淡く 身辺で行き交う
あきつ震えてる わらしべの空
背丈ほどある稲かき分け
待ち合わせて
二人だけの場所さ
ゆらゆら
照れ笑う二人なでる
金の散るは
ひゅうるり ひゅるり
風とかけっこさ
愛して
愛されて
明日見え隠れ
からたちの棘
指切り あをあを
両手でげんまん
きれいなお花が咲くころ
「お迎えにいくさ」
「ずっとまってる」
愛して
愛されて
光見え隠れ
枯るるもの
また 青むもの
日のしずけさを待ち
踊ってる
果てで思いをり
淡く身近で飛び交っている
とんぼが震えている 藁のなかから覗く空で
背丈ほどある稲かき分け
待ち合わせて
二人だけの場所さ
ゆらゆら
照れ笑う二人をなでる
金色の稲穂が散っているよ
ひゅうるり ひゅるり
風とかけっこさ
愛して
愛されて
明日見え隠れ
からたちの棘で指を切ってしまい
心配して掴んだ両手で そのまま指切りげんまん
からたちの草はまだ青々しい
このからたちがきれいなお花を咲かせるころ
男の子が言う「お迎えにいくさ」
女の子が言う「ずっとまってる」
愛して
愛されて
光見え隠れ
枯れるもの
また 青むもの
日のしずけさを待ち
踊ってる
彼方で思いながら待っている
【解釈】
■あきつ……トンボのこと。日本島のことを昔は秋津(あきつ)島と呼んだというのは、はけっこう有名な話。
■わらしべ……藁の芯の部分。「藁稭」と記す。「稭」を検索してみると、中日辞書で「脱穀した後の作物の茎」とあったことから、おそらく脱穀した稲(米)の残りの使わない部分だと思われる。物々交換で高価なものを手に入れた「わらしべ長者」はかなり有名で、ゲームなどのサブイベントで使われることもある。SFC(スーファミ)の「がんばれゴエモン3~獅子重禄兵衛のからくり卍固め~」ではわらしべイベントというものがあり(当時の子供には、わらしべという言葉はやはり馴染みがなく、「わらしべイベント」という言葉をどこで区切るのかわからず、「わらし」「べイベ」「ント」と区切った子供も少なくないはず。決して俺のことではないが)、またPS2の「龍が如く2」でも「わらしべ伝説」という一連のサブイベントがある。
■金……稲穂のことかと思われる。特に「金(キン)」という言葉にそういう意味があるわけではないが、稲穂や麦穂がたくさんある様子を「金色」と比喩するケースはときおりある(2012年夏の現在で50歳のイギリスの歌手Stingが「Fields of Gold」で、一面の大麦がある表現をgoldとしている)。
■指切り……からたちの棘(トゲ)で「指を切る」ということと、「指切りげんまん」の掛詞であると思われる。
■あをあを……「を」は歴史的仮名遣いで、単に「青々」という意味であると思われる。
■「お迎えにいくさ」「ずっとまってる」……性別の描写はないが、勝手な推測で前者を男の子、後者を女の子と解釈した。Google日本語入力で「おとこのこ」を漢字変換すると「男の娘」が出てきてしまうのが悲しい。
■青む……基本的には、「青い」の動詞形で、「青くなる」という程度の意味。拡大解釈して、「草木が青くなる(成長する)」や「顔が青くなる(青ざめる)」などの意味もある。ここでは「枯るる(枯れる)」の対義語として、「成長する」の意味をとっていると推測できる。
■思いをり……「を」はまたも歴史的仮名遣いで、漢字表記すると「思い居り」だと思われる。
あさきの曲のなかでは、かなり感覚的にわかりやすい歌。
特別な解釈なしでも、たいていの人はなんとなく理解しているのかもしれない。
今回の歌は、「稲」というのがある程度のキーワードになっている様子で、
「あきつ」は、とんぼが飛び交っているような稲田を示すのに繋がっているし、
「わらしべ」は、稲(や麦)の茎そのものを表しているし、
「金」も、解釈次第ではたわわに実った穀物を表現していると捉えられる。
他の歌では「月」や「湖(水面)」などが何度か出てきたが、
穀物というのはあまりなかったんじゃないだろうか。
まず一連。
淡く 身辺で行き交う
あきつ震えてる わらしべの空
「行き交う」が「あきつ」に直接かかるのかはわからないが、主語が直接示されていないことから、「あきつが行き交う」という風にかかっていて、「誰かが行き交う」という意味ではないと推測できる。
身辺は「シンペン」ではなく「みほとり」と歌っているようで、「ほとり」は「近く」を意味する言葉で、漢字表記から「体のそば」というくらいの意味だと察する。
「わらしべ」は穀物の干した茎であるようなので、情報は少ないが、おそらく実った穀物の田や畑のなかから、その行き交うあきつを眺めているものだと考えられる。
二連。
背丈ほどある稲かき分け
待ち合わせて
二人だけの場所さ
特に注釈は必要ない。
あるとすれば一連で登場した「わらしべ」が、ここで「稲」である可能性がぐっと高くなったことぐらいか。
また「二人」とあるが、あさきのことだからおそらく男女のことだと推測できる。「二人だけの場所」とは、おそらく稲田のなかの場所のことか。
三連。
ゆらゆら
照れ笑う二人なでる
金の散るは
ひゅうるり ひゅるり
風とかけっこさ
「ゆらゆら」は「金の散る」に繋がるものであり、「二人なでる」は「二人がなでる」ではなく「二人をなでる」であり、そのなでているのはやはり「金」であると考えられる。また「散る」という特質をもっている「金」なので、稲穂ないし稲田と解釈して、稲穂がゆらゆら揺れて、照れ笑う二人をなでて、そして散っている、と見なすことができる。
「金の散るは」については、goo辞書の「
は」の項にて「(文末にあって)感動・詠嘆を表す。…ことよ。…だなあ。…よ。」との意味が示されている。つまりここでの「は」とは、「私は」「あなたは」「彼は」などの主語の後に続く助詞ではなく、詠嘆の意味である可能性がある。もちろん主語の後につく助詞の「は」である可能性も否定はできないが、そう考えてしまうと合点できる解釈がなかなか浮かばない。
四連
愛して
愛されて
明日見え隠れ
ここも注釈はあまりいらない。
好き合っている二人が仲睦まじく過ごしていくなかで、未来が見えたり見えなかったり、ぐらいに考えられる。
五連、サビ。
からたちの棘
指切り あをあを
両手でげんまん
きれいなお花が咲くころ
「お迎えにいくさ」
「ずっとまってる」
「からたち」は植物で、枝にトゲがあり、小さな実ができるが食べられない。不法侵入者がはいってこないように家の生垣などに使っていたらしい。天野月子の歌で「枳」という、同じくからたちを題にしたものがある。
「指切り」は上でも述べたが、トゲで「指を切った」という出来事と「指切りげんまん」の掛詞であると見なせる。これ自体は、「げんまん」という言葉が後にあることと、前に棘という言葉があることから推測は難しくない。難しいのは、「あをあを」と「『両手で』げんまん」の箇所。
「あをあを」は前出のように、「青々」の歴史的仮名遣いだろうけれど、やはり「指切り」の直後に来ることがやや不自然。棘で指を切れば、血が出て赤いので「青々」とは対称的になる。だからと「棘で指を切る」というのが誤りだったと見ることもできるが、ここは対称的なのが既に意図されたもので、赤と青(緑)の対比で鮮明に浮き立たせたかったという解釈もできる。しかしそもそも「血(の赤)」というのが推測から出たもので、歌詞のなかに登場しないものなので、信憑性にはいささか欠ける。また突飛に「血が青」と考えるのも、荒唐無稽。あさきはギャグはやるが、SFのようなものはほとんどしていない(「こたつとみかん」や)。
「両手で」は、言葉のとおり両手で(指切り)げんまんをしたということだろうけれど、やはり小指を繋ぐのが一般的な指切りげんまんだと思うので、男の子と女の子が両手を繋いで指切りをしているという解釈になる。実際のところ俺には「両手」というのに特別な意味があるのかわからない。ただ「棘で指を切った」という出来事と絡めて、血が出た指を心配して両手で掴んだ様子を、「両手でげんまん」と表したのかもしれない(または、そうして心配した後に、両手でげんまんをしたのかもしれない)。
「きれいなお花が咲くころ」は、花が特別どの種の植物であるか指定されていないことから、「からたち」であると推測できる。俺は見たことがないのだけど、実際からたちは白い5弁(花びらが5枚)の花を咲かせるらしい。花期はwikipediaによると春。稲穂が実っていることから現在が秋だとして、からたちの花が咲く春ころに「お迎えにいくさ」と約束をしている。
六連
愛して
愛されて
光見え隠れ
四連とほぼ同じ。未来だけではなく、光すなわち希望も見えたり見えなかったり、ということか。
七連
枯るるもの
また 青むもの
日のしずけさを待ち
踊ってる
「枯るる」は古語的な用法で、今の使い方に直すと「枯れる」。「枯れる」と「青む」すなわち「成長する」との対比であると見なせる。また前出のからたちの花が咲くころに、と交わした約束があるが、「枯るるもの」が果たして花を結んでから枯れるのか、「青むもの」が花を結んでから枯れるのか、これもハッキリとしない。いずれにせよ、枯れる稲穂も青む稲穂も、「日のしずけさを待ち 踊ってる」。
八連。最終。
果てで思いをり
「果て」がなにを指すのか、これもハッキリとしない。簡単に考えれば、「この世の果て」「幸せの果て」など思いつくものはあるが、あまりいい意味のものではない可能性は高い。
「思いをり」は「をり」を「居り」と見なして、「思いながら居る」と解釈できる。また恋人に思いを馳せることなどを現代では「想う」と表記することがあるが、ここでの「思い」もそう遠くないものだと思える。
「赤い鈴」では女の子は男の帰りを待つことに耐え切れず首を括ったが、この歌では帰らない人を待っている様子。
最終更新:2013年01月05日 16:43