第二次モスクワ内戦


第二次モスクワ内戦
2nd Moscow Civil War
  目次
  1.概要
  2.戦争の背景
  3.開戦
  4.開戦後の推移
  5.終戦
  6.影響

  概要
imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (NO_IMAGE.png)
戦争: 第二次モスクワ内戦
年月日: 200年3月21日 - 200年7月30日
場所: 旧モスクワ帝国領(ロシア西部・エストニア・ラトビア)
結果: 新政府の勝利、旧モスクワ帝国領の統一。旧政府軍・東欧連邦は亡命し現地に亡命政府を樹立。
交戦勢力
新政府側 人民連合
モスクワ第二共和国
東欧連邦
西アフリカ合州国
サーレマー独立国
ドイツ国
新ソ連
大中華
大エンダー社会主義共和国
アークランド軍事統制国
村評議会
スカーレット王国
旧政府軍側
モスクワ国防臨時軍事委員会
エクスノール民主主義共和国(現地防共協定独立軍)
第二次モスクワ内戦は、東方戦争により樹立された民主的な新政府に対し、旧政府が反乱を起こしたことをきっかけとする、モスクワ第二共和国で行われた内戦である。最初は小規模な軍事衝突にとどまっていたが、複数国家が直接・間接的に介入したことにより大規模な戦闘に発展した。ハリコフ危機東方戦争と本戦争を関連づけて三年戦争とも呼称される。「モスクワ内戦」と言われれば多くはこちらのことを指す。

  戦争の背景
東方戦争以後、モスクワ共和国ではルドルフ・ヨーゼフ率いる政府が求心力を急速に失っていった。そのことは第二帝国体制の崩壊を意味することをわかっていたルドルフ政権の首脳部は、自身や家族の保身に気を配らせつつも、地下に潜伏するための根回しを行なっていた。結果としてルドルフ政権、もとい第二帝国体制政府は崩壊し第二共和国または第二共和制と呼ばれる民主的な政府がモスクワで成立した。しかし民主主義・中立外交・平和主義を掲げるこの政府はルドルフ政権、第二帝国体制下の長い時期莫大な権力を握っていた軍部からの支持を得られず、また軍部にはルドルフ・ヨーゼフ、もとい第二帝国体制を支持する者も未だ多かった。そのため、第二共和制が成立すると軍は早速内部分裂し始めた。ルドルフ政権、第二帝国体制を支持する旧政府派、軍は政府に従うべきだとする新政府派で真っ二つに割れ、結果として軍部の約5割が新政府から離脱、旧政府首脳部と合流した。また、東方戦争でアークランド国境付近の州が分離独立すると、モスクワ共和国内で民族自決の思想が広がり、特に独立志向・分離主義思想のサーレマー自治区(エストニア諸島)での影響は著しかった。同地域では独立運動がさらに激化するなどの事象をも引き起こし、モスクワ新政府の内政の不安定さを加速させた。
開戦直後の勢力図。
濃い赤:東欧連邦・サーレマー独立国(人民連合)
濃い緑:モスクワ共和国
濃い紫:旧政府軍
赤:人民連合支援国
緑:モスクワ共和国支援国
紫:旧政府軍支援国

  開戦
旧政府首脳部と合流した旧政府派軍は早速政権奪還のためのクーデターの計画を立て始めた。一方エストニア諸島でもモスクワと対立関係にある東欧連邦が現地の自治政府と接触し、両者の距離は縮まっていった。サーレマー自治政府のアルベルト・フォン・ハイマー総督と東欧連邦政府ルトフ・ツネヴェリン最高指導官はわずか2ヶ月ほどで少なくとも5回会談を行なっており、この会談の内、3回目か4回目にモスクワとの開戦を決断したとされる。また、この会談のどこかで秘密裏にサーレマー"独立国"と東欧連邦間での国交や貿易協定の締結、さらには同盟締結が行われ、さらに東欧連邦がサーレマー独立国の独立保障を行なったとされる。また、クーデターの計画をまとめた旧政府軍は3月21日をクーデターの決行日と決めた。そして現地時間3月21日午前3:00、旧政府軍はモスクワ国防臨時軍事委員会を結成とクーデターを宣言した。これを独立の好機と見たサーレマー自治政府は東欧連邦との話し合いの上、現地時間午前9:00にサーレマー自治区の独立を宣言、サーレマー独立国の建国を宣言した。現地時間10:00にモスクワ新政府は独立を承認せず、戦争状態に入った。この15分後には旧政府も独立を承認しない旨の声明を出した。モスクワとサーレマーが戦争状態に入った事を確認した東欧連邦は現地時間10:30に人民連合の結成を宣言、サーレマー独立国との国交や貿易協定の締結発表と共に同盟を締結した旨や独立保障を行なったことを発表し、モスクワ新政府・旧政府両者に対し宣戦を布告した。
クーデターを宣言するルドルフ・ヨーゼフと護衛の兵。

  開戦後の推移
   諸外国の介入の開始
内戦が始まると、それぞれの勢力と関わりを持つ国家が内戦への介入を公言したり、秘密裏にするなどの違いはあったが開始した。最終的には新政府側にはスカーレット王国・ドイツ国・大中華・アークランド軍事統制国・西アフリカ合州国が、人民連合には新ソ連・大エンダー社会主義共和国・村評議会が、モスクワ国防臨時軍事委員会(以後、旧政府軍と呼称)にはエクスノール民主主義共和国軍がそれぞれ介入した。
   旧政府軍の攻勢
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
開戦から程なくして旧政府軍は新政府側への攻勢を開始した。旧政府軍は東方戦争で得られた戦訓を元に戦車・AMUを活用した電撃戦を行った。旧政府軍は勢いを失わないうちに新政府首都モスクワ市の陥落を狙い、第一目標と定めた。開戦から僅か16時間にはモスクワ市に到達し、現地を防衛する新政府軍と旧政府軍の間で大規模な戦闘が発生した。俗に言う「モスクワの戦い」であり、最初は電撃戦で勢いづいていた旧政府軍が優勢であったが、新政府側が西アフリカ合州国から購入したAQ-3を運用すると、見慣れない兵器に戸惑った旧政府軍は一時的であったとはいえ指揮統制が乱れ、この隙に少なからず損害を受けた。また、アークランド軍が到着・参戦したこともあり、損害は増え、旧政府軍の主力部隊は壊滅の危機に瀕した。が、エクスノール軍の想像以上の善戦により旧政府軍は包囲される前に脱出に成功し、大きな損害は受けつつも継戦能力を維持した。モスクワ市の攻略に失敗した旧政府軍は、軍を再編し、今度は南部の2州の陥落を目指し、軍を派遣した。南部の2州は工業地帯であったため入り組んでおり、地形を熟知している新政府軍・旧政府軍以外の外国の勢力・外国の派遣軍は本来の力を発揮できなかった。AQ-3も工業地帯を破壊するわけにはいかずあまり使用できなかったため、モスクワの戦いのような新政府側の圧勝にはならず、旧政府軍も本領を発揮できなかったため、スカーレット王国による航空支援などが功を制して新政府側の勝利に終わった。この戦闘はかなり小規模な者であったため、両勢力共この戦いでの死傷者数はかなり少ない。モスクワ・南部2州の攻略に失敗した旧政府軍は後世の限界が近く、北部2州への攻勢を最終攻勢と位置付けて侵攻を開始した。が、この戦いでも旧政府軍は目立った戦果を上げることができず、またアークランド軍も善戦したため、旧政府が大きな損害を出しこの戦いは終わった。旧政府側はこの攻勢で総戦力の約4割を失った。
旧政府軍の侵攻を表す図。水色が新政府、赤色が旧政府。
   リャザン空襲・リペツク空襲
新政府の反撃に先立ち、アークランド軍事統制国は旧政府軍領リャザン・リペツクへの戦略爆撃を実施した。旧政府側はアークランドの戦略爆撃を実行の直前まで感知しておらず、対応は完全に後手に回った。戦略爆撃が始まってから5分後には旧政府側の戦闘機数機がアークランドの戦略爆撃を止めるために発進したが、ほとんど何もできず、ただ爆撃されている様子を見るだけとなってしまった。このリャザン空襲・リペツク空襲により旧政府軍のいくつかの基地などが大破。旧政府側の継戦能力をある程度削いだ。またアークランド軍が精密爆撃を実施したこともあり、民間人にほとんど被害は出なかった。
   新政府の反転攻勢
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
旧政府軍の攻勢を耐え切った新政府は反転攻勢に出ることを決意した。新政府軍は旧政府軍と比べ兵の数・練度では劣っていたものの、外国製兵器や外国軍の援助・加勢により旧政府軍を上回る戦力となっていた。それらもあり、新政府軍は最初に攻勢に出られるかの偵察等も兼ねて旧政府軍が支配する南部3州へ侵攻した。旧政府軍は最初は善戦したが、AQ-3数発が旧政府軍側の現地司令部に命中し、現地司令部は壊滅、現地司令官も多数死傷し、指揮系統は混乱した。それらの事象も合わさり、新政府軍は南部3州を奪還。旧政府軍臨時首都の陥落を目指し首都近郊の2州へ侵攻をかけた。旧政府軍側は指揮も高く、善戦したが、スカーレット王国の航空支援により、多数の死傷者が出たため撤退し、勢いに乗る新政府軍はついに臨時首都へ侵攻した。またアークランド軍は本土から軍を動かし、東方戦争で独立した緩衝国を経由して旧政府の背後を突いた。旧政府軍に二正面作戦をできる戦力はすでになく、旧政府軍上層部は首都決戦を志向しほぼ全軍を首都へ集合させた。こうして始まった旧政府の首都めぐる攻防戦は、旧政府軍はこの戦いでも善戦したが、数で上回る新政府軍には勝てす、旧政府軍首都は陥落した。が、旧政府首脳、旧政府軍・エクスノール軍の生き残りはすでに首都から脱走しており、降伏文書に署名したのは首都防衛軍の生き残りで最も階級の高かったメルケル・ハイマー伍長であった。なお、旧政府首脳、旧政府軍・エクスノール軍の生き残りの行方は旧政府軍と新政府との戦闘停止後もしばらく判明していなかったが、彼らの存在は後にモスクワ国内に大きな驚きを持ってしられることになる。
新政府の反転攻勢とアークランド軍の進路を表した図
   人民連合の攻勢
imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (NO_IMAGE.png)
新政府が旧政府軍に勝利しつつも、疲労しているのを好機とみた人民連合は新政府に対して攻勢を開始した。最初はプスコフ州で戦闘が発生した。新政府軍は迎撃に出たが、旧政府との戦いが終わってばかりの新政府は未だ立て直しができておらず、スカーレット王国軍や大中華の派遣したPMCなどの外国軍もかなり苦戦、さらには大エンダー・新ソ連が善戦したこともありプスコフ州は陥落した。プスコフ州という要衝を獲得した人民連合は拠点建設に勤しむと共に、新政府へさらなる攻勢にでた。新政府首都モスクワの陥落を目指しプスコフ州に隣接するモスクワ近郊の3州へ大規模侵攻を実施した。が、この侵攻はスカーレット王国軍の善戦やAQ-3がまたもや想像以上の戦果を叩き出したことにより失敗、攻勢限界を悟った人民連合軍はこれ以上の構成を諦め、プスコフ州の守りを固めた。
○○の戦いの写真の説明です。
   オストラント上陸作戦
imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (NO_IMAGE.png)
新政府軍は要衝プスコフ州の奪還を目指し軍を進めたが、人民連合軍の抵抗に阻まれ撃退され、内戦は膠着と泥沼化の兆候を示していた。戦局の停滞を打破すべく、新政府軍はドイツ帝国軍事顧問団の立案による大規模奇襲上陸計画――𝔘𝔫𝔱𝔢𝔯𝔫𝔢𝔥𝔪𝔢𝔫 𝔗𝔦𝔢𝔣𝔰𝔢𝔢𝔫𝔤𝔢𝔩 𝔒𝔰𝔩𝔞𝔫𝔡 𝔏𝔞𝔫𝔡𝔲𝔫𝔤「深海の天使・オスラント上陸作戦」を発動した。作戦の骨子は、バルト海沿岸への潜水艦部隊による隠密上陸であった。総計120隻の潜水艦と、揚陸能力を備えた大型輸送潜水艦20隻が動員され、5個師団・計約8万名の兵力が密かに搬送された。これにより新政府軍は人民連合軍戦線の背後を突くことを意図した。同時に、新政府軍は複数の秘密作戦行動を組み合わせて成功の条件を整えた。まず、ドイツ国が提供する「ザテリートシステム衛星」による地上・沿岸偵察が実施され、敵兵力配置と哨戒拠点の正確な把握が可能となった。さらに潜水艦部隊は対レーダー攻撃を敢行し、沿岸監視網や探知装置を一時的に無力化、敵の警戒態勢を著しく鈍らせた。また、囮として旧式の水雷艇・駆逐艦による1個分艦隊がバルト海に展開され、東欧連邦の対潜哨戒を強制的に分散させた。これにより正面からの潜水艦接近は一層容易となった。さらにバルト二国沿岸の海底からは、対電波妨害・対探知網を対象とした広域的な「目潰し攻撃」が行われ、人民連合軍の情報収集・指揮系統は断片化し、バルト海の局地的情報優勢は新政府軍に帰した。この一連の措置は、単なる上陸作戦ではなく、情報戦・電子戦・海上攪乱を統合した複合作戦であり、人民連合軍の後方に対する大規模揚陸を成功へと導く決定的要因となった。結果として人民連合軍は新政府軍に対し大敗を喫し、戦線を整理しつつ東欧連邦の首都タリンへ退却を余儀なくされたのである。
   タリンの戦い
imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (NO_IMAGE.png)
オストラント上陸作戦でタリンまで後退した人民連合軍を撃破し、内戦に終止符を打とうとした新政府軍はタリンへの侵攻を「最終決戦」と位置付け、東欧連邦首都タリンへと侵攻した。タリンでの攻防戦は最初は地理的情報をよく知る人民連合軍が侵攻してくる新政府軍を確固撃破していき、圧倒的優勢に立っていた。しかしながらAQ-3をはじめとした外国産兵器の予想以上の戦果、ドイツ軍の奮戦などもあり数・質共に新政府軍に劣る人民連合軍は次第に苦戦し始めた。人民連合軍はプスコフに展開している主力部隊をタリンに呼び戻し選挙区の好転を図ったが、プスコフの人民連合軍もタリン同様苦戦を強いられており、かろうじて抽出できた部隊は背後をつかれ壊滅した。それでも善戦したが、統一歴200年7月29日にタリン中心部を新政府側についたアークランド軍が占領、継戦能力を完全に失った東欧連邦はオストラント上陸作戦の時点で降伏していたサーレマー独立国と共に人民連合名義、東欧連邦名義で降伏した。なお、東欧連邦の要人は新ソ連へ亡命しており、降伏文書は最後まで抵抗した東欧連邦陸軍第3歩兵師団長ウラジミール・エリツィイン中将が署名した。脱出に成功した一部の軍と要人は新ソ連に亡命政府を樹立している。
○○の戦いの写真の説明です。

  終戦
人民連合の降伏後、新政府は内戦の終結と勝利を宣言した。このことにより4ヶ月に渡って行われた第二次モスクワ内戦は終結した。
新政府、もといモスクワ共和国の国旗。

  戦後
内戦の終結からわずか2日後、エクスノール共和国内のバンクーバー軍政国内にモスクワ旧政府軍の要人及び生き残りがモスクワ第二帝国亡命政府を樹立していたことが明らかになった。このことに対しモスクワ共和国国民・政府は大きな驚きで迎えた。モスクワ共和国内では死亡したとしている説が有望だったこともあり、一部の国民は「内戦はまだ終わっていない」とも評した。しかしながら亡命政府は新政府と比べ圧倒的な軍事力(ほとんどが内戦で旧政府軍側についた艦艇)を有してこそいれども、モスクワ本土からは大きく離れており、そこまで脅威とはされなかった。
亡命政府の国旗。第一帝国時代の国旗を踏襲したデザインとなっている。なお、クーデター軍も同じ旗を使っている。

  影響
imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (NO_IMAGE.png)
この内戦は東方戦争で受けた被害からの復興途中であった国土をさらに荒らさせ、モスクワ共和国経済に多少なりとも影響を与えた。しかしながらこの内戦の勝利によりエストニア・ラトビアがモスクワに帰ってきたのは経済のさらなる押し上げにつながった。また、モスクワでの民主政府の安定はほぼ確実となった。しかしながら亡命政府二つの存在はモスクワの不安定要素として残ることとなった。
影響の写真の説明です。




コメント

名前:
コメント:

最終更新:2025年08月21日 23:30