うたのおにいさん(おかあさんといっしょ)

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&font(#6495ED){登録日}:2013/06/19(水) 10:43:08
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&font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます 

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1959年に始まり、今や50年以上の歴史を持つNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』。
その番組の顔としてお馴染みなのは「&font(#ff0000){うたのおねえさん}」と「&font(#0000ff){うたのおにいさん}」なのは言うまでもないだろう。
しかし、実はその歴史を辿ると、番組が始まった当初は「うたのおにいさん」というポジションは存在せず、1970年代以降から始まっているのである。

この項目では、皆様の思い出に残っているであろう歴代「&font(#0000ff){うたのおにいさん}」を時代を追って紹介していく。

*幻の元祖:高橋元太郎(ゲンちゃん)
 担当年代…1965.4~1967.3

……「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『うっかり八兵衛』こと高橋元太郎さんがうたのおにいさんだったのだ。1976年3月までは、現在と違って曜日ごとに異なったコーナーが設けられていた。彼は1965年4月から毎週水曜日に放送されていた「うたいっぱい」というコーナーを担当していたおにいさんである。相方のおねえさんは『うたのえほん』の初代うたのおねえさん、真理ヨシコさんだった。1980年代に登場したたいそうのおねえさん以外のおにいさん・おねえさんは、元々は別番組だった『うたのえほん』から代数カウントが始まっている為、別コーナーのおにいさんである元太郎さんは代数にはカウントされていない。またこの当時は放送用VTRの再利用が一般的だった為、NHKにも当時の映像が残っておらず、人々の記憶から消し去られていたが、2014年に高橋自身が録画していたコーナー最終回のビデオテープの存在が判明したことにより、おにいさんとしての活躍が再確認された。


*初代:田中星児お兄さん
 担当年代…1971.11~1977.3

『森永チョコボール』のCMでお馴染み。
幼い頃から音楽に触れる事が多く、その中でめきめきと歌の腕を上げ、様々なコンクールを総なめにする実力派となっていた。
その実力が買われ、1971年から『おかあさんといっしょ』初の「うたのおにいさん」として登場する。番組内では自慢の歌唱力やギター演奏も行っていた。ちなみに、うたのおにいさんのオーディションを受けた当時は同じくNHKで放送されていた若者向け音楽番組『ステージ101』の番組内グループ「ヤング101」のメンバーとして既にテレビ出演経験があり、うたのおにいさん在任中の1974年3月に『ステージ101』が終了するまで「ヤング101」メンバーとしての活動も行っていた。2つの番組で活躍していた星児さんは、子供達の人気者であると同時に、当時の若者の憧れの存在でもあったと言えるだろう。うたのおにいさんオーディションを受けたきっかけも、『ステージ101』の収録の為NHK局内に居た際に貼られていた募集案内を見た事であったという。
当初は森晴美おねえさんの後任という形で登場し、うたのおねえさんと隔週出演だったようだが、その後現在のおにいさん&おねえさんコンビでの登場となっている。

星児さん出演当時の映像も、この当時のVTR事情から現存するテープは全て家庭用ビデオデッキで録画された提供映像で、その一部は星児さんの母親が録画したものを後年星児さん本人がNHKに提供した物だったりする。前述のゲンちゃんの紹介でも触れているが、1970年代も相変わらず放送用テープが高価な時代であり、漸く販売され始めた家庭用ビデオデッキ・テープも同様に当時としては相当な高級品だった。その為、当時の家庭用ビデオデッキの機種の中には安価なタイプとして白黒映像でしか収録できない仕様になっている物も多かった。星児さん出演当時は番組自体は既にカラー放送となっていたものの、こうした事情から白黒映像で録画された物が多く、星児さんのお母様は少しでも多く星児さんの活躍を残す為に星児さんの出演していないパートは別の回や「ステージ101」等の他番組を上書き録画するなどして、星児さんの出演シーンを寄せ集めたテープにして保管していた為、番組としては断片的な映像になっている物が多い。

ちなみに、[[みんなのうた]]のイメージが強い「北風小僧の寒太郎」だが、実は初出は『&u(){おかあさんといっしょ}』。
「うたのおにいさん」登場に伴い、男性の低音ボイスで歌える「子供向けの演歌」として創られたと言う。

卒業後も抜群の歌唱力は健在で、現在もなお子供向けのコンサートなどで精力的に活動中。50周年記念コンサートでも北風小僧の寒太郎を歌いながら登場した。

『おかあさんといっしょ』以外では、『ビューティフル・サンデー』が著名だろう。
他にも『みんなのうた』で「ジャガイモジャガー」「エトはメリーゴーランド」などを熱唱しており、
作曲の「中山竜」というのは実は田中星児さんではないかとも言われている。

他にも、『[[GANTZ>GANTZ(漫画)]]』の「[[田中星人>田中星人(GANTZ)]]」のモチーフになったとのもっぱらの話。さすがにアニメ版では名前が変わっている。

なお、あの[[グッチ裕三>ハッチポッチステーション]]さんは従弟である。


*2代目:水木一郎お兄さん
 担当年代…1976.4~1979.3

……「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『アニキ』こと水木一郎さんが二代目うたのおにいさんなんだ&bold(){ゼェェェット!}

登場時から1977年までは上記の田中星児お兄さんと、それ以降は後述のたいらいさおお兄さんと並行して活躍していた。
1000曲を超える歌のレパートリーには「ちょんまげマーチ」などおかあさんといっしょの楽曲も含まれている。
アニキバージョンの「ちょんまげマーチ」は現在と比べてかなりテンポが速いのが特徴。

卒業後も、30周年記念コンサートやETV(教育テレビ)50周年特番などで番組に関わっている。

それ以外での活躍は言うまでもないが、担当していた時期はちょうど『超電磁ロボ コンバトラーV』や「がんばれ!ロボコン」のOPなどを歌っていた頃である。
なお、前者のコーラス(V!V!V!V!の部分)を担当しているザ・ブレッスンフォーは、
おかあさんといっしょ内でも「ぞうさんのあくび」「パジャマでおじゃま」でお馴染み。

詳細は&font(#ff0000){&u(){[[項目>水木一郎]]}}参照。


*3代目:たいらいさおお兄さん
 担当年代…1976.4~1979.3

ポップス歌手としてデビューした1年後、うたのおにいさんに選ばれた。担当期間は上記の水木一郎アニキと並行している。
卒業後も様々な節目に登場し、2013年のコンサートでは大々的にゲスト出演を果たしている。

たいらさんの出演当時の映像は、紹介される機会が少なかった事もあってか、2010年代までは「へんてこ通り三番地」を歌っている映像と最終出演回の映像の2本以外が取り上げられる事が皆無だった。その為、前後のお兄さんたちに比べ、残っている本数が更に少ないと見られていたが、2021年にBSプレミアムの『ワンワンパッコロ!キャラともワールド』で「うたのおにいさんスペシャル」と銘打った回が放送された際に「ええとええとのうた」と「ミスタージャガイモ」の2曲が紹介され、貴重な映像が再び日の目を見る機会を得ている。

卒業後はアニソン歌手としての活動を開始、『[[復活のイデオン(伝説巨神イデオン/OP)>伝説巨神イデオン]]』『[[銀河旋風ブライガー(銀河旋風ブライガー/OP)>銀河旋風ブライガー]]』
『最強ロボダイオージャ(最強ロボダイオージャ/OP)』『&del(){猪}渚にひとり(魔境伝説アクロバンチ/ED)』など多数の曲を歌い上げている。
『[[超時空要塞マクロス]]』のOPも最初はたいらいさおさんが担当する予定だったと言う。

1986年からは童謡歌手としても活躍するようになり、後任のうたのおにいさんたちの楽曲をカバーする事も多い。
その功績を称えられ、1995年には日本童謡賞特別賞を受賞した。


*4代目:宮内良お兄さん
 担当年代…1979.4~1981.3

現在の目で見てもかなりの美形と美声の持ち主で、在任中の2年間は奈々瀬ひとみお姉さんとの美男美女コンビで人気を博した。就任当時の良お兄さんは20歳で、就任当時の年齢が歴代最年少のうたのおにいさんであった。ちなみにこのペア、『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさん・おねえさんペアとしては珍しく、うたのおねえさんがうたのおにいさんより年上という組み合わせになっており、ひとみお姉さんの方が2歳年上だった。しかも、当時のたいそうのおにいさんの瀬戸口清文さんも年上、番組進行役だった元たいそうのおにいさんの輪島直幸さんも年上なので、「全出演者の中で最年少者がうたのおにいさん」というそれ以前も以後もあまり見受けられない布陣が取られていた事になる。その就任時の若さと自身の後任お兄さん達が3人続けて年上((林アキラお兄さんは良お兄さんと同学年だが、良お兄さんが早生まれのため僅差でアキラお兄さんが年上))だった事から通常なら当時現役のお兄さんが当てはまるであろう「うたのおにいさん経験者の最年少者」が、就任から卒業を経て8代目の速水けんたろうお兄さんが登場するまでの14年間に亘り良お兄さんだったという珍しい記録を持つ。
ここからうたのおにいさんとおねえさんの交代時期が同じという場合が多くなっており、ひとみお姉さんとは同時登板し、同時降板した。

この頃より放送用VTRが一部ではあるが保管されるようになっているようで、本放送当時の画質で映像が現存している最初のうたのおにいさんでもある。

当時の代表曲には「ジャングルポケット」や「わらいねこハッピネス」など後々まで歌い継がれるものも数多い。

卒業後も引き続き様々な番組に出演、「みんなのうた」でも自慢の歌声を披露している。
現在も歌手として活躍する一方、ミュージカル俳優や得意のタップダンスを活かした演技指導や歌唱指導など多方面で活動している。

また、2007-2009年にディズニー・チャンネルで、オーストラリアの人気お子さま向けバンドThe Wigglesが主演の
子供向け番組『ザ・ウィグルス』『ウィグルス放送局』が放送された。
この日本語吹替え版ではグループのメインボーカル、要は現地版うたのおにいさんとも言えるグレッグ・ページ氏役を担当。
大柄な白人男性であるグレッグから良お兄さんの声というインパクトもさることながら、番組内の楽曲も原則吹替えだったため
実質宮内良アワーとなっていた。

おかあさんといっしょ以外のアニメ楽曲では『黄金戦士ゴールドライタン』のOPが有名だろう。ほかに『タイムブックの歌(アニメ親子劇場/OP)』も代表作。


*5代目:かしわ哲お兄さん
 担当年代…1981.4~1983.3

担当当時は後述の林アキラお兄さんや歌のお姉さんのしゅうさえこさん(さっこおねえさん)と言うトリオバンド形式で番組の進行を担当していた。
うたのおにいさんになる前はシンガーソングライターとして活躍していた経歴を持ち、
「きみのなまえ」「どんなかお」「スズメがサンバ」などの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。通称「てっちゃん」と呼ばれており、「〇〇お兄さん」と呼ばれる事の多いうたのおにいさんの中ではかなり珍しい、ニックネームが呼び名となっているお兄さんだった。

番組卒業後もロックバンドのメンバーなど精力的に音楽活動を続け、『[[みんなのうた]]』へ曲を提供した事もある。
おかあさんといっしょ50周年記念特集では久々に三人が集まっている。


*6代目:林アキラお兄さん
 担当年代…1981.4~1985.3

上記のかしわ哲さんと同時に登場。最初はトリオ編成だったのだが、83年以降は新任の森みゆきお姉さんとのコンビ体制となった。代数カウントの際には、かしわ哲さんと同時就任である事から5代目を2人としてカウントし6代目を欠番とするケースと、卒業時期が後であるアキラお兄さんを6代目とするケースが見受けられるが、周年記念の特別編成やコンサートではアキラお兄さんを「6代目うたのおにいさん」として扱うケースが多い為、本項でも6代目として扱うこととする。
幼い頃からエレクトーンやミュージカルなど様々な音楽の分野に携わっており、『おかあさんといっしょ』の楽曲の作曲を多数担当している。
「こねこのパンやさん」「ほしぞらカーニバル」「ブラボー!ブレーメン」「そよかぜスニーカー」など現在でも有名な曲もアキラお兄さんの作品である。

卒業後も引き続きミュージカルや歌唱指導、そして歌手など多方面で活躍中。現在は演じる役柄の傾向などもあり口髭がトレードマークになっているが、うたのおにいさん当時のイメージを守る為、卒業後の番組へのゲスト出演など「うたのおにいさん」要素が絡む仕事の際には髭を剃った姿で出演している。直近では、2020年度にファミリーコンサートが新型コロナウイルス感染症拡大防止の為に全公演が中止になった事から代替として企画されたスタジオライブで楽曲のピアノ編曲を担当。4回目からは自らピアノ伴奏として出演して現役のゆういちろうお兄さん・あつこお姉さんペアと共演しており、翌年度のファミリーコンサート再開後の最初の公演のゲストとしても登場するなど、再び番組との関わりが深くなっている。

ちなみに現在恒例になっている引退時の引き継ぎ出演は、このアキラお兄さんの発案によるものだと言うが、4代目うたのおねえさんである水谷玲子おねえさんも同様のことを行っていたとする見解もあり、元祖であるかは不明である。しかし、アキラお兄さんの卒業以降は出演者交代の際に引き継ぎ出演が定型化したのは確かな様で、以降の出演者交代があった年度では、最終日やファミリーコンサートなど、何らかの形で新旧出演者の共演が行われている。
そして、彼から「うたのおにいさん」を引き継いだのは……


*7代目:坂田おさむお兄さん
 担当年代…1985.4~1993.4

「うたのおにいさん」と聞いてこの人を思い浮かべる方はかなり多いのではないだろうか。
足掛け8年の担当は&bold(){当時歴代最長}であり、その後も楽曲提供など様々な形で「おかあさんといっしょ」に関わり続けている。
しかし在任記録は2016年に横山だいすけお兄さんに抜かされた。
87年までは森みゆきお姉さん、それ以降は神崎ゆう子お姉さんとコンビだった。ちなみに、おさむお兄さん本人が後年聞いた話によると、みゆきお姉さん卒業の際に、就任から2年しか経っていないおさむお兄さんも同時に卒業する案があり、一度はその方向で大筋が決まりかけた。しかし、その話し合いの場に同席していた作曲家で、当時うたのおにいさん・おねえさんの選考オーディションや歌唱指導を担当していた福田和禾子先生が「坂田君はまだ2年目だし、もっと伸びるはずだからもう少し歌ってもらいませんか」と進言した事により続投が決定。最終的にそこから6年間続投する事になった。これがきっかけとなったかは不明だが、それまで2〜3年おきに行われていたうたのおにいさん・おねえさんの交代がこの時期を境に交代までのスパンが長くなり、4人のおにいさん・おねえさんの組み合わせが同一メンバーで5年前後続く事も増えている。

この頃から収録VTRの保管が一般的になり始めた為、出演当時の映像がほぼ全放送回現存する最初のうたのおにいさんであるが、全てが放送用VTRというわけではない。出演初期の1985年4月からの3ヶ月程度の一部放送、及び1990年度以降の全放送回とファミリーコンサートなどの一部特別版等を除くと、当時の送出状況確認用に使用していた家庭用ビデオでの録画映像から抜粋という形での全編現存という形になっている為、一部は当時のニュース速報テロップが重畳されていたり、番組自体の休止で欠落している可能性がある放送回もあるとみられる。その一方で、出演末期の1年半においては、ファミリーコンサートが試験放送用にハイビジョン映像での収録が実施されている為、30年以上前のおさむお兄さんの映像が当時としては異例の高画質で現存していたりもする。

なお、卒業後もBSの姉妹番組『あさごはんだいすき!』でうたのお兄さんを担当。[[ニャンちゅう]]が登場する番組にもおにいさん時代を含めて2年間レギュラー出演し、以降も2005年春頃まで時々出演していた。
また、50周年記念コンサート「星空のメリーゴーランド」では自称&bold(){真打}など、偉大さは大きい。
そして、テレビ放送こそ無い為ファミリーコンサート程の知名度は無いのだが、「おかあさんといっしょ」には現在放送中の人形劇キャラクターと「おかあさんといっしょ」や他のステージショー・子供向け番組の歴代おにいさん・おねえさんが登場するステージイベントツアーが長年存在しており、おさむお兄さんは&bold(){2020年現在でも}うたのおにいさんとして参加してるバリバリ現役のうたのおにいさんなのである。その為、見方によってはおさむお兄さんを知る世代は潜在的には今現在の子供達も…と言う事にもなり得るのだ。
一方で50周年時に放送された特別番組では隕石にぶつかり記憶喪失になり、歌が好きということ以外すべて忘れたため、
[[どーもくん]]と共犯して歌のカプセルを窃盗したことがある。
このときは[[じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり>にこにこぷん]]に「どこかで見たことある」と言われていた。

元はシンガーソングライターであり、現在に至るまで多数の楽曲を提供している。
そもそも、おさむお兄さんと「おかあさんといっしょ」の繋がり自体もうたのおにいさん就任前の1983年、知り合いの作詞家(番組で長年放送された体操「ぞうさんのあくび」を作詞した遠藤幸三氏)の紹介で、当時の「おかあさんといっしょ」番組プロデューサーに楽曲の売り込みに行った際に楽曲提供を勧められた事から始まっている。その為、前任のアキラお兄さんや共演者となるみゆきお姉さんとは、うたのおにいさん就任以前に楽曲提供者の「坂田修先生」としてレコーディングスタジオで対面したのが最初の出会いだった。この時はその「坂田先生」ことおさむお兄さんが、アキラお兄さんの後任のお兄さんとなるとは誰も思っていなかったはずなので、まさに運命の不思議さを感じさせるエピソードであると言えるだろう。
就任後、そして番組卒業後も数々の曲を書き下ろしては番組に提供しており、「どんな色が好き」「ぼくらのロコモーション」「にじのむこうに」「あしたははれる」「公園にいきましょう」など、
現在童謡のスタンダードになっている曲も数多い。

詳細は&font(#ff0000){&u(){[[項目>坂田おさむ]]}}を参照。


*8代目:速水けんたろうお兄さん
 担当年代…1993.4~1999.4

こちらもうたのお兄さんの代表格として思い浮かべる人はかなり多いだろう。
長身の爽やかなスタイルと、それに負けない美声で、茂森あゆみお姉さんと共に数多くの曲を歌い上げた。
特に「[[だんご3兄弟]]」は爆発的な人気を博した事でも知られている。卒業直後にはこの歌で紅白に出場。
ほかに人気だった曲は元祖「[[おかあさんといっしょのトルコ行進曲]]」、卒業直前の今月の歌で、自身が作詞作曲した「あつまれ!笑顔」といったところか。
一方でこの頃からダンスも本格化し始め、歌のPVにおいて様々な着ぐるみを着たり、コスプレしたりする機会も多くなっている。また、体操のお兄さん、ダンスのお姉さんがバックダンサーとして踊ることも増えた。
中でも「イカイカイルカ」はもはや伝説だろう(この伝説はだいすけお兄さん、あつこお姉さんペアで再現された)。

同期の茂森あゆみお姉さんや佐藤弘道お兄さん、1年遅れて1994年から登場した松野ちかお姉さんの4人組の中で最も年上だった事から、現役当時は地方コンサートのミニミュージカル等で年長者イジリネタが織り込まれたりもしていた。しかし、実際には公私共々頼れる兄貴分として慕われている様で、後述のTwitterでは現在も芸能活動をしているけんたろうお兄さん・あゆみお姉さん・弘道お兄さん間で度々仲睦まじいやり取りが繰り広げられている。

元は「谷本憲彦」名義で歌手として活動しており、デビュー当時はムード歌謡歌手、後にアニソン歌手に転向した。しかし、なかなかヒット作に恵まれない時期を過ごしていた中で1992年に歌手デビュー当時にお世話になったレコード会社の人に再会。そのレコード会社の人は「おかあさんといっしょ」のプロデューサーとの付き合いが有り、同時期にうたのおにいさんの選考オーディションの予定がある事を聞かされていた事から、けんたろうお兄さんにその話を勧めてきた。丁度この時期にけんたろうお兄さんの息子さんが番組を視聴していた事もあって、父親として番組の存在を認知していたけんたろうお兄さんは「こういう歌の世界もあるのか」とオーディションに参加し、見事うたのおにいさんに合格することとなった。

余談にはなるが、これと相前後して息子さんを番組収録に応募していたハガキが当選するミラクルが発生しており、時期がもう少しずれていたら前代のおさむお兄さんに続き2代連続で「就任直後に自身の子供とスタジオ共演」が発生する所であった。当選ハガキに書かれた収録日はおさむお兄さんとゆう子お姉さんが卒業目前の時期だった事からこれは実現しなかったものの、同時期に新しいお兄さん・お姉さん達は研修期間としてスタジオに来た子供達のお世話係を務めていた為、収録現場には父親であるけんたろうお兄さんも居合わせており、その時の事を覚えていた息子さんが、新年度の放送でおさむお兄さんに新しいうたのおにいさんとして紹介される父親の姿を見て「パパだけまた行っててズルい」と怒っていたと言う何とも微笑ましいエピソードがあったりする。

就任初期の頃は「うたのおにいさん」と「アニソン歌手」との棲み分けを考えていた節があるようで、うたのおにいさんは「速水けんたろう」、アニソン歌手としては「谷本憲彦」と2つの名義を2年ほど使い分けていた期間がある。実際にうたのおにいさんの初期と並行して放送されていた『[[疾風!アイアンリーガー]]』では後者名義で主題歌を歌っていた。
その後、うたのおにいさん就任から2年経った1995年に放送された『超力戦隊オーレンジャー』や、番組卒業直後の1999年放送の『燃えろ!!ロボコン』などではお馴染みの「速水けんたろう」名義で統一している。


2010年のコンサートではかまだみき共々ゲスト出演した。

2011年7月に交通死亡事故を起こしたため、2011年7月から2012年4月の間は活動を自粛していたが、その直前までは声優としてアニメ出演もしていた。
復帰後は舞台や各地のコンサートで顔を見せている。なお現在の所属事務所はれっしーやガタラットの中の人達がいる81プロデュース。元々声優以外の活動はお兄さん当時から個人事務所で行っており、81プロデュースとは声優活動のための「声のみ預かり」の形での所属となっていたが、復帰に先駆けて2011年時点で正式な所属となっている。
2015年からは本格復帰となり、2015年のコンサートでは[[ポコポッテイト]]のメーコブのそっくりさん、ダンの声を担当したり(なお、メーコブの声もひなたおさむお兄さんなので、このペアは歌要素が強かった)、2016年4月の歌「あおうよ!」の作曲を担当したりするなど、再びおかあさんといっしょに関わっている。前代のおさむお兄さん同様に、歴代おにいさん・おねえさんが出演するステージイベントにも出演しており、その時にコンビを組むうたのおねえさんは、これまた知名度抜群、歌唱力抜群の[[はいだしょうこ]]お姉さんなので、見応えはお墨付きと言っていいだろう。

ファンの念願かなって、懐かしのNHKの出演者やキャラクターがゲストとしてやってくる「ワンワンパッコロ!キャラともワールド」にも出演し、あゆみお姉さんとも久々の共演が実現した。60周年記念コンサートにもゲスト出演し、この時は過去の周年記念で定型となっていた直近の歴代おにいさん・おねえさんから順に登場する形ではなく、あゆみお姉さん共々、歴代おにいさん・おねえさんの先陣を切って最初のゲスト出演者として登場。かつて子供時代にけんたろうお兄さん・あゆみお姉さんを見ていたであろう客席のお父さん・お母さん達から歓声が上がった。

2020年からは出演時期が異なる「おかあさんといっしょ」のおにいさん・おねえさん4人(たいそうのおにいさんの天野勝弘お兄さん、けんたろうお兄さん、うたのおねえさんのつのだりょうこお姉さん、「ズーズーダンス」・「ゴッチャ!」のおねえさんのいとうまゆお姉さん)で『みんなで健康になる』事をコンセプトとしたYouTubeチャンネル「けんこうらんど」を立ち上げた。動画内では様々な企画で身体を張っている姿を見せている。

また、同じ2020年にTwitterを始めたのだが、時折「こんなん出てきた。」という一言と共にうたのおにいさん当時の懐かしい写真やグッズを撮影して投稿することがあり、往年のファンを懐かしくさせてくれることがある。特にその第1弾で『虫歯建設株式会社』の実写版クリップを撮影した際の虫歯菌コスの写真を投稿した時には、それを見たあゆみお姉さんが便乗して同じクリップでの自身の写真を投稿、更にそれを見た弘道お兄さんは毛色を変えて、このクリップ撮影から数年後にゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の地方コンサートでやったミニミュージカルで演じた虫歯菌の写真を投稿、1993年就任の同期兄姉3人による「虫歯建設株式会社」リレーが実現して話題となり、ネットニュースに取り上げられる事態となった。

2020年4月、[[新型コロナウイルス]]に感染してしまうが、5月上旬に無事回復。

*9代目:杉田あきひろお兄さん
 担当年代…1999.4~2003.4

劇団四季出身というミュージカル肌のお兄さん。
歴代でも珍しい低音ボイスが特徴的で、それを活かした曲も多い。
この頃には「かっぱなにさま?かっぱさま!」や「たこやきなんぼマンボ」などがヒットしている。
卒業後も各地のコンサートやミュージカルで自慢の美声や演技力を披露しており、同期だったつのだりょうこお姉さんとの共演も多い。

ちなみにかなりの&bold(){色黒}であり、卒業後に「VS嵐」にゲスト出演した際は[[嵐>嵐(アイドルグループ)]]の面々にも突っ込まれていた。
当初は他のお兄さんを意識した姿だったが、色黒になったりさらに髪を伸ばして茶髪になったりするなど、チャラいお兄さんとなった。ただ、チャラそうなのはあくまで見た目だけであり、番組内での振る舞いは自然体そのものだったことも追記しておく。
 
なお、この頃からコンサートも歌のみならずミュージカルやダンス要素もかなり多くなってきたためか、
あきひろお兄さん以後のうたのおにいさんはBS勢も含めて「劇団」経験者が続いている。

2016年4月14日、覚せい剤を所持していた疑いで逮捕されてしまった。先代のけんたろうお兄さんとは罪のレベルが違いすぎるため、NHKの復活は難しいのではないかと思われていた。しかし、2019年の60年スペシャルではゲスト出演こそ無かったが、ゲスト出演したりょうこお姉さんの自己紹介や当時の映像であきひろお兄さんの事が紹介されており、60周年記念のCDアルバムにも歌唱曲が収録されてジャケット写真にもおにいさん当時の写真が使われるなど、あきひろお兄さんがうたのおにいさんだったと言う事が「無かった事」扱いされなかったのは救いと言える。

裁判で執行猶予付きの有罪判決が出た後は、依存症リハビリの為、長野県の依存症回復施設「長野ダルク」に入所しリハビリを行いながら、長野県内でコンサートを行うなど歌手活動を再開した。2019年には執行猶予が明けた事から長野ダルクを退所。現在は、引き続き長野県内に生活拠点を置き、自身の経験を活かして依存症予防教育アドバイザーとしての活動も行う一方、介護士の資格取得に向けて介護施設でも勤務し、歌手活動も継続する二足の草鞋ならぬ三足の草鞋で活動している。

2019年6月からTwitterを始めた。また、2021年3月の厚生労働省の生配信ライブの際に久しぶりに相方のつのだりょうこお姉さんと再会し、ニュースにもなった。

*10代目:今井ゆうぞうお兄さん
 担当年代…2003.4~2008.4

[[はいだしょうこ]]お姉さんと合わせて美男美女コンビ(とはいえ、髭面の眼鏡姿も目撃されており、オンとオフのギャップが大きい)。
元は劇団四季やディズニーランドのパレードダンサーとして活躍していただけあって、ダンスなどの動きが非常に綺麗。
宝塚出身のしょうこお姉さんと合わせて、PVやコンサートなどでその腕前を存分に発揮している。
独特の歌声や良くも悪くも自然体なスタイルは色々と賛否両論のようだが、
歌に関してはあの「[[地球ネコ>平沢進]]」をお姉さんと一緒に歌い上げたと言う実力を忘れてはならない。
現在の番組を代表するナンバー「ぼよよん行進曲」は、ゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の初出で、2019年の60年スペシャルにゲスト出演した際にも自己紹介でその事に触れ、各地のイベントでも度々歌っていたりと、出演当時の代表曲として知られている。
 
卒業後はドラマなどに多数出演し、各地での舞台やファミリーコンサートでの活躍もしていたが、2020年12月、脳出血の為まだ43歳という若さでこの世を去った。他のおかあさんといっしょのお兄さん、お姉さんともプライベートで交流があり、多くの仲間達が追悼コメントを出すほど愛されていたお兄さんだったことが伺える。合掌。

逝去後の2021年4月にはメモリアルブック「ありがとう 今井ゆうぞうお兄さん」がげんきより出版された。

ちなみに絵は[[かなり上手い>スプーのえかきうた事件]]。


*11代目:横山だいすけお兄さん
 担当年代…2008.4~2017.3

子供の頃から音楽が好きで、合唱団や音楽学校などで少しづつ腕を上げる中で、子供たちに音楽の楽しさを伝える「うたのおにいさん」を目指すようになった。
その後も音楽大学や劇団四季などに在籍したり、自らうたのおにいさんのなり方を調べてレポートを書いたりと、絶え間ない努力を続けた結果、見事に夢を叶えたと言う凄い人である。
また、うたのおにいさんの&bold(){一次募集を見落としてしまった}が、ダメ元でNHKに確認を入れたら、&bold(){ちょうど追加募集が決まった}ところだったという強運の持ち主でもある。運も実力のうち。

同じくおかあさんといっしょファンだったと言う三谷たくみお姉さんとの名コンビは、2015年度まで8年間続き、2016年も続投したためその任期はおさむお兄さんを超えた&bold(){歴代最長の9年間}となった。また、たくみお姉さんとの共演記録は歴代お兄さん&お姉さんコンビでは最長となっている。2016年からは小野あつこお姉さんという、新しいうたのおねえさんとのコンビとなり、うたのおにいさんとしては、坂田おさむお兄さん以来となる2人のお姉さんとペアを組んだお兄さんとなった。あつこお姉さんとのペアは、翌年のだいすけお兄さんの卒業で1年限りとなったものの、これ以降も60周年コンサートや映画「おかあさんといっしょ」の第2作目などでだいすけお兄さんがゲスト出演する形で時折復活している。

「ドンスカパンパンおうえんだん」が着うたを中心に大ヒットを記録した他、「ドコノコノキノコ」など様々な名曲が生まれている。なお後者の曲では、ビューティフルサンデーで現役最終年度の1976年に出場した星児お兄さん、番組を卒業した1999年にご存知だんご3兄弟で出場したけんたろうお兄さんに次ぐ、3度目のうたのおにいさんの紅白出演となった(但し、番組内企画コーナーへの出演の為正規出場としてはカウントされていない)。

「リンちゃんどうする?」で[[リン>パッコロリン]]に正体を見破られて妖怪の着ぐるみ姿になったり(たくみお姉さんも同様)、「シンデレラのスープ」でスープを飲んでシンデレラになってしまっただけでなくガラスの靴がぴったりなのがまさかの自分だったというオチがあったり、「歌い亭だいすけ」という高座名を持っていたりと、同期の体操のお兄さんである小林よしひさ共々、ネタ路線も強い。ただ、出演当時あまりにその路線が強すぎた故に、「おかあさんといっしょのお兄さんお姉さん=変顔」というステレオタイプ染みた印象が持たれてしまったらしく、番組卒業後の民放バラエティ出演の際、度々変顔を要求される事態にも陥っていた。

2013年から2017年まで、『かぞえてんぐ』とか言うお兄さんそっくりの謎の天狗が番組内で目撃されていた。特徴としては数を数えることが大好き、「てんにちは」と挨拶する、「ナ~ッハッハッハ!」と笑うとの情報が寄せられている。よくミーニャと数を数えていたが、2016年はイメチェンしてチョロミーと数を数えているようだ。
なお、彼の家庭生活も公開されていて、家でも数を数えまくっているらしい。

しかし2017年2月に同年3月いっぱいでの番組卒業を発表し、かつ他のレギュラー陣は続投するため、この番組では珍しく独りだけで巣立つことになった。同時に先述の謎の天狗も旅に出てしまったらしく、番組から姿を消した。しかし、コーナー終了後に実際にいろんな場所で数えながら旅をしている様子がDVD化され、以降も事あるごとに年1ぐらいのペースで何かしらの形で目撃されるなど、だいすけお兄さんに負けず劣らずな人気者ぶりを見せている。

卒業時はおそらく、ほかのどの歌のお兄さんよりも惜しまれたであろう。卒業直後にAmebaで公式ブログを始めたが、本人も驚くほどアクセスが集中し、読者も爆発的に増えた。
また、「げんき」からはたくみお姉さんに次いで卒業アルバム「だいすけお兄さん、ありがとう、また会う日まで」が発売された。

卒業直後の仕事としては舞台版「[[魔女の宅急便]]」でオキノ役を務めたり、2017年秋公開予定映画「[[トムとジェリー]] 夢のチョコレート工場」でウィリー・ウォンカの声を担当したりしている。また、バラエティ番組にも引っ張りだこ状態。最近ではスペシャルキャスターとして月1回、日本テレビの「news every.」にも出演しており、ニュースからバラエティまで幅広くこなすファミリー層向けマルチタレントの地位を確立。本業の歌手・俳優としてもCDリリースや舞台出演など、出来る仕事はなんでも来いと言わんばかりの活躍を見せている。

*12代目:花田ゆういちろうお兄さん
 担当年代…2017.4~

現在のうたのおにいさん。

引き継ぎ式に登場したときは、だいすけお兄さんたちと「にじのむこうに」を歌った。

初めての今月の歌「そよかぜスニーカー」で早速ロケをする、就任初日から早速日替わりコーナー「しりとりれっしゃ」の新人車掌として活躍と、早速視聴者に強い印象を残した。1年先輩であるあつこお姉さんとのハーモニーは、年数を重ねるごとに魅力を増してきており、今後も更なる進化が期待できる。
ルックスの爽やかさと表情豊かな語り口で人気な一方、番組内では少々ヘタレキャラな一面を見せる事があり、お化けが絡んでくると物凄く怖がってしまうというシーンが多々見られる。親近感が求められるうたのおにいさんとしては、それもまた良さだったりする。
だいすけお兄さんと同じ国立音大声楽科を卒業後、戦前から続く劇団文学座の研究所に在籍していたことから、歌唱力に加えて演技力もお墨付きであり、うたのおにいさん就任前までは舞台・ミュージカル・ソロライブなどマルチに活躍していた経歴を持つ。

番組内では坂田おさむお兄さんが作った「すてきな言葉」を自らピアノ伴奏仕様に編曲し、弾き語りで披露するという曲作りの才能が垣間見える一面を見せた事もあるので、もしかしたら歴代先輩達同様に番組の為に曲を作って披露してくれる日が来るかもしれない。なお、このクリップは最新ソングブック「ブー!スカ・パーティ!」に収録されている。

登場早々、ゆういちろうお兄さんそっくりの不審者の目撃情報が寄せられた。シルクハットに眼鏡をかけ、髭を生やした男とのことで、影が大好きだという。そしてその男は「シルエット博士」と名乗っている。目撃者であるムームーの証言によると、「突然這いつくばって僕の影を見てきた」とのこと。そのムームーは彼との交流を重ねるにつれ、博士のトリコになり、博士もまた彼の熱意を認めたのか、出会って1年程でムームーは弟子となり、今では博士のシルエット博物館の合鍵を預けられる程の信頼を得た模様。

*「BSおかあさんといっしょ」:ひなたおさむお兄さん
 担当年代…2002.4(番組開始)~2010.3(番組終了)
 
かつてNHKのBSで放送されていた『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさん。

幼い頃から少年合唱団に所属していた実力派で、大学時代には抜群の歌唱力が買われてあの劇団四季から直々にスカウトされたほど。
その後も多方面で活躍を続ける中、憧れであった「うたのおにいさん」のオーディションに見事合格した。

番組内では「うたのおねえさん」であるかまだみきお姉さんを始め、「たいそうのおにいさん」恵畑ゆうお兄さんと共演する事も多く、実質トリオ体制で活躍していた。
特にゆうお兄さんは元々うたのおにいさん志願だった事もあり、男声デュエットで歌いあげる事も多かった。

卒業後も活躍を続けているが、特に有名なのは人形劇「ポコポッテイト」のメーコブ役だろう。
歴代うたのおにいさんがこういう形で再登板するのは初の出来事で、メーコブとしても美声を披露し続けた。
各地の地方コンサートではもう一人の「おさむお兄さん」である坂田おさむさんとの共演も多い。
 

◆うたのおにいさんのリアル
「うたのおねえさん」は、一部例外はあるが現役音大生や音大卒生と言った新人声楽家がオーディションで選ばれる傾向があるが、「うたのおにいさん」については、これまでの歴代おにいさんの紹介で述べてある通り、就任前の経歴が「うたのおねえさん」に比べ多種多様に及ぶ。
「うたのおねえさん」同様音楽大学やミュージカル劇団に募集がかかる場合が多い。このパターンの例としてはアキラお兄さんが該当し、大学4年当時にオーディションを受け大学卒業と同時にうたのおにいさんになっている。その一方で、一郎お兄さんやおさむお兄さんのように、既に歌手として活動している人にオファーが来ることもあり、音大卒の学歴を有しているお兄さんでも、だいすけお兄さんやゆういちろうお兄さんの様に劇団で活動してキャリアを積んだ状態でオーディションを受けた例も存在している。こうした事情もあってか、けんたろうお兄さんまでのうたのおにいさんの中には「おかあさんといっしょ」出演中に他の芸能活動を並行していたおにいさんも多かった。

募集が数年に一度、合格枠はそれぞれ一人分ということを鑑みれば予想はつこうが、大変な難関であり、その倍率はおよそ&bold(){600倍}だとか。更にそれだけの志願者がありながら、交代記者会見まで出演者の交代予定は秘匿にされる為、一般向けにオーディション情報が公にされる事はまず無い。「うたのおにいさん オーディション」とかでネット検索かけたら募集要項が見つかるなんて事は100%あり得ないのだ。
もし「うたのおにいさん」を目指すなら、恐らく募集案内が来る可能性が高い歴代出演者の出身音大に進学して情報を得るか、歌手・俳優として芸能事務所所属になった上で、事務所からオーディションの情報を斡旋してもらうか、だいすけお兄さんのようにNHKに問い合わせを入れ続けて運良くスタッフルームに繋いでもらい直接情報を得る位しか情報を得る方法が無いのである。その為、ただでさえ狭き門なのにそのスタートラインにすら立てない志願者も多数いるのは想像に難くないと言える。

そんな狭き門をくぐり抜けて選ばれた後も大変なハードスケジュール、かつ制約の多い生活であり、&bold(){3ヶ月で歌のレパートリーを1000曲に増やす}、恋愛禁止、運転禁止、海外旅行禁止、&bold(){他番組(特にバラエティ)への出演禁止}など、なまじのアイドルより禁欲的な生活を求められる。

ここまでやっても、月収はわずか30万円程度、しかも彼らは&bold(){契約社員扱い}である。つまり、代替わりすれば何の保証もなく無職に戻るのだ。

月給取りの一般人から見れば、どう考えても割に合わない仕事であるが、そもそも彼らは芸能人であり、もとより安定とは無縁のフリーランスである。
むしろ、ラジオ英会話の講師などと同様、「NHKの番組を任された」という経歴は非常に高いステータスになるので、その後の活動にも大きなプラスとなる。
やりがいやあこがれだけではなく、実利面を鑑みても、目指すだけの価値はある仕事なのだ。



12代目のうたのおにいさんについて重点的に、追記・修正をお願いします。

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- 杉田あきひろお兄さんの「くれよんロケット」という歌が好きだった。  -- 名無しさん  (2013-11-06 11:55:55)
- けんたろうお兄さんが地元に来てコンサートやってたなぁ  -- 名無しさん  (2013-11-06 19:29:17)
- うたコナ  -- はいだしょうこ今井ゆうぞう  (2013-11-12 07:30:33)
- ゆうぞうお兄さんマダムキラーww  -- 名無しさん  (2015-01-22 21:33:09)
- ネッキー………いや、何でもない  -- 名無しさん  (2015-01-22 22:06:09)
- マグナム兄さん &br()み、みちひろおにいさ~ん!!  -- 名無しさん  (2015-01-24 18:30:33)
- 前々から思うけど何故運転禁止ですか  -- 名無しさん  (2015-12-06 12:02:50)
- 万が一にも事故でも起こして、出演できなくなる事態がないように、ということらしい。  -- 名無しさん  (2015-12-10 12:03:05)
- 所で今の二人って人気あるのですか?  -- 名無しさん  (2015-12-10 12:10:13)
- だいすけお兄さんがおさむおにいさんを抜いた。ただし、ひなたお兄さんはメーコブと合わせて13年間だね。  -- 七誌さん  (2016-04-04 14:42:28)
- 何でお姉さんの項目が無いのですか?  -- 名無しさん  (2016-04-14 20:48:46)
- 打ったのお兄さん?(すっとぼけ)  -- 名無しさん  (2016-04-15 20:24:29)
- けんたろうお兄さんしかよく知らない・・・。丁度その世代だったこともあるけど、あの渋さと爽やかさ、そして優しさを兼ね備えた声が今も強く印象に残ってる。  -- 名無しさん  (2016-12-06 22:00:40)
- 今のゆういちろうお兄さんの可愛さは異常  -- 名無しさん  (2018-11-21 19:53:05)
- だいすけお兄さんはちょいちょいゲストとして特番や映画で復帰している。  -- 名無しさん  (2020-03-13 09:12:49)
- やめた後はバラエティー出放題なので結構なハードスケジュールっぷりをぶっちゃけてくださる。たた「歌のおにいさん、おねえさん」「体操のお兄さん、おねえさん」経験者は、時間がたとうが子供の心をつかむスキルが格段に高いので子供イベントに出ると知らない子でもすぐ懐くというから凄い。  -- 名無しさん  (2020-07-30 10:19:40)
- 今井ゆうぞうさんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。  -- 名無しさん  (2020-12-28 20:04:09)
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