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マイケル・ジャクソン

登録日:2010/06/25 Fri 00:00:52
更新日:2026/08/04 Tue 15:26:34
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Michael Jackson(1958-2009)


マイケル・ジャクソンとは、アメリカの男性アーティスト。

亡くなってから15年以上経つが、その名前を、そして歌を一度も聞いたことがないという人はまずいないだろう。

そのあまりにも大きな功績から、King of POPの異名を持ち、ギネス世界記録に「史上最も成功したエンターテイナー」として登録されている。

+ 目次

■人物・経歴

アメリカ合衆国・インディアナ州ゲーリーの出身。妹にジャネット・ジャクソンがいる。
音楽を愛する貧しい一家の七男として生まれたマイケルは、兄たちと一緒に、若干9歳にして「ジャクソン5」のヴォーカルおよびパーカッションとしてそのキャリアをスタートさせる。

地元の人気者だったジャクソン5は次第にローカルの枠を飛び越え、当時の新興人気レーベルであったモータウンと契約。一躍スターダムを駆け上がっていった。
勢いに乗ってマイケルら兄弟達のソロデビューもこの時期に果たしている。

が、ジャクソン5はアイドル路線で売り出していたモータウンでの音楽活動にだんだん満足が行かなくなり、CBSレコード(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍。
しかしモータウンを象徴する存在となっていたジャクソン5は公私共にモータウンの社長とベッタリで、タダで移籍することは出来ず、ジャクソン5は一部メンバーとグループ名を変更し*1、以後はジャクソンズとして活動していくこととなった。

移籍後の初アルバムも好調で勢いに乗るジャクソンズだったが、マイケル自身はソロ活動として以前に仕事で一緒になったことがあるクインシー・ジョーンズのプロデュースのもと『オフ・ザ・ウォール』を発表。
他人が作った物を歌うだけだった今までのアルバムとは違い、マイケル自身も制作陣の一人として作詞・作曲などに携わった。そのため、マイケルの本当のソロ活動はここから始まったと言われる事が多い。

この”1st”アルバム「オフ・ザ・ウォール」は大ヒットし、母体であるジャクソンズの人気にも大いに貢献した。
ここで注目しておきたいのは、マイケルは『スリラー』抜きでも、この時点で十分にスターだったのである。しかも子どもの頃から。
彼がいかに規格外の存在であったかがお分かりいただけるものと思う。

その次に出されたソロアルバムが、もはや説明不要の「スリラー」である。
この時点になってくると、既に桁外れの存在になってしまったためか、ジャクソン5やジャクソンズ云々を抜きにした一人のスーパースターとして見なされるようになった。
特にキレッキレのダンスとハイトーンなボーカルが特徴で、特に彼の代名詞である「ムーンウォーク」は誰でも一度はやってみようとしたことがあるハズ。
また、彼に限らずR&B系のシンガーは誰でもそんな感じだが、一節歌い終えるごとに「ッダ!」「ナ゙ッ!」などと自分で自分に合いの手を入れているかのようなスキャット(フェイク)を挿入し、ここぞという時に「ヒィーッヒィ♪」「ポゥ!」と甲高いシャウトを繰り出す独特の歌唱法も特徴的。

1987年には『バッド』を販売。収録曲がほぼ全てマイケルによる自作曲となり、皆の知るマイケルのイメージがほぼ確立された。
本人が目指していたスリラー超えこそは果たせなかったものの、こちらもかなりの枚数を売り上げた。同時期には初の単独ツアーである「バッド・ワールド・ツアー」の実施、自身が製作総指揮を務めたミュージカル映画『ムーンウォーカー』を公開し、活動の幅は更に広がっていった。

慈善活動に強い関心を示しており、ライブの収益金をすべて慈善団体に寄付したりするなど常識では考えられないような行動を重ねた結果、慈善団体への総寄付金額は約3億ドルにも及ぶといわれている。その膨大な寄付金額がギネスに載り、過去2回ノーベル平和賞にノミネートされた程。
USAフォー・アフリカの「We Are The World」を手掛けたのも彼であり、企画自体にも深く関わったほか、自ら率先してマイクの前に立った。尤も、彼がこんなに出ずっぱりになってしまったのは、参加してもらおうと思っていたプリンスが諸事情で参加できなくなり、そのぶん余計に働かされる羽目になってしまったからなのだが。
自分でも「Heal The World」のような曲を発表していることからも分かるように、強く世界平和を願った人物でもある。


■醜聞

が、これらは現在だからこそ言えることであり、そんなことなど知られていなかった存命時は、既に「スリラー」や「BAD」の時代が過ぎて久しかったこともあってネタキャラ・過去の人・疑惑の人物として扱われ、世界中のワイドショー(日本含む)で散々笑いものにされた。
黒い噂が増えるに伴って、今まで注目されていなかった、その“心の闇”にもスポットライトが当たるようになる。

マイケルは子どもの頃からスーパースターだったが、裏を返せば、普通の子どものように無邪気に遊んだり、友達と学校に行ったりは出来なかったということ。
父親直々の超スパルタ教育によって歌手としての実力を身に付け、ジャクソン5として大成するも、普通の子どもだったらまず行かないようなキャバレーで過酷なドサ回りをこなしたり、宿泊先のホテルに兄が女の子を連れ込んで一発ヤッているのを偶然目撃してしまったりと苦難の日々が続く。
また、小さい頃から活動していたこともあって、「大きくなったら可愛くなくなった」などと心無い言葉を投げつけられたこともあった。

見た目に関しても様々な噂が立っていた。「オフ・ザ・ウォール」の頃は普通の黒人青年といった容姿をしていたが、「スリラー」あたりからアルバム一枚出すごとにどんどん容姿が変わっていくようになり、どう考えても整形してるようにしか見えないのに本人はこれといった明言をしなかった*2
それどころか、容姿だけに留まらず肌まで白く変わってしまい、「白人に憧れて白くしたらしい」「誰がBlack or Whiteだよ」などと突っ込まれた。

しかし、肌が白くなった本当の理由は「尋常性白斑」で、これはれっきとした病気である。詳しい原因は不明だが、遺伝も関係していると言われており、実際、マイケルの親族の中にも同じ症状を患っていた人が数名いる。
目立たないところから徐々に進行していったため、最初の頃はまだ黒人として振舞っていられたが、いつしかどんなにメイクしてもごまかし切れないまでに症状が進行し*3、別人のような真っ白の姿に変わり果ててしまった。
一緒に音楽活動をしていた彼の兄弟も、「ある日、風呂あがりのマイケルの体を見てみたら一部分だけ肌の色が違うのでビックリした(意訳)」とコメントしていたことがある。

黒人の中では結構なイケメンに分類されるマイケルがこれほどまでに整形にこだわったのは、「完璧主義者すぎて、アルバムのコンセプトに合わせていちいち自分の顔まで作り変えなければ気が済まなかったから」とも「実は父親を憎んでおり、父親似の自分の顔が許せず、特に似ている鼻の部分を執拗に整形した」とも言われている。
また、とあるCMを撮影していた際にトラブルで髪の毛に引火して大火傷を負うという憂き目に遭い、それで病院に搬送された際に何かしらの整形措置を受けた可能性は十分にある。

恋愛もうまく行かなかったようで、マイケル初期の名曲(失恋ソング)である「She's Out Of My Life(あの娘が消えた)」をレコーディングする際には、何度やってもガチ泣きしてしまい作業が難航したらしい。
その後も、離婚や再婚で世間を賑わしていたのはご御存知のとおり。

その後、「スリラー」や「バッド」で大成功を掴んだマイケルは、「ネバーランド」なる自分専用の遊園地を建設。
子どもの頃から仕事漬けだったマイケルは、遊園地で遊んでみたかったのだ。
そして、ネバーランドに興味を持ってくれる子どもがいれば、快く世界中から招き入れた。

が、彼のそんな行動は世間から好奇の目で見られ、いつしか「いいトシなのに年甲斐も無く遊園地ではしゃぎまくる整形しすぎの変なオッサン」「ショタコンの変態」というレッテルを貼られ、そしてとうとう…


■裁判~晩年

ネバーランドに招待したとある少年に(性的な意味で)手を出したという疑いを掛けられたマイケルは少年の両親から訴えられ、裁判によってその身柄を長きに渡り拘束されることとなった。
しかし、この裁判の実態は原告側による陰謀。容疑全てに信憑性が認められなかった事からマイケルは釈放され、晴れて無実が証明された*4

ネタキャラ扱いもピークを過ぎ、ほとぼりが冷めたため、世間が徐々に彼の功績を再評価しつつあった頃、マイケルはある行動に打って出る。それが『THIS IS IT』である。

どんなに世間から笑いものにされ、身柄を拘束されても音楽への情熱を捨てていなかったマイケルは、世界ツアー『THIS IS IT』の開催を発表。
これこそが人生最大、そして人生最後のライブになるだろうと高らかに宣言した。
今まで彼のことをネタキャラだと思っていた人々は、実は彼がスーパースターだったことをようやく思い出し、期待と興奮で世界は熱狂に包まれた。

マイケルはブランクを取り戻すべく特訓に明け暮れ、ライブのリハーサル等の様子を後々ドキュメンタリー映画にするためにカメラが回された。

だが…ファイナル・カーテン・コールは幻になってしまった。
2009年6月25日、『THIS IS IT』公演を目前にして、彼は突然急逝した。享年50。
当時メディアで発表された公式な死因は、「ライブの練習があるのに寝つきが悪く、眠れないことに焦り、反対する医師を押し切って大量の睡眠薬や麻酔薬を服用し続けたことによる薬物中毒死」*5
前述の大火傷を負った際に痛みに悩まされ、鎮痛剤や麻酔薬に依存するようになったり重度の不眠症に陥っていたとも言われているが、直接的なきっかけは「睡眠不足で満足に練習に打ち込めない自分が許せない」という、彼の完璧主義な一面が招いた不幸な最期であった。
また、当初は10公演だったのがチケットが即完したことでマイケルに了承を得ないまま 50公演 まで増えた(こちらも即完)ことも彼に精神的重圧を与えた要因であると言われている。

ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』は予定通り公開されたが、そこに映っているのはリハーサルであり、“本番”が来ることは永遠にない。
斬新な演出によって観客を気絶までさせた*6といわれる彼のライブは、もう二度と見られなくなってしまった。

映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』は大好評。
リハーサルでこれなのだから、本番はどれほど凄いものになっていたのかが悔やまれる。

あまりにも突然の訃報に世界中が涙し、人々は自分達が失ったものがいかに大きかったのかを気付かされた。
その後、アルバムの再販などによっていよいよ彼の功績は再評価されている。

2026年には氏の伝記映画「Michael/マイケル」が公開された。主演を務めるのはマイケルの甥であるジャファー・ジャクソン。
予告編で公開された映像からは早くも「不気味なほど叔父にそっくり」「この役を引き受けられるのは彼しかいない」と絶賛されている。


■アルバム

  • Got to Be There(ガット・ビー・ゼアー)/1971年
  • Ben(ベンのテーマ)/1972年
  • Music and Me(ミュージック・アンド・ミー)/1973年
  • Forever, Michael(フォーエヴァー・マイケル)/1975年
  • Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)/1979年
  • Thriller(スリラー)/1982年
  • Bad(バッド)/1987年
  • DANGEROUS(デンジャラス)/1991年
  • HIStory: Past, Present and Future, Book I(ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1)/1995年
  • Blood On The Dance Floor: HIStory In The Mix(ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア: ヒストリー・イン・ザ・ミックス)/1997年
  • Invincible(インヴィンシブル)/2001年


■代表曲

  • Don't Stop 'Tli You Get Enough(今夜はドント・ストップ)
マイケルが皆の知るような路線になってから最初に出された楽曲で、「ポゥ!」という高音シャウトはこの頃から健在。
この頃はPVも割と平凡な内容で、マイケルのダンスもまだ人間のレベルなのが今見ると微笑ましい。
マイケルはソロデビュー1作目でビルボード誌週間ランキング1位1980年度グラミー賞「最優秀男性R&Bヴォーカル賞」アメリカン・ミュージック・アワードでは4部門の賞を受賞した。
なろう系?ぼくのかんがえたさいきょうのアーティスト??いいえ。ご覧の光景は現実です。

日本ではスズキのスクーター「ラブ」のCMソングで使用され、マイケル本人もCMや広告で登場している。


  • Billie Jean(ビリー・ジーン)
ご存知"ムーンウォーク"が世に広まったきっかけとなった楽曲であり*7、これ抜きに彼は語れない。
歌詞は「根も葉もない言いがかりに苦しめられる恐怖」をテーマにしたものとなっており、マイケル自身の人生もだいたいそんな感じのものとなってしまった。実在した恋人をテーマにした曲との説もある。
また、この頃からPVの内容が徐々に豪華になっていったが、背景がパネルに描いた絵であったりする等細かいところはまだ微妙に低予算だったりする。

企画当初は音楽専門チャンネルMTVに放送を依頼したが、MTV側は「黒人だから」という理由でこれを拒否。
その態度にマイケルの所属していたCBSレコードの社長ウォルター・イエトニコフ氏はブチギレ。
「今から10分以内にマイケルの「Billie Jean」のMVを流してくれ。もし流さないなら、うちに所属するすべての白人アーティストをMTVから引き上げさせ、今後二度とそちらとは商売しない。なに?他のお偉方と白人スポンサーが黙ってない?知るかボケェ!!(要約)」
と、マイケルと心中する覚悟で交渉したのである。
MTV社もマイケルとウォルター社長の脅迫熱意に折れてマイケルのMVを放送した所、驚異的な視聴率と、アルバムの爆発的大ヒットを記録。
この決断がCBSレコードはもちろんの事、MTV社にも莫大な利益をもたらしたのは言うまでもない。
それからはMTVもメカゴジラの如くの熱烈な掌返しで、マイケルのMVはもちろん、他の非白人系アーティストのMVも積極的に放送するようになった。
当時根強かった人種差別の壁のひとつを破壊した瞬間であった。
ライブでのパフォーマンスは必見、ステージは彼のためにある。

ゲーム「Grand Theft Auto:Vice City」のラジオで流れる曲の1つとしてもおなじみ。残念ながら、iOS版とトリロジー版では版権関係で削除されている。


  • Beat It(今夜はビート・イット)
当時はまだ珍しかった、R&Bにハードロック的要素を加えた楽曲。ギター演奏はエディ・ヴァン・ヘイレンらが担当している。
曲調こそ勇壮な感じであるが、歌詞の内容は「揉め事に首を突っ込んで何になる」「勝てないと分かっている喧嘩ならするな」という、まさに「逃げるは恥だが役に立つ」を地で行くようなものとなっており、非戦や反戦の大切さを訴えた楽曲でもある。
不良グループの喧嘩をダンスで解決してしまうという有名なPVは、マイケルが個人的に好きだったミュージカル映画「ウェストサイド物語」のパロディ。

マイケルの意向により、PVに出てくる人物は一部を除き全員が本物の不良やマフィアの皆さんである。
そのせいか制約が厳しく、ダンスシーンは完全一発録りで撮影されたため、振り付けの細かいところは意外と間違えている人もいる。
『今夜はビート・イット』のパロディ、『今夜はイート・イット』を歌ったのは?」「アル・ヤンコビック


  • Thriller(スリラー)
知名度ではおそらくこれが一位。ゾンビによるダンスが有名。同名のアルバムが"世界で一番売れたアルバム"としてギネス認定されている。
単なる「楽曲の宣伝ビデオ」に留まらない「ストーリー性のあるPV」の元祖であり、本作をきっかけにマイケルのPVは"プロモーションビデオ"ではなく"ショートフィルム"と呼称されるようになった(この項目では便宜上PVで統一しているが)。
そのため、アメリカ国立フィルム登録簿にもPVで唯一収蔵されている。
「アイドルの後ろにバックダンサー」という構図を一躍世間に知らしめたPVとしても知られている。
PVの内容は、やはりマイケルが個人的に好きだった「狼男アメリカン」を始めとしたホラー映画のパロディ。
あまりに有名になりすぎたこともあり、「このPVは超常現象の実在性を主張するためのものではない(意訳)」とマイケル本人が公式声明を出すにまで至った。

PVではAメロBメロを繰り返しラストにサビを持ってくるという構成になっており、アルバム収録版とは異なっている。
現在ではハロウィンの定番曲となっている。ダンスも一種の伝統行事として世界中で踊られており、日本では盆踊りの曲として選ばれることも。


  • BAD(バッド)
残念ながらリリース当時の評論家からの評価は散々であったが、同名のアルバムがあるおかげで知名度はスリラーに勝るとも劣らないほど。
曲の最後の「フッベー(Who's BAD?)」という決め台詞が非常に印象的であり、マイケルのスキャンダルがワイドショーなどに取り上げられたときは「悪いのは誰だ?」というニュアンスでこの一節が引用され散々ネタにされたが、元々この曲におけるBADとは“(良い意味での)傾き者”的なニュアンスであり、「ただの“悪人”にはなるな」「俺のようなイカした“ワル”であれ」というメッセージが込められた曲になっている。
曲中の「Come on」という歌詞の発音が特徴的すぎて「シャモォン」に聞こえてしまうとしばしばネタにされており、どうやら日本だけでなく海外の幅広い層がそう感じていたらしく、今なおYouTubeのコメント欄などでネタにされているのが確認できる。
実はこの曲も本来はある事件を元にしたストーリー仕立ての長編PVなのだが、省略されていない完全版を観られる機会は少ないため知っている人は少ない。
現在ではYoutubeの公式チャンネルで配信されており観るのが容易になったので、興味があれば視聴する事をオススメする。


  • Man In The Mirror(マン・イン・ザ・ミラー)
中期マイケルの中でも特にメッセージ性の強いバラードの名曲。
並みいる名曲に比べると知名度がやや低いが、"本当に"マイケル・ジャクソンが好きな人で人気曲のアンケートやランキングを作るとほぼ確実に1位になり、ライブでもラストを飾ることが多かった。
「Man In The Miror」というのは「鏡の中の男」、つまり自分自身を指しており、“自分自身をより良く変えること”という視点から反戦や世界平和を表現した内容となっている。
この曲のPVはマイケル本人が殆ど出てこないという異質な内容となっているが、それでも涙腺崩壊したという人は少なくないはずである。
漫画ジョジョの奇妙な冒険 Part5 黄金の風』の登場人物・イルーゾォが使役するスタンド名の元ネタでもある。


  • Smooth Criminal(スムース・クリミナル)
両脚をまっすぐに伸ばしたまま極端な前傾姿勢を披露するパフォーマンス、"ゼロ・グラヴィティ(Anti-gravity lean)"が生まれたきっかけとなった曲。
このゼロ・グラヴィティにはトリックがあり、ライブで披露する際には専用の靴を履き、踵にフックを装着して体を支える仕組みが使われている(特許出願済み)。
だがフックはあくまで支えであり、実際に披露するには優れた体幹と筋力も必要である。道具さえあれば素人でも簡単に出来るわけではなく、実際マイケル本人でさえ本番で失敗してしまったことがある(せっかく出願した特許も、使ってもらえたことは殆どなかったらしい)。
なお、このゼロ・グラヴィティは1988年のリリース当初は上体が起きていたが、1992年→1997年にかけて段々と垂直になっていく進化が見られる。

世間の人が真っ先に思いつくであろう、マイケルの「上下白のスーツに青いYシャツと白の帽子」という格好はこの曲で使われていた衣装である。
また、某番組で「パン!茶!宿直!」や「朝からちょっと運動 表参道 赤信号」「柴又から堤防 イカ寿司 朝寝坊」という有名な空耳ネタを幾つも輩出した。
映画『ムーンウォーカー』は、この曲のPVの長編バージョンといえなくもない。


  • Dangerous(デンジャラス)
彼のパフォーマンスが最大限に発揮される曲で、それは見事としか言いようがない。
同名のアルバムのラストを飾る曲でもある。
プロデューサーは長年お馴染みだったクインシー・ジョーンズから、新ジャンル「ニュー・ジャック・スウィング」を流行らせた立役者として知られるテディ・ライリーに交代しており、当時の流行りを反映させた作風へと大きく変わったが、ファンには変わらず愛されている代表曲のひとつである。


  • Black Or White(ブラック・オア・ホワイト)
「デンジャラス」の収録曲のひとつにしてヒットシングル曲。
同作の収録曲は、先述したように前作までと作風が変わり、全体的に硬派な曲調のものが多かった中で、昔ながらの雰囲気を残したポップな曲調であったためか一般的な認知度がとりわけ高い。
やはりというべきかPVも印象的で、「ホーム・アローン」の人気子役であったマコーレー・カルキンをメインに据え、“人種の垣根を超えて世界中の人々が仲良く過ごす”というテーマを表現すべく、当時最先端のCG技術であったモーフィング(ちなみに費用はメチャクチャ高かったらしい)が使用されている。


  • Earth Song(アース・ソング)
メッセージ性の強いエネルギッシュな曲で、曲に合わせた強烈なPVも話題になった。生前最後(亡くなる前日)に歌われた曲でもある。


  • Scream(スクリーム)
妹のジャネット・ジャクソンとのデュエット。
当時最先端のCG技術を使って作られたPVの制作費は約1,180万ドルで、制作費が最もかかったPVとしてギネス世界記録にも認定されている。何故かPV中では『バビル2世』や『AKIRA』等の日本のアニメの映像が使用されている。


  • You Rock My World(ユー・ロック・マイ・ワールド)
21世紀に入ってから出された最初の曲。従来のマイケルらしさを大切にしつつも、現代的なサウンドになっている。この曲のPVがマイケル自身が出演した最後のものとなった。

ここではマイケルのソロ曲を紹介したが、ライブでは独立後もジャクソン5・ジャクソンズの歌を披露している。


■役者・キャラクターとしての出演

歌手・ダンサーとしてのイメージが強いマイケルだが、その活動はミュージック・ビデオの枠を飛び出し、ゲームへの出演という形でも結実している。
ここでは音楽活動以外で“役者”あるいは“キャラクター”として関わった作品を紹介する。
マイケル側から「出たい!」とごり押しした結果として客演したものも少なくない。

▼映画

  • ウィズ(The Wiz)/1978年
往年の名作『オズの魔法使い』をオール黒人キャストでミュージカル化した作品で、マイケルはカカシ役を演じた。
彼にとって唯一の本格的な俳優としての出演作。
そして何より、本作の音楽を手掛けていたのがクインシー・ジョーンズであり、ここでの出会いが後の『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』という黄金タッグへと繋がっていく。マイケルのキャリアにおける重要な転機となった一作。

  • キャプテンEO/1986年
ディズニーランドの立体映画アトラクション。
暗黒の星へとたどり着いたキャプテンEOと仲間たちが、歌やダンスで暗黒の星を開放する短編で、製作総指揮をジョージ・ルーカス、監督はフランシス・フォード・コッポラが務める豪華なもの。1986年にアメリカの2カ所でオープンし、日本でも本国から遅れること1年後の1987年にオープンした。
1990年代後半に全世界で一旦営業を終えたが、マイケル没後の2010年から期間限定で復活を果たしていた。

  • ムーンウォーカー/1988年
マイケル自身が製作総指揮兼主演を務めた音楽映画。
マイケルは冒頭逃走するために自動車、終盤には悪者から子ども達を救うために巨大ロボットに変身して戦ったのは有名。
このシーンは迷場面として好事家からよくネタにされる実際に観てもまずネタにしか見えないが、マイケルはこんな映画を作るほど子ども達のためのスーパーヒーローになりたいと大真面目に考えていたという風に捉えられなくもない。
ちなみに変形する自動車は1970年にイタリアのランチアが発表したコンセプトカー「ランチア・ストラトス・ゼロ」。1970年代にラリーでブイブイ言わせたスーパーカーのプロトタイプである。

  • ゴースト(Ghosts)/1996年
約40分の中編映画(ショートフィルム)。マイケルが1人5役を演じ分けている。
原案にホラー小説の大家スティーヴン・キング、特殊メイクに『ターミネーター』『ジュラシック・パーク』のスタン・ウィンストンが参加しており、子どもを脅かす偏見に満ちた町長と、屋敷に棲むマエストロ(マイケル)との対決が描かれる。マイケル自身が浴びせられた偏見や中傷が下敷きになっているとも言われる。

  • メン・イン・ブラック2/2002年
ウィル・スミス主演のSFコメディ。マイケルはMIB入りを熱望する宇宙人「エージェントM」としてカメオ出演している。

▼ゲーム

ゲーム好き、とりわけ大のセガ贔屓であったことから、その縁でいくつもの作品に関わっている。

  • マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー/1990年(セガ)
映画『ムーンウォーカー』を基にしたアクションゲーム。アーケードで大成功を収め、メガドライブなど家庭用にも移植された。

  • マイケル・ジャクソン・イン・スクランブルトレーニング/1993年(セガ)
セガのテーマパーク「ジョイポリス」に設置された8人乗り大型ライドマシン『AS-1』専用の映像作品。

  • スペースチャンネル5/1999年・スペースチャンネル5 パート2/2002年(セガ)
水口哲也が手掛けたリズムアクション。マイケルが「スペースマイケル」役で声付き出演した。出演の経緯については「日本との関係」の項を参照。

  • マイケル・ジャクソン ザ・エクスペリエンス/2010年(ユービーアイソフト)
没後にリリースされた、彼の楽曲とダンスで遊ぶリズムゲーム。様々な機種で展開された。早い話、マイケル・ジャクソン版「ジャストダンス」である。


また、マイケル関係のゲームではないものの1994年にメガドライブで発売された『ソニック・ザ・ヘッジホッグ 3』は、一部の楽曲にマイケル本人が関わっている楽曲があるらしいと噂されていたが近年になって、ようやく本人が関わっていた事が判明している。
マイケル本人が関わった楽曲は「Competition」「Carnival Night Zone Act 1」「Carnival Night Act 2」「Ice Cap Act 1」「Ice Cap Act 2」「Launch Base Act 1」「Launch Base Act 2」「Act 1 Boss」「Ending(ソニック3単体時でゲームクリアした際に流れる)」となっている。しかし、SEGAとのライセンス契約が終了してしまったのが原因か2022年に発売されたコレクション作品『ソニック オリジンズ』では一部マイケルが関わった楽曲が差し替えられている。


■日本との関係

日本製品びいきであったことでも有名で、特にトイレの便器については「日本のメーカーのものこそ、使う人のことを本当によく考えられて作られている」と感銘を受け、自身の周りのトイレには日本製のものをずっと使い続けたという。
日本のゲームも大好きで、特に大のセガ贔屓であったことも知られる。自身もR-360など大型筐体を含む沢山のアーケードゲームを購入しており、博物館にしてもいいほどのラインナップである。
これが縁となり、前述の「ムーン・ウォーカー」のゲーム版もSEGAが製作している。また、この契約段階では複数のゲームソフトを出す予定があり、上記した醜聞の影響でセガ側が契約をうやむやにしていた埋め合わせも兼ねて、同社のダンスゲーム「スペースチャンネル5」シリーズにも声付きで出演している。

マイケル自身は1973年(ジャクソン5の公演)に初めて来日してからほぼ10年に一回以上、日本に訪問していた。初の単独ワールドツアーである「Bad World Tour」の最初の開催地は東京の後楽園球場で行われた他、『SMAP×SMAP』にも出演もした事がある。
また、2007年の来日時には家電量販店のビックカメラ有楽町店を閉店後の22時から2時間貸し切ったうえで買い物したことでも話題となった。

国内でも大小問わず多数のパロディが作られたが、中でも有名なパロディが『とんねるずのみなさんのおかげです』で放送されたもの。1987年の来日を機にPVの完コピパロディが何本か制作され、木梨演じるマイケルのダンスのキレの良さは今なお伝説的。
マイケルが死去した際には、追悼として後継番組の「みなさんのおかげでした」内で再放送が実施されている。

また、1987年の「バッド・ワールド・ツアー」日本公演の際、マイケルの専属シェフを務めたのは高谷敏雄という日本人であった。
元々はアメリカ人の女性シェフが同行していたのだが、夜遊びがたたって風邪をひき、それをマイケルに移してしまったために大阪公演が延期となり解雇。急遽後任を探していたところ、軽井沢のホテルで料理長を務めていた高谷に白羽の矢が立った。
マイケルは厳格なベジタリアンであるうえに極端な少食で、しかも食事中は誰も部屋に入れず好みを知る者もいなかったため、栄養を摂ってもらうべく毎食20品近くを用意するなど高谷は試行錯誤を重ねた。前任者が残した食材から「豆を好むのでは」と推理したのが突破口となり、豆腐の味噌汁などが気に入られたという。この時に高谷が考案した豆腐ハンバーグは、マイケルに愛された“幻の料理”として知られる。

■功績

  • アメリカンフットボールの一大イベントでありアメリカ国民にとっての国民的行事ともいえるNFLのスーパーボウルでは、有名アーティストによるハーフタイムショーも非常に注目される。アーティスト側にとってもこのショーを担当することは「超一流と認められた証」であり大変名誉なこととされているが、この潮流を作り出したのもマイケルである。
    1993年、ハーフタイムになるとスーパーボウルの中継の視聴率がガタ落ちすることを懸念していたNFLが、その時間を活用し注目を集めるべくマイケルにパフォーマンスをするよう依頼*8、ライブが開催できないような世界各地の駐留米軍にも自らの歌って踊る姿を放送を通じ届けられると知ったマイケルはこれを承諾。
    ステージに登場してから90秒間微動だにせず仁王立ち、観客の興奮を煽りに煽ってからゆっくりサングラスを外しスタートしたライブは大盛り上がり、NFLの目論見通り視聴率も「本筋」たる試合の前半よりも10%近く高くなった。
    全世界的に評価されたこのパフォーマンス以降、ハーフタイムショーもスーパーボウルの重要な一要素かつアーティストの晴れ舞台として認識されるようになった。
  • 世界で最も売れたアルバムとして現在もギネスブックに載っている「スリラー」は、存命時は約4500万枚ほどの売上記録だとされていたが、没後、「改めて調べなおしてみたら、実はとっくに1億枚以上売れてた」というトンでもない理由で売上記録が大幅に塗り替えられていた時期がある。後年、この数字は流石に“盛り過ぎ”だったと発覚したらしく、常識的な売上記録へと再度更新されることとなった。

■余談

  • 著名なペットはチンパンジーの「バブルス」。飼い始めた80年代後半頃はいつも傍におり、日本公演時にも一緒に旅をしていた。
    だが年を経るにつれ段々狂暴になりネバーランド内で飼っても手に余ると噂される様になり*9、2005年にマイケルの元を離れ飼育費はマイケルが負担する形で委託。マイケルの死後も施設内で群れのボスとして、2026年現在においても元気にやっているという。
    ちなみに前述したとんねるずのパロディでは石橋がバブルスに扮しており、当時の常連ゲストだった小泉今日子も女バブルスに扮してマイケルとは無関係なスピンオフコントが何本か作られた。
  • 妥協を許さぬ姿勢から未発表曲を多く残していることが知られていたが、没後に改めて調査してみたら100曲以上にも上る事が分かった。
    その中には、日本のテクノポップグループ・YMOの代表曲である「Behind the mask」のカバーがあるらしい…という噂が永年に渡って語り継がれていたが、とうとう実在することが証明され、2010年の「MICHAEL」にアレンジバージョン、2022年の「スリラー40周年記念盤」にオリジナルバージョンが収録された。
  • King of POPの二つ名で知られているが、その謙虚な人柄ゆえに、自分から進んでKing of POPと名乗るようなことは殆どなかった。が、自分のその肩書きが何か人々にプラスの影響を与えたり、社会の役に立てられると感じたときなら話は別で、先述の「スペースチャンネル5」制作のためにセガのスタッフと打ち合わせをしていたときは、「King of POPとして、何かもっと子ども達に夢を与えられるような場面を用意してほしい」といった旨の提案をしきりに発言していたという証言が残っている。
  • Queen Of POPと呼ばれるマドンナとはデートをした事もある仲だが、デート中、真面目なマイケルに悪い言葉を言わせてみようと試みたマドンナにマイケルは苦手意識を少なからず持っていた様子。ただし仲が悪かった訳ではなく、「イン・ザ・クローゼット」のデュエット相手の候補には当初マドンナが挙がっていた。マイケルの没後にはマドンナがMTVの授賞式で感動的な追悼スピーチもしている。ちなみにマドンナとは同じ1958年の8月生まれで、プリンスも同じ1958年生まれである(こちらは6月生まれ)。
  • イギリス人の男性記者で同姓同名の人物がおり、マイナーだったビールの普及に尽くしたことから、彼は「King of Hop」の異名を取る。
  • 吾峠呼世晴の漫画『鬼滅の刃』のキャラクターである鬼舞辻無惨は、作中初めて登場した際の出で立ちがマイケルそっくりで同作の海外のファンにもそう呼ばれることがある。
  • 2024年放送のスーパー戦隊シリーズ『爆上戦隊ブンブンジャー』では、宇宙暴走族「ハシリヤン」のボスにして本作のラスボスワルイド・スピンドー(CV:遊佐浩二)が登場する。名前自体は映画『ワイルド・スピード』をもじったものだが、その出で立ちは誰がどう見ても「スリラー」のPV期のマイケルそのもの。星々の悲鳴を「ギャーソリン」と称してエネルギー源とする悪役で、ペットの猿を連れている*10など、その造形には薬物依存疑惑なども含めてマイケルの“晩年のイメージ”を巧みに落とし込んだ要素が散りばめられている。あまりにモチーフが分かりやすいため、放送当時は特撮・音楽双方のファンの間で大いに話題となった。
  • 子役時代から働きづめで、普通の子どものように友達と遊んだり買い物をしたりという経験に乏しかったマイケルは、「いつか普通の人のようにスーパーマーケットで買い物がしてみたい」という、ささやかな願いを抱いていた。
    そこで2003年頃、ショッピングモールを所有していた友人が一計を案じ、スーパーを丸ごと貸し切ったうえで知人らを一般客のフリをさせて並ばせ、マイケルに“ごく普通の買い物体験”をプレゼントしたというエピソードが残っている。




追記・修正はムーンウォークをマスターしてからお願いします。

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最終更新:2026年08月04日 15:26

*1 メンバーの一人であるマイケルの兄・ジャーメインが社長の娘と結婚していたため。そのため彼は脱退することになり(後に復帰)、代わりに弟のランディが新しく加入している。

*2 後に、「声の通りを良くするため」という理由で鼻を整形したことのみ認めた。

*3 マイケルは「アメリカ大統領と握手を交わした際にも愛用の手袋を外さなかった」ということで無礼だとバッシングを受けた時期があったが、その理由は手袋の下の肌の色が変わってしまっていたからであった。その秘密を隠していたため、誤解でバッシングされることになってしまった。

*4 実はマイケルはこの他にも無実の罪により、数え切れないほど訴えられている。

*5 尤も彼の死には不可解な点も多く、公表された死因が事実かも疑わしいとのことで、その死の真相や責任の所在を巡って裁判も起こっている。

*6 特に有名なのは、後にソフト化された「ライヴ・イン・ブカレスト」における一幕。本来の予定よりも登場を敢えて1時間以上も遅らせ、満を持してステージに登場してからも「凍り付いたようにその場から動かない」という二段構えの焦らしテクを敢行。観客には絶叫にも近い歓声をあげた挙句に失神する者が続出し、最短記録では2分55秒で失神した観客が確認されている。

*7 1983年3月25日にカリフォルニア州パサディナで行われた、モータウン25周年コンサートでサプライズ枠の新曲として初披露された。ジャクソン5として久々に兄弟たちと往年の名曲のメドレーを繰り広げた後、それを更に上回るインパクトの歌とダンスを披露したわけで、その衝撃たるや推して知るべし。

*8 元々ライブ自体は実施していたもののマイケルのような大物アーティストは出演しておらず注目されていなかった。

*9 バブルスに限らず大人のチンパンジー自体が非常に凶暴であるため、これに関しては「マイケルが途中で投げ出した」と責めるのはお門違いであろう。詳しくはチンパンジーの項目を参照。

*10 愛猿バブルスを想起させる。