Google Chromeの初音ミクCMについて

 Google Chromeの初音ミクCMが、ある程度の波紋を呼んでるみたいなので言及。




 まずCMとしては、Chromeである意味が感じられない。初音ミクというのは、システムのひとつ。あるアマチュアのクリエイター()が、初音ミク(ひいてはボーカロイド)を利用して曲をつくり、それをアップロード、その曲を聞いた人がイラストを描いたり、歌ってみた・踊ってみたを披露してみせる……これはネットでユーザー同士が繋がってコンテンツをつくって広げていくCGMという形式。そこにブラウザであるChromeは関係してこない。firefoxでも構わないし、IEでもSleipnirでも同じ。
 だから、ChromeのCMというよりはミクを賛美しただけに過ぎず、SoftBankがSMAPをCMで使うようなタレント起用と同じで、ただミクというボーカロイド、実存しないネットアイドル(古っ)が公式起用されたということが新しく見えるだけ。
 ……とはいえ、こんなことは誰でもわかってるんだろうな。

 しかし、CMの後半でライブで盛り上がってる様子が映されるけど、常軌を逸してると思う。ニコファーレとかもそうだけど、ネットというメディアを通じた交流に参加する人の気が知れない。ボーカロイドってのはネット、ニコニコ動画をメインとして通じる交流だし、オンラインゲームのオフイベとかも行く気にはなれない。それに上乗せして、あの実在しないアイドルを信奉するようなライブの熱狂感。正気の沙汰じゃない。
 そうはいっても、実際にオフラインで繋がる人もいるわけだし、その事実は俺が否定しようとしても消えるものじゃない。

 あと、上澄みすくってるなあ、という印象もある。ボーカロイド曲でも流せないのはあるだろうし(くるみぽんちお、よっこらせっくす)、聞いてられない曲もある(好みもあるけど)。イラストについても、pixiv見てりゃ下手がわんさかいるのはすぐわかる。歌ってみた・踊ってみたに関しては、俺は虫酸が走るから見ない。CMという特質上、キレイなとこどりってのはしかたないけど、「これがボーカロイド、初音ミクだ!」と叫ばれてるんだとしたら、「えっ、俺の目に映るのとはずいぶん違うな」と思わざるをえない。


 そもそもボーカロイドは開発は別としても、発展はニコニコ動画上がすべてといっても過言ではないくらいで、ニコニコ動画は歴史としては、アニメの違法アップロードから始まっていて、今でもゲーム実況やアルバムCD丸上げなんかの違法(親告罪とみればグレーゾーン?)があるわけで、アングラだったわけだ。ある種ネット住民(ネチズンってのは使うのに抵抗がある)の十八番「他人の悪いとこは騒ぎ立てて、自分の悪いとこは隠しつつ、悪くなかったとこ・よかったとこは過大喧伝する」ってのがあるから始末におえない。著作権侵害については、実際に逮捕者が出てるし、実際まだグレーゾーンはニコニコ動画に蔓延っているのに、ボーカロイドについてはその制作の流れに違法性がないから、と「我々はなんら違法性のないクリエイトを行なっているのである!」と豪語するのが、いささか浅はかに見える。いや、アングラサイトから出てきたものは所詮アングラなんだよ、だからCDを発売してメジャーデビューがどうとか、歌い手がどうのとかそういうもんじゃないと思うんだよね。
 だって「ニコ動住人が支持する曲」なんて、価値がありそうに思える? 俺はニコニコ動画やニワンゴも、そこのコンテンツを称賛してる人たちも、そこまで大層なものには思えない。だからそういうニコ動の自己肯定に限らず、2chの「ヌクモリティ」とかっていう賛美が、俺には反吐が出そうなときがあるのよ。

 俺は一般の人が見るようなニュースとかでこういうのが取り上げられてるのを見ると、恥部をあけっぴろげにされたような恥ずかしさがズゾッと広がって見れなくなる。ああ、俺は人が頑張ってる裏で情けないものに時間を費やしてたんだ、ってのを尋問されてるようで、恥ずかしくなる。これは正直に云うと、俺だけかもしれない。だって俺は自分が書いた小説を褒められたりすると、同じように恥ずかしくなるから。もっと巧くできたんじゃないか、もっとこの人を感動させられることができたんじゃないか、って。だから皆にこの感覚を求めるわけじゃないけど、自分が肯定するものの”怪しさ”みたいなものをもっと感じてほしいと思ったりはする。


 それにボーカロイドってのは、どう足掻いても”アマチュア”から抜け出せるようなもんじゃないと感じる。ラルクやSMAPやいきものがかりやAvrilやレディー・ガガやGreen Dayみたいなメジャーアーティストが、ボーカロイドを使って曲を発売でもしない限り、絶対にメジャーには昇れない。でもそういうメジャーアーティストがボカロ使うって想像できる? 自分で楽器奏でて詩に気持ちを篭めて己の声で歌う人たちが、なんでボカロなんて使うよ? そういう自分たちだけでつくることのできるメジャーアーティストたちに対して、ボカロってのは半人前を寄せ集めてワーキャー云うことで盛り上がってみるだけの二流なんだと思う。ある種、そういうメインに対する僻み・不信感がはたらいて、自分たちのメディアだともてはやしてるのがボーカロイドなのかもしれないし。

 メジャーアーティストだって数年すれば消えてしまうかもしれない世界で、サブであるアマチュア個々が長持ちするはずがない。せいぜいあるとすれば、それぞれバンドという明確な区分ができてるメジャーに対して、ボーカロイドのアマチュアは個々人で勝負せずに総数で対抗するっていう人海戦術を使ってる違いくらい? ボカロは制作者という区分もメジャーほど確固とはいえず、歌ってみた踊ってみたと波及するにつれてその色は薄れていく。今はTwitterとかTumblrとか”クラウド”ってのが流行ってるみたいだけど、ボカロはそのクラウドに近い。輪郭がはっきりせずにぼんやりと大きそうなもの。だからメジャーは鉄筋や木材で殴りかかることができるのに、ボカロは霧という大まかなカタチで勝負しようとしてる。これだと勝敗を決するとか以前に、戦いにならない。

 たとえばメジャーだったらある曲をカバーしたとしても、どこまで行ってもカバーというレッテルは消えない。でもボカロは歌ってみたでカバーすれば、もうその歌い手の曲になってしまう。ここで俺が嫌いなのは、ボカロという電子音声だからアングラで成立できているのに、それをわざわざ人声に変換してしまうこと。これってボカロの存在を否定してることと同じだと俺は思ってる。だからボカロ原理主義と人からは思われるかもしれないくらいに、歌ってみたを拒絶してる(もちろん他人が聞く分にはご勝手に、だけど)。そういうのを見ると、結局ボカロっていうのは、「メジャーではないけど、アマでならそこそこできる・やってみたい人たちがお遊びでつくるもの」というイメージがいつまで経っても払拭できない。

 でも今回のこのCMもそうだし新聞やテレビがボーカロイドを取り上げると、「俺たちは世間にも認められたんだ!!!」と勘違いする輩が出てくる。でも外のヤツらは、こういうのを単に社会現象のひとつとして取り上げてるに過ぎなくて、誰もアングラの存在やその価値を肯定しようと思って取り上げるわけじゃない。ここにも食い違いが見えてくる。ことによると、今回のこのCMとかだと、ボーカロイドが好きだけどChromeを使ってこなかった層を取り込もうと媚びてる風にも見える。企業としては、単純に新しい顧客を望める方法をとるのは正しいかもしれないけど、そういった利害でボーカロイドを利用するのって、俺は好きになれない。

 それに、これは利点だと俺は思ってんだけど、ボカロをつくる人たちって俺たち客には顔が見えない。姿も見えない。どんな人かは、言葉と曲とかで知るしかない。これが逆にメリットなんじゃないかな、と。
 ボカロってのはあくまで初音ミク・鏡音リン・レン・巡音ルカといったボカロという歌い手がもっとも脚光を浴びるものであって、P(プロデューサー・作曲者)というのはその色を変えていく要素のひとつでしかない。そのPが前に出てくるってのは、さほどファンでもない身からすればうざいだけ。だからその顔かたちが見えないってのは、ボカロに集中できるってことでもある。これは匿名性の高い日本のネットだからこそかもしれない。そこに顔出し・歌ってみた・踊ってみたが出てくると、ボカロを踏み台にして有名になりたいだけなんだな、と冷めてしまうことになる。

 俺はこれを「問題」だとは思わない。壮大ながら矮小な「矛盾」だと思う。だってネット住民って、こういう矛盾を解決しようなんて思わないっしょ? 発展と衰退を繰り返すうちにいくつかは自然解決されるかもしれないけど、あまり期待できない。だってお座なりなのは俺の人生と似たようなもので、それだと大きく発展しないのは俺自身がよく知ってるから。

 最後に云い訳する余地をもらえるとすれば、俺はボカロが嫌いじゃない。実際にiPodに入れて聞くこともあるし(iPhoneじゃない><)、好きな曲はある。でもそういった個々の曲とは別に、納得できないことがある、というお話。



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最終更新:2011年12月18日 02:38
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