コトノハ 第2話『初と猫』
いつ頃からだろう。ある時を境に、こうなれば良い、ああなれば良い.....私がそう口にした瞬間、その願いはすぐに叶うようになった。初めは偶然だと思っていたけど、何度も続くうちにこれは自分が持つ特別な力なんだと気がついた。
「ボールよ、浮け。」
と言えば、そのボールは宙に浮かぶ。
「文字よ、消えろ。」
と言えば、紙に書かれた文字は消える。
まるで魔法のようだと思った。だけど、出来ないこともあった。
「ガラスよ、元に戻れ!.....戻れ!!」
例えば、粉々に割れた窓ガラスは、どんなに戻れと言っても元に戻らなかった。他にも、破ってしまった障子紙にもこの力が通じなかった。どうやら、現実的に取り返しのつかない事態にはこの力は通じないらしい。
そして
私はこの力のせいで、更に取り返しのつかない失敗を.........
「...........い..................初!」
「えっ?」
激しく肩を叩かれ、私は我に帰る。
「何ボーッとしてるの、次初の番だよ。」
前の席に座っている眼鏡をかけた女の子、明石 月那さんが国語の教科書を手にそう言った。
「あっ、ご、ごめん!えっと.....」
「ここだよ、初ちゃん。」
隣に座っている玲亜さんがこっそり教えてくれたお陰で、私は何とか自分の担当部分を読み上げることが出来た。
「ありがとう、ごめんね.....」
「大丈夫大丈夫。」
また上の空になっていた。昨日もそうだったけど、最近そういうことがよくある。せめて授業中くらいはちゃんと集中しようと、その後は余計なことは考えずにずっと教科書を見ていた。
「初ちゃん、大丈夫?」
休み時間になり、旭さんが心配そうに私の席までやって来た。
「うん、多分.....」
「旭から聞いたぜ、初ってば昨日いきなりおかしくなったらしいな?」
「そ、そんな言い方してないよぉ!急に叫んで帰っちゃったって言ったんだもん!」
美奈さんと旭さんの会話を聞きながら、私は昨日の事を思い返した。でも、何故か上手く思い出せない。思い出せたのは、家に帰ってすぐに体調を崩し、晩ご飯も食べずにそのまま朝まで眠っていたことだけだった。
「ちょっと休んだら?何か顔色悪いし、保健室で寝てきなよ。」
いつも以上に真面目な顔付きの玲亜さんにそう言われ、私は力無く頷いた。
「先生にはアタシらから言っとくよ、給食の時間まで寝ればさすがに元気になるって。」
「保健室の場所分かる?分かんなかったらあたしが案内してあげる!」
二人の優しい言葉に、私は思わず泣きそうになってしまう。すぐ弱気になってしまう辺り、やっぱり体調が良くないみたいだ。
「皆..........ありがとう.....旭さん、案内お願い出来る.....?」
「うん!」
旭さんに連れられ、私は保健室に向かった。
「お大事にね、初ちゃん。」
「うん、ありがとう。多分、大丈夫だから.....」
私はベッドに入り、身体を横にした。窓の外から別のクラスの子達の声が聞こえてくる。今は体育の時間だろうか。
「..........何か、寒いな.....」
毛布に包まり、熱を逃さないよう身体を縮こめる。しかし、寒さはどんどん増していき、身体が重くなっていく。私の体調は治るどころか、どんどん辛くなってきた。
「.....はぁ、はぁ.....誰か.....たす、け..........」
「こら、駄目でしょ。寝てる人の邪魔しちゃ。」
女の子の声。それが聞こえた瞬間、一気に寒気が吹き飛び、身体が楽になった。
「..........?」
私は毛布から顔を出した。すると、隣のベッドに黒く長い髪をした女の子が座っていた。
「君は..........」
「.....綾川 久乱。貴女と同じクラスの。」
「..........あぁ、思い出した.....」
そういえば、よく欠席している子がクラスに一人居た。体育の時はほとんど居ないし、普段も週に数回しか見かけない子だ。
「久乱さんも、体調良くないの?」
「私、元々身体弱いですから.....」
久乱さんは何かの本を読みながら、淡々と答えた。
「..........................」
「..........................」
沈黙。何となく、気まずい雰囲気が漂う。何か話題を見つけなければ.....そうだ。
「そ、そういえば、さっき誰と話してたの?」
「お友達です。」
「友達......?」
辺りを見回すが、私と久乱さん以外は誰も居ない。保健室の先生は用事で席を外しているようだ。
「さっき、貴女の上に乗っかってたから退けました。」
「私の上.....に.......?」
妙な寒気、身体にのしかかる重み、そしてそれを一瞬にして消し去った久乱さん...私は何となくその友達の正体が分かった気がして、それ以上聞くのはやめておいた。
「......私とお話するくらいなら、寝てた方が良いですよ。」
「う、うん......」
私は再び身体を横にした。
白地に真鱈模様の天井、鼻奥を刺す消毒液の匂い、一定の間隔で音を鳴らす時計の秒針。普段ならすぐに退屈になりそうな空間だけど、今の私にはそれすら心地よく、不思議と落ち着きを取り戻していった。
白地に真鱈模様の天井、鼻奥を刺す消毒液の匂い、一定の間隔で音を鳴らす時計の秒針。普段ならすぐに退屈になりそうな空間だけど、今の私にはそれすら心地よく、不思議と落ち着きを取り戻していった。
............................
.............
「.........ん...............」
目が覚めると、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。随分長い間眠っていたらしい。
「流石に、帰らなきゃな......」
私は身体を起こし、いつの間にか枕元に置いてあった自分の鞄を持って保健室を出た。多分、旭さんか誰かが持ってきてくれたんだろう。
「ありがとう......」
既に誰も居なくなった教室を覗き、私は小さく呟いた。玄関に向かい、下履に履き替え、学校を後にする。
「.........」
普段は賑やかな学校が、こんなにも静まりかえっていると何処か気味が悪い。私は足早に校門を出て、家に帰ろうとした。
しかし。
「あ、あれ?」
いつもの道順で帰っていた筈なのに、私は全然違う場所に来てしまっていた。慌てて引き返すも、さっき通った筈の道が消えて全く別の道が続いている。
「あれ......何で......」
焦りで心拍が上がっていくのを必死に抑え込み、とにかく道を進んでは曲がりを繰り返していく。だが、当然元の道に戻れる筈もなく、気がつけば周りには家ではなく森が広がっていた。
「ど....どうなってるの......?」
言い表しようのない不安に駆られた、その時。
「おーい!初ちゃーん!」
背後から聞こえる声。この明るい声は......旭さんだ。
「初ー!こっちだぞー!」
「早くおいでよ、初ちゃーん!」
美奈さんと玲亜さんの声もする。良かった、皆が迎えに来てくれたんだ。限界ギリギリまで募っていた不安が、一気に安心に変わる。
「皆、今行く...............よ..................」
私は振り向き、そして絶句した。
そこに、私の知っている三人は居なかった。
『オ───────────イ』
乱れた髪を更に振り乱す巨大な頭、焦点の合っていない目、電柱のような長細い身体、黒く不気味な無数の触手。直視出来ない程恐ろしい容姿をした化け物が、凄いスピードで此方に向かってきた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
私は恐怖で絶叫し、そして走り出した。逃げなきゃ死ぬ、本能がそう言っている気がしたからだ。
『ナンでニげるの〜?』
『マてよ〜ウイ〜』
旭さん達の声で、化け物は何度も私に呼びかける。でも、私は絶対に振り向かなかった。
「あんなのが......あんなのが旭さん達なわけがない!!騙されるもんか!!」
『ヒドいよ〜〜マってよ〜〜〜』
「うるさい!!ついてくるな!!」
ギンッ、と私は瞳を光らせた。私が『言刃』を使う時、瞳が赤く光る。『言刃』に込めた感情が大きければ大きい程、瞳は赤く、そして熱くなる。奴を振り切ろうと必死だった私の瞳は、耐えられない程の熱さで光っていた。
しかし。
『ウ〜〜イ〜〜〜ちゃ〜〜〜〜〜ん』
「嘘、何で!?」
化け物は立ち止まるどころか、さっきよりもスピードを増して追いかけてきた。焦った私は足を縺れさせ、思い切り地面に転んでしまう。
「いっ....た.............!!」
転んだ隙を狙って化け物はあっという間に追いつき、私目掛けて触手を伸ばしてきた。
「もう......駄目だ.........!」
私は覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑った。
...........
......................
........................................
何も、起きない。
「あれ......?」
恐る恐る目を開けると、まだ化け物は居た。しかし、その化け物から私を守るように、誰かが目の前に立っている。
「やれやれ、世話の焼ける小娘じゃのう。」
真っ赤なマフラーを首に巻いた、猫耳の女の子。化け物はその女の子に怖気付いたのかゆっくりと後退りしていき、やがて姿を消した。
「ふぅ、間一髪じゃったな。大丈夫か?」
女の子は私の方に振り向き、手を差し伸べてきた。夕暮れの赤い空の下でも分かる程、真っ白な素肌をしていた。
「.........」
「何を呆けた面をしておる。ま、あんなモンに襲われちゃあ無理もないかのう。......じゃが、安心するのはまだ早いぞ。」
そう言って、女の子はニヤリと笑う。その瞬間、口の中に尖った牙が生えているのが見えた。
「何を隠そう、ワシも化け物じゃからのう。キヒヒヒヒヒヒ......」
続く