に、再び裁きを与える機会を頂けたことを!」
「・・・・・」
三者三様の決意と言葉が、闘いの始まりの合図だった。
夜の都で、三つの影が踊る。
振るわれた鎌とハルバードが白い火花を散らしながら、柄の部分でぶつかり合う。
そのまま双方の力が均衡する。
「俺の得物の長さを見切った・・・とでも言いたげだなぁ?」
ぎりぎりと得物を押しながら、狂犬が笑った。
「っ!?」
その言葉と同時に、鎌の刃の部分が伸びる。
刃はアズールの肩を軽く切り裂き、地面へと刺さる。
体勢を崩すアズールに追い打ちは来なかった。
弾かれたように、狂犬が距離を保つ。
同時に飛来した細身の人影が、拳を振り下ろす。
石畳の床が砕け、小規模なクレーターを形成する。
「はんっ!」
飛び退きながら狂犬は鎌を、飛来した人影、ジェーンドゥへと投じる。
今度はそれをアズールのハルバードが迎撃し、弾き飛ばす。
「くはははっ! やっぱり闘いはいい。闘っている時だけは、乾きを感じずに済む。」
ラグジャが腕を軽く振ると、意志を持っているかのように、『テスティレンスサイズ』はその手へと舞い戻る。
「・・・!!」
その戻り武器を掴む瞬間をジェーンドゥは見逃さなかった。
地を蹴り、即座に間合いを詰めると、ラグジャの膝あたりへ蹴りを放つ。
ラグジャの鎌がそれを迎撃しようと、刃を向ける。
素手と刃物の闘いであれば、防御しているだけでも刃物は有利となる。
それはジェーンドゥも理解している事だった。
足を狙っていた蹴りが、上段へと変化し、ラグジャの顔面付近へと爆ぜる。
衝撃によろめいたかのように見えたが、その一撃は鎌の柄で防御されていた。
それにも関わらず、ジェーンドゥは攻撃を繰り返す。
「ははっ! やるじゃねぇか、人形! だが、単調過ぎる攻撃は人間様に読まれるぜぇ!」
「単調でしたら・・・ね」
彼女の身体が沈み込み、ラグジャの足を刈るような攻撃に変化した。
同時に宙空からアズールが刃を振り下ろす。
上段と下段の同時攻撃。
回避しようが無い攻撃だった。
だが、ラグジャは足下にその鎌を突き立てる。
「はっ!・・・喰え、そして答えろ『テスティレンスサイズ』!」
「!?」「っ!?」
刃の華が咲いた。
その花弁の一枚一枚は鋼鉄の鋭い刃。
鎌の先端からは何本もの刃が飛び出し、それがラグジャを囲むように伸びる。
鎌で出来た球体の檻。
それが狂犬の身を守る。
激しい金属同士の悲鳴が響き、攻撃を仕掛けた二人の方が吹き飛ばされる。
「はぁ・・はぁ・・・もっとだ・・・もっと俺を潤わせろっ! なあっ!」
狂犬は吠えた。
「ジェーンドゥ・・・一番有効な戦術は?」
油断なくハルバードを構えながら、審問官が尋ねる。
「最も損害を少なくするのであれば、このまま時が過ぎるのを待つべきです。
『魂喰の鎌(テスティレンスサイズ)』は使用者の生命力をも喰らいます。
時間をかけ消耗戦にすれば、相手は自滅するでしょう」
感情の欠落した声で、少女は答える。
その足は、先ほどの攻撃でぱっくりと裂けており、そこから機械部分が見える。
「・・・ふむ」
「ただ、その場合捕り逃す可能性が高くなります」
「・・・それは断る」
アズールの重い呟きが答えた。
「では、別の戦術になります」
彼女の表情の無い整った顔が、言葉を紡いだ。
愚直なまでの突進。
しかも彼女のその右足は損傷が激しく、その速度は遅い。
「わざわざ自分から魂を喰われに来たか? その望み、叶えてやるっ!」
自棄になったかのような彼女の突進に、『魂喰の鎌』が突き刺さる。
刃は左肩口へ刺さり、彼女の細い肩を貫いた。
突進は止まったが、彼女のまだ動く右腕が、鎌の柄を掴む。
搭カ犬狽フ動きは封じられた。
「てめぇ・・・わざと受けやがったか? そんなに魂を喰われてぇか!?」
「ええ。ですが私には・・・喰われる魂などありません」
彼女の呟きと、アズールの詠唱とが重なった。
「エイバムの柱第1段階始動!」
まばゆいばかりの光の柱が立ち昇り、轟音と衝撃とが響き渡った。
爆煙がゆるゆるとその濃さを薄めていく。
そこから浮かび上がるのは、二つの影。
爆発の瞬間、咄嗟に鎌を手放したものの、ラグジャの右腕は黒く焼けただれていた。
おそらく二度と使い物にはならない。
ジェーンドゥの方も、左半身に重傷を負っているようだった。
それでもラグジャの方が傷が深いのは、狙っての事だったろう。
「はぁ・・はぁ・・・投獄されてからが・・・長いか!?
てめえら如きに・・・俺の身体が完全であれば・・・」
ラグジャは奥歯を噛みしめる。
そこから血が流れるほどに。
巨躯の審問官が、再びハルバードを構える。
「今の貴様の状況が理解出来るか?」
諭すような審問官の言葉に答えたのは、ラグジャでは無かった。
「そちらこそ状況が理解出来ますか?」
抑揚の無い声は、少年からの声だった。
手には鎌を握り、その刃をジェーンドゥの首へと向けている。
「それがしの役目は狂犬を再び鎖に繋ぐ事。・・・人形の代わりなどいくらでもいる。
それは・・・人質になどはならぬ」
言って、アズールはハルバードを構える。
「その割には、動きが・・・鈍いぜっ!!」
狂犬が動く。
彼の得物と人質を得る為に。
「くっ! エイバムの柱第2段階始動!」
響き渡る轟音と、視界を支配する閃光と、舞い上がった土煙とが生まれた。
橋の半分ほどが破壊され、その場にはジェーンドゥのみが残されていた。
アズールは懐から二、三個の塊を取り出し、川へと投げる。
川に複数の水柱が上がる。
「・・・逃がしたか。だが、再起不能なほどの手傷を負っているはずだ。
事実上、梼徒No4狽ヘ死んだ」
アズールはそう呟いた。
それは任務完了の言葉。
その言葉を聞き、ジェーンドゥは瞳を閉じる。
「どうやら・・・少し・・・疲れました。・・・眠って・・・よろしいですか?」
「うむ・・・」
ぶっきらぼうに答えたアズールの言葉に、ジェーンドゥが脱力する。
私が躊躇した!?
例え姿が若い女だとはいえ、ただの猟犬だぞ?
だから逃がしたのか?
それとも・・・いや・・・・
異端審問官アズールの内心の疑問に答える者は居ない。
ただ川のせせらぎだけが聞こえるだけだった。
光が爆発した。
その瞬間、狂犬は死を覚悟した。
老いて鈍り、傷を負った身体に、その一撃は回避不可能だった。
「ちいっ!・・・・・・っ!?」
その瞬間だった。
少年の顔が一瞬だけ恐怖を浮かべ、力を発動した。
彼が持つ鎌が金色の刃の花を咲かせて、二人を防御した。
金色の後に、景色が水に濡れ、そして流れた。
そして今、二人は下流の岸へと辿り着いたのだった。
少年はぐったりとしている。
生きてはいるだろう。
「・・・・・」
ラグジャは自らの右腕を見る。
焼けただれたその腕は、もう二度と元通りにはならないだろう。
続いて少年を見る。
光り輝く金色の刃。
持つ者の生命力に呼応して刃を生み出す鎌。
その小さな身体には、彼が予想もしなかった力が内在している。
「・・・・・・・へっ」
退屈しのぎ。
所詮、退屈しのぎなのだ。
彼の乾きを癒す為の。
「お前を鍛えてやる。何者にも負けない、最強の存在へと。
・・・今からお前は、死徒No4、金色の鎌だ」
元死徒No4の、高笑いが周囲の闇を包み込んだ。