登録日:2024/05/02(木) 19:20:39
更新日:2025/03/02 Sun 17:29:15
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ファーディナンド(Ferdinand)とは、1983年生まれのアメリカ合衆国の競走馬。
1986年のケンタッキーダービーおよび1987年のブリーダーズカップ・クラシック勝ち馬であり、
そして日本の競馬史に刻まれるべき悲劇の名馬である。
概要
父ニジンスキー、
母バンジャルカ、母の父ダブルジェイという血統。
父はもはや説明不要のイギリスの無敗三冠馬で、ニジンスキー系を構築した大種牡馬。
母は現役時代未勝利でファーディナンドを出産後すぐに亡くなってしまったものの、本馬の活躍でケンタッキー州最優秀繫殖牝馬となっている。
母の父はアメリカ最優秀2歳牡馬で、母の父としては雑草魂でのし上がった名馬
ジョンヘンリーを輩出するなど活躍した。
この通りなかなかの良血である。生産したのは当時アメリカ最大級の石油会社だったスペリアー・オイル・カンパニー(現在はエクソンモービルの一部)を率いる事業家のハワード・ブライトン・ケック氏。
ケック氏はその莫大な資産により慈善事業や競馬に注力しており、その結果本馬を生産するに至ったのだった。
ファーディナンドはその後ケック氏の妻エリザベス夫人の名義で競走馬となり、カリフォルニア州に厩舎を構えるチャールズ・ウィッテンガム調教師の管理するところとなった。
ウィッテンガム調教師は当時キャリア終盤で引退を見据えていたがファーディナンドにいたく惚れ込み、
主戦騎手を務めるビル・シューメーカー騎手と引き合わせた時点で「ダービーを勝てるかもしれない馬」と述べるほどだったという。
競走生活
2歳時
1985年9月にデルマー競馬場の未勝利戦(ダート6F)でデビューするが、勝ち馬から11馬身も離された8着と惨敗。
翌10月のサンタアニタパーク競馬場の未勝利戦(ダート6F)でも勝ち馬から11馬身差の3着と奮わないレースが続いた。
しかしここから成長したか、同月・同競馬場の未勝利戦(ダート6F)では勝ち馬にハナ差の2着と健闘すると、
11月の同コースの未勝利戦でついに2馬身差で勝利し勝ち上がる。
勝ち上がりに時間がかかってしまったものの、ファーディナンドの素質を信じていた陣営はG1ハリウッドフューチュリティ(ダート8F)にチャレンジ。
ここには同年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬となるファミリースタイル、そしてG1ノーフォークステークス覇者で以後ライバルとなるスノーチーフがいた。
しかしスノーチーフの圧巻のパフォーマンスに歯が立たず、6馬身弱突き放された3着。
初対決はスノーチーフに軍配が上がり、ファーディナンドは5戦1勝の成績でこの年を終えた。
3歳時
1月から早速始動し、ロスフェリスステークスにて勝ち馬とハナ差の2着に好走。
続いてリステッド競走のサンタカリナステークス(ダート8F)では前走スノーチーフの2着だったバラエティーロードと対決。
これを半馬身差で破ったが、次走のG2サンラファエルステークスでは逆にバラエティーロードに半馬身差で敗れた。
そしてその次走、伝統のG1サンタアニタダービー(ダート9F)に参戦。
先のバラエティーロードにくわえて、この3歳で3戦全勝と絶好調のスノーチーフと再戦。
ここでもやはりスノーチーフの華麗な逃げには敵わず7馬身差の3着に敗れた。
もはやスノーチーフに敵わないと思われたが、陣営はそれでもアメリカ3歳馬の大一番であるG1ケンタッキーダービー(ダート10F)に参戦。
スノーチーフだけでなくアメリカ各地、さらに欧州からも実力馬が集う中でファーディナンドは9番人気の低評価だったが、
最内1枠からの発走という有利を活かし、超ハイペースのなか最後方に待機する作戦が大的中。
3コーナーで上手く外に出てから直線でインコースに切り込んで、先に抜け出していた追い込み勢3頭をためた脚で交わし去り、
ハイペースにあえぐスノーチーフを後目に2着に2馬身あまりの差をつけ見事にケンタッキーダービー馬へと戴冠した。
次いでクラシック2冠目のG1プリークネスステークス(ダート9.5F)に挑むも、ここはスノーチーフの圧倒的な巻き返しに敵わず4馬身差の2着。
スノーチーフが回避した3冠目のG1ベルモントステークス(ダート12F)では馬場の悪い中で奮闘するも3着と勝ち切れず、ここから長期休養となる。
復帰戦は12月末のG2マリブステークス(ダート7F)では、やはり長期休養後ここを復帰戦としていたスノーチーフと改めて激突。
ここではファーディナンドに軍配が上がり、スノーチーフを1馬身ほどで2着に下して勝利した。
スノーチーフとは2戦2勝であったが、G1を3勝したスノーチーフの方が高く評価され、エクリプス賞最優秀3歳牡馬の栄誉はスノーチーフのものとなった。
4歳時
さっそく1月のG1サンフェルナンドステークス(ダート9F)から始動。ここで年初戦からスノーチーフとの対戦となったが、結果は共倒れかつスノーチーフにも先着された。
ここからサンタアニタハンデキャップ(ダート10F)やサンルイレイステークス(芝12F)などダート・芝双方のG1を連戦するもののさっぱり勝利から遠ざかってしまう。
6月のG1カリフォルニアンステークス(ダート9F)でもスノーチーフに先着され、さらにここでスノーチーフは故障が判明し引退となってしまった。
しかしここからファーディナンドは本格化に入ったか、その次走のG1ハリウッド金杯(ダート10F)で、一昨年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬タッソーらを破り久々の勝利をおさめる。
さらに8月のG3カブリロハンデキャップ(ダート9F)では5連勝中のスーパーダイヤモンドを下し連勝。
さらに11月のG3グッドウッドハンデキャップ(ダート9F)でも最も重い127ポンドの斤量を背負いながら前年のBCクラシック勝ち馬スカイウォーカーに完勝し、破竹の快進撃を続けた。
そしてその2週後、アメリカ競馬の大一番であるG1
ブリーダーズカップ・クラシック(ダート10F)に参戦。
アメリカやカナダの強豪が集う王座決定戦にふさわしい豪華な顔ぶれとなったが、中でも最大の強敵は
この年のケンタッキーダービーとプリークネスステークスを勝って二冠馬となり、翌年のBCクラシックも制することになる3歳最強馬のアリシーバであった。
ケンタッキーダービー馬どうしが対決するのは1979年ジョッキークラブ金杯でのアファームドvsスペクタキュラービッド以来のことで高い注目を浴びることとなったが、
その中でもファーディナンドはアリシーバをしのいで2倍の
1番人気に推された。
レースのスタートが切られると、ファーディナンドは馬群中段の7番手に、アリシーバがそのすぐ後ろの8番手につけた。
そして3コーナーからファーディナンドと、それをマークして追ってきたアリシーバが上がってきた。
そして最終直線でファーディナンドが先頭で逃げる馬との叩き合いに入ってこれを競り落とした瞬間、
アリシーバがすさまじい末脚で猛然と迫り、ファーディナンドも意地の伸びを見せながら2頭完全に並んでゴールイン。
しかし写真判定の結果、ファーディナンドがハナ差でアリシーバを上回っていた。
人気薄で制したケンタッキーダービーとは異なり1番人気を背負って強敵を下したことで、ファーディナンドの評価は不動のものとなった。
この年は10戦4勝うちG1が2勝だったものの、G1レース3勝を挙げていたアリシーバを超える評価を獲得し、
エクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬のダブル受賞に輝いた。
これだけの栄誉を手にしながら5歳でも現役を続行したが、以降は勝ち切れないレースが続き、10月のグッドウッドHでの5着を最後に引退となった。
通算戦績は29戦8勝。しかし2着9回・3着6回と極めて堅実な走りで、スノーチーフやアリシーバといったド派手なライバルとの対決が多かったこともあって
ファンからはFredの愛称で親しまれ人気が高かった。
種牡馬として
ケンタッキー州のクレイボーンファームにて種牡馬入り。初年度種付け料は3万ドルと現役時の実績を反映して高額設定だったが、
初年度産駒のステークスウィナーがわずか8頭(率にして3.2%)と奮わず、その後も産駒成績は芳しくなかった。
そこでこのままアメリカで種付け数が減っていくのを座して待つよりは…ということで、日本に種牡馬として輸入されることとなった。
日本では1995年からアロースタッドにて供用が開始され初年度こそ77頭の繁殖牝馬を集めたものの、以後は数・質ともに低下の一途であった。
産駒成績も地方でこそ重賞馬を輩出したものの中央では勝ち上がりが少なく未勝利戦から脱出するのがやっとという有様だった。
2000年には種付け数が10頭まで低下し、アロースタッドもついにファーディナンドを手放すことを決定。
この後も新しい所有者のもとで種牡馬としての活動は(1ケタ台であるが)続いたが、2003年に生まれた2頭の産駒がラストクロップで、
以後は種牡馬を引退したとみられている。
追記・修正はファーディナンドのその後を知りたい方がお願いします。
そして2003年。
ファーディナンドを生産・所有したケック夫妻の家族は、ファーディナンドの行方を探し求めていた。
なぜかといえば、ケック夫妻家族だけで知りえたファーディナンドの最後の足跡はアロースタッドでのスタッドインまでで、
アロースタッド側はその後ファーディナンドがどうしているのか(クレイボーンファームに対しても)全く連絡していなかったのである。
そこでケック家は、日本在住のアメリカ人記者バーバラ・バイヤー氏に調査を依頼。
バイヤー氏はあちこち調べた末に、アロースタッドが「ワタナベ ヨシカズ」氏なる人物にファーディナンドを譲り渡したことを突き止め、ワタナベ氏に直接ファーディナンドの行方を問い質した。
ワタナベ氏は「友人に譲渡した」と述べたため、バイヤー氏がより詳細な説明を求めると、
「ファーディナンドは去勢されて、乗馬クラブにいると思います」
との返答だったが、これは真っ赤なウソだった。バイヤー氏はすでにファーディナンドが新冠の牧場で2001年・2002年に種付けを行った記録を得ていたからである。
バイヤー氏がこのことを追求した上で「ファーディナンドに会わせてほしい」と訴えると、とうとうワタナベ氏は観念して口を開き、
「実は、ファーディナンドはもういません。彼は昨年(2002年9月)に廃用になりました」
と答えたのだった。日本の競馬において廃用という言葉が何を意味するのか、バイヤー氏はよく理解していた。
バイヤー氏は2003年7月26日付のアメリカの競馬雑誌Blood Horseでこれらの取材結果を公表した。
No one can say for sure when and where Ferdinand met his end, but it would seem clear he met it in a slaughterhouse.
ファーディナンドがいつ、どこで最後を迎えたのかは誰にも断言できませんが、その場所が屠殺場だったことは確かです。
当時のアメリカ競馬で高い人気を得ていたファーディナンドが異国日本の地で屠殺されたという事件は全米に衝撃を与えた。
クレイボーンファームを経営するデル・ハンコック氏は
「ただただ最悪です。でも、いま国内でサラブレッドの屠殺をやめさせようという運動を支持するぐらいのことしかできません。日本でも状況は変わらないようです…」
「ダービー馬の身にこんなことが起こるなんて、本当にひどい」
とやるせない思いを吐露した。
またファーディナンドの主戦騎手を務めたビル・シューメーカー騎手は、
「衝撃的だ。彼はケンタッキーダービーを勝ったが、それは日本人にとって何の意味もない。産駒が不振だったから屠殺場送りになったのだと思うが、アメリカなら起きなかったことだろう」
「吐き気がするよ。こんなことになると知っていたら彼を連れ帰っていたのに」
と述べ、怒りを露わにした。
ここにいたって事態の深刻さに気付いたJRAは国内のアメリカ産種牡馬全頭の行方を調査し、ファーディナンド以外の全頭の生存を確認したと発表したものの、もはや世論は沸騰しきって誰の目にも留まっておらず、焼け石に水であった(そもそも事態の原因であるワタナベ氏や、アメリカとの連絡を怠ったアロースタッドは何の声明も発さないままだった)。
おりしも1999年にアヌスミラビリスが日本の検疫において熱発した状態のまま放置され死亡するという事件が起きたばかりであり、
あわせて日本競馬関係者の動物福祉への意識の低さ、モラルハザードを全世界に知らしめる結果となってしまった。
アメリカ世論の過熱はおさまらず、
日本への馬の輸出を目的問わず全面停止すべきとする動きが起こるまでになった。
この件に触発された「動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)」は
熊本県の屠殺場に潜入した映像を公表して日本に対する馬の禁輸を訴えたが、
PETAは過激派としても知られており、また日本を超える馬産国のアメリカにとっても屠殺や馬の輸出は避けて通れない問題であるため、これらは流石に実行されることはなかった。
しかし日本における管理に生じた疑念ゆえに、当時アメリカでいくつか設立されていた引退馬保護団体は日本で低迷していたアメリカ産種牡馬の追跡調査を行い、見つけ次第買い戻した。
これによって多くの日本にいたフレイズ、サンシャインフォーエヴァー、オジジアン、クリエイター、ワレンダーらアメリカ産馬が続々と日本から故郷へと帰っていった。
またアメリカから日本へ種牡馬を輸入する際の契約に「種牡馬としての活動が終了したら米国へ買い戻す」という条項を含めることが多くなった。
実際シルバーチャームやロージズインメイなどの契約にこの条項が含まれている。
かくして日本競馬の信用を世界的に損ない大問題となったファーディナンド事件であるが、日本においてこれが振り返られることはほとんどない。
ファーディナンドが活躍していた1980年代後半は、日本では
オグリキャップが登場し競馬人気が上昇し始めた頃で、海外競馬の情報などようやく一般にも入り始めたばかり。
そんな時代では日本人にとっては、ファーディナンドは
「馴染みのないアメリカから来た輸入種牡馬多数のうちの一頭」でしかなかったという背景もあるだろうが、ダート路線の活発化にともないアメリカ競馬への注目が大きく高まっている2024年現在においても、この問題は全くと言っていいほど知られていないのが実態である。
もちろんすでに述べたように、競馬において屠殺という行為は避けては通れないことである。
またアメリカ競馬でも日本同様に屠殺が広く行われているのみならず、競走馬の薬物問題など日本どころではないような問題が存在するのも事実である。
また馬肉を食する習慣がある日本と、日本ほどそのような習慣がメジャーでないアメリカ・ヨーロッパの競馬文化の差も無視できないし、1997年にスウェーデンでアメリカの名馬エクセラーが屠殺された事件の分もあわせてバッシングを喰らった側面もある。
とはいえG1馬(それも他国のダービー馬)をやすやすと屠殺してしまったこと、アロースタッドがアメリカと何の連絡もとらなかったことや、不透明すぎる譲渡、それらに一貫する動物福祉の意識など、
日本競馬が考えるべき多くの問題をはらんでいるのは事実であり、その教訓を風化させることがあってはならないだろう。
GI3勝を挙げ、ジャパンCにも来日したイタリアの名馬ミシルは2005年に用途変更され消息不明に、1993年BCクラシック優勝
アルカングは2006年消息不明から3年後に死去したと発表された。これらはファーディナンド同様の最期を遂げたのではないか、と考える競馬関係者も少なくない。
好敵手スノーチーフも種牡馬として成功しなかったが、功労馬として2010年5月に27歳で他界するまでアメリカで大事にされた。アリシーバはサウジアラビア国王に保護されて2009年3月に骨折のため
安楽死となる25歳まで年度代表馬に相応しい厚遇を受けていた。
如何に日本で無名だったとはいえ、こうも違うのかと…。
引退馬保護の取り組み
ボストンの新聞で映画評論などを行うマイケル・ブローウェン氏も事件に衝撃を受けたアメリカ人の一人だった。
彼は事が報じられた2003年にすぐさま引退馬保護団体「
オールドフレンズ」を創設し、引退した競走馬・種牡馬・繁殖牝馬を引き取る活動を開始した。二冠馬シルバーチャームが2014年に帰国したケースやロージズインメイの輸入契約などの例で知られる。これは事件を受けたニューヨークのサラブレッド馬主・生産者協会が「Ferdinand Fee(
ファーディナンド会費)」を2006年に設立させて成り立ったものである。
このオールドフレンズは馬1頭・厩舎1つの状態からどんどん拡大して現在までにのべ200頭近い馬を繋養し、今では複数の分場も有している。
繋養されている馬は大競争の勝ち馬が多いが、下級条件馬ながら映画で名馬シービスケットを演じたポップコーンディーライツや
「アメリカの
ハルウララ」ジッピーチッピー、大レースの実績はないが22連勝の北米記録を残したラピッドリダックスなどの個性派も繋養している。
日本でも2020年から、こちらの名前を借りた引退馬保護団体「
オールド・フレンズ・ジャパン」が活動しており、
岡山県真庭市の牧場でデルタブルースやダンビュライトを繋養している。
また近年では、
NPO法人「引退馬協会」のフォスターホースである
ナイスネイチャがバースデードネーションで3500万円の寄付を集め話題となった。
またこれ以外にも乗馬や誘導馬としての活用の道筋など、引退馬の受け皿を広げる活動が活発になっている。
今後の取り組みの発展に期待したい。
最後に、アロースタッドでファーディナンドの管理を担当していた厩務員がバイヤー氏の取材に答えた際の言葉を示す。
「ファーディナンドはとても穏やかな馬でした。放牧中に声をかければすぐに近寄ってきたし、連れていくのも簡単でした」
「彼の身に起こったことに怒りを覚えます。ただただ非情です。非情すぎます」
追記・修正はこの悲劇を繰り返さぬようにしてお願いします
- 屠殺推進という訳では無いが、馬一頭の維持費考えると経済活動に貢献できない馬を屠殺するというのは仕方ない面もあるんだよな……綺麗事で馬飼ってる人の生活潰すなんてこともあっちゃいけないわけで……。譲渡、売買の契約にどういう取り決めがかわされてたか詳細分かんないし、絶えず考えるべき問題ではあるけどこのファーディナンド屠殺に至るまでに関わった人達が悪いとも言いきれない話だとは思うわ -- 名無しさん (2024-05-02 21:13:49)
- エクセラーの件+動物愛護団体が入ったため -- 名無しさん (2024-05-02 21:56:59)
- (途中送信申し訳ない)余計に炎上した感じがあるな。そもそもアメリカ側も屠殺関係に関しては馬を国内で処理せずカナダやメキシコに送ったりと色々とやってるから、そっちも言えたもんじゃねえだろうという気持ちもある。 -- 名無しさん (2024-05-02 21:59:26)
- そうは言っても日本で人気だったダービー馬が海外で知らない間に廃用にされてたら日本人だって嫌悪感抱くのは間違いないと思うよ -- 名無しさん (2024-05-02 22:39:31)
- 嫌な気持ちになる一方で買われてったならもう向こうの持ち物だし…とか結局は家畜だし…みたいな諦め入った意見も多くなりそうなのが日本 -- 名無しさん (2024-05-03 00:54:42)
- なぜ噓をついた…正直に明かしていればまた違う展開もあったろうに -- 名無しさん (2024-05-03 01:13:16)
- 人気者以外は殺していいのか?という話にもなるからまあ難しいところではあるよね 個人的にはリソースに限りがある以上全ては救えないので、一介の経済動物として無碍に出来ない馬だけは助けてやるのがせめてもの仁義、くらいに止めるのがいいと思うよ -- 名無しさん (2024-05-03 01:29:47)
- せめて廃用ではなく故郷に戻すくらいはしてもよかったのでは… -- 名無しさん (2024-05-03 03:00:41)
- 大昔は年度代表馬すら行方不明になってるからな…ヒカリデユールとか -- 名無しさん (2024-05-03 03:44:40)
- ↑ 年度代表馬ではないけどダイタクヤマト... -- 名無しさん (2024-05-03 08:53:07)
- 馬1頭の飼育費用が1年で100万以上かかるもんなあ。わかってるけどやるせないな。 -- 名無しさん (2024-05-03 10:19:40)
- ↑4 今と違って米国の故郷とそんなに簡単に連絡取り合える時代じゃないし、そもそも生産地を繋養者が把握できてない可能性もある。調査費、交信費かけても受け入れられないリスクもあるし、当然その話がまとまるまで維持費も嵩んでいく。経済動物への倫理観も現代とは全く違うし難しいだろうなぁ……。 -- 名無しさん (2024-05-03 11:38:27)
- ↑2 地方なんかでひたすら馬を走らせているのはそういうことなんだよな。繁殖や乗馬に向かないけどレースに出れば手当てがつくから出しているという。 -- 名無しさん (2024-05-03 11:42:34)
- 今みたいにダート路線が注目されていたら、こんな最後にはならなかったのかもしれないのがなぁ… -- 名無しさん (2024-05-03 15:15:32)
- 同じく種牡馬として駄目駄目だったラムタラやピルサドスキーはちゃんと元の持ち主に買い戻されたし、アロースタッドとワタナベ氏の不手際だよなあ -- 名無しさん (2024-05-03 16:41:50)
- というか昔はどこでも雑に処理はしてるんでね… それこそ本文中のエクセラーは代表例だし、種付け出来なくなったら銃殺されたアリシドンなんて例もあるし ファーディナンドは運良く最後を掴めたけども輸出された失敗種牡馬の末路なんて大なり小なりこんなもんだったのよ -- 名無しさん (2024-05-03 17:04:09)
- 乗馬や誘導馬以外でもお金を稼ぐ方法が増えればこんなことも無くなるんだけどね -- 名無しさん (2024-05-03 19:14:32)
- 最近だとジョージワシントンみたいな馬も。引退後に種牡馬失格だからという理由で現役復帰しその後・・・というこれまた人間の勝手な都合で悲劇に見舞われた馬も -- 名無しさん (2024-05-04 09:55:05)
- 自分の推し馬がこんな扱いを受けたらと思うと最悪だなと思う -- 名無しさん (2024-05-04 23:31:11)
- タグに黒歴史って入ってるけど、本来の意味でも消したりたい過去って意味でも入れるのおかしくない…? -- 名無しさん (2024-05-07 18:35:05)
- ダービー馬への敬意が足りなすぎだよ、渡辺なんかよりも競馬界への貢献があったのに。 -- 名無しさん (2024-08-30 17:50:52)
- ↑1 「起こしてはならなかった事件」だから黒歴史であってる -- 名無しさん (2024-09-02 13:14:41)
最終更新:2025年03月02日 17:29