ダウンタウン(お笑いコンビ)

「ダウンタウン(お笑いコンビ)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ダウンタウン(お笑いコンビ) - (2016/02/13 (土) 23:50:43) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/05/27(金) 09:29:03
更新日:2024/01/11 Thu 15:08:25
所要時間:約 3 分で読めます




よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属のお笑いコンビ。日本を代表するお笑いコンビの一つ。

二人は尼崎市立潮小学校からの友人であった。
1982年4月、浜田が松本を誘って吉本の芸人養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に入学。大阪NSC一期生(漫才コース選択)となる。
同期はトミーズ、ハイヒール、内場勝則など。
コンビ名は当初「松本・浜田」「ひとし・まさし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変遷していたが、
1983年5月、松本が喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字から、今まで続く「ダウンタウン」となった。

1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した初の看板番組『4時ですよーだ』で、関西にてブレイク。
1989年10月には、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が関東ローカルで始まり、
そして1991年に始まったゴールデンでのコント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』によって国民的な人気を得る。


■構成メンバー

◆浜田雅功

子ゴリラ。前田敦子。唇お化け
主にツッコミ担当。
ツッコミのパターンは頭をはたく、デコピン、ゲンコツ、回し蹴り、かかと落とし、頭突き、ビンタ、尻を蹴る、額を指4本で突く、
ほっぺに噛み付き、などなど様々なバリエーションがあり、際だってメリハリのあるツッコミが松本のシュールなボケと対照を成す。
絵の方ははっきり言って櫻井翔やはいだしょうこと並ぶ画伯レベル。

また、先輩でも臆することなく容赦なしにドツいたり、タメ口をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。
が、それはあくまで芸の一環であり、裏ではちゃんと礼儀正しいし、挨拶もするいい人。
息子のラジオにゲスト出演した際も「ハマ・オカモトさん、本日はゲストに呼んでいただきありがとうございました」と丁寧な感想を残している。
意外にも後輩への面倒見が良いらしく、松本曰く「本当に悩んでる奴は浜田に相談する」。

またドSとして知られており、「生まれながらの超ドS芸人」という二つ名がある。
本名の濱田雅功名義で『明日があるさ』『龍馬におまかせ!』『検事・鬼島平八郎』等のドラマで俳優としても活躍。

実生活での趣味はAV観賞
しかし愛妻家

アメリカンカジュアルに造詣が深く、ジーンズはフラットヘッドやヴィンテージリーバイスなどを愛用していたりする。

また、シュレックやヤドキングの声も当てている。
ヤクザ系のものを好み、それ系の雑誌などを読んでいるほか、1991年にはヤクザ映画の主演も務めた。
「ナッハッハッハッハッハ」
とサル8匹分の声で笑う。

息子は3人いて、一人はOKAMOTO'Sのベーシストであるハマ・オカモト。
親子で共演した『ラブレター』という曲で収録をする際に、「うぃっすー^^」と挨拶した息子に激怒した。
「30年やっててそんな挨拶、松本にだってされたことない」との事。
前述のように根が礼儀正しいためしつけには相当厳しく、息子たちが小さい頃の子育ての様子は「浜田刑務所」とネタにされていた。


◆松本人志

「尼崎の黒光りピータン」。
主にボケ担当。
非常にシュールで独創的・即興的な発想力による笑いのスタイルを持つ。
自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、自らの番組の企画・構成も行い制作にも積極的に関わる。
様々な人物やメディアから「天才」と評され、ミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。
「大日本人」「しんぼる」等映画監督としても活躍。2011年6月には3作目「さや侍」が公開された。
意外と親バカ。
また、昔は髪型がリーゼントだったが、ある時突然坊主頭になり、現在までそのまま。
その上現在はトレーニングに精を出し、Tシャツ姿でムッキムキの上腕二頭筋を見せる事もしばしば。
また、ゲーム好きでもあり、特に任天堂の『マリオ』『ピクミン』シリーズが気に入っている様子。
リンカーンでの好きなゲームを紹介する企画で『ワンダと巨像』を紹介して一人浮いたことも。

なお、両者共に既婚者であり浜田は女優の小川菜摘と、松本は2009年に地方女子アナとデキ婚してめでたく第一子が産まれた。


追記・修正をお願いします

この項目が面白かったなら……\ポチッと/