ワールドメイトの事典
深見東州と出口王仁三郎
最終更新:
wmdata
-
view
出口王仁三郎が予言した邪宗教「ウラナイ教」とは?
「天変地変の預言で人々を不安にさせて献金をせまる」
のが邪教であることは出口王仁三郎の「霊界物語」に登場する
ウラナイ教団という邪教の姿を借りて描かれている。
のが邪教であることは出口王仁三郎の「霊界物語」に登場する
ウラナイ教団という邪教の姿を借りて描かれている。
その「ウラナイ教」の看板の裏には
「宗教おおもと」というルビが振ってある。
大本教を継いでいる、あるいは真似している宗教ということだろうか?
「宗教おおもと」というルビが振ってある。
大本教を継いでいる、あるいは真似している宗教ということだろうか?
このウラナイ教団は一見、教えがたいへん正しい愛の宗教のように見えるので、
中にいる信者はそれが邪教であるとはなかなか気づくことがない。
中にいる信者はそれが邪教であるとはなかなか気づくことがない。
しかし本当は自分だけが神様に気に入られて
天変地変にも生き残りたいと願う自分勝手な人たちの集まりなのである。
天変地変にも生き残りたいと願う自分勝手な人たちの集まりなのである。
そして大変にしつこく、最後まで正神の働きを邪魔していく。
大本のお筆先(神示)には「善悪二つの型を出すところ」と明記されている。
「大本は善悪二つの型を出すところ、他人には傷はつけられぬから、ナオの血筋に悪の御役をさせるぞよ」
「大本=出口ナオ」「裏大本=王仁三郎」と定義すれば、
大本は「悪の世の写し鏡」である悪神の宗教をあえて演じていたのである。
「大本は善悪二つの型を出すところ、他人には傷はつけられぬから、ナオの血筋に悪の御役をさせるぞよ」
「大本=出口ナオ」「裏大本=王仁三郎」と定義すれば、
大本は「悪の世の写し鏡」である悪神の宗教をあえて演じていたのである。
ウラナイ教は大自在天を本尊とあおぐ。
(大自在天…梵名マヘーシュヴァラ。大いなる神通力を持ち、自在に願望を叶える力を持つ。悪の行いの報いを受けず、因果を超越している神。しかしヴェーダの聖典では、登場する大自在天のほとんどが悪役として描かれている)
教主は「日の出神の生き宮」と自称している高姫で、弟子の黒姫が補佐している。
信者は、みな盲目である。
これは、「世間のことが何もわからず神一筋になる」ように、高姫(高慢さを秘めている者の意)と黒姫(柔和な人情家に見えて、腹黒さを秘めた者の意)が信者の鼓膜を破り、目をつぶしてしまうからである。
信者は、みな盲目である。
これは、「世間のことが何もわからず神一筋になる」ように、高姫(高慢さを秘めている者の意)と黒姫(柔和な人情家に見えて、腹黒さを秘めた者の意)が信者の鼓膜を破り、目をつぶしてしまうからである。
現代日本の新興宗教の予言が描かれている。
出口王仁三郎の霊界物語に登場する邪神とは・・・
大蛇(おろち)、悪狐(あっこ)、邪鬼の三種
(霊界物語第1巻18章)
(霊界物語第1巻18章)
六面八臂の邪鬼(ろくめんはっぴのじゃき)・・・イスラエルの地で発生。
既存の組織を破壊して自分が盟主、また神となり代わって世界を支配しようとする。
既存の組織を破壊して自分が盟主、また神となり代わって世界を支配しようとする。
普通は「八面六臂」と書く。
一人で何人分もの、万能の活躍をする、という意味。
千変万化しながら、地上界を混乱させて全てを支配しようとする大変恐い邪神です。
一人で何人分もの、万能の活躍をする、という意味。
千変万化しながら、地上界を混乱させて全てを支配しようとする大変恐い邪神です。
「ある時は老人と化し、ある時は幼者と変じ、美人となり醜人と化し、
正神をよそおい、ある時は純然たる邪神と容貌を変じ、もって神変不思議の魔術をおこなう者」
「一切百種の技能に熟達し居るの意義なり」(霊界物語、第4巻第36章)
正神をよそおい、ある時は純然たる邪神と容貌を変じ、もって神変不思議の魔術をおこなう者」
「一切百種の技能に熟達し居るの意義なり」(霊界物語、第4巻第36章)
深見東州先生の
「神界からの神通力」という本にはこういう文章がありますね。
「神界からの神通力」という本にはこういう文章がありますね。
「また、信仰心だけでも第一天国に入れない。信仰心とともに、
社会的地位、名誉、富が揃って、初めて第一天国に入れるのである。」(第6章死後霊界の新事実)
社会的地位、名誉、富が揃って、初めて第一天国に入れるのである。」(第6章死後霊界の新事実)
この一点がつまずきの石になったと思います。この章は、ほとんどが
霊界物語(出口王仁三郎・著)の「霊の礎」をネタに書かれていますが、この部分が全く正反対の内容に書き換えられている。
霊界物語(出口王仁三郎・著)の「霊の礎」をネタに書かれていますが、この部分が全く正反対の内容に書き換えられている。
地位、名誉、富は、この世では良しとされるものですが、
そもそも「三千世界の立て替え建て直し」をする理由は、人間の目が
我欲でくもってしまって、大和魂(大いなる調和の思惟の意)を失い、我よし(エゴイズム)に走っているために「善悪がひっくり返っている」のを正すためです。
そもそも「三千世界の立て替え建て直し」をする理由は、人間の目が
我欲でくもってしまって、大和魂(大いなる調和の思惟の意)を失い、我よし(エゴイズム)に走っているために「善悪がひっくり返っている」のを正すためです。
つまり、今の社会的地位、名誉、富も、「我よし・強いもの勝ち」の精神で集めたものである限り、神の目からは「悪」だ、ということです。
某氏は、この「立て替え建て直し」を骨抜きにし、現世利益に
走らせることで「悪」をますます進めようとしていることになります。
走らせることで「悪」をますます進めようとしていることになります。
氏の主張すること、信者をどこに導こうとしているか、を冷静に見極めれば、
出口王仁三郎の後継者などという自称が、本当かうたがわしい。実態は神業の妨害者かもしれませんね。
出口王仁三郎の後継者などという自称が、本当かうたがわしい。実態は神業の妨害者かもしれませんね。
誠の宝は誠の道の教えによれる信仰の実りなり。
黄金白金は、この世の宝、夢の世の宝にして、永久に保つことあたはぬ仮の宝なり。
黄金白金は、この世の宝、夢の世の宝にして、永久に保つことあたはぬ仮の宝なり。
うつし世(地上・現世)は涙の国なり、苦しみの家なり、悪魔の世なり。
今日栄ゆるかと思へば、明日は必ず衰ぶる世なり。生くる間もなく亡ぶる世なり。
今日栄ゆるかと思へば、明日は必ず衰ぶる世なり。生くる間もなく亡ぶる世なり。
人は食うがために生くるにあらず、生くるがために食うなり。
ゆえに飽くまで食らい飽くまで飲むものは、不道徳の至りにして神のみむねに叶わざるなり。
ゆえに飽くまで食らい飽くまで飲むものは、不道徳の至りにして神のみむねに叶わざるなり。
曲津神(まがつのかみ)に襲われしものは総て大食するものなり、大飲するものなり。
出口王仁三郎
我こそはこの世の救い主なりとか、この世を立直す役なりとか、尊い神の御血筋の霊みたまなりとか、色々様々の事を称えて、愚かなる人を欺く悪魔あり。必ず惑わさるる事なかれ。
にこにこと笑顔つくりてうまきこと言って出て来る日日(ひひ)の曲神(まがかみ)
今の俗世間の人の気に入るような言葉は神様の御心に反し、神様の御心にかなうような言行は、今の世の大方の人々の気に入らず、誠の道を開くということは、実に骨の折れることである。
拍手喝采式の大向うを賑わすような演説屋のやり方は、あだ花の一時に開くようなもので、実りは至って少ないものである。
この世へ生れ来たりし上は一日なりとも長く生きて、一つでも善き事を多く行いて、後の世の我身の行く先の足場を作り置くべし。
霊魂のみになってからは、善をなさんと思いても、肉体なければなす事はできぬ。
善なることはたとえ少しなりとも勉めてこれを行うべし。一粒の粟の種をほどよき土に下せば、万倍の実を結ぶを見よ。
霊魂のみになってからは、善をなさんと思いても、肉体なければなす事はできぬ。
善なることはたとえ少しなりとも勉めてこれを行うべし。一粒の粟の種をほどよき土に下せば、万倍の実を結ぶを見よ。
出口王仁三郎
出口王仁三郎は死後何十年経っても語り継がれる近代日本宗教界の大巨人だけど(日本国内の新興宗教界に限られた話ではあるが)
深見東州ってそれに匹敵するような功績あったっけ?
深見東州の自称である「出口王仁三郎二世」とかセールストークで身内が言ってるだけでしょ?
深見東州ってそれに匹敵するような功績あったっけ?
深見東州の自称である「出口王仁三郎二世」とかセールストークで身内が言ってるだけでしょ?
出口王仁三郎のかつての弟子、合気柔術開祖の植芝盛平とか世界救世教教祖の岡田茂吉とか生長の家の谷口雅春なんかは今でも熱心な信奉者がいるけど
深見東州とその弟子たちなんてのは死んだら多分それっきりなんじゃないかな?
深見東州とその弟子たちなんてのは死んだら多分それっきりなんじゃないかな?
深見東州を出口王仁三郎と比較するのもおこがましいと思う
大本神諭(国常立尊の神示)
この神は病気治しの神では無いぞよ。精神直しの神であるから、人民はさっぱり精神が違うから、神を疑うのであるぞよ。
この金神は心を直す神であるぞよ。
今の人民は表面さえ良けりゃ肝腎のお性念はドウでも好いのじゃな、これでは誠で無いから、世の立替えについては人民の腹の中から掃除を致さなならんので神は骨が折れるぞよ。
艮の金神が金光殿に憑りて先導の御用を命じたなれど、後の取次ぎが慢心を致して、神を商法にいたして、教えを盗みて神商法の道具に致したり、
取次が勝手な名を付けて、天地の眼を眩まそうと致して、たくさんに神の嫌いな教会場を国々に建て、
何も知らぬ人民をだましておるから、
真正の艮の金神の教えまでも、日本の人民が疑うようになりたのは、皆、取次ぎの行状が悪いからであるぞよ。
何も知らぬ人民をだましておるから、
真正の艮の金神の教えまでも、日本の人民が疑うようになりたのは、皆、取次ぎの行状が悪いからであるぞよ。
人の苦労で徳を取ろうと致して、大本を喰い物に致す守護神やら悪神が出て参るぞよ。
出口直の血筋をねろうて、悪神の頭が掛りて来て、大本の一厘の仕組を横奪に来るぞよ。
出口直の血筋をねろうて、悪神の頭が掛りて来て、大本の一厘の仕組を横奪に来るぞよ。
身魂が悪の守護であるから、上へ行くほど慢心が激しくて、神の心が判らんからであるなれど、中には心の良きものは御用に使うぞよ。
落ちて居るもの侮るなよ。良き御魂が落してあるぞよ。
落ちて居るもの侮るなよ。良き御魂が落してあるぞよ。
神通力を見せるためには、それを認めてくれる他者がいなければならない。
つまり、神通力を見せびらかすような人の内には、 叡智はない。
つまり、神通力を見せびらかすような人の内には、 叡智はない。
「私はこれこれである」というのがエゴである。
「私」が「私」のみを保ちつづけるとき、それは真の自己である。
「私」が「私」のみを保ちつづけるとき、それは真の自己である。
それが突然に脇道にそれて「私はこれであり、あれであり、これこれである」と言うとき、それはエゴである。
「私だけは特別である」という心は利己的である。
自己実現した霊の力は、すべての神通力の力より遥かに強力なものである。
聖者の内にエゴがなければないほど、彼にとって「他者」というものはない。
人は、そのエゴを絶滅しないかぎり、平和を得ることも、幸福を与えることも出来ない。
エゴの放棄そのものが、もっとも力強い祈りである。
聖者の内にエゴがなければないほど、彼にとって「他者」というものはない。
人は、そのエゴを絶滅しないかぎり、平和を得ることも、幸福を与えることも出来ない。
エゴの放棄そのものが、もっとも力強い祈りである。
神通力はエゴがあるときだけ現れる。
たとえそれらを得たとしても、あなたは相変わらず無知と苦悩のままにとどまるであろう。
たとえそれらを得たとしても、あなたは相変わらず無知と苦悩のままにとどまるであろう。
それなのに人々は、この真理を耳にすることさえ好まない。
彼らは、前世や天国、地獄や超能力については熱心に知りたがる。
彼らは不思議を愛しており、真理を愛してはいないので、
宗教は、結局は彼らをわき道にそらせるものしか提供することができない。
彼らは不思議を愛しており、真理を愛してはいないので、
宗教は、結局は彼らをわき道にそらせるものしか提供することができない。
人々は単純なことに満足できず、壮大に作り上げられた魅惑的で優越的なものを求めている。
だからこそ、これほど多くの宗教が現れ
それぞれ非常に複雑で、それぞれの宗教の最高神が無数に増殖していく。
それもみな信者の注目を誘って彼らの心を混乱させるだけのために…
だからこそ、これほど多くの宗教が現れ
それぞれ非常に複雑で、それぞれの宗教の最高神が無数に増殖していく。
それもみな信者の注目を誘って彼らの心を混乱させるだけのために…
成熟した心だけが、単純な真理をあるがままに理解できる。
究極の真理はとてもシンプルだ。
それは純真無垢な状態の中に戻ることであり、これが語られるべきすべてなのだ。
究極の真理はとてもシンプルだ。
それは純真無垢な状態の中に戻ることであり、これが語られるべきすべてなのだ。
願望が叶ったといって得意になったり、
叶わなかったから失望したりするべきではない。
運がいいなどと得意になっても自分を欺くだけだ。
得たものは最後には必ず失われる。
それゆえ慢心は必ず苦痛と失望の内に終わるのだ。
叶わなかったから失望したりするべきではない。
運がいいなどと得意になっても自分を欺くだけだ。
得たものは最後には必ず失われる。
それゆえ慢心は必ず苦痛と失望の内に終わるのだ。
幸運が起ころうと不運が起ころうと、そのどちらにも同じように無関心でいなさい。
そしてあなた自身のなすべきことをなしなさい。
そしてあなた自身のなすべきことをなしなさい。
神通力を会得したところで成長するわけではないし、それを失ったとしても衰えるわけでもない。
あなたは常に「純真無垢なあるがままの存在」としてとどまるのだ。
あなたは常に「純真無垢なあるがままの存在」としてとどまるのだ。
あなたが出来もしない世界の救済や、教団の布教に追い回されているのはなぜだろうか。
神々に自分の願望を押しつけた者は、神々からの願望を押しつけられる。
あなた自身の欲望があなたを鎖につないでいるのだ。
神々に自分の願望を押しつけた者は、神々からの願望を押しつけられる。
あなた自身の欲望があなたを鎖につないでいるのだ。
あなたの心に巣食うエゴを正しなさい。
そうすればあなたの環境は自然の内に改善されていくだろう。
そうすればあなたの環境は自然の内に改善されていくだろう。
あなたの心はいつも外側に向って走っている。
心を内側に向けなさい。
そうすればあなたは外側の問題が内側にあったということを見いだすだろう。
心を内側に向けなさい。
そうすればあなたは外側の問題が内側にあったということを見いだすだろう。