電子書籍化について

 本の自炊というものについて一考してみる。

 自炊というのは、料理のことではなく、本に関していえば、「ページを裁断してスキャニング、そしてPCなどで読み込めるデータにすること」を云う。電子書籍などに利用するために使う。


きっかけ


 さて、この自炊について考えようと思ったきっかけは、京極夏彦が電子書籍を推進していて、さらに自炊を代行する「スキャニング業者」を東野圭吾が訴えたことがあったからだ。簡単に云えば、京極と東野が電子書籍・自炊という論題について、対立するかのような真逆の姿勢を見せているからだ。


2つの論点は1つの論点


 思うに、論点は「販売の促進になるか?」という点と「違法自炊を助長しないか?」という点に集約される。

 そもそも現在も本の販売は行われているわけで、その本の販売部数を吸収・減退させてまで電子書籍化を推し進める理由はない。逆にいえば、本の販売部数を吸収・減衰させてでも、それを上回る販売部数を誇れば、電子書籍化は成功といえる。

 また電子書籍化を推し進めた結果、自炊などでスキャニングしたデータを違法配信などして、出版業界の市場を減退させては元も子もない。

 結局のところ、「電子書籍化することで、出版業界の市場が増えるなら、なんの問題もない」という1点にまとめられる。違法云々というのは、もちろん法学などの面からすれば重大な論題だけど、もし違法自炊が流行ってもそれ以上に出版業界が電子書籍化で設けてウハウハになれば、そんなのお咎めなしになると思う。だから違法性というのは、サブの論点であって、メインは「それで売れるの?」って点になる。


データ化の危険性


 まず自炊に限らず、データ化というのはそれなりに危険だと思う。ゲームなんかはマジコンやらなんやらで、違法なデータの吸い出しで割りを食ってるというし、音楽や動画なんてYouTubeやニコ動で見放題。今回の自炊の点でいえば、マンガはかなり痛手を食ってるんじゃないだろうか。

 エロ系のサイトやブログを徘徊してると、わんさかとエロマンガをダウンロードさせようとするページが出てくる。わんさかと。Webマンガとかでない限りは、購入せずにマンガを読めるというのはダメだろう。マンガ業界が、この自炊によってどれくらいの打撃を受けてるのかはわからない。ただ確実に、痛手をこうむってる。


インターネットの統制


 それというのも、インターネットというメディアが、まだ統制されていないからだろう。ここで取ることのできる選択肢は2つ、「データ化をやめさせる」か「ネットを規制する」か。

 「データ化をやめさせる」というのは、データ化した時点で違法と見なして逮捕できるようにするなどで実現化できるだろう。でも児ポ法でも単純所持を規制するには至らなかったのに、個人使用だけかもしれないのに、データ化したというだけで違法性を主張するのは難しい。

 「ネットを規制する」というのは、ネット上にデータが流れるのを規制したり、流れたデータをダウンロードするのを規制したりすることで実現可能だろう。実際に逮捕者が出ているのは、どうやらネット上にデータを配信、ダウンロードできる状態にした場合、ということのようで、ダウンロードをして逮捕されたのは、少なくとも日本ではいない様子(ググった程度では判明せず)?

 ネット上にデータをアップロードするのを違法と知りつつ実行すれば、逮捕はされるらしい。最近話題になった単純所持をも違法ダウンロードにしようという流れは、この「違法と知りつつ」という故意の意志がなくても逮捕できるというものだった(はず)。インターネットを利用する仕組みとして、ブラウザにキャッシュとして画像やテキストデータをダウンロードしないことにはネットを使えないから、故意か過失かにかかわらず逮捕できるということになってしまい、ネット経験者は誰しも犯罪予備軍となり、いつでも逮捕できるようになってしまう。殺人とか政治犯などの重大な事件で犯人がだいたいわかっていても、証拠がなくて逮捕できない! 多くはそんなときのための別件逮捕の扱いやすい罪状として「違法ダウンロード」を利用するのかもしれない、と考えてみても、それなら痴漢の冤罪で捕まってしまった場合、キャッシュを洗われて「この猥褻な画像はなんだ!」「いや、それはキャッシュだから……」と云っても逃げ場がなくなって逮捕されることとなってしまうかもしれない。そうなれば社会的な抹消能力は高く、いくら無罪を主張しても会社はクビ、前科があれば表向きの企業に入社することは難しくなる可能性がある。しかも裁判に持ち込めば長期化は必至となり、働く時間もなくなるかもしれない。その地獄の入口として、「違法ダウンロード」の扉が待ち受けているかもしれない。そうなると、やはり単純所持での違法ダウンロードというのは暴力的であって、もっと違う規制法を考えないといけない。

 「データ化をやめさせる」という手段も「ネットを規制する」という手段も、「単純所持」を違法とすれば簡単ではあるが、それに伴う弊害がハンパない。アメーバピグで未成年に猥褻画像を要求したら警察が来た……という記事をまとめブログで読んだことがあるが、それが釣りでなければ警察は一応の監視を行ってるということで、その監視が厳しくなれば規制の網が狭まることにはなるだろう。だが警察がなんの利害もなしに、違法ダウンロードに関わる人間を正当に逮捕する……というのは考えにくい。

 現在の違法化の流れを見ると、強引に違法化を進めようとしているが、スレスレのところで留めているような印象がある。


電子書籍の販売方法


 こういう具合に、データ化や違法ダウンロードを規制するというのは難しいように感じる。そうなると当初の論点である「違法自炊を助長しないか?」という疑問には、「助長したとしても、規制は難しい」と答えることになる。もしくは「いずれ厳しい規制がインターネットに課せられるかもしれない」といった辺りか。

 こうなると「販売の促進になるか?」という点に望みをかけることになる。

 この点については、どうやって電子書籍を販売していくか、という展開の方法に問題が集約されると思う。もし最適な販売の方法を展開させても、客に買いたいという意志がなければ売れない。もちろん購買意欲を刺戟するというのも販売方法の一部ではあるが、ものを売るというのは、客の買いたいという「需要」と企業側の売りたいという「供給」が見合わなければならない。俺はスマフォも持ってないし携帯できる端末といえばガラケー(それも画素も低く低機能)しかないから、電子書籍をどういうフォーマットで展開するかはわからない。おそらくある程度はスマフォなどで電子書籍を読むベースは整っているだろうから、それをもっと扱いやすくするか、購入できるデータ自体を増やしていくか……俺が考えつくのはこの程度。

 客側にマナーを求める、とかいう手法はナンセンスだと思うから、結局のところ電子書籍の品揃えをよくして、電子書籍を読むツールを使いやすくして、後は電子書籍を読める携帯端末を多く客に持たせて、電子書籍というメディアがあることを宣伝していく、というようなありきたりな方法しかないかもしれない。

 京極と東野を単純で二元的な姿勢の違い……電子書籍の推進派と抑制派と見なせば、推進派は売るだけじゃなく規制の方法を考えていかなければならないし、抑制派は新しいメディアの形態についてもっと知ったほうがいいのかもしれない。いずれにせよ、電子書籍化はもう既に実行されている。その深度がまだ浅いというだけで、ひょっとしたら紙媒体の本を駆逐してあっという間に世を席巻してしまうかもしれないし、本の市場を食い尽くした挙句に衰退してしまうのかもしれない。まあ、未来を確実に予見することはできないってことですね。

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最終更新:2011年12月28日 19:11
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