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基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能
* 第8章
214年董允成人
曹操軍
都市数13武将数122兵数586364
都市数の割りに武将数はまだまだ多い知では諸葛亮、司馬懿、曹操がおり武では関羽、甘寧、夏候一族と挙げたら切りなし
孫権軍
都市数3武将数23兵数265103
何処とも戦えないので武将数は増えないし減らない。まあ、曹操を滅ぼしたら一気に叩き潰してあげます。
馬騰軍
都市数26武将数159兵数971560
軍備増強中問題は廬江。騎兵には北東ルートから攻められるとかなりきつい。+戟兵が来ると通常攻撃がガンガン無効化される。
急ぎ小沛、僕陽の攻略の部隊を用意せねば。
7月停戦終了
曹操軍が動きだす。晋陽からギョウへ関羽、李勣、呂玲綺、諸葛亮、王剪が平原から曹仁木獣が進攻してくる
21日には建業より廬江へ許緒、徐晃、関索、張コウ、管仲らが小沛から文ペイ、曹洪、楽進らが進攻してくる。
全部で27部隊が進軍する壮観壮観。
こちらも負けずに攻略作戦開始する
同月11日洛陽より僕陽攻略部隊出陣
馬騰(連戦)+楊儀()18000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+陳震(心攻)18000
馬休(長駆)+潘ショウ(捕縛)+凌操(連戦)17000
ウッ遅恭(槍神)+鐘ヨウ(能史)16000
秦瓊(金剛)+張繍(騎将)+董允(指導)16000
馬鉄(補佐)+韓信(強行)+傅トウ(連戦)15000
計100000対する僕陽59681
同月21日許昌から小沛へ
張遼(威風)+石蹈(規律)+孫礼(猛者)18000
厳顔(弓将)+張既(親羌)16000
黄忠(弓神)+法正(心攻)+徐氏(跪計)14000
関平(補佐)+廖化(血路)+王甫(明鏡)12000
黄権(神算)+崔州平(指導)+趙累(補佐)12000
徐庶(深謀)9000
張虎()+関寧(発明)8000
計89000対する小沛は18000だが廬江へ出撃した部隊が戻ってくる可能性があるため油断できない。
11月攻防戦はつづくなか
鄭成功「すまない義兄弟咲きに逝く義兄弟はゆっくりと来いよ。」
岳飛「ああ、」
陳慶之「天下が定まったらまた会おう。」
廬江防衛部隊の一角鄭成功が死ぬ。副将をつけていなかったため兵力としてもかなりの痛手
ただ、建業からの部隊はほぼ片付いていたのがせめてもの救い。
小沛からの曹操軍は廬江へ手が出せる位置まで押し上げているため急がねば。
同月21日僕陽より先に小沛攻略。都市の兵数が少なかったこともあり楽勝でした。
捕らえた将は夏候恩だけというショッパイ結果に忠誠度も下がらなかったため後に解放。
215年朱異、張緝成人
曹操軍
都市数12武将数120兵数412956
都市としては昨年は小沛を失っただけだが僕陽防衛戦。建業、小沛からの廬江攻略戦。晋陽、平原からのギョウ攻略戦で多くの兵の損失を出したため60万近い兵数が40万にまで減ってしまったという状況。
馬騰軍
都市数26武将数159兵数1118608
遂に兵数100万越え。廬江攻防戦は賈クの連環に副将に李灰の機略で撹乱、劉曄偽報でなんとか北東からの敵の進軍を押し留め楽毅の心攻で敵部隊の兵数を減らす作戦が今のところ巧くいっている状況南の建業からの部隊は撃破でき、小沛は陥落したのでなんとか守りきれそう。
孫権軍割愛
1月
いきなり孫権軍に朱異を登用される。1ターンもいなかったんですけど‥‥
在野の王坑獲得。
同月21日僕陽攻略成功。
曹丕を捕らえたので処断。他は捕虜に
かなりきつい戦いだった南からの陸ルートで都市に攻め混んだのが失策だった周辺が森なのと道幅が狭いため
なかなか進軍できない、都市包囲中に北東の港から二万の増援が都市に入城。曹彰騎兵隊等が出撃馬休隊を曹彰が疾走で混乱させ
于禁などの攻撃で馬休隊を全滅させられる。こちらは僕陽包囲で上手く援護できないためほぼ馬休隊は見殺しのようになってしまいました。後、先ずは、都市からと僕陽を陥落させ曹彰部隊を包囲せん滅他の曹操軍の部隊は黄河へと退却していきました。
僕陽の戦い終わって見れば兵力は10万いたのが残兵35000と辛勝。ただ、その分多少は戦果もありトウ芝、関沢らを獲得できました。
3月梓潼の在野高翔を、廬江防衛戦で捕虜にした呂岱を獲得。
廬江攻防戦は大分落ち着いた状態になりつつあるしかし、
今度は、小沛に夏候淵、呂玲綺の弩兵等が接近中張遼らは次の攻略戦のために許昌へ移動したため戦力不足は否めない。
4月21日許昌から下ヒ攻略作戦開始
張遼(威風)+石蹈(規律)18000
厳顔(弓将)+張既(親羌)+徐氏(跪計)16000
黄忠(弓神)+法正(心攻)14000
関平(補佐)+王甫(明鏡)12000
黄権(神算
基本設定PSPK
上級/討死無し/妖術、落雷無し/能力変動無し/いにしえ、追加武将有り
縛りルール
登用できるのは漢室が普通、重視の将のみ。/処断できるのは基本漢室無視の将のみ。
使用兵装は騎兵のみ。
プレイ年数205年5月1日からの新縛りルール
漢室普通、重視の敵将の扱い
捕まえるごとの捕虜期間は90日間としてそれ以上になる場合は解放。
漢室普通の敵将の扱い
統率、武力、知力の何れかが85以上ある武将は
最初の1回目の登用に応じなかった場合は次に捕虜に出来るまでは登用不可
所属勢力が滅びた場合は何時でも何度でも登用可能
* 第8章
214年董允成人
曹操軍
都市数13武将数122兵数586364
都市数の割りに武将数はまだまだ多い知では諸葛亮、司馬懿、曹操がおり武では関羽、甘寧、夏候一族と挙げたら切りなし
孫権軍
都市数3武将数23兵数265103
何処とも戦えないので武将数は増えないし減らない。まあ、曹操を滅ぼしたら一気に叩き潰してあげます。
馬騰軍
都市数26武将数159兵数971560
軍備増強中問題は廬江。騎兵には北東ルートから攻められるとかなりきつい。+戟兵が来ると通常攻撃がガンガン無効化される。
急ぎ小沛、僕陽の攻略の部隊を用意せねば。
7月停戦終了
曹操軍が動きだす。晋陽からギョウへ関羽、李勣、呂玲綺、諸葛亮、王剪が平原から曹仁木獣が進攻してくる
21日には建業より廬江へ許緒、徐晃、関索、張コウ、管仲らが小沛から文ペイ、曹洪、楽進らが進攻してくる。
全部で27部隊が進軍する壮観壮観。
こちらも負けずに攻略作戦開始する
同月11日洛陽より僕陽攻略部隊出陣
馬騰(連戦)+楊儀()18000
ホウ徳(白馬)+王異(怒髪)+陳震(心攻)18000
馬休(長駆)+潘ショウ(捕縛)+凌操(連戦)17000
ウッ遅恭(槍神)+鐘ヨウ(能史)16000
秦瓊(金剛)+張繍(騎将)+董允(指導)16000
馬鉄(補佐)+韓信(強行)+傅トウ(連戦)15000
計100000対する僕陽59681
同月21日許昌から小沛へ
張遼(威風)+石蹈(規律)+孫礼(猛者)18000
厳顔(弓将)+張既(親羌)16000
黄忠(弓神)+法正(心攻)+徐氏(跪計)14000
関平(補佐)+廖化(血路)+王甫(明鏡)12000
黄権(神算)+崔州平(指導)+趙累(補佐)12000
徐庶(深謀)9000
張虎()+関寧(発明)8000
計89000対する小沛は18000だが廬江へ出撃した部隊が戻ってくる可能性があるため油断できない。
11月攻防戦はつづくなか
鄭成功「すまない義兄弟咲きに逝く義兄弟はゆっくりと来いよ。」
岳飛「ああ、」
陳慶之「天下が定まったらまた会おう。」
廬江防衛部隊の一角鄭成功が死ぬ。副将をつけていなかったため兵力としてもかなりの痛手
ただ、建業からの部隊はほぼ片付いていたのがせめてもの救い。
小沛からの曹操軍は廬江へ手が出せる位置まで押し上げているため急がねば。
同月21日僕陽より先に小沛攻略。都市の兵数が少なかったこともあり楽勝でした。
捕らえた将は夏候恩だけというショッパイ結果に忠誠度も下がらなかったため後に解放。
215年朱異、張緝成人
曹操軍
都市数12武将数120兵数412956
都市としては昨年は小沛を失っただけだが僕陽防衛戦。建業、小沛からの廬江攻略戦。晋陽、平原からのギョウ攻略戦で多くの兵の損失を出したため60万近い兵数が40万にまで減ってしまったという状況。
馬騰軍
都市数26武将数159兵数1118608
遂に兵数100万越え。廬江攻防戦は賈クの連環に副将に李灰の機略で撹乱、劉曄偽報でなんとか北東からの敵の進軍を押し留め楽毅の心攻で敵部隊の兵数を減らす作戦が今のところ巧くいっている状況南の建業からの部隊は撃破でき、小沛は陥落したのでなんとか守りきれそう。
孫権軍割愛
1月
いきなり孫権軍に朱異を登用される。1ターンもいなかったんですけど‥‥
在野の王坑獲得。
同月21日僕陽攻略成功。
曹丕を捕らえたので処断。他は捕虜に
かなりきつい戦いだった南からの陸ルートで都市に攻め混んだのが失策だった周辺が森なのと道幅が狭いため
なかなか進軍できない、都市包囲中に北東の港から二万の増援が都市に入城。曹彰騎兵隊等が出撃馬休隊を曹彰が疾走で混乱させ
于禁などの攻撃で馬休隊を全滅させられる。こちらは僕陽包囲で上手く援護できないためほぼ馬休隊は見殺しのようになってしまいました。後、先ずは、都市からと僕陽を陥落させ曹彰部隊を包囲せん滅他の曹操軍の部隊は黄河へと退却していきました。
僕陽の戦い終わって見れば兵力は10万いたのが残兵35000と辛勝。ただ、その分多少は戦果もありトウ芝、関沢らを獲得できました。
3月梓潼の在野高翔を、廬江防衛戦で捕虜にした呂岱を獲得。
廬江攻防戦は大分落ち着いた状態になりつつあるしかし、
今度は、小沛に夏候淵、呂玲綺の弩兵等が接近中張遼らは次の攻略戦のために許昌へ移動したため戦力不足は否めない。
4月21日許昌から下ヒ攻略作戦開始
張遼(威風)+石蹈(規律)18000
厳顔(弓将)+張既(親羌)+徐氏(跪計)16000
黄忠(弓神)+法正(心攻)14000
関平(補佐)+王甫(明鏡)12000
黄権(神算)+崔州平(指導)12000
徐庶(深謀)+趙累(補佐)9000
張虎()+関寧(発明)8000
計89000。小沛に来襲の曹操軍を撃破して下ヒへと目指す。
5月
襄陽の在野向チョウ獲得。金剛もちの中堅統率の高い部隊の副将にしようかな
廬江攻防戦
建業より関索騎兵が北東の港から上陸。危険極まりないので偽報で帰っていただく。その他は
徐晃、張コウの部隊が建業よりやって来ているが何故か水軍適性Cのくせに長江から上陸しようとせず。
周泰、岳飛ら水軍適性の高い部隊を編成して闘艦に乗せ迎撃に向かわせる。
小沛防衛戦
夏候淵弩兵、呂玲綺、劉封木獣が都市を包囲また、下ヒより騎兵隊が出撃している。
呉懿、カク昭、閻行の3部隊で迎撃。曹操軍は小沛への攻撃で迎撃部隊は無視。都市耐久をガンガン削る。不味し‥‥
7月
小沛防衛戦
都市耐久5200から1038まで減らされながら許昌からの部隊も間に合い何とか迎撃成功。
その際に捕虜にした劉封、糜竺が登用に応じてくれる。
ギョウ防衛戦
晋陽、平原からの西から東からの曹操軍の進軍が非常に煩い特に西からは南に開発地があるため早い段階で迎撃部隊を派遣しなければならない。早く平原か晋陽を落とさねばと考えていた時に張昭を捕らえる。なんと登用成功。珍しい。
10月21日下ヒ攻略成功
孫カン、雷薄処断。他は登用応じてくれなかったので捕虜に。
廬江攻防戦
敵部隊を押し返しそのまま建業へ闘艦で投石の長距離攻撃で建業を攻略してしまいました。
残念ながら長距離攻撃なので武将は1人も捕獲できず。
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