女児ズ短編小説・久乱編
『美術室の少女』
「あれ、おかしいな.......」
下校時間直前、私は自分の筆箱が無いことに気がついた。
「四時間目までは確かにあったのに.....あっ、もしかして、五時間目の時かな......?」
五時間目の授業、ついさっきまで、私は美術室に居た。恐らく、そこに置き忘れてきてしまった可能性が高い。
ホームルーム後、私は急いで職員室に向かい先生に鍵を借りることにした。
「先生、美術室の鍵貸してくれませんか?」
最近この学校に転勤してきたばかりだという美術担当の先生は、いつも優しくてどんな絵でも褒めてくれる良い人だ。先生は私の言葉を聞いて、不思議そうに尋ねてきた。
「美術室?こんな時間に何か用かい?」
「え?えっと....多分、忘れ物をしてしまって.......」
「忘れ物.....か。」
先生は一瞬考え込むように唸り、そして
「いや、今日はもう帰った方が良い。明日も別のクラスの授業があるから、その時に僕が確認してあげるよ。」
と答えた。
「.........?」
何だか釈然としない。まだ時間は遅くないし、少し確認して帰るだけなのに、どうして明日にした方が良いなんて言うんだろう。
「で、でも筆箱が無いと色々不便ですし......」
「んん.....まぁそうだねぇ。なるべくすぐに返しに来るんだよ。」
「は、はい......ありがとうございます..........」
私は先生から鍵を受け取り、美術室に向かった。階段を登り、廊下を曲がって、さっきまで授業を受けていた場所にやってくると......
「...............え?」
そこは、確かにいつもの美術室だった。だけど、明らかに雰囲気が違う。窓が閉まっているのは当たり前だけど、何故かカーテンまで全て締め切られている。教室内のカーテンも閉まっているのか、ドア窓の向こうは真っ暗だった。
「...........なるべく早く、って言われてたしね。」
私は意を決し、ドアの鍵を開けようと歩み寄った。すると、
「やめた方が良いですよ。」
「うわっ!?」
不意に背後から声がした。ちょっとだけ恐怖感に駆られていた私は、思わず驚いて声をあげてしまう。
「あ......すみません、驚かせてしまって.......」
声の主は、同じクラスの綾川 久乱さんだった。室内だから風は吹いていないはずなのに、長く黒い髪をゆらゆらとなびかせている。
「い、いや....大丈夫だよ。」
「それなら良かった.....それより、美術室に何の用があるんですか?」
「ちょっと忘れ物したっぽくて......少し確認するだけだから。」
「......やめた方が良いです。本当に。」
久乱さんは、いつもの静かな口調でそう答えた。先生も明日にした方が良いと言っていたけど、そんなにまずいものでもあるんだろうか。
「........音羽さん、青空小学校の七不思議を知らないんですか......?」
「七不思議......?聞いたことないけど.......」
「この学校には、七つの奇妙な謎があるんです。その中の一つが.......此処、美術室なんですよ。」
「え............」
私は思わず、ドアの前から後退りしてしまう。
「七不思議の一つ、美術室の額縁女........昔、この学校には絵がとても上手な女の子が居たそうです。しかしその子の先生は、その才能を妬み....彼女の描いた絵を散々馬鹿にした後ナイフで切り裂いたんです。その結果、女の子はショックで自殺してしまい......先生への恨みを募らせ、全身が額縁で作られたお化けになってこの美術室を彷徨っている、というお話です。」
「......なかなか怖い話だけど、それって七不思議というか怪談なんじゃ..........」
「そうですね、話そのものは怪談に近いです。ですが、そのような事件があったという記録はこの学校に一切残されていないんです。それに、額縁女を実際に目撃したという情報もありません。なのに、この美術室は放課後になるとこのように封鎖される.......変な話だと思いませんか?」
「.....うん、確かに.......」
「火のない所に煙は立ちません。記録もないのにどうしてこんな話がこの学校で広まったのか、それが七不思議となった理由です。」
「.....................。」
私は再び美術室の方に向き直る。記録や証言がなかったとしても、もし今の話が本当なら、この教室には今その女の子が居るかもしれない。
「本当に行かれるんですか?」
「.......うん、少し確かめてみたいから。」
「危険ですよ、いくら根拠のない噂話だからと言って、興味本位で近づくのは。」
「ただの興味本位じゃないよ。その話が本当か嘘か確かめて....嘘なら別にそれで良い。でも本当なら、その女の子を救ってあげたい。」
「どうして..........」
「だって、寂しいでしょ。幽霊になって、辛い思いをしながらこの教室に閉じ込められてるのに、ただの噂だとか言われて誰にも相手にされないなんて。」
私は躊躇なく、ドアの鍵を開けた。
「大丈夫、本当に少しだから。」
「................。」
久乱さんは小さく溜息を吐き、私の手に何かを握らせた。
「これは?」
「お守りです。これを持っていれば、音羽さんに敵意はないということを幽霊に伝えることが出来ます。.....私は外で待っていますから、万が一何かあれば呼んで下さい。」
「ありがとう、久乱さん。行ってくる。」
私はドアを開け、美術室に入っていった。
電気を点け、自分の席を確認すると、やっぱり筆箱は机の下にあった。
「良かった、これで......」
筆箱を鞄に仕舞い、教室を出ようとすると......私の目に、あるものが留まった。
「あれ?」
教室の隅に、額縁に入った一枚の絵が置いてある。人間の身体、胴体の部分のみが絵の具で描かれた絵。さっき授業で此処に来たときには、こんな絵はなかったはずだ。
「............まさか」
私がそう呟いた瞬間、その額縁は宙に浮かび上がった。すると、何処からともなく小さな額縁が集まってきて、まるで大きな額縁の手足のように合体していく。そして、最後に真四角の額縁が身体の上に合体し、キャンバスの中に女の子の顔が現れた。
「ウウ.....アアアア.............!」
間違いない、この子が久乱さんの言っていた女の子......美術室に閉じ込められた幽霊だ。
「ワタシノ絵ヲ......バカニスルナァアアアアアアアアア!!」
女の子は憎しみに満ちた声で叫ぶ。その手には筆とパレットナイフが握られ、自分を馬鹿にした先生を殺したがっているように見えた。
「落ち着いて!私は君を助けにきたんだ!」
「!?」
私の声に、女の子は目を見開く。その視線は、さっき久乱さんに貰ったお守りに向けられていた。
「..........アナタ..........ダレ.................?」
「私は音羽 初、この学校の生徒だよ。多分.....君の後輩にあたるのかな。」
「................」
女の子は落ち着きを取り戻し、私の方に歩み寄ってきた。このお守り、本当に効果があるんだ。
「ワタシハ.........タダ、絵ヲカキタカッタダケナノ........ダレノタメデモナイ、ジブンガ絵ヲカクノガスキダカラ.............ダケド、アイツニ絵ヲバカニサレテ......コワサレテ........オマエナンカガ絵ヲカクナッテイワレテ........」
ぽた、ぽた....と、女の子の涙が額縁を伝って落ちてくる。
「......そうだったんだね。その人にとって好きなことを、やめろだなんて言う権利は誰にもない。そして、そう言われて好きなことをやめなきゃいけないなんてことは絶対にないんだよ。」
私は画用紙と絵の具を持ってきて、女の子に差し出した。
「描いてみてよ、君が本当に描きたかった絵を。」
「デモ........ヘタクソトカ、イッタリシナイ......?」
「言わないよ、私は何も。誰にも文句は言わせない、君の為だけの絵を描けば良い。」
「..............................」
女の子は頷き、筆を使って白紙の上に絵を描き始めた。流れるような筆捌き、鮮やかな色使い.......あっという間に絵は完成し、女の子は私にそれを見せてきた。
「コレガ........ワタシノカキタカッタ絵.........」
そこには、沢山のキャンバスに囲まれながら、大きなキャンバスと向き合い夢中で絵を描いている女の子が描かれていた。きっとこれは、彼女の生前の姿なのだろう。自分の描く絵の中ででも絵を描きたいくらい、彼女は本当に絵を描く事が好きだったんだ。
「......ドウ、カナ?ジョウズニカケテル.....?ジブンデハ、イママデデイチバンイイトオモウンダケド.........」
「私が...君の絵に感想言っても良いの?」
「ウン......アナタニナラ、ワタシハ......」
そう言いながらも、何処か不安げな女の子。私はその絵を見つめ、大きく頷いた。
「凄く良い絵だよ、本当に。自分の為に描いた絵だって、しっかり伝わってきた。」
私の言葉に、女の子は再び涙を流す。だけど、その表情はとても嬉しそうだった。
「ヨカッタ.....サイゴニ、ケッサクノ絵ガカケテ..........」
「最後なんかじゃないよ、これからも天国で.....君にしか描けない絵を思う存分描いて良いんだよ。」
ポケットから隻翼を取り出し、女の子の足元に魔法陣を展開させる。彼女がこの教室に縛られる理由はもう無い、これからは彼女の居るべき場所で、好きなだけ絵を描いて欲しい。
「もう大丈夫だよ。君が生きた証は、私が覚えておく。だから.......安心して。」
《加速符号奥義・堕天ノ鎮魂歌-アクセルブレイク・フォールン•レクイエム-》
私は『言羽』の力で、女の子の魂を天国に転生させてあげた。
「アリガトウ.............................」
額縁から、女の子の姿が消えていく。ガチャン、と音を立て、何も描かれていない額縁達が床に崩れ落ちた。
「............。」
女の子が残していった絵と共に、私は美術室を後にした。
「!.......はぁ..........」
教室の外で待っていた久乱さんが、私の姿を見てホッとしたように溜息をついた。
「ありがとう久乱さん、このお守りのお陰で何とかなったよ。」
「.....そう、ですか.........良かったです......」
私は久乱さんと一緒に、美術室の鍵を職員室まで返しに行った。
「っ!お、音羽さん.....その絵は.........」
美術の先生は、私が持ってきた絵を見て気まずそうな表情を浮かべた。
「........やはり、貴方でしたか。」
久乱さんが鋭い視線を向ける。
「額縁女の噂を聞いた生徒のほとんどが、貴方からその話を聞いたと証言していました。」
「な、何のことかな........」
「音羽さんが美術室に居る間に、この学校の卒業生の事を調べていたのですが.....その結果、ある事実が判明しました。貴方に絵を馬鹿にされて自殺した女の子は......この学校の生徒ではなかったんです。」
「えっ?」
私は思わず驚きの声をあげた。
「また、貴方は一年前に他の学校から青空小学校に転勤してきましたよね。その理由が、ある生徒を自殺に追い込んだことによる学校側からの追放であるということも分かりました。その生徒こそが、額縁女の正体です。」
「ッッ........!!」
先生は、いつもにこにこと笑っている姿からは想像も出来ないような凄い形相で唇を噛みしめている。
「どういうこと.....?どうして他の学校で死んだ女の子の霊が、この学校に?」
「恐らく、その人は貴方に対し相当強い恨みを抱いていたんだと思います。当然ですよね、間接的に自分を殺した人間なんですから。だから貴方に付き纏って、この学校にも来てしまったんです。」
そうか.....だからこの学校には、女の子が自殺したなんて記録もないし、先生は女の子から逃げる為に放課後はいつも美術室を封鎖していたんだ。生徒達に噂を吹き込んだのも、美術室に皆を近づけさせない為だったんだろう。
「......ぁ.....あああ.........ああああああ!!」
小刻みに震える手で頭を抱え、先生はその場に蹲ってしまった。
「俺はただ......少し腹が立っただけなんだぁあああああ!!あいつの方が俺の何倍も絵が上手かったから.......だから........!!」
「だからって、その人の絵を壊して良い理由にはなりませんよ。彼女の霊は既に音羽さんが成仏させましたが、貴方の犯した罪が消えることは永遠にありません。いずれ、報いを受ける時が来るでしょう。覚悟しておいて下さい。」
「ああああああああ......!!」
泣き叫ぶ先生を尻目に、久乱さんは髪をなびかせながら踵を返した。
「行きましょう、音羽さん。」
「.....ごめん、ちょっとだけ待って。」
私はその場にしゃがみ、蹲る先生に「顔を上げて下さい」と言った。
「.........?」
「確かに、先生がその子の絵を馬鹿にしたっていう事実は、今後も消えることはないと思います。でも、先生は既にそのことを反省していますよね。」
「え.............」
「何を根拠にそんな事が言えるんですか。」
「だって、先生は今、誰の絵を馬鹿にすることもありません。一人ひとりに個性を見出して、褒めて伸ばしてくれる....それって、過去の失敗を反省して二度と繰り返さないように努力しているからなんじゃないですか?」
「........それは..............」
視線を逸らす先生に、さっき女の子が描いた絵を見せてみた。
「この絵、あの子が描いたものなんです。今の先生なら、きっと褒めてあげられるんじゃないですか?」
「...................」
先生は絵を受け取り、ボロボロと涙を零しながら何度も頷いた。
「ああ......良い絵だ............俺が描く絵なんかよりずっと良い絵だよ...........」
「良かった、きっとあの子も天国で喜んでますよ。その絵は先生に預けます、大切にしてあげて下さいね。」
私の言葉に、先生は大きく頷く。それを見届けてから、私は再び立ち上がった。
「帰ろう、久乱さん。」
「...........どうしてです?」
「えっ?」
「どうして彼を守ったんですか?」
久乱さんの声は、珍しく怒りに満ちていた。心なしか、黒いオーラを纏っているようにも見える。
「ご、ごめん!何かまずかったかな...?」
「いえ....ただ、理解出来ないだけです。私があの女子生徒の立場なら、間違いなく呪い殺しているくらい許されないことを彼はしたというのに........」
「.....別に、守ろうとしたわけじゃないよ。私もきっと同じ立場なら許せないと思う。だけど、今の先生が皆の絵を褒めてくれる時の言葉は、嘘やお世辞なんかじゃないって分かるから。」
「......それも、『言羽』の影響ですか?」
「多分ね。声色とか波長で、その人の言葉が嘘か本当かが何となく分かるくらいには、私の耳は良くなったのかも。」
私の言葉に、久乱さんはまた溜息を吐いた。呆れではないのは分かるけど、どういう意味での溜息なのかまでは分からなかった。
「....甘いですね、音羽さんは。」
「そうかもしれないね。でも、それで良い。先生はこれから先、また何度でもやり直せる。私はそう信じてるから。」
「..............さぁ、どうでしょうね........」
久乱さんはぶっきらぼうな返事をし、分かれ道の方に進んでいった。
「では、私はこの辺りで。音羽さんもお気をつけて.....」
「うん、ありがとう。また明日。」
黒い髪をなびかせ、夕日の向こうに消えていく久乱さん。背を向ける瞬間、ほんの一瞬だけ口元が緩んだように見えたのは、多分錯覚じゃないと思う。
「..........素直じゃないな、ほんと。」
私は少しだけ笑った。そして、そのまま帰路についた。
FIN.