生没 |
1723(洗礼日)~1790 |
出身 |
イギリスのスコットランド |
功績 |
資本主義のシステムを解明。経済学を成立させる。 |
経済学・哲学者。
当時のスコットランドは石炭・鉄鋼業が盛んで、イングランドに強制的に併合されてイングランドに対して抵抗があった。
スコットランドの名門グラスゴー大学に進学し、28歳という若さで道徳哲学という分野で教授となり(この頃に哲学者のヒュームと出会い)、「道徳感情論」を発表。貴族の家庭教師として大陸旅行をし、帰国後に「国富論」を執筆。 当時の主流だった「重商主義」を批判した。
「見えざる手」という言葉で有名だが、「神の見えざる手」と云われるときの「神の」という記述はスミスの著書にはない。
著書
道徳感情論(道徳情操論)
1759年(36歳)出版。
人間は利己的だが、社会には秩序が存在する。これは、それぞれの人間は他人からの「同感(sympathy)」が得られる限り、社会的に正当だと認められていると思うからだと考えた。利己的ながらも、「公平な観察者」という第三者の視点を意識し、その視点から認められる範囲で制限をかける。
つまり、自分が考えて「これくらいなら許される」という程度ことを行うことはあるが、「これ以上は許されないかもしれない」「これだと共感・許容してもらえない」という程度のことはしない、ということである。
国富論
イギリスでは16世紀から大工場や大農場での産業が行われていて、国富論は産業革命が始まったばかりの1776年(53歳)に発表された。
「産業を強くしない限り輸出は伸びず、産業を強くするためには自由競争をさせなければならな。分業が進展し、企業内分業だけでなく社会的分業が拡大していく」とした。
また市場には「見えざる手」が働いていて、最適な資源配分が調整されると考えた。市場とは、自分の利益を最大に求めようとしている人たちが集まり、貨幣を仲介として結びつく場所であり、市場で出会う人間は敵ではなく、自由競争とはいっても相手を陥れることを容認するものではない。
重商主義(mercantilism)
15世紀半ば辺りから18世紀にかけて、ヨーロッパ全体の各国政府が行った経済政策。
- 経済を運営するのは国家である。
- 国の富を増やすことが目的である。
- 自由貿易を否定し、保護貿易を強制する。
経済を運営するのは国家であるという、計画経済のようなものを理想とした考えである。
また国力を増やすことが重点で、そのためには貴金属(金貨・銀貨)を取り込むのが大事だとした。そのために「多く売って少なく買えばいい」、つまり多く輸出して少なく輸入すべきだという考えでもあった。
地金主義や重金主義とも呼ばれる。植民地からの搾取や、また植民地自体を争うことなど様々な問題が起こり、やがて自由経済の考えを産むに至った。
スミスはこの重商主義を批判して、「レッセフェール(仏:laissez-faire)」つまり「なすに任せろ」という自由放任主義を主張した(英語でレッセフェールは「let it be」や「leave it alone」と訳される)。
また富は貴金属ではなく、必需品や便益品のような「消費財」だとした。
最終更新:2012年02月11日 11:11