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伊勢神宮と皇祖神・天照大神の秘密
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伊勢神宮とは、
アマラスオオミカミを祭神とする神社。つまり天皇家の神社。
ということは神社の中では一番格式が高い。
アマラスオオミカミを祭神とする神社。つまり天皇家の神社。
ということは神社の中では一番格式が高い。
そんな伊勢神宮は、不思議なことに天皇が参拝していなかったことが判っている。
天皇で初めて参拝されたのが女性天皇 第41代持統天皇(在位690~697年)です。 それまでの天皇が参拝されなかった理由は何だと言われているのでしょうか?
回答
伊勢神宮の創建についての記述を見てみましょう
『古事記』によると、崇神天皇の時代。
疫病が蔓延した際、天皇が神に祈ったところ、お告げがあり天照大御神を祀るために最終的に伊勢の地に鎮座することになりました。
疫病が蔓延した際、天皇が神に祈ったところ、お告げがあり天照大御神を祀るために最終的に伊勢の地に鎮座することになりました。
『日本書紀』では、垂仁天皇の時代。倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神を祀る最適な場所を探し、伊勢にたどり着きました。
天照大御神自身が宇治の五十鈴川上を気に入り、ここに鎮座するようにとのお告げをしたとされています。
天照大御神自身が宇治の五十鈴川上を気に入り、ここに鎮座するようにとのお告げをしたとされています。
同じ伊勢神宮の話なのに、まったく内容が違います。
三重の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿~中部で、岡山にもあります。
それらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます。
それらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます。
神話と一致しません。
この一例のように古事記や日本書紀の記述には嘘や矛盾が多く見られます。
この一例のように古事記や日本書紀の記述には嘘や矛盾が多く見られます。
三重の伊勢神宮が天皇家の神社とか、いちばん格式が高いという設定が公式になったのは、ある程度の時代を経てからのことです。
ですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう。
ですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう。
女神の太陽神を「日本の皇祖神」と言う設定にして、多くの人々が信じ始めてから、その後、参拝をするという習慣、儀式が出来てきたわけです。
アマテラスは男神になったり女神になったり、
時の為政者によって都合よく変更されていきました。
時の為政者によって都合よく変更されていきました。
天照を女神ということにしたのが女帝である持統天皇の時代です。
現在の地に鎮座する伊勢神宮の創建も持統女帝の時代、と言われています。
持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのです。
持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのです。
女帝となった持統天皇が自身の権力基盤を確立する為に、
それまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です。
それまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です。
実際に、この持統天皇の時代に伊勢神宮の禰宜の変更があり20年ごとの式年遷宮もこの頃からという話です。
天照大神の岩戸隠れの話
この神話は、火山の噴火で太陽が隠れてしまって、農作物などの生育が影響を受けて不作になって困った事実を擬人化して、お話にしたものなのです。
アマテラス=太陽
スサノオ=凄ノ尾=火山煙
ツクヨミ=月
スサノオ=凄ノ尾=火山煙
ツクヨミ=月
スサノオとは凄ノ尾という意味で「凄まじい尾のような火山煙」のことです。
その火山の煙が太陽を隠してしまったことは、古代の一大事件でした。
その火山の煙が太陽を隠してしまったことは、古代の一大事件でした。
大昔の歴史を、後の時代の人がおもしろおかしく擬人化した神話が古事記などの記紀です。
それを神様と思い込まされて拝んでいる東アジアの島国の宗教が神道なのです。
それを神様と思い込まされて拝んでいる東アジアの島国の宗教が神道なのです。
神道五部書(しんとうごうぶしょ)とは、伊勢神道(度会神道)の根本経典で、以下の5つの経典の総称。
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に伊勢神宮の度会行忠ら外宮祀官が執筆したものと判明している。
神道五部書は、江戸時代に、尾張の東照宮神官である吉見幸和により、偽書であるとして激しく批判された。
専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたる。
専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたる。
古事記、日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇です。
天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱
天武天皇は天智天皇に近寄って、殺害して権力を握った。
天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱
天武天皇は天智天皇に近寄って、殺害して権力を握った。
そういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること。
自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい。
自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい。
古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです。
また、五百年以上も前には、
吉田兼倶(1435~1511)という神主が、
応仁の乱後、古典籍の焼失を背景に、多数の経典を偽作して次々に新しい作法を生み出して、
唯一神道を創始し、喧伝によって幕府や公家に取り入り、全国の神社を統括する立場を得ます。
吉田兼倶(1435~1511)という神主が、
応仁の乱後、古典籍の焼失を背景に、多数の経典を偽作して次々に新しい作法を生み出して、
唯一神道を創始し、喧伝によって幕府や公家に取り入り、全国の神社を統括する立場を得ます。
こういったよからぬ者の野心によって、捏造、偽経だらけのインチキカルト宗教化しているのが神社神道の歴史です。
そもそも天皇制度とは?
なんなんでしょうかね?
天照大神の子孫が神武天皇で
その系統が現代の天皇に連なっていると考えるのでしょうか?
なんなんでしょうかね?
天照大神の子孫が神武天皇で
その系統が現代の天皇に連なっていると考えるのでしょうか?
オバマ米大統領が天皇陛下とお会いしたとき
オバマ米大統領が深々と頭を下げたのは印象的でしたね。
オバマ米大統領が深々と頭を下げたのは印象的でしたね。
回答
大和政権は地域的集団が連合してできたものでその中で力のある者が王位に就いたのです。
そのためにはライバルを容赦ない殺戮を繰り返していたのは「記紀」にも載っています。
たとえば雄略も葛城の姻族の市辺押磐皇子など王位継承候補を次々殺害して即位し、自分に服さない葛城氏や岡山の吉備氏の反乱を制圧し大王直属の伴造に統括する体制を作り上げたのです。
それから大王や王族を中心にした朝廷の全国支配体制が確立すると朝廷内のこれら群臣らの合議による王位継承の推挙が制度化され、大連の大伴金村が初めは丹波の仲哀の孫の倭彦王を大王にしようとしたが自分を捕らえに来たと勘違いして逃亡したため豪族として近江に勢力のあった越前の継体が大王として迎えられたのです。
こうして征服した単なる成り上がり者なのですが安定して君臨するには権威付けが必要で記紀という作り話で天照大神の末裔が初代の神武天皇という設定にしてそれ以降続く天皇の神秘性と貴種性を演出したのです。
そして大陸から仏教が入ってくるとその宗教的権威を天皇統治に利用しない手はなく、鎮護国家として仏教を利用し天皇や多くの皇族を出家させて高僧にして仏教の権威を利用し、そのために仏教を保護したのです。
また皇族が出家したと言っても厳しい修行したワケではなく特別な舎坊で近侍にかしずかれて贅沢三昧の生活して院家として座主、別当の地位が保障されていたのです。
ブッダが欲望を抑えるために作った仏教を広大な荘園を所有し天皇権力の権威付けに利用するというただ欲望のためだけに利用しただけのことなのです。
こうして古代から庶民は権利意識もなくただ権威に服従することしか許されず、その結果飼い慣らされた家畜と化して天皇統治に懐疑のかの字も許されず、ただ権威におもねりへつらい、疑問も持たず天皇統治の日本が現代まで続いているのです。
それとオバマ大統領が深々と天皇にお辞儀しているのを天皇だけにやっているように思っているようですが、オバマは他国の君主にもしていて何も天皇だけではないのです。
1867年10月、岩倉具視は、「王政復古議」に「皇家は連綿として万世一系礼楽征伐朝廷より出で候」と指摘した。
これが「万世一系」の語の初出です。
これが「万世一系」の語の初出です。
つまり、明治時代できた言葉であり、
それまでの天皇家のことが当てはまるわけではない。
それまでの天皇家のことが当てはまるわけではない。
継体天皇の時に、天皇家は断絶して新たな血筋になっています。
「福井近江の豪族」であった継体天皇60歳の時に生まれたとされるのが欽明天皇。
そして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返して皇室・皇族一族ができてくる。
この近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係。
後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」。
そして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返して皇室・皇族一族ができてくる。
この近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係。
後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」。
日本神話の天地開闢が中国の古典神話を模倣しているのは有名な事実です。
日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます。
日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます。
中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です。
『日本書紀』の日付の捏造の証明
儀鳳暦、元嘉暦という中国の暦がある。
これによると、一年に一歳年を取るのではなく、一年で何歳も年を取る暦のやり方がある、古事記や日本書紀はこの中国の暦のやり方を真似たと考えられている。
現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい。
現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい。
小川清彦 (天文学者)帝大主席は『日本書紀』の暦法を西暦450年頃を境に以前を儀鳳暦(麟徳暦)、
以後を元嘉暦と考えれば、日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、
『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた。
以後を元嘉暦と考えれば、日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、
『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた。
『日本書紀』における地名改ざんは、主に権力の正当化と国家統合を目的として行われました。言霊信仰を利用し、天皇の事績に基づいて地名を後付けし、神話と結びつけることで支配の正当性を強調しました。
また、713年の好字令により、古い地名を美しい漢字に置き換え、元々の意味を隠蔽しました。
さらに、中国風の演出を通じて、当時の東アジア諸国に対等な国家としての地位を示すために、地名や官職名を改変しました。
日本神話に出てくるスサノオが討伐したという八岐大蛇や、あるいは土蜘蛛(つちぐも)、
熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です。
土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です。
熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です。
土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です。
地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのです。
しかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです。
しかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです。
今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています。
奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです。
奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです。
狩猟採取時代は、平等に分配されていた原始共産社会で、神もなければ、戦争もありませんでした。
ついで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、
他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります。
ついで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、
他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります。
負ければ、奴隷階級という被支配層となり、支配層と被支配層の階層社会が形成されます。
支配者は、支配者たる理由が必要になります。
そこで、神が作り上げられたのです。
つまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です。
支配者は、支配者たる理由が必要になります。
そこで、神が作り上げられたのです。
つまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です。
釈迦は、神々に祈ることを禁止しています。
涅槃経には
「ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
(神々に帰依してはならない)
とあり、
「ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
(神々に帰依してはならない)
とあり、
また
般舟三昧経には
「天を拝し、神を祠祀することを得ざれ」
(神につかえたり、拝んだり、まつってはならない)
般舟三昧経には
「天を拝し、神を祠祀することを得ざれ」
(神につかえたり、拝んだり、まつってはならない)
阿含経典には
「みずからのみを洲(足場)とし、法のみを洲とし、人生と言う激流を渡れ」
という教えがあります。
「みずからのみを洲(足場)とし、法のみを洲とし、人生と言う激流を渡れ」
という教えがあります。
下賤な欲望によって、地上に執着している、宗教にくわしい低級な人間の霊が
神典などの名前を借用して神を名乗り始めます。
みずからの野心を達成したいと思っている教祖的な人間に取り憑き、神示と呼ばれるような本を出し、
思わせぶりな終末予言を乱発したり、あるいは選民思想を煽るような言葉を、
神様っぽい雰囲気や意味深な雰囲気の言葉遣いで並べます。
神典などの名前を借用して神を名乗り始めます。
みずからの野心を達成したいと思っている教祖的な人間に取り憑き、神示と呼ばれるような本を出し、
思わせぶりな終末予言を乱発したり、あるいは選民思想を煽るような言葉を、
神様っぽい雰囲気や意味深な雰囲気の言葉遣いで並べます。
「もうすぐ終末が来るぞ」「まもなく理想社会が来る」「世界を平和にするために魂を磨け」「人を集め世界のために祈れ」「魂を救済する」など、
具体性のない、抽象的な教えを垂れて、
乗せられやすい人々を惑わして、有名になります。
具体性のない、抽象的な教えを垂れて、
乗せられやすい人々を惑わして、有名になります。
そのようにして悪の世界を広げて言っているようです。
「巧言令色少なし仁」(巧みな言葉で関心を引こうとしたり、威厳を取り繕ったりするものの多くは偽善者である)という言葉があります。
無欲になれ、などと綺麗ごとを乱発しているご宣託を垂れ流している神様の正体は、
きわめて人間的な、生々しい、きたならしい下賤な欲望に満ち満ちた低級な人間の霊なのです。
きわめて人間的な、生々しい、きたならしい下賤な欲望に満ち満ちた低級な人間の霊なのです。
自分の信仰することを繰り返し主張することは不安の表れである。
真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない。
真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない。
本当は、あなたは真理や神を求めているのではないのです。
あなたは持続する満足を求めているのであって、その満足を神とか真理というような観念や、体裁の良い言葉で覆っているだけなのです。
宗教的な生き方についてあれこれ思いめぐらすことでなく、
快楽や不幸、あるいは人間を取り囲んでいるあらゆる条件を曇りなく見ることが、何よりも大切なのである。
快楽や不幸、あるいは人間を取り囲んでいるあらゆる条件を曇りなく見ることが、何よりも大切なのである。
どんな公式にもいかなる導師にも従うことなく、自分自身を理解することが肝要なのである。
このたゆみない、選択をはさまぬ自覚によって、あらゆる虚妄と偽善に終止符が打たれるのである。
このたゆみない、選択をはさまぬ自覚によって、あらゆる虚妄と偽善に終止符が打たれるのである。
私たちが想像力で神を作り出したのです。思考が神を考え出したのです。すなわち、私たちが、不幸、絶望、孤独、心配から、神と呼ばれているものをでっち上げたのです。
神が自分そっくりに私たちを作ったのではありません。
神が自分そっくりに私たちを作ったのではありません。
あなたは自分自身で歩み、ただひとりで旅し、その道程においては、あなた自身が自らの師であり弟子でなければならない。