ケイレイの手慰み 侵攻 ある夕刻 15

ある夕刻 15

 寒気に似た何かがルルスを包む、後ろ髪がぞわぞわと逆立ち、あたりが闇に包まれたように暗くなる。だが明りが失われたわけでもない。薄暮のような暗さに、ルルスは包まれている。
 なるほどと思った。この灰色の魔女の額飾りをつけたものは、この魔気につつまれ、別人と感じられたのだ。この額飾りの力がこれだけかどうか、ルルスにはわからない。だが、使うしかない。
 ルルスは振り返る。まだ誰も気づいていない。
 だから声を上げた。
「敵の姿はあれだけではない」
 見やる先で、ケニッツとルフターがともに振り返り、一瞬、息をのむ。先に応じたのはケニッツだった。
「だれだ手前ぇ!」
「わが名は・・・」
 わずかに迷い、ルルスは思いつきを口にした。
「ニヒス」
「何だぁ!てめえ!」
「虚無?・・・・・・何者だ」
 ケニッツのわめきと、ルフターの問いが重なる。ルルスはともに無視した。
「目の前に見えるものだけに右往左往して何の意味がある」
「なんだと!」
「それだ、ケニッツ。お前には見えていない」
「そんなこたぁどうでもいい!てめえ、何者だ!」
 ケニッツが身をのりだす。飛びかからんとする勢いは、ルフターが押しとどめる。ルルスは言う。
「わたしがいかなものだろうが、諸君にとってはどうでもよかろう。諸君にとって必要なことは、賊軍を排することではないのか。アシュッツブルグから、いやトイトブルグ王国から」
「てめえに言われる筋合いはねえ!」
「だがお前はいま、ここにいる。違うか、ケニッツ。何ゆえだ。お前の心は何を求めている」
「こころ、だと?」
 一瞬、ケニッツは口ごもる。ルフターが代わりをするように答えた。
「平和だ、ニヒス。ぼくらは、以前のような平和な王国を望んでいる」
「お前一人でできるとは思わぬだろう、ルフター。ゆえにお前はともがらを集めた」
「そうだ」
「聞け」
 ルルスは、両腕を広げた。袖無し外套が大きく広がる。ルフターとケニッツのみならず、その背後のルフター勢もが驚いたように振り返る。彼らへ向かって、ルルスは言う。
「我を信じよとは言わぬ。疑いあれば、斬れ。だがわたしはここに言う。我の望みもまた平和。誰にも一人の力では叶えられぬことだ。ならばいかにして行う!」
「・・・・・・」
 誰よりも、声は無かった。答えようもないことも、わかっていた。だからルルスは一人言葉を続ける。
「力束ねるしかないではないか。ケニッツ。わたしはお前の力を必要としている」
「おれ、を?」
 ケニッツは己自身を指で示す。その顔は半ば呆けていた。ルルスは畳み掛ける。
「そうだ、ケニッツ。我が言葉は我がためのみにあるにあらず。お前の力も、お前のみのためではない。わかるか!」
「・・・・・・」
「このひと時の忍従を己がものとして待て。やがて、すべては報われるだろう。その果てに、我らの求めるものはきたる。いいな、ケニッツ」
「・・・・・・」
「いいな、ケニッツ!」
 気おされてケニッツはうなずいた。小刻みに、何度も。
「よろしい。わたしは、わたしの成すべきことのためにしばし向かう。諸君もまた成すべきことを果たせ」
 ルルスは身を翻した。
 ケニッツとルフターに見えぬ木陰へと回り込み、灰色の魔女の額飾りをはずす。あたりが一息に明るくなる。めまいに似たものを覚えて、ルルスは幹に背を預け、肩から外套をはぎとる。
「ニヒス!」
「消えた?」
 ルフターとケニッツの声が聞こえる。二人の駆け来る足音も聞こえる。
 顔を上げたルルスの前で、二人は戸惑ったようにあたりを見回す。ケニッツが芸もなく喚いた。
「ルルス!奴はどこへ行った!」
「わからない。不意に消えてしまって・・・・・・」
「・・・・・・くそ!何なんだ!」
 森の天蓋を見上げてわめくケニッツを尻目に、ルフターはしずかにルルスに歩み寄ってくる。
「ルルス、君は彼のことを知っていたのか?」
 戸惑いの装いをルルスはまとってみせながらうなずいた。
「あの人は、王国のためといった。君たちのほうが知っているのだと思った」
「ルルス、信じたのか」
「どう疑えというんですルフター先生」
「では、今までの策も、奴の言葉からなのか?」
 うなずくルルスを前に、ルフターは口ごもり、何か考え込む。ケニッツがその顔を覗き込む。
「・・・・・・ルフターせんせい?」
「わかった」
 ルフターはうなずいてみせる。その顔は、今までと全く変わらなかった。それからルフターは皆へと振り向く。
「ケニッツ、それにみんなも聞いてくれ。奴のことは置いておいてほしい」
 皆のざわめきにかぶせて、ルフターは続ける。
「僕は、しばらくの間は、あのニヒスを信じてみようと思う。奴の手はずがそれなりに理にかなっているからだぼくらでは、いくさのことはわからない。いくさの機微もだ」
 応じるのはざわめきばかりだ。
「奴が、ニヒスが、アシュッツブルグと王国の役に立つ限り、僕らとしても拒むゆえは薄い。だがニヒスは、疑いあらば斬れとも言った。間違っていれば、ぼくが奴を斬る」
「ぼくは、先生を信じる」
 ルルスはすぐにうなずき、声高にいってみせる。それからケニッツへと振り向く。
「ケニッツは、どうする?」
 問われたケニッツは、とまどったように己を指差して見せる。その目は泳いで、他のものがどう応ずるかを確かめようとしていた。この男の考えることとは、ようするにその程度だ。
「お、おれはよ・・・・・・」
「ルフター先生を信じているんだろう」
「あったりめえよ!」
 ルルスはほくそえんだ。
「みんなも、そうだろう?」
 呼びかけに、皆はそれぞれにかすかにうなずき、そして辺りを見回して周りのものもそうしていることを確かめ、こわばった笑みを、少し大きくする。戸惑いを含んだ笑みは、次第に広がり、奇妙にうつろな声で、互いに笑いあっていた。
 ルルスは息をついた。とにかく、今はここを切り抜けて、進まねばならない。
 いや、勝たねばならない。ルルスには力が必要なのだから。

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最終更新:2010年07月22日 22:23