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本項では、ブルシェク派の教義について解説する。


概要

 ブルシェク派は、エルドラーム創約星教の中でも保守的な派閥であるとされ、その教義はよりリベラル的なルドラス派と違う点もあるが、共通する点も多い。

信仰の対象

 ブルシェク派が信仰の対象とするアクシャン(akšan)は、多数の人格神ではあるものの人間ではないとされる。アクシャンは更に善性の神であるアヴァクシャン(avakšan)と悪性の神であるプラアヴァクシャン(pravakšan)に分かれるとされる。
 偉人列聖を主軸とするルドラス派とは異なり、極悪人もプラヴァクシャンという神的存在として取り扱うことはブルシェク派の特徴である。
 このため、人々が神に対して抱く思いと行為を「信仰」と言い表すのであれば、ブルシェク派におけるそれは現世における啓典の民に連なる宗教のそれとは異なるものであり、敢えてその違いを取り上げるのであればブルシェク派における「信仰」は典礼語であるナシーシャク語におけるナーシャク(našak)と呼ばれるべきである。

世界観

 善神(アヴァクシャン)悪神(プラヴァクシャン)の存在がこの世界に両立することは、世界のバランス――ナリヴェトヴェ(nalivetve*1)を意味しているとされ、どちらか一方を信仰(ナーシャク)することでは、世界のあり方の受け止めとしては不十分であるとされる。
 死を司る悪神(プラヴァクシャン)であれど、敵が死に至ることは僥倖であり、太陽を司る善神(アヴァクシャン)であれど、灼熱の陽光で村の働き手達が倒れてしまっては本末転倒なのである。
 このように、あくまでも善神(アヴァクシャン)悪神(プラヴァクシャン)という分類は人格神としての背景や神話における扱い、生まれなどによる分類であって、その機能自体が良い悪いというものではないというのがブルシェク派の世界観なのである。このためにブルシェク派教徒達は、どれだけ恐ろしい存在であっても敬意を払って尊崇し、どれだけ希望あらたかな存在であってもその思わぬ災害を畏れるのである。

五曜

 ルドラス派の五曜は以下のように対応される。正義神アルヴェファーンは主神として常日頃意識されるものであるが、それとは別に各曜にて儀式や祈りがある神が対応している。


熱曜 ゲザッセル
水曜 イ・ボラ
風曜 ゲグル・バ・シド
緑曜 ヴァスタルデル
祭曜 ジャネイ

主な(アクシャン)

 ブルシェク派の(アクシャン)の名前は、主に古ロフィルナ語に遡るものが多く、その多くの意義は逸散しているために語源が分からないものが多い。

善神(アヴァクシャン)

正義神アルヴェファーン

 主に多くのブルシェク派教徒の主神として信仰(ナーシャク)される。神々の国でも地上でもあらゆる「正義」を司り、争いがあればそれを見届ける。相互星辰(ナリヴェトヴェ)を崩すような人や神を罰し、混沌が世界を包むことのないように世界全体を見渡しているという。
 相互星辰(ナリヴェトヴェ)を堅守する善神(アヴァクシャン)の軍団――聖祭の円卓(ゲルダーヴェイン)の主神でもある。

治癒神ヴァスタルデル

 医学を司り、病人や医者の守護神。病気や死はある種の世界のバランスに関わる事象であり、聖祭の円卓(ゲルダーヴェイン)の第二位として、世界の疫病と死を見つめているという。悪神(プラヴァクシャン)のイ・ボラとはとかく相性が悪く、出会うたびに喧嘩をする神話が多く残されている。

戦神ゲザッセル

 戦いを司り、勇気ある者や立ち向かう者の守護神。戦いの中で決着が決まることが公平に機会として存在することを守り、相互星辰の維持を図っている。

悪神(プラヴァクシャン)

水神イ・ボラ

 主に海を統ており、船乗りたちを惑わせ、霧の先にある精霊の国へと送るという。また、水辺で遊ぶ子供の手を引いて水の中に引きずり込み、その先にある精霊の国へと導くとも言われる。そうして精霊の国へと招かれた者たちは二度と生者の現世には帰っては来ないのだ。

雷神ゲグル・バ・シド

 悪雲を乗り物にする神であり、恵みの雨に感謝する人間の頭に雷を落とす。また、家の中に居てもその上に雷を落として火災を発生させる。悪神(プラヴァクシャン)の中でも特に性格が悪いと言われているが、勇敢な人間に対してはその神力を分け与えるともいう。

技術神ジャネイ

 あらゆる技術を司る神であり、工業や技術の守護神。あらゆる技術の高みを見つめており、身の丈に合わない力を使おうとしたものの試みを失敗させ、混沌を地上に産み落とす。

ルドラス派との関係

 詳しくは「ブルシェク派における当代五原則の解釈」を参照のこと。
 ルドラス派における当代五原則に対して、基本的にブルシェク派宗教法学者たちの意見は否定的なものが多い。それは基本的に神話的理念と世界観に基づく世界解釈から離れて、世俗化した宗教としてのルドラス派を批判する側面があるものの、一方で「当代五原則がエルドラームの教えから完全に逸脱しているわけではないため、異教徒と比べれば良く生きているほうだ」という認識もある。このため、一般的なブルシェク派教徒はルドラス派の教徒と対面したとしても、面と向かって罵倒したりすることはないが、軽蔑的な意識を持っているのが普通である。


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最終更新:2024年11月01日 23:57

*1 「互いの星が存在をさせられること」の意。ブルシェク派ではこの世界のバランスを星座≒神々の象徴の規則正しい動きとして、捉えられた。そのバランスが崩れているのであれば、星座は自由に崩れ、星は惑い、地は破滅すると考えられ、これを以て世界のバランスを保っているアヴァクシャンとプラヴァクシャンのナリヴェトヴェをナーシャクすることは正しく世界を受け止め、行動する規範や道徳となる宗教の目的として捉えられたのである。日本語文献ではこの意義から「相互星辰」とも呼ぶ。