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プレイ日記を書くのは初めてなので誤字脱字等あるのでご注意ください
タイトルにある新武将は以下の人物です
劉基 習珍 柳隠 陶璜らです
新武将の能力、特技、適正はみんなの新武将のページの物を使用
設定
1、群雄割拠・劉表軍・上級
2、戦死「なし」
3、その他は史実設定
4、wiiのpk版です
縛りに関しては特にないです
194年 6月成長して手が付けられなくなる前に孫策を滅ぼそうと江夏に全軍を集めて廬江攻めを計画するが
11月に雷薄、梁綱ら袁術軍が攻めてきて廬江攻めを断念する、その間に空白地だった柴桑は孫策が制圧したのだった
195年 2月寿春から↑の袁術軍が江夏付近に到着これを迎撃するために以下の四部隊で迎撃する
蔡瑁隊、戟兵7000 黄忠隊、弩兵6000 劉磐隊、井蘭7000 黄祖隊7000の合計27000です
戦況は黄祖が一騎打ちで雷薄を捕縛しその後劉磐が梁綱を一騎打ちで捕縛する事成功する
雷薄、梁綱の二人は処断し残りの袁術軍を壊滅させ江夏付近での攻防はこちらの勝利に終わった
4月 公孫度が公孫讃に敗れ滅亡
7月 金旋と習珍を登用する
11月 孔融が袁紹に滅ぼされる
12月 柴桑攻めを開始参加部隊は以下の四部隊
蔡瑁隊、戟兵7000 黄忠隊、弩兵6000 劉磐隊、井蘭7000 黄祖隊、弩兵7000の合計27000
蔡瑁で黄蓋に一騎打ちを仕掛ける四十合の打ち合いの末、蘇飛の加勢もありぎりぎりの所で黄蓋に勝利し捕縛する
196年の2月に孫策軍の柴桑は陥落
5月 張魯が馬騰によって滅ぶ
7月下旬袁術の偽帝僭称イベントが発生
7月 廬江攻め開始廬江の兵は約3万ほど、参加部隊は↑の四隊と江夏からの釣り部隊の計五部隊
最初に釣り部隊に釣られて孫策隊10000と黄蓋隊8000を釣る事に成功する一方で
孫策ら18000の兵がいない間に柴桑から蔡瑁ら27000の兵が海路から廬江へ進軍する
港は同盟を結んだ劉繇の土地なので無傷で上陸に成功する
黄忠が陳武を一騎打ちで捕縛し劉磐隊の井蘭と黄忠、黄祖の弩兵のおかげで廬江を8月に落とす
同じ月に習珍が空白地の新野を落とす
9月に袁紹によって張楊滅亡
10月大金を貢いで李傕と袁術と同盟を結ぶ、残りの二か月は特に大きな動きもなく過ぎて行った
197年になって早々に厳白虎が王朗に敗れ滅亡
プレイ日記を書くのは初めてなので誤字脱字等あるのでご注意ください
タイトルにある新武将は以下の人物です
劉基 習珍 柳隠 陶璜らです
新武将の能力、特技、適正はみんなの新武将のページの物を使用
設定
1、群雄割拠・劉表軍・上級
2、戦死「なし」
3、その他は史実設定
4、wiiのpk版です
縛りに関しては特にないです
194年 6月成長して手が付けられなくなる前に孫策を滅ぼそうと江夏に全軍を集めて廬江攻めを計画するが
11月に雷薄、梁綱ら袁術軍が攻めてきて廬江攻めを断念する、その間に空白地だった柴桑は孫策が制圧したのだった
195年 2月寿春から↑の袁術軍が江夏付近に到着これを迎撃するために以下の四部隊で迎撃する
蔡瑁隊、戟兵7000 黄忠隊、弩兵6000 劉磐隊、井蘭7000 黄祖隊7000の合計27000です
戦況は黄祖が一騎打ちで雷薄を捕縛しその後劉磐が梁綱を一騎打ちで捕縛する事成功する
雷薄、梁綱の二人は処断し残りの袁術軍を壊滅させ江夏付近での攻防はこちらの勝利に終わった
4月 公孫度が公孫讃に敗れ滅亡
7月 金旋と習珍を登用する
11月 孔融が袁紹に滅ぼされる
12月 柴桑攻めを開始参加部隊は以下の四部隊
蔡瑁隊、戟兵7000 黄忠隊、弩兵6000 劉磐隊、井蘭7000 黄祖隊、弩兵7000の合計27000
蔡瑁で黄蓋に一騎打ちを仕掛ける四十合の打ち合いの末、蘇飛の加勢もありぎりぎりの所で黄蓋に勝利し捕縛する
196年の2月に孫策軍の柴桑は陥落
5月 張魯が馬騰によって滅ぶ
7月下旬袁術の偽帝僭称イベントが発生
7月 廬江攻め開始廬江の兵は約3万ほど、参加部隊は↑の四隊と江夏からの釣り部隊の計五部隊
最初に釣り部隊に釣られて孫策隊10000と黄蓋隊8000を釣る事に成功する一方で
孫策ら18000の兵がいない間に柴桑から蔡瑁ら27000の兵が海路から廬江へ進軍する
港は同盟を結んだ劉繇の土地なので無傷で上陸に成功する
黄忠が陳武を一騎打ちで捕縛し劉磐隊の井蘭と黄忠、黄祖の弩兵のおかげで廬江を8月に落とす
同じ月に習珍が空白地の新野を落とす
9月に袁紹によって張楊滅亡
10月大金を貢いで李傕と袁術と同盟を結ぶ、残りの二か月は特に大きな動きもなく過ぎて行った
197年になって早々に厳白虎が王朗に敗れ滅亡する
現在の戦況は河北を公孫讃と袁紹が奪い合いそれに劉備が横槍を入れた状態
曹操、呂布、馬騰、袁術、李傕、劉繇、王朗は小競り合いを続けて、劉璋は益州に引き籠ったおり
しばらくは内政と人材確保に専念し戦力を整えようと思う
197年4月に州牧に就任、7月に羽林中郎将に就任する
人材は文官は張昭、顧雍、諸葛瑾を登用し武官では甘寧を登用した
あとは廖化を育てたり陳到に築城をつける。
内政と人材登用に集中した一年だった
198年1月に曹操と同盟を結ぶ
8月に五官中郎将に任じられる
10月、孫策、蔡瑁ら7万8000の軍勢を襄陽から出陣させる、劉璋軍は10万ほど各個撃破すればどうと言うほどではない
199年1月、永安に到着し攻撃を開始する
1月下旬に永安は陥落する
4月さらに進軍し江州を陥落、江州を陥落までのこちらの損害は5000ほどだった。
一方で研究していた石造建築が完成する
5月、捕虜にした厳顔、劉璝を登用し江州から成都に向けて進軍する兵力は蔡瑁、黄忠ら5万1000残りの2万2000は兵糧不足で出陣できず後続の輸送部隊が到着した後に出陣する事にした。
孫策らはそれまで江州の内政をさせる、ついでに投石開発を研究させる兵糧はないが金は持ってきてたおかげだ
7月、成都に到着、籠る敵軍は約2万
8月、成都陥落し張衛と楊昂を捕虜にする
9月、大将軍に任じられる、伊籍が夏侯尚を推挙する身内は曹操軍にいるのにいいのだろうか
11月、梓潼、建寧、雲南にいる残存戦力の掃討に向かうため軍を二手に分ける
梓潼方面には孫策、黄忠ら4万3000、対する敵は1万2000
建寧、雲南方面には蔡瑁、黄祖ら4万5000、対する敵は両都市合わせて2万5000の兵いる
出陣してすぐに孫策が綿竹関を落とす
12月、黄蓋が涪水関を落とす
200年1月、梓潼の攻撃を開始する
2月、梓潼は陥落し李恢らを捕える、梓潼を落とした部隊は内政をしたりするなど漢中の馬騰に備える
4月、長い行軍の末に建寧に到着し攻撃を開始する
6月、やや苦戦しながらも建寧を落とす梓潼方面に送った軍の内一、二部隊ほどこっち回せばよかったと後悔する
201年2月、雲南を落とし劉璋を滅ぼす
とこの辺で執筆を終わらせようと思います理由はあとは小競り合いを続けるほかの軍の横槍をついたり圧倒的戦力で蹂躙してまわるだけだし書いてみて思ったけど結構疲れるからです。
劉表でプレイするならこのシナリオがおすすめですね
ほかだと孫策or孫権が強大だったり曹操が強大だったりですからね
上手な人だと199年ごろには益、荊州を制圧できるかもしれませんが自分ではこんな感じですね。
最後にここまで読んでくれた方どうもありがとうございます、それではさよなら
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