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まず1914年6月28日、フェルナンド大公が妻ゾフィーと共にボスニアの首都サラエボに赴き、ベンツから降りたところ一人のボスニア系セルビア人青年に銃で殺害される。(後に第1次世界大戦のきっかけとなるサラエボ事件)
その後、ベンツは事件時に警備係として乗り合わせていたポチオレック将軍の手に渡る。
すると将軍は三度師団を失う大敗を喫し、精神を病み入院。そのまま病棟の中で生涯を終えた。
次にベンツは将軍の下で参謀を務めていたドスメリア大尉の手に渡る。
大尉はその9日後、運転手が農夫二人を轢き殺した挙句大木に激突、首の骨を折り死亡した。
大戦後ベンツはユーゴスラビアの州知事が修理し改良される。
州知事は満足し乗り回していたが4ヶ月間で4度の事故を起こし右腕を失った。
そしてベンツは州知事の友人のスリキスという医者の手に渡った。
彼はこのベンツの今までの持ち主の悲惨な末路を聞かされても「呪いなどバカバカしい」と鼻で笑っていた。
しかし6ヶ月後、路上で横転したベンツが見つかり、その下からスリキスの遺体が発見された。
ベンツはその次にオランダの宝石商の手に渡る。
1年後、宝石商は謎の自殺を遂げた。
ベンツはサミレスというレーサーの手に渡った。
彼はスリキス同様呪いなど気にせずそのベンツでレースに出た。
するとレース中にベンツが転覆、サミレスは石壁に叩きつけられ首の骨を折り死亡した。
その後ベンツはドイツの実業家の手に渡った。
実業家は入手からわずか2日後、石壁にぶつかり死亡した。
ベンツは巡り巡ってサラエボに住むゴルシェという牧場主の手に渡った。
だがある日エンストして動かないベンツを街で修理していたところ突如暴走。ゴルシェと近くにいた荷馬車を跳ね飛ばし、ゴルシェと荷馬車の所有者は死亡した。
ベンツは修理のため工場に運ばれた。ベンツは工場の経営者タイバー・ハーシュフィールドのものとなった。
その時ベンツは「禍々しい」赤から爽やかなブルーに塗り替えられた。
ハーシュフィールドの結婚式の日、5人の友人とハーシュフィールドを乗せたベンツが暴走。対向車に衝突しハーシュフィールドと友人たちは死亡した。
その後ベンツは引き取り手もなくオーストリア政府に接収され、ウィーン博物館に展示されることとなった。
案内役のカール・ブルナーはこのベンツをいたく気に入り、誰にもシートに座らせず大切に管理した。
すると第2次世界大戦の幕開けで博物館が爆撃に遭い、ベンツとブルナーは忽然と姿を消し、ベンツの破片や遺体の一部すら見つからなかった。
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