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パンター(戦車) - (2013/06/07 (金) 11:01:19) の1つ前との変更点
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&font(#6495ED){登録日}: 2011/08/04(木) 18:43:55
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s)
&font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます
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▽タグ一覧
&tags()
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パンターとは、ナチスドイツ軍で使用された[[戦車]]である。[[第二次世界大戦]]半ばに登場し、[[ティーガー]]と共にドイツ軍戦車の代名詞的存在の戦車である。
制式名称はPanzer kampf wagen Ⅴ panther。後にPz.Kpfw.pantherに替えられた。制式番号はsdkfz171。
日本では「Ⅴ号戦車」とも言われるが、ドイツ読みの「パンター」、英語読みの「パンサー」、古いドイツ語だと「パンテル」なんて呼ばれたりもする。例によって例の如くどれも正解であるが、この項目ではパンターで統一する。
■開発経緯
1941年6月。ドイツ軍のバルバロッサ作戦を皮切りに、ドイツとソビエト連邦間で戦端が開かれた。
俗に言う&font(#ff0000){独ソ戦}の幕開けである。
ちょび髭伍長率いるドイツ軍は、フランス戦で見せつけた電撃戦を生かし、またソ連内部の混乱、赤い嵐もとい偉大なる同志による大粛清によるソ連軍弱体化等も重なり、各地で勝利を重ねていく。
しかし、各地の兵士から共通の話がドイツ軍上層部に届いていた。
ドイツ軍兵士「&font(#ff0000){ソ連の戦車}強すぎィ!
味方の戦車の砲も対戦車砲も効かないとかこんなんじゃ戦いになんないよ~」
その「ソ連の戦車」こそ、救国の鬼戦車、T-34である。
詳しくは項目を。
最初こそ、既に英仏と二年も戦争しているドイツ軍の経験と戦術で何とか対応してきたが、ソ連がT-34の数を揃えてきては不味い。何か対策を考えねば、と考えたドイツ陸軍の偉い将軍は、
&font(#ff0000){ハインツ将軍}「おい、お前らなんとかしろ」
&font(#008000){戦車委員会「任せて!」}
戦車委員会を立ち上げ、T-34の調査を行った。その結果、
&font(#008000){戦車委員会「お待たせ!三点に纏めたけど、良いかな?}
1、装甲が傾いてる。傾斜装甲強ェ!
2、幅広履帯で泥沼雪道でもスイスイ~
3、76mm砲の貫通力凄ェ!
こんな所かな?」
&font(#ff0000){ハインツ将軍}「と言うわけです総統。」
&font(#ff0000){総統閣下}「じゃあそのT-34に勝てるような新型中戦車作って。はい、よろしく!」
そんな感じで、1941年11月末、開発が始まった。
■特徴
この中戦車を開発するに辺り、ダイムラー・ベンツ社(DB)とMAN社の二社が担当した。
最初は傾斜装甲等、T-34との教訓をギッシリ詰め込んだDB社の戦車が有力であったが、最終案でDB社の戦車をパク…参考にしたMAN社の戦車が採用された。
&font(#008cff){DB}「恥を知れ恥を」
&font(#800080){MAN}「戦争は手段を選ばないのだよ(笑)
では我が社の素晴らしい中戦車はこちら!」
・装甲と重量
正面の装甲は当初60mmの筈だったのだが、
&font(#ff0000){総統閣下}「もう一声~♪」
により急遽80mmとなった。重量?&font(#ff0000){最初30トンの筈だったのに計画纏まった所で40トン、総統のおかげで45トンさ!}
言っておくが、パンターは[[チハたん]](15トン)と同じ中戦車である。重戦車ではない。
この重量は元々弱い足まわりに大きな負担を掛けたが…
だがその装甲は「藍より出て藍より青し」、T-34を軽く超え1対1なら、ほぼ負け知らずだった。
しかし側面の装甲は比較的薄めだった。(側面が薄いのは大体の戦車にも言えるが、パンターは正面に比べて特に薄かった)
・70口径7.5cm砲
パンターは砲身長5.25mというとんでも無い長さの砲を装備していた。
この砲は弾や距離によっては[[ティーガー]]のアハトアハトに貫通力で勝る、とも言われる程強力だった。ただ、遠距離では威力減少が激しかった。
・幅広履帯と機動性
パンターの最高速度は55km/h。「総統閣下のもう一声事件」以前は60km/hの筈だったが、45トンの重量の為、低下してしまった。
それでも55km/hと言うのは当時としては高速。高性能なエンジンとサスペンション、ティーガーと同じ幅の広い履帯のおかげである。
&font(#800080){MAN}「堅くて強くて速いって最強ですよ!しかも御値段は12万ライヒスマルク!Ⅳ号の10万ライヒスマルクに比べれば高いけど、ティーガーなんて30万ライヒスマルクですよ!
この性能なら12万ライヒスマルクは安いと思いますけどねぇ…(チラッ」
1942年5月、パンターは正式に採用されることとなった。
そして既に不利となりつつある戦局を打破する為、急ぎ生産が行われたのである。
■実戦と問題
パンターは採用が決まると、ろくなテストもしないまま([[死亡フラグ]])急遽生産に向かった。それほど当時は切迫した状況だったのである。
また、&font(#ff0000){この戦車の為だけに作戦が2ヶ月延期}になったりもした。それだけパンターへの期待は高かったのである。
そして1943年夏、200両程のパンターは早速配備され、東部戦線を一発逆転させる大作戦、ツィタデレ作戦(またの名をクルスクの戦い)で大挙としてソ連の前に現れた。
&font(#ff0000){総統閣下}「あれだけ期待させたんだ、大活躍したんだろ?」
総統閣下…大変申し上げにくいのですが…
&font(#ff0000){エンジンはオーバーヒートするわ、トランスミッションは壊れるわでまるで戦いになりませんでした。}
あと極秘の戦車だったから
ドイツ兵士「何だこの戦車!」(驚愕)
って感じで誤射食らった。
そう、元からあまり良くなかった足まわりは、生産直前に増えた重量の事もあり、とても実戦に耐えられる物では無かったのである。
パンターは圧倒的なスペックを持ちつつも、敵と戦う前に故障。「こりゃ戦えない」と撤退してる最中にまた故障、と凄惨な状況だった。
200両程あったパンターも、戦いが終わってみると40両程しか残っていなかった…
&font(#ff0000){総統閣下}「ちくしょうめえええ!」
しかし、その戦闘能力は連合軍を震撼させた。
特にソビエト連邦は迅速で、回収したパンター31両を徹底的に調べ尽くした。うち、砲撃で撃破されたのは22両。&font(#ff0000){だが正面装甲を撃ち抜かれた戦車は一両も無かった。}}しかし、側面が脆い、車体後部の燃料タンクが容易に燃え上がる事を発見している。
これを受け、ソ連は[[T-34]]を強化したり、[[IS-2]]を開発したりと対抗策を打った。
対してアメリカは
「いや、戦車の種類増やすの合理的じゃないしー。つかそもそも対戦車戦闘は駆逐戦車があるでしょ。とりあえず[[シャーマン]]の砲、少し強くするから、後は頑張って。」
合理主義も考え物である。
■ティーガーとパンター、そして戦後。
パンターは改良されつつ第二次世界大戦を駆けた。
相変わらず足まわりは弱かったが、敵戦車をどこでも圧倒した。
ナチスドイツは、パンターを最終的には機甲師団の主力にしようと考えていた。
ティーガーが陣地突破や対戦車戦を主眼に置いていた、「特定の状況で活躍できる戦車」だったのに対し、
パンターはⅢ号戦車の後継として、「何でもそつなくこなす、万能戦車」として考えていたのである。
しかし、実際の所、パンターは終戦時に2000両程度しか残っておらず、総生産数も5000両程度だった。
この数では主力とは到底言えず、群をなすパンター戦車達の夢は絶たれ、ナチスは滅んでしまった。
しかし、この万能戦車の思想は現代まで続く「主力戦車」の概念を形作っている。この点も、現代では滅びた、ティーガー等の「重戦車」と違う所だ。
何かと調子が悪かったパンターだが、その血脈は確かに現代まで流れている。そう、豹は今も戦場を走っているのだ。
追記・修正はパンターを整備してからお願いします。
&font(#6495ED){登録日}: 2011/08/04(木) 18:43:55
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s)
&font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます
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▽タグ一覧
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パンターとは、ナチスドイツ軍で使用された[[戦車]]である。[[第二次世界大戦]]半ばに登場し、[[ティーガー]]と共にドイツ軍戦車の代名詞的存在の戦車である。
制式名称はPanzer kampf wagen Ⅴ panther。後にPz.Kpfw.pantherに替えられた。制式番号はsdkfz171。
日本では「Ⅴ号戦車」とも言われるが、ドイツ読みの「パンター」、英語読みの「パンサー」、古いドイツ語だと「パンテル」なんて呼ばれたりもする。例によって例の如くどれも正解であるが、この項目ではパンターで統一する。
■開発経緯
1941年6月。ドイツ軍のバルバロッサ作戦を皮切りに、ドイツとソビエト連邦間で戦端が開かれた。
俗に言う&font(#ff0000){独ソ戦}の幕開けである。
ちょび髭伍長率いるドイツ軍は、フランス戦で見せつけた電撃戦を生かし、またソ連内部の混乱、赤い嵐もとい偉大なる同志による大粛清によるソ連軍弱体化等も重なり、各地で勝利を重ねていく。
しかし、各地の兵士から共通の話がドイツ軍上層部に届いていた。
ドイツ軍兵士「&font(#ff0000){ソ連の戦車}強すぎィ!
味方の戦車の砲も対戦車砲も効かないとかこんなんじゃ戦いになんないよ~」
その「ソ連の戦車」こそ、救国の鬼戦車、T-34である。
詳しくは項目を。
最初こそ、既に英仏と二年も戦争しているドイツ軍の経験と戦術で何とか対応してきたが、ソ連がT-34の数を揃えてきては不味い。何か対策を考えねば、と考えたドイツ陸軍の偉い将軍は、
&font(#ff0000){ハインツ将軍}「おい、お前らなんとかしろ」
&font(#008000){戦車委員会「任せて!」}
戦車委員会を立ち上げ、T-34の調査を行った。その結果、
&font(#008000){戦車委員会「お待たせ!三点に纏めたけど、良いかな?}
1、装甲が傾いてる。傾斜装甲強ェ!
2、幅広履帯で泥沼雪道でもスイスイ~
3、76mm砲の貫通力凄ェ!
こんな所かな?」
&font(#ff0000){ハインツ将軍}「と言うわけです総統。」
&font(#ff0000){総統閣下}「じゃあそのT-34に勝てるような新型中戦車作って。はい、よろしく!」
そんな感じで、1941年11月末、開発が始まった。
■特徴
この中戦車を開発するに辺り、ダイムラー・ベンツ社(DB)とMAN社の二社が担当した。
最初は傾斜装甲等、T-34との教訓をギッシリ詰め込んだDB社の戦車が有力であったが、最終案でDB社の戦車をパク…参考にしたMAN社の戦車が採用された。
&font(#008cff){DB}「恥を知れ恥を」
&font(#800080){MAN}「戦争は手段を選ばないのだよ(笑)
では我が社の素晴らしい中戦車はこちら!」
・装甲と重量
正面の装甲は当初60mmの筈だったのだが、
&font(#ff0000){総統閣下}「もう一声~♪」
により急遽80mmとなった。重量?&font(#ff0000){最初30トンの筈だったのに計画纏まった所で40トン、総統のおかげで45トンさ!}
言っておくが、パンターは[[チハたん]](15トン)と同じ中戦車である。重戦車ではない。
この重量は元々弱い足まわりに大きな負担を掛けたが…
だがその装甲は「藍より出て藍より青し」、T-34を軽く超え1対1なら、ほぼ負け知らずだった。
しかし側面の装甲は比較的薄めだった。(側面が薄いのは大体の戦車にも言えるが、パンターは正面に比べて特に薄かった)
・70口径7.5cm砲
パンターは砲身長5.25mというとんでも無い長さの砲を装備していた。
この砲は弾や距離によっては[[ティーガー]]のアハトアハトに貫通力で勝る、とも言われる程強力だった。ただ、遠距離では威力減少が激しかった。
・幅広履帯と機動性
パンターの最高速度は55km/h。「総統閣下のもう一声事件」以前は60km/hの筈だったが、45トンの重量の為、低下してしまった。
それでも55km/hと言うのは当時としては高速。高性能なエンジンとサスペンション、ティーガーと同じ幅の広い履帯のおかげである。
&font(#800080){MAN}「堅くて強くて速いって最強ですよ!しかも御値段は12万ライヒスマルク!Ⅳ号の10万ライヒスマルクに比べれば高いけど、ティーガーなんて30万ライヒスマルクですよ!
この性能なら12万ライヒスマルクは安いと思いますけどねぇ…(チラッ」
1942年5月、パンターは正式に採用されることとなった。
そして既に不利となりつつある戦局を打破する為、急ぎ生産が行われたのである。
■実戦と問題
パンターは採用が決まると、ろくなテストもしないまま([[死亡フラグ]])急遽生産に向かった。それほど当時は切迫した状況だったのである。
また、&font(#ff0000){この戦車の為だけに作戦が2ヶ月延期}になったりもした。それだけパンターへの期待は高かったのである。
そして1943年夏、200両程のパンターは早速配備され、東部戦線を一発逆転させる大作戦、ツィタデレ作戦(またの名をクルスクの戦い)で大挙としてソ連の前に現れた。
&font(#ff0000){総統閣下}「あれだけ期待させたんだ、大活躍したんだろ?」
総統閣下…大変申し上げにくいのですが…
&font(#ff0000){エンジンはオーバーヒートするわ、トランスミッションは壊れるわでまるで戦いになりませんでした。}
あと極秘の戦車だったから
ドイツ兵士「何だこの戦車!」(驚愕)
って感じで誤射食らった。
そう、元からあまり良くなかった足まわりは、生産直前に増えた重量の事もあり、とても実戦に耐えられる物では無かったのである。
パンターは圧倒的なスペックを持ちつつも、敵と戦う前に故障。「こりゃ戦えない」と撤退してる最中にまた故障、と凄惨な状況だった。
200両程あったパンターも、戦いが終わってみると40両程しか残っていなかった…
&font(#ff0000){総統閣下}「ちくしょうめえええ!」
しかし、その戦闘能力は連合軍を震撼させた。
特にソビエト連邦は迅速で、回収したパンター31両を徹底的に調べ尽くした。うち、砲撃で撃破されたのは22両。&font(#ff0000){だが正面装甲を撃ち抜かれた戦車は一両も無かった。}}しかし、側面が脆い、車体後部の燃料タンクが容易に燃え上がる事を発見している。
これを受け、ソ連は[[T-34]]を強化したり、[[IS-2]]を開発したりと対抗策を打った。
対してアメリカは
「いや、戦車の種類増やすの合理的じゃないしー。つかそもそも対戦車戦闘は駆逐戦車があるでしょ。とりあえず[[シャーマン]]の砲、少し強くするから、後は頑張って。」
合理主義も考え物である。
■ティーガーとパンター、そして戦後。
パンターは改良されつつ第二次世界大戦を駆けた。
相変わらず足まわりは弱かったが、敵戦車をどこでも圧倒した。
ナチスドイツは、パンターを最終的には機甲師団の主力にしようと考えていた。
ティーガーが陣地突破や対戦車戦を主眼に置いていた、「特定の状況で活躍できる戦車」だったのに対し、
パンターはⅢ号戦車の後継として、「何でもそつなくこなす、万能戦車」として考えていたのである。
しかし、実際の所、パンターは終戦時に2000両程度しか残っておらず、総生産数も5000両程度だった。
この数では主力とは到底言えず、群をなすパンター戦車達の夢は絶たれ、ナチスは滅んでしまった。
しかし、この万能戦車の思想は現代まで続く「主力戦車」の概念を形作っている。この点も、現代では滅びた、ティーガー等の「重戦車」と違う所だ。
何かと調子が悪かったパンターだが、その血脈は確かに現代まで流れている。そう、豹は今も戦場を走っているのだ。
追記・修正はパンターを整備してからお願いします。
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