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阿弥陀如来の正体
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親鸞上人の「悪人正機説」
浄土真宗の親鸞は「善人でさえ往生できるのだから、まして悪人(自分の愚かさや罪深さを自覚している者)が救われないはずがない」と言いました。
自分が「立派でも清く正しくもない」と知っている人間こそが、真に神仏の慈悲を必要とし、祈る資格を持っています。
逆に「自分は清く正しく、神の教えを完璧に実践している立派な人間だ」と自負した瞬間に、それは信仰ではなく単なる「自惚れと傲慢」に変わります。
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しかし浄土真宗は真の仏教でも何でもないからな。
それは親鸞やその弟子の唯円の書いた「意見」であって、「真実」ではないからまったく信用に値しないのだ。
それは親鸞やその弟子の唯円の書いた「意見」であって、「真実」ではないからまったく信用に値しないのだ。
浄土真宗の根本経典たる「浄土三部経」には阿弥陀如来の48の誓願がある。
その誓願に「あらゆる人を見捨てず助ける」といったような意味合いの誓願があるから、
その誓願に「あらゆる人を見捨てず助ける」といったような意味合いの誓願があるから、
法然・親鸞ら日本の仏僧たちは
「阿弥陀如来の名号を唱えるだけで救われる」という根拠にしているのだが、
この浄土三部経が成立する以前の経典である般舟三昧経や無量清浄平等覚経には、
阿弥陀如来の誓願が24願であって、のちに成立した浄土三部経とは誓願の数が違うのだ。
「阿弥陀如来の名号を唱えるだけで救われる」という根拠にしているのだが、
この浄土三部経が成立する以前の経典である般舟三昧経や無量清浄平等覚経には、
阿弥陀如来の誓願が24願であって、のちに成立した浄土三部経とは誓願の数が違うのだ。
つまりこれらの経典を作った僧たちが勝手に作った話なので、
新しい経典がのちに作られていくたびに、誓願などの話がどんどん水増しされていくのでこういう変化が起きるのだ。
新しい経典がのちに作られていくたびに、誓願などの話がどんどん水増しされていくのでこういう変化が起きるのだ。
阿弥陀如来などという、ひたすら都合のいい超越存在者などは存在しない。
原始仏教の仏説にもそんな話は一切ない。
原始仏教の仏説にもそんな話は一切ない。
ボクが考えた最強のブッタ! が、ボクが考えた最強の御経!
と後世の僧侶が勝手に延々と物語を付け加えているのが仏教だと看破したのが富永仲基の加上説。
と後世の僧侶が勝手に延々と物語を付け加えているのが仏教だと看破したのが富永仲基の加上説。
神道系の新興宗教もそういった邪教の歴史を踏襲(とうしゅう)しているだけ。
なぜ日本人なのに、ユダヤ、シュメール、エジプトなどの、オカルト話が好きなんでしょう? あげくに、日ユ同祖論とか、縄文人が古代エジプト作ったとか、 あれもこれもじつは日本の神様の化身です、みたいなスの神系の新興宗教とか…
欧米の人がこの辺のオカルトにロマン感じるのは、宗教や文化的なルーツなので、分かりますが…
この手のオカルトや新興宗教って、一見、日本すげぇ系に聞こえるんですが、 むしろ、西洋コンプレックスにしか見えないのは私だけなんでしょうか?
回答
もともと、日本の神は、仏が人々を救済するために神の姿を借りてこの世に現れたという、本地垂迹説というものがありまして、
その大乗仏教の仏説に対抗するため、神道家は反本地垂迹説という、仏は、じつは日本の神の化身であったという、カウンターパンチを創り出し、争い合っていた歴史が大昔からあります。
しかしその仏教の仏たちも、じつはバラモン教のマントラを勝手にアレンジしたものだったということが判明しています。
大乗仏教では、古代のインドの神々はすべて、釈迦の説法によって、仏法を護持するための配下となったという設定があります。
しかしインドでは仏教徒はほぼ消え去っていて、現代では0.7パーセントしかいません。
インド人のほとんどはヒンドゥー教徒です。
仏法はまったくといっていいほどインドの神々に護持されていません。
インド人のほとんどはヒンドゥー教徒です。
仏法はまったくといっていいほどインドの神々に護持されていません。
もし本当に大乗仏教の創った設定が本当のことならば、これはおかしな話です。
オカルト系の人たちが古代から行っている、伝統的な由緒ある、捏造、でたらめ、妄想やり放題のマウント合戦の遊びですので、しかたがない面もあります。
人はこれを宗教と呼びます。