起フェイズ「リガーク・ボメル」
リガーク・ボメルの吐き出したため息は、思いのほか白かった。
北の聖峰ロタンを中心とするリューロタン山脈から吹き降ろしてくる風は、冬の到来を予感させるには十分に冷たく、第四教区イルメルデの街の上空は、夕刻から厚い雪雲に覆われていた。
復活祭を過ぎると、夕方から夜半に掛けて雪が降り、明日の朝には、街は雪化粧をしているだろう。
三十歳を迎える誕生日を前にして、天国へと旅立った妻は、美しく雪化粧した山が一番きれいだと言っていたが、この街に住む多くの人間にとって、寒さと雪は‘避けることの出来ない外敵’以外の何者でもない。
「まさか、ワシにも寒さで冬を感じる日がこようとは・・・」
リガークは皴の浮いた口元を小さく歪めると、夕闇の迫る大通りを行きかう人々の波に飲まれた。
十年前までは、ある程度の防寒をしていれば、寒さを感じることは無かった。
若さもあったのだろうが、過去の自分は常に何かに集中していた。
イルメルデ騎士団を統率する団長としての立場は、己の鍛錬、若い騎士達の指導、年々人口が増加する街の警備、リガークを重責から開放することはなかった。
だが騎士団を引退してからは、かつてのように全力で何かに打ち込むことは無くなった。
『ようやく自分にも、人並みに寒さを感じるゆとりが出来た』と当初は強がったが、五十を過ぎてからは、肉体の老化を否定できない。
あるいは、‘集中することがない’のではなく、老いた肉体がかつてのような高い集中力を拒絶しているのかもしれない。
「‘銃’を持つ‘騎士団’か」
雑踏に紛れ家路につくリガークは、先ほど騎士団舎で現騎士団長であるマイヨ・ハインツから聞かされた騎士団の改革内容を、重いため息と供に口から漏られた。
‘剣と銃の所持’は、マイヨの近代騎士団編成構想の重要部であったことは、予てから知っていた。
騎士団長印が捺印された訪問の日程を尋ねる文書が届いたときから、今日の話の内容は予想していた。
‘自宅まで足を運ぶ’、という騎士団長に対し、‘こちらから本舎に出向く’とだけ返事をした。
現騎士団長のマイヨは、信頼できるかつての部下であり、引退した自分には‘騎士団相談役’という肩書きがあるにしろ、世間や若い騎士から見れば‘団長自ら足を運ぶ’という行動は、‘老人の機嫌を伺う腰巾着’ように映るかもしれない。
徒に、騎士団長の尊厳を軽くする必要はなかった。
十代前半から文武に秀でていたマイヨは、二十代のうちに‘アスガルド三大教育機関’に数えられる‘第二教区サンメルテ大学’への留学を経験しており、伝統的な用兵術に加え、近代騎士団の基礎概要についても学んでいる。
聡明で、他の学問へ知識もあり、人を思いやる心も厚い。
二十年以上に及ぶ、リガークの騎士生活の中では、最も優秀な部下だった。
リガークが騎士団長を引退の際、リガークの口から後任を指名することはなかったが、投票によりマイヨが選出されたのは、ごく当然の流れであろう。
おそらく、マイヨにしても今回の改革は十分に悩んでからの決断であっただろう。
‘ 古きものを壊し、新しい風を取り入れる’、口にするのは簡単だが、実行に移すのは困難を伴う。
自分も騎士団長に就任時は、‘家柄’や‘年功序列’を重視する当時の騎士団を支配していた体質には悩まされた。
ならば、‘理’を持って改革を決断したマイヨを、自分が率先して後押ししてやらなければならない。
‘後進に託す’という事はそういう事だと、引退したときから理解している。
だが、と思う。
マイヨの改革構想は理解できる。
高度に組織化された近代騎士団であれば、一人一人の‘個’の力が弱まっても、総合的な強さは維持できる。
理解はできるが、日々鍛錬を繰り返すことで手に入れる‘強者であることの誇り’はどうなる。
当初こそ、‘剣’と‘銃’の二つの力を使いこなすという目的を掲げるかもしれないが、多くの人間は無意識のうちに険しい道よりも平坦な道を選択する傾向がある。
銃による統率が浸透するほど、剣への傾倒は薄れていくだろう。
実践を経験する機会の少ない今の若い騎士たちでは、なおさらだ。
己が痛みを覚えることがなく、引き金を引くだけの‘強さ’で、街を、民を、誇りを守れるのか。
胸に穿たれた喪失感は、‘感傷’と呼ぶには大きすぎた。
どこにも発することのできない感情が高まったとき、自分でも思わぬ言葉が口から漏れた。
「・・・プレバンスがいてくれたら」
マイヨ・ハインツが最も優秀な部下だとすれば、ザルメルク・プレバンスは最も手間の懸かった部下だ。
単純な戦闘力は、歴代の騎士の中でも屈指のものだったと、今でも思う。
体格以上の膂力と、我流だが基礎を押えた剣技。
数的不利や、未知数の敵であっても、状況を楽しむほどの胆力。
留学から戻ったマイヨが持ち込んだ当時としては最新の重火器にも、随一の順応性を見せた。
要するに、戦闘に関しては天才だったのだ。
だが、突出した戦闘能力と、野性の獣を髣髴させる豪胆かつ奔放な性格が、騎士団という組織の中では浮いていた。
命令無視。
規律違反。
除名処分にすべきだ、という声も騎士団の内外を問わず何度も聞いた。
その度に リガークは、プレバンスを庇護した。
庇護、と言うには御幣があるかもしれない。
何しろ除名以外の罰則は一通り、経験させた。
その度にプレバンスは悪態をつきながらも、命令に従った。
‘過程’はともかく‘結果’を出しているプレバンスに対して、リガークが言葉にはしなかった期待に、不器用な男なりに応えていたのかもしれない。
だが、そんな眼に見えない信頼関係は、十年前の‘血の礼拝像’事件で終わりを告げる。
事態が全て収拾した後には、騎士団の人的損害は三割を超えた。
その中には、騎士団に入団したばかりのリガークの息子も含まれていた。
命令無視を繰り返した挙句、今度ばかりは‘結果’を出すことが出来なかったプレバンスは、自分から騎士団を去り、以来イルメルデの街に一度も姿を見せていない。
責任を一身に背負うことで、当時の騎士団長であったリガークの失態を軽くしようとしてくれたのかもしれない。
だが、プレバンスの気遣いは無用のものだった。
そのとき負った傷が原因で、腕力の低下を招き、納得のいく剣を振るえなくなったリガークはその半年後に騎士団を引退した。
「プレバンスならば・・・」
プレバンスならば、今の状況をどう見るか?
弱腰の自分を笑い飛ばし、混乱をまねきながらも明確な‘結果’を示したのではないか?
当時の自分は気付かなかったが、自分が何より望んだ‘強者としての誇り’を一番持っていたのはプレバンスだったかもしれない。
いずれにせよ、適わぬ話だ。
リガークは大きく首を振ると、自宅へと向かう歩調を強めた。
>承フェイズ 「ソアラ・ボメル」へ続く