コトノハバース・フューチャーストーリー
『私の想いは...』
「お前まで《Sirius》の傘下になってやがったのか......明石 月那!!」
激しい怒りに満ちた声色で、初は叫ぶ。月那と呼ばれたその女性は、眼鏡を指で押し上げて不敵な笑みを浮かべていた。
「どうしたんだい、そんなに青筋を浮き上がらせて。私が《Sirius》であることがそんなに意外かな?」
「当たり前だ........お前も、久乱も....!!何でこんなことしてるんだよ!!」
月那はクスクスと笑いながら、初の問いに対して躊躇なく答えた。
「そんなの決まってるだろう?この世に”悪“......即ち、ノイジャーが存在するからさ。」
そう言って、月那は自分の警察手帳を突きつける。
「私はノイジャーを処刑する執行者、通称《ESP》のリーダーだ。悪は死を以て償わなければならないと、綾川総司令にいつも口酸っぱく言われていてね。」
「違う!!ノイジャー全員が純粋な悪とは限らない!一度は間違った道に進んだとしても、あいつらの中に少しでも良心が残っていれば.....また正しい道に戻って来れる!!」
「ふふふ.....面白いことを言うね。良いかい?人間の心というのは、君が思っている以上に脆いんだ。一度でも罪の味を占めた人間は、その後も罪を繰り返す。あの味が忘れられない、もう一度、あと一度.....と。そう、かつて神の言いつけを破り、一口だけならと言って知恵の実を食べてしまったアダムとイヴのようにね。」
月那の言葉に、初はまた奥歯をギリギリと鳴らし、熱が篭った白い息を吐く。そんな初を見て、月那は呆れたように首を横に振った。
「何故分からない?君はもっと聡明な人間だった筈だ。冷静になりなよ、そうすれば私達の考えにも納得出来るだろ?」
「......冷静だよ.....冷静だから、納得いかないんだろうが!!」
初は今まで以上に声を荒げながら、怒りに震える手をぐっと握り固める。
「確かに、人間って生き物は罪を繰り返す馬鹿な奴らかもしれない......けど、生きている限りは何度だってやり直せる!お前らみたいに、有無を言わさず奴らの命を...償う機会をも奪ってるだけじゃ、根本的な問題の解決にはならねえんだよ!!」
覚声機を構え、鬼のような形相で月那を睨みつける初。月那は物怖じ一つせず、初が次に何を言い出すのかと興味深そうに見つめていた。
「.....月那........お前のことも、今正気に戻してやるよ.......お前が信じてる久乱の言葉が間違ってるって、その身に叩き込んでやる!!」
「.......あの人が間違っているだって............?はは.......ははははは............あっははははははははは!!最高だ!本当に面白いね、君は!!」
月那は天を仰ぎながら、狂気じみた笑い声をあげた。一頻り笑った後、月那は懐からおもむろに覚声機を取り出した。
「それは.....!」
「《焔幻映蛇 -フランマ・サーペント-》....私の覚声機だ。どうやら、今の君とは到底分かり合えないみたいだからね。」
マントを片手で脱ぎ捨て、月那はギラリと眼鏡を光らせる。さっきまでの笑みは消え、代わりに殺意を剥き出しにして、月那は初の方に歩み寄る。
「.........彼女を否定する者は、誰であろうと赦しはしない。私は今此処で、君を処刑する。」
月那の背後に、巨大な蛇の幻映が現れた。鎌首を持ち上げ、街中に轟く程の凄まじい咆哮をあげながら、初を獲物と認識し狙っている。
「はっ、久乱久乱って.....所詮はあいつの犬ってか。他に理由は無いのかよ!」
「黙れ。理由なんて一つで良い、それが私の役目だから.......という、たった一つの理由だけで。」
「.............ああそうかい.....ま、どうでも良いよ。お前がその気なら、私も全力で戦うだけだ。」
初は俯きながらニヤリと笑い、再び背中に片翼を出現させる。かつて、初にとって一人の友だった月那。彼女を葬ることに対して、迷いなどとっくに捨て去った様子だった。
「......覚悟しろ、《Sirius》の犬めッ!!」
「“堕天使”風情が.......地獄に還るが良い!!」
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「......貴方が...........覚声機を.......?」
『フッフフフフ.....そうですよ。ワタシこそが、アナタ達のように悩み、苦しみ、助けを求める子羊ちゃんに覚声機を売り歩いている売人なのです。』
仮面顔の男、Rはそう言って笑うように口角を吊り上げる。同時に、祈空に向けて差し出した掌の上に銀色の覚声機を出現させた。
『さぁ子羊ちゃん、どうぞお受け取り下さい。代金は必要ありませんよ。売人と名乗る癖にお金を取らないなんて、変な話ですけどね。フッフフフ.....』
Rは片膝をつき、まるで花束を手渡すかのように祈空に覚声機を差し出した。しかし。
「.........要りません。」
『え?』
「私は......ノイジャーになりたいわけじゃありません。初先輩の助けになりたい、それだけです。」
さっきまで泣いていたとは思えない程、祈空は力強い口調できっぱりとそう言った。
「.....それに、貴方が覚声機の売人ということは.....今までノイジャーになった方々は、皆貴方に唆されてきたということですよね。それなら尚更、これを受け取るわけにはいきません。」
『おやおや、唆しただなんて酷い言い掛かりですねぇ。』
「だって事実でしょう!私は.....覚声機に手を出して、ノイジャーになってしまった人を何人も見てきたんですよ!その原因は、彼らを唆した貴方のせいじゃないですか!」
微かに震える声で叫ぶ祈空を見て、Rは困ったように目尻を下げながらこめかみを掻いた。
『フウム.......どうやらアナタは、ワタシを誤解しているようだ。』
「誤解........?」
『先程から何度も申し上げている通り、ワタシはアナタ達に最後の道標を示しているだけであって、必ず其処に行けとは一言も言っていないのですよ。』
東西南北、各方面に何処までも続く十字の道。Rは、その四つの道の上を円を描くように歩き回りながら話し続ける。
『そして、覚声機はワタシが示した道を切り開く為の単なる鍵にすぎない。そもそも、覚声機というものは人を悪の道に堕とす為に作られた道具ではありません。所有者の想い、願い、欲望....各々が込めたいものを強く込めることで、覚声機は初めて力を引き出すのです。つまり、どんな覚声機が生まれるかは、子羊ちゃん次第なのですよ。』
「......じゃあ.........今までノイジャーになった人達は...........」
『そう、彼らは自身の意思で覚声機に込めたものによって、深い穴の底へ堕ちてしまったんですねぇ。それなのに、全てはワタシの、そして覚声機のせいだと誤解されてしまっている。特に.....あの“堕天使”には。』
不意に立ち止まったRは、今度は怒ったような表情を浮かべていた。
「初先輩を.....知ってるんですか.....?」
『ええ、勿論知っておりますとも。せっかく覚声機を買って下さった子羊ちゃんから、あの手この手で巻き上げてしまう厄介者です。全く、商売の邪魔でしかない。』
「.....違う.......違います!!」
Rの言葉に、祈空は迷わず叫んだ。
「.....貴方こそ誤解してる........初先輩は、ノイジャーになってしまった人を助けようとしてるだけです!美奈先輩が教えてくれたあの噂話は.....貴方が広めていたんですね...........!」
祈空の頭の中では、二つの話が繋がっていた。一つは、美奈に聞いた噂話。もう一つは、以前出会ったノイジャーの少年が売人に言われたという「“堕天使”には気をつけろ」という言葉。初が危険な存在であるという風評被害を撒き散らしたのは、R以外に考えられない。祈空はそう判断したのだ。
『フッフフフフ..........』
再び、Rは笑顔を浮かべて笑い声をあげる。
『気付かれてしまったのなら仕方ありませんねェ........さて、どうしてやりましょうか........』
「.................っ」
『.....なんて、冗談ですよ。ご安心下さい、力を持たない相手を一方的にいたぶるような趣味はございません。それに、此方こそあらぬ誤解をしていたようですから、今回の件はお互い様ということで手打ちに致しましょう。フッフフフフフフフ.....』
怪しげに笑うRと、どうも腑に落ちない祈空。しかし、こんな所で言い争っている場合ではないと判断し、祈空はぐっと我慢した。
「......そろそろ帰っても良いでしょうか。」
『おっと、随分長話してしまいましたね。諸々のお詫びの印として、これを差し上げましょう。』
Rは先程の覚声機を取り出し、祈空の手に握らせた。
『要らないのであれば、後で捨てて貰っても構いません。ですが、アナタがその覚声機をどう使いたいか、どのような想いや願いを込めたいのか....それが分かれば、必要になる時が来るかもしれませんよ。』
「.....私が.......込めたい想い...........」
『さぁ、そろそろ閉店のお時間です。本日はご来店ありがとうございました、運が良ければまたお会いしましょう。それでは、ご機嫌よう...............』
「.......ちゃん..............祈空ちゃん!」
「!」
身体を揺さぶられ、祈空はハッとして目を覚ます。コンクリートの地面、立ち並ぶビル。見慣れた蛍音市の街並みが、まだ状況の処理が追いついていない目に飛び込んできた。
「....良かった、気がついた.....こんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
「.........玲亜.....先輩.......」
祈空を抱き起こしたのは、玲亜だった。困ったように眉を下げつつも、優しげな笑みを浮かべて祈空を見つめている。
「......すみません........でも、どうして此処が分かったんですか........?」
「情報屋のオッサンが、お前と電話が繋がらねえって連絡寄越したんだよ。それでアタシと玲亜で街中を探して、たまたまこうして見つけたってだけ。」
玲亜の隣に立っていた美奈も、目線を合わせるようにしゃがんで祈空の頭をくしゃっと撫でる。
「....二人とも、ありがとうございます.......またご迷惑をかけてしまいましたね........」
「気にすんなって、困った時は遠慮せず頼れって言っただろ?」
「それより、初ちゃんは?さっきから初ちゃんとも全然連絡取れないの。何か知らない?」
「初先輩は...............!」
不意に、祈空は自分の手に何かが握られていることに気付いた。見てみると、それはまだ力が解放されていない銀色の覚声機だった。
「お前、それ......」
「..............」
覚声機を見つめながら、祈空はRの言葉を思い出した。
『アナタがそれをどう使いたいか、どのような想いを込めたいのか.....それが分かれば、必要になる時が来るかもしれませんよ。』
「.......私の.........覚声機に込めたい想いは.............」
祈空は覚声機を握りしめ、二人には聞こえない声で何かを呟いた。
「の、祈空ちゃん......?」
「.....玲亜先輩、美奈先輩!初先輩は.....今、一人で戦っているんです。でも、一人の力では歯が立たないかもしれなくて......だから、二人にも力を貸して欲しいんです......!お願いします!」
祈空はそう言って、深々と頭を下げた。それを見た玲亜と美奈は顔を見合わせ、お互いに頷き合う。
「おう、任せときな!アタシらが居れば敵無しだぜ!」
「初ちゃんの役に立てるなら、喜んで力になるよ!」
「......!ありがとうございます!」
覚声機をポケットに仕舞い、祈空は二人の手を引いて走り出した。
「初先輩.....待ってて下さい!私、もう逃げません!」
..................................
...................
「......はぁ.....はぁっ.............」
「.......ふー.........」
積み重なった瓦礫、その隙間から溢れ出すように燃える炎の中で、初と月那は睨み合っていた。お互いかなり傷を負ってはいるが、圧倒的に初の方が劣勢だった。
「......君も、いい加減しぶといね..........もう体力はほとんど残っていない筈なのに、まだ両足で立てる程には余裕があるなんて.......」
「...........余裕なわけ.....ねえだろ.......ただ、お前より先には膝をつきたくないだけだ.......」
「なるほど、要するに無理をしているのか.......だったら、徹底的に圧し折るまで.......!」
月那は覚声機を天高く掲げ、渾身の力を込めて叫んだ。
「目覚めよ......我が切り札!!《光斬凍蛇 -ブライト・ヴァイパー-》!!!」
覚声機が眩い光を放ち、白銀色の刃を携えた剣へと変化した。同時に、初の足元から凄まじい冷気が発生する。
「何ッ.......が、あぁアッ.......!!」
「天を追放された堕天使は、地獄の最下層で氷漬けにされた!我々《Sirius》を.....そして綾川 久乱を敵に回した報いだ!君も同じ運命を辿るが良い!!」
全てを凍てつかせる程の冷気で初はたちまち腰まで凍りつき、更に月那が高速で放つ光の斬撃で身体をズタズタに斬り刻まれた。
「これで..........終わりだぁあああああああッッッ!!!!!」
そして、最後に放たれた巨大な斬撃が、初の身体に直撃した。その瞬間、初が手に持っていた覚声機も弾き飛ばされ、全身に負った傷口から鮮血が噴き出した。
「ぐあッ....げほァアアッ!!!!!がァァああぁああぁああぁあああぁああああぁぁぁああああああッッッッ......!!!!!!!」
血反吐混じりの断末魔をあげながら、初はその場に崩れ落ちた。瞳は光を失い、指先一つ動かせずに、瓦礫の中で五体を地に投げ出してしまう。
「.........................はぁ、はぁ.........ふふ、ははは.......私の、勝ちだ...........」
覚声機を使った反動で身体に相当な負荷をかけたものの、リミッターにより何とか耐え切った月那は、倒れた初の喉元に切っ先を突きつけた。
「.......どうした、“堕天使“......もう終わりなのか?あれだけ大層なことを言った割には、随分呆気ないじゃないか。」
「......................」
辛うじて息はあるが、返事することもままならなくなった初は、目線だけを動かして月那の顔を睨みつけた。
「.....ふん、まだ死なないのかい?全く往生際が悪いね......でも、いい加減苦しいだろう?大丈夫、一瞬で楽にしてあげるよ.....」
そう言って、月那はゆっくりと剣を振り上げる。空高く登った月の光に照らされた刃が、銀色の閃光を放つ。初は、もはや全てを諦めたかのように身動ぎ一つしなかった。
「..........さらばだ、音羽 初...........冥福を祈っているよ..................」
「.........?」
次第に意識が遠のく中で、初はある違和感に気付いた。もうとっくに死んでいてもおかしくない筈なのに、何故か首と胴は依然として繋がったままでいる。
「...........よう月那、元気そうじゃねえか.......そんなキラキラした服着やがってよ........」
「.....その......声は............」
初が目を開けると、美奈が月那の腕を片手で押さえつけていた。月那はその手から逃れようと力を込めるが、美奈の腕力の前ではビクとも動かない。
「は......離せっ........!」
「良いぜ.......ほらよッ!!」
美奈は月那の腕を掴んだまま、勢いよく放り投げた。月那の身体は宙を舞い、瓦礫の上に叩きつけられる。
「がはッ!!」
「しばらくそこで寝てろ!.....おい、立てるか初?って、その傷じゃ無理か。」
「私に任せて、《慈愛空間》!」
今度は玲亜の声がして、初の身体が薄い光に包み込まれた。
「.....お前ら.......何で............」
「ったく、相変わらず無茶しやがってよ。」
「そうだよ!心配してくれてる子だって居るんだよ?」
「.....心配.........?って.....」
意識が回復してきた初の目の前に、祈空が立っていた。瞳を涙で潤ませながらも、珍しく少し怒ったような表情を浮かべている。
「.........祈空......」
「っ!」
「ってぇッ!?」
「「祈空(ちゃん)!?」」
呆気に取られている初の頰を、祈空は躊躇なく引っ叩いた。
「な........お前...っ、こっちは怪我人だぞ!」
「知りません!!.....約束、破った罰です!」
「はぁ?約束って..............あ。」
『無理だけはしないで下さい。私からも...約束です。』
「.........あー......」
「.....こんなに傷だらけになって.......初先輩のばかっ........!無理しすぎです.....!」
ボロボロと涙を零しながら、祈空は初に抱きついた。初はバツが悪そうな顔で溜め息を吐き、その頭をポンポンと撫でた。
「.........悪かった、ちょっと熱入れすぎたな.......」
「もー、祈空ちゃん泣かせちゃ駄目だよ初ちゃん!」
「だ、だから悪かったって.......けど、三人ともありがとな。正直.....ヤバかった。」
「ドンマイドンマイ、気にすんな!さーて、こっからは反撃タイムだぜ!」
美奈が拳を鳴らすと同時に、月那もよろめきながら立ち上がる。
「貴様ら.........!!」
「ふん、アタシに力で勝てるとでも....」
「二人とも、待って下さい!」
すると、涙を拭い去った祈空が、二人の間に割って入るように立ちはだかった。その手には、銀色の覚声機が握られている
「祈空.....?お前、まさか..........!?」
「.....初先輩、見ていて下さい。私、ようやく見つけたかもしれないんです........」
「私が、皆さんの為に出来ることを.......!」
To be continued...