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真説吝嗇記
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真説吝嗇記
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)飛田門太《とんだもんた》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)庫|番頭《ばんがしら》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
飛田門太《とんだもんた》はたいそう酒が好きである。よく世間で朝、昼、晩に飲むということを聞くが、彼のばあいは朝昼晩の三度に飲むのではなく、朝昼晩へ糸を通して輪に結んだかたちである、これをわかり易く言えば、眠るときのほか一日じゅう飲んでいる訳だ。勘定方書役で百五十石取っているから、勤めに出ることは云うまでもない、もちろん勤めていても飲む、役所で燗徳利《かんどっくり》と盃《さかずき》は使えない、土瓶《どびん》と湯呑でやる。はじめは上役によく叱られた。叱られれば止《よ》すが、その代り事務がてんではかどらなくなる。元もと勘定役所とか会計検査院とか統計局などというところは、計数に無能な役人を集めると定《きま》ったもので、さればこそ三十日で足りる事務に一年の日子《にっし》を要する仕組になっているのだが、わが門太は算数の天才であって、およそ十五人ぶんの仕事を一人で片づける。勘定役所には支配を別にして十二人しかいないから、詰るところ門太に仕事をさせて置けば、あとはみんな勤勉に遊ぶことが出来るという実情だ。ところが酒を禁じられるとたんに彼の能力は停止して、同僚とおなじく勤勉になる、それでは役所の機能が停ってしまうので、ついには彼の土瓶と湯呑は黙認のかたちになった。
「十九歳のときでしたが、吐逆というものを病みましてね」
門太はこう解説する。
「それ以来これなしでは済まなくなった訳です、これが切れると吐逆の毒で頭がぼんやりしてしまうのですな、私としては実に迷惑なはなしです」
役所のほうは割かた簡単であったが、家庭をそこまでこぎつけるには技巧を要した。不利なことに彼は婿養子である。鑓田《やりた》という三百五十石御宝庫|番頭《ばんがしら》の二男に生れ、二十二歳で飛田家へ入婚《いりむこ》した。飛田には孫九郎という舅《しゅうと》によの[#「よの」に傍点]という娘があり、それと結婚したのであるが、孫九郎が一滴も飲めないくちだし、よの[#「よの」に傍点]も酒の匂いを嗅《か》ぐと脚気が起こるというくらいで、情勢は鬼窟裡《きくつり》に珠を偸《ぬす》むほど困難であった。門太は画策し計略を案じ秘謀をめぐらしたが、度重なる失敗の結果「将を獲んと欲せば馬を射よ」の金言に想到し、攻撃法の大転換を行なって専《もっぱ》ら乗馬術の訓練にいそしんだ。酒精分の末梢《まっしょう》神経に対する麻痺《まひ》作用はヒポクラテスの昔から医家の証明するところである、かくて彼はその鍛錬し得た乗馬術が酒精分の吸飲によってさらに倍加し、時間の持続性と技法の変幻自在性に於て平時に隔絶するという事実を証拠だてた。よの[#「よの」に傍点]女は武士の妻である。良人《おっと》の乗馬術が飲酒によってかくも顕然と効果をあげるとすれば、万難を排してもこれを提供するのが婦道であろう、もちろん彼女は欣然《きんぜん》として勧奨に努めた。なに、――飛田家に馬がいたかと仰《おっ》しゃるか、とんでもない、馬などは一頭もおり申さぬ。彼は敵の搦手《からめて》を陥し、おもむろに陣がためをして本塁攻略にかかったが、舅孫九郎の病死によって、意外に早く飲酒の自由を確保したのである。
酒飲みは人情家だという例にもれず、門太は事務以外にも同僚の親愛を集めていた。気がくさくさするとき人は彼を訪ねる、失敗したとき、絶望したとき、困惑し途方にくれるとき、泣きたいとき、笑いたいとき人は誰でも門太を訪ねて慰安と解放を与えられる。
「うん、それは困ったね」彼はこう云ってまず盃を持たせる、「ま、とにかく一杯いこう、そういう具合だとすると考えなくちゃならないからね、ひとつ二人でゆっくり案を練るとして、――まあ重ねないか、困るで思いだしたんだが、あの虎というやつね、もちろん毛物《けもの》の虎さ、あれがその実になんなんだね、その――」
こうして半刻《はんとき》ばかり経つと、客は困っている事情をさっぱりと脱ぎ捨て、こころよき酔いと虎のぬいぐるみに包まれ、幸福円満な気持になって帰ってゆく。
「ああそいつにはおれも苦しんだものだよ」別のとき彼はほっと同情の溜息《ためいき》をつき、盃を持たせてまず酌をする、「ひとつぐっとやらないか、なにしろそういう問題は複雑だからね、焦ってはいけないものらしい、まったくやりきれないがね、ま、もう一つ、――それに就いて思うんだが、海の水がさしひきするね、そう、満潮干潮というあれさ、あれはなんだとさ、それほど簡単なものじゃないんだとさ」
そして半刻ばかり後には、客はその複雑な煩悶《はんもん》をはながみの如く破棄し、潮の干満に就いてのぞくぞくするような知識を抱いて、いかなる楽天家より楽しそうに帰ってゆく。
さはさりながら僅か百五十石の俸給で、そんなに酒を飲んだり、友情に篤《あつ》くむくいたりすることができるであろうか。勿論《もちろん》できません、殆んど不可能であります。ではなにがゆえに彼はそれをなし得るか、さよう、それにはそれだけの理由がある、ひと口に言うと彼には借款《しゃっかん》のできる甥《おい》があったのだ。甥、――名は鑓田|宮内《くない》、即《すなわ》ち門太の兄の子で、現在その家の当主になっている。だがまえにも記したとおり鑓田は御宝庫番頭の三百五十石だから、ただそれだけでは他家へ婿にいった叔父に金を貸すほど裕福ではない、ここにも一つ理由がある。然しまず、――一杯まいろう。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
鑓田宮内は隠れもない「吝嗇家《りんしょくか》」であった。試みに訊《き》いてごらんなさい。どんなに不縹緻《ぶきりょう》な娘をもつ親でも、「あの男にはやりたくない」と云うに定っている、それほど彼の「吝嗇家」としての名声は高く、且つ徹底的であった。
宮内の吝嗇は三歳にして始まった。なにしろ幾ら玩具《おもちゃ》を買ってやってもすぐに失くしてしまう、これは高価なものだからと、よほど念を押してやっても、半日と経たないうちにもう失くして、よその子の玩具で遊んでいる。また客から色いろと珍しい物を貰うが、これも満足に一日と持っていた例しがない、つい眼をはなしたと思うとどこかへ失くしてしまう。親たちはよほど頭の悪い児だと思って憂いに沈み、毘沙門天《びしゃもんてん》のお札をのませたりお賓頭盧《びんづる》さまとこつんこ[#「こつんこ」に傍点]をさせたりしたそうである。ところが六歳の年の二月一日に、このちび[#「ちび」に傍点]が母親のところへ来て、「自分に長持を一つ貸して呉《く》れ」と要求した、どうしてもきかないので、一つ空《あ》けてやったうえなにをするかと見にいった。すると彼は袋戸納《ふくろとだな》の奥からなにか出して来ては、丁寧に一つ一つ長持へしまいこむのである。……母親は訝《いぶか》しさの余りこれを良人に告げ、父親はすぐに息子のところへいって事態を糾明した。ところがなんと、それは曾《かつ》てそのちび[#「ちび」に傍点]が紛失したと信じられていた凡《すべ》ての物であった。有らゆる種類の玩具が新しいままで、ぴかぴか光り彩色鮮やかに、手垢《てあか》ひとつ付かずに、現われたのだ。
――だって毀《こわ》れたり汚れたりしちゃ勿体《もったい》ないからね、ちび[#「ちび」に傍点]は父親の訊問に対してこう答えたそうである。遊ぶときには誰かのを借りるほうが得だよ。
そこにある玩具の最も古いものから推算した結果、彼が「所有に就いての功利的経済観念」にめざめたのは実に三歳の春であったということが判明した。お賓頭盧さまや毘沙門天を煩わす必要は些《いささ》かもなかったのである。
彼は年と共にその天賦《てんぷ》の才をあらわした。十四五になると早くも親子の経済的関係は逆転し、浪費の害に就いて、倹約に就いて、蓄財の美徳に就いて、物資尊重に就いて、粗衣粗食の奨励に就いて、父母はその子から屡《しば》しば訓戒を受け、譴責《けんせき》をくわねばならなかった。――父上、食事は腹七分ですぞ。彼はこう言いながら食事ちゅうの父に向って指を立てる。お気をつけなさい、美食は浪費でもあり胃腸を損ねる因《もと》です。――母上この暑いのに風呂をたてるのは無駄です。こう云って彼は母の袖をひく。これから夏のうちは水風呂と定めましょう。
彼が二十歳のとき母親が亡くなり、二十三歳で父親を喪《うしな》った。彼は家督を相続し、父に代って御宝庫番頭を拝命すると、断然家政の改革を行い、三代まえから仕えている老家士を残して、召使のぜんぶを解雇した。残された家士は矢礼節内《やれせつない》といい、年は七十八歳で、消化不良と不眠症の痼疾《こしつ》がある、ということは食事の量が僅少《きんしょう》で、消化のために身躰活動を厭《いと》わず、眠れないから夜業《よなべ》を励むし朝が早い、詰り一人にして四徳を兼ねる又となき忠節の士であった。――それ以来ずっと二人で暮している、妻帯などは考えたこともないし、娘をやろうという親もない、金の出る交際は凡てお断わり、商人は出入りをせず、台所を覗《のぞ》く犬もなく鼠《ねずみ》さえいない、塵《ちり》を掃き出すのも惜しそうにここを先途と貯める。
――ああ勿体ない。彼は髭《ひげ》を剃《そ》るたびにこう溜息をつく。この髭の一本一本に喰《た》べた物がはいっているんだ、それを剃り落すなんて実に勿体ない話だ。
――まあこのくらいで止そう。風呂舎《ふろや》で躯《からだ》を擦《こす》りながらこう呟《つぶや》く。この垢だって無代《ただ》で出来る訳じゃないんだ。
家中《かちゅう》の評判はもちろん悪い。くそみそである、御宝庫番にいる下役の者でさえ、公用以外には口もきかず問い訪れもしない、そのほかに知己友人の無いことは云うまでもなかろう。――然るにたった一人、彼を愛し彼を憂い彼を戒飭《かいちょく》し、そして彼をしぼる者がいた、即ち前章で紹介した叔父の飛田門太である。彼もまたこの叔父だけは昔から好きだった。彼が十四五歳で一家の経済主権を握った当時、この叔父はまだ鑓田に部屋住みでくすぶっていた、すでに酒を飲みだしたじぶんで、小遣が足りなくなるとせびりに来た。十も違う叔父さんが十四か五の甥のところへ来て、「ひとつ頼む」などと片手を出す風景はみものである。宮内は笑い乍《なが》ら若干《いくばく》かの金を出してやった。いちども頭を横に振ったことがない、勤倹貯蓄に関して父母を説戒するほどの彼が、この叔父にだけは厭な顔ができなかったのである。
彼等のこの美わしい関係は、門太が飛田家の人になってからも続いている。門太に長男が生れたとき、この甥は誰より先に祝いに来た、その長男は琴太郎といってもう七歳になるが、持っている玩具の殆んど全部が宮内から贈られたものである、――勿論それが宮内三歳のとき以来の退蔵品であることは云うまでもない。また門太も屡しば鑓田を訪ねる、然しそれは多く次のような形式と内容を兼備していた。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
飛田門太は麻裃《あざがみしも》をつけ、扇子を持って、鏡田の表玄関に立つ。かの忠節な老家士が出ると、謹厳なる音声を以て甥に面会を求める。そして謹厳に客間へとおり、威儀を正して座り、謹厳に咳《せき》ばらいをする。――甥が出て来る、座って挨拶をするが叔父殿は威儀を崩さない、こんどは厳粛に咳ばらいをして次の如く始める。
「いかんな宮内、これではいかん、世評はくだらない、好きなことを勝手なように申す、けれども世評は、やっぱり世評だ、名聞ということがある、武家にはなおさら、けちんぼはまだしも吝嗇はいかん、曾て源昌院《げんしょういん》さまの御治世に、――」約半刻あまり訓話が続く、それから厳粛にこう結ぶ、「そういう訳であるから、いいか、今後はきっと心得て、吝嗇だけは慎むようにするがいい、えへん、では今日はこれでいとまをする」
門太は静かに立ち、謹厳に表玄関へ出て、別れを告げる。そこで謹厳は終るのである。彼は麻裃を脱いで供に渡す、供はそれを受取って挾箱《はさみばこ》の中から常の袴《はかま》を出し、麻裃を納う。門太は袴をはき替えると、すぐに鑓田の脇玄関へいって案内を求める。忠節な老家士が出ると、こんどはたいそう柔和に甥を呼んで呉れと頼む。――いま表玄関から麻裃で帰った客が、忽《たちま》ち常の恰好で脇玄関へ現われた訳だ。甥の宮内が出て来ると、門太は酸っぱいような眼をして云う。
「まことに済まないが」そして例の調子で片手を出す、「ちょっとまた五両ほど貸して呉れ、俚諺《ことわざ》にも小言は云うべし酒は買うべしというくらいだ」
「叔父さんは間違えてますよ」甥は笑う、「それは小言を云った者が酒を買うんでしょう」
「然しおれとおまえの仲だからな、叔父と甥の仲だから俗人とは幾らか違う、済まない、ちょっとひとつたのむ」
宮内は笑いながら、云われるだけの物を取って来て渡すのである。――この羨《うらや》むべき親近関係は、少しのかげりもなく続いて来た。
門太はつねに甥を憂い甥のために心痛している、その吝嗇癖と、その性癖による悪評に就いて、そしてまた甥に妻が無く、縁組みの望みもないことに就いて。……然し世には破鍋《われなべ》になんとやらいう諺《ことわざ》があり、眼の寄るところに玉ということもある。門太は捜した。口で尋ね眼で眺め耳で聞き足の労を厭《いと》わずに捜した。
前述したとおり門太は人に好かれている、つきあいも広い、彼の熱心な嫁捜しはようやく知友の同情をよび、有らゆる方面へ捜索の手がのびた。かかる努力の酬われざる道理はない、やがて最も宮内に相応《ふさわ》しく、寧《むし》ろ宮内のためにのみ存在するような婦人がみつけだされた。
「今日は意見や借金をしに来たのではない」甥を訪ねた門太はこうきりだした、「おまえに恰好な者をみつけたから嫁にどうかと思ってな、いやわかっている、おまえがどういう気持でいるかはよく知っている、だから今日までいちどもおれはこんな話はしなかった、これならたしかに似合だと思ったから来たのだ」
「それは縹緻のいい娘ですか」
「気の毒だが縹緻は悪い、はっきり言えばまあ醜婦だろう」
「醜婦は結構です、縹緻がよくったって一文の徳にもなりません、おまけになまじ姿のいい女は、化粧だの衣装だのと浪費をしがちですから、――で、年は若いんですか」
「いやおまえと一つ違いの二十六だ」
「その点も悪くはないですね、若い娘はとかく辛抱が足りないし、詰らないみえを張ったり遊山見物をしたがったりするものです、然し二十六にもなれば将来のことを考えますからね、欲も少しは出るでしょうし経済観念もあるでしょう、ところで、――その年で初縁ですか」
「気の毒だが三度だ、嫁に三度いって三度とも一年足らずで帰っている」
「いい条件ですな、ふむ、結構です、三度も嫁にいったとすれば経験者で、少なくともいろはから教える手数はないでしょう、そのうえ出戻りなら謙遜《けんそん》もするでしょうしね、――で、健康はどうです、もしや病身じゃありませんか」
「生れてから薬というものを知らんそうだ」
「なるほど、ふむ、なるほど」甥は頗《すこぶ》る嗜欲《しよく》を唆《そそ》られ、腕組みをして唸《うな》った、「これで身分がつりあい、性質が勤倹だとすれば申し分なしですがな」
「身分は足軽組頭の長女で、倹約質素と働くことは評判だそうだ、とにかくいちど伴《つ》れて来るから会ってみるか」
「ええ会いましょう、ぜひ伴れて来て下さい」
それから数日して、門太は妻のよの[#「よの」に傍点]女と共に該婦人を鑓田へ伴れていった。彼女は名をかつ[#「かつ」に傍点]という、背丈は四尺九寸そこそこであろう、小さいが固肥りの逞《たくま》しい躯で叩けばかんかんと音をたてそうな、健康と精気に満ち溢《あふ》れてみえる、髪毛は茶色で縮れている、眉毛は薄い、鼻は充分に肉づいて福ぶくしく据わり、唇の大きさと厚味からくる量感は非凡である、だが我われの最も惹《ひ》きつけられるのはその眼である、形は俗に鈍栗《どんぐり》というやつで小さいが、眸子《ひとみ》はらんらんと光りを放って、その烈しさと鋭さは類のないものだ、眼光紙背に徹するというけれども、彼女のものは恐らく鉄壁を貫いて石を砕くに違いない、之《これ》を要するに、門太は些かも食言しなかった訳である。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
門太とその妻に伴れられて、かつ[#「かつ」に傍点]女は鑓田家の玄関に立った。そしてまだ案内も乞わないうちに、その慥《たし》かな眼光でじろりと眺めまわし、ひょいと肩を竦《すく》めてこう云った。「まあ、驚いた、この家は倹約だと聞いていたのに、玄関へ障子を立てていますね、おまけに紙まで貼《は》って、へむ」
これはたいへんな声だ、太くて嗄《しゃが》れてがさがさして、罅《ひび》のいった土鍋の底を掻《か》くようである。側に立っていたよの[#「よの」に傍点]女は吃驚《びっくり》して周囲を見まわした。あとで聞くと熊かなにかが咆《ほ》えたのかと思ったそうである。――三人は玄関へ上った。かつ[#「かつ」に傍点]女はその烱々《けいけい》たる眼を光らせながら、廊下を見、天床を見、壁を見、襖《ふすま》を、障子を、有らゆる家具造作をねめつけながら、客間へ通った。
「へむ、無駄が多い」座るとまずかつ[#「かつ」に傍点]女はこう呟《つぶや》いた、「あれも、これも、贅沢《ぜいたく》ですね、くしゅん、気に入りません、無駄です」
宮内が入って来た。彼女を見且つその声を聞いた。どうやら不審げである、彼は念のためよの[#「よの」に傍点]女の耳へ口を持っていってこう訊《たず》ねた。
「女でしょうね」
双方を紹介すると門太の役は終った。未来の婿と嫁は門太などにお構いなく、直ちに意志を通じあい所見の交換にとりかかった。尤《もっと》も主導権はどちらかというとかつ[#「かつ」に傍点]女にあるようだ、それは概略つぎの如く展開した。
「ああ――、へむ、ああくしは出戻りです、隠しだてはしません、そうですとも、三度ゆきましたが三度とも出て来ました、なんのひけめがありますか、くしゅん、からだは処女《むすめ》です」かつ[#「かつ」に傍点]女は太い指で一種のしぐさをする、「男というものは無知でみえ坊です、無計画で浪費者です、無思慮で怠け者です、無算当で欲を知りません、くしゅん、欠陥と弱点の集合です、いいえ黙ってて下さい、ああくしは三人の男で慥かめました、どうして良人と呼べますか、可笑《おか》しいくらいです、がー、へむ、へむ、貴方のことを聞きました、幾らか望みがありそうです、ということはですね、いいですか、貴方はああくしの良人としての資格がありそうだという訳です」
「よくわかります、はっきりしてなにもかも明瞭です」宮内は膝《ひざ》を乗出した、「そこで私のほうからもお断わりして置きますが、私は元来かなり倹約な生活を――」
「いいえお待ちなさい、いけません、大きな思いあがりです、へむ、倹約ですって、くしゅん、くっしゅん、倹、くしゅん」
かつ[#「かつ」に傍点]女は袂《たもと》からなにかの布切を出して洟《はな》をかむ、凄《すさ》まじい音である、天床と四壁にびんと反響し、門太などは耳がどうかして暫《しばら》くはなにも聞えなかった。彼女は続ける、「――御無礼しました、そこでですね、貴方はいま倹約と仰しゃった、笑いたいくらいです、とんでもない、倹約とはですね、いいですか、へむ、倹約とは無駄を省くこと、生活から身のまわり一切の無駄を省き去ることです」
「いかにもお説のとおりです、私もそのために、――」
「いいえお待ちなさい、それなら伺いますがこの畳はなんでしょう」かつ[#「かつ」に傍点]女はその太い指で畳を突つき、検事のように宮内を睨《にら》んだ、「百二十年まえまでは武家では畳は敷きませんでした、へむ、現に水戸|光圀公《みつくにこう》は生涯板敷へ蒲《がま》の円座を敷いてお過しあそばされました、畳は草を編んだものです、色がやけ、擦切れます、裏返しや表替えをしなければならない、それを貴方は敷いていらっしゃる、なんのためでしょう、くしゅん、へむ、まだまだです、とんでもない、倹約というのはですね、いいですか」
門太は頭がちらくらしてきたので、そっと廊下へぬけだした。よの[#「よの」に傍点]女もすぐに追って来た、夫妻は庭へ下り、そのいちばん端までいって立停った。けれどもやはり聞えてくる、嗄れた太いがさがさしたかつ[#「かつ」に傍点]女の声が、「どういう訳です、なぜでしょう、無駄です、経済というものはとんでもない、いいですか、違います」
などという風に、合間あいまにくしゅんとへむを混えながら、――よの[#「よの」に傍点]女は身震いをした。
「あなた、わたくし脚気が起こりそうですわ」
「おれもだいぶ妙な具合だ」門太も頭をゆらゆらさせた、「夜中に魘《うな》されなければいいが」
縁談は纒《まと》まった。すべての作法は当人同志が定めた、仲人は見ていればよかった。当日になると花嫁は風呂敷包を背負い、父母に付添われて堂々と歩いて来た、招かれたのは飛田夫妻だけである。祝儀の膳《ぜん》は一汁一菜、それも花嫁自身で作り、花嫁自身で運び、花嫁自身で給仕をした。母親にもよの[#「よの」に傍点]女にも、いっさい手出しをさせなかった。そして人々が箸《はし》を置くなり、さっさと自分で片づけた。
婚礼のあと暫く門太は近寄らなかった。
だが決して安心した訳ではない、安心どころか絶えず疑惧《ぎぐ》に悩まされた。
「あなた大丈夫でしょうか」妻女もやはり心配らしい、「いちどいって容子《ようす》を見て来て下さいましな、わたくしなんだか胸騒ぎがして――」
「おれもそうは思うんだがね、うん、そう思ってはいるんだよ、然しねえ」
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
決心しては挫《くじ》け、思い立っては止し、ずいぶん迷ったあげくに門太はでかけていった。下僕に酒肴《しゅこう》を持たせ、妻からかつ[#「かつ」に傍点]女へ贈る白絹を持って、――どうせ酒になるだろうからと、でかけていった門太は、半刻もしないうちに帰って来た。
「いや心配するな、なんでもない」彼は着替えをしながら云った、「済まないが酒をつけて呉れ、話はそれからだ」
酒の膳が出来て座った。門太は黙って四五杯ばかり飲んだが、
「いやとても話せない」と首を振った、「畳が無くなったことは想像がつくだろう、きれいに無くなった、一枚もない、障子も骨だけだ、紙なしの素通しだ」
「まさかあなた、幾らなんでもまさか」
「なんのためです、という訳さ」門太は手酌で飲む、「健康には日光と風とおしが大切だ、障子はそれを二つとも閉出す、おまけに紙だから破れ易い、破ければ切貼《きりば》り、二年に一回は貼替えもしなければならない、なあーんのためです、という訳さ」
「わたくしまた足がむずむずしてきますわ」
「いや脚気になる値打はあるよ」門太はくすくす笑いだす、「考えられるかねよの[#「よの」に傍点]、可哀そうに宮内のやつ咳も満足にできないんだぜ」
「なにがお出来にならないんですって」
「咳だよ、ごほんごほん、こいつさ、これを止められたんだ、汚ない話だが唾を吐くこともいけない、なぜならばだな」門太はまた手酌でぐっとやる、「なぜなら、咳をごほんと一つやると卵なら一個半、飯なら五杯以上の精分が飛んじまうんだ」
「まあ――、どこから飛ぶんでしょう」
「おれに訊いたってしようがない、かつ[#「かつ」に傍点]女がそう云うんだ、また遠く唾吐くべからず、気減るってさ、貝原益軒の養生訓にちゃんと書いてあるそうだ、勿論これもかつ[#「かつ」に傍点]女が云うんだ」
「あら厭ですわ、気が減るとどうなるんでしょう」
「益軒に訊けばいい、宮内はすぐ実践躬行《じっせんきゅうこう》した、なにしろ飛んじゃうとか減るとかいうことは我慢しないからな、それで旺《さか》んにへむ[#「へむ」に傍点]とくしゅん[#「くしゅん」に傍点]をやっている」
「まあ――、あの方のが伝染《うつ》ったんですのね」
「いや教えたのさ、あれは咳を鼻へすかす[#「すかす」に傍点]技術なんだ、ごほんとやれば精分が飛ぶけれども、ああやって鼻へすか[#「すか」に傍点]せば、……いや本当の話さ、嘘を云ったってしようがない」
「それで宮内さまは御満足ですの」
「満足以上だね、礼を云われたよ、実にまたと得難き嫁だってさ」門太はここで声をひそめる、「琴太郎はいないね、よし、――もう一つだけ話すが、二人はだね、……だとさ」
「なんですかまるで聞えませんですわ」
「よく聞かなくちゃいけない、いいか、あの夫婦はだね、結婚以来、――てんで、……ということだ」
「まあ――」
よの[#「よの」に傍点]女は眼をまるくし、同時にぼっと赤くなる、「だってあなたそんな、――でもいったいなぜでしょう」
「子供が出来るからという訳さ、子供が生れれば喰べるし着るし遣うというんだ、一文の足しにもならない、然も世間には人間が余ってる、なにもこのうえ自分たちが殖《ふ》やす義務はない、無駄だッという訳さ」
「でもそれならどうして」よの[#「よの」に傍点]女は赤くなった顔で眩《まぶ》しそうに良人を見る、「――それならなんのために結婚などなすったんでしょう」
「考えないほうがいい脚気になる」門太はこう云って三杯ばかり呷《あお》った、「もっとあるんだが止そう、話すだけでも頭がちらくらしてくる」
遮莫《さもあらばあれ》。無事におさまっていればこれに越したことはない、唯一つの問題は借款の綱の切れたことだ。門太は酒飲みだが馬鹿でも白痴《こけ》でもない、かつ[#「かつ」に傍点]女の前には叔父甥の美わしい関係など七里けっぱいだということが歴然である。――しようがない、おつきあいにこっちも少しつめるさ。門太はこう思って無心にゆくことを諦《あきら》めた。然しそれだけで済むと思ったのは軽率だった。少し酒でも倹約しようと、殊勝なことを考えていると、或る日かつ[#「かつ」に傍点]女が独りで訪ねて来た。
「先日は祝儀を頂きましたから、その御返礼にあがりました」かつ[#「かつ」に傍点]女は鈍栗形の眼を烱々《けいけい》と光らせて云った、「ですがこんなことは虚礼にすぎません、贈られれば義理にでも返さなければならない、お互いに無駄です、やめましょう、おわかりですね、――ではお受取り下さい、御返礼です」
よの[#「よの」に傍点]女は恥ずかしさの余り赤くなり、叱られた子供のようにおどおどと箱包を受けた。――かつ[#「かつ」に傍点]女はそこで門太のほうへ向直り、懐中から一通の書付を出してそこへ拡《ひろ》げた。
「へむ、ああ――飛田どのですね」
「さよう、ええ無論」門太はちらと自分の後ろを見た、逃げ道を捜すような眼つきである、「さ、さよう、正に飛田門太です」
「なにも怖がることはありません、これを見て下さい」彼女はその太い指で書付をとんと突ついた、「十三年間に三百八十二両と二分一朱、ああたは鑓田からこれだけ借財をなすった、へむ、間違いないですね」。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
門太はそれからのち※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]《しゃっくり》におそわれるたびに、眼をつむってそのときのことを思いだす、その書付を見せられたときのことを、――するとどんな方法より的確に※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]はぴたと止るからふしぎだった。
「叔父どのと甥の仲ですから」かつ[#「かつ」に傍点]女は続ける、「決して利息は、へむ、頂戴しますまい、いいえお礼には及びません、が然し元金はです、この元金はですね、いいですか、月割三分ずつ返して頂きます、それとも壱両ずつにしますか」
「とんでもない、けっして、そ、それには及びません」
「へむ、そうでしょう、では三分ずつとして、ああくし名儀の証文を書いて頂きます、もちろん宮内は承知のうえですから」
門太は十日あまり吃驚したような眼つきが直らなかった。肝臓だか膵臓《すいぞう》だかわからないが、なんでもそのへんが擽《くすぐ》ったいような痒《かゆ》いような気分で、おまけに毎晩つづけさまに鬼の夢をみた。よの[#「よの」に傍点]女は悲嘆にくれ、絶望のあまり泣き続けた。
「月づき三分、どこからそんなお金を出したらいいのでしょう、どこから」とう云っては啜《すす》り泣く、「もうおしまいですわ、これまでだって足りないのですもの、――あの人は取りに来ます、あなた、どうしたらいいでしょう」
「とにかく、まず、あれだ、まずおれは酒をやめるよ」門太は自信のない口ぶりで云う、「それにその、宮内はおれの、甥だからな、あれは吝嗇だけれども、然し根はおれを好きなんだし」
「宮内さまになにが出来ますの、あの方はもう咳さえ満足になされないじゃございませんか」
門太は眼をつむって呻《うめ》く。さよう、愛すべき甥は、いまや咳を鼻へすか[#「すか」に傍点]す、家は家で畳を剥《は》がれ、障子は素通しにされた、この叔父は三百なん十両という借金持ちになった。なぜだろう、以前はあんなにうまくいっていたのに、それとそ八方まるく納まっていたのに、うむ、……門太はもういちど呻く、なぜだろう。
この物語に「真説」と傍題した以上、この不愉快な厭らしい部分とそ詳述の要がある、この部分を省略することは、物語作者として無責任の貶《そし》りを免れないだろう、然し作者は詳述の省略を採る、なぜならかかる不愉快な厭らしさは、われ人ともに不愉快であり厭らしいからだ。そこでこの暗い時間が半年続いたこと、かつ[#「かつ」に傍点]女が毎月きちんと借金をはたりに来たこと、そのため敗戦以前であるにも拘《かかわ》らず飛田一家はたけのこ生活のやむなきに至ったこと、そのうえ鑓田家の忠節なる老家士、即ちかの矢礼節内を引取ったこと――というのは、食餌《しょくじ》と労働との言語を絶する相反的条件悪化により、老家士は生死関頭に立って飛田家へ出奔し来ったのである、「貴方さまも私にとってはもと御主人でございます」節内はこう云って泣いたと伝えられる、――そしてこの間、愛すべき甥はいちども叔父に顔を見せなかったこと、以上を記して暗黒時代にお別れと致す。
さて半年という月日が経った。
或る日、――鑓田宮内が頓死《とんし》した。
正史に偽りなく真説に虚構はござらぬ、宮内は役所から帰って、着替えをしかけたとたん、うんと仰って頓死したのである。息をひきとる際に、「たたみ、たたみ」と云ったそうだ、かつ[#「かつ」に傍点]女は少しも騒がず、「いいえ大丈夫です、床板の上です」
こう答えたという。
「畳の上で死ぬことは武士の本分でないと申しますが、あなたは立派に武士の道を踏んで死ぬのです、御安心なさい立派な死に方です」
かつ[#「かつ」に傍点]女が烈女であったことは右の言葉で証明されるだろう。……当時の武家定法では、世継ぎのないうち当主が死ぬと家名断絶である、妻には相続権がないから実家の戸籍に戻る訳だ。むろん便法ぬけ道のないことはないが、悪評満々たる鑓田宮内のことで、そんな心配をするものがなかったのだ。……烈女は実家から持って来た物を風呂敷に包んで、また自分で背負って、歩いて実家へ帰っていった。いやまっすぐにではない、かつ[#「かつ」に傍点]女は寄り道をした、飛田家へたち寄って門太に面会を求めた。
「念のために申上げますがね」彼女は門太にこう云った、「鑓田は断絶しましたが、然しなにもかも帳消しになった訳じゃありません、あなたの借金は残ってます、いいですか、あの証文はああくしの名儀ですから、おわかりですね、月末には来ます」
門太が甥の頓死をどんなに悲しんだかお察しがつくだろうか。彼は心から、さめざめと男泣きに、泣きました。尤もそれほど長く泣いていた訳ではない、彼には重要な仕事が待っていた、それは鑓田の家財整理ということである。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
家名断絶は財物公収を兼ねる。門太はその整理をするために五日あまり鑓田へ泊り込んだ、世間は喝采《かっさい》した、快哉の拍手をした、「いいきみじゃないか、食う物も食わずに貯めこんだのを、ごっそりお上へ没収だ」「吝嗇漢のいいみせしめさ、その点では名が残るよ」云々という類である。
財物公収の日となった、大目付佐田四郎が主任検視で、勘定方元締の数尾主税《かずおかずえ》が副役《そえやく》である。主税は門太の上役である。……積出しは午前十時から始まって午後五時に及んだ、これには勘定方の者が五人がかりで、実に七時間三十五分を要したという。――ところでその貯蓄金の中から意外なものが出て来た、主任検視の佐田殿がみつけたのであるが、奉書紙に「上《じょう》」と書いた遺書なのである、佐田殿は数尾主税を片隅へ呼んだ。
「こんな物が出てまいった、上と書いてあるが遺書のように思う、どうだろう披見してみてよかろうか」
「御検使ですから差支えございますまい」
佐田殿は主税を立会人にしてそれを披いた。正しく遺書に違いない、それは墨痕《ぼっこん》鮮やかに、まず藩家の恩を謝し自分の不勤を詫《わ》びて、次のような意味へと続いていた。
――自分の吝嗇は己れのためではない、三百五十石の武士が倹約にすればこれだけの貯蓄《たくわえ》ができる、その事実を示したかったのである、自分亡き後は生涯の蓄財をあげてお上へ献上する覚悟だ、不勤な自分にとって忠節の一つだと信ずる。
これは思いもよらぬ告白だ。主税も読んで眼を瞠《みは》り、もういちど読んで主任検視の顔を見た。忠節という字がある以上は棄てては置けない、家財積出しを中止させ、佐田殿は城へ馬を飛ばさせた。――果然、事情は逆転するようでござる、半刻ほどすると城から急使が来た、財物公収は停止、積出した物は戻せとある、そして門太に保管の命が下った。
藩侯は重臣会議を召集された。遺書の内容は一般に公開され、吝嗇漢の看板は「武士の鑑」と塗替えられた。
「おれはそう思ったよ」人びとは感に耐えてこう云い合った、「あの男が訳もなく吝嗇である筈がない、おれは蔭ながらにら[#「にら」に傍点]んでいたのさ、これは仔細《しさい》があるッてさ」
「今だから云うがおれは鑓田の肚《はら》を知っていたよ、おれはね」
「あいつは人物だった、おれは断言するが鑓田は人物だった、我が藩家創業以来随一の人物だ」
云々《うんぬん》というありさまである。――御前重臣会議に於ては重大な決議がなされた、即ちかかる忠烈の士は長く藩史に遺して模範とすべきである、然りとすれば鑓田を断絶させるのは正当ではない、宜しくその血筋をあげて家名の存続を計るべきだ。誰にも異議はない、みんな双手を挙げて賛成した。そこで血筋の詮議をすると、門太が最も適格である、彼は飛田家を継いでいるが、琴太郎という男子があるから、飛田はこれに継がせ、門太は戻って鏡田の家名を相続するがいい、ということに決定した。……お声がかりである、琴太郎は成人するまで養育するということで、夫妻は鑓田家へ引移っていった。
最早たけのこ生活は終った、かつ[#「かつ」に傍点]女へは遺産の分配の意味として、三百余両の金をすっかり返した門太は今や鑓田家三百五十石と共に、甥の遺した巨額の資産を相続したのである。……移ってから七日めに、門太は知己友人を招いて盛大な相続披露の酒宴をひらいた。
その酒宴もたけなわの頃、勘定方元締の数尾主税が来て、にやにや笑いながら、「千慮の一失だね」と門太に囁《ささや》いた。「あの遺言状さ、あれほどの吝嗇が奉書紙という贅沢な紙を使うのはおかしい、そう思わないかね、――いや云う必要はない」主税はにっこりと笑う、「私は字をみてすぐにわかった、そして合点した、其許《そこもと》は鑓田を可愛がっていたからな、あんな悪評を負わせたままで死なせたくなかった気持、私にそれがよくわかったよ、さすがに叔父甥だ、こう思ってね、涙がでそうで困ったよ」
「始めは迷いました」門太はこう答えた、「世を欺くことですからね、然し家中の武士に吝嗇漢がいたということはいけません、これは藩として威張れることではない、こう考えたのです、それに仰しゃるとおり、――あれは私にだけはよくして呉れました、私にはまことにいい甥でした、せめて死後の名だけは武士らしくしてやりたかったのです」
「まことに」主税は頷《うなず》いた、「――まことに」
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「新読物」
1948(昭和23)年7月号
初出:「新読物」
1948(昭和23)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)飛田門太《とんだもんた》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)庫|番頭《ばんがしら》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
飛田門太《とんだもんた》はたいそう酒が好きである。よく世間で朝、昼、晩に飲むということを聞くが、彼のばあいは朝昼晩の三度に飲むのではなく、朝昼晩へ糸を通して輪に結んだかたちである、これをわかり易く言えば、眠るときのほか一日じゅう飲んでいる訳だ。勘定方書役で百五十石取っているから、勤めに出ることは云うまでもない、もちろん勤めていても飲む、役所で燗徳利《かんどっくり》と盃《さかずき》は使えない、土瓶《どびん》と湯呑でやる。はじめは上役によく叱られた。叱られれば止《よ》すが、その代り事務がてんではかどらなくなる。元もと勘定役所とか会計検査院とか統計局などというところは、計数に無能な役人を集めると定《きま》ったもので、さればこそ三十日で足りる事務に一年の日子《にっし》を要する仕組になっているのだが、わが門太は算数の天才であって、およそ十五人ぶんの仕事を一人で片づける。勘定役所には支配を別にして十二人しかいないから、詰るところ門太に仕事をさせて置けば、あとはみんな勤勉に遊ぶことが出来るという実情だ。ところが酒を禁じられるとたんに彼の能力は停止して、同僚とおなじく勤勉になる、それでは役所の機能が停ってしまうので、ついには彼の土瓶と湯呑は黙認のかたちになった。
「十九歳のときでしたが、吐逆というものを病みましてね」
門太はこう解説する。
「それ以来これなしでは済まなくなった訳です、これが切れると吐逆の毒で頭がぼんやりしてしまうのですな、私としては実に迷惑なはなしです」
役所のほうは割かた簡単であったが、家庭をそこまでこぎつけるには技巧を要した。不利なことに彼は婿養子である。鑓田《やりた》という三百五十石御宝庫|番頭《ばんがしら》の二男に生れ、二十二歳で飛田家へ入婚《いりむこ》した。飛田には孫九郎という舅《しゅうと》によの[#「よの」に傍点]という娘があり、それと結婚したのであるが、孫九郎が一滴も飲めないくちだし、よの[#「よの」に傍点]も酒の匂いを嗅《か》ぐと脚気が起こるというくらいで、情勢は鬼窟裡《きくつり》に珠を偸《ぬす》むほど困難であった。門太は画策し計略を案じ秘謀をめぐらしたが、度重なる失敗の結果「将を獲んと欲せば馬を射よ」の金言に想到し、攻撃法の大転換を行なって専《もっぱ》ら乗馬術の訓練にいそしんだ。酒精分の末梢《まっしょう》神経に対する麻痺《まひ》作用はヒポクラテスの昔から医家の証明するところである、かくて彼はその鍛錬し得た乗馬術が酒精分の吸飲によってさらに倍加し、時間の持続性と技法の変幻自在性に於て平時に隔絶するという事実を証拠だてた。よの[#「よの」に傍点]女は武士の妻である。良人《おっと》の乗馬術が飲酒によってかくも顕然と効果をあげるとすれば、万難を排してもこれを提供するのが婦道であろう、もちろん彼女は欣然《きんぜん》として勧奨に努めた。なに、――飛田家に馬がいたかと仰《おっ》しゃるか、とんでもない、馬などは一頭もおり申さぬ。彼は敵の搦手《からめて》を陥し、おもむろに陣がためをして本塁攻略にかかったが、舅孫九郎の病死によって、意外に早く飲酒の自由を確保したのである。
酒飲みは人情家だという例にもれず、門太は事務以外にも同僚の親愛を集めていた。気がくさくさするとき人は彼を訪ねる、失敗したとき、絶望したとき、困惑し途方にくれるとき、泣きたいとき、笑いたいとき人は誰でも門太を訪ねて慰安と解放を与えられる。
「うん、それは困ったね」彼はこう云ってまず盃を持たせる、「ま、とにかく一杯いこう、そういう具合だとすると考えなくちゃならないからね、ひとつ二人でゆっくり案を練るとして、――まあ重ねないか、困るで思いだしたんだが、あの虎というやつね、もちろん毛物《けもの》の虎さ、あれがその実になんなんだね、その――」
こうして半刻《はんとき》ばかり経つと、客は困っている事情をさっぱりと脱ぎ捨て、こころよき酔いと虎のぬいぐるみに包まれ、幸福円満な気持になって帰ってゆく。
「ああそいつにはおれも苦しんだものだよ」別のとき彼はほっと同情の溜息《ためいき》をつき、盃を持たせてまず酌をする、「ひとつぐっとやらないか、なにしろそういう問題は複雑だからね、焦ってはいけないものらしい、まったくやりきれないがね、ま、もう一つ、――それに就いて思うんだが、海の水がさしひきするね、そう、満潮干潮というあれさ、あれはなんだとさ、それほど簡単なものじゃないんだとさ」
そして半刻ばかり後には、客はその複雑な煩悶《はんもん》をはながみの如く破棄し、潮の干満に就いてのぞくぞくするような知識を抱いて、いかなる楽天家より楽しそうに帰ってゆく。
さはさりながら僅か百五十石の俸給で、そんなに酒を飲んだり、友情に篤《あつ》くむくいたりすることができるであろうか。勿論《もちろん》できません、殆んど不可能であります。ではなにがゆえに彼はそれをなし得るか、さよう、それにはそれだけの理由がある、ひと口に言うと彼には借款《しゃっかん》のできる甥《おい》があったのだ。甥、――名は鑓田|宮内《くない》、即《すなわ》ち門太の兄の子で、現在その家の当主になっている。だがまえにも記したとおり鑓田は御宝庫番頭の三百五十石だから、ただそれだけでは他家へ婿にいった叔父に金を貸すほど裕福ではない、ここにも一つ理由がある。然しまず、――一杯まいろう。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
鑓田宮内は隠れもない「吝嗇家《りんしょくか》」であった。試みに訊《き》いてごらんなさい。どんなに不縹緻《ぶきりょう》な娘をもつ親でも、「あの男にはやりたくない」と云うに定っている、それほど彼の「吝嗇家」としての名声は高く、且つ徹底的であった。
宮内の吝嗇は三歳にして始まった。なにしろ幾ら玩具《おもちゃ》を買ってやってもすぐに失くしてしまう、これは高価なものだからと、よほど念を押してやっても、半日と経たないうちにもう失くして、よその子の玩具で遊んでいる。また客から色いろと珍しい物を貰うが、これも満足に一日と持っていた例しがない、つい眼をはなしたと思うとどこかへ失くしてしまう。親たちはよほど頭の悪い児だと思って憂いに沈み、毘沙門天《びしゃもんてん》のお札をのませたりお賓頭盧《びんづる》さまとこつんこ[#「こつんこ」に傍点]をさせたりしたそうである。ところが六歳の年の二月一日に、このちび[#「ちび」に傍点]が母親のところへ来て、「自分に長持を一つ貸して呉《く》れ」と要求した、どうしてもきかないので、一つ空《あ》けてやったうえなにをするかと見にいった。すると彼は袋戸納《ふくろとだな》の奥からなにか出して来ては、丁寧に一つ一つ長持へしまいこむのである。……母親は訝《いぶか》しさの余りこれを良人に告げ、父親はすぐに息子のところへいって事態を糾明した。ところがなんと、それは曾《かつ》てそのちび[#「ちび」に傍点]が紛失したと信じられていた凡《すべ》ての物であった。有らゆる種類の玩具が新しいままで、ぴかぴか光り彩色鮮やかに、手垢《てあか》ひとつ付かずに、現われたのだ。
――だって毀《こわ》れたり汚れたりしちゃ勿体《もったい》ないからね、ちび[#「ちび」に傍点]は父親の訊問に対してこう答えたそうである。遊ぶときには誰かのを借りるほうが得だよ。
そこにある玩具の最も古いものから推算した結果、彼が「所有に就いての功利的経済観念」にめざめたのは実に三歳の春であったということが判明した。お賓頭盧さまや毘沙門天を煩わす必要は些《いささ》かもなかったのである。
彼は年と共にその天賦《てんぷ》の才をあらわした。十四五になると早くも親子の経済的関係は逆転し、浪費の害に就いて、倹約に就いて、蓄財の美徳に就いて、物資尊重に就いて、粗衣粗食の奨励に就いて、父母はその子から屡《しば》しば訓戒を受け、譴責《けんせき》をくわねばならなかった。――父上、食事は腹七分ですぞ。彼はこう言いながら食事ちゅうの父に向って指を立てる。お気をつけなさい、美食は浪費でもあり胃腸を損ねる因《もと》です。――母上この暑いのに風呂をたてるのは無駄です。こう云って彼は母の袖をひく。これから夏のうちは水風呂と定めましょう。
彼が二十歳のとき母親が亡くなり、二十三歳で父親を喪《うしな》った。彼は家督を相続し、父に代って御宝庫番頭を拝命すると、断然家政の改革を行い、三代まえから仕えている老家士を残して、召使のぜんぶを解雇した。残された家士は矢礼節内《やれせつない》といい、年は七十八歳で、消化不良と不眠症の痼疾《こしつ》がある、ということは食事の量が僅少《きんしょう》で、消化のために身躰活動を厭《いと》わず、眠れないから夜業《よなべ》を励むし朝が早い、詰り一人にして四徳を兼ねる又となき忠節の士であった。――それ以来ずっと二人で暮している、妻帯などは考えたこともないし、娘をやろうという親もない、金の出る交際は凡てお断わり、商人は出入りをせず、台所を覗《のぞ》く犬もなく鼠《ねずみ》さえいない、塵《ちり》を掃き出すのも惜しそうにここを先途と貯める。
――ああ勿体ない。彼は髭《ひげ》を剃《そ》るたびにこう溜息をつく。この髭の一本一本に喰《た》べた物がはいっているんだ、それを剃り落すなんて実に勿体ない話だ。
――まあこのくらいで止そう。風呂舎《ふろや》で躯《からだ》を擦《こす》りながらこう呟《つぶや》く。この垢だって無代《ただ》で出来る訳じゃないんだ。
家中《かちゅう》の評判はもちろん悪い。くそみそである、御宝庫番にいる下役の者でさえ、公用以外には口もきかず問い訪れもしない、そのほかに知己友人の無いことは云うまでもなかろう。――然るにたった一人、彼を愛し彼を憂い彼を戒飭《かいちょく》し、そして彼をしぼる者がいた、即ち前章で紹介した叔父の飛田門太である。彼もまたこの叔父だけは昔から好きだった。彼が十四五歳で一家の経済主権を握った当時、この叔父はまだ鑓田に部屋住みでくすぶっていた、すでに酒を飲みだしたじぶんで、小遣が足りなくなるとせびりに来た。十も違う叔父さんが十四か五の甥のところへ来て、「ひとつ頼む」などと片手を出す風景はみものである。宮内は笑い乍《なが》ら若干《いくばく》かの金を出してやった。いちども頭を横に振ったことがない、勤倹貯蓄に関して父母を説戒するほどの彼が、この叔父にだけは厭な顔ができなかったのである。
彼等のこの美わしい関係は、門太が飛田家の人になってからも続いている。門太に長男が生れたとき、この甥は誰より先に祝いに来た、その長男は琴太郎といってもう七歳になるが、持っている玩具の殆んど全部が宮内から贈られたものである、――勿論それが宮内三歳のとき以来の退蔵品であることは云うまでもない。また門太も屡しば鑓田を訪ねる、然しそれは多く次のような形式と内容を兼備していた。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
飛田門太は麻裃《あざがみしも》をつけ、扇子を持って、鏡田の表玄関に立つ。かの忠節な老家士が出ると、謹厳なる音声を以て甥に面会を求める。そして謹厳に客間へとおり、威儀を正して座り、謹厳に咳《せき》ばらいをする。――甥が出て来る、座って挨拶をするが叔父殿は威儀を崩さない、こんどは厳粛に咳ばらいをして次の如く始める。
「いかんな宮内、これではいかん、世評はくだらない、好きなことを勝手なように申す、けれども世評は、やっぱり世評だ、名聞ということがある、武家にはなおさら、けちんぼはまだしも吝嗇はいかん、曾て源昌院《げんしょういん》さまの御治世に、――」約半刻あまり訓話が続く、それから厳粛にこう結ぶ、「そういう訳であるから、いいか、今後はきっと心得て、吝嗇だけは慎むようにするがいい、えへん、では今日はこれでいとまをする」
門太は静かに立ち、謹厳に表玄関へ出て、別れを告げる。そこで謹厳は終るのである。彼は麻裃を脱いで供に渡す、供はそれを受取って挾箱《はさみばこ》の中から常の袴《はかま》を出し、麻裃を納う。門太は袴をはき替えると、すぐに鑓田の脇玄関へいって案内を求める。忠節な老家士が出ると、こんどはたいそう柔和に甥を呼んで呉れと頼む。――いま表玄関から麻裃で帰った客が、忽《たちま》ち常の恰好で脇玄関へ現われた訳だ。甥の宮内が出て来ると、門太は酸っぱいような眼をして云う。
「まことに済まないが」そして例の調子で片手を出す、「ちょっとまた五両ほど貸して呉れ、俚諺《ことわざ》にも小言は云うべし酒は買うべしというくらいだ」
「叔父さんは間違えてますよ」甥は笑う、「それは小言を云った者が酒を買うんでしょう」
「然しおれとおまえの仲だからな、叔父と甥の仲だから俗人とは幾らか違う、済まない、ちょっとひとつたのむ」
宮内は笑いながら、云われるだけの物を取って来て渡すのである。――この羨《うらや》むべき親近関係は、少しのかげりもなく続いて来た。
門太はつねに甥を憂い甥のために心痛している、その吝嗇癖と、その性癖による悪評に就いて、そしてまた甥に妻が無く、縁組みの望みもないことに就いて。……然し世には破鍋《われなべ》になんとやらいう諺《ことわざ》があり、眼の寄るところに玉ということもある。門太は捜した。口で尋ね眼で眺め耳で聞き足の労を厭《いと》わずに捜した。
前述したとおり門太は人に好かれている、つきあいも広い、彼の熱心な嫁捜しはようやく知友の同情をよび、有らゆる方面へ捜索の手がのびた。かかる努力の酬われざる道理はない、やがて最も宮内に相応《ふさわ》しく、寧《むし》ろ宮内のためにのみ存在するような婦人がみつけだされた。
「今日は意見や借金をしに来たのではない」甥を訪ねた門太はこうきりだした、「おまえに恰好な者をみつけたから嫁にどうかと思ってな、いやわかっている、おまえがどういう気持でいるかはよく知っている、だから今日までいちどもおれはこんな話はしなかった、これならたしかに似合だと思ったから来たのだ」
「それは縹緻のいい娘ですか」
「気の毒だが縹緻は悪い、はっきり言えばまあ醜婦だろう」
「醜婦は結構です、縹緻がよくったって一文の徳にもなりません、おまけになまじ姿のいい女は、化粧だの衣装だのと浪費をしがちですから、――で、年は若いんですか」
「いやおまえと一つ違いの二十六だ」
「その点も悪くはないですね、若い娘はとかく辛抱が足りないし、詰らないみえを張ったり遊山見物をしたがったりするものです、然し二十六にもなれば将来のことを考えますからね、欲も少しは出るでしょうし経済観念もあるでしょう、ところで、――その年で初縁ですか」
「気の毒だが三度だ、嫁に三度いって三度とも一年足らずで帰っている」
「いい条件ですな、ふむ、結構です、三度も嫁にいったとすれば経験者で、少なくともいろはから教える手数はないでしょう、そのうえ出戻りなら謙遜《けんそん》もするでしょうしね、――で、健康はどうです、もしや病身じゃありませんか」
「生れてから薬というものを知らんそうだ」
「なるほど、ふむ、なるほど」甥は頗《すこぶ》る嗜欲《しよく》を唆《そそ》られ、腕組みをして唸《うな》った、「これで身分がつりあい、性質が勤倹だとすれば申し分なしですがな」
「身分は足軽組頭の長女で、倹約質素と働くことは評判だそうだ、とにかくいちど伴《つ》れて来るから会ってみるか」
「ええ会いましょう、ぜひ伴れて来て下さい」
それから数日して、門太は妻のよの[#「よの」に傍点]女と共に該婦人を鑓田へ伴れていった。彼女は名をかつ[#「かつ」に傍点]という、背丈は四尺九寸そこそこであろう、小さいが固肥りの逞《たくま》しい躯で叩けばかんかんと音をたてそうな、健康と精気に満ち溢《あふ》れてみえる、髪毛は茶色で縮れている、眉毛は薄い、鼻は充分に肉づいて福ぶくしく据わり、唇の大きさと厚味からくる量感は非凡である、だが我われの最も惹《ひ》きつけられるのはその眼である、形は俗に鈍栗《どんぐり》というやつで小さいが、眸子《ひとみ》はらんらんと光りを放って、その烈しさと鋭さは類のないものだ、眼光紙背に徹するというけれども、彼女のものは恐らく鉄壁を貫いて石を砕くに違いない、之《これ》を要するに、門太は些かも食言しなかった訳である。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
門太とその妻に伴れられて、かつ[#「かつ」に傍点]女は鑓田家の玄関に立った。そしてまだ案内も乞わないうちに、その慥《たし》かな眼光でじろりと眺めまわし、ひょいと肩を竦《すく》めてこう云った。「まあ、驚いた、この家は倹約だと聞いていたのに、玄関へ障子を立てていますね、おまけに紙まで貼《は》って、へむ」
これはたいへんな声だ、太くて嗄《しゃが》れてがさがさして、罅《ひび》のいった土鍋の底を掻《か》くようである。側に立っていたよの[#「よの」に傍点]女は吃驚《びっくり》して周囲を見まわした。あとで聞くと熊かなにかが咆《ほ》えたのかと思ったそうである。――三人は玄関へ上った。かつ[#「かつ」に傍点]女はその烱々《けいけい》たる眼を光らせながら、廊下を見、天床を見、壁を見、襖《ふすま》を、障子を、有らゆる家具造作をねめつけながら、客間へ通った。
「へむ、無駄が多い」座るとまずかつ[#「かつ」に傍点]女はこう呟《つぶや》いた、「あれも、これも、贅沢《ぜいたく》ですね、くしゅん、気に入りません、無駄です」
宮内が入って来た。彼女を見且つその声を聞いた。どうやら不審げである、彼は念のためよの[#「よの」に傍点]女の耳へ口を持っていってこう訊《たず》ねた。
「女でしょうね」
双方を紹介すると門太の役は終った。未来の婿と嫁は門太などにお構いなく、直ちに意志を通じあい所見の交換にとりかかった。尤《もっと》も主導権はどちらかというとかつ[#「かつ」に傍点]女にあるようだ、それは概略つぎの如く展開した。
「ああ――、へむ、ああくしは出戻りです、隠しだてはしません、そうですとも、三度ゆきましたが三度とも出て来ました、なんのひけめがありますか、くしゅん、からだは処女《むすめ》です」かつ[#「かつ」に傍点]女は太い指で一種のしぐさをする、「男というものは無知でみえ坊です、無計画で浪費者です、無思慮で怠け者です、無算当で欲を知りません、くしゅん、欠陥と弱点の集合です、いいえ黙ってて下さい、ああくしは三人の男で慥かめました、どうして良人と呼べますか、可笑《おか》しいくらいです、がー、へむ、へむ、貴方のことを聞きました、幾らか望みがありそうです、ということはですね、いいですか、貴方はああくしの良人としての資格がありそうだという訳です」
「よくわかります、はっきりしてなにもかも明瞭です」宮内は膝《ひざ》を乗出した、「そこで私のほうからもお断わりして置きますが、私は元来かなり倹約な生活を――」
「いいえお待ちなさい、いけません、大きな思いあがりです、へむ、倹約ですって、くしゅん、くっしゅん、倹、くしゅん」
かつ[#「かつ」に傍点]女は袂《たもと》からなにかの布切を出して洟《はな》をかむ、凄《すさ》まじい音である、天床と四壁にびんと反響し、門太などは耳がどうかして暫《しばら》くはなにも聞えなかった。彼女は続ける、「――御無礼しました、そこでですね、貴方はいま倹約と仰しゃった、笑いたいくらいです、とんでもない、倹約とはですね、いいですか、へむ、倹約とは無駄を省くこと、生活から身のまわり一切の無駄を省き去ることです」
「いかにもお説のとおりです、私もそのために、――」
「いいえお待ちなさい、それなら伺いますがこの畳はなんでしょう」かつ[#「かつ」に傍点]女はその太い指で畳を突つき、検事のように宮内を睨《にら》んだ、「百二十年まえまでは武家では畳は敷きませんでした、へむ、現に水戸|光圀公《みつくにこう》は生涯板敷へ蒲《がま》の円座を敷いてお過しあそばされました、畳は草を編んだものです、色がやけ、擦切れます、裏返しや表替えをしなければならない、それを貴方は敷いていらっしゃる、なんのためでしょう、くしゅん、へむ、まだまだです、とんでもない、倹約というのはですね、いいですか」
門太は頭がちらくらしてきたので、そっと廊下へぬけだした。よの[#「よの」に傍点]女もすぐに追って来た、夫妻は庭へ下り、そのいちばん端までいって立停った。けれどもやはり聞えてくる、嗄れた太いがさがさしたかつ[#「かつ」に傍点]女の声が、「どういう訳です、なぜでしょう、無駄です、経済というものはとんでもない、いいですか、違います」
などという風に、合間あいまにくしゅんとへむを混えながら、――よの[#「よの」に傍点]女は身震いをした。
「あなた、わたくし脚気が起こりそうですわ」
「おれもだいぶ妙な具合だ」門太も頭をゆらゆらさせた、「夜中に魘《うな》されなければいいが」
縁談は纒《まと》まった。すべての作法は当人同志が定めた、仲人は見ていればよかった。当日になると花嫁は風呂敷包を背負い、父母に付添われて堂々と歩いて来た、招かれたのは飛田夫妻だけである。祝儀の膳《ぜん》は一汁一菜、それも花嫁自身で作り、花嫁自身で運び、花嫁自身で給仕をした。母親にもよの[#「よの」に傍点]女にも、いっさい手出しをさせなかった。そして人々が箸《はし》を置くなり、さっさと自分で片づけた。
婚礼のあと暫く門太は近寄らなかった。
だが決して安心した訳ではない、安心どころか絶えず疑惧《ぎぐ》に悩まされた。
「あなた大丈夫でしょうか」妻女もやはり心配らしい、「いちどいって容子《ようす》を見て来て下さいましな、わたくしなんだか胸騒ぎがして――」
「おれもそうは思うんだがね、うん、そう思ってはいるんだよ、然しねえ」
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
決心しては挫《くじ》け、思い立っては止し、ずいぶん迷ったあげくに門太はでかけていった。下僕に酒肴《しゅこう》を持たせ、妻からかつ[#「かつ」に傍点]女へ贈る白絹を持って、――どうせ酒になるだろうからと、でかけていった門太は、半刻もしないうちに帰って来た。
「いや心配するな、なんでもない」彼は着替えをしながら云った、「済まないが酒をつけて呉れ、話はそれからだ」
酒の膳が出来て座った。門太は黙って四五杯ばかり飲んだが、
「いやとても話せない」と首を振った、「畳が無くなったことは想像がつくだろう、きれいに無くなった、一枚もない、障子も骨だけだ、紙なしの素通しだ」
「まさかあなた、幾らなんでもまさか」
「なんのためです、という訳さ」門太は手酌で飲む、「健康には日光と風とおしが大切だ、障子はそれを二つとも閉出す、おまけに紙だから破れ易い、破ければ切貼《きりば》り、二年に一回は貼替えもしなければならない、なあーんのためです、という訳さ」
「わたくしまた足がむずむずしてきますわ」
「いや脚気になる値打はあるよ」門太はくすくす笑いだす、「考えられるかねよの[#「よの」に傍点]、可哀そうに宮内のやつ咳も満足にできないんだぜ」
「なにがお出来にならないんですって」
「咳だよ、ごほんごほん、こいつさ、これを止められたんだ、汚ない話だが唾を吐くこともいけない、なぜならばだな」門太はまた手酌でぐっとやる、「なぜなら、咳をごほんと一つやると卵なら一個半、飯なら五杯以上の精分が飛んじまうんだ」
「まあ――、どこから飛ぶんでしょう」
「おれに訊いたってしようがない、かつ[#「かつ」に傍点]女がそう云うんだ、また遠く唾吐くべからず、気減るってさ、貝原益軒の養生訓にちゃんと書いてあるそうだ、勿論これもかつ[#「かつ」に傍点]女が云うんだ」
「あら厭ですわ、気が減るとどうなるんでしょう」
「益軒に訊けばいい、宮内はすぐ実践躬行《じっせんきゅうこう》した、なにしろ飛んじゃうとか減るとかいうことは我慢しないからな、それで旺《さか》んにへむ[#「へむ」に傍点]とくしゅん[#「くしゅん」に傍点]をやっている」
「まあ――、あの方のが伝染《うつ》ったんですのね」
「いや教えたのさ、あれは咳を鼻へすかす[#「すかす」に傍点]技術なんだ、ごほんとやれば精分が飛ぶけれども、ああやって鼻へすか[#「すか」に傍点]せば、……いや本当の話さ、嘘を云ったってしようがない」
「それで宮内さまは御満足ですの」
「満足以上だね、礼を云われたよ、実にまたと得難き嫁だってさ」門太はここで声をひそめる、「琴太郎はいないね、よし、――もう一つだけ話すが、二人はだね、……だとさ」
「なんですかまるで聞えませんですわ」
「よく聞かなくちゃいけない、いいか、あの夫婦はだね、結婚以来、――てんで、……ということだ」
「まあ――」
よの[#「よの」に傍点]女は眼をまるくし、同時にぼっと赤くなる、「だってあなたそんな、――でもいったいなぜでしょう」
「子供が出来るからという訳さ、子供が生れれば喰べるし着るし遣うというんだ、一文の足しにもならない、然も世間には人間が余ってる、なにもこのうえ自分たちが殖《ふ》やす義務はない、無駄だッという訳さ」
「でもそれならどうして」よの[#「よの」に傍点]女は赤くなった顔で眩《まぶ》しそうに良人を見る、「――それならなんのために結婚などなすったんでしょう」
「考えないほうがいい脚気になる」門太はこう云って三杯ばかり呷《あお》った、「もっとあるんだが止そう、話すだけでも頭がちらくらしてくる」
遮莫《さもあらばあれ》。無事におさまっていればこれに越したことはない、唯一つの問題は借款の綱の切れたことだ。門太は酒飲みだが馬鹿でも白痴《こけ》でもない、かつ[#「かつ」に傍点]女の前には叔父甥の美わしい関係など七里けっぱいだということが歴然である。――しようがない、おつきあいにこっちも少しつめるさ。門太はこう思って無心にゆくことを諦《あきら》めた。然しそれだけで済むと思ったのは軽率だった。少し酒でも倹約しようと、殊勝なことを考えていると、或る日かつ[#「かつ」に傍点]女が独りで訪ねて来た。
「先日は祝儀を頂きましたから、その御返礼にあがりました」かつ[#「かつ」に傍点]女は鈍栗形の眼を烱々《けいけい》と光らせて云った、「ですがこんなことは虚礼にすぎません、贈られれば義理にでも返さなければならない、お互いに無駄です、やめましょう、おわかりですね、――ではお受取り下さい、御返礼です」
よの[#「よの」に傍点]女は恥ずかしさの余り赤くなり、叱られた子供のようにおどおどと箱包を受けた。――かつ[#「かつ」に傍点]女はそこで門太のほうへ向直り、懐中から一通の書付を出してそこへ拡《ひろ》げた。
「へむ、ああ――飛田どのですね」
「さよう、ええ無論」門太はちらと自分の後ろを見た、逃げ道を捜すような眼つきである、「さ、さよう、正に飛田門太です」
「なにも怖がることはありません、これを見て下さい」彼女はその太い指で書付をとんと突ついた、「十三年間に三百八十二両と二分一朱、ああたは鑓田からこれだけ借財をなすった、へむ、間違いないですね」。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
門太はそれからのち※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]《しゃっくり》におそわれるたびに、眼をつむってそのときのことを思いだす、その書付を見せられたときのことを、――するとどんな方法より的確に※[#「口+穢のつくり」、第3水準1-15-21]はぴたと止るからふしぎだった。
「叔父どのと甥の仲ですから」かつ[#「かつ」に傍点]女は続ける、「決して利息は、へむ、頂戴しますまい、いいえお礼には及びません、が然し元金はです、この元金はですね、いいですか、月割三分ずつ返して頂きます、それとも壱両ずつにしますか」
「とんでもない、けっして、そ、それには及びません」
「へむ、そうでしょう、では三分ずつとして、ああくし名儀の証文を書いて頂きます、もちろん宮内は承知のうえですから」
門太は十日あまり吃驚したような眼つきが直らなかった。肝臓だか膵臓《すいぞう》だかわからないが、なんでもそのへんが擽《くすぐ》ったいような痒《かゆ》いような気分で、おまけに毎晩つづけさまに鬼の夢をみた。よの[#「よの」に傍点]女は悲嘆にくれ、絶望のあまり泣き続けた。
「月づき三分、どこからそんなお金を出したらいいのでしょう、どこから」とう云っては啜《すす》り泣く、「もうおしまいですわ、これまでだって足りないのですもの、――あの人は取りに来ます、あなた、どうしたらいいでしょう」
「とにかく、まず、あれだ、まずおれは酒をやめるよ」門太は自信のない口ぶりで云う、「それにその、宮内はおれの、甥だからな、あれは吝嗇だけれども、然し根はおれを好きなんだし」
「宮内さまになにが出来ますの、あの方はもう咳さえ満足になされないじゃございませんか」
門太は眼をつむって呻《うめ》く。さよう、愛すべき甥は、いまや咳を鼻へすか[#「すか」に傍点]す、家は家で畳を剥《は》がれ、障子は素通しにされた、この叔父は三百なん十両という借金持ちになった。なぜだろう、以前はあんなにうまくいっていたのに、それとそ八方まるく納まっていたのに、うむ、……門太はもういちど呻く、なぜだろう。
この物語に「真説」と傍題した以上、この不愉快な厭らしい部分とそ詳述の要がある、この部分を省略することは、物語作者として無責任の貶《そし》りを免れないだろう、然し作者は詳述の省略を採る、なぜならかかる不愉快な厭らしさは、われ人ともに不愉快であり厭らしいからだ。そこでこの暗い時間が半年続いたこと、かつ[#「かつ」に傍点]女が毎月きちんと借金をはたりに来たこと、そのため敗戦以前であるにも拘《かかわ》らず飛田一家はたけのこ生活のやむなきに至ったこと、そのうえ鑓田家の忠節なる老家士、即ちかの矢礼節内を引取ったこと――というのは、食餌《しょくじ》と労働との言語を絶する相反的条件悪化により、老家士は生死関頭に立って飛田家へ出奔し来ったのである、「貴方さまも私にとってはもと御主人でございます」節内はこう云って泣いたと伝えられる、――そしてこの間、愛すべき甥はいちども叔父に顔を見せなかったこと、以上を記して暗黒時代にお別れと致す。
さて半年という月日が経った。
或る日、――鑓田宮内が頓死《とんし》した。
正史に偽りなく真説に虚構はござらぬ、宮内は役所から帰って、着替えをしかけたとたん、うんと仰って頓死したのである。息をひきとる際に、「たたみ、たたみ」と云ったそうだ、かつ[#「かつ」に傍点]女は少しも騒がず、「いいえ大丈夫です、床板の上です」
こう答えたという。
「畳の上で死ぬことは武士の本分でないと申しますが、あなたは立派に武士の道を踏んで死ぬのです、御安心なさい立派な死に方です」
かつ[#「かつ」に傍点]女が烈女であったことは右の言葉で証明されるだろう。……当時の武家定法では、世継ぎのないうち当主が死ぬと家名断絶である、妻には相続権がないから実家の戸籍に戻る訳だ。むろん便法ぬけ道のないことはないが、悪評満々たる鑓田宮内のことで、そんな心配をするものがなかったのだ。……烈女は実家から持って来た物を風呂敷に包んで、また自分で背負って、歩いて実家へ帰っていった。いやまっすぐにではない、かつ[#「かつ」に傍点]女は寄り道をした、飛田家へたち寄って門太に面会を求めた。
「念のために申上げますがね」彼女は門太にこう云った、「鑓田は断絶しましたが、然しなにもかも帳消しになった訳じゃありません、あなたの借金は残ってます、いいですか、あの証文はああくしの名儀ですから、おわかりですね、月末には来ます」
門太が甥の頓死をどんなに悲しんだかお察しがつくだろうか。彼は心から、さめざめと男泣きに、泣きました。尤もそれほど長く泣いていた訳ではない、彼には重要な仕事が待っていた、それは鑓田の家財整理ということである。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
家名断絶は財物公収を兼ねる。門太はその整理をするために五日あまり鑓田へ泊り込んだ、世間は喝采《かっさい》した、快哉の拍手をした、「いいきみじゃないか、食う物も食わずに貯めこんだのを、ごっそりお上へ没収だ」「吝嗇漢のいいみせしめさ、その点では名が残るよ」云々という類である。
財物公収の日となった、大目付佐田四郎が主任検視で、勘定方元締の数尾主税《かずおかずえ》が副役《そえやく》である。主税は門太の上役である。……積出しは午前十時から始まって午後五時に及んだ、これには勘定方の者が五人がかりで、実に七時間三十五分を要したという。――ところでその貯蓄金の中から意外なものが出て来た、主任検視の佐田殿がみつけたのであるが、奉書紙に「上《じょう》」と書いた遺書なのである、佐田殿は数尾主税を片隅へ呼んだ。
「こんな物が出てまいった、上と書いてあるが遺書のように思う、どうだろう披見してみてよかろうか」
「御検使ですから差支えございますまい」
佐田殿は主税を立会人にしてそれを披いた。正しく遺書に違いない、それは墨痕《ぼっこん》鮮やかに、まず藩家の恩を謝し自分の不勤を詫《わ》びて、次のような意味へと続いていた。
――自分の吝嗇は己れのためではない、三百五十石の武士が倹約にすればこれだけの貯蓄《たくわえ》ができる、その事実を示したかったのである、自分亡き後は生涯の蓄財をあげてお上へ献上する覚悟だ、不勤な自分にとって忠節の一つだと信ずる。
これは思いもよらぬ告白だ。主税も読んで眼を瞠《みは》り、もういちど読んで主任検視の顔を見た。忠節という字がある以上は棄てては置けない、家財積出しを中止させ、佐田殿は城へ馬を飛ばさせた。――果然、事情は逆転するようでござる、半刻ほどすると城から急使が来た、財物公収は停止、積出した物は戻せとある、そして門太に保管の命が下った。
藩侯は重臣会議を召集された。遺書の内容は一般に公開され、吝嗇漢の看板は「武士の鑑」と塗替えられた。
「おれはそう思ったよ」人びとは感に耐えてこう云い合った、「あの男が訳もなく吝嗇である筈がない、おれは蔭ながらにら[#「にら」に傍点]んでいたのさ、これは仔細《しさい》があるッてさ」
「今だから云うがおれは鑓田の肚《はら》を知っていたよ、おれはね」
「あいつは人物だった、おれは断言するが鑓田は人物だった、我が藩家創業以来随一の人物だ」
云々《うんぬん》というありさまである。――御前重臣会議に於ては重大な決議がなされた、即ちかかる忠烈の士は長く藩史に遺して模範とすべきである、然りとすれば鑓田を断絶させるのは正当ではない、宜しくその血筋をあげて家名の存続を計るべきだ。誰にも異議はない、みんな双手を挙げて賛成した。そこで血筋の詮議をすると、門太が最も適格である、彼は飛田家を継いでいるが、琴太郎という男子があるから、飛田はこれに継がせ、門太は戻って鏡田の家名を相続するがいい、ということに決定した。……お声がかりである、琴太郎は成人するまで養育するということで、夫妻は鑓田家へ引移っていった。
最早たけのこ生活は終った、かつ[#「かつ」に傍点]女へは遺産の分配の意味として、三百余両の金をすっかり返した門太は今や鑓田家三百五十石と共に、甥の遺した巨額の資産を相続したのである。……移ってから七日めに、門太は知己友人を招いて盛大な相続披露の酒宴をひらいた。
その酒宴もたけなわの頃、勘定方元締の数尾主税が来て、にやにや笑いながら、「千慮の一失だね」と門太に囁《ささや》いた。「あの遺言状さ、あれほどの吝嗇が奉書紙という贅沢な紙を使うのはおかしい、そう思わないかね、――いや云う必要はない」主税はにっこりと笑う、「私は字をみてすぐにわかった、そして合点した、其許《そこもと》は鑓田を可愛がっていたからな、あんな悪評を負わせたままで死なせたくなかった気持、私にそれがよくわかったよ、さすがに叔父甥だ、こう思ってね、涙がでそうで困ったよ」
「始めは迷いました」門太はこう答えた、「世を欺くことですからね、然し家中の武士に吝嗇漢がいたということはいけません、これは藩として威張れることではない、こう考えたのです、それに仰しゃるとおり、――あれは私にだけはよくして呉れました、私にはまことにいい甥でした、せめて死後の名だけは武士らしくしてやりたかったのです」
「まことに」主税は頷《うなず》いた、「――まことに」
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「新読物」
1948(昭和23)年7月号
初出:「新読物」
1948(昭和23)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ