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プレイ日記/反董卓連合/馬騰/上級/馬騰騎馬隊の漢室復興記 - (2014/01/16 (木) 06:30:39) の1つ前との変更点
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基本設定
上級
討死無し
能力変動、落雷無効
他史実設定
いにしえ、追加武将有り
縛りルール
漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可
董卓、李儒の処断
使用できるのは騎兵のみ
* 第1章
先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。
流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様
楊氏を加入させときます。
能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定
最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。
残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。
三度のゲームオーバーを挟んで。
劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる
石蹈、杜氏、贏政が見つかる
贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得
早速石蹈を軍師に任命。
4月21日都遷都イベントが発生
洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると
司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。
また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。
司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。
司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功
季節はもう8月になってる。
前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった
しかし、遂に董卓軍が動き出す。
天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。
何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心
と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で
南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。
まあ、いつまでも撹乱できないので
早く東に回った董卓軍を倒さねば。
191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。
南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。
192年1月
南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人
これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。
4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。
かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので
武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。
残念ながら遺跡でした。
193年1月馬鉄成人
あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。
董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め
東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中
劉焉軍はかなり厳しい模様。
曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻
また、許昌の軍で宛に侵攻している。
7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。
馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」
馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」
ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」
馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」
*第二章天水攻防戦
馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000
周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000
馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000
閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃
ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。
天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。
戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始
馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。
胡車児を捕らえたので処断。処断第1号
続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。
一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ
天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始
賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。
何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。
安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、
登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。
この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が
2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。
194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか
天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。
翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。
急いで防衛設備を作り始め
翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始
また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。
成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断
賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた
部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。
ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。
う~ん下手だなぁ。
安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。
10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける
12月指導持ちの廬植死亡。
馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」
195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。
東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。
長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。
南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。
1月
天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい
また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。
残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。
天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。
董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。
技巧研究騎射獲得。
これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。
2月頃
董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。
今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。
先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、
白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。
3月
長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス
漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ
* 第3章董卓討伐
馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」
ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」
王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」
馬騰「では、安定攻略を開始する。」
馬超「お待ちください父上!
天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます
霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」
劉曄「若君、ご安心ください。
長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので
武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」
馬超「なるほど!流石は劉曄だ」
馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000
馬超(騎神)+劉曄(射程)7000
周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000
司馬朗(築城)5000
計43000で出撃
項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。
劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。
司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。
敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。
長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて
天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。
天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。
5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。
7月安定を攻略
樊調、楊松、侯選、項籍を処断
馬騰「‥‥しまった!」
馬超「どうしました父上?」
馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」
馬超「‥‥‥‥‥」
10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか
長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。
12月
馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」
馬超「!?宜しいのですか父上?」
馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」
賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」
馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。
漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」
馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」
賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」
‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。
いやぁ悩みましたよ。
許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。
そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認
案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ
薊、北平に風前の灯でいました。
‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。
編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。
しかし、プレイ日記で編集機能使用は
例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか?
どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。
ゲームを続けます。
196年
曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので
11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。
董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。
漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。
我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。
知恵の部分でも大分強化された。
おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て
今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。
孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様
1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立
2月11日天水からの漢中攻略作戦開始
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000
ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000
計45000で出撃
4月
難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。
陽平関を落とし漢中に迫る。
華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。
中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。
5月劉焉死亡。劉璋継承
許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。
6月漢中攻略成功。董卓滅亡
董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断
鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。
蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥
斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。
次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。
* 第4章劉璋との戦い
馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」
白起「は?漢室など古くさい」
馬騰「追放」
‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。
11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。
全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。
漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。
197年
馬雲録、馬岱が成人
袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく
しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ
江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。
曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。
馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月
賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」
馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」
馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000
霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000
張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000
楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000
高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
計58000対する梓潼は張任合わせて65000
中々厳しい戦いになりそうだ。
- 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18:40:54)
- ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04:06:57)
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基本設定
上級
討死無し
能力変動、落雷無効
他史実設定
いにしえ、追加武将有り
縛りルール
漢室復興を目指すため漢室無視の将は登用不可
董卓、李儒の処断
使用できるのは騎兵のみ
* 第1章
先ずは、韓遂、梁興、成公英、成宜、馬玩を追放。
流石に四人では辛いので追加武将の後の馬超の奥様
楊氏を加入させときます。
能力研究は築城まで研究をしたら連戦獲得に向けて研究予定
最初のターンで劉ヨウ獲得に馬超を派遣。
残りの四名で内政しながらあのイベントを待つ。
三度のゲームオーバーを挟んで。
劉ヨウがなかなか獲得できないので最初は探索から試みる
石蹈、杜氏、贏政が見つかる
贏政は漢室無視なので獲得できないが石蹈、杜氏は有りがたく獲得
早速石蹈を軍師に任命。
4月21日都遷都イベントが発生
洛陽に在野が誰がいるのか確認してみると
司馬朗、廬植がいたので早速登用を試みる。
また、董承も獲れると言うので獲得を試みる。
司馬朗、董承は失敗、廬植は登用成功。
司馬は諦められないので再チャレンジ。6人目でようやく登用成功
季節はもう8月になってる。
前回、前々回は7月から董卓の進攻を受けていたが10月まで董卓軍の動き無しだった
しかし、遂に董卓軍が動き出す。
天水、安定から4部隊が出撃南の渡りは塞いでいるからだろう東の渡りからの進軍を狙っているようだ。
何とか間に合った築城を付けた司馬朗とホウ徳を副将にした馬超の部隊を向かわせて一安心
と思いきや南にも安定からの増援の騎兵隊が侵入をしようとしてくる。廬植をむかわせ撹乱一閃で
南に来た騎兵隊が混乱。流石は董卓軍、脳筋で助かる。
まあ、いつまでも撹乱できないので
早く東に回った董卓軍を倒さねば。
191年3月司馬朗に続いて築城を付けた劉ヨウをむかわせる。次のターンには東の迎撃も済んだので馬超を行かせる。
南は衝車、井闌を含め5部隊が渡りの前で立ち往生している。
192年1月
南の渡りの攻防戦が董卓軍の物量作戦で年が明けても終わらないなか馬休成人
これで、文官推挙で王異、在野にいた厳峻とで13人となった。
4月には在野にいた董和、楽毅を6月には捕虜の霍去病を獲得に成功。
かなり人材が充実してきた。この頃には南の渡りの攻防戦も一段落ついたので
武威に2ヶ所ある廟候補地に馬超に探索に行かせる。
残念ながら遺跡でした。
193年1月馬鉄成人
あれ以来董卓軍の進攻はなく平和。
董卓はいま、安定、天水、長安、漢中、上庸、宛、新野を治め
東は曹操の洛陽に南は劉焉の梓潼に侵攻中
劉焉軍はかなり厳しい模様。
曹操軍は洛陽他許昌、陳留を治め、董卓軍の侵攻を抑え逆に押し返して長安に侵攻
また、許昌の軍で宛に侵攻している。
7月21日遂に武威の兵力が最大値100000に達する。
馬超「父上軍備増強が終了いたしました。」
馬騰「霍去病はまだ戻らぬか?」
ホウ徳「ハッ劉曄登用から戻るのに後130日かかります。」
馬騰「そうか‥‥‥少し不安だが天水に向けて出撃しよう。」
*第二章天水攻防戦
馬騰(繁殖)+楽毅(心攻)10000
周泰(水神)+馬休(長駆)+王異(怒髪)5000
馬超(騎神)+ホウ徳(白馬)6000
閻行(繁殖)+馬鉄(親羌)+石蹈(規律)5000で出撃
ホウ徳が非常に勿体ないポジションだが馬超に付ける軍師が居なかったので仕方なし。
天水攻略部隊が武威領内から出ると安定から迎撃部隊が3部隊出撃してくる。
戦うポイントに太鼓台を1個設置し迎撃部隊との戦闘開始
馬騰、馬超の突撃で1800~2000の兵を削ってく。
胡車児を捕らえたので処断。処断第1号
続けて董旻も捕らえたのでこちらも処断。
一気に3部隊を片付け今度こそ天水へ
天水からは賈クを含む3部隊出撃。同じように太鼓台を作って戦闘開始
賈クは流石に硬く馬超、馬騰の突撃でも1000前後しか削れない。
何とか賈クら3部隊を撃破して天水包囲。
安定から安定近くに造った太鼓台を破壊しに部隊が出撃してきたので、
登用失敗で帰ってきていた霍去病を迎撃に向かわせる。
この迎撃初めは良かったのだが貂蝉の計略でボロボロにされて5000の兵が
2000を割るぐらいまで削られて天水へと逃げだすことに。
194年1月1日攻略軍が10000近く減ったものの何とか
天水攻略賈ク、鄒氏を捕らえる。
翌月、早くも長安から天水へと進攻する部隊が出撃してくる。
急いで防衛設備を作り始め
翌3月には成宜の騎兵隊が到着する前にある程度防衛設備が整い迎撃開始
また、この月に賈クを登用ようやく軍師が手に入る。
成宜の部隊は早々に袋叩きにして全滅させる。成宜を捕らえたので処断
賈ク軍師の判断力は優れ在野の劉曄を1発登用、天水へ侵攻していた
部隊の1部隊の廖化も見事に調略成功。その他武官推挙で張英、梁操を得る。
ホウ徳が岳飛も推挙してくれたが残念ながら返り討ちにあってしまった。
う~ん下手だなぁ。
安定からも楊秋騎兵隊が来たがさっさと迎撃全滅時楊秋を捕らえたので処断。
10月連戦を獲得したので馬騰、梁操に付ける
12月指導持ちの廬植死亡。
馬騰「悲しいなぁまた1人漢室復興の仲間が亡くなったかぁ。」
195年まだまだ天水攻防戦は続く今は、南の漢中から董卓軍が侵攻している。
東では曹操軍が宛を攻略し、今また新野も得ようとしていた。
長安洛陽の攻防も潼関まで曹操のものになっている。
南の梓潼はどうやら劉焉軍が防衛に成功したようだ。
1月
天水の在野費詩を発見し登用能力は中だが馬騰軍にとって政治70以上はありがたい
また、捕虜にしていた皇甫嵩を獲得。
残りわずかな人生馬騰と一緒に漢室の為に働いてもらおう。
天水攻防戦にて北から迫っていた董承も調略する。
董卓軍の最大の弱点は董卓に魅力無く部下に裏切られやすいところかもしれない。
技巧研究騎射獲得。
これで、弩兵を使えないので防衛戦にありがたい武器ができた。
2月頃
董卓、白起、馬玩の3部隊がようやく天水に迫ってきた。
今天水は40000を越え南の防衛設備として太鼓台を2台設置して迎撃準備はばっちし。
先ずは、董卓を馬騰、馬超、霍去病の突撃でガリガリ削り全滅させ、
白起は馬超突撃時に一騎討ちが発生し勝利して捕獲。馬玩もプチっと潰す。
3月
長安から安定を通るルートで天水進攻する部隊が出撃する。チャンス
漢中から来る閻圃への対策に霍去病を残して全員武威へ移動。さて、次だ
* 第3章董卓討伐
馬騰「まずは、ホウ徳、王異は結婚せよ」
ホウ徳「ハハッよろしく頼む王異。」
王異「末永く幸せにしてくだされホウ徳様。」
馬騰「では、安定攻略を開始する。」
馬超「お待ちください父上!
天水に向けて長安より董卓軍が侵攻中と聞きます
霍去病、賈ク軍師だけでは厳しいのでは?」
劉曄「若君、ご安心ください。
長安からの部隊は安定を通る道で進んでおりますので
武威から部隊を侵攻させれば道の途中で長安からの部隊と戦うことができます」
馬超「なるほど!流石は劉曄だ」
馬騰「よし、それでは、部隊を編成する。」
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)11000
馬超(騎神)+劉曄(射程)7000
周泰(水神)+石蹈(規律)+馬休(長駆)6000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+馬鉄(親羌)7000
司馬朗(築城)5000
計43000で出撃
項籍、韓遂が安定より迎撃に出撃、次のターンには張遼も出撃してくる。
劉曄の撹乱で項籍を混乱させる。
司馬朗で太鼓台をガンガン作り、項籍隊から攻撃を加えていく。
敵迎撃部隊を全滅させる。項籍隊の副将にいた何儀、韓遂を捕らえ、処断。
長安より天水攻略に侵攻している華雄槍隊が馬騰らの部隊の南から上手くすり抜けて
天水へ向かおうとするので劉曄の偽報で呼び戻し太鼓台の範囲内で袋叩きにする。
天水攻略部隊に出撃した衝車隊の劉勳を捕らえたので捕虜に。
5月天水の牢屋にいた白起の登用に成功。
7月安定を攻略
樊調、楊松、侯選、項籍を処断
馬騰「‥‥しまった!」
馬超「どうしました父上?」
馬騰「項籍を複数一緒に処断してしまったのでセリフを見れなかった!」
馬超「‥‥‥‥‥」
10月曹操軍に長安が攻めこまれるなか
長安にて疫病発生。さて、どうしよう‥‥。
12月
馬騰「陛下は曹操殿に任せようとおもう。」
馬超「!?宜しいのですか父上?」
馬騰「曹操殿は漢の功臣夏侯嬰、曹参の一族である陛下を無下には扱うまい。」
賈ク「しかし、ここまで来てそれは‥‥‥」
馬騰「我らは董卓討伐を最優先させる。
漢中、上庸を落とし陛下に董卓の首を捧げようぞ」
馬超「ハハッ!必ず董卓らの首を討ち取ってご覧にいれましょう。」
賈ク「‥‥‥‥畏まりました。」
‥‥ということで長安は曹操軍に任せることにしました。
いやぁ悩みましたよ。
許昌遷都のイベントを見たいと思い最終的にこの決断に至りました。
そして、もう1つの大きなイベント二強開戦を見たいので袁紹軍を確認
案の定劉備と公孫讃、韓腹から勢力を継いだ王匡らに河北を荒らされ
薊、北平に風前の灯でいました。
‥‥何でいつも袁紹ってこんなに弱いんでしょうね。
編集を使い薊、北平を最大に強化。これでダメだったらもう知りません。
しかし、プレイ日記で編集機能使用は
例え自分の勢力に関わるような事でなくてもNGなのでしょうか?
どうかこの一回だけですのでお見逃し下さい。
ゲームを続けます。
196年
曹操軍強し、上庸も落とし今や10都市を支配長安も後1、2ターンで落ちそうなので
11ですか‥‥曹操は袁紹と真逆でどんな状況で始めても強いですね。
董卓は上庸を奪われ後は漢中のみしかも劉焉軍に攻めこまれる始末。
漢中攻略作戦急いだ方がいいですね。
我が馬騰軍は安定攻略で捕虜にした荀攸、貂蝉を登用。
知恵の部分でも大分強化された。
おそらく次に戦うことになるであろう劉焉軍は益州南蛮の生産力を得て
今は、孫堅、劉表と激しく江陵で激突。
孫堅は荊州南郡と柴桑を得ているが将の数が少なく伸び悩んでいる模様
1月11日曹操軍長安攻略献帝擁立
2月11日天水からの漢中攻略作戦開始
馬騰(連戦)+皇甫嵩(火攻)+董承(築城)11000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+石蹈(規律)7000
霍去病(騎神)+馬鉄(親羌)+劉曄(射程)7000
ホウ徳(白馬)+馬休(長駆)+王異(怒髪)7000
楽毅(心攻)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
賈ク(反計)+周泰(水神)+白起(闘神)6000
計45000で出撃
4月
難所行軍研究完了。これで、益州攻めの大きな武器をゲット。
陽平関を落とし漢中に迫る。
華雄、張遼、董卓が迎撃に出撃ちなみに呂布が居ないのは曹操軍に獲られてしまっているからだ。
中々厳しい戦いになり7000にた霍去病の騎兵隊が242まで減らされ撤退を余儀なくされた。
5月劉焉死亡。劉璋継承
許昌遷都のイベント発生。荀イクと曹操の微妙な食い違いが感慨深い。
6月漢中攻略成功。董卓滅亡
董卓、袁術、胡診、牛輔、張済、成公英処断
鄒氏、張繍、張遼、張勳、高順、楽就、侯成、宋憲、張既獲得。
蔡瑁、郭シ解放。←嫌いな武将なので別に処断しても良かったのですが‥‥
斬るには勿体ない中堅だったので解放してあげました。
次の章は益州攻めにするつもりではいますがさてはて。
* 第4章劉璋との戦い
馬騰「白起、お主、漢室無視だったのか?」
白起「は?漢室など古くさい」
馬騰「追放」
‥‥‥すみません白起漢室普通だと思ってました。
11月張遼が武官推挙で朱桓を連れてくる。
全能力80前後の優等生。ただ、槍将なので特技の付け替えが必要。
漢中に外交府を建て曹操に土下座外交をしながらこの年を終える。
197年
馬雲録、馬岱が成人
袁紹軍は強化のかいあり、公孫讃を滅ぼし今は、南皮奪還に激しく攻撃を加えていく
しかし、流石は劉備軍。関羽らの厳しい攻撃にかなりの被害が出ているようだ
江陵での戦いは孫堅が制したが劉璋もまだまだ、諦めておらず虎視眈々と江陵を狙っている。
曹操はいよいよ荊州城陽攻略へ乗り出したようだ。
馬騰軍は曹操軍の動きに焦りを感じつつ軍備増強を行う。そして‥‥3月
賈ク「劉璋軍の張任隊戟兵S 8000が剣閣に向けて進軍中との報告を受けました。」
馬騰「よし、少し早いが梓潼攻略部隊を編成する」
馬騰(連戦)+朱桓(槍将)+董承(築城)11000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)8000
馬超(騎神)+凌操(連戦)+馬休(長駆)8000
霍去病(騎神)+馬岱(沈着)+鄒氏(楽奏)8000
張遼(威風)+馬雲緑(騎将)+劉曄(射程)8000
楽毅(心攻)+華雄(猛者)+馬鉄(親羌)7000
高順(攻城)+荀攸(百出)+貂蝉(傾国)7000
計58000対する梓潼は張任合わせて65000
中々厳しい戦いになりそうだ。
7月21日梓潼攻略
予想外に楽な戦いだった都市の兵士数は多かったがそれを指揮する武将が四人しかいない
すぐに梓潼を囲んで太鼓台を2個造り一斉攻撃して兵士数を削ってから迎撃部隊を撃破
王甫、高沛を捕虜にした。
急ぎ漢中に治安維持担当の二人を残し残り全員を梓潼内政のため移動させる
10月内政の目処がたったため成都攻略作戦開始
馬超(騎神)+馬岱(沈着)+石蹈(規律)8000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+馬雲録(騎将)8000
張遼(威風)+張繍(騎将)+朱桓(槍将)8000
霍去病(騎神)+華雄(猛者)+劉曄(射程)8000
高順(攻城)+馬休(長駆)+董承(築城)7000
計39000対する成都は2つの関を合わせても20000に
届かない。年内攻略できるか?
198年後一撃で成都陥落というところで年明けを迎える。
曹操軍は城陽、北海、盧江を落とし今は、僕陽に部隊を派遣している。
袁紹軍は南皮を奪還しその勢いのまま平原を攻略しようとしたようだが
残念ながら返り討ちにされていた。しかし、北平には70000、南皮には40000の軍が在中し
すぐにでも劉備軍を攻める準備は出来ているようだ。
荊州江陵は今は、劉璋軍の支配下しかし、すぐ北の城陽には曹操軍70000が在中。
すぐにでも主交代となりそうだ。
1月成都攻略初の大都市ゲット。
また、楊昂を処断。梓潼には登用に成功した高沛を残して成都へ。
内政を始める。
- 張飛の人かな? -- 名無しさん (2014-01-12 18:40:54)
- ↑はい、そうです。前回に続き今回もお付き合いいただき有り難うございます -- 筆者 (2014-01-13 04:06:57)
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