Bad City 1 : Shape of my Heart ◆gry038wOvE
仮面ライダースーパー1となった
沖一也は駆ける。
この広い街を、ただ己の足で駆ける。行き先は警察署だ。改造人間である彼には、地図通り正確に最短距離を導き出し、それに伴った走りができるので、着々と警察署までの距離は縮まっていく。
その速さは、アスリートが代わる代わるバトンタッチをしながら走っても、追いつけないどころか最初の一人以外がその姿を見られないほどである。
そんな速さで駆けながらも、周囲の景色全てに目を通して記憶しているのだから、驚くべき“性能”である。
(距離はおそらく残り数千メートル……!)
警察署までの残りの距離は既に数えるほどになっていた。数千メートルといっても、六千~九千メートルほど開いてはおらず、二千~四千メートル程度だろうと推測される。おそらくスーパー1自身はこう思った直後には、ほぼ正確な距離を導き出していたに違いない。
地図が正確ならば、これまで歩いてきた距離からだいたい計算できる。現在地、警察署、中学校を点とした三角形が出来上がっているのである。その距離も歩きながら計測していた。残りの一辺がどの程度の長さなのか求めるのは、あらゆる数式が幼少期から刻み込まれた沖一也の脳には、それは容易な事だったし、感覚が発達した事でより正確に思考を模索する事ができた。
(──いや)
しかし、そこで導き出した計算結果を次の瞬間には否定した。
彼が否定したのは、自分が導き出した計算結果そのものではなく、そもそも「警察署までの距離を計算せねばならない」という前提であった。計算する必要性が消えたのである。
何故ならば、彼の眼前には既に“それ”が映っていたからだ。
(──距離、五十メートル! ヴィヴィオちゃんだ!)
スーパー1は己の身体にブレーキをかけた。
彼の眼前には、アインハルトの友人であり、沖とも面識のある
高町ヴィヴィオと、かつて交戦した強敵・
ダークプリキュア、そして白いスーツを着た異形の怪人が歩いていたのである。
その中でも、真っ先にヴィヴィオに気づいたスーパー1は足を止める。
それと同時に、ダークプリキュアや、彼女を引き連れた怪人に対して警戒したので、赤心少林拳の構えのまま、地面を滑った。
警察署にいたはずのヴィヴィオがここにいる。──ひとまずは彼女に事情を聞く事ができるだろうから、急いで警察署まで向かう必要は消えてきた。
しかし、相手方もまた不可解な事情を抱えているように思えた。
敵であるダークプリキュアとヴィヴィオが一緒にいる意味と、目の前の怪人の姿は嫌でも気になった。ヴィヴィオはさほど嫌そうな顔もしていないが、やはり怪しい。
それに、ダークプリキュアの方に目をやれば、彼女はこちらの登場に一切反応する事なく、まるで置物のように虚空を見上げている。彼女の様子も気がかりだが、それよりもまずは動いて喋る標的に訊かねばならない。
「……なんだ、お前は!?」
スーパー1は相手の怪物にそう問おうとしたが、最初にそれを訊いたのは、ダークプリキュアたちを引き連れた怪人の方であった。。
相手も異形の戦士・仮面ライダースーパー1の姿に戦慄したようである。
豪奢な白いスーツの人間がグロテスクな甲虫のマスクを被ったような怪人は、まさしく「怪しい人物」という言葉には近い存在である。
少なくとも、スーパー1が戦った改造人間に比べれば、遥かに人間に近い外見であったと思う。首から下だけの写真を見せれば、おそらく誰もが普通の人間と錯覚する。
むしろ、スーパー1の方が人間から遠ざかった姿であるといえよう。身体のどこを映しても人間には見られない存在である。……だからこそ、相手の怪人はこのように驚愕しているのだ。
しかし、だからといって弱みを見せるわけにはいかない。
「俺は仮面ライダースーパー1だ! お前こそ何者だ! 何故、ヴィヴィオちゃんたちを連れている!」
仮面ライダースーパー1はその名を相手に名乗り、同時に相手の名を訊く。
彼がどんな人間であれ、おそらく名前くらいは存在するだろう。名簿が支給されている以上、この怪人にも名前は存在する。偽名や異名であっても良い。とにかく、初対面の怪人など、名前だけが正体だ。
しかし、返ってきたのは、
「かめんらいだーすーぱーわん………………えっ!? 沖さん?」
という少し間の抜けた返事だ。
その返事で、スーパー1はその構えを解き、腕を下した。
「何ッ!?」
沖さん、と呼ばれたのは少しばかり意外だった。相手はスーパー1と名乗っても、絶対に反応しない相手だと思っていたのだ。
しかし、沖さん──と呼ぶからには、彼は顔見知りだろう。声質は曖昧でわからないが、「彼は一体……?」と思いつつ、スーパー1は自分の記憶を探る。
相手も名乗っていないので、結局正体はわからないが、顔見知りならば自分の推測でわかるはずだ。
(この怪人は……一体、誰だ?)
この怪人は何者か──ダークプリキュアを絡めず、とにかく自分の記憶上にいる人間から考えようと、記憶を探る。
仮面ライダースーパー1と名乗り、それと沖を結び付け、沖を「沖さん」と呼ぶ人間であるとすると、誰だろうか。
いつきやアインハルト、美希はスーパー1の姿を見ているので違う。一文字や結城ならば「沖さん」とは呼ばない。乱馬も違いそうだ。そもそも、乱馬やあかねといった人物には、沖が仮面ライダーであるという情報そのものが行き渡っているかもわからない。沖も彼らについてあまり知らないのだ。……まあ、孤門が話した可能性はあるだろうが。
この挙動や喋り方は、孤門のそれに近い。
「孤門……? 君は孤門一輝か!?」
「ハイ。孤門一輝です」
マスク越しに孤門が答えた。言われてみれば、この怪人──パペティアードーパントの声は、孤門の声にも聞こえてきた。
警戒する必要などなかったのだ。
とにかく、孤門とヴィヴィオの二名は無事だったようだ。
スーパー1は、ほっと胸をなでおろす。
それから、また精悍な顔つきで、ヴィヴィオの名前を呼ぶ。
「ヴィヴィオちゃん」
ダークプリキュアと一緒にいたので、もしかするとヴィヴィオはあの怪人たちによって自由を奪われ、従わされているのではないかと思ったが、それは杞憂だったらしい。ヴィヴィオは「はい」とだけ答える。
彼女も、別に沖が何かの要件があるために名前を呼んだのではないと理解していた。
「孤門」
「はい」
「……二人とも、驚かせてしまってすまない」
スーパー1はそう謝罪すると、変身を解除し、沖一也へと姿を戻す。
その姿は確かに沖一也のものだったので、二人の顔に安心が灯った。見るからに肩の荷が下りたという感じである。実際に肩の力が抜けていくのが見て取れた。
やはり、人間としては、目の前にいるのが人間であった方が安心する。そういう意味では、怪人のままの孤門と歩いていたヴィヴィオは大変だろう。
久々に人間を見たという表情だ。
「……ところで、二人とも何故警察署を離れているんだ? それに、ダークプリキュアは……」
沖はすぐに思考を切り替え、ダークプリキュアに目を向ける。先ほどから気になっていたが、彼女は「殺意がない」というよりか、「生気がない」というほどに人間らしさが消えていた。
沖に向けて何かを言う事もなく、顔を上げる事さえない。
ダークプリキュアの様子に関して、沖としてはぜひ訊きたいところだった。
一度襲われたとはいえ、ダークプリキュアの身を案じるほどにダークプリキュアは生気を失っているのである。襲われた方がかえって気味の悪さは感じなかっただろう。
「……それが、突然襲撃されたので、ガイアメモリの能力で、ダークプリキュアを鎮めているんです。そのせいで、僕自身もドーパントの変身を解除できないんですけどね」
孤門は要点だけを話した。
これだけでは、ガイアメモリに関する知識のない沖には伝わりにくいかもしれない。
彼はここまで戦ってきたとはいえ、ガイアメモリという道具に関して、そこまで深い知識を持ってはいないはずなのだ。最初に加頭の説明をしたときに出会ったユートピアドーパントのほかにガイアメモリによって変身した「ドーパント」をほぼ見ていない。
しかし、その説明だけで沖の目は怪訝そうな表情に変わった。
「……ガイアメモリを使ったのか?」
「ええ……そうですけど」
沖の目が少し鋭く威圧的になったので、孤門は少し怯えたように語尾が小さくする。
「ガイアメモリを使用すると人体に有害毒素が侵食する……説明書にそう書いてなかったか?」
「……え?」
孤門は、何故それを知っているのかとでも言いたげな顔であった。
しかし、そんな彼の顔を、沖は鋭い目で睨んでいた。
「あの……私たちもガイアメモリが危険なものであるのはわかってます。でも、孤門さんは仕方なかったんです! ダークプリキュアに太刀打ちできる力が私たちになくて……」
沖は、鋭い眼光をヴィヴィオに向けた。ヴィヴィオが思わず後ずさるほどにその眼光に恐怖を感じていたのが見て取れた。怯えた彼女を見て我に返る。
身体を震わすほど露骨に怖がってはいなかったが、声が明らかに震えていた。
そうだ。
孤門は変身能力がないし、ヴィヴィオもまだ小さな少女だ。ダークプリキュアに対抗できるだけの力があるわけがない。
ガイアメモリを使ったのだって正当防衛なのに、「使うな」というのは「そのまま死ね」というのと同義であった。
「あっ、すまない。……それなら責める気はないんだ」
我に返った沖は、すぐに謝罪し、反省する。
(……何をやっているんだ、俺は。こんな目でこんな小さい子供を睨むなんて)
沖は知る由もないが、ヴィヴィオはそんな彼の姿に、
園咲霧彦の姿を重ねていたのかもしれない。……なぜならば、ヴィヴィオが以前、メモリを使った時にこのようにメモリの使用を厳しく叱ったのは霧彦であった。
沖の眼光以上に、霧彦を思い出したからこそ、ヴィヴィオは、声を震わせたのである。
もう少し柔らかい口調で沖は二人に訊いた。
「ダークプリキュアに襲撃されたのか? ……他のみんなは無事か?」
すると、目の前の二人は顔を見合わせた後、複雑そうな顔をした。
孤門たちにはどうやら、少し話しがたい事情があるようなのだ。
「……警察署にいたメンバーは、僕達以外全員……ダークプリキュアの襲撃を受ける前に出ていきました」
しかし、「やはり」と沖は思った。
もしかすると、彼はそれを纏めきれなかった責任を感じていて、わざわざ口に出すのが躊躇われたのかもしれない。
仮にそうだとしても、沖は責める気にはならなかった。
孤門としては、離別の引き金となったのがアインハルトである事を、まだ説明する気にはならなかった。
実際問題、あれだけ主催やマーダーと戦う戦力が集中していたというのに、全てが分散したのは孤門たちにとって惜しい話である。警察署にはダークプリキュアに対抗する戦力すらなくなり、おそらく殺し合いに乗った敵から逃れる方法自体がかなり限定されていた状況だった。
偶然にもパペティアーメモリが発見される……という事態がなければ、ヴィヴィオと孤門は死んでいた。その惨劇が起きたとしたなら、アインハルトや源太、あかねたちの行動は間接的な原因となる。当然、この殺し合いの主催者や襲撃者が悪いのだが、彼女たちの行動が極めて身勝手なものだったのは否定できないだろう。
ヴィヴィオの前でそれを責める流れへと誘導してしまう事実を話す事はできなかった。
「……そうか。とにかく、ガイアメモリを使ったのは仕方なかったかもしれない……。だが、できるだけそんなものは使わない方がいいに決まっているんだ。早急に変身を解いた方がいい」
孤門の隠し事は知らずに、沖は納得し、そう言う。
彼が怒りを集中させていたのは、元々その一点だけであった。
しかし、何故そこに怒りを持ったのかについては孤門にも疑問が残った。
「……あの。ガイアメモリについて詳しいみたいですけど、どこで知ったんですか?」
孤門はその疑問を、ストレートに沖に訊く。
変身を早急に解除するべきだとは言われたが、ダークプリキュアを操れなくなるならば、やはり変身を解除できないのだ。
「……実は俺にもそのガイアメモリという奴が支給されていたんだ」
沖一也の支給品の一つに────ガイアメモリというものがあったのである。
彼に支給されたガイアメモリには、絵を混ぜたようなフォントで「I」のマークが描かれていた。しかし、支給された彼自身もガイアメモリの説明書を読んだ時点で彼は使用を考えなかったし、誰かにこれが支給された事を教えるつもりもなかったので、デイパックの奥で眠らせたのである。
そのメモリは、T2の「アイスエイジメモリ」。アイスエイジ・ドーパントへと変身するためのものである。沖一也が変身する仮面ライダースーパー1にも冷熱ハンドがある以上、能力そのものも不必要なものだろう。
「……なんだ、そんなものがあるなら僕達にも言ってくれれば良かったのに」
「説明書を読めば、滅多な事では使用しないだろうと考えていた。……いや、それは俺にはスーパー1として戦える力があったからかもしれないな。だが、もう安心だ。これでダークプリキュアと戦う事ができる」
沖は、自分ならば目の前にいる黒い少女と戦う事ができると自負していた。チェックマシンによるメンテナンスも受けたので、ある程度は圧倒する事もできるだろう。疲労はあるが、そんなものはいつも吹き飛ばして戦ってきた。
「じゃあ孤門。ある程度距離を離してから変身を解いてくれ。今から俺がそいつを倒す」
「え?」
「説明書通りなら、長時間変身したり、複数回変身したりするたびに、ガイアメモリの使用者は精神に異常をきたす可能性が高い。なるべくすぐに変身を解かねばならないだろう。……大丈夫だ、ダークプリキュアにも出来る限りの説得はする。それが利かなかったら……」
彼女がまだ戦意を持っているのなら、それを倒さなければならない。ここには孤門がいて、ヴィヴィオがいる。そして、このゲームの参加者には、このまま野放しにされたダークプリキュアに殺される人間がいるかもしれないのだ。
孤門やヴィヴィオを襲った相手である彼女を、このまま何もせずに野放しにするわけにはいかないだろう。
(……すまない、いつきちゃん。ダークプリキュアはまだ人を襲っているんだ。……俺には、彼女を倒す事でしか被害を抑えられないかもしれない)
……ただ、沖にとって、少しばかり問題となるのは、いつきが語った“理想”の話である。
どうにも、ダークプリキュアと戦う時に頭に引っかかりそうな彼女の理想であった。──そう、彼女はダークプリキュアの心を救おうとしているのだ。
おそらくは説得という形によって、彼女の心を救おうと考えているのである。
ダークプリキュアも、突然出会った男の説得など受けられるはずもない。勿論、最低限の説得はしたいところだが、それが効果を成すのは、彼女と顔見知りのプリキュアたちだけだろう。
沖は、再び険しい眼光をダークプリキュアに向けた。ダークプリキュアは、糸で操られた人形のように生気のない目で、どこでもない場所を見ている。
今は安心かもしれないが、このままでいるだけで、彼女は孤門の精神に多大な迷惑をかけている。
なるべく早く対処しなければならない相手なのは確かだ。
「……変身!」
沖が構えを取ると、彼の身体は再び銀色の戦士のものへと変身した。
それを見たヴィヴィオとパペティアードーパントが互いの目を見て頷く。
ヴィヴィオは数メートル走って建物と建物の隙間の暗い影に隠れ、パペティアーもまた糸を伸ばしてヴィヴィオが隠れた場所に付き添った。
二人は、ダークプリキュアを極力退治したくはないと思っていたが、やはり放っておくわけにも、このまま操り人形にしておくわけにもいかないのは確かだと思ったのだ。
そして、沖を信じてそれを任せた。
△
ダークプリキュアを縛っていた糸が、パペティアーの合図とともにぷつりと切れる。
直後、パペティアードーパントは変身を解き、孤門一輝の姿へと戻る。その姿は既にダークプリキュアの視界の外にあった。
「……はっ!? なんだ、私は一体……」
ダークプリキュアは、奇妙で唐突な目覚めに困惑する。眠りからの覚醒というには、あまりにもはっきりとした意識だったが、それゆえに余計に混乱した。
意識が解放されるなり、目の前にいたのは見覚えのある敵。しかし、突然の出来事に何も考える事ができなかった。
名前は知らないが、とにかくかつて交戦した敵が目の前にいるという事実がある。
「……誰だ、お前は?」
だが、彼女は困惑していた呆けた表情を、一瞬で精悍なものへと変えた。ダークプリキュアは、目の前の怪人物を睨む。
誰だと問われたスーパー1は即座に答えた。
「仮面ライダースーパー1!!」
ダークプリキュアは、そういえばコイツはそんな名前だった事を思い出す。相手にこそしていなかったが、前にもこの仮面ライダーはそう名乗った覚えがある。見覚えも聞き覚えもあった。
仮面ライダー──それは広間にいた
本郷猛や
一文字隼人、ダークプリキュアが交戦したエターナルにも冠された名前でもあった。
しかし、ダークプリキュアはその名前に眉をしかめる。
仮面ライダーは、ダークプリキュアから
月影ゆりを奪った戦士、エターナルと同族。それはダークプリキュアにとっては、腹立たしい事実だった。
彼が無関係であれ、少し恨みの染みつく名前である。
「……なるほど。状況はわからんが、とにかく仮面ライダーか……。なら、お前は殺し合いに乗っているのか?」
「何を馬鹿な事を言っている。仮面ライダーは罪もない人を殺しはしない!」
「……フン。どうだかな。……まあいい。殺し合いに乗らないならば使いようも無い」
次の瞬間、ダークプリキュアが前に一歩出て、場の空気は変わった。
その瞬間から、ダークプリキュアと仮面ライダーとの熾烈な戦いの風が吹いた。
熱気があがり、二人の闘気に火が付いたのが、孤門やヴィヴィオからもわかった。
「ハァッ!」
ダークプリキュアの右の拳がスーパー1に向かって一直線に迫る。どこを狙ったのかはわからないが、顔ではない。胸か腹かそのあたりだろう。
しかし、それが到達する前にスーパー1は右手でそれを払う。大した力は加えず、力の流れを読んで、人間と大して違わない力でダークプリキュアの一撃を受け流していた。
「何っ!?」
あまりにもあっけなく自分の拳が弾かれたので、ダークプリキュアは驚愕する。
熱の籠ったダークプリキュアの一撃に比べ、スーパー1の防御は極めて冷静沈着なものであった。
柔よく剛を制すという言葉がある通り、強い力には強い力をぶつけるよりも、軽く受け流す方がかえって効果がある。
「破ッ!!」
そして、スーパー1はそんなダークプリキュアの脇腹に右足を叩き込んだ。右足が浮いてダークプリキュアの身体にぶち当たってから、再びその足が地面に戻されるまで僅か一秒にも満たない。長い脚と速さはダークプリキュアの視界からは見えなかったが、凄まじい一撃であっただろう。自分が蹴られた事さえわからないまま、身体が折れ曲がるような衝撃を感じ、ダークプリキュアの身体はその勢いに任せて飛ばされる。
その先にあったコンクリートの壁に叩きつけられ、轟音が鳴る。壁はダークプリキュアの身体で最初に当たった右肩のあたりを中心に亀裂が走り、歪な円の形に深く剥がれた。
壁に叩きつけられたダークプリキュアは自らも剥がれるに地面に落ちると、ふらふらと足をつく。
「……くっ。……なかなか強いな。流石は仮面ライダーだ」
「他の仮面ライダーに会ったのか?」
「それを教える必要はない!」
再び、ダークプリキュアが前に駆けだす。それはやはり、ヒトではありえないほどに速かった。あらゆるドグマ怪人やジンドグマ怪人でもこの速さで移動できないだろう。それは、華奢な少女とは思えないほどのスピードであった。
華奢な少女の姿をした敵に、スーパー1はジンドグマの幹部たちを思い出す。こういう姿の敵は、あまり戦いたくない相手ではあるが、人々に危害を加えるならば戦わないわけにはいかない。
「はぁぁぁっ!!」
ダークプリキュアはスーパー1の直前まで一瞬で距離を詰めると、スーパー1の右に跳んだ。その動作が、ダークプリキュアの姿をスーパー1の視界から外した。直後、一瞬反応が遅れたスーパー1に向けて、ダークプリキュアは真横からパンチを見舞った。
「でやぁっ!!」
「クッ……」
スーパー1の拳ほど圧倒的な威力はないものの、スーパー1はよろめいた。一般人ならば首が折れ曲がるくらいの威力は叩き込んだつもりだ。直前に身体も見事に捻っている。
しかし、スーパー1はその程度で倒れる相手ではないというのは察しがついているので、そこにダークプリキュアはすかさず膝を叩き込んだ。
そのまま、反撃不可能になったスーパー1に何度も何度もパンチやキックを高速で叩き込む。スーパー1の視界が一瞬麻痺するほどに揺れ動いた。
「……フンッ!」
スーパー1の身体は、その直後にダークプリキュアの放った衝撃波で数メートル吹き飛ばされ、丸くなって地面を転がる事になった。
アスファルトの地面を転がっていく彼の姿を憐れむ事もなく、次の行動に移った。
「ダークタクト!」
彼女の最大の武器となるダークタクトがその手に現れる。
転がって遠ざかっていく敵に、わざわざ歩いて近づく事もない。
ダークタクトを構えた彼女は、遠くにいる敵に狙いを定めながら叫ぶ。
「食らえ……ダークフォルテウェイブ!」
ダークタクトの先端に赤と黒の花弁のエネルギー弾が一瞬で出来上がり、次の瞬間にはスーパー1に向けて飛んでいく。
ダークプリキュアの必殺技の一つ、ダークフォルテウェイブだ。
ダークフォルテウェイブは真っ直ぐにスーパー1の身体へと進んでいった。
しかし、スーパー1もそれに対処すべく体勢を立て直す。
「チェンジ! エレキハンド!」
スーパー1はファイブハンドの一つ、エレキハンドを装着した。
「エレキ光線ッッ!!」
エレキハンドの先端から、3億ボルトの電流が生まれ、ダークフォルテウェイブの花弁に向けて電撃が向かっていく。まさか、今回はダグバのようにはならないだろうな……と危惧しつつも、敵の攻撃を回避する手段はこれしかないようだ。
その到達速度はまさしく光にも劣らない。ダークフォルテウェイブよりも速く、ダークプリキュアの方へと向かっていくが、双方がぶつかり合った中点で動きを止めた。
ダークフォルテウェイブのエネルギーと電撃エネルギーが拮抗を始めたのである。相殺されてはじける事もなく、二つの強大なエネルギーは、スーパー1の方に一度揺れ、また、ダークプリキュアの方に一度揺れる。
「はあああああああああっっ!!」
このまま押し切れるほどの力が出せるのはダークプリキュアの方だけだろうか。スーパー1のようにファイブハンドの機能ではないので、ダークタクトにパワーを注入して威力を上げれば、このまま押し切って敵のエネルギーを弾き飛ばす事ができる。しかし、現状では全力を持ってようやく持ちこたえられているような状態であるため、拮抗は止まない。
スーパー1も、少し劣性になって冷や汗を流しつつも、時に優勢になると力を込めた。威力が挙がるわけではないが、腕には力がこもる。
その強力なエネルギーのぶつかり合いは、存在しているだけでも双方に負担を与えた。
「「……ぐっ!!」」
二人が苦痛に顔を歪め、力を出し切るのを諦めかけた瞬間、二つのエネルギーは空中で爆発し、二人の身体が吹き飛んだ。
「「ぐああああっ!!」」
両者とも、背中を地面に激突させてバウンドする。
激しい光がヴィヴィオや孤門の視界まで奪い、直後に大きな爆発音と電撃の音が聞こえた。二人は周囲の煉瓦の溝に手を掴まっていたので吹き飛ばなかったものの、もし捕まらなければ尻餅くらいはついたかもしれない。
とにかく、周囲を弾き飛ばす程度の衝撃であった。
△
爆発後に妙な静寂を感じた孤門はすぐに建物の影から身を乗り出し、様子を見た。祭りの後のような不思議な余韻がある奇妙な静寂が残った。
一応、この距離にいた自分たちが平気という事は、彼らのような超人が死んではいないと思う。しかし、やはり二人の身が気がかりであった。
「……どうなったんだ? 一体」
と、呟いて見れば、目の前の焦げ臭い煙の中から、奇怪な影が立ち上がるのが見えた。
それは、靄がかかっていて、本当に影のようにしか見えなかったが、それでもおそらくダークプリキュアのものだろうと思えた。
位置関係から考えてもおそらくそうだし、巨大な翼以外にこの影を作る事はできそうにない。こちらに気づいているだろうか?
どうであれ、孤門は咄嗟に後退し、再び建物の影に隠れようとする。これだけ前に出れば、気づかれる可能性が出てしまうだろうと思ったのである。
……しかし、遅かった。
影は、すぐに孤門の声に気づいたようで、孤門の方に歩いて向かい始めた。
「そこにいるのは誰だ?」
そう言うのは────間違いなくダークプリキュアの声である。やはり、あの影はダークプリキュアだ。
孤門はヴィヴィオを庇うように頭を強引に掴んで自分の背中に寄せた。
仮にヴィヴィオの方が戦力があるとしても、ヴィヴィオを前に出すわけにはいかない。
「……その声は、誰かに似ているな。そう、ガイアメモリを使って私を出し抜いた誰かにな」
その声には並々ならぬ恨みが籠っているように感じた。
ダークプリキュアは、孤門が自分の意識を奪った事は知っていたが、やはりこの場にいたのだろうかと少し思っていた。それゆえ、妙に冷静だった。
孤門はその威圧感に再び危機を感じていた。
「くっ……」
「やはり、貴様らか……。やはり運命はお前たちを見放していたようだな」
靄の外から、ダークプリキュアの顔がはっきりと孤門の方に向けて現れた。
距離はほんの十メートルにさえ満たないほど近い。ダークプリキュアの目は笑っておらず、また怒ってもいなかった。憐れむ事もない。ただ、仮面をつけたかのような無表情で淡々とこちらに迫っていた。
以前、孤門に向けて放った言葉とほぼ同じ言葉をダークプリキュアは放った。
「……諦めろ。まあいい……ここまで来たからには、もう貴様らには痛みを受けさせない。あの世に行くのは一瞬だ」
ダークプリキュアは目の前の青年を殺害しようという意志を持って歩いていた。
スーパー1はおそらく死んだ……または意識がないだろうと思い、孤門に近づいていく。
そんなに早い歩調でもないが、彼女の歩行が恐ろしく早く感じられた。
「諦めちゃ駄目です! 孤門さん!」
孤門の後ろに強引に隠されていたヴィヴィオは、孤門の真横に出る。
無論、ダークプリキュアもヴィヴィオの事を覚えていた。孤門よりも遥かに強い少女だ。しかし、ダークプリキュアとは既に実力の差があった。
「……セイクリッド・ハート、セットアップ!」
高町ヴィヴィオの姿は、セイクリッド・ハートによって聖王形態──大人モードに変身する。既に何度目の変身だろうか。休む間もなく変身を繰り返しているので、当人はかなり魔力を消費して疲弊しているようだが、それでも変身しなければ戦えない。
しばらく休みがあればある程度回復するといえど、充分な休憩とはいえない出来事が多すぎた。
「……安らかな死よりも、戦いによる苦しい死を選ぶか。それならそれで望み通りにしてやる」
ダークプリキュアは、彼女の様子にもはや呆れたといった様子であった。戦いに勝ち残って願いを叶える意志もなく、また、死のうと言う気さえ感じられない。奇跡を起こすだけの力もない。そんな相手に、ダークプリキュアは興味を抱けなかった。
それでも、尚相手をしようというのなら、ダークプリキュアはそれで容赦しない。
何歩でも前に出て、その首を締め上げてやろうとしていた。
「────チェンジ冷熱ハンド! 冷凍ガス、発射!!」
と、次の瞬間、爆煙の中から不意にそんな声が聞こえ、ダークプリキュアは振り向いた。
ダークプリキュアの素足に向けて、孤門やヴィヴィオにまで伝わるほどの冷気が発射される。
その声の正体は見えないが、誰だかはすぐにわかった。
「何っ……!?」
ダークプリキュアは孤門たちがいる背後を振り向こうとしたが、足が凍って地面と固定されてしまい、上半身しか振り向けなかった。
目の前では、仮面ライダースーパー1が左腕を緑色の冷熱ハンドに変えて冷凍ガスを噴射しているではないか。やはり、彼は、死んだわけでも、気を失っていたわけでもないのである。
「……二人とも、すぐにこっちに来るんだ!」
ダークプリキュアの真正面にいるよりか安全な自分の方に、孤門とヴィヴィオを誘導する。ダークプリキュアの隣、一メートルにも満たない真横を恐る恐る通りながら、孤門とヴィヴィオはスーパー1の隣に並んだ。
ダークプリキュアの真横を通るのは恐ろしかったが、ダークプリキュア自体はスーパー1に気を取られており、彼女が危害を加える事はなかった。これで明確に助かったといえる状況になったのだ。
ダークプリキュアは遠距離攻撃や衝撃波を発する事もできるので、まだ安心とは言えないだろうが、位置関係としては、真後ろが建物の影となるダークプリキュアは逃げ場がなく、戦闘でも不自由になるので、賢ければこちらに突然攻撃をしないだろうと思った。
「さあ、ダークプリキュア。これでお前が身動きを取る事はできないぞ」
「おのれ……!」
あからさまに悔しそうにダークプリキュアは爪を噛んだ。上半身ばかりは動くが、このまま逆らったところですぐに反撃を受けるのは明白。
こうした細やかで無意味な動作以外ができなかった。
「……ダークプリキュア、何故そんなにしてまで戦うんだ? 君はいつきちゃん、いや、キュアサンシャインたちプリキュアの友達なんじゃないのか?」
「……友達? 馬鹿な。私が奴らと友達などという生ぬるい関係だと……?」
言いつつも、ダークプリキュアは少し動揺する。
かつて、キュアサンシャインと戦った時に、「ゆりとダークプリキュアは姉妹」という話を聞いた。あの話は、あの時は鼻で笑っていたのに、今ではダークプリキュアの中でもゆるぎない事実となっている。
もしや、それと同じで、将来的に自分は人間と同じように暮らし、彼女たちと共に生きているのではないかという恐怖が湧いていた。気味が悪くて鳥肌が立つのではない。……そこまで上手く行き過ぎている未来が、誰かによって奪われてしまったのではないかという恐怖だ。ダークプリキュア自身は現在、知りもしない未来を取り戻そうとしている。そのため、自分の主観と食い違う情報にこそ敏感になっていた。
「……いつきちゃんは、君の心を誰よりもわかっている。そして、必死で君を救おうとしているんだ。これを友達と呼ばなくて何と呼ぶ? 同じプリキュアの名前を持っている君ならば、みんなと分かり合えるはずだ。君には、誰よりも人間らしい心があるじゃないか」
当の沖は、いつきから聞いた話でそう考えただけである。実際にプリキュアとダークプリキュアが「友達」だった時間などどこにもない。
ダークプリキュアについてはいつきから聞いている。いつきが、高町なのは──そう、後にここにいる高町ヴィヴィオの母となる少女からその気持ちを継いで、今度こそダークプリキュアを救おうと懸命になっているのもよく知っている。
敵意がある限り戦わなければならないが、それでもできる限りの説得はしたかった。
彼女にある人間らしさについても、いつきから聞いていたのだ。
(彼女はドグマ怪人とは違う。……もしかすれば、やり直す事ができるかもしれない)
人間の心を取り戻しかけたはずなのに服従カプセルのせいで再びドグマによって利用され人を殺したメガール将軍──奥沢正人のようにはならないはずだ。人間の心を取り戻せば、その時から彼女は人間になれる。
彼女を救う事は、きっとドグマ怪人を救うよりも簡単な事であるはずなのだ。
問題となるのは、やはり沖は彼女に対して説得力のある言葉をかけられるほど彼女を知らないという事だろう。
「……人間らしい心だと? 私にそんなものがあると思うのか」
スーパー1の顔を見もせずに、ダークプリキュアは吐き捨てるように言った。
そして、背中の左側に生えた翼を大きく開いた。それは、彼女自身の手足のように動かす事ができるものである。
「ご覧のとおり、私は人間ではない。人間でない物に、人間らしい心など芽生えるはずがないからな」
そもそも、人間らしい心とは何なのか。人間でないダークプリキュアにそれがわかるはずもない。彼らに「鳥らしい心」や「人造人間らしい心」などがわからないのと同じに、彼女も「人間らしい心」などわからないのである。
かなり曖昧で大雑把な言葉に、ダークプリキュアは真面目に考える事さえ放棄した。考えたところで答えの出る問題ではない。
ここに来てから、妙に考える事も増えた。そのほとんどが答えの出ないもやもやする問題である。自分とは何か。家族とは何か。友達とは何か。人間らしい心とは何か。……曖昧な言葉ばかりが耳に入り、その意味を考えてもはっきりとした答えは出ない。
しかし、何となくわかったものもある。それは、自分、家族や群れはどんな動物にも存在するものだからだ。人間らしい心は、人間にしかわからない。それを得たとしても、自分が人間らしい心を持ったと自覚する事はないだろう。
「……人間らしい心は、人間にだけ宿るものじゃないんだ。人間にだって人間らしい心を忘れてしまう人がいる。でも、君は父を愛する素晴らしい心があった。それを忘れず持ち続けられるとしたら、それはとても素晴らしい事じゃないか」
スーパー1はそれを諭した。
世の中には欲望や憎しみに捕らわれて人らしい心でなくなってしまう人がたくさんいる。
それなのに、彼女のように特殊に生まれた人造人間が、まるで人間のように自分を作った親を愛し、その愛を求めるのなら、それは人間らしい心を持った素晴らしい命だと言えるだろう。
いつきによると、彼女を縛りつけているのはおそらく、父に愛されないコンプレックスだという。……しかし、人の一生は父に愛されるだけが全てではない。
友達を愛し、人を愛し、たくさんの人を愛し、愛されるのが人らしい生き方のはずだ。
「フンッ……」
彼の言葉が抽象的にしか感じないダークプリキュアは、何も言えなかった。少しでも論理性があるのなら返す言葉はあったが、曖昧模糊な言葉には返せない。
沖が科学者である以前に人間だったから、こうした説得をしたのだろう。
「沖さん、ダークプリキュアって一体……」
話についていけなくなったものの、口を挟むタイミングがなかった孤門は、小声でスーパー1にそう訊いた。
人間ではないのは確かに一目見てわかるが、沖がここまで彼女の境遇に詳しいのなら、もう一度詳しい事も聞いてみようと思ったのだ。
少なくとも、今の会話ではダークプリキュアの境遇について詳しい事や、彼女が人間ではない何かである事がわかるはずである。
「ダークプリキュアは、この殺し合いに巻き込まれた一人である月影ゆりの父が作った月影ゆりのクローンなんだ。……元々は、彼女を敵視して付け狙っていたが、月影博士がダークプリキュアへの愛を認めた時、二人は姉妹となった……」
詳しい話はしなかった。
砂漠の使徒の話も、月影博士の境遇も、月影ゆりが何者なのかも、そこまで詳しい話をする必要はない。
その話に孤門は驚いたが、さほど凄まじい技術であるとは思わなかった。実際、TLTの施設や、孤門が知らなかった数多の技術を考えれば、そう珍しがる事でもない。
孤門がその話から想像したのは、千樹憐や「プロメテの子」たちだった。クローンとはまた違うかもしれないが、彼の生きる世界で実用化されている技術だと、最も近いのは優秀な遺伝子を組み合わせて天才児を作り出すプロメテウス・プロジェクトの計画が近いだろう。彼の想像は、それの発展系のようなものだった。
「……私と……それに、フェイトママと同じだ」
そんなダークプリキュアの境遇に誰よりも驚いたのは、高町ヴィヴィオだった。
何せ、高町ヴィヴィオも、聖王オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの遺伝子から作られたクローン兵器だったのだから……。
ヴィヴィオより、もっと近いのはフェイト・T・ハラオウンという、彼女の母だろう。
高町なのはという少女もまた、今のヴィヴィオと同じく、フェイトをダークプリキュアと重ねたのだから因果なものである。
「ヴィヴィオちゃん……? 同じって……」
孤門も、ヴィヴィオからそんな話は聞いていない。沖も同じくきょとんとしていた。二人ともヴィヴィオは普通の人間だと思っていたのだ。
しかし、そんな呆けている二人を置いて、ヴィヴィオはダークプリキュアのもとへと近づいた。スーパー1の横で話を聞くだけではなく、目と目を見て話さなければ伝わらないと思ったのだ。
「ヴィヴィオちゃん!」
「……止めないでください。私は少しでもこの人と話さなきゃならないんです」
ヴィヴィオはダークプリキュアの前に立つと、その目を見た。
ダークプリキュアは微かに睨むように、ヴィヴィオを凝視した。
真剣に目と目が交わされ合う。ヴィヴィオは、何を考えているかわからないダークプリキュアの瞳に圧されそうになったが、堪えて自分の気持ちを伝える事にした。
これまで、ダークプリキュアについてちゃんと考えなかったかもしれない。
それでも、ダークプリキュアは自分に近い存在だった。……それを聞いたとき、ヴィヴィオは何かを感じたのだ。
ダークプリキュアは、自分自身であり、フェイトなのだ。大丈夫、自分は良い子だし、フェイトは良い母だ。それなら、ダークプリキュアも同じように優しくなれるかもしれない。
「……ダークプリキュアさん、そもそも……あなたは一体、なんで戦うんですか……? 本当に自分のためなんですか?」
ダークプリキュアの目が動いた気がした。より眼光は鋭くなる。
しかし、そんな様子を察する事が出来ても、ヴィヴィオにダークプリキュアが戦う理由なんてわからなかった。
「貴様らには関係のない話だ」
「……もしかして、あなたが戦うのは、加頭さんが言ったように……願いを叶えるためなんじゃないですか? ……だって、月影ゆりっていう人は……もう」
そう、ダークプリキュアの姉である月影ゆりは二回目の放送で呼ばれた名前だった。
加頭順曰く、優勝者には願いを叶える権利が与えられる。その中には、誰かを生き返らせる事も可能だという注意もあったはずだ。もしそんな事ができるならば、彼女がダークプリキュアを生き返らせる事を望むかもしれない。
しかし、そんな孤門の推測は、スーパー1によって否定される。
「それは違う。俺達が彼女に襲われたのは、
第一回放送より前だ」
ヴィヴィオの考えには矛盾がある。沖やいつき、アインハルトがダークプリキュアの襲撃に遭ったのは、月影ゆりが死亡した第一回放送後よりも前の話である。少なくともこの頃には殺し合いに乗っていたはずだ。やや短絡的な孤門は、一度答えを出してしまうと、その矛盾を少し考えずに口に出してしまう事がある。
しかし、ヴィヴィオは、微かにだがダークプリキュアが動揺したのを見逃さなかった。
「いえ……いま私が言った事、たぶん間違ってはいないと思います」
それでも、そんな理屈に負けないほど、ヴィヴィオは自分の推測に確固たる自信を持っていた。
「……ダークプリキュアさん。月影ゆりさんの話が出ると、あなたは何故か悲しそうだし、今、少しだけ動揺したでしょう?」
いくら将来的に蘇らせると誓ったからといって、ゆりが目の前で死んだ姿はダークプリキュアの中にトラウマとして残っていた。
月影ゆりの名前を聞くと、そのヴィジョンが何度でも蘇る。
きっと、キュアブロッサムとの戦いの時、情を捨てきれなくなったのはそうした心理が原因だっただろう。
ゆりの名前を出された時、ダークプリキュアは少しだけ弱くなる。
「……フン。勝手にそう思い込めばいい」
と、ダークプリキュアが強がるが、そんな短い言葉で否定しきれるものではなかった。
明らかに顔を逸らし、何もない筈の地面を哀しげに見つめていたその姿は、いかにもそれが図星であるのを示していた。──厳密には、少し違ってはいるものの、おおよそ事実に近い推測であった。
「……そうか。今のダークプリキュアにとって、たとえ敵であっても月影ゆりは大切な人だったんだな」
スーパー1は、ヴィヴィオの主張を認め、言った。
そうだ。彼女が自分の存在をサバーク博士に認めさせるには、他の誰でもない自分自身で決着をつけなければならないのだ。ならば、月影ゆりは、ダークプリキュアの存在とアイデンティティを証明するために必要不可欠な人である。
彼女の障害となるものは全て排除しなければならないし、自分の手で決着をつけなければならない。そのために殺し合いに乗り、今はゆりを蘇らせるために手を汚すというのも理解できる。
つまり、────彼女は、自分のコピー元であるゆりを自分の手で倒さなければ生きた意味がなくなってしまうのだ。
彼女が月影ゆりと姉妹となった事など、沖は知る由もない。
「……ダークプリキュア。信じてくれないかもしれないけど、もし、本当にそうなら……僕にだって、その気持ちはわかる」
孤門はダークプリキュアに向けて言った。ヴィヴィオとスーパー1も孤門の方を見た。
彼はかつて、恋人・斎田リコとその家族を無残に殺された過去があった。彼女が蘇るというのなら、そのために何を犠牲にする事ができただろう。そう思えるほどに──それだけ彼は傷ついた。それだけ彼は誰かを憎んだ。それだけ彼は冷徹になれた。
人を助けたいという意志さえ歪むほどに、孤門は悪になる可能性を孕んでいたのである。
「……僕だって、恋人のリコが死んだ時は悲しかったし、この世界を恨んだ……。でも、どんなに頑張っても、死んだ人間は生き返らない。もし生き返るんだとしても、その命は本物じゃない。それに、そのために誰かを犠牲にするのは、死んだ人間への最大の冒涜なんだ」
レスキュー隊として、誰かを救い続けた孤門は、命が在るに越した事はないと思っていた。災害で奪われる命も、ビーストに奪われる命も、もうたくさんだと思っていた。
もし、万が一にでも命が蘇るのなら、それは延命措置という意味では正しいかもしれないが、それでも、やはり加頭のいう蘇生はまた違う事であると思えた。他人の命を犠牲に誰かの命を得ようと言う時点で、命の価値というものに諦観した姿勢を持っているように見えてならないのだ。
結果的に、人が生き返るのが素敵な事か、それとも非人道的な事なのかはわからない。
しかし、仮にどうであっても、そのために命を奪う事だけは肯定してはならない。
「……そうか、孤門。君も苦しみと悲しみを乗り越えた戦士なんだな」
沖は、孤門の内面を詳しく知るほど長い間、彼と一緒にいたわけではない。
だが、今この瞬間、孤門が語った言葉は、重かった。それは、誰かを失った者にしかわからない言葉の重さだった。
「それならば俺も同じだ。俺たち、仮面ライダーも君たちと同じ哀しみや苦しみを持っている。……みんな一度は復讐に燃え、自分にばかり悲惨な運命を与える世界を恨んだ戦士たちだ」
沖一也は、自分の人生の中での幾つもの悲劇を忘れない。
幼い頃失った両親も、ドグマに殺された国際宇宙開発研究所の家族たちも、ドグマに改造された大学時代の親友も、ドグマに殺された赤心寺の師匠や兄弟子たちも、メガール将軍の事も……。
幾つもの哀しみや苦しみを齎してきた悪や不運の存在を、絶対に忘れないだろう。両親は仕方がないとしても、他のたくさんの命は悪の存在によって理不尽に奪われた。
仮面ライダーたちが持つ幾つもの哀しみや苦しみ。
誰もが一度は憎しみや恨みに任せて敵と戦った事だろう。
しかし──
「だが、今の俺たちは、ただ俺たちの力が必要とされる限り、愛する世界の人々のために戦い続けるだけだ。……そう、そこに住む、力無き人々のために、理不尽に奪われる命のために」
彼らは既に復讐鬼ではない。
そうなれたのはきっと、谷モーターショップの仲間たちのような家族たちがいて、それを守るために戦いたいと思えたからだ。
悪に生まれたダークプリキュアには、もとよりそんな存在はいない。
「ダークプリキュアさん、あなたにとって……そうして誰かのために他の人の命を奪う事は正しい事なんですか? たとえ誰かを失ったとしても、もうそれと同じ悲劇を繰り返さないために、たくさんの命を助ける事だってできます」
ヴィヴィオは、彼らの言葉に訴える。
「……名簿に、
フェイト・テスタロッサという名前があります。私のお母さんの昔の名前です。そして、フェイトママは、人造人間の作成と死者蘇生を求める研究『プロジェクトF』で生まれた人造人間です。
アリシア・テスタロッサという人が娘のアリシアさんを喪って……アリシアさんを似せて作ったクローンです」
「……」
「……フェイトママは、最初はプレシアさんのために献身し、ジュエルシードという危険な宝石を捜していました。それを探す私のもう一人のママ──高町なのはと、何度も対立したと聞きます」
「……」
「でも、最後はお母さんの間違いに気づいて、たくさんの命を助けるために戦いました。そして、今では私が大好きなママなんです」
ダークプリキュアは、放送を思い出す。
フェイト・テスタロッサも、高町なのはも、そこで呼ばれた名前だった。
彼女もまた、家族を二人も失ったらしい。ダークプリキュアと同じだった。家族を失う哀しみというのを、ダークプリキュアはよく知っていたので、彼女には少しばかり同情する。
「……それに、私も古代ベルカを統治していた『オリヴィエ』という人のクローンなんです。でも、私は……私自身も、フェイトママも、普通に生まれたなのはママも、立派な人間の家族だと思っています」
「……だからどうした」
「たとえ、人間じゃなくても、それだけ優しくなれるはずです。だから、あなたも、私の家族になってほしいんです。一緒に……みんなのために戦って」
しかし、ヴィヴィオがその先の言葉を言う前に、ダークプリキュアは彼女の言葉を遮った。
「他人のために何かをする事自体が、無意味だ。……私は、私のために戦っているにすぎない。……それに、私の家族はサバーク博士と月影ゆりだけで……充分だ」
彼女はヴィヴィオから目を逸らし、虚空を見上げた。太陽はビルの陰から半分だけ顔を覗かせ、ダークプリキュアたちに向けて巨大な影を作っている。
サバーク博士、またの名を月影博士……そう、今どこにいるかはわからない──ゆりのいた時間では生きてすらいない──ダークプリキュアの父。
ダークプリキュアは唯一、彼のためにならば戦えた。その忠誠や献身は、ダークプリキュアにとって唯一の生きがいだった。キュアムーンライトを倒すのも元々は彼の命令だ。
今は、もう一つの生きがいがあるが……それはもう、誰にも話すまい。
そうした自分自身の忠誠と、彼らや彼女の自分の信念への献身は、少しばかり似通っているように思えた。
ダークプリキュアの気持ちは、この広い世界のごく一部にしか向いていない。彼らは、ただ広い世界の大部分を愛しているのだ。……それは、普通に生まれ、普通に生活し、確かな優しさに触れた人間ならば、殆どの人間に、ほぼ確実に芽生える心であったが、ダークプリキュアはそんな事を知らない。
そんな共通性を感じると、やはり少し躊躇が生まれる。
足元は少しばかり緩んできた。
足元を縛る氷は、たんだんと液体へと変わっているようだった。
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最終更新:2013年09月10日 00:56