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盧俊義 - (2011/01/03 (月) 12:59:31) のソース
晁蓋の死後、宋江は梁山泊を率いる上で頼りとなる人物を求めていた。そんな時、北京に玉麒麟と呼ばれる盧俊義という大商人がいることを知った宋江は、軍師・呉用に玉麒麟の勧誘を命じる。呉用は易者に変装して、北京の盧俊義の屋敷へ潜入。東南(梁山泊のある方角)へ旅した方が良いという偽易者の予言を信じた盧俊義は、妻・賈氏や腹心の燕青を留守に残し、都管(番頭)の李固を連れて旅に出る。しかし、これは当然、呉用の策略であった。梁山泊近辺で盗賊に誘い込まれ捕らわれた盧俊義は、なぜか梁山泊で盛大な宴で歓迎され、首領の宋江からその座を譲られる。盧俊義は首領の座は固辞したものの、彼らと意気投合し、毎夜宴会で歓待された。しかしあまり旅が長くなるのを心配した盧俊義は李固を先に北京に返し、引きつづき梁山泊に逗留。50日もの滞在に及んだ。ついに別れを告げて北京に戻ると、留守を預かっていたはずの燕青が浮浪者となっていた。彼の話によれば、先に帰ってきた李固が盧俊義の妻(賈氏)を奪い、店を乗っ取ってしまったという。笑って信じない盧俊義はそのまま帰宅。しかし燕青の言は真実であり、盧俊義は梁山泊の賊と通じている罪で逮捕されてしまった。 盧俊義は流刑と決まるが、護送途中燕青に助けられる。しかし、すぐに再び捕らわれて北京に戻され、死罪となる。死罪の刑場で、梁山泊から派遣された石秀が救おうとして失敗し、ともに牢屋に監禁される。2人を救うため、梁山泊から三度にも及ぶ北京攻略軍が派遣され、ついに救出されて梁山泊へ入る。前首領・晁蓋の仇である曽頭市の史文恭(晁蓋は死に臨んで我が仇を討った者を次の首領に指名していた)を捕らえた功もあり、宋江から再び首領の座を譲られるが、盧俊義は固辞。2人の譲り合いに結論が出なかったため、東平府と東昌府を攻めて早く落とした方を首領とすることとなった。盧俊義には呉用・公孫勝などの軍師が附けられ東昌府を担当したが、敵側の猛将・張清の勢いを止められず攻めあぐね、先に東平府を攻略した宋江が合流してようやく陥落。ここに、宋江を首領、盧俊義を副首領とする梁山泊の体制が完成した。 百回本、百二十回本では、この後梁山泊は朝廷に帰順し、宋朝に逆らう各地の勢力の討伐が行われ、盧俊義は梁山泊軍の副将として、幾多の戦いで諸将を率いて活躍をする。最後に多大の犠牲を伴った方臘征伐後、首都東京に戻る途中で燕青が盧俊義に暇乞いをする。盧俊義はこれから恩賞がもらえるのに何故かと訝るが、燕青は用済みになった梁山泊軍団の末路を案じ、元主人の盧俊義にも脱退を進めるが、盧俊義は頷かなかった。廬州安撫使・兵馬副総監に任命され、任地へ赴いた盧俊義であったが、果たして燕青の予言は的中し、謀叛の疑いをかけられ、招待された皇帝臨席の昼食で、食事の中に水銀を盛られ、任地へ帰還途中、水銀中毒による腰の激痛から淮河へ転落、溺死した。 七十回本では、108人集合の後、梁山泊の豪傑達がすべて捕らえられ、首をはねられるという盧俊義の夢をもって物語が終結する。