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プレイ日記/英雄集結/董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り - (2011/07/15 (金) 16:33:41) の1つ前との変更点
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*プレイ日記 英雄集結 上級 董卓 「魔王董卓の殺伐たる天下取り」
ふと、1プレイで何人を殺せるのか挑戦しようと思い、殺した武将の記録としてプレイ日記をつけてみました。
環境はPSPK、上級で英雄終結の董卓でプレイ。サクサク進めたいので上級にしました。
戦死は「多い」、在野配置を「仮想」としています。
追加武将は有りで、我が勢力には董白ちゃんがいます。
さて、縛りやら条件についてですが、
1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する
2、だが相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、一人につき3度まで登用を実行可
3、主将はできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫らの初期メンバーを使う
4、鍛冶はたてない
の以上4つです。正直4つめがきついかも。またプレイしながら追加や削除するかも。
董卓「さて、では我が軍も天下統一を目指すとする。状況はどうなっておるのだ」
李儒「は。武威に馬騰、天水に韓遂、長安に何進がおります」
郭汜「厄介なことに3勢力ともに我が方を狙っております」
樊稠「さらに敵方には名の知れた将が幾人もおり、状況は幾分不利と申せましょう」
董卓「ふむむ、おのれ、我らが騎馬隊で蹴散らしてくれようぞ」
徐栄「お任せください、我らが必ず董卓様を勝たせてご覧にいれます」
董卓「よし、必ずや天下を取ってみせよう。だが、天下を取る際に反乱を起こされてはたまらぬ」
李傕「反乱ですか」
董卓「左様。なので信頼のおけん奴は皆殺しにする」
李粛「な、なんと…」
董卓「信頼のおけるのはお主たちだけじゃ、励めよ、者ども」
李郭樊華徐「ああっ、とうたくさまっ」
李儒「では参りましょうか。おや、どうなされた胡軫殿」
胡軫「いえ、別に……(言えない、張済殿が既に裏切って張繍の宛にいるなんて言えない)」
というやり取りがあったと思うので、勝手ですが李傕、郭汜、樊稠、華雄、徐栄の5人は董卓に親愛をつけました。
また李傕と郭汜も互いに親愛をつけました。
第1回
このゲームは序盤が楽しいので、最初は詳しく書こうと思います。
251年1月
プレイ開始と同時に市場を建てる。しかし、ここで愕然とする。
期待の李儒を使っても30日かかり、その他ではもう論外なのだ。これでは半年後の敵襲に間に合うか微妙。
それでも董卓、李儒、董白の特技により思った以上にお金と兵糧が入る。
6月。市場5つと農場3つ、兵舎と厩舎1つずつを建てたところでついに韓遂の天水から兵が向けられる。
と、思ったら武威からも。そしてなんと長安からも兵が来るという知らせが。
施設を建てたばかりで徴兵してる暇もない。困っていたら、幸いなことに安定の東の荒れ地で馬騰軍と韓遂軍がつぶし合いを始めたのだ。
というわけでまずは長安からの何進軍のみを迎撃することになった。
軍立ては何進の衝車10000、朱儁の戟兵5000、皇甫嵩の弩兵6000、そして廬植の弩兵6000という精鋭だ。
一列になって城に近づいてきたところにまずは火球を1発あてる。慌てて散開した敵を騎兵で突撃をかける。
こちらは華雄、徐栄と胡軫、董卓と樊稠、李傕と李儒、郭汜と牛輔が全て騎馬で5000ずつ。
華雄「敵将、見つけたぞ。勝負勝負」
廬植「匹夫め、うけてやろう……ってぐわぁぁ」
と、最初の華雄の突撃で発生した一騎打ちで軽傷の廬植を一撃。プレイ最初の処断者は廬植先生であった。
廬植の部隊が消滅したので後は楽だったが、途中で長安から王匡が5000の弩兵で援軍に来る。
これを攪乱と親愛によるタコ殴りで撃破し、王匡を捕獲。そして処断。他には逃げられる。
このころ、西はというと、馬と韓がつぶし合い、そこを抜けてたどり着いたのを各個撃破。ここで馬休を処断。
戦争の合間には「お楽しみ」の在野探索をする。毎回毎回、最初の都市で誰に会うかワクワクするのが楽しいので在野は仮想配置にしているのだ。
さてさっそく探索してみる。見つけたのは以下の通り。まず陸凱。風水もちの政治77である、欲しいが登用できず。
そして次に出てきたのは楊修。これも登用できず。うーん、まあ仕方ないのでもう一度探索し、郭攸之と李豊(蜀)を見つける。もちろん登用できず。今回ははずれのようだった。
252年1月
気を取り直して、内政と徴兵など軍備を整える。ここで天水の韓遂が張魯に攻められていることに気付く。
3月。35000の兵と30000馬を用意できたので、5部隊25000で武威を攻めて後顧の憂いを絶つことに。
武威の馬騰軍は我が軍と韓遂軍にフルボッコだったので兵力は12000となっている。
それでも城は耐久が3600と高いので火球を用いることにする。こちらの組み合わせは董卓と牛輔、華雄と胡軫、李傕と李儒、徐栄、郭汜が各5000ずつ。
武威に侵入したところで、馬雲緑と馬岱の騎馬4000が突っ込んでくる。親愛のフルボッコをして撃破。ここで馬岱を捕獲。好きな武将だが今回は処断。
さらに馬騰が自ら騎馬2000で突っ込んでくるがこれも撃破。
そしていよいよ城にとりつき、火球と火計で攻撃。6月、武威陥落。
ここで捕らえた武将は以下の通り。馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、王韜、閻行、成公英。
登用に応じたのは王韜、閻行、成公英。あとは残念ながら処断。
2都市を有したので官職が進む董卓であった。
今回の犠牲者 14人
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横。
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第2回
まず初めに縛りを訂正、追加したいと思います。
2つめの「捕虜一人につき3度まで登用を実行可」は意味がないことに気付いたので、
「捕虜は1度だけ登用を実行可で、断られたら解放し、再び捕らえた場合は即処断」と訂正します。
さらに「褒賞コマンドは半年に1回で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、即処断」も追加します。
董卓「ふはは、馬騰なぞ不足な相手であったが、これでわしも州刺史であるな」
李傕「おめでとうございます、馬氏一族郎党は根絶やしになりました」
郭汜「我らの官職も進めて頂けるとうれしゅうございます」
董卓「うむ、うむ、よい、よい、任せておくのじゃ」
李儒「ですが天水の張魯軍40000と長安の何進軍20000は未だ脅威でございます」
樊稠「我が方は安定に10000、武威に23000、軍備を急がねばなりませんな」
董卓「では、面倒くさいが更地の武威の内政をせねばならんな」
李粛「しかし我ら、内政はあまり……」
徐栄「では内政のできそうな人材を集めつつ、兵を鍛えましょう」
董卓「うむ、徐栄の言は良い。者ども、徐栄の言うように動くのじゃ」
李郭樊華「ははっ……(徐栄殿、褒められるとはうらやましい)」
李儒「では、内政にとりかかりましょう。おや、どうなされた胡軫殿」
胡軫「いえ、何でも……(言えない、董卓様のせいで人材が集まりにくいなんて言えない)」
というやり取りがあったと思うので、今回は人材を求めつつ内政をして、長安か天水の攻略を目指します。
252年7月
武威。馬氏皆殺しの武威。殺伐とした武威。内政が更地の武威。
ここは開発地が多く、端の都市なので生産拠点としてこの都市だけはしっかりと開発しておかねばならない。
しかし、黄巾よりはマシだがメンバーが貧弱であった。まず市場と農場を充実させることから始め、厩舎と兵舎を建てていくのだが、これに非常に時間がかかった。
それでも閻行、王韜、成公英が仲間になったことは大きい。なんとさらに彼ら3人がそれぞれ一人ずつ武将の登用に成功してくれたのだ。
まず登用されたのは陸凱である(前回、陸績とごっちゃになっていた)。彼の政治力は頼もしい。
次にやってきたのは楼玄。だれだ、って感じもしたが祈願もちで留守番役に最適であろう。
そして極め付けが大エースの丁儀の登用であった。顔グラ、経歴、能力ともに文句なしの2流以下でプレイヤーの好みである。
彼らを加え、武威では盛んに内政が行われた。
さらに能力研究や武将育成を行い、董卓などの魅力(←今回、重要さを実感した)、武力を上げる。レベル1や2の兵舎とはいえ、3人がかりでも1500程度しか徴兵できないのは辛いのだ。
兵を募る間は暇なので工房を建てて兵器を作る。だがこれも完成まで合計100日はかかった。
252年11月
そのころ安定城は太守の樊稠以下、董旻、牛輔、李粛の四将が守っていた。鍛えがいのありすぎる奴ばかりの素晴らしいメンツが揃う我が軍の本拠である。
さて、その安定城の廊下を李粛が走っていく。
李粛「た、たいへんでござる、樊稠殿。長安から大軍勢がやってくるようなのだ」
樊稠「なんと…。す、すぐに迎撃の準備だ。徴兵と訓練を急げ」
牛輔「おう、ようやく出番か」
と、いうことで何進軍が攻めてきたのだ。張魯軍は同時に攻めてこなかったのでそこは安心。
敵の軍容は、何進の孫の何晏の衝車5000、皇甫嵩の弩兵6000、朱儁の弩兵6000、張球と張承の槍兵5000、呉巨の騎兵5000という27000の大軍である。一方こちらは先ほどの四将と騎馬で15000しかいないのだ。さらに悪いことに、武威で内政を「長期」でやっているため、華雄や李儒、徐栄といった主力武将をこちらにまわせないのである。
敵に弩兵が2隊いるので太鼓台を建てた後に李粛が5000で城に残り、樊稠が5000騎、董旻と牛輔で5000騎を率いて出撃した。
戦闘開始。長安から安定は部隊が本道に一直線に並んでやってくるので火球を見舞う。
さらに安定城の右側は火種をいくつか作ってあり、そこへ李粛が兵1で火計をして道を火で塞ぎつつ、敵にまとめてダメージを与える。
たまらず本道の左側へ飛び出た敵部隊を火の中に戻すように突撃をかける。そこで太鼓台が鳴る。
牛輔「敵将、そこを動くな」
朱儁「おのれ、廬植将軍のかたき討ちをしてくれるわ」
朱儁は槍をしごいて突き掛かるも、能力鍛錬で武力を70まで上げた牛輔には敵わない。あっという間にゲージが減り、朱儁は討ち取られてしまう。朱儁隊消滅。
呉巨と何晏が消火にてこずっている間に、樊稠は皇甫嵩に突撃を繰り返し、火で負傷させる。しかし張球の槍兵によってこちらも被害を受け始める。
だがここで武威から回された華雄と胡軫、成公英が2000騎と1000騎を率いて援軍にくる。兵力1000の皇甫嵩隊に華雄が突撃し、皇甫嵩はまさかの轢死。
その後は成公英が攪乱を仕掛ける。あとはもうフルボッコであった。城の耐久を1300削られるも無事勝利したのである。
何晏を捕獲し、さらに張球と張承も捕獲。相性は22、29と124なので処断するか悩むも、プレイ日記を進めるために登用したいので捕虜にする。
張承は楼玄が、張球は成公英が、少し待ってから何晏を李儒がそれぞれ1発で登用した。
253年3月
安定の兵力補充と訓練をしつつ、周りの勢力を見てみる。
天水の張魯軍は50000で、所属武将は相性が董卓と近く、何より欲しい米道もちがいるのだ。
内政のきつい董卓軍としては開発済みの1都市に徴税、徴収、富豪、米道を揃えて物資を貯めた方が効率がよいと思われるからだ。
7月。在野の胡遵を登用する。その胡遵を加えて天水へ侵攻開始。
こちらは武威の兵力50000のうち43000騎。陣立ては董卓と胡遵と楼玄の11000騎が本隊、先鋒は華雄と張球(急襲)と「明鏡」をつけた李粛の7000騎、左に李傕と李儒の6000騎、右に郭汜と王韜の6000騎、董卓の後ろに成公英の衝車6000、最後尾に徐栄と陸凱の7000騎がつく。騎馬はこの矢印の形で進軍すると敵に対応しやすいと思うのでこう並べた。
天水からも迎撃軍がわらわらとインターセプトに出てくる。張魯軍は成宜や程銀の騎馬6000ずつや張衛や馬玩の戟兵が6000ずつ、張嶷や楊昂の弩兵が5000ずつという軍勢で、天水の真北で衝突した。
衝車を取りつかせれば勝ちなので、李儒などの攪乱で敵を足止めしたり、突撃で道を開けたりして敵中を突破、速攻で成公英が天水を落とす。天水城には閻圃と楊松しかおらず、相性から二人を捕虜にする。その後に部隊は反転して敵部隊を倒していく。華雄は厄介な張嶷にひたすら突撃して撃破、あとの奴らは攪乱をして殴るだけ。この戦いでは徐栄が成宜を捕獲して処断したのみだった。
254年1月
天水で内政と訓練を始めたところで、漢中から張魯軍が出撃したとの報が入る。見てみると漢中には60000近い兵、陽平関にも10000の兵がいて、次々と出撃していた。
馬玩 騎兵5000、楊秋 槍兵5000、張嶷 弩兵5000、羅憲 弩兵6000、李堪 弩兵5000、張魯 弩兵8000、程銀 戟兵5000、楊昂 衝車5000、費燿 井闌5000、楊任 井闌5000という60000近い大軍だったが、兵器が多く、二流武将ばかりなのが救いだ。対するこちらは43000から少し減り38000ほど。
出撃し、天水の東の狭くなっているところで迎撃する。張嶷と羅憲の弩兵が強く、火矢でかなり食らってしまったがまずこの2部隊を撃破。
続いて他の部隊を潰しにかかる。董、郭、李の親愛フルボッコで兵器隊を潰し、李儒が攪乱で足止め、徐栄や華雄が突撃を繰り返す。
ここで華雄が楊秋を捕獲したので処断。だがさらに漢中の西の桟道から李堪の井闌5000と羅憲と張嶷と王伉の弩兵5000が援軍でやってくる。
性格が猪突の李堪に郭汜が一騎打ちを仕掛け、勝利。もちろん処断。さらに華雄が羅憲隊に突撃すると王伉が戦死する。
最後に張衛を捕獲し、相性的に捕虜(3人目)にしたところで敵を全滅させた。天水城攻防戦は終了。
6月。長安からまたも何進軍がやってくるも、呉巨と董承の2隊という悲しい陣容。新加入の何晏は「機略」を持っており、攪乱からのタコ殴りであっという間に壊滅させる。
2将は逃がしたものの安定に凱旋した。と思ったら次のターン、季節の変わり目と加入後に即出陣したため何晏の忠誠が低く、張繍勢力に引き抜かれてしまったのだ。
こうして何晏は栄えある「董卓様推薦の殺しのリスト」の第1号となった。
255年3月
ようやく天水の内政もひと段落したが、兵舎や厩舎はまだない。なので安定から10000を輸送し、44000の兵力で漢中に侵攻することにした。
しかし内政中に捕虜の3将(閻圃、張衛、楊松)は逃げてしまっていた。牢番を鞭打ちつつ董卓軍出撃。陣容は徐栄と楼玄の7000騎、郭汜と陸凱の7000騎が先鋒となり、そのあとを李傕と成公英の衝車6000が進み、左右に董卓隊11000騎と華雄隊7000騎、後ろに李儒隊3000騎という形で陽平関に向かう。
陽平関は5000を率いて張嶷が守っている。矢がないので徐栄隊と郭汜隊が交互に殴る。はっきり言って耐久4000の関を殴るのは地味でだるい。兵力が0になり、陽平関は落ちるも漢中から援軍はない。敵将の張嶷は最後まで奮戦するも郭汜隊に捕まり、処断される。陽平関を抜けた途端に兵力20000の漢中から徐質が騎馬6000で突っ込んでくる。しかし、待ってましたと李儒に攪乱され、董卓、郭汜、華雄の愛の3連撃をうけて徐質隊壊滅。この時の華雄の突撃で副将の楊柏を轢殺し、同じく副将の馬玩を捕獲処断。華雄将軍おそるべし。徐質は相性は23なので捕虜(1)に。
それ以降は抵抗もなく、漢中は李傕の衝車隊により陥落。張魯軍はここに滅び去ったが、董卓軍が漢中を荒らしまわったせいか、施設が造幣1個しか残らなかった…orz さて、お楽しみの捕獲タイムである。
まず張魯を捕虜(2)へ、張衛が登用に応じ、閻圃も登用に成功。さらに楊昂が登用に応じた。張嶷の僚将であった羅憲は最後まで抵抗したので処断、他には程銀、侯選という韓遂の元部下を処断して董卓様は安堵。さらに内政官の秦宓と呂凱を処断、また反発した楊任も泣く泣く斬った。そして能力の良い費耀と火神もちの楊松とで悩んだが董卓様は使える駒をご所望なので楊松を処断し、費耀を捕虜(3)へ。最後に引き出されたのが、あの陳寿であった。彼には董卓様の横で歴史を記して欲しかったのだが董卓様は使える(ryなので処断。
こうして董卓軍は西の4都市を支配することとなり、董卓様はまた官職が進むのであった。
今回の犠牲者 17人 合計31人
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
指名手配 1人
-何晏
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第3回
まず初めに縛りの紛らわしい部分を補足させていただきます。
張衛や閻甫は一度捕獲した後に逃げられて、再び捕獲して登用しています。
これは本来なら即処断なのですが、二人とも一度目の捕獲時はまだ登用を実行していない内に逃げたので縛りにギリギリセーフとしました。
では、プレイ日記を書いていきたいと思います。
漢中城にて・・・
郭汜「董卓様、州牧へのご就任、まことにおめでとうございます」
董卓「うむ、うむ、此度の一連の戦では皆の働きに満足しておる。この調子で頼むぞ、皆の者」
華雄「お任せくださいませ、董卓様。我ら一同、さらなる働きをお約束いたします」
李儒「さて董卓様、今後の方針ですが、まずは漢中の内政を整えねばなりませんな(チラッ)」
李郭華徐「ギクッ・・・(ソワソワ)」
李儒「というわけなので、新たに登用した閻甫などを中心にもう取り掛かっております」
董卓「さ、左様か、さすがは李儒であるな。では内政後の展開についてであるが」
徐栄「は。南の梓潼城には鍾会がおり、道は狭くて森が多く、我らには攻めにくい土地です」
李傕「一方、東の上庸城は張繍の勢力下であり、配下の胡車児が守っており、ここを攻めるべきかと」
董卓「おう、張繍のところには何晏がおるな。奴は斬らねばならん」
李傕「では上庸攻めの方針で我らは軍備に取り掛かるといたします」
董卓「よし、では鍾会とは同盟を試み、上庸を攻めるとする。李儒、よきにはからうのじゃ」
李儒「かしこまりました。では早速とりかかりましょう・・・おや、胡軫殿・・・胡軫殿?」
そのころ安定城では・・・
胡軫「むむむ・・・」
樊稠「おや、どうなされたのだ胡軫殿?」
胡軫「樊稠殿か、貴殿は歯がゆくないのか?」
樊稠「ほう、どういうわけでござる?」
胡軫「我ら二将は先の天水の攻防から漢中の戦の間、この安定で留守番ばかりであったのだ。他の四将は戦で活躍をしているというのに、我らは守っているだけである。」
樊稠「なるほど、左様でござるな」
胡軫「左様でござるではないですぞ。董卓様忠臣七将のうちで我らの官職はあの李粛に抜かれてしまったではないか。我らも武勲のために長安を攻めるのだ」
樊稠「胡軫殿がそんなに大胆不敵だったとは・・・」
胡軫「大胆ではござらん、既に新兵器の井闌の準備を武威の閻行殿にお願いしてある。支度を急ぐぞ樊稠殿」
というようなやり取りがあったと思うので、方針として今回は「鍾会と同盟」、「内政後に上庸攻め」、「長安侵攻」の3本でお送りしたいと思います。
255年7月
漢中の内政を始める。もちろん結構な時間がかかることが予想される。
途中で費耀、徐質、そして張魯の登用に成功する。前回登用した閻圃、楊昂、張衛と合わせ6名が加わり、董卓軍は総勢26人となった。
特に楊昂、費耀、徐質は我ら騎馬軍団における3大重要特技の1つである「猛者」を持っているのだ。これは張魯軍の時に取得したものである。非常にありがたい。
喜んでいたら、伝令がやってきた。なんと鍾会軍が漢中に出撃したのだ。
軍勢は2部隊であったが率いている将が張任、厳顔という弓将である。前回、張嶷や羅憲の火矢で散々なダメージを受けたので、これを機に鍾会軍と親善を図り、内政要員フル稼働で同盟することに成功した。
一方、安定では徴兵と訓練を行い、武威太守の閻行が井闌と馬を輸送して、安定に合流していた。武威は董白ちゃんにお留守番をしてもらうとする。
10月。安定から出撃する。まず董旻が井闌6000を率いる。そして胡軫と楊昂の7000騎、樊稠と王韜の7000騎、牛輔の6000騎、閻行の6000騎があとに続く。
長安には20000の兵力があった。渭水を渡り、郿のあたりまで来ると長安から何進軍の迎撃隊が出てきた。
大将はおなじみの呉巨と董承で、それぞれ張松と郭攸之を副将としている。ここで胡軫軍の戦いの火蓋が切って落とされた。いや、むしろ胡軫軍の舞踏会が始まったのだった。
胡軫たちが踊っているのと同じころ、漢中城では上庸への侵攻準備を行っていた。
256年1月
年が明け、半年に1度の褒賞を済ますと内政は7割程度だが閻甫などに任せ、上庸に出撃する。
張繍は宛城で司馬懿軍と攻防が終わったばかりで援軍を出す余力はない。むしろ上庸を落としてそのまま宛まで進むつもりであった。
張繍軍にはどうしても欲しい人材が3人いるのだ。まず「騎将」もちの張繍と高知力の軍師賈詡、そして董卓の忠臣の最後の一人である張済の3人だ。
遠征軍は郭汜と成公英の衝車8000、華雄と李粛(明鏡)の8000騎、徐栄と費耀の8000騎、董卓と張球と胡遵の11000騎、李傕と李儒の8000騎で計43000である。
上庸城北西で迎撃に来た胡車児の戟兵7000、「槍将」李通の戟兵7000とぶつかる。
だが我ら騎馬隊は技巧研究で「騎射」まで習得しているほどの精鋭なのであっという間に壊滅させて2将を捕獲し、相性的に捕虜にした。
そのまま上庸城を攻める。張繍側も激しい抵抗をする、かと思われたが上庸に残されていたのは陶謙と廖立の2人のみあった。
落城と共に2人は捕らえられ、処断された。
董卓軍本隊が上庸を攻めていた2月。長安では樊稠隊がようやく何進軍軍師張松の偽報と攪乱の隙間を抜けたのだ。
もうめんどくさいので一騎打ちをしかける。
樊稠「敵将の董承と見える。いざ勝負でござる」
董承「おう、わしをなめるでないぞ、そりゃっ」
2将は剣戟激しく打ち合い、一騎打ちは長引くと思われたが、樊稠が攻撃コマンドのクリティカルに成功し、ここから一気に董承を撃破。あわれ勇将董承は処断されてしまう。
これを契機に何進の迎撃軍を撃破。董旻の井闌隊が城に迫り、攻撃を行う。長安城に戻っていた呉巨は城頭で奮戦するも捕獲され、大将軍何進もついに捕らえられる。
4月。ついに長安城は落ち、ここに何進軍は消滅した。捕らえた武将は何進、呉巨、張松、郭攸之の4人であり、全員が斬られたのは言うまでもない。
長安が我が物になったので気力を補充し、宛へ出撃しようとしている上庸に劉備軍が襄陽から攻めてきたという知らせが入った。
このころ劉備は江陵、永安、江夏、襄陽、新野を支配する大勢力であった。
さらにさらにまずい知らせが入った。先ごろ張繍との宛城攻防戦に負けた洛陽の司馬懿軍が、取ったばかりの長安へ大部隊を繰り出してきたのだ。
このまま宛を取っても帰り道の長安と上庸は取られている可能性が高い。敵中孤立はまずいので、上庸と長安の防衛の後に宛へ攻め入ることにした。
上庸へ来た劉備軍の軍容は虎将趙雲がなぜか衝車で、王平の弩兵、劉備の孫の劉諶の戟兵、朱異の弩兵、徐庶の槍兵など総勢30000であった。我が軍はこれを水際で迎撃する。
朱異と徐庶は港に入ったところを衝車と火計で撃破し、一気に10000を削る。次に趙雲隊を優先的に殴って撃破するも、捕獲はできず。
最後に王平隊、劉諶隊と殴り合い、弓の撃ち合いをする。王平は副将が廖化だったため逃してしまったが、劉諶は捕らえたので処断して劉備軍の攻撃隊を全滅させた。
また、この間に胡車児と李通の登用に成功していた。
上庸の本隊は劉備軍の攻撃で3000騎以上減ってしまっていたが、長安方面はそれ以上に悲惨であった。
なぜなら長安には司馬懿自らが騎馬隊でやってきたからである。さらにやや遅れて司馬昭の弩兵、楊肇の槍兵ほか衝車が2部隊続いている。
突出している司馬懿を倒せると賭けて、胡軫、樊稠、閻行が突撃をしかける。怒涛の攻めで猛者の楊昂が司馬懿に重傷を負わせる壊滅させるも、残念ながら逃してしまった。
長安の董旻は物資を持って安定に逃げさせ、外にいる騎馬の3隊は空白の潼関を抜け、宛方面へ向かわせた。長安は司馬昭が落とし、司馬懿軍のものとなった。
このころ、宛の張繍軍には兵力が17000ほどしかなく、攻め頃であった。
向かわせたのは郭汜の衝車6000と華雄8000騎、徐栄8000騎である。宛からの迎撃隊は武関付近の胡軫たちへ向かっていたため、あっさりと落城。8月、張繍軍は滅亡した。
お楽しみの捕獲タイムである。于禁、邵悌が登用に応じ、君主の張繍、軍師の賈詡、鄒氏の3人を捕虜にした。
ここで気付いたが武関の張繍軍には張済と何晏がいたようで、部隊消滅により二人を捕らえることができなかった。残念無念。
その他に捕らえた武将は劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬で、もちろん処断した。
ここで、胡軫らもようやく宛城まで10日前というところで閻行隊3000騎が司馬懿軍に寝返り、武関を占拠するという事態が発生。
出陣しっぱなしで仕方ないとはいえ、閻行も指名手配となる。
- さあて何人殺せるのやら・・・ -- 名無しさん (2011-07-12 16:04:06)
- 普段俺は処断しないから斬新だなぁ。 -- 名無しさん (2011-07-12 18:19:40)
- 騎馬縛りのプレイ日記も初めてじゃない?兵器は使うか分からんが -- 名無しさん (2011-07-12 20:20:26)
- コメントありがとうございます。こういう文章を書くのは初めてなので見苦しいかもしれませんが、董卓様の愛臣たちでがんばりますのでよろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-12 23:27:48)
- 最初に市場5つ建てるより市場4つと造幣にしたほうがよかったかと -- 名無しさん (2011-07-15 14:06:15)
#comment
*プレイ日記 英雄集結 上級 董卓 「魔王董卓の殺伐たる天下取り」
ふと、1プレイで何人を殺せるのか挑戦しようと思い、殺した武将の記録としてプレイ日記をつけてみました。
環境はPSPK、上級で英雄終結の董卓でプレイ。サクサク進めたいので上級にしました。
戦死は「多い」、在野配置を「仮想」としています。
追加武将は有りで、我が勢力には董白ちゃんがいます。
さて、縛りやら条件についてですが、
1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する
2、だが相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、一人につき3度まで登用を実行可
3、主将はできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫らの初期メンバーを使う
4、鍛冶はたてない
の以上4つです。正直4つめがきついかも。またプレイしながら追加や削除するかも。
董卓「さて、では我が軍も天下統一を目指すとする。状況はどうなっておるのだ」
李儒「は。武威に馬騰、天水に韓遂、長安に何進がおります」
郭汜「厄介なことに3勢力ともに我が方を狙っております」
樊稠「さらに敵方には名の知れた将が幾人もおり、状況は幾分不利と申せましょう」
董卓「ふむむ、おのれ、我らが騎馬隊で蹴散らしてくれようぞ」
徐栄「お任せください、我らが必ず董卓様を勝たせてご覧にいれます」
董卓「よし、必ずや天下を取ってみせよう。だが、天下を取る際に反乱を起こされてはたまらぬ」
李傕「反乱ですか」
董卓「左様。なので信頼のおけん奴は皆殺しにする」
李粛「な、なんと…」
董卓「信頼のおけるのはお主たちだけじゃ、励めよ、者ども」
李郭樊華徐「ああっ、とうたくさまっ」
李儒「では参りましょうか。おや、どうなされた胡軫殿」
胡軫「いえ、別に……(言えない、張済殿が既に裏切って張繍の宛にいるなんて言えない)」
というやり取りがあったと思うので、勝手ですが李傕、郭汜、樊稠、華雄、徐栄の5人は董卓に親愛をつけました。
また李傕と郭汜も互いに親愛をつけました。
第1回
このゲームは序盤が楽しいので、最初は詳しく書こうと思います。
251年1月
プレイ開始と同時に市場を建てる。しかし、ここで愕然とする。
期待の李儒を使っても30日かかり、その他ではもう論外なのだ。これでは半年後の敵襲に間に合うか微妙。
それでも董卓、李儒、董白の特技により思った以上にお金と兵糧が入る。
6月。市場5つと農場3つ、兵舎と厩舎1つずつを建てたところでついに韓遂の天水から兵が向けられる。
と、思ったら武威からも。そしてなんと長安からも兵が来るという知らせが。
施設を建てたばかりで徴兵してる暇もない。困っていたら、幸いなことに安定の東の荒れ地で馬騰軍と韓遂軍がつぶし合いを始めたのだ。
というわけでまずは長安からの何進軍のみを迎撃することになった。
軍立ては何進の衝車10000、朱儁の戟兵5000、皇甫嵩の弩兵6000、そして廬植の弩兵6000という精鋭だ。
一列になって城に近づいてきたところにまずは火球を1発あてる。慌てて散開した敵を騎兵で突撃をかける。
こちらは華雄、徐栄と胡軫、董卓と樊稠、李傕と李儒、郭汜と牛輔が全て騎馬で5000ずつ。
華雄「敵将、見つけたぞ。勝負勝負」
廬植「匹夫め、うけてやろう……ってぐわぁぁ」
と、最初の華雄の突撃で発生した一騎打ちで軽傷の廬植を一撃。プレイ最初の処断者は廬植先生であった。
廬植の部隊が消滅したので後は楽だったが、途中で長安から王匡が5000の弩兵で援軍に来る。
これを攪乱と親愛によるタコ殴りで撃破し、王匡を捕獲。そして処断。他には逃げられる。
このころ、西はというと、馬と韓がつぶし合い、そこを抜けてたどり着いたのを各個撃破。ここで馬休を処断。
戦争の合間には「お楽しみ」の在野探索をする。毎回毎回、最初の都市で誰に会うかワクワクするのが楽しいので在野は仮想配置にしているのだ。
さてさっそく探索してみる。見つけたのは以下の通り。まず陸凱。風水もちの政治77である、欲しいが登用できず。
そして次に出てきたのは楊修。これも登用できず。うーん、まあ仕方ないのでもう一度探索し、郭攸之と李豊(蜀)を見つける。もちろん登用できず。今回ははずれのようだった。
252年1月
気を取り直して、内政と徴兵など軍備を整える。ここで天水の韓遂が張魯に攻められていることに気付く。
3月。35000の兵と30000馬を用意できたので、5部隊25000で武威を攻めて後顧の憂いを絶つことに。
武威の馬騰軍は我が軍と韓遂軍にフルボッコだったので兵力は12000となっている。
それでも城は耐久が3600と高いので火球を用いることにする。こちらの組み合わせは董卓と牛輔、華雄と胡軫、李傕と李儒、徐栄、郭汜が各5000ずつ。
武威に侵入したところで、馬雲緑と馬岱の騎馬4000が突っ込んでくる。親愛のフルボッコをして撃破。ここで馬岱を捕獲。好きな武将だが今回は処断。
さらに馬騰が自ら騎馬2000で突っ込んでくるがこれも撃破。
そしていよいよ城にとりつき、火球と火計で攻撃。6月、武威陥落。
ここで捕らえた武将は以下の通り。馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、王韜、閻行、成公英。
登用に応じたのは王韜、閻行、成公英。あとは残念ながら処断。
2都市を有したので官職が進む董卓であった。
今回の犠牲者 14人
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横。
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第2回
まず初めに縛りを訂正、追加したいと思います。
2つめの「捕虜一人につき3度まで登用を実行可」は意味がないことに気付いたので、
「捕虜は1度だけ登用を実行可で、断られたら解放し、再び捕らえた場合は即処断」と訂正します。
さらに「褒賞コマンドは半年に1回で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、即処断」も追加します。
董卓「ふはは、馬騰なぞ不足な相手であったが、これでわしも州刺史であるな」
李傕「おめでとうございます、馬氏一族郎党は根絶やしになりました」
郭汜「我らの官職も進めて頂けるとうれしゅうございます」
董卓「うむ、うむ、よい、よい、任せておくのじゃ」
李儒「ですが天水の張魯軍40000と長安の何進軍20000は未だ脅威でございます」
樊稠「我が方は安定に10000、武威に23000、軍備を急がねばなりませんな」
董卓「では、面倒くさいが更地の武威の内政をせねばならんな」
李粛「しかし我ら、内政はあまり……」
徐栄「では内政のできそうな人材を集めつつ、兵を鍛えましょう」
董卓「うむ、徐栄の言は良い。者ども、徐栄の言うように動くのじゃ」
李郭樊華「ははっ……(徐栄殿、褒められるとはうらやましい)」
李儒「では、内政にとりかかりましょう。おや、どうなされた胡軫殿」
胡軫「いえ、何でも……(言えない、董卓様のせいで人材が集まりにくいなんて言えない)」
というやり取りがあったと思うので、今回は人材を求めつつ内政をして、長安か天水の攻略を目指します。
252年7月
武威。馬氏皆殺しの武威。殺伐とした武威。内政が更地の武威。
ここは開発地が多く、端の都市なので生産拠点としてこの都市だけはしっかりと開発しておかねばならない。
しかし、黄巾よりはマシだがメンバーが貧弱であった。まず市場と農場を充実させることから始め、厩舎と兵舎を建てていくのだが、これに非常に時間がかかった。
それでも閻行、王韜、成公英が仲間になったことは大きい。なんとさらに彼ら3人がそれぞれ一人ずつ武将の登用に成功してくれたのだ。
まず登用されたのは陸凱である(前回、陸績とごっちゃになっていた)。彼の政治力は頼もしい。
次にやってきたのは楼玄。だれだ、って感じもしたが祈願もちで留守番役に最適であろう。
そして極め付けが大エースの丁儀の登用であった。顔グラ、経歴、能力ともに文句なしの2流以下でプレイヤーの好みである。
彼らを加え、武威では盛んに内政が行われた。
さらに能力研究や武将育成を行い、董卓などの魅力(←今回、重要さを実感した)、武力を上げる。レベル1や2の兵舎とはいえ、3人がかりでも1500程度しか徴兵できないのは辛いのだ。
兵を募る間は暇なので工房を建てて兵器を作る。だがこれも完成まで合計100日はかかった。
252年11月
そのころ安定城は太守の樊稠以下、董旻、牛輔、李粛の四将が守っていた。鍛えがいのありすぎる奴ばかりの素晴らしいメンツが揃う我が軍の本拠である。
さて、その安定城の廊下を李粛が走っていく。
李粛「た、たいへんでござる、樊稠殿。長安から大軍勢がやってくるようなのだ」
樊稠「なんと…。す、すぐに迎撃の準備だ。徴兵と訓練を急げ」
牛輔「おう、ようやく出番か」
と、いうことで何進軍が攻めてきたのだ。張魯軍は同時に攻めてこなかったのでそこは安心。
敵の軍容は、何進の孫の何晏の衝車5000、皇甫嵩の弩兵6000、朱儁の弩兵6000、張球と張承の槍兵5000、呉巨の騎兵5000という27000の大軍である。一方こちらは先ほどの四将と騎馬で15000しかいないのだ。さらに悪いことに、武威で内政を「長期」でやっているため、華雄や李儒、徐栄といった主力武将をこちらにまわせないのである。
敵に弩兵が2隊いるので太鼓台を建てた後に李粛が5000で城に残り、樊稠が5000騎、董旻と牛輔で5000騎を率いて出撃した。
戦闘開始。長安から安定は部隊が本道に一直線に並んでやってくるので火球を見舞う。
さらに安定城の右側は火種をいくつか作ってあり、そこへ李粛が兵1で火計をして道を火で塞ぎつつ、敵にまとめてダメージを与える。
たまらず本道の左側へ飛び出た敵部隊を火の中に戻すように突撃をかける。そこで太鼓台が鳴る。
牛輔「敵将、そこを動くな」
朱儁「おのれ、廬植将軍のかたき討ちをしてくれるわ」
朱儁は槍をしごいて突き掛かるも、能力鍛錬で武力を70まで上げた牛輔には敵わない。あっという間にゲージが減り、朱儁は討ち取られてしまう。朱儁隊消滅。
呉巨と何晏が消火にてこずっている間に、樊稠は皇甫嵩に突撃を繰り返し、火で負傷させる。しかし張球の槍兵によってこちらも被害を受け始める。
だがここで武威から回された華雄と胡軫、成公英が2000騎と1000騎を率いて援軍にくる。兵力1000の皇甫嵩隊に華雄が突撃し、皇甫嵩はまさかの轢死。
その後は成公英が攪乱を仕掛ける。あとはもうフルボッコであった。城の耐久を1300削られるも無事勝利したのである。
何晏を捕獲し、さらに張球と張承も捕獲。相性は22、29と124なので処断するか悩むも、プレイ日記を進めるために登用したいので捕虜にする。
張承は楼玄が、張球は成公英が、少し待ってから何晏を李儒がそれぞれ1発で登用した。
253年3月
安定の兵力補充と訓練をしつつ、周りの勢力を見てみる。
天水の張魯軍は50000で、所属武将は相性が董卓と近く、何より欲しい米道もちがいるのだ。
内政のきつい董卓軍としては開発済みの1都市に徴税、徴収、富豪、米道を揃えて物資を貯めた方が効率がよいと思われるからだ。
7月。在野の胡遵を登用する。その胡遵を加えて天水へ侵攻開始。
こちらは武威の兵力50000のうち43000騎。陣立ては董卓と胡遵と楼玄の11000騎が本隊、先鋒は華雄と張球(急襲)と「明鏡」をつけた李粛の7000騎、左に李傕と李儒の6000騎、右に郭汜と王韜の6000騎、董卓の後ろに成公英の衝車6000、最後尾に徐栄と陸凱の7000騎がつく。騎馬はこの矢印の形で進軍すると敵に対応しやすいと思うのでこう並べた。
天水からも迎撃軍がわらわらとインターセプトに出てくる。張魯軍は成宜や程銀の騎馬6000ずつや張衛や馬玩の戟兵が6000ずつ、張嶷や楊昂の弩兵が5000ずつという軍勢で、天水の真北で衝突した。
衝車を取りつかせれば勝ちなので、李儒などの攪乱で敵を足止めしたり、突撃で道を開けたりして敵中を突破、速攻で成公英が天水を落とす。天水城には閻圃と楊松しかおらず、相性から二人を捕虜にする。その後に部隊は反転して敵部隊を倒していく。華雄は厄介な張嶷にひたすら突撃して撃破、あとの奴らは攪乱をして殴るだけ。この戦いでは徐栄が成宜を捕獲して処断したのみだった。
254年1月
天水で内政と訓練を始めたところで、漢中から張魯軍が出撃したとの報が入る。見てみると漢中には60000近い兵、陽平関にも10000の兵がいて、次々と出撃していた。
馬玩 騎兵5000、楊秋 槍兵5000、張嶷 弩兵5000、羅憲 弩兵6000、李堪 弩兵5000、張魯 弩兵8000、程銀 戟兵5000、楊昂 衝車5000、費燿 井闌5000、楊任 井闌5000という60000近い大軍だったが、兵器が多く、二流武将ばかりなのが救いだ。対するこちらは43000から少し減り38000ほど。
出撃し、天水の東の狭くなっているところで迎撃する。張嶷と羅憲の弩兵が強く、火矢でかなり食らってしまったがまずこの2部隊を撃破。
続いて他の部隊を潰しにかかる。董、郭、李の親愛フルボッコで兵器隊を潰し、李儒が攪乱で足止め、徐栄や華雄が突撃を繰り返す。
ここで華雄が楊秋を捕獲したので処断。だがさらに漢中の西の桟道から李堪の井闌5000と羅憲と張嶷と王伉の弩兵5000が援軍でやってくる。
性格が猪突の李堪に郭汜が一騎打ちを仕掛け、勝利。もちろん処断。さらに華雄が羅憲隊に突撃すると王伉が戦死する。
最後に張衛を捕獲し、相性的に捕虜(3人目)にしたところで敵を全滅させた。天水城攻防戦は終了。
6月。長安からまたも何進軍がやってくるも、呉巨と董承の2隊という悲しい陣容。新加入の何晏は「機略」を持っており、攪乱からのタコ殴りであっという間に壊滅させる。
2将は逃がしたものの安定に凱旋した。と思ったら次のターン、季節の変わり目と加入後に即出陣したため何晏の忠誠が低く、張繍勢力に引き抜かれてしまったのだ。
こうして何晏は栄えある「董卓様推薦の殺しのリスト」の第1号となった。
255年3月
ようやく天水の内政もひと段落したが、兵舎や厩舎はまだない。なので安定から10000を輸送し、44000の兵力で漢中に侵攻することにした。
しかし内政中に捕虜の3将(閻圃、張衛、楊松)は逃げてしまっていた。牢番を鞭打ちつつ董卓軍出撃。陣容は徐栄と楼玄の7000騎、郭汜と陸凱の7000騎が先鋒となり、そのあとを李傕と成公英の衝車6000が進み、左右に董卓隊11000騎と華雄隊7000騎、後ろに李儒隊3000騎という形で陽平関に向かう。
陽平関は5000を率いて張嶷が守っている。矢がないので徐栄隊と郭汜隊が交互に殴る。はっきり言って耐久4000の関を殴るのは地味でだるい。兵力が0になり、陽平関は落ちるも漢中から援軍はない。敵将の張嶷は最後まで奮戦するも郭汜隊に捕まり、処断される。陽平関を抜けた途端に兵力20000の漢中から徐質が騎馬6000で突っ込んでくる。しかし、待ってましたと李儒に攪乱され、董卓、郭汜、華雄の愛の3連撃をうけて徐質隊壊滅。この時の華雄の突撃で副将の楊柏を轢殺し、同じく副将の馬玩を捕獲処断。華雄将軍おそるべし。徐質は相性は23なので捕虜(1)に。
それ以降は抵抗もなく、漢中は李傕の衝車隊により陥落。張魯軍はここに滅び去ったが、董卓軍が漢中を荒らしまわったせいか、施設が造幣1個しか残らなかった…orz さて、お楽しみの捕獲タイムである。
まず張魯を捕虜(2)へ、張衛が登用に応じ、閻圃も登用に成功。さらに楊昂が登用に応じた。張嶷の僚将であった羅憲は最後まで抵抗したので処断、他には程銀、侯選という韓遂の元部下を処断して董卓様は安堵。さらに内政官の秦宓と呂凱を処断、また反発した楊任も泣く泣く斬った。そして能力の良い費耀と火神もちの楊松とで悩んだが董卓様は使える駒をご所望なので楊松を処断し、費耀を捕虜(3)へ。最後に引き出されたのが、あの陳寿であった。彼には董卓様の横で歴史を記して欲しかったのだが董卓様は使える(ryなので処断。
こうして董卓軍は西の4都市を支配することとなり、董卓様はまた官職が進むのであった。
今回の犠牲者 17人 合計31人
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
指名手配 1人
-何晏
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第3回
まず初めに縛りの紛らわしい部分を補足させていただきます。
張衛や閻甫は一度捕獲した後に逃げられて、再び捕獲して登用しています。
これは本来なら即処断なのですが、二人とも一度目の捕獲時はまだ登用を実行していない内に逃げたので縛りにギリギリセーフとしました。
では、プレイ日記を書いていきたいと思います。
漢中城にて・・・
郭汜「董卓様、州牧へのご就任、まことにおめでとうございます」
董卓「うむ、うむ、此度の一連の戦では皆の働きに満足しておる。この調子で頼むぞ、皆の者」
華雄「お任せくださいませ、董卓様。我ら一同、さらなる働きをお約束いたします」
李儒「さて董卓様、今後の方針ですが、まずは漢中の内政を整えねばなりませんな(チラッ)」
李郭華徐「ギクッ・・・(ソワソワ)」
李儒「というわけなので、新たに登用した閻甫などを中心にもう取り掛かっております」
董卓「さ、左様か、さすがは李儒であるな。では内政後の展開についてであるが」
徐栄「は。南の梓潼城には鍾会がおり、道は狭くて森が多く、我らには攻めにくい土地です」
李傕「一方、東の上庸城は張繍の勢力下であり、配下の胡車児が守っており、ここを攻めるべきかと」
董卓「おう、張繍のところには何晏がおるな。奴は斬らねばならん」
李傕「では上庸攻めの方針で我らは軍備に取り掛かるといたします」
董卓「よし、では鍾会とは同盟を試み、上庸を攻めるとする。李儒、よきにはからうのじゃ」
李儒「かしこまりました。では早速とりかかりましょう・・・おや、胡軫殿・・・胡軫殿?」
そのころ安定城では・・・
胡軫「むむむ・・・」
樊稠「おや、どうなされたのだ胡軫殿?」
胡軫「樊稠殿か、貴殿は歯がゆくないのか?」
樊稠「ほう、どういうわけでござる?」
胡軫「我ら二将は先の天水の攻防から漢中の戦の間、この安定で留守番ばかりであったのだ。他の四将は戦で活躍をしているというのに、我らは守っているだけである。」
樊稠「なるほど、左様でござるな」
胡軫「左様でござるではないですぞ。董卓様忠臣七将のうちで我らの官職はあの李粛に抜かれてしまったではないか。我らも武勲のために長安を攻めるのだ」
樊稠「胡軫殿がそんなに大胆不敵だったとは・・・」
胡軫「大胆ではござらん、既に新兵器の井闌の準備を武威の閻行殿にお願いしてある。支度を急ぐぞ樊稠殿」
というようなやり取りがあったと思うので、方針として今回は「鍾会と同盟」、「内政後に上庸攻め」、「長安侵攻」の3本でお送りしたいと思います。
255年7月
漢中の内政を始める。もちろん結構な時間がかかることが予想される。
途中で費耀、徐質、そして張魯の登用に成功する。前回登用した閻圃、楊昂、張衛と合わせ6名が加わり、董卓軍は総勢26人となった。
特に楊昂、費耀、徐質は我ら騎馬軍団における3大重要特技の1つである「猛者」を持っているのだ。これは張魯軍の時に取得したものである。非常にありがたい。
喜んでいたら、伝令がやってきた。なんと鍾会軍が漢中に出撃したのだ。
軍勢は2部隊であったが率いている将が張任、厳顔という弓将である。前回、張嶷や羅憲の火矢で散々なダメージを受けたので、これを機に鍾会軍と親善を図り、内政要員フル稼働で同盟することに成功した。
一方、安定では徴兵と訓練を行い、武威太守の閻行が井闌と馬を輸送して、安定に合流していた。武威は董白ちゃんにお留守番をしてもらうとする。
10月。安定から出撃する。まず董旻が井闌6000を率いる。そして胡軫と楊昂の7000騎、樊稠と王韜の7000騎、牛輔の6000騎、閻行の6000騎があとに続く。
長安には20000の兵力があった。渭水を渡り、郿のあたりまで来ると長安から何進軍の迎撃隊が出てきた。
大将はおなじみの呉巨と董承で、それぞれ張松と郭攸之を副将としている。ここで胡軫軍の戦いの火蓋が切って落とされた。いや、むしろ胡軫軍の舞踏会が始まったのだった。
胡軫たちが踊っているのと同じころ、漢中城では上庸への侵攻準備を行っていた。
256年1月
年が明け、半年に1度の褒賞を済ますと内政は7割程度だが閻甫などに任せ、上庸に出撃する。
張繍は宛城で司馬懿軍と攻防が終わったばかりで援軍を出す余力はない。むしろ上庸を落としてそのまま宛まで進むつもりであった。
張繍軍にはどうしても欲しい人材が3人いるのだ。まず「騎将」もちの張繍と高知力の軍師賈詡、そして董卓の忠臣の最後の一人である張済の3人だ。
遠征軍は郭汜と成公英の衝車8000、華雄と李粛(明鏡)の8000騎、徐栄と費耀の8000騎、董卓と張球と胡遵の11000騎、李傕と李儒の8000騎で計43000である。
上庸城北西で迎撃に来た胡車児の戟兵7000、「槍将」李通の戟兵7000とぶつかる。
だが我ら騎馬隊は技巧研究で「騎射」まで習得しているほどの精鋭なのであっという間に壊滅させて2将を捕獲し、相性的に捕虜にした。
そのまま上庸城を攻める。張繍側も激しい抵抗をする、かと思われたが上庸に残されていたのは陶謙と廖立の2人のみあった。
落城と共に2人は捕らえられ、処断された。
董卓軍本隊が上庸を攻めていた2月。長安では樊稠隊がようやく何進軍軍師張松の偽報と攪乱の隙間を抜けたのだ。
もうめんどくさいので一騎打ちをしかける。
樊稠「敵将の董承と見える。いざ勝負でござる」
董承「おう、わしをなめるでないぞ、そりゃっ」
2将は剣戟激しく打ち合い、一騎打ちは長引くと思われたが、樊稠が攻撃コマンドのクリティカルに成功し、ここから一気に董承を撃破。あわれ勇将董承は処断されてしまう。
これを契機に何進の迎撃軍を撃破。董旻の井闌隊が城に迫り、攻撃を行う。長安城に戻っていた呉巨は城頭で奮戦するも捕獲され、大将軍何進もついに捕らえられる。
4月。ついに長安城は落ち、ここに何進軍は消滅した。捕らえた武将は何進、呉巨、張松、郭攸之の4人であり、全員が斬られたのは言うまでもない。
長安が我が物になったので気力を補充し、宛へ出撃しようとしている上庸に劉備軍が襄陽から攻めてきたという知らせが入った。
このころ劉備は江陵、永安、江夏、襄陽、新野を支配する大勢力であった。
さらにさらにまずい知らせが入った。先ごろ張繍との宛城攻防戦に負けた洛陽の司馬懿軍が、取ったばかりの長安へ大部隊を繰り出してきたのだ。
このまま宛を取っても帰り道の長安と上庸は取られている可能性が高い。敵中孤立はまずいので、上庸と長安の防衛の後に宛へ攻め入ることにした。
上庸へ来た劉備軍の軍容は虎将趙雲がなぜか衝車で、王平の弩兵、劉備の孫の劉諶の戟兵、朱異の弩兵、徐庶の槍兵など総勢30000であった。我が軍はこれを水際で迎撃する。
朱異と徐庶は港に入ったところを衝車と火計で撃破し、一気に10000を削る。次に趙雲隊を優先的に殴って撃破するも、捕獲はできず。
最後に王平隊、劉諶隊と殴り合い、弓の撃ち合いをする。王平は副将が廖化だったため逃してしまったが、劉諶は捕らえたので処断して劉備軍の攻撃隊を全滅させた。
また、この間に胡車児と李通の登用に成功していた。
上庸の本隊は劉備軍の攻撃で3000騎以上減ってしまっていたが、長安方面はそれ以上に悲惨であった。
なぜなら長安には司馬懿自らが騎馬隊でやってきたからである。さらにやや遅れて司馬昭の弩兵、楊肇の槍兵ほか衝車が2部隊続いている。
突出している司馬懿を倒せることに賭けて、胡軫、樊稠、閻行が突撃をしかける。怒涛の攻めで猛者の楊昂が司馬懿に重傷を負わせて壊滅させるも、残念ながら逃がしてしまった。
長安の董旻は物資を持って安定に逃げさせ、外にいる騎馬の3隊は空白の潼関を抜け、宛方面へ向かわせた。長安は司馬昭が落とし、司馬懿軍のものとなった。
このころ、宛の張繍軍には兵力が17000ほどしかなく、攻め頃であった。
向かわせたのは郭汜の衝車6000と華雄8000騎、徐栄8000騎である。宛からの迎撃隊は武関付近の胡軫たちへ向かっていたため、あっさりと落城。8月、張繍軍は滅亡した。
お楽しみの捕獲タイムである。于禁、邵悌が登用に応じ、君主の張繍、軍師の賈詡、鄒氏の3人を捕虜にした。
ここで気付いたが武関の張繍軍には張済と何晏がいたようで、部隊消滅により二人を捕らえることができなかった。残念無念。
その他に捕らえた武将は劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬で、もちろん処断した。
ここで、胡軫らもようやく宛城まで10日前というところで閻行隊3000騎が司馬懿軍に寝返り、武関を占拠するという事態が発生。
出陣しっぱなしで仕方ないとはいえ、閻行も指名手配となる。
- さあて何人殺せるのやら・・・ -- 名無しさん (2011-07-12 16:04:06)
- 普段俺は処断しないから斬新だなぁ。 -- 名無しさん (2011-07-12 18:19:40)
- 騎馬縛りのプレイ日記も初めてじゃない?兵器は使うか分からんが -- 名無しさん (2011-07-12 20:20:26)
- コメントありがとうございます。こういう文章を書くのは初めてなので見苦しいかもしれませんが、董卓様の愛臣たちでがんばりますのでよろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-12 23:27:48)
- 最初に市場5つ建てるより市場4つと造幣にしたほうがよかったかと -- 名無しさん (2011-07-15 14:06:15)
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