「新生逆十字団誕生編 No9‘深淵の囁き’」
シーン1:馬車内部
―どこ?どこ?ここはどこ?
―だれ?だれ?あなたはだれ?
―ああ、お腹がすいたわ
雨の崖道。
聖都ロンバルディアから第二教区にと延びる‘草原の街道’が跨ぐアミナス峠。
なだらかな斜面を昇降するのは人の足で四時間ほどかかり、平穏な地形と気候に恵まれた第一教区では、数少ない難所となる。
泥濘の生まれたアミナス峠を、二頭の馬に率いられた箱型の馬車が、ゆっくり麓に向かって下っていた。
「聖輪騎士団との会談時間には、少し遅れるか」
箱型馬車の先頭側に座っていたイルドルフは、窓の外の振り続ける雨と、懐中時計を交互に眺め呟いた。
聖輪騎士団は、聖都ロンバルディアの外延部を広域に渡って守護する聖騎士団である。
法王庁内部を守護する聖冠騎士団と違い、法王庁にはほとんど姿を見せることはないが、各教区より、選別された騎士が集まる精鋭騎士団だ。
今、イルドルフは視察という名目で、聖輪騎士団長に会い、近年の法王庁に対する所感を求めるために、向かっている。
近年では、このような政治的駆け引きを弄することが増えた。
原因は分かっている。
アスガルド半島各地で暗躍する異端と同様に、法王庁内部の政敵の動きを気に掛ける必要性が出てきたからだ。
審問官時代に、志を供にしながら道を違えた法王庁第八課長ライナス・バルク。
査問委員会に召喚された後も、法王庁の旧体制を批判し続ける‘守護騎士’の称号を持つ新教派異端審議官イシュバルツ。
強硬な原理主義で知られる第一課は、‘聖別者’の更なる増員を計画しているようだ。
そして、不透明な動きを見せる十三課課長ユルゲン・フィッシャー。
以前は、これほど法王庁内部の軋轢を感じることはなかった。
イルドルフ自身が、過度な接触を避けていたし、逆に各派閥も必要最低限の動きしか見せなかった。
アスガルド半島が法王庁統治下に移行し百年が経過し、大きな転換期を迎えているのだろう。
各派閥ともアスガルド半島全体を包み込む得体の知れぬ巨大な力を感じており、己の信念を通すため、多少の衝突を恐れなくなってきている。
そして、衝突をなくしては、法王庁は変えられない。
武力を伴わない争いなら、いくらでも受けて立つ。
どれほど時間が掛かっても、雑草も害虫も供に生きていける世界を示してみせる。
一年前の散華した師との、遠い過去に眠りについたある聖女との約束だ。
「聖輪騎士団との会談時間には、まだ二時間ほどありますよ。イルドルフ様」
対面に座った若い女性の言葉に、イルドルフは思考を中断した。
国家錬金術師の制服に、第二階位の印である黄金の枝が刻まれた襟止め。
知性を感じさせる顔立ちに、思慮深そうな瞳が、対面に座ったイルドルフを覗き込んでいた。
「む?そうであったな。・・少しでも時間が欲しいあまり、気が急いていたようだ」
「まあ」
錬金術師協会導師は、ほつれ髪がかかる頬に笑みを広げた。
「イルドルフ様の言葉とは思えませんね」
「ほう。それでは、どのような言葉が、‘イルドルフらしい’言葉であるか分かるのなら、是非教えて頂きたい。キスリング導師の慧眼に基づく御助力で、ドーヴァリン炭鉱の動乱は、収束の方向に持ち込むことが出来た。・・・ご助言は、是非、参考にさせて頂きたい」
本心と冗談が織り交じったイルドルフの言葉だった。
穏やかな口調だけに、その両方がキスリングにはっきりと伝わる。
だからこそ、本気で恥ずかしくなる。
「あれは、私は、ほんの少し手を出しただけで・・・」
「その‘ほんの少し’が大切なのです。あらためて感謝いたします」
「そんな。私のほうこそ、イルドルフ様だけでなく、若い子たちに助けられてばかりです」
キスリングの白い肌に、薄く朱が灯った。
錬金術師協会の創設者にして最高導師、‘時越えの錬金術師’アニエスの死亡後、当然の如く錬金術師協会は混乱した。
錬金術師協会が、法王庁以上の一枚岩にまとまっていたのは、アニエスという絶対的なカリスマに起因する。
的確な指導力と、”魔術の始祖”「ローナン・マギ・グラーフ」に匹敵するといわれた最上級の術を行使する錬金術は、どんな言葉よりも説得力があった。
史上最も愛された錬金術師を失い、一枚岩であった錬金術師協会は、四つに割れた。
主義主張や、研究内容、元素系統に別れ、四人の導師達が派閥を形成している。
アニエスの補佐官であったキスリングは、アニエスを慕う若手の錬金術師達に押される形で、導師となった。
キスリング自身、現在のところ理想の導師からは程遠いと思う。
他の派閥が、法王庁に対し独自権限の強化を要求するのを、必死で抑えているので精一杯だ。
このような時期だからこそ、法王庁との連係が必要となる。
「うら若きお嬢さんが、若い子などと年寄りくさい台詞をいうのは、関心せんな」
イルドルフの隣に座ったベルンが、白髭に包まれた頬を撫でながら言った。
「ワシくらいの年齢になってようやく与えられる特権を、侵略しないでもらいたい。お前もだぞ、イルドルフ」
教会で説法を行うように、神妙な顔つきのベルンに、イルドルフとキスリングは、思わず笑いを漏らす。
「確かに、私はベルン老ほど、白髪は増えていませんな。・・・雨脚が強まってきたようだ。寒くはありませんかな?」
「私も、ベルンさんほど、皴は増えていませんしね。・・・麓まではあと一時間ほど掛かりますわね。飲み物はいかがでしょうか?」
「・・・年寄りくさいことはいうなとは言ったが、年寄り扱いしろとは言っておらんぞ」
今度は、声をだして笑った。
互いの組織で似ている立場、ということもある。
アスガルドの安定のため尽力を尽くす、という志も同じだ。
だが、この二人の前では、『錬金術師協会の四導師』としてだけでなく、素の自分が見せられている。
弱い部分も、迷う部分も出し、そして前に進んでいく感覚がある。
机上の打合せや討論がほとんどで、外へ出て冒険をするわけではないが、「旅の仲間」のような信頼関係が出来始めている。
笑いながらキスリングは、一回り年の離れた仲間と、二周り歳の離れた仲間を頼もしく見上げた。
突然、馬車が止まった。
「どうした?」
馬車の壁に開けられた小窓が僅かに開いた。
「いや、人が立っているんで」
「人だと?」
御者を務めていた第七課所属異端審官レスターは、胆力と腕力を兼ね備えている有能な男だ。
どちらかというと、思考よりも行動を優先する。
その独自判断による行動が原因で、審議会でイルドルフが釈明をする事があったが、イルドルフにとっては頼れる部下であることは変わりない。
そのレスターが、僅かな戸惑いを見せ、判断を求めている。
ベルンとイルドルフは、小窓から外を覗き込む。
雨の峠道に、フード姿が四人、道を塞ぐようにたっていた。
「イルドルフ司祭」
先頭に立つ人影が、涼やかな声を発した。
「ご挨拶にあがりました、イルドルフ司祭」
何者か、と問い返す必要ななかった。
フード姿の四人全員から、押しかかるような重圧感が放出された。
「むっ!」
「なんじゃ!?」
急激に気温が下がったかのような錯覚に、全身の毛が逆立つ。
抜き身の刃を眼前に突きつけられているような剣呑な気配が、イルドルフ達に叩きつけられる。
「課長相手の、お客さんみたいですぜ。・・・お引取り願いましょうか?」
二十八歳というレスターの年齢は、第七課の中では年長の部類に入る。
それなりの場数を踏んでいる。
対峙相手の危険性に対し、動揺も、焦りも見せなかった。
神経を研ぎ澄まし、上司の判断を待つ。
「いや、私が直接話そう」
「いけません、イルドルフ様。危険すぎます!」
前方から放たれる、押しつぶされそうな重圧感をキスリングも感じているのだろう。
イルドルフの司祭服袖を掴んだ顔は、蒼白だった。
「これだけ気配を殺せる技量を持ちながら、雨の足場を抑え奇襲をかけなかったという事は、『挨拶』とやらは余程のものなのだろう。・・・話し合いの余地があるなら、生かしたい」
雨が一段と強くなる中、イルドルフは武器を帯びずに馬車を降りる。
雷鳴がとどろき、先頭のフードの下で、銀色の輝きが揺れた。