マイケル・ジャクソン

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マイケル・ジャクソン - (2017/09/06 (水) 23:12:21) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2010/06/25(金) 00:00:52
更新日:2024/02/28 Wed 10:23:21
所要時間:約 5 分で読めます




Michael Jackson(1958-2009)
マイケル・ジャクソン

彼が一世を風靡したのは一昔前で、最近の若い世代にはピンと来ないかもしれないが、
彼の名前を、そして歌を一度も聞いたことがないという人はまずいないだろう。

そのあまりにも大きな功績から、King of POPの異名を持ち、ギネスに「史上最も成功したエンターテイナー」として登録されている。



■経歴
アメリカ・インディアナ州ゲーリーの出身。
音楽を愛する貧しい一家の七男として生まれたマイケルは、兄たちと一緒に、若干9歳にしてThe Jackson 5のヴォーカルおよびパーカッションとしてそのキャリアをスタートさせる。
地元の人気者だったJackson 5は次第にローカルの枠を飛び越え、当時押しも推されぬ最大手レーベルであったモータウンと契約。一躍スターダムを駆け上がっていった。

が、Jackson 5は次第にモータウンでの音楽活動に満足が行かなくなり、マイケルもソロデビューを考えるようになっていた。
既にモータウンを象徴する存在となっていたJackson 5は公私共にモータウンの社長とベッタリであり、タダで移籍することは出来ず、Jackson 5は一部メンバーとグループ名を変更し、以後はThe Jacksonsとして活動していくこととなった。
そして、マイケルは以前に仕事で一緒になったことがあるクインシー・ジョーンズのプロデュースによって「オフ・ザ・ウォール」でソロデビューすることになるのだった。

ここで注目しておきたいのは、つまり、マイケルは「スリラー」なんか出さなくても、この時点で十分にスターだったのである。しかも子どもの頃から。
彼がいかに規格外の存在であったかがお分かりいただけるものと思う。

ソロ第一弾アルバムである「オフ・ザ・ウォール」は大ヒット。
母体であるThe Jacksonsの人気にも大いに貢献した。
その後ソロ第二弾として出されたのが、もはや説明不要の「スリラー」である。
この時点になってくると、既に桁外れの存在になってしまったためか、Jackson 5やThe Jacksons云々を抜きにした一人のスーパースターとして見なされるようになった。



■特徴
キレッキレのダンスとハイトーンなボーカルが特徴で、特に彼の代名詞である「ムーンウォーク」は誰でも一度はやってみようとしたことがあるハズ。
また、彼に限らずR&B系のシンガーは誰でもそんな感じだが、一節歌い終えるごとに「ッダ!」「ナ゙ッ!」などと自分で自分に合いの手を入れているかのようなスキャット(フェイク)を挿入し、ここぞという時に「ヒィーッヒィ♪」「ポゥ!」と甲高いシャウトを繰り出す独特の歌唱法は世界中でネタにされた。

「オフ・ザ・ウォール」の頃は普通の黒人青年といった容姿をしていたが、「スリラー」あたりからアルバム一枚出すごとにどんどん容姿が変わっていくようになり、どう考えても整形してるようにしか見えないのに本人はこれといった明言をしなかったため、そういう点も世界中でネタにされた(後に、「声の通りを良くするため」という理由で鼻を整形したことのみ認めた)。
それどころか、容姿だけに留まらず肌まで白く変わってしまい、「リアルスリラー」「誰がBlack or Whiteだよ」などと突っ込まれた。

しかし、肌が白くなった本当の理由は白子症で、これはれっきとした病気(ストレス性の病気であると言われている)。
目立たないところから徐々に進行していったため、最初の頃はまだ黒人として振舞っていられたが、いつしかどんなにメイクしてもごまかし切れないまでに症状が進行し、こんなことになってしまった。
一緒に音楽活動をしていた彼の兄弟も、「ある日、風呂あがりのマイケルの体を見てみたら一部分だけ肌の色が違うのでビックリした(意訳)」とコメントしていたことがある。

黒人の中では結構なイケメンに分類されるマイケルがあれほどまでに整形にこだわったのは、「完璧主義者すぎて、アルバムのコンセプトに合わせていちいち自分の顔まで作り変えなければ気が済まなかったから」とも「実は父親を憎んでいたので、父親似の自分の顔が許せず、特に似ている鼻の部分を執拗に整形した」とも言われている。
また、CM撮影中のトラブルで頭部に火傷を負ってしまい、やむなく…というケースもあったため、一概にネタで済ませることは出来ない。
いずれにせよ、真相は闇の中である。



■醜聞
が、これらは現在だからこそ言えることであり、そんなことなど知られていなかった存命時は、既に「スリラー」や「BAD」の時代が過ぎて久しかったこともあってネタキャラ・過去の人・疑惑の人物として扱われ、世界中のワイドショー(日本含む)で散々笑いものにされた。
黒い噂が増えるに伴って、今まで注目されていなかった、その“心の闇”にもスポットライトが当たるようになる。

マイケルは子どもの頃からスーパースターだったが、裏を返せば、普通の子どものように無邪気に遊んだり、友達と学校に行ったりは出来なかったということ。
父親直々の超スパルタ教育によって歌手としての実力を身に付け、Jackson 5として大成するも、普通の子どもだったらまず行かないようなキャバレーで過酷なドサ回りをこなしたり、宿泊先のホテルに兄が女の子を連れ込んで一発ヤッているのを偶然目撃してしまったりと苦難の日々が続く。
また、小さい頃から活動していたこともあって、「大きくなったら可愛くなくなった」などと心無い言葉を投げつけられたこともあった。

恋愛もうまく行かなかったようで、マイケル初期の名曲(失恋ソング)である「She's out of my life」をレコーディングする際には、何度やってもガチ泣きしてしまい作業が難航したらしい。
その後も、離婚や再婚で世間を賑わしていたのはご御存知のとおり。

その後、「スリラー」や「BAD」で大成功を掴んだマイケルは、「ネバーランド」なる自分専用の遊園地を建設。
子どもの頃から仕事漬けだったマイケルは、遊園地で遊んでみたかったのだ。
そして、ネバーランドに興味を持ってくれる子どもがいれば、快く世界中から招き入れた。
マイケルは無垢な少年少女を何よりも特別に想っており、自身が製作した映画「Moon Walker」において、悪者から子ども達を救うためにスーパーロボットに変身して戦ったのは有名である。

が、彼のそんな行動は世間から好奇の目で見られ、いつしか「いいトシなのに年甲斐も無く遊園地ではしゃぎまくる整形しすぎの変なオッサン」「ショタコンの変態」というレッテルを貼られ、そしてとうとう裁判が勃発した…。



■裁判~晩年
ネバーランドに招待したとある少年に(性的な意味で)手を出したという疑いを掛けられたマイケルは少年の両親から訴えられ、裁判によってその身柄を長きに渡り拘束されることとなった。
しかし、この裁判の実態は原告側による陰謀。マイケルは釈放され、晴れて無実が証明された。
(実は、マイケルはこの他にも無実の罪により数え切れないほど訴えられている)

ネタキャラ扱いもピークを過ぎ、ほとぼりが冷めたため、世間が徐々に彼の功績を再評価しつつあった頃、マイケルはある行動に打って出る。
それが「This is it」である。

どんなに世間から笑いものにされ、身柄を拘束されても音楽への情熱を捨てていなかったマイケルは、世界ツアー・This is itの開催を発表。
これこそが人生最大、そして人生最後のライブになるだろうと高らかに宣言した。
今まで彼のことをネタキャラだと思っていた人々は、実は彼がスーパースターだったことをようやく思い出し、期待と興奮で世界は熱狂に包まれた。

マイケルはブランクを取り戻すべく特訓に明け暮れ、ライブのリハーサル等の様子を後々ドキュメンタリー映画にするためにカメラが回された。
だが……

ファイナル・カーテン・コールは幻になってしまった。
2009年6月25日、This is it公演を目前にして、彼は突然急逝した。享年50歳。
ドキュメンタリー映画「This is it」は予定通り公開されたが、そこに映っているのはリハーサルであり、“本番”が来ることは永遠にない。
斬新な演出によって観客を気絶までさせたといわれる彼のライブは、もう二度と見られなくなってしまった。

映画「This is it」は大好評。
リハーサルでこれなのだから、本番はどれほど凄いものになっていたのかが悔やまれる。

そのあまりにも突然の訃報に世界中が涙し、人々は自分達が失ったものがいかに大きかったのかを気付かされた。
その後、アルバムの再販などによっていよいよ彼の功績は再評価され、現在に至る。



■代表曲
  • Thriller(スリラー)
知名度ではおそらくこれが一位。
同名のアルバムが、"世界で一番売れたアルバム"としてギネス認定されている。
単なる「楽曲の宣伝ビデオ」に留まらない「ストーリー性のあるPV」の元祖であり、今日の「アイドルの後ろにバックダンサー」という演出を一躍世間に知らしめたPVとしても知られている。

  • BAD(バッド)
同名のアルバムがあるおかげで、知名度はスリラーに勝るとも劣らないほど。
曲の最後の「フッペー(Who's BAD?)」という決めセリフが非常に印象的であり、マイケルのスキャンダルがワイドショーなどに取り上げられたときは「悪いのは誰だ?」というニュアンスでこの一節が引用され散々ネタにされたが、元々この曲におけるBADとは“(良い意味での)傾き者”を意味し、「最高にイカしたワルはどいつだい?」という意味合いが適当である。


  • Billie Jean(ビリー・ジーン)
これ抜きに彼は語れない。
ご存知"ムーンウォーク"といえばこれ。
ライブでのパフォーマンスは必見。

  • Man In The Mirror(マン・イン・ザ・ミラー)
中期マイケルの中でも特にメッセージ性の強いバラードの名曲。
何故か知名度は低いが、"本当に"マイケルジャクソンが好きな人で人気曲のアンケート、ランキングを作るとほぼ確実に1位になり、ライブでもラストを飾ることが多かった。
この曲のPVはマイケル本人が一切出てこないという異質な内容となっているが、それでも涙腺崩壊したという人は少なくないはずである。

  • Dangerous(デンジャラス)
彼のパフォーマンスが最大限に発揮される曲で、それは見事としか言いようがない。
この頃になるとプロデューサーがクインシー・ジョーンズから別の人物に交代しているため、作風がかなり変わっているが、ファンには変わらず愛されている代表曲のひとつである。



■余談
  • 慈善活動に強い関心を示しており、ライブの収益金をすべて慈善団体に寄付したりするなど常識では考えられないような行動を重ねた結果、慈善団体への総寄付金額は約3億ドルにも及ぶといわれている。
その膨大な寄付金額から、それがギネスに載り、過去2回ノーベル平和賞にノミネートされた(受賞はしていない)。

  • あの「We Are The World」を手掛けたのも彼であり、企画自体にも深く関わったほか、自ら率先してマイクの前に立った。
(もっとも、彼がこんなに出ずっぱりになってしまったのは、参加してもらおうと思っていたプリンスが諸事情で参加できなくなり、そのぶん余計に働かされる羽目になってしまったからなのだが)
自分でもHeal The Worldのような曲を発表していることからも分かるように、強く世界平和を願った人物でもある。

  • 世界で最も売れたアルバムとして現在もギネスブックに載っている「スリラー」は、存命時は約4500万枚ほどの売上記録だとされていたが、没後「改めて調べなおしてみたら、実はとっくに一億枚以上売れてた」というトンでもない理由により売上記録が更新された。

  • 妥協を許さぬ姿勢から未発表曲を多く残していることが知られていたが、没後に改めて調査してみたら100曲以上にも上る事が分かった。
その中には、日本のテクノポップグループ・YMOの代表曲である「Behind the mask」のカバーがあるらしい…という噂が永年に渡って語り継がれていたが、とうとう実在することが証明された。

それらの楽曲を収録した新アルバム『MICHAEL』が、2010年12月14日(日本盤は15日)、満を持して発売された。
Michael Jackson公式サイトでは収録曲の"Braking News"が11月8日、音源からそのままのfullバージョンで一週間限定で配信された。

  • 日本製品びいきであったことでも有名。特にトイレの便器については「日本のメーカーのものこそ、使う人のことを本当によく考えられて作られている」と感銘を受け、自身の周りのトイレには日本製のものをずっと使いつづけたという。日本のゲームも大好きで、特に大のセガ贔屓であったことも知られる。自身も大型筐体を含む沢山のアーケードゲームを購入しており、博物館にしてもいいほどのラインナップである。

追記・修正お願いします。

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