シーン2 「アミナス山頂」
暗闇の夜。
馬車から降りたイルドルフを土砂降りの雨と叩きつけるような風が襲う。
聖都から離れたアミナス峠の山頂は、灯り一つ無い。
目を開けるのも困難な風雨だが、イルドルフは対峙するフード姿の四人の距離がはっきりと分かった。
四人とも、己の潜在的な戦闘能力を隠そうとしていない。
イルドルフは、濃厚な重圧が支配する空間に足を踏み出す。
「この私を・・・」
ぬかるむ地面に革靴を沈めながら、イルドルフは静かに問いかける。
「イルドルフと知ったうえで、この場所にいるのだな?」
「もちろんです。法王庁第七課課長イルドルフ司祭」
フード姿の一人が、一歩前進しながら答えた。
それだけで、イルドルフを包む重圧が一段と濃くなる。
「一年前、あなたとあなたの率いる第七課には、大変お世話になりました」
口調こそ礼節をなぞったものだが、フードの下の口元は、笑いの形に歪んでいる。
「だからこそ、イルドルフ様には、直接挨拶にあがりました」
女の細い指が、ゆっくりと顔を覆うフードをはずす。
壮麗な美貌と、闇夜でもはっきりと分かる輝くばかりの銀髪が、こぼれた。
「ああ・・」
馬車の小窓から様子を伺い、練成印がいつでも組める準備をしていたキスリングが、悲鳴にも似た声をもらした。
「どうした、お嬢さん?」
愛用の旧式ライフルを構えていたベルンが、キスリングに振り見向いたが、その皺が刻まれた顔が曇る。
キスリングは、暗闇でもはっきりと分かるほど脅えていた。
血の気の引いた頬。
練成印を組む手と、国家第二階位の証である‘銀枝の紋章’が刺繍されたローブに身を包んだ細い肩が、小刻みに震えている。
「どうした!?しっかりしろ!」
ベルンの叱咤の声も、キスリングの耳には届いていなかった。
「あれは・・・」
キスリングは、思い出す。
一年前、の夜を。
‘法王庁の最も長い夜’と呼ばれている夜を。
キスリングの生涯で、最も大切なものを失ったあの夜を。
錬金術師協会本部の賢者の塔。
待機を命じられていた自分を含め十数人の錬金術師たちは、塔の屋上へと駆け上がった。
敬愛する師の命令を初めてやぶり、月夜の屋上へと駆け上がったキスリングの目に飛び込んできたのは、国家第一階位の導服を赤く染め、倒れ伏した師の姿だった。
そしてその傍らに佇む、銀色の‘闇’。
「・・・逃げて」
顔を上げると、キスリングは、馬車の小窓に倒れ掛かるように身を寄せる。
もう二度と、自分の目の前で、大切なものを失いたくなかった。
「逃げて、イルドルフ様!」
キスリングの悲痛な叫びは、豪雨と暴風に消され届かなかったのか、イルドルフの広い背は微動だにしなかった。
「直接お会いするのは、これが初めてですわね」
フードをはずすと、吹き荒れる風雨が美貌の上で銀髪をかき乱す。
「・・・‘逆十字’」
闇夜でも艶やかに輝く銀髪の下に刻まれた紋章が、イルドルフに感情を抑えた声を吐き出される。
「‘彷徨える逆十字団’の‘銀水晶’と申します。・・・お目にかかれて光栄ですわ、イルドルフ司祭」
「生きていたか、‘No2’。すると後ろの者達は・・・」
「新生逆十字団の新たな死徒ですわ」
銀水晶の含みのある声に、背後に控える三つのフードが揺れる。
笑っているのだ。
銀水晶の顔にも、微笑が浮かぶ。
「お聞き下さい、イルドルフ様」
舐め回すような視線と供に、豪雨の中、銀水晶は高らかに宣言する。
「我ら逆十字団は、くだらぬ弱き世界を我がもの顔で統治してきた法王庁を、‘逆十字’によって裁きます。
あと半年のうちに法王庁は、‘逆十字’によって裁かれ、焼かれる‘審判の日’を迎えるでしょう」
「やってみるがいい、逆十字団。お前たちが思っているほど、法王庁は脆弱でも欺瞞に満ちているわけでもない」
傲岸にして不遜な銀水晶の言葉を、イルドルフの静かな自信が受け止める。
「信念と志を持つ者。道は違えても、志の根底を同じくするものは大勢いる。お前の言う‘くだらぬ弱き世界’で精一杯生きている人々を守ろうとする者は、法王庁にも、法王庁の外にも大勢いる。
その一つ一つは、‘逆十字’如きに裁けるものではない」
即座に返答したイルドルフに、銀水晶は胸中で賛辞を贈る。
イルドルフの言葉は、虚勢や理想論ではなく、本物の自身が込められている。
事実、イルドルフ率いる第七課は、一年前に‘全てを知るもの’を筆頭とした旧逆十字団を退けている。
だからこそ、直接会いに来た。
「言いたいことはそれだけか、銀水晶?」
「いいえ、はじめに言ったでしょう。今日は挨拶にあがったと」
「確かに」
豪雨の中、イルドルフに向かい、ゆっくりと近づく。
型も、間合いも考慮していない、無防備な歩き方だ。
「では、させていただきます、イルドルフ様」
闇の中でもお互いの表情が識別できる距離まで近づくと、しな垂れかかるようにイルドルフに身を寄せる。
「・・・あなたへのお別れの挨拶を」
囁くような声が届くのと同時に、銀水晶の右腕に形成された‘夢幻刃’が、イルドルフの左胸に伸びた。
銀水晶の指先に、針の先程の粒子が灯る。
理論上、『物質界の安定は不可能』とされた多元粒子が、銀水晶の体内に埋め込まれた『永久動力供給機関‘銀水晶’』によって固定化され、硬質な輝きを放つ‘夢幻刃(フェアリーテイル)’を形成する。
上位粒子で形成された、物質界のあらゆる存在を切り裂く‘夢幻刃’を銀水晶は、イルドルフの左胸に滑り込ませた。
「‘銀水晶’よ。一つだけ言わせてもらおう」
イルドルフの発した声は、依然として落ち着きに満ちたものだった。
‘夢幻刃’が、左胸を貫く直前で動きを止めている。
「甘く見るな」
イルドルフの右腕に握られた短杖が、‘夢幻刃’を押さえ込み、微動することも封じている。
銀水晶は、僅かに眼を細める。
「甘くみているのはどちらかしら?新生逆十字団は、不完全な‘No1’に率いられていた以前の逆十字団とは違うわ」
銀水晶の嘲笑に、イルドルフは僅かに眼光を細く絞った。
呼吸をする間も無く、銀水晶の左腕の手刀が喉元へと伸びる。
「さよなら、イルドルフ」
「遅い」
イルドルフはぬかるむ足元に体を滑らせるよう避けると、その勢いのまま足蹴りを放つ。
軸足を払われ、転倒する銀水晶にイルドルフは短杖を振り下ろす。
「子供だましね」
眼前にかざした‘夢幻刃’が短杖と交差した瞬間、二人を中心に、水滴が波状に飛び散る。
「おおお!!!」
イルドルフの魂迫の叫びと供に、短杖を握った右腕の袖が吹き飛び、光り輝く紋章が現れる。
紋章の発光が短杖を包み込むと、輝きそのものが凝縮され‘夢幻刃’の表面に、稲光の様な皹が走る。
「‘夢幻刃’が!?」
直後に無数の氷欠片のように中空に散った。
「・・・砕けた」
銀水晶は、初めて動揺に近い表情を見せた。
転倒した泥の中で、転がるようにして距離をとろうとする。
同時に静観の構えを取っていたフード姿の三人が一斉に動き始めるのを、イルドルフの視界の端が捉えた。
銀水晶を仕留めようとすれば、三人に対し側面を晒す事になる。
「だが・・・」
今のタイミングならば、銀水晶に致命傷を負わせることは十分に可能だ。
イルドルフは迷わず、追撃に移る。
フード姿の三人から放射される重圧が一段と濃くなり、そして、イルドルフの足元に側面からの着弾により爆ぜた。
「これは!?」
土砂と供に後方に吹き飛ばされながらも、イルドルフは、爆発はベルンが使用する炸裂弾によるものである事を確信する。
突如間合いの範囲外に外れたイルドルフに、フード姿達の動きが一瞬止まる。
「‘威褄の奔流、硬堅の賢者の名を持ち、四界の理を示せ’」
馬車の車軸の音と供に、キスリングの練成詠唱が響くと、フード姿達の足元の土砂が幾重にも絡まりあいながら‘檻’を形成する。
「イルドルフ課長!」
レスターが叫びながら馬車を牽引する二頭の馬を、片膝をついたイルドルフの脇へと向かわせる。
「せいっ!」
馬車から半身を乗り出したベルンが、イルドルフの腕を掴み、強引に馬車の内部へと引き釣り込む。
馬車は速度を増し、豪雨の中を麓へ向かい疾走する。
「ご無事ですか、イルドルフ様!?」
ずぶ濡れのイルドルフの体に、キスリングが乾いた布を当てる。
「ああ、問題、ない」
イルドルフは答えたが、右腕の根本を抑え、その体は小刻みに震えていた。
「見せてみろ」
「平気だ」
イルドルフの答えを無視し、ベルンは強引にイルドルフの右腕を取る。
「ぐっ!」
「きゃっ!」
苦悶の息がイルドルフの喉から漏れ、キスリングが息を飲む。
焼けた鉄板を押し付けられた様に右腕手首の‘マトレイヤの紋章’付近が爛れているだけでなく、イルドルフの全身は激しい倦怠感に支配されているのも分かった。
「年甲斐もなく、無理をしたからな」
顔を顰めながらも、イルドルフは笑った。
「逆十字団の銀水晶。刺し違えても仕留めたかったが、この様だ」
「そんなに命を粗末にしたいのか?」
イルドルフの腕を放し、愛用のライフルを手に取ったベルンが発した声には、抑揚というものがなかった。
「‘マトレイヤの紋章’は、お前さんにしか適合しなかった‘アーティファクトの効力を増加、拡大させるアーティファクト’だ。だが、発動の際には、お前さんの体が極度の負荷に晒される。・・・過去の過度の使用が原因でな」
ライフルに炸裂弾を再装填しながらのベルンの声は、更に低くなった。
「まして先ほどの使い方、銀水晶の‘夢幻刃’が砕ける前に、お前の体が焼き切れるところであったぞ。強行と無謀を穿き違えるな、イルドルフ。・・・そんなに命を粗末にしたいのか?」
対するイルドルフの応答は、素っ気無いものであった。
「自分の命の使いどころは、自分で決める」
「愚か者!!」
ベルンの一喝が、馬車の内部に響いた。
「お前が良くても、残されたものはどうなる!お前を必要としているものはどうなる!お前が交わした誓いはどうなる!
お前は、逆十字団程度で、その身に背負ってきた大切な物を下ろすつもりか!?」
普段の好々爺然とした立ち振る舞いからは、想像もつかないベルンの激昂に、キスリングは驚いたが、同時に納得もいった。
事情を知っていたら、感情を爆発させていたのは、キスリング自身だったかもしれない。
座席の下から薬箱を取り出しながら、精一杯、落ち着いた声を出す。
「戦うな、とは言いません。逆十字団を阻止したい気持ちは、私たちも一緒です。麓までいけば聖輪騎士団と合流できます。それからでも遅くありません。手勢を整えてからでも間に合います。・・・‘志を供にするものは、大勢いる’、違いますか?」
「・・・そうだな、すまない」
イルドルフは眼を閉じ、頭を下げた。
ベルンとキスリングは顔を見合わせ、安堵感の含んだ笑みをもらす。
「お話がまとまった早々で申し訳ありませんが・・・」
御者席から、小窓を通じてレスターが視線を馬車の背後に向ける。
「追手ですぜ」