harukaze_lab @ ウィキ
遊行寺の浅
最終更新:
harukaze_lab
-
view
遊行寺の浅
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上人《しょうにん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]
-------------------------------------------------------
[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
わが寺になると出て行くお上人《しょうにん》、という川柳点がある。相州藤沢にある時宗総本山の清浄光寺、俗にいう遊行寺《ゆぎょうじ》の上人を皮肉ったものだ。同宗では代々、その管長となる者は遊行他阿上人の法号を継ぐと共に、一所不住、遊行権化《ゆぎょうごんげ》と云って、有縁無縁の衆生を済度するため、寺を出て廻国するのが宗則であった。近年はその例も稀になったが、徳川末期までは盛んに励行され、その巡錫《じゅんしゃく》には幕府から十万石の格式が附せられていたという。……この事実は、宗教の多くが単なる墓守か、または経典の末節に囚われたスコラ派に堕していた時代に、一応実践的宗教の塁を守ったものとして注目すべきだと思う。……とにかくそうして民衆生活と常に接触していた結果、そこから生れた逸事佳話の類もまた少くはない。
遊行五十七代に一念上人という傑僧がいた、記伝は詳《つまびら》かでないが、天保七年の関東大飢饉のとき寺財を抛って窮民を掖済し、地方人から活仏《いきぼとけ》と仰がれたことは有名だ。現在はその跡だけしか遺っていないが、同寺の西黒門はそのときの記念物だと伝えられている。
嘉永四年の春、との一念上人が三回目の巡錫から藤沢山へ帰ったとき、その供のなかに一人の新発意《しんぼち》を連れて戻った。……年頃は三十から四十までのあいだで、小柄の精悍な体つきと、眼の鋭い、ひとくせある面魂《つらだましい》をもった男であった。
「わしの新弟子じゃ」
と上人は塔中《たっちゅう》にひきあわせて、「野育ち者だからみんなで面倒をみてやってくれ」
と云ったが、然し素性や名については一言の説明もなかった。
彼は本堂の茶汲み番になった。
口数の寡《すくな》い男だったし、どことなく底の知れぬ感じで、塔中の人々も殆ど親しく交わることが無かった。けれど彼は別にそんなことを気にする風もなく、朝は勤行《ごんぎょう》の始るまえに起き、寺男たちに率先して境内の隅々から後架の掃除までやるし、客殿、方丈、学寮の雑務なども、手の及ぶかぎり自ら進んで用を勤めた。……中年から出家した者が最も苦心するのは経文の学習である。彼は殆ど読みも書きも出来なかったので、その困難は一倍だったに違いない、然し彼は克《よ》く耐え忍んで勉学し、数年のうちには経文も読め文字も書くことが出来るようになった。……是は一日の勤めが終ってから夜半に及ぶ余暇を利用したものであった。
山へ来て四年めに、彼は貞松院《ていしょういん》という塔中の一院を貰った。貞松院は遊行寺四ヶ院の一で、久しく住持の席が明いていたのを、特に上人が彼に与えたものである。……然し彼が茶汲み番であることは依然として変わりがなかった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
貞松院の住持になってから、若い僧たちはもういちど彼に興味を持ちはじめた。
――一体あの茶湯番の前身はなんだろう、唯の俗家の出ではないと思うが。
――あの眼つきは尋常でない、起居振舞《たちいふるま》いも歯切れがよすぎる。それに初めて山へ来たとき、お上人が名も素性も仰有《おっしゃ》らなかったのを考えると、どうも日蔭者にちがいないと思う。
――まさか、それほどでもあるまいが。
そういう噂が屡々繰返された。
彼は用事以外には誰とも殆ど口を利かなかった。山を下りることも珍しいし、町へ出ることなど極めて稀にしかなかった。それが考えように依っては、如何にも世間の眼を怖れるように見えるので、穿鑿好きな人々には益々興味を惹かれることになったのだ。
或る日、……彼が貞松院の門前で落葉を掃いていると、参詣に来たと思える一人の女が、静かに側へ近寄って、「お久しぶりでございます」
と腰を跼《かが》めながら声をかけた。
竹箒《たけぼうき》を持ったまま振返った彼は、女の顔を見るなりあっ[#「あっ」に傍点]と低く叫び声をあげた。……女は三十歳あまりで、肌理《きめ》の密《こまか》な、どこかしら研いだような美しさのある顔つきであった。髪つきや身装《みなり》は、地味に作りながら却って粋な、明かに堅気でない風俗がにじみ出ていた。
「去年から藤沢へまいってます」
女は静かな声で続けた。
「廓《くるわ》の裏で『小浅』という小さな店をやって居ります。云うまでもないと思いますけれど、わたくし独りで、……小女を三人ほど使っていますの、若しも、……」
「七年まえに約束をした筈だ」
彼はぶすっと云った。
「浅は死んでしまった、縁は切った、どこで会っても赤の他人だ。……あのときの約束を忘れたのか。私は……おまえさんなどは知りません、人違いをしないで下さい」
「忘れはしません、その証拠には」
と女は悲しげに、呟くように云った。
「あなたがいいと云うまで、決して是からは話しかけたりはしません、ただ親分さまの御冥福のため月々の御命日には参詣にまいります、その日だけ御無事な姿をよそながら見ることを堪忍して下さいまし」
「方丈は向うの銀杏《いちよう》の木の右でございます」
彼はそう云うと、もういつもの澄んだ表情になって落葉を掃きながら去った。
この様子を学寮の一人の若僧が見ていた、話し声は聞えなかったが、二人の様子でただの参詣人と寺僧との対話でないことは察しがついた。
噂は人々のあいだに弘まった。
そして直ぐ誰かが女の身元を調べにかかった。女は町の『小浅』という料亭の女将《おかみ》でおつま[#「つま」に傍点]という名だった。そのとき彼女は遊行寺の檀家になり、はじめ志す仏の永代供養料として三十両納めてから、毎月二十一日には必ず参詣して、看経《かんきん》法要《ほうよう》を頼むのが例になった。
彼女からなにか聞き出そうとして、若い僧たちは色々と苦心したが、結局なにも知ることは出来なかった。……おつま[#「つま」に傍点]は貞松院の彼についてはまるで知らぬ人だと云った、そして自分の身上に話がくると、
「そうですね、是でもひと昔まえには」
と遠くを見るように、うるんだ眸子《ひとみ》を細くしながら云った。
「命を捨ててもいいと契り合った人がありましたわ。……もう死に別れて七年になりますけど、……いいえ、二十一日の命日はその人のじゃありませんわ、あたしとその人の恩人の御命日なんです」
「其の人というのが貞松院ではありませんか」
「おや、とんだ浮名儲《うきなもう》けだこと、あのお住持さまはそんな粋な方なんですか」
そう云って笑うおつま[#「つま」に傍点]の表情はどんな穿鑿眼をもはね返す冷やかさを持っていた。
――然しいまになにか起る。
人々はそう思っていた。
その二人が若し古い恋人同志であったのなら、いまに必ず底を割る日が来るに違いないと思っていた。然しその期待は外れた。それから後も貞松院の様子は些《いささ》かも変らず、おつま[#「つま」に傍点]も二十一日に参詣する他は山へ近寄りもしなかった。……その定った日にさえ、おつま[#「つま」に傍点]は他の僧たちにするのと同じ会釈を彼に与え、彼もまた檀家に対するひと通りの挨拶しか返さなかった。
遊行寺では毎年秋九月に宝物の風晒《かざさらし》を行い、信者たちに展観する習慣があった。……その年の風入れが始って二日めのこと、貞松院の彼が夜になって一念上人をそっと訪れた。
「なにか用事か」
上人は炉端で書物を読んでいた。……彼は近くに人のいないことを慥《たし》かめて来たのだが、それでもなお、声をひそめて云った。
「今日はじめて、御宝物の数々をよく拝見いたしました」
「……それで」
「黄金の香炉は結構なお品でございますな」
「うん、あれは信者の寄進でな、その頃で三百金ほどかかったものだそうじゃ、もう百年来寺の宝物になって居る……」
「時にはお用いあそばすのですか」
「いやとんと使わんじゃろ」
上人は書物の頁をはぐった。……彼はずっとひと膝進んだ。
「お上人、然しあの香炉は、人の眼につかぬところへ納《しま》って置く方が宜しいと思いますが、……大抵は有難がって拝見していましょうが、中には眼の利く参詣人も居りましょうから……」
「眼の利く人間がいては悪いか」
「お上人、……若しあれが、金衣《きんき》せの偽物だということが知れましたら、寺の名にかかわるかと存じます」
一念上人は黙って書物を置いた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
彼は上人の言葉を待っていた。然し上人は火箸を取って切炉の火を直しながら、暫くのあいだなにも云わなかった。
「天保七年にはえらい飢饉があったのう」
忘れた時分になって、上人はまるで見当の外れたことを云いはじめた。
「関東一帯の困ったことは非常なものじゃ、この附近でも百姓といわず町人といわず、親子が離散する、家は潰れる、食う物はなし、まことに酸鼻な有様であった。……わし[#「わし」に傍点]も寺が出来るだけの事をしようと思ったが、なにしろ貧乏寺のことで思うだけが精いっぱいじゃ、そのとき南の黒門を建てて居ったがの、その地行の縄に手を触れた者には施米をするという定で、そうさの、寺米の他に凡そ三千俵ばかりも施しをしたじゃろか」
「それではお上人、そのとき香炉を……」
「貧乏寺でお米を買うには弱ったよ」
一念上人は灰を掻きながら云った。
「なにしろ相談をすれば、寺の宝物だで役僧や檀家が承知すまいしの。百年寝かし物が役に立てば、若し露顕してもこの一念が悪名を衣れば済むことじゃでのう……」
「よく分りました」
彼は両手をついて云った。
「私はまるで別のことを考えて居りましたので、念のためお上人の御意を得たのでございます。左様なお役に立ったのなら、香炉もさぞ本望でございましょう、……決して他言はいたしませんが、事実を知ったら世間の人々はさぞ」
「さぞ一念を悪く云い居るじゃろ」
上人はけらけらと笑って云った。
「喉元過ぐればなんとやら、寺宝まで売らずとも法は有ろうにとのう。……だから此の話はおまえにするのが初めの終りじゃ。聞かぬ積りで内証、内証」
彼は黙って上人の眼を見上げていた。
宝物の風入れもあと一日で終るという日のことであった。……彼が貞松院へ夕食をとりに帰ると間もなく『小浅』の女将《かみ》おつま[#「つま」に傍点]が訪れて来た。
彼は玄関へ出て行くと不愛想な口調で、
「なにか御用でございますか」
と云って女を睨んだ。
「お知らせ申したいことがございまして、内密のことでございますが……」
「此処で伺いましょう」
「でも人にみつかっては困るのです」
女は思い詰めた眼で屹《きっ》と彼を見上げた。……その表情を篤と見て、彼は先に立って横庭へ廻った。
「用事だけ聞こう、なんだ」
「隠坊《おんぼう》の辰《たつ》というのを覚えておいででしょう」
「それがどうした」
「午《ひる》頃から四人伴れで来た客の一人があの男なんです、若しやお前の前身を嗅ぎつけて、強請《ゆすり》にでも来たのではないかと思ったから、そっと話の様子を聞いていました。……そうしたら、その男たちは今日、お山の御宝物を拝見して来て、金の香炉を見たのです」
「それを盗みにでも入ろうというのか」
「隠坊辰がどんな男か御存じでしょう、盗みをしたり押込《おしこみ》に入ったりするのが知れて、親分さまから縁を切られた男です。その辰の他に三人、みんな相当に名の売れた悪党らしゅうございますから」
「来るとすれば今夜だな、明日になれば御宝庫は閉まる……」
「あの男たちもそう申していました」
「……よく知らせて呉れた」
彼は初めてその顔色を柔げた。
「お上人に、いや……寺にとっては大事な宝物だ。万一のことがあってはならぬから直ぐ手配をしよう、有難う」
「浅さん!」
女は思わずそう呼んだが、振返った男の眼が再び険しい色に変ったのを見ると、悲しげに面を伏せ、会釈をして立去った。
彼は夕食を済ませると、別に手配をする様子もなく、茶を啜ったり割箸を削ったり(客用の箸は彼が自分で作っていた)、平常と少しも変らぬ刻を過したが、十時《よつ》の鐘を聞くと立上り、黒い頭巾で頭を包みながら外へ出た。
墨染の衣に黒い頭巾、そのうえ闇夜だったから忍ぶには屈竟である、……秋九月十九日、今に直すと凡そ十月下旬であろう、さすがに夜気は冷えて、境内の大銀杏はもうはらはらと散りはじめている、彼はその大銀杏の樹蔭に身をひそめた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
午前一時、……南門の土塀を乗越えて、次ぎ次ぎと四人の男が境内へ入って来た。
彼等は忍び装束で強盗提灯《がんどうちょうちん》を持ち、腰には長脇差を帯びていた、諸坊はすでに寝鎮まって広い境内には落葉の音が微かに聞える許りだった。……四人は本堂の前を横切って宝庫の方へ去った。
大銀杏の樹蔭にいた彼は、それを見届けてから静かに跟《つ》けて行った。
宝庫へ着いた四人は、巧みに扉の鍵を破ると、一人を外に残して置いて中へ入った。かなり時間がかかった、風がつのって来て、山の松が蕭々と鳴きはじめ、乾いた音を立てて頻りに落葉が飛んだ。
やがて三人が出て来た。
「みつかったか」
「この通りだ」
一人が持って来た小箱を示した。
「それだけか、なにか他にも金目な物があっただろう」
「絵巻物や天狗の爪じゃあ仕様がねえ、下手な物を持出すと足がつく[#「つく」に傍点]からな、なにこの香炉ひとつでも千両ものだぜ」
『一遍上人絵巻』は現在国宝に指定されているし、『天狗の爪』というのは『鬼鹿毛の轡《くつわ》』などと共に寺の珍蔵であったが、彼等の手には負えぬ品に違いない。……四人が元の方へ引返そうとしたとき、
「……誰だ!」
という叫声がして、学寮の方から人の走って来る足音が聞えた。
四人は踵を返して走りだした。
「ああ、御宝庫の扉が……」
「泥棒だ!」
二三人の絶叫が聞えた。そして提灯の光が闇を縫って左右へ飛んだ。
賊たちは南へは戻らず、本堂の裏へぬけ、小栗堂の山越しに東海道へとび出した、……切通しの急な坂道である。彼等はものも云わずに駈け続けたが、坂を登りきると共に、右手の丘へ登って息をついた。……四人とも暫くは口も利けぬほど荒々しく喘いでいた。
「しろもの[#「しろもの」に傍点]は大丈夫か」
「それにぬかり[#「ぬかり」に傍点]があるものか、……この通りちゃんと御安泰だ」
「明日は横浜へ出て早いとこ……」
云いかけた男が恟《ぎょっ》として口を噤《つぐ》んだ。
眼前にぬっと立った男がある、……四人は一瞬あっけにとられて見上げたが直ぐに危険を感じた一人が、抜打ちにやっと叫びながら斬りつけた。……然し相手は待受けたもののように、体を左へ開きざま、斬込んで来た男の利腕を取ると、素早く廻りとんでやっ[#「やっ」に傍点]と背負投げを食わせた。……賊は悲鳴と共に丘の下へ転げ落ち、彼は※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]奪《もぎと》った長脇差を右手にして、
「騒ぐな隠坊辰《おんぼうたつ》、己の面を忘れたか」
「な、なにを」
「よく見ろ、この面は忘れちゃあいねえ筈だ」
「誰だ、……声にア覚えがある、誰だ」
「押込をするくらいでも闇夜じゃ眼が利かねえか、田部井の代官屋敷へ斬込んだときに、命拾いをしやがったのは誰のお蔭か考えてみろ」
「あ! 板割りの兄哥《あにい》」
辰と呼ばれた男は愕然と声をあげた。
「そうよ、板割りだ、国定忠治の身内、板割りの浅太郎だ。そうと知ったら文句はねえだろう、……その香炉を此方へ出しねえ」
「へえ、……へえ」
「それとも叩っ斬って取ろうか」
ぎらっ[#「ぎらっ」に傍点]と、抜身を持直されて、三人はそのまま、枯草の上へ額をすりつけた。
それから半刻の後である。
板割りの浅太郎と名乗る彼は、小栗堂の裏山でせっせと土を掘り、黄金の香炉を深く埋めた。
「これで当分は大丈夫だ」
彼は低い声で呟いた。「人が見たら蛙になれか、そのうちすっかり始末をしてやるぞ、おめえがうっかり世間へ出ると、迷惑する人がおいでなさるからな、こう成仏《じょうぶつ》する方がおめえにしても安心だろう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
誰も知らぬことであった。
宝庫から黄金の香炉が盗まれたということは、寺の役僧と檀家の重立った人々にしか知らされなかった。……そして或る日、貞松院の彼は一念上人に向ってこう云った。
「あの香炉はもう世間へ出ることはございません。そのうちに江ノ島沖の海底へでも沈むことでございましょう」
上人は黙って頷いたきりだった。
貞松院は天寿を全うして、七十余歳で遊行寺に死んだ。……『小浅』のおつま[#「つま」に傍点]はそれより数年まえに先立っている。赤城山で有名な国定忠治の子分、板割りの浅太郎がどうして一念上人に救われたか、おつま[#「つま」に傍点]とはどんな関係があったのか、残念ながら伝わっていない。……彼の墓はいま遊行寺境内、貞松院の跡に残っている。
[#地付き](遊行寺四ヶ院代吉川清氏の資料に拠る)
底本:「幕末小説集」実業之日本社
1975(昭和50)年1月10日 初版発行
1979(昭和54)年2月15日 五版発行
底本の親本:「キング」
1940(昭和15)年12月号
初出:「キング」
1940(昭和15)年12月号
※表題は底本では、「遊行寺《ゆぎょうじ》の浅《あさ》」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上人《しょうにん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]
-------------------------------------------------------
[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
わが寺になると出て行くお上人《しょうにん》、という川柳点がある。相州藤沢にある時宗総本山の清浄光寺、俗にいう遊行寺《ゆぎょうじ》の上人を皮肉ったものだ。同宗では代々、その管長となる者は遊行他阿上人の法号を継ぐと共に、一所不住、遊行権化《ゆぎょうごんげ》と云って、有縁無縁の衆生を済度するため、寺を出て廻国するのが宗則であった。近年はその例も稀になったが、徳川末期までは盛んに励行され、その巡錫《じゅんしゃく》には幕府から十万石の格式が附せられていたという。……この事実は、宗教の多くが単なる墓守か、または経典の末節に囚われたスコラ派に堕していた時代に、一応実践的宗教の塁を守ったものとして注目すべきだと思う。……とにかくそうして民衆生活と常に接触していた結果、そこから生れた逸事佳話の類もまた少くはない。
遊行五十七代に一念上人という傑僧がいた、記伝は詳《つまびら》かでないが、天保七年の関東大飢饉のとき寺財を抛って窮民を掖済し、地方人から活仏《いきぼとけ》と仰がれたことは有名だ。現在はその跡だけしか遺っていないが、同寺の西黒門はそのときの記念物だと伝えられている。
嘉永四年の春、との一念上人が三回目の巡錫から藤沢山へ帰ったとき、その供のなかに一人の新発意《しんぼち》を連れて戻った。……年頃は三十から四十までのあいだで、小柄の精悍な体つきと、眼の鋭い、ひとくせある面魂《つらだましい》をもった男であった。
「わしの新弟子じゃ」
と上人は塔中《たっちゅう》にひきあわせて、「野育ち者だからみんなで面倒をみてやってくれ」
と云ったが、然し素性や名については一言の説明もなかった。
彼は本堂の茶汲み番になった。
口数の寡《すくな》い男だったし、どことなく底の知れぬ感じで、塔中の人々も殆ど親しく交わることが無かった。けれど彼は別にそんなことを気にする風もなく、朝は勤行《ごんぎょう》の始るまえに起き、寺男たちに率先して境内の隅々から後架の掃除までやるし、客殿、方丈、学寮の雑務なども、手の及ぶかぎり自ら進んで用を勤めた。……中年から出家した者が最も苦心するのは経文の学習である。彼は殆ど読みも書きも出来なかったので、その困難は一倍だったに違いない、然し彼は克《よ》く耐え忍んで勉学し、数年のうちには経文も読め文字も書くことが出来るようになった。……是は一日の勤めが終ってから夜半に及ぶ余暇を利用したものであった。
山へ来て四年めに、彼は貞松院《ていしょういん》という塔中の一院を貰った。貞松院は遊行寺四ヶ院の一で、久しく住持の席が明いていたのを、特に上人が彼に与えたものである。……然し彼が茶汲み番であることは依然として変わりがなかった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
貞松院の住持になってから、若い僧たちはもういちど彼に興味を持ちはじめた。
――一体あの茶湯番の前身はなんだろう、唯の俗家の出ではないと思うが。
――あの眼つきは尋常でない、起居振舞《たちいふるま》いも歯切れがよすぎる。それに初めて山へ来たとき、お上人が名も素性も仰有《おっしゃ》らなかったのを考えると、どうも日蔭者にちがいないと思う。
――まさか、それほどでもあるまいが。
そういう噂が屡々繰返された。
彼は用事以外には誰とも殆ど口を利かなかった。山を下りることも珍しいし、町へ出ることなど極めて稀にしかなかった。それが考えように依っては、如何にも世間の眼を怖れるように見えるので、穿鑿好きな人々には益々興味を惹かれることになったのだ。
或る日、……彼が貞松院の門前で落葉を掃いていると、参詣に来たと思える一人の女が、静かに側へ近寄って、「お久しぶりでございます」
と腰を跼《かが》めながら声をかけた。
竹箒《たけぼうき》を持ったまま振返った彼は、女の顔を見るなりあっ[#「あっ」に傍点]と低く叫び声をあげた。……女は三十歳あまりで、肌理《きめ》の密《こまか》な、どこかしら研いだような美しさのある顔つきであった。髪つきや身装《みなり》は、地味に作りながら却って粋な、明かに堅気でない風俗がにじみ出ていた。
「去年から藤沢へまいってます」
女は静かな声で続けた。
「廓《くるわ》の裏で『小浅』という小さな店をやって居ります。云うまでもないと思いますけれど、わたくし独りで、……小女を三人ほど使っていますの、若しも、……」
「七年まえに約束をした筈だ」
彼はぶすっと云った。
「浅は死んでしまった、縁は切った、どこで会っても赤の他人だ。……あのときの約束を忘れたのか。私は……おまえさんなどは知りません、人違いをしないで下さい」
「忘れはしません、その証拠には」
と女は悲しげに、呟くように云った。
「あなたがいいと云うまで、決して是からは話しかけたりはしません、ただ親分さまの御冥福のため月々の御命日には参詣にまいります、その日だけ御無事な姿をよそながら見ることを堪忍して下さいまし」
「方丈は向うの銀杏《いちよう》の木の右でございます」
彼はそう云うと、もういつもの澄んだ表情になって落葉を掃きながら去った。
この様子を学寮の一人の若僧が見ていた、話し声は聞えなかったが、二人の様子でただの参詣人と寺僧との対話でないことは察しがついた。
噂は人々のあいだに弘まった。
そして直ぐ誰かが女の身元を調べにかかった。女は町の『小浅』という料亭の女将《おかみ》でおつま[#「つま」に傍点]という名だった。そのとき彼女は遊行寺の檀家になり、はじめ志す仏の永代供養料として三十両納めてから、毎月二十一日には必ず参詣して、看経《かんきん》法要《ほうよう》を頼むのが例になった。
彼女からなにか聞き出そうとして、若い僧たちは色々と苦心したが、結局なにも知ることは出来なかった。……おつま[#「つま」に傍点]は貞松院の彼についてはまるで知らぬ人だと云った、そして自分の身上に話がくると、
「そうですね、是でもひと昔まえには」
と遠くを見るように、うるんだ眸子《ひとみ》を細くしながら云った。
「命を捨ててもいいと契り合った人がありましたわ。……もう死に別れて七年になりますけど、……いいえ、二十一日の命日はその人のじゃありませんわ、あたしとその人の恩人の御命日なんです」
「其の人というのが貞松院ではありませんか」
「おや、とんだ浮名儲《うきなもう》けだこと、あのお住持さまはそんな粋な方なんですか」
そう云って笑うおつま[#「つま」に傍点]の表情はどんな穿鑿眼をもはね返す冷やかさを持っていた。
――然しいまになにか起る。
人々はそう思っていた。
その二人が若し古い恋人同志であったのなら、いまに必ず底を割る日が来るに違いないと思っていた。然しその期待は外れた。それから後も貞松院の様子は些《いささ》かも変らず、おつま[#「つま」に傍点]も二十一日に参詣する他は山へ近寄りもしなかった。……その定った日にさえ、おつま[#「つま」に傍点]は他の僧たちにするのと同じ会釈を彼に与え、彼もまた檀家に対するひと通りの挨拶しか返さなかった。
遊行寺では毎年秋九月に宝物の風晒《かざさらし》を行い、信者たちに展観する習慣があった。……その年の風入れが始って二日めのこと、貞松院の彼が夜になって一念上人をそっと訪れた。
「なにか用事か」
上人は炉端で書物を読んでいた。……彼は近くに人のいないことを慥《たし》かめて来たのだが、それでもなお、声をひそめて云った。
「今日はじめて、御宝物の数々をよく拝見いたしました」
「……それで」
「黄金の香炉は結構なお品でございますな」
「うん、あれは信者の寄進でな、その頃で三百金ほどかかったものだそうじゃ、もう百年来寺の宝物になって居る……」
「時にはお用いあそばすのですか」
「いやとんと使わんじゃろ」
上人は書物の頁をはぐった。……彼はずっとひと膝進んだ。
「お上人、然しあの香炉は、人の眼につかぬところへ納《しま》って置く方が宜しいと思いますが、……大抵は有難がって拝見していましょうが、中には眼の利く参詣人も居りましょうから……」
「眼の利く人間がいては悪いか」
「お上人、……若しあれが、金衣《きんき》せの偽物だということが知れましたら、寺の名にかかわるかと存じます」
一念上人は黙って書物を置いた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
彼は上人の言葉を待っていた。然し上人は火箸を取って切炉の火を直しながら、暫くのあいだなにも云わなかった。
「天保七年にはえらい飢饉があったのう」
忘れた時分になって、上人はまるで見当の外れたことを云いはじめた。
「関東一帯の困ったことは非常なものじゃ、この附近でも百姓といわず町人といわず、親子が離散する、家は潰れる、食う物はなし、まことに酸鼻な有様であった。……わし[#「わし」に傍点]も寺が出来るだけの事をしようと思ったが、なにしろ貧乏寺のことで思うだけが精いっぱいじゃ、そのとき南の黒門を建てて居ったがの、その地行の縄に手を触れた者には施米をするという定で、そうさの、寺米の他に凡そ三千俵ばかりも施しをしたじゃろか」
「それではお上人、そのとき香炉を……」
「貧乏寺でお米を買うには弱ったよ」
一念上人は灰を掻きながら云った。
「なにしろ相談をすれば、寺の宝物だで役僧や檀家が承知すまいしの。百年寝かし物が役に立てば、若し露顕してもこの一念が悪名を衣れば済むことじゃでのう……」
「よく分りました」
彼は両手をついて云った。
「私はまるで別のことを考えて居りましたので、念のためお上人の御意を得たのでございます。左様なお役に立ったのなら、香炉もさぞ本望でございましょう、……決して他言はいたしませんが、事実を知ったら世間の人々はさぞ」
「さぞ一念を悪く云い居るじゃろ」
上人はけらけらと笑って云った。
「喉元過ぐればなんとやら、寺宝まで売らずとも法は有ろうにとのう。……だから此の話はおまえにするのが初めの終りじゃ。聞かぬ積りで内証、内証」
彼は黙って上人の眼を見上げていた。
宝物の風入れもあと一日で終るという日のことであった。……彼が貞松院へ夕食をとりに帰ると間もなく『小浅』の女将《かみ》おつま[#「つま」に傍点]が訪れて来た。
彼は玄関へ出て行くと不愛想な口調で、
「なにか御用でございますか」
と云って女を睨んだ。
「お知らせ申したいことがございまして、内密のことでございますが……」
「此処で伺いましょう」
「でも人にみつかっては困るのです」
女は思い詰めた眼で屹《きっ》と彼を見上げた。……その表情を篤と見て、彼は先に立って横庭へ廻った。
「用事だけ聞こう、なんだ」
「隠坊《おんぼう》の辰《たつ》というのを覚えておいででしょう」
「それがどうした」
「午《ひる》頃から四人伴れで来た客の一人があの男なんです、若しやお前の前身を嗅ぎつけて、強請《ゆすり》にでも来たのではないかと思ったから、そっと話の様子を聞いていました。……そうしたら、その男たちは今日、お山の御宝物を拝見して来て、金の香炉を見たのです」
「それを盗みにでも入ろうというのか」
「隠坊辰がどんな男か御存じでしょう、盗みをしたり押込《おしこみ》に入ったりするのが知れて、親分さまから縁を切られた男です。その辰の他に三人、みんな相当に名の売れた悪党らしゅうございますから」
「来るとすれば今夜だな、明日になれば御宝庫は閉まる……」
「あの男たちもそう申していました」
「……よく知らせて呉れた」
彼は初めてその顔色を柔げた。
「お上人に、いや……寺にとっては大事な宝物だ。万一のことがあってはならぬから直ぐ手配をしよう、有難う」
「浅さん!」
女は思わずそう呼んだが、振返った男の眼が再び険しい色に変ったのを見ると、悲しげに面を伏せ、会釈をして立去った。
彼は夕食を済ませると、別に手配をする様子もなく、茶を啜ったり割箸を削ったり(客用の箸は彼が自分で作っていた)、平常と少しも変らぬ刻を過したが、十時《よつ》の鐘を聞くと立上り、黒い頭巾で頭を包みながら外へ出た。
墨染の衣に黒い頭巾、そのうえ闇夜だったから忍ぶには屈竟である、……秋九月十九日、今に直すと凡そ十月下旬であろう、さすがに夜気は冷えて、境内の大銀杏はもうはらはらと散りはじめている、彼はその大銀杏の樹蔭に身をひそめた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
午前一時、……南門の土塀を乗越えて、次ぎ次ぎと四人の男が境内へ入って来た。
彼等は忍び装束で強盗提灯《がんどうちょうちん》を持ち、腰には長脇差を帯びていた、諸坊はすでに寝鎮まって広い境内には落葉の音が微かに聞える許りだった。……四人は本堂の前を横切って宝庫の方へ去った。
大銀杏の樹蔭にいた彼は、それを見届けてから静かに跟《つ》けて行った。
宝庫へ着いた四人は、巧みに扉の鍵を破ると、一人を外に残して置いて中へ入った。かなり時間がかかった、風がつのって来て、山の松が蕭々と鳴きはじめ、乾いた音を立てて頻りに落葉が飛んだ。
やがて三人が出て来た。
「みつかったか」
「この通りだ」
一人が持って来た小箱を示した。
「それだけか、なにか他にも金目な物があっただろう」
「絵巻物や天狗の爪じゃあ仕様がねえ、下手な物を持出すと足がつく[#「つく」に傍点]からな、なにこの香炉ひとつでも千両ものだぜ」
『一遍上人絵巻』は現在国宝に指定されているし、『天狗の爪』というのは『鬼鹿毛の轡《くつわ》』などと共に寺の珍蔵であったが、彼等の手には負えぬ品に違いない。……四人が元の方へ引返そうとしたとき、
「……誰だ!」
という叫声がして、学寮の方から人の走って来る足音が聞えた。
四人は踵を返して走りだした。
「ああ、御宝庫の扉が……」
「泥棒だ!」
二三人の絶叫が聞えた。そして提灯の光が闇を縫って左右へ飛んだ。
賊たちは南へは戻らず、本堂の裏へぬけ、小栗堂の山越しに東海道へとび出した、……切通しの急な坂道である。彼等はものも云わずに駈け続けたが、坂を登りきると共に、右手の丘へ登って息をついた。……四人とも暫くは口も利けぬほど荒々しく喘いでいた。
「しろもの[#「しろもの」に傍点]は大丈夫か」
「それにぬかり[#「ぬかり」に傍点]があるものか、……この通りちゃんと御安泰だ」
「明日は横浜へ出て早いとこ……」
云いかけた男が恟《ぎょっ》として口を噤《つぐ》んだ。
眼前にぬっと立った男がある、……四人は一瞬あっけにとられて見上げたが直ぐに危険を感じた一人が、抜打ちにやっと叫びながら斬りつけた。……然し相手は待受けたもののように、体を左へ開きざま、斬込んで来た男の利腕を取ると、素早く廻りとんでやっ[#「やっ」に傍点]と背負投げを食わせた。……賊は悲鳴と共に丘の下へ転げ落ち、彼は※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]奪《もぎと》った長脇差を右手にして、
「騒ぐな隠坊辰《おんぼうたつ》、己の面を忘れたか」
「な、なにを」
「よく見ろ、この面は忘れちゃあいねえ筈だ」
「誰だ、……声にア覚えがある、誰だ」
「押込をするくらいでも闇夜じゃ眼が利かねえか、田部井の代官屋敷へ斬込んだときに、命拾いをしやがったのは誰のお蔭か考えてみろ」
「あ! 板割りの兄哥《あにい》」
辰と呼ばれた男は愕然と声をあげた。
「そうよ、板割りだ、国定忠治の身内、板割りの浅太郎だ。そうと知ったら文句はねえだろう、……その香炉を此方へ出しねえ」
「へえ、……へえ」
「それとも叩っ斬って取ろうか」
ぎらっ[#「ぎらっ」に傍点]と、抜身を持直されて、三人はそのまま、枯草の上へ額をすりつけた。
それから半刻の後である。
板割りの浅太郎と名乗る彼は、小栗堂の裏山でせっせと土を掘り、黄金の香炉を深く埋めた。
「これで当分は大丈夫だ」
彼は低い声で呟いた。「人が見たら蛙になれか、そのうちすっかり始末をしてやるぞ、おめえがうっかり世間へ出ると、迷惑する人がおいでなさるからな、こう成仏《じょうぶつ》する方がおめえにしても安心だろう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
誰も知らぬことであった。
宝庫から黄金の香炉が盗まれたということは、寺の役僧と檀家の重立った人々にしか知らされなかった。……そして或る日、貞松院の彼は一念上人に向ってこう云った。
「あの香炉はもう世間へ出ることはございません。そのうちに江ノ島沖の海底へでも沈むことでございましょう」
上人は黙って頷いたきりだった。
貞松院は天寿を全うして、七十余歳で遊行寺に死んだ。……『小浅』のおつま[#「つま」に傍点]はそれより数年まえに先立っている。赤城山で有名な国定忠治の子分、板割りの浅太郎がどうして一念上人に救われたか、おつま[#「つま」に傍点]とはどんな関係があったのか、残念ながら伝わっていない。……彼の墓はいま遊行寺境内、貞松院の跡に残っている。
[#地付き](遊行寺四ヶ院代吉川清氏の資料に拠る)
底本:「幕末小説集」実業之日本社
1975(昭和50)年1月10日 初版発行
1979(昭和54)年2月15日 五版発行
底本の親本:「キング」
1940(昭和15)年12月号
初出:「キング」
1940(昭和15)年12月号
※表題は底本では、「遊行寺《ゆぎょうじ》の浅《あさ》」となっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ