シーン3
前編:
「やっかいなことじゃ」
失踪する馬車の屋根上に立ったベルンは、舌打ちと供に弾丸を撃ち尽くしたライフルの弾層を交換する。
追手は三人。
いずれも銀水晶の後方に控えていたフード姿だ。
そううち二人は、馬の代わりに‘山狼’に乗り、遥か後方より迫っている。
強靭な肉体を誇る肉食獣である‘山狼’は、漆黒の山道を引き裂くように走破し、馬車との距離を詰めてきている。
獰猛な性格の‘山狼’を意のままに従えている馬フード姿二人も脅威だが、馬車の速度は十分に出ている。
追いつかれるまでは、まだ少々時間がある。
問題は、上空から迫る最後の一人だ。
背中から生やした光輝く銀の翼が、漆黒の夜に浮かび上がっており、風圧でめくれたフードの下の愛らしい少女の顔を照らしている。
決して狙えない距離ではないが、ベルンのライフルから放たれた弾丸は、銀の翼を捉えることはなかった。
‘銀の翼’により飛翔する少女は、弾道を読んでいるかのようにかわした。
その翼の輝きが一層強くなるのを見て、ベルンはもう一度舌打ちする。
「全く、分が悪いわい」
「ベルンさん」
前方の御者席から、二頭の馬を率いるレスターが声を掛けた。
「‘第二次大聖伐’の時に、第二教区のシュタイナルから第四教区のイクナフまで、一晩で早駆をやったって言う話は本当ですかね?」
「なんじゃ、こんな時に?」
「その馬術の腕を見込んで、御者を代わってもらっていいですかね?」
「何を言っておる?」
「少しばかり座り疲れたんで、軽い運動をしてこようと思いまして」
「レスター、お主・・・」
振り返ったベルンに対し、レスターは片手を腰に下げた鞭にあて、頷いて見せる。
「あいつらに、法王庁第七課所属の異端審問官が、どれ程優秀かをみせてやりますよ。構いませんよね?」「・・・」
ダメだ、と言いかけて、ベルンは躊躇した。
レスターの試みは分かる。
マトレイヤの紋章を一度使用したイルドルフは、戦闘は困難であり、高位錬金術を使いこなすキスリングは実戦経験がほとんどない。
まともに戦えるのは、ベルンとレスターの二人だけだ。
間近に迫った銀の翼に足止めをくらい、後方の二人が追いつけば、二対三の状況を作られる。
逆十字団の標的がイルドルフである以上、守りきるのは不可能に近い。
だからこそ、一人が残り、馬車が麓の聖輪騎士団の元へ辿りつくまでの時間を稼ぐ。
ベルンには、レスターの考えが分かった。
同時に有効な手段である事も理解した。
だからこそ、返事が出来なかった。
追走する‘逆十字団死徒’を相手にして、‘時間稼ぎ’を許可する事は、レスターに捨て駒になれと言っているのに等しい。
「勝手な行動は許さん、レスター」
返答を躊躇するベルンに変わり答えたのは、馬車の中から発せられたイルドルフの低い声だった。
「お前の問題行動は、今まで私が面倒を見てきた。だからこそ、今回くらいは私の命令を聞け」
「それを言われると、弱いんですが・・・」
雨の中、レスターは笑う。
「イルドルフ課長には、いろいろと世話になりましたからね。・・・だからこそ」
小窓を通して、決意を込めた声が響く。
「その命令には従えません」
雨が一瞬激しくなり、次の瞬間にはレスターの姿は御者席から消えていた。
後編:
「あと少し・・・」
馬車からの煩わしい威嚇射撃は、少し前に止んだ。
漆黒の闇夜を背中に生えた‘光の翼’で切り裂くように飛翔する‘白銀の翼’は呟いた。
あと少しで‘銀誓の光輪’の射程に入る。
そうなればあの程度の馬車は、中の人間ごと一瞬で蒸発する。
「‘銀水晶’姉様を傷つけて・・・」
‘白銀の翼’は、豪雨の中更に飛翔速度を上げると、奥歯から絞り出すような声を出す。
「絶対に、許さない!」
馬車が射程に捕えた事を確信し、‘光の翼’が大きく展開した瞬間、‘白銀の翼’の全身は、黒い靄のようなものに包まれた。
‘銀の翼’が、全身を包んだ‘靄’の正体が、極細繊維の‘網’である事に気付くのと同時に、網から高圧の電流が発せられた。
暗闇の夜空に、青白色の発光が煌く。
「ぐふっ!」
全身の血管が収縮し、肺から擦れた息が漏れる 。
眩暈にも感覚と暗転する視界により、背中の銀翼は光を失い、少女は地上へと落下した。
「こんな夜の、一人歩きは危険だぜ」
泥と雨水にまみれた峠道に落下した‘白銀の翼’の前に立つと、レスターは手にした‘網’、B級アーティファクト‘荊の祝裁’を更に引き絞った。
通常形状である鞭型と、構成する繊維が解かれた網型の二種類の形状を持つ。
レスターが異端審問官として過ごした十年の間、片時も離れる事がなかった相棒だ。
網に全身を絡み取られた‘白銀の翼’は、狭まる網に対し、必死で羽ばたく小鳥のように抵抗していたが、やがて動きを止めた。
「放蕩息子が、一生に一度の親孝行をしようと、待ち構えているかもしれないからな」
‘荊の祝裁’の握柄から‘雷牙’属性の第二種封印弾の空薬莢を排出し、‘風爪’の刻印が刻まれた弾丸を装填しながら、レスターは慎重に間合いを詰める。
‘網’に絡めとられた‘白銀の翼’は、気絶したかの様に動かない。
豪雨の中、レスターは聴覚を、峠道の上方へと向ける。
風雨を切り裂く獰猛な二匹の山狼の足音は、後一分足らずで、有効視界に入るだろう。
「来いよ。餌は用意しておいてやるからよ」
残り二人の追撃者と接触する前に、一人を捕えられたのは僥倖だった。
囮、場合によっては人質にしてでも、イルドルフ達の乗った馬車が麓へたどり着くまでの時間を稼ぐ。
「逆十字団‘No6’の・・・」
低い唸り声は、レスターが引き絞った‘荊の祝裁’の内側より漏れた。
「チッ、まだ動けるのか?」
少女のものとは思えないほどの声に驚きながらも、レスターは更に‘網’を引き絞り、拘束を強める。
並みの人間なら腕や脚がへし折れているほどの圧力が、拘束対象に掛かっているはずだが、相手は並みの人間ではない。
二人の追跡者が間近に迫っている以上、遠慮するつもりはなかった。
「‘白銀の翼’の・・・」
叫び声と供に、‘網’が内側より伸びた‘銀の翼’により切り裂かれる。
先ほどの白鷺の翼の様な形状とは異なり、‘巨大な鉈’にも似た形状の翼が左右に大きく展開し、‘荊の祝裁’を焼き切りながらも、レスターに向かって伸びる。
「冗談きついぜ」
後方に跳び、‘翼の鉈’から間合いを取るレスターに、翼が羽ばたく。
「邪魔をするなぁ!!」
峠に響き渡る絶叫と供に、‘銀の翼’から放たれた無数の光珠が烈風と供にレスターを襲う。
「うおっ!」
とっさに前面で両腕を交差したレスターに叩きつけられた光珠は、いくつもの爆発を繰り返す。
「死ね!死ね!死ねぇ!」
爆風により、切り立った斜面に叩きつけられたレスターに対し、‘白銀の翼’は更に銀翼を翻し、光珠を放つ。
雨で緩んだ斜面は、二度に渡る爆発の振動に耐えられず、巨大な地滑りが、レスターを飲み込んだ。
「!?」
峠道を塞いだ地滑りを二匹の山狼が跳躍した。
背中にフードに包まれた二つの影を載せたまま、‘白銀の翼’の脇を暴風のような勢いで通過する。
「待て!あの男を、お姉さまを傷つけたあの司祭を殺すのは、この‘白銀の翼’だ!」
一瞥すら無く、峠道下方の暗闇に消えた二人を追い越そうと、再び‘光の翼’展開をする。
同時に、眩暈が小さな体を襲う。
「・・・ダメージを受けた状態で、‘力’を使い過ぎた?いや!そんな事があるはずはない!」
大きく首を振った後、‘光の翼’を再度展開させる。
追撃に入ろうと闇夜に浮上した‘白銀の翼’の体が、空中で止まった。
「なんだ!?」
「こんな夜の・・・」
残った繊維を一本の鞭に拠り合せた‘荊の祝裁’が、‘白銀の翼’の左足首に巻きつき、その先端は土砂から頭部と右腕だけを覗かせた異端審問官がしっかりと握っている。
「一人歩きは危険だと、言っただろう」
短く呟くと、レスターは土と血の混ざった唾を吐き出し、鞭を手繰り寄せるように、土砂に埋もれた下半身を引きずり出す。
神父服は焼け焦げ、泥に塗れた肌は所々が赤黒く爛れている。
「死に損ないが・・・」
「第七課の異端審問官が、どれ程のものか、教えてやる」
降りしきる雨の中、一対の‘光の翼’が羽ばたくが、地獄へと落ちた堕天使を繋ぎとめる鎖のように、‘荊の祝裁’は決して外れることはなかった。
>シーン4へ続く