コトノハバース・フューチャーストーリー
『ダチの務め』
夕暮れ時の蛍音市。聳え立つ高層ビル群が、夕陽の光を反射して黄金色に輝いている。やがて、少しずつ薄暗くなり始めた街には、一日の業務を終えそれぞれの家路を急ぐ人々が溢れ始めていた。
だが、中にはまだ仕事を終えられない者も居る。ノイジャーを狩る堕天使、音羽 初もその一人だ。
「.......悪いな、こんな場所で解散することになって。一人で駅まで行けるか?」
「はい、大丈夫です。私もだいぶこの街に慣れてきましたから♪」
時刻は18時過ぎ。初の仕事の手伝いをしている少女、満昊 祈空は、時間的にそろそろ帰宅しなければいけなかった。いつもなら駅まで初に送って貰うのだが、今日は急ぎの依頼があるらしく街中での解散となった。
「気をつけて帰れよ、この時間帯は油断してると危ないからな。」
「お気遣いありがとうございます、初先輩こそお気をつけて。」
「ああ、分かってる。.....じゃあな。」
「お疲れ様でした...♪」
初と別れ、祈空は駅へと向かった。並び建つビルの間を吹き抜ける冷たい木枯しが、祈空の頰を撫でながら通り過ぎていく。
「そろそろ、冬物のお洋服を出した方が良いかもしれませんね....今年もまたお婆ちゃんに何か編んで貰おうかな.....?」
ほっそりとした自分の腕を摩り、あっという間に喧騒に掻き消されるような小さな声で独り言を呟きながら歩く祈空。その様子を、影から見守る者が居た。
「......なるほど、あいつがそうなのか.....今すぐにでも話を聞きたいところだが、ちょっと様子見してみるか。」
「.....良かった、何とか辿り着きましたね。」
駅前までやって来た祈空は、ほっとしたように息を吐いた。初にはああ言ったものの、流石に一人では少し不安だったようだ。
「わ、もうこんな時間....急がないと......きゃっ!」
再び祈空が歩き出そうとすると、突然誰かが背後から思い切り頭を押さえつけてきた。
「よォ、おじょーちゃん。こんな時間に一人?危ないよ〜、コワ〜い大人に目付けられちゃうからさぁ。」
「いやいや、それお前のことだから!アハハハハハハ!」
祈空に絡んできたのは、二人組の男達だった。一人は耳に何十個もピアスを着けた色黒で金髪の男で、もう一人は無精髭を生やした大柄な男。どう見ても関わってはいけないタイプの連中だ。
「あ、あの........どなたですか.....?」
「ってかめっちゃ可愛いじゃ〜ん!彼氏とか居んの〜?此処で何してたワケ?」
「高校生?いや中学生くらいか。オレら今から飲み行くんだけどさ、一緒にどうよ?」
「わ、私小学生なので....それはちょっと......」
「ええ〜そうなの!?まぁ良いや、大丈夫っしょ!」
金髪の男が、祈空の肩を乱暴に抱き寄せる。祈空の話を聞く気は無さそうだった。
「やめてっ....下さい.....!急いでるんです....!」
「だいじょぶだって!あ、じゃあオレがママに電話したげよっか?スマホ貸してみ?」
「嫌ですっ、離して下さい!」
「何怒ってんの〜?ってか、急がねーと店閉まるんだけど〜。」
「だな、さっさと行こうぜ。オラ歩けよ、オラッ!」
男達の口調が次第に荒くなっていくにつれ、流石の祈空も恐怖を感じ始めた。
(だ....誰か、助けて.....!)
「チッ、ノリ悪りぃなぁ。そんなに歩きたくねえならオレがお姫様抱っこしてやるよ。」
髭の男が祈空を無理矢理抱き上げようとした、次の瞬間。
「こんなふうに゛ッ!?」
突然、汚い声をあげて目を見開いたかと思うと、男はその場にバタリと倒れ込んだ。無駄に大きいだけの背中が、明らかに凹んでいる。
「あ?どうしたん゛ッ!!」
倒れた男の方に金髪の男が振り向くと、まるで潰れた空き缶のように顔がグシャリと歪み、そのまま勢いよく吹き飛んでいった。
「.....!?」
「.......大の男が二人して.........ダセぇことしてんじゃねえよ。」
恐怖と驚きで動けない祈空の耳に、低い女の声が響く。だが、初のそれとはまた違った。恐る恐る振り向くと、そこに立っていたのは黒い髪を後ろで束ねた目つきの鋭い女性だった。黒いジャケットに黒ズボン、赤いネクタイを締め、フード付きの黒いコートを羽織っている。
「ってぇ....!んだよテメェッ!!」
「あぁ?まだ殴られ足りねえのか?」
「ぐっ.....お、おい行くぞ!」
「く、クソが.....覚えてろよ!」
女性の圧倒的な威圧感に恐れをなした男達は、捨て台詞を吐いて逃げていった。そんな二人を追いかけることなく、女性は短く溜め息を吐く。
「ったく、馬鹿がよ.......」
「.........」
「....あ、悪りぃ悪りぃ。驚かせちまったな。大丈夫か?怪我とかしてねえか?」
祈空の方に向き直った女性は、さっきとはうって変わって明るい声でそう尋ねてきた。
「......ぁ......ぅ............」
「へ?」
「.....う....ぅぅ......っ」
すると、あまりの恐怖から解放されて安堵したのか、祈空は突然その場でボロボロと泣き崩れてしまった。
「お、おい泣くなよ!?アタシが泣かせたみたいになってんじゃねえか!」
「ぐずっ....すみませ.....うぅ....っ.....」
「いや、別にお前が謝ることじゃ....ってかこのまま帰すわけにもいかねえよな......あ゛〜〜〜分かった、とりあえずウチ来い!話はそれからだ、な?」
.................................
.................
「......すみません、取り乱してしまって.....もう大丈夫です。」
「良いって良いって、そりゃあんな奴らに絡まれたら普通は怖いもんな。」
女性に連れられ、とあるバーにやって来た祈空。ジュースを飲んで落ち着いたのか、やっとまともに話せる程には回復していた。
「先程は本当にありがとうございました、貴女が居なければどうしようもありませんでした.....」
「気にすんなよ、アタシはああいう輩をほっとけねえだけさ。....っと、そういや自己紹介がまだだったな。アタシは水無月 美奈、此処でバイトしてる大学生だ。」
女性、もとい美奈は、白い歯を見せてニッと笑った。その笑顔に、祈空も安心して頰を緩ませる。
「私は、満昊 祈空っていいます。青空小の六年生です。」
「へぇ、お前青空小に通ってんのか。アタシもそこの卒業生なんだよ。」
「そうなんですね...!じゃあ....美奈先輩、って呼ばせて貰います.....♪」
「美奈先輩、か......っへへ、何か新鮮だわ。よろしくな!」
二人が初対面の挨拶を交わしていると、奥のドアから誰かが出てきた。
「あっ、店長。」
「あらァ〜〜〜〜!美奈ちゃんったら何処でそんなカワイイお客さん捕まえてきたのォ?」
店長と呼ばれたその人物は、女口調だが明らかに声質と骨格が男性のそれだった。
「あーいや、捕まえたっつーか何つーか......」
「ま何でも良いわ。ようこそ〜〜アタシのお店へ!蛍音市内トップクラスのママとはアタシのことよ!アナタみたいなカワイコちゃんには、た〜っぷりサービスしてあ・げ・る♡」
「あ、ありがとうございます......」
さっきの輩に比べれば良い人なのは間違いないが、色んな意味で圧が強いせいで祈空は思わず身を引いてしまう。
「客が引いてるッスよー店長.....てかママって呼ばれるのはどっちかっつーとスナックっしょ。」
半ば呆れながら、美奈は祈空と店長の間に割って入る。
「悪りぃな、ウチの店長ちょっと変わってるんだよ。悪い人じゃあないんだけどな。」
「いえっ、大丈夫です....♪お二人のお陰で、すっかり元気になれました。」
「あらそう?良かったわァ、ウチのバーでは暗い顔とドンパチはご法度だもの。どんなに美味しいお酒も料理も、お客さんが暗い顔してたらみ〜んなマズくなっちゃうの。」
「ま、それに関しては此処に限らず何処でも同じだけどな。アタシも飯の時くらい深刻な話は避けたいし。」
美奈はそう言って、祈空が飲み終わったジュースのグラスを下げる。そして、おもむろにネクタイを解き、さっき自分が羽織っていたコートを祈空の身体に掛けた。
「つーことで祈空、此処じゃ何だしちょっと表出な。すっかり忘れてたけど、今日は聞きたいことがあってお前を探してたんだ。」
「聞きたいこと....ですか?」
「ああ。お前がいつも一緒に居る.....“堕天使”のことについてな。」
すっかり夜の色に染まった蛍音市。街の名前の通り、煌びやかなネオンの光が夜景に彩りを加えている。美奈に連れられ、駅前近くの展望台にやってきた祈空は、じっとその景色を眺めていた。
「寒くねえか?」
「はい、先輩の上着のお陰で大丈夫です。」
「なら良かった。」
「.....あの、話....って........」
美奈の言う“堕天使”とは、紛れもなく初のことだ。それに、初と共に行動している自分のことも既に把握されていたと知り、祈空は途端に美奈に対して警戒心を抱き始めた。
「そんなに身構えなくて良いぜ、アタシはお前らの敵になるつもりはない。....今のところはな。」
展望台の柵にもたれかかりながら、美奈は祈空の警戒を解くように落ち着いた声で語りかける。
「それに、“堕天使”は......初は、アタシのダチなんだよ。」
「えっ......?」
初めて知る事実に、祈空は思わず驚いて目を丸くする。
「っはは、そんなに意外か?ま、今まであいつが話題に出したことが無いなら無理ねえか。」
「は、はい.....初耳です.......」
「最近はあんまり連絡取れてないんだけどよ、あいつとアタシは色んなことを乗り越えてきた相棒同士みたいな関係なんだ。」
視線を遠くに向けながら、懐かしむように美奈は笑う。彼女の言う通り、確かに自分や初に敵意があって接触してきたわけではなさそうだと祈空は悟った。
「さて、本題に移るとするか。これはアタシの知り合いから聞いた話なんだが.....ここ最近、覚声機ってもんが出回ってるらしいな。」
再び祈空の方に視線を戻した美奈は、真剣な口調でそう尋ねてきた。
「....はい、間違いありません。」
「で、それを奪う為に“堕天使”って奴が所有者を襲ってる....そしてその“堕天使”こそが、他でもない初だって話だ。......実際、それは本当なのか?」
美奈の質問に、祈空はしばらく黙っていたが、やがて美奈の目を見つめ返しながら少しずつ言葉を紡いだ。
「........確かに初先輩は、“堕天使”と名乗っていますし、覚声機を回収する活動もしています。ですが、それはノイジャーという覚声機を使って犯罪行為を行う人達に限った話です。持っている人全員を襲っているわけじゃありません。」
祈空は、一切視線を逸らすことなくそう言い切った。美奈は何度も頷き、次の質問を投げかけた。
「じゃあ、お前が初と一緒に行動してるって話は本当なのか?本当なら、どういう役回りをしてるか教えてくれ。」
「はい、微力ながらお手伝いさせて貰っています。戦うことは出来ませんが、覚声機に手を出してしまった方々のお話を聞いて、初先輩と一緒に改善策を考えたりしています。」
「なるほど。初がそのノイジャーとやらから覚声機を回収して、祈空がそいつの言い分を聞いて正しい道に導いてやる....って感じなのか。」
「纏めると、そういうことになります。.....私の話は本当です。どうか、信じて貰えないでしょうか......?」
美奈はしばらく黙ったまま祈空の顔を見つめていたが、やがて全てを確信したかのように一度だけ大きく頷いた。
「....確かに、お前の言葉は嘘じゃなさそうだな。」
「....!信じて.....くれますか......?」
「ああ。お前の目を見りゃ分かる、一つも嘘は吐いてないってな。」
そう言って、美奈は再び笑顔を浮かべながら祈空の頭を軽く撫でた。
「アタシも、おかしいと思ったんだ。バカが付く程優しいあいつが、そんな横暴なことする奴だとは正直思えねえからな。」
美奈はポケットからパスケースを取り出して見つめる。そこに入っていたのは、祈空と同じ歳くらいの頃の美奈と初の写真だった。
「問いただすような真似して悪かった。けど、アタシは本当のことを知りたくて、ここ最近ずっとお前らのことを色々探ってたんだ。」
「.........そうだったんですね.....いつの間にか、私達の活動が根も葉もない悪評として広まっていたなんて......」
「多分、どっかの誰かが広めたデマなんだろうぜ。情けねえ話だが、アタシも祈空の話を聞くまでどの情報が本物か分かってなかったしな。ったく、頭悪りぃのも考えモンだぜ.....」
申し訳なさそうに美奈が頭を掻くと、祈空は慌てて首を横に振った。
「そんなことありません...!色んな情報が混同して、何が本当なのか分からなくなるのはよくあることですから......」
祈空は唇を僅かに震わせ、視線を少し下に向けながら静かに呟いた。
「でも......美奈先輩が冷静な人で良かったです。噂を鵜呑みにせずに、こうしてちゃんと調べてくれて.....本当にありがとうございます.......」
深々と頭を下げる祈空に、美奈は「顔上げな」と優しく呼びかけた。
「こっちこそ、色々教えてくれてありがとな。ちゃんと本人から本当の話を聞けて安心したよ。」
「先輩......」
「でも、あんまり二人だけで抱え込むんじゃねえぞ。お前らに何かあったら、アタシも力になる。お前らが間違った行動をしない限りは、誰が何て言おうがお前らの味方で居るからよ。」
美奈はそう言って、ニッと笑ってみせる。その言葉と笑顔に、祈空は感極まったように瞳を潤ませた。
「.....っ....はい......!ありがとうございます......先輩........っ....」
「お、おい!泣くなって!当たり前のこと言っただけだぞ?」
「だって....凄く嬉しくて.......玲亜先輩もそうですけど、初先輩のことをこんなに気にかけてくれる人達が居る.....それだけで、とっても安心出来るんです.....♪」
「そりゃ、アタシ達はお前らのダチだからな。間違ったことをすれば止めるし、困ってたら助ける。そして、疑う前にちゃんと話を聞いてやるのも、ダチの務めってやつだ。」
泣きじゃくる祈空の身体を支えつつ、展望台の階段を降りながら美奈はそう言った。
かつて、ある事件が起きた際に、美奈は何の疑いもなく初を犯人だと決めつけたことがあった。その失敗を繰り返したくないという強い思いが、今の美奈を突き動かしたのだ。
「今日はありがとうございました。美奈先輩のお陰で、私も初先輩も救われました。」
「おう、こっちこそ話せて良かったぜ。また初に会った時にでも、よろしく言っておいてくれ。」
美奈に駅まで見送って貰い、祈空は今度こそ無事に帰路へ着いた。
「....あのっ、先輩!」
改札口の向こうまで行った祈空は、不意に大きな声で美奈を呼んだ。
「先輩のバイト先、またお邪魔しても良いですか?」
「!........ああ!いつでも来な!」
...............................
...............
「...まさか、お前が此処でバイトしてたとはな.......」
「ほんと、ちょっといがーい。」
数日後。今度は、祈空だけでなく初と玲亜も美奈のバイト先を訪れていた。
「何が意外なんだよ!アタシこう見えても結構デキる女なんだぜ?」
「握力でグラス割ったりしないの?」
「しねーよ!!」
玲亜と美奈の言い争いを見て、祈空はクスクスと笑っていた。
「......どうした、祈空。」
「いえ、皆さん本当に仲良しなんだなぁって....♪」
「.....そうだな、全然変わってない。」
少し溜め息を吐きながらも、初は薄らと口元を緩めてそう答えた。
「なあ初〜!玲亜のやつアタシがバーテンダーやってるって全然信じてくれねえんだけど〜!」
「知るか、自分で説得しろ。」
「何でそんな冷てえの!?」
「ねえねえ祈空ちゃん、将来は此処でウェイトレスさんとかやってみたいとか思う?絶対似合う気がするんだよね♪」
「ふぇっ、そ、そうでしょうか....?でも、確かに興味はあるかも.....♪」
「否定はしないけど気が早えよ!」
八年前は青空小の生徒だった三人と、現役の青空小六年生。世代に大きく差が開いていても、それを感じさせない程の自然な空気が店内に流れていた。
「......最期に、何か言い遺すことは?」
ガチガチと歯を鳴らしながら震える犠牲者に切っ先を向け、その女は静かに尋ねる。
「や...やめてくれ.....!俺が間違ってたんだ.....!に、二度とアレは使わないって約束する、だからもう一度...もう一度だけ猶予をくれぇ.....っ!!」
身体を拘束された犠牲者は、必死に訴えかけてた。しかし。
「.....................そう言って、貴方はまた繰り返すのでしょう。一度力に溺れた人間の反省など.....信用するに値しません。」
女はゆっくりと刃を掲げる。その目には、一切の迷いもない。
「嫌だ....!!嫌だぁあああ!!!!」
首を横に何度も振り、涙と涎で顔を濡らしながら、犠牲者は声を枯らして泣き叫んだ。その泣き声を遮るかのように、女の冷たい声が響く。
「...........さよなら。」
一瞬の出来事だった。女が刃を振り下ろすと同時に、犠牲者の首が宙を舞った。やがて、冷たい床に堕ちたその首は、血の涙を流しながら事切れた。
「..........やれやれ.........どうしてこんなにも愚かで醜いのでしょう........」
「............罪人 -ノイジャー- という生き物は」
FIN.