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承フェイズ 「ソアラ・ボメル」

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承フェイズ「ソアラ・ボメル」


前編:
 リガーク・ボメルが、騎士団庁舎から 中央区の職人街を抜け、リマ河に面した港地区に位置する自宅にたどり着く頃には、夕刻も過ぎ夜の帳が街全体を包んでいた。


 第三教区を支流とするアスガルド半島の中でも二番目の長さを誇る大河リマは、第四教区にはいるとセーロタン山脈が蓄える雪水も加わり、川幅百メートルを超える大河となる。
 十分な水量と穏やかな水流は、アスガルド鉄道開通以前である半世紀前までは、都市間の経済交流の要であった。
 
 大河リマの水の流れは、遠く離れた都市間を結び、当時の都市を経済面でも文化面でも育んだが、同時に大量の物資を乗せて行来する商船は、河賊の成長を呼んだ。
 もともとはるか北方の海域を主戦場としていた海賊が、手付かずの家畜を見つけた野犬のように大河リマへと集まってきた。
船上という特殊な戦域で無類の強さを誇った彼らは、急速に勢力圏を拡大し、やがて商船だけでは飽き足らず、大河リマ沿岸部の街を襲うようになった。

 ボメル邸宅は、そのような河賊全盛の時代に九範騎士と呼ばれたリガークの祖父が、外敵より街を守るためという理由で港地区に屋敷を持った、と聞いている。
 南側に位置する街の正門には、常に警備兵が待機しているが、北側には中央地区の騎士団庁舎からも離れており、非常時の戦略的な拠点として使用することを前提とした。
 その思想は徹底しており、リガーク邸の敷地を取り囲む塀は城壁の様に重々しく、屋敷本体は、として仕様できるくらい堅牢な作りとなっている。
 やがて時代は代わり、アスガルド鉄道が開通すると河賊は自然と衰退した。
 かつては一日中賑わった港地区も、いまでは閑散としている。
 時代の移り変わりに伴い、役目を終えたボメル亭は、現在も街の郊外で静かに大河を臨んでいた。

「お帰りなさいませ」
 ボメル邸の正扉をくぐると、中庭で水汲みをしていた庭師のホジソンが、手にした水桶を置き、一礼してリガークを迎えた。
「うむ、今戻った。・・・施錠を変えたようだな」
 扉を閉めた後、内側に架かった真新しい鍵に気付いたリガークの言葉に、ホジソンは満足げな笑みを浮かべた。
「お気づきになられましたか。・・・本日完成したばかりの自信作でしてな。例えは破扉槌で攻撃されても扉の強度が持つ限り、破られるころはありませんぞ」
 リガークより二つ年上のホジソンは、三十年以上に渡ってボメル家に仕えてきた庭師だ。
 世話好きで手際が良く、庭師という肩書きだが、実際にはボメル邸全般をほぼ一人で管理している。
 屋敷の内外部については、リガーク以上に熟知しており、扱いの難しい堅牢なつくりのボメル家の面倒を、長年に渡って見続けてきた。
 耐用年数をとっくに経過したボメル邸が、いまなおとしての機能を維持できているのは、ホジソンの施設管理能力の高さに一因する。
「そうか、ご苦労だったな。・・・早速明日にでも、騎士団から破扉鎚を借りてきて強度を確かめよう」
 三十年も付き合えば、凝り性というホジソンの性格は良く知っている。
 真顔で言ったつもりだったが、言葉の裏側に含ませたからかいを、ホジソンは敏感に感じ取ったようだ。
白く染まった眉を歪ませ、反論した。
「つまらないご冗談を。大丈夫だと言っているでしょう。・・・それより、先ほどからソアラ様がお屋敷の中でお待ちになられております。何しろ今日は・・・」
「ああ、分かっている」
 声を落とし、気遣うように発せられたホジソンの言葉を遮ると、リガークは小さく首を振った。
「ご苦労だったな、ホジソン。・・・今日はもう休んで、ゆっくりとくつろいでくれ」
 もう一度ホジソンを労い、リガークはソアラの待つ屋敷の中へ向かった。

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中編:

「あの日からもう十年か。・・・早いものだ」


ソアラはリガークにとって、唯一の戸籍上の家族だ。
今から十年前、騎士団に入団したばかりの息子のニークが『生涯の伴侶を見つけた』と言って、ソアラとの結婚の承諾をリガークに求めた。
リガークが初対面のソアラに抱いた印象は、早春の小鳥だった。
艶やかな黒髪と、大きな双眸が、卵を温める親鳥を連想させた。
ニークの弁によると、ソアラは幼い頃両親と死別して、苦労してきたらしい。
仕立て屋に奉公していた先に、ニークが客として訪れたのが、交際の始まりだったという。
別に反対する理由もなかった。
家柄にこだわるつもりもなく、ソアラが良妻の素質があるのは見ただけで分かった。
良縁だと思った。
ただ、どう喜びを表現していいか分からず、親らしい祝福の言葉をどのようにかければいいか分からなかった。
最初につがれたお茶が空になるまで沈黙が続いたが、やがてリガークが口髭をなでながら言った
「これからは、馬鹿息子の面倒は、見なくていいということだな」
湾曲的な祝福の言葉の意味が分からず、ニークは首を傾げたが、それまで黙っていたソアラが白い頬を朱に染めて、小さく微笑んだ。
「お許し頂き、ありがとうございます、お義父様」

だが、ニークはリガークが思っていた以上の馬鹿息子だった。
ソアラとの挙式の一週間後、騎士団総動員となった血の礼拝像事件でこの世を去った。
血の礼拝像と名づけられた黄昏の時代に作製された戦闘用自動人形(オートマター)は、ある組織の手に渡った後暴走し、無差別な殺戮を繰り返した。
騎士団が事態の完全な収拾、つまりは血の礼拝像の完全な破壊にいたるまで、多くの犠牲を払わなければならなかった。
騎士団長であったリガーク自身も、最終的な作戦指揮の中で重症を負い、五日間生死の境を彷徨った。
後日、当時の部隊長であったマイヨが、事後処理の結果を報告に訪れた際、リガークは寝室でソアラに付き添われながら、その報告を聞いた。
『最終的な騎士団員の人的損失は、三十三名。以下、聖エルザの加護の元、天へと旅立った騎士名を報告いたします。・・・第一軽騎隊所属、クリスト・ガーランド。同、ジョン・テリス』
ようやく動けるようになったばかりの上半身を起こしたリガークは、僅かに震えるマイヨの報告を聞いた。
静かに閉じた両目の裏には、死亡した部下たちの顔が、謝罪の念と供に浮かんでくる。
「そして、だ、第八護衛隊所属・・・」
三十二名の名を読み上げた後、マイヨの声が詰まった。
報告書を握る手が、小刻みに震えていた。
リガークの隣に立つ、ソアラの顔も蒼白だ。
ソアラも理解しているのだろう。
マイヨがなぜ、読み上げるのを躊躇っているのか。
三十三番目に記されている犠牲者の名前が誰なのか。
『どうした。報告を続けろ』
覚悟はしていたリガークでさえ、その一言が胸の奥に沈んだまま、口には出せないでいた。
事実を受け入れるのか、このまま沈黙か、天秤の上で揺れていた。
「第八護衛隊所属、ニーク・ボメル。以上、三十三名だ」
沈黙を打ち破ったのは、マイヨに同行し、報告の間後方に控えていたザルメルク・プレバンスだった。
大柄な体が着込んだ騎士団正服の下に巻かれた幾重もの包帯が、ザルメルクがこの数日間で経験した激戦を物語っていた。
「俺のせいだ。独断で持ち場を離れ、戻ったときには、血の礼拝像が通過した後だった。・・・ソアラに僕の分まで健やかで、と伝えてくださいニークが俺に託した最後の言葉だ」
それまで表情の変化の無かったザルメルクが、最後に顔を歪ませる。
不肖の部下が、初めてみせた悔恨の表情だった。
「すまねえ」
「そうですか、ならば、」
ザルメルクの淡々とした声が届くと、ソアラは言葉に詰まりながら顔を上げた。
「私は、幸せ者ですね。誰よりも、好きだった、あの人に、そこまで愛して頂けたのですから」
言葉の最後を滲ませながらソアラは微笑んだ。
顔をあげたソアラの双眸からは、大粒の涙がこぼれていた。

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