概要
当記事では、ソルキアの歴史に関する記録について纏める。
歴史
遠古代前期:知と力による共生関係の熟成
多様な知的生命からなるソルキアは、その歴史上、首都星デールキアを起点に広く宇宙進出を果たしたキア族を中心として多くの生命を取り込んできた。四足歩行獣人ゼヴァーラと総称される種族は、長きにわたるキア族の支配下で全身の触角を用いた独自のコミュニケーション法を確立。単なる使役動物としての生活から組織的な集団行動を重んじるようになると、幾度となくキア族に戦いを挑み、知的種族としての完全な市民権を得たのである。時の支配層は、ゼヴァーラが持つ隔絶的な力強さと適応能力の有効活用を考え始め、その計画は建築、製造、その他の分野における技術革新をもって揺るぎないものとなった。群雄割拠による闘争から、集団指導体制へと移行して暫く経つ頃には不動の共生関係を築いており、キア族が創造したものをゼヴァーラが有効活用する連立秩序の時代が続いた。しかし、そのような体制も遥か宇宙(現在のウェトラム)の彼方から訪れし水性船団との接触をもって究極の選択を迫られたのである。
遠古代後期:不断の外交努力と新ソルキア連合の成立
時は文明元暦4425年、後にソルキア領として組み込まれることになる未踏の空域、オルベニーラ星系においてそれは起こった。軟体遊浴人種ビルーゼと総称される、その生命体は、当初、種の棲み分けを目的とする低強度の威嚇を試み、ソルキア側の出方を伺ったとされる。当然、一帯の調査を担う時の指揮官もそれに対して猛々しい電子咆哮をぶつけたわけだが、異なる交信方法では双方ともに相手の意図を読み取ることができず、その後、長期間にわたって睨み合う事態となった。重厚な強化装甲で覆われているゼヴァーラの艦隊に対して、そのメカニズムを理解できないビルーゼの水性船団はテレパシーによる交信を諦め、目下の海洋惑星に多数の液状球体を差し向けたのである。それは、複数の触腕を靡かせつつ急速に開拓候補とされる深海へと降下していった。共生を是とするゼヴァーラ側からすると、これは戦争リスクを伴った奇行以外のなにものでもなく、この一連の暴挙は直ちに連立政権が座するソルキア本国へと送信された。
一方のビルーゼにとっては、そもそも縄張りの概念など存在せず、ゆえに共生の利点も、戦うことの必然性も見いだせない。彼らは種の保存を何よりも重視し、平和裏に進化・枝分かれを繰り返してきた歴史を持つ。有力な植民候補とされる目下の惑星に関しても目立った工作活動などは認められず、相対する未確認集団(ゼヴァーラ)に一定の知的合理性を期待した上での行動だった。ゼヴァーラにとって、これはマーキングによる先取りの意図を疑わせる行為であり、ビルーゼが降下した水面とは別の遠く離れた沿岸に開拓団を向かわせた。双方の探り合いは実に半世紀以上もの長きに渡って続いたが、陸・海・低地と開拓領域の棲み分けが無事に進んだこともあって当初の緊張は徐々に溶けていった。種の共生を命題とするソルキアの価値観に理解を深めたビルーゼは、連立政権への参加を承認。文明元暦4500年(宇宙正暦0年)。ソルキア連合は三種族を中核とする新体制へと移行したのである。
近古代初期:種の成長を巡る三種族の緊張
キア族の言葉でソルキアと称される、その文明は、成立過程が異なる様々な種族の特性を活かすことによって版図を広げてきた。獣人であれば道具の生産を、四足係類であれば陸路での輸送を、軟体動物であれば水産業を、鳥類であれば航空事業を始めとして実に高度な分業体制を確立させたのである。時は宇宙正暦74年。ここに至って、三種族を中心とした専制政治に異議を唱える集団も台頭し、賢人議会の発足(第一次ソルキア革命)に至るなど、ソルキアの意思決定機構はより多様な部族で構成される共立的寡頭制への移行を余儀なくされた。しかし、この流れは種の共生を理念とする旧支配層にとって賢い選択とは受け止められず、その懸念は政治の主導権を巡る大規模な民族紛争(第二次ソルキア革命)を経て再び三種族による専制へと回帰する結末を迎えた。同128年。荒廃した国土を前に態度を硬化させたキア族は、武闘派のゼヴァーラを焚き付け、棲み分けを主張するビルーゼを説得し、軍事的威力に依存する過激な啓蒙路線へと転じさせたのである。そのような経緯を経て、名実ともに権威主義を掲げるようになったソルキア連合は加速度的に植民地を拡大。同206年。後にツォルマリアと総称されることになる新天地の発見をもって攻略の準備を進めた。
反逆者ティラ・ザバーディンの苦悩
後に列強となる、その集団は、ビルーゼが旧ソルキア連合と接する遥か以前に成立した。母なる船団と決別して久しい、その者の名は「ティラ・ザバーディン」。ツォルマリア人類の言葉(古ツォルマ語)で「星の伝承者」を意味する、その存在は、未熟な集団に知の恩恵を授けた精神的指導者として広く知れ渡っていた。時の人類社会において、開祖と崇められるザバーディンは文明元暦2000年に1つの理想郷を構築させ、その勢力基盤を着実に広げてきた経歴を持つ。彼は「種の棲み分け」を最善とするビルーゼ指導部のイデオロギーに反対して母集団と決別した。筋金入りの変わり種であった。あらゆる生命の知的進化論に大きく影響された彼の方針は、人類自らによる試行錯誤のプロセスをショートカットさせ、急速な発展を遂げさせたのである。しかし、そのような施しに対して畏敬の念を持たれたのは人類が産業革命を迎えるまで。時は文明元暦4000年代。相次ぐツォルマリア人同士の争いに解決策を見いだせず、己の過ちを悟ったティラ・ザバーディンの懺悔は時の人類政府にとって受け入れがたい事実として秘匿された。彼は自らが教え導いてきた政府軍によって捕らえられ、以後、長きにわたる軟禁生活を強いられたという。その後の時代は、ザバーディンにとって慚愧に堪えない勢力争いが続いた。
文明元暦4500年。億単位と伝えられる夥しい数の犠牲と引き換えに
ツォルマリア人類は1つとなり、皮肉にもザバーディンが求めてやまなかった高度な倫理観をもって新体制を発足させたのである。再び人類の導き手となった彼は、これまでの歴代政権による愚行を赦し、未熟な人類を急速な新天地の開拓へと誘った。荒廃して久しいツォルマリアの大地を蘇らせるには当面の時間を要するもので、遠方から確実に接近しつつある未確認勢力の脅威に備える必要が生じたからだ。そして宇宙正暦215年、その時は訪れた。ツォルマリア艦隊と接触して一連の情報を伝えられたソルキア艦隊は、ティラ・ザバーディンを巡るこれまでの人類史を脅威と断定。人類自らが武器を下ろして栄光の共生を受け入れるか、武力によって吸収されるかの二択を突き付け、ツォルマリアの社会に大きな衝撃を与えたのである。全知全能と評されるティラ・ザバーディンにとっても、これは予想以上の恫喝であった。
かつての同胞たるビルーゼはソルキアの覇権に屈してしまったのか?対話を試みれば試みるほど失望の念を深めていく開祖であったが、そうこうしているうちに激発した人類艦隊の一部が開戦の火蓋を切ってしまい、同225年、種の存亡を巡る
壮絶な星間戦争が勃発したのである。究極の選択を迫られた星の伝承者ティラ・ザバーディンは我が子も同然の人類を見捨てることができず、不断の決意をもってソルキアとの戦いに臨んだ。
近古代中期:人類による不屈の抵抗
ツェイク・ムオラ星系における人類艦隊の攻撃を受け、本格的な侵攻へと及んだソルキア連合艦隊は、人類側に立つティラ・ザバーディンの反逆行為を正式に通達。数千にもわたる国内規範への違反を根拠としてサーレ・バリス星系に少数の分隊を差し向けると、一方的な編入宣言を発し、以後二方面からの侵攻を続けたとされる。対するツォルマリア艦隊は有効な跳躍技術を持っておらず、数の優位を活かした消耗戦略をもってソルキア艦隊の侵攻を遅らせた。しかし、高度な重力航法を有するソルキア側との技術格差は覆し難い現実として認識され、同230年、サーレ・バリス連合政府は主要3星系からなる定期総会の承認を得ることなく降伏を決定したのである。これにより、供給体制を整えたソルキア分隊は残る敵性戦力の解体を実施。現地人によって構成される統治委員会を立ち上げ、これに対する行政指揮権の掌握をもって安定的な間接統治を成立させた。ツェイク・ムオラにおいて徹底抗戦を続けた人類もソルキア側の機動戦術によって撃破されていき、人類の活動拠点は同235年時点でツォルマリア星系のみとなった。
ワープ航法はおろか、有効な超光速通信すらも実現していない人類側の情報伝達網はソルキア艦隊の侵攻によって容易く粉砕され、各星系の人類は以後長きにわたる断絶を経験したのである。同250年時点で活動領域を首都星周辺にまで縮小した人類は、開祖艦隊を中核とする最終防衛ラインを設定。100隻にも満たぬソルキア艦隊を相手にかつてない規模の消耗戦を繰り広げ、統一以前の遺物となって久しい大量破壊兵器を惜しみなく投じるなど、夥しい数の犠牲を出しながら研究のための時間を稼いだ。有能なティラ・ザバーディンの
副官は四散したソルキア艦の残骸を収集し、その解析にある程度の成果を得たとされる。同272年に各種武装の刷新を遂げた開祖艦隊はツォルマリア星系における戦いで局所的な勝利を収め、以後の反攻作戦における先駆けとなった。同285年。当初、期待された早期攻略の野望を挫かれ、ツォルマリア艦隊の実力を認めたソルキア本国は最終的に1万隻からなる大部隊を差し向け、人類政府による自発的な降伏を促した。
近古代後期:敗戦責任を巡るソルキア国内の混乱
前世紀における最終防衛ラインでの敗戦を受け、大規模攻勢の準備を整えたソルキア連合は、同328年、攻防の渦中にあるサーレ・バリス星系の部隊を増派し、一撃離脱を繰り返す開祖艦隊の痕跡を追った。一方、前回の戦いで質・量ともに大きな進化を遂げつつあったツォルマリアは敵補給線の寸断を目論んでおり、ツェイク・ムオラ星系に対して大規模な航空部隊を差し向けたのである。当然、ソルキア側もこのことを想定していなかったわけではなかったが、同333年、突如拡大し始めた重力異常を前にして、ツォルマリア人類が予想よりも早くワープ航法の開発に至ったことを認めた。同342年。ツェイク・ムオラにおける敵の侵攻速度を甘く見積もっていた時のソルキア側司令官は、遠征計画の大幅な変更を決断。本国の承認を得ることなくケルス・ニア星系への一時的撤退を命令し、敗走を装う形で追撃してくるツォルマリア主力の目を欺いたとされる。補給線を絶たれたサーレ・バリスのソルキア連合艦隊は開祖艦隊の炙り出しを諦め、陥落寸前のツェイク・ムオラに後退した。ケルス・ニアへの追撃を挫かれたツォルマリア艦隊はツェイク・ムオラの各軌道に防衛ラインを引き直し、以後、長きにわたる膠着状態が続いたのである。
同350年を迎えた頃には、ツォルマリアによるサーレ・バリスの奪還が確実なものとなり、ツェイク・ムオラにおいて両軍が小競り合う中強度の紛争が繰り返された。人類の導き手にして、救国の英雄たるティラ・ザバーディンは、ケルス・ニアにて増強されているであろうソルキア本隊を牽制しつつ、エルス・ニア星系各地に立てこもる敵残党の降伏を促した。同388年。1万隻からなるソルキア本国の主力に対し、2000にも満たないツォルマリア艦隊は3000隻からなるツェイク・ムオラのソルキア植民星軍と挟み撃ちにされ、時間切れによる人類の敗北は決定的となるかのように思われた。しかし、この事態を予め想定していたティラ・ザバーディンは、セーク・パルゾス星系における秘密裏の停戦交渉を進めており、ソルキア本国に対して不満を抱くビル―ゼの離反を促したとされる。
大敵ツォルマリアを滅ぼすべく動いた矢先に、セーク・バルゾスの裏切りを知らされた時のソルキア指導部においては、責任の所在を巡る内部紛争へと発展。ビル―ゼ代表率いる融和派との亀裂が決定的なものとなって、同392年、ソルキア連合は後に第三次ソルキア革命と総称されることになる動乱の時代を迎えた。本国を平定するために撤退を余儀なくされたソルキア連合ツェイク・ムオラ方面軍は、ツォルマリア艦隊の追撃を受ける様相となり、これにセーク・パルゾスの反乱軍が加わったことで彼我の戦力差は当初の9対1から大幅に縮まる事態となったわけである。それでもソルキア本国の優位が揺らぐことはなく、同404年に一連の動乱を沈めると直ちに反攻へと転じ、マードノア星系に展開しつつあったツォルマリアの主力を壊滅へと至らしめた。先のソルキア革命において、体制を改めることに合意した主要3種族はツォルマリア人類に対して和平交渉の用意があることを伝え、同410年、マードノアにおける史上初の首脳会談が実現した。
近古代末期:和平交渉の決裂と大災厄
先の戦いにおいて主力の半数を削られたツォルマリア側はセーク・パルゾスの独立を諦め、ケルス・ニア、エレス・ニアに至るまでの領有権を主張したが、先制マーキングを主張するソルキア側の猛反発を受け、ツェイク・ムオラに至るまでの航路をデッドラインとして引き直した。双方ともに究極の駆け引きが続く中、反乱軍を率いる時のセーク・パルゾス首長はツォルマリアの交渉材料(捨て駒)として切り捨てられる可能性を危惧し、強烈な鉄の咆哮をもって裏切り者(人類)への復讐を叫んだとされる。当のティラ・ザバーディンとしては棲み分けによる相互理解を目指しており、交渉の決裂を望む主戦派の動向に目を光らせていたわけだが、セーク・バルゾスはその意図に反し、ケルス・ニアへの進撃に踏み切った。これにより、ソルキア本国からの許しを期待する彼らの思惑は、ある程度の成功を収め、マードノアにおけるソルキア本隊の大規模なドラミング(威圧行動)を促したのである。
これまでの歴史を振り返って、人類種族の狡猾さを再確認したソルキア指導部は、新兵器とされる都市型母艦を惜しみなく投入。対するツォルマリア艦隊も、ありとあらゆる種類の絶滅兵器をもってソルキア領内における多くの星々を焼き尽くした。およそ32光年にも及ぶ両軍の総力戦は終始ソルキア側の優位に進んだが、
同428年、ツェイク・ムオラにおける
開祖艦隊の全滅(ティラ・ザバーディンの死)をもって双方疲弊による事実上の休戦を迎えた。ツォルマリア領内に展開したソルキア艦隊は突如引き上げられ、再びの侵攻を恐れる多くのツォルマリア人類に根深い恐怖を残したとされる。この時点に至って、なおも戦争の継続を目論むソルキア指導部も盤石とは言い難い状況へと追い詰められていた。先の動乱終結のために取り交わされた種族間の合意事項が延々と先延ばしにされ、これに怒った多くの外様首長が獰猛な唸り声を上げ始めたからである。進退窮まった時の前線司令官(セーク・パルゾス首長)は、そうしたソルキア本国の待機命令に耐えられず、事前予防を目的とするツォルマリア領内への再侵攻を決断した。そして、
同445年。後に大災厄と呼ばれることになる、次元収縮砲の大量斉射をもって和平を模索した故開祖系派閥の希望を打ち砕いたのである。彼らの抵抗運動は、同460年以降、史上最悪として語り継がれることになる全体主義勢力の台頭を促進。
同500年(宇宙新暦0年)における
星間文明統一機構の樹立をもって後のソルキア連合に降り掛かった。
中近代初期:根深い禍根と三度にわたる存続戦争
戦後、半世紀が過ぎても政情不安の収まらないソルキアに対し、ツォルマリア人類は着々と体制の基盤を固め復讐の機会を伺っていた。同500年。人類史における宇宙新暦の始まりとともに
星間文明統一機構が成立。同時にソルキアに対する軍事侵攻が実行され、ここに
第一次存続戦争の火蓋が切られた。年々荒廃の一途を辿っていくソルキア情勢と比較し、強大化してゆく星間機構の軍隊は未知の兵器を繰り出してセーク・バルゾスの大地を脅かしたとされる。時は宇宙新暦50年。この半世紀の間に蘇ルキア連合はケルス・ニア、エレス・ニア星系をも失い、イー・メラト、レオ・タイパル戦線への撤退を余儀なくされた。この失態はソルキア連合が建国されて以降、はじめて経験する
{
敗戦であり、時の指導部は退陣を余儀なくされた。新たに統治権を得たのは、これまで外様として冷遇されてきた怒れる動物達である。彼らは、その研ぎ澄まされた牙をもって国の治安を立て直し、飢えた同胞に対する野生の恩寵を与えた。更に半世紀が過ぎた頃、ソルキア政府は前述の3星系の要塞化に着手。共生の理想を捨て、年々、守りを固めていくソルキアの地が脅かされることは以後二度となくなった。そして、この時代の出来事は多くのソルキア種族にとって暗く、濁った記憶として刻まれることとなった。時は宇宙新暦150年。ジケーゼ・ティラ率いるツォルマリア艦隊の大攻勢が再開されると、ソルキア側も応戦。これにより、
第二次存続戦争が勃発し、これまでとは比較にならない規模の次元攻撃も繰り返された。
事象災害の誘発をも厭わないソルキア側の確固たる布陣を前にツォルマリア軍は撤退を余儀なくされ、以後、長きにわたる膠着状態へと陥った。次に機会が訪れるのは、11世紀も後の未来においてである。同1210年。異常なスペクトルを灯すツォルマリア側の異変を察知したソルキア指導部は直ちに主力艦隊を送り出し、同1245年、敵軌道要塞線における偉大な勝利をもって20年後の勝利を確実なものとした。この解放戦争は、後に
第三次存続戦争として記録されることとなった。
中近代後期:長きにわたる復興と融和・戦後秩序の形成
ソルキア指導部は長年の悲願とされる人類への復讐を実行しなかった。理由は単純明快で、公正な裁きに対して復讐心を滾らせる人類の無分別さを熟知していたからである。ソルキア軍はツォルマリア人類に対して野生の恩寵を与えた。具体的には、人類用に加工した種々の栄養食品とされる。ツォルマリアの大地に降り立ったソルキア軍の全ての種族が亡くなった人類の戦士に対し、哀悼の意を捧げた。……中には狼藉を働く愚かな個体もいたが。すぐに捕らえられ、市民の目の前で断罪されたほどである。ソルキア式の刑罰は酷く獣じみており、多くのツォルマリア人を恐怖させた。しかし、そうした非日常も、やがては常識となり、文化の違いとして受け入れられたのである。その傾向に内政不干渉の可能性を見た時のツォルマリア政府は、ソルキア政府に対し、同盟関係の構築を打診したが、そうして得られたものは聞くに堪えない獰猛な電子咆哮だけであった。ソルキアは忘れていなかった。共生の理念を踏み躙ったツォルマリア人の抵抗を、暴力を。「先に脅かしてきたのはそっちじゃないか」。多くのツォルマリア人が憤りの声を挙げる中、駐留ソルキア軍はあくまでも『共生』を目的とする接触であったことを繰り返し伝えた。一方、人類の特性に理解が及んでいなかったことを悔やむ声明も発せられ、完全な和解に至るまで暫しの時間を要することが双方ともに共有されたという。ツォルマリア人類は
キューズトレーターの統治を忘れていない。ここに至って、人道主義の風がようやく拭きはじめた。
関連記事
最終更新:2024年11月26日 21:23