仏教は、インドのシャカを開祖とする世界三大宗教のひとつ。
非殺生・植物食を説き、部分的にヒンドゥー教へ受け入れられることとなった。
インドで仏教はほとんどヒンドゥー教に吸収されたが、東南アジアや日本、チベット、モンゴルなどで現在も信仰されている。
シャカ(釈迦)
ヒマラヤ山麗のシャカ族の王子として生まれる。生老病死の苦しみ(四苦)に触れて世の無常を感じ、地位・財産・家族を捨てて出家ののち修行し、35歳のときに悟りに到達して仏陀(真理を悟った人)となったという。
シャカの思想はインドの業に依るところが多く、その因縁を断ち切ってニルヴァーナ(涅槃。無の境地)に達することで「悟り」とする。そのための方法として「八正道」という修行法が挙げられる。
八正道
- 正見 (正しい智慧)
- 正思惟 (正しい意欲)
- 正語 (正しい言葉)
- 正業 (正しい行動)
- 正命 (正しい生活)
- 正精進 (正しい努力)
- 正念 (正しい気遣い)
- 正定 (正しい精神統一)
当時の極端な苦行やふしだらな自由を排して中道を行くものだった。
80歳でシャカが入滅(亡くなった)後、100年ほど経つと、仏教は上座部と大衆部とに分裂する。
上座部(小乗仏教)
比較的シャカの教えを伝統として守った流れで、大衆部の人によって小乗仏教と呼ばれた。
戒律を厳格に守り、「人間のすべては仏に近づくことはできても、誰もが仏になる素質を持っているかどうかわからない」として、悟りに段階をつけた。
労働が禁じられているので、食べ物は信者から毎日「喜捨」してもらい、ひたすら瞑想にふける。
紀元前3世紀の中頃にスリランカに伝えられ、東南アジアに拡がった。
大衆部(大乗仏教)
自己の悟りにふける上座部を批判して、自らを大乗仏教と名乗る。
「誰でも人間は仏になる素質をもっているから、積極的に多くの人に教えを説き、救済して仏にする」という流れをもつ。そのためにより多くの人を成仏させるために活動する菩薩(ボーディサットヴァ)が高く評価される。
その積極性のため哲学的思弁も多岐になり、詳細かつ精密に展開された。主にチベット・中国・朝鮮・日本で栄えた。またチベットでは密教を中心に得意な発展をし、中国・朝鮮でも栄えるが後に形骸化した。日本では現在でも広く信仰されている。
ヴァルダマーナ
シャカとほぼ同じ頃の人でほぼ同じ教えを説き、ジャイナ教を開いた。しかしシャカよりも不殺生を強調して、虫を殺すおそれがあるとして農耕を禁止したりしたため、インド以外の外へ出ることはなかった。そのためジャイナ教徒には商人が多く、質素な生活をしているので金持ちが多い。
マハトマ・ガンディーもジャイナ教徒の家に生まれている。
中国では、後漢時代(25~220年)に仏教が中央アジアを通じて伝えられ、多くの経典・論書・戒律(合わせて三蔵という)が漢訳されることとなり、新しい発展もした。
後世に影響を与えたのは、天台宗と浄土宗と禅宗である。華厳宗もそのひとつだが、難解で大衆化しなかったようである。
浄土宗
いっさいを阿弥陀如来に対する信仰(念仏)に集約させるもので、救済は「信仰のみ」によるとしている(ルターの思想に通じるものがある)。
禅宗
不立文字(ふりゅうもんじ)という経典の言葉に頼り切らず、自己の徹底した瞑想と精神集中によって悟りを開こうとする。
天台宗
真言宗
空海によって開かれた密教。密教とは、大乗仏教の精密な哲学を前提として、これによって古くからの呪術を神秘主義的に体系化したものである。
インドでは7世紀中葉に、現実の欲望を肯定し、祈禱ではインド古来の神々を取り込んで呪術を行うという「大日経」の出現によって正式に成立した。大日経は陀羅尼(呪文)を唱え、護摩(ホーマ)を焚くといった秘技によって恍惚境を求め、それを即身成仏だとして、そのため愛欲を利用することも辞さないものだった。曼荼羅やその他の絵画・図表・音楽などを小腸として活用し、豪華絢爛たる神秘主義を展開した。
最終更新:2011年08月13日 19:03