INFJ Ni-Ti ループから抜け出すには 空回りへの対処法
INFJが何らかの理由で 外向的感情(Fe) を抑制せざるを得ず、自分と他人の間に線を引いて、一人閉じこもってしまうと、 Ni-Tiループに陥るということは既にお話したとおりである。
INFJが何らかの理由で 外向的感情(Fe) を抑制せざるを得ず、自分と他人の間に線を引いて、一人閉じこもってしまうと、 Ni-Tiループに陥るということは既にお話したとおりである。
そして、このループは、充分に外界から情報を取り入れる前に始まってしまうと、 理論的飛躍を伴った自分の作り出した心象風景の世界に飲み込まれ堂々巡りすることになり、 挙句の果てに、良くない心理的ダメージを受けることになってしまう。
Ni-Tiループが内面に作り出す世界は、この世界の存在の根源を明らかにしようとするが、 人間の存在が忘れ去られた極めて冷ややかな世界になってしまうこともある。
INFJにとって、Niは重要な心理機能であり、もっともエネルギーを費やす。 そして、Ni-Tiループは悪いことばかりではない。 もし、充分に情報を取り込み、深く物事を考えようとするならば、 Ni-Tiループによる内省によって、 綿密で科学的な考察ができるであろう。 それは、本当に鋭い洞察に基づいた示唆に富む結論を導き出す。
しかし、もし空回りが生じて、偏執な確信に取り憑かれたり、 神経をすり減らして何も結論が得られず、 ストレスを感じるようになったなら、 決して内に閉じこもっていてはいけない。
では、具体的にどうすればよいだろうか?
まず、 外向的感情(Fe) を再び働かせ、温かい人間関係を取り戻す必要がある。 もしくは、美しい自然や芸術表現に触れ、心動かされると良い。 そのためには、意識して 内向的思考(Ti) を一旦中止する必要もあろう。
INFJは 外向的感情(Fe) タイプであるから、自分自身の認識や思考を情緒的な表現によって他者と共有する必要があるのだ。 何気ない会話を普通に出来る遊び相手か、それとも創作活動を通した自己表現を分かち合える相手を求める。 それは、抑えようのない精神的な欲求である。
しかし、その価値観や情緒の共有がきちんとできる相手とできない相手がいる。 また、絆は予測しなかったことが原因で失われてしまうことがある。 だから、あなたは 外向的感情(Fe) で人間関係の輪を広げるよりは、自分自身を社会から疎外して一人閉じこもってしまったのだと言うかもしれない。
確かに、INFJは、大勢の人間に囲まれていてもなお、 独りであることを強く感じることがある。 一匹狼といえばISTPの代名詞であるが、 家族に対して強い愛情と忠誠を持ちながらも、 ときに独り厳しい環境を戦い抜け、 咆哮する孤高なイメージが重なることから、 INFJの心象風景になることが多い。 狼でなくとも、犬が好きなINFJも多いようだ。
もし新しい人間関係の輪に入ってゆくならば、 必ず人の良さを見つけ好感を持つことができるようになるのではないだろうか。
INFJにとって、平和と博愛は人生のテーマとなっている。
だからこそ、決して他者との交わりを恐れることなく、 持ち前の優しさと謙虚さで良い絆を結べる相手を探し、 良好な人間関係を築きあげてゆくべきなのだ。
そうすることによって、第一の心理機能である 内向的直観(Ni)と 第二の心理機能である 外向的直観(Fe)の働きのバランスを取り戻すことができる。 Ni-Tiループで冷えきった心は、人間存在に対する畏敬の念と絆による温かみのある取って代わる。 そして、本来の健全なINFJに近づいてゆく。
しかし、これだけでは不十分だ。 なぜなら、未だ若いINFJにとって、 内向的直観(Ni)の働きによって 内面に結ばれる心象風景は不完全であることがあるからだ。
そのために取るべき対処法、それは、第四の心理機能である 外向的感覚(Se)の働きに意識を傾けることである。
外向的感覚(Se)は、 身体の感覚器官、五感の働きに関連している。 そして、INFJにとってそれは希薄なものになりやすい。 だからといって無視してよいものではない。
内面における主観的な世界観が、この世界の普遍的なビジョンに近づいてゆくためには、 この 外向的感覚(Se)の働きに頼って、 ありのままの現実を見つめる必要があるのだ。
そのためには、すぐに現実から離れるのではなく、また感情に流されるのではなく、 目の前に提示された現実を具体的に細部まで何の先入観を交えること無く見つめるなければならない。
これを、純粋観察という。
例えば、毛虫を観察するとき、あなたは思わず気持ち悪いと思ってしまわないだろうか。 そして、気持ち悪いというイメージを何かの象徴や芸術表現、もしくは比喩的表現に変換しようとするかもしれない。
例えば、戦場の死体を見て、あなたは情動的に揺り動かされ、あれこれと想像するかもしれない。
何らかの拍子で茶碗が割れたとして、それは、茶碗が割れたという事実をありのままに受け取るやり方もある。
黒猫を直接不吉の象徴として結びつけるとしたら、それは黒猫にとってもいい迷惑である。 黒猫は白猫と同じ、猫としてこの宇宙に存在するものである。
ありのままに観察する時間が短いと、 その想像がどれほど現実的なビジョンと結びついているのか疑わしいものとなる。
確かに、INFJは、 内向的直観(Ni)が優勢の心理機能であるから、 無意識をある程度意識的に覗きこむことができるかもしれない。 そして、多少複雑な概念を理解することもでき、鋭い洞察力を示す。 さらには、他者に感銘を与える優れた芸術表現を行うことができる。
しかし、そのような優れた点は、知らず知らずのうちに 外向的感覚(Se)によって取り込んだ認識が下支えになっているのだ。
INFJの内なる世界観が、この宇宙の秘密の意識と一致するためには、 身体の働きによって、ありのままの姿を捉える時間を充分にとらなければならないのであるが、 それは、INFJの特徴に反するように思われるために苦労するかもしれない。
しかし、この重要性を無意識のうちに知っているためか、 体を鍛えたり、スポーツを好んだりするINFJは多いのである。 INFJの女性は、観劇を楽しんだり、料理をしたりして、 いつのまにか五感の働きを利用し、分化発達させてゆく。
外向的感覚(Se)が働くような行動を意図して取ることは、 決して、 内向的直観(Ni)を抑えつけダメにしてしまうことではない。 寧ろその逆で、健全に内向的直観(Ni)を働かせるために、 外向的感覚(Se)を分化発達させることは、 欠かすことのできない過程なのである。
外向的感覚(Se)に頼ろうとするほどに、 自分が自分らしくなくなってゆくように感じると思うかもしれない。
しかし、そうではない。
INFJがINFJらしくあるために、普遍的ビジョンを自己のうちに結ぶために、 深遠なる叡智を獲得するために、先入観に意識を奪われることなく、 現実をありのままに捉える時間を引き伸ばすべきなのである。
さて、このようにして充分に現実世界の情報を得ることができれば、再び、 内向的思考(Ti)を働かせはじめよう。
きっと、以前のNi-Tiループに陥っていた頃よりもスムーズに、 深い考察が出来るようになっているはずである。 なぜなら、以前は欠けていた情報が今回はあるのだから。
そう、私たちは内界から情報を受け取るのと同じくらい、 自然が提示してくれている多様で豊かな悠久の時の中を 変化し続ける世界を自分の目で見て肌で感じることは大切なのだ。
一旦取り込んだ認識は、INFJの中で分析と統合を繰り返し、 やがて、INFJ特有の他者に感化を与える美しく核心をついた比喩表現や楽しい会話、 普遍性を持った芸術表現、もしくは生き様そのものによる表現へと昇華されてゆくのである。
だから、もし、より良い仕事をしたいと思ったら、
もし、より高次の、より普遍的なビジョンを 自分の内なる世界観と統合させたいと思ったら、
自己満足の偏狭な世界観から抜け出し、しばらくの間、外界との結び付きを求めるステップを怠ってはならないのである。