勇気

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勇気 - (2014/11/17 (月) 14:00:35) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/09/14(水) 22:09:04
更新日:2024/03/19 Tue 22:47:21
所要時間:約 2 分で読めます




「成功率なんてのは単なる目安だ!! 後は『勇気』で補えばいい!」


「人間賛歌は『勇気』の賛歌ッ!! 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!」


「さて! それでは、お前の能力は? まさか加速装置だけというんじゃないだろうな……あとは、どんな『力』を持っているんだ?」

「あとは……『勇気』だけだ!!」


『勇気』とは人が困難や危険を恐れず、それを自身の信念で貫く“勇ましい気持ち”のこと

人間に限らず、生き物は生きていく上で様々な困難や危険、未知に立ち向かわなければならず、例え無謀と解っていても、
一握りの可能性や自身を支える何かがあればそれを生きる力へと変える。
一歩踏み出すそれが勇気。


そして勇気を行使し、困難や試練を成し遂げた者を人々は勇気ある者勇者』と呼び、諦めない限りその力は限りない自信へと進化する。
稀に平均以上の勇気を持つ者もいる。

近い言葉として“度胸”があるが、こちらの場合は単に挑戦欲に対する気持ちであり、勇気とはまた違うものである。

また、たまに履き違えられる事があるが、考えなしに危険に飛び込んだり、つまらない見栄のためだけに危険な行動を取るのは“勇気“とは言わない。
それらの行動は“無謀““奢り“であり、無駄に自分を傷つけたり、時には周囲に迷惑をかけるだけになる事もある。
現れた敵とただ“戦う“だけが勇気ではなく、戦い続けたら自分や仲間が無駄に犠牲になると判断した時等は、悔しくても“退く“という勇気もあるのだ。


【主に勇気を行使する場面】
  • 好きな人への告白
  • 大舞台の前に立つ
  • 授業で突然指される
  • 目の前で困っている人を助ける
  • 低い成功確率を補う
  • 恐怖を我が物とし人間賛歌を謳い上げる

哲学においても考察されており、
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは
「恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり」

水戸黄門で有名な「徳川光圀」は
「戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり」
という言葉を残しており、いずれも何かに立ち向かう際に発生するものだと解釈されている


しかし、無理な勇気は「勇にして礼無ければ則ち乱す」という言葉のようにやがて誰かを傷つけるようになってしまうこともあるので過度の使用は禁物である。
もちろん二次・三次問わず、人間は成長する中で勇気を行使することが必ずあり、その成長が人としての意義や存在を決めるのもまた事実。


特にフィクションである二次では、主人公・敵・味方問わず勇気をより形にして表現することが多々ある。




強くあれ
雄々しくあれ
あなたがどこへ行くにも
あなたの神
主が共におられるゆえ
恐れてはならない
おののいてはならない
ヨシュア1章9節


追記・修正は勇気ある誓いとともに……。

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