ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス

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ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス - (2018/07/11 (水) 14:51:47) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/09/04(火) 00:07:44
更新日:2023/08/02 Wed 20:17:56
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紀元54年、地中海一帯を領土とした巨大国家、ローマ帝国に新たな皇帝が即位した。

彼の名は、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus)。
栄えあるローマ帝国の第五代皇帝である。

この時ネロは、弱冠16歳。
普通に責任ある役職につくとされる年齢ですら30歳からとされていたローマにおいて、これは異例中の異例の即位であった。

しかし、「寛容(クレメンティア)」のスローガンを掲げ就任した若き皇帝の誕生は、一般大衆からは歓迎を持って迎えられた。
人々は彼の治世に、大いに期待を寄せていたのだ。

だが後世、彼はある呼び名にて呼ばれる人物となってしまった。

「暴君ネロ」と。


■ネロの誕生
ネロが生まれたのは紀元前37年。
ユリウス・クラウディウス朝に連なる軍人であったゲルマニクスの娘であるユリア・アグリッピナ(兄は三代皇帝カリグラ)と、
執政官であったグナエウスとの間に産まれた。
ただ、アグリッピナは兄と近親相姦関係にあったとされるため、カリグラの息子とする説もある。

生後すぐに父を亡くし、紆余曲折(母がカリグラにより謀反の疑いをかけられ流刑にされ叔母に預けられる等)の後、
母は四代皇帝であったクラウディウス帝と結婚した。
この時、父には前妻の息子、ブリタニクスがおり、当然、彼が次期皇帝候補の筆頭であった。
だが、出世欲が深かったアグリッピナは、なんとか息子を皇帝としたかった。
そこで、クラウディウス帝の娘であったオクタウィア(ブリタニクスの姉)とネロを結婚させ、
夫の好きなキノコ料理に毒を仕込み、それを吐き出すのを介抱するフリをして更に医師に毒を盛らせ、彼を亡き者としたのである。
(クラウディウス帝含めた当時のローマ人には満腹でも食うために吐く習慣があり、公的にはそれによる窒息死とされた)

こうして、皇帝の急死により、ブリタニクスより年長であったネロは、継子の身でありながらまんまと皇帝に「仕立て上げられた」のである。


■皇帝就任後
暴君と呼ばれるネロだが、その素顔は芸術をこよなく愛する詩人だった。
皇帝となった彼は、「ローマを芸術の都にする」事を夢としていた。
だが、アグリッピナは彼にそれを許さなかった。
この時、アグリッピナは手入れを怠らず美しいままの自らの身体をも使って(肉体関係を結んで)ネロを傀儡としており、かなりの権力を持っていたのだ。
その権力を象徴するのが、皇帝就任を記念して作られる通貨である。
この金貨には皇帝の顔が刻まれるのが通例だが、ネロの代のものは、なんと、ネロとアグリッピナが向き合った姿が刻まれているのである。




ローマの歴史上でも、こんな金貨は後にも先にもこれだけである。

だが、子はやがて親離れするもの。
ネロは妻であるオクタウィアをほったらかし、アクテというギリシャ人の解放奴隷の女性と情交するようになる。
しかしこれにアグリッピナは激怒。
クラウディウス帝の実子たるブリタニクスを後押しするようになり、「正当な後継者は彼よ!」と、ネロを皇帝の座から引きずり下ろそうとする。
なんとも身勝手な母親に、ついにはネロも愛想を尽かしてしまった。


■最初の殺人
ネロとブリタニクスが共に食事をしたある日、ブリタニクスが突然苦しみを訴えた。

だが、ブリタニクスはもともと「てんかん」の持病を持っていたので、発作によって苦しみ出すのはいつもの事であり、
その場にいた人々は皆、気にも止めなかった。

だが、ブリタニクスはそのまま死亡してしまう。

実はネロは、毒味役の目を欺くために熱い飲み物を用意させ、それを冷ますためにとブリタニクスに用意させた水に毒を入れていたのだ。

公的には「てんかんによる発作」が死因とされたが、アグリッピナは間違い無く原因に気づいていただろう。
なにせ、自分もやったのだから。


■母殺し、妻殺し
ブリタニクスの死もあってアグリッピナの権力は失墜し、それまでのような専横はできなくなってしまった。
もちろん、アグリッピナは権力を回復すべく、オクタヴィアに同情する素振りを見せたりゲルマニア軍団に資財を擲る等、民衆の支持を集めようとし、
ネロと更なる近親相姦を重ねるなどもした。

だが、それはネロにはただの重荷にしかならなかったようで、友人の妻であった美女、ポッパエア・サビーナと関係を持ちたかった事もあり、
アグリッピナはもはやただの邪魔者だった。

そしてついに、アグリッピナの乗る遊覧船を沈没させ、暗殺を謀る。
が、なんとアグリッピナは、自力で泳いで岸に辿り着い生還してしまった。

暗殺の失敗を知ったネロは、もうなりふり構わずに部下の一隊を引き連れ、寝室で休むアグリッピナの元へと向かい、殺害を命ずる。

アグリッピナは死期を悟って「刺すのなら、ネロの宿ったここを刺せ!」と叫び、兵隊の槍は、アグリッピナの腹部を、それだけでなく全身を刺し貫いた。

アグリッピナ殺害後、ネロは子供が出来ない事を理由にオクタヴィアと離婚し、不倫の罪をでっちあげて彼女を流刑に処した。

そして手紙で、オクタウィアに自殺をも命じたと言う。
だが、オクタウィアがこれに従わないと、部下に命じ、オクタウィアを殺害させた。
この際、ネロは死体検分を嫌がったという。

また、第二妻のポッパエアも、妊娠中にネロの怒りを買って腹部を蹴られ、胎児ごと命を落とした…という説もあるが、実は毒殺されたとか死んでおらずネロの墓に参ったという話まである。


■暴君の狂乱
その後ネロは「ローマを快楽の都にする」と、しょっちゅうリサイタルや宴会を開いたりしていた。
これらは市民には好評だったようで、ネロはローマ中の美女を呼び寄せて乱交パーティ紛いの宴まで開き、
時には男奴隷と結婚し(ネロは花嫁役)、新婚初夜に後ろからアッー!されて悦んだり、
美少年を去勢して結婚式をするなど、倒錯的な行為に及ぶこともあったという。
ちなみに、その美少年は好きだった女性にそっくりな彼女の弟で、彼(彼女)はネロが死ぬまで彼に仕えたが、
ネロの死後、王の命で大衆の面前で全裸にされそうになり、自殺したという。


■ローマ大火
紀元前64年、ローマは大火災に見舞われる。
大競技場から上がった火の手はローマを焼き尽くし、多数の死傷者を出したが、ネロは素早くその復興に着手。
ネロは王朝の財の殆どを使って火災からの復興に尽力し、ローマ市民に讃えられた。
実際、このネロの対応は後世の歴史家にも高く評価されている。

だが、この大火の後に建設が始まった贅を尽くした宮殿(ドムス・アウレア)の予定地が、大火により焼け落ちた土地とぴったりと重なっていたことから、
市民の間に「皇帝が火を放った」という噂が広まってしまう(真偽は不明)。
もしも事実無根の噂なら、助けてもらっておいてなんとも身勝手な市民もいたものである。
なおこの噂の出どころとしてネロと仲が最悪だった元老院が広めたという説がある。


■キリスト教徒虐殺
33年にキリストが十字架にかけられて以来、使徒達はユダヤ人を中心に布教を行っていた。
それはもちろんローマにも及んでいたが、元々多神教であったローマ人達は彼等を疎んじていた。
というか国家の伝統宗教をないがしろにし、罪者扱いだったキリストを旗頭に布教してるのだから当たり前の話だが。
噂に悩んでいたネロは、事態を収拾するため、大火災の責任をキリスト教徒に押し付ける。
しかし、そのやり方があまりにも残酷だったので市民がキリスト教徒を不憫に思ったとか。
そもそも、自分のスケープゴーストにする為に無実の者達に罪を被せて、殺しているので例え当時のキリスト教徒の立場がどうであれ、やっている事は腐れ外道と罵られても仕方ない所業である。
(実際、キリスト教徒が犯人という説もあったりするが真相は不明だぞ)


■最期
だが、その苛烈さに市民はネロを厭い始め、人望を失ったネロは暗殺に怯える日々を送る。

ガリアでの反乱を皮切りに部下にも元老院にも見離されたネロは次第に追い詰められ、死を覚悟した。
「早駈けに走る軍馬の音、我が胸を打つ」と、ホメロスの詩を口ずさみ、ナイフを喉に突き立てた。

騎兵の一人が絶命寸前のネロに外套をかけると、

「遅かったな。だが大儀である」

と呟いたともいう。

これが、ネロの最後の言葉であった。


■評価
『暴君』とされているネロだが、その実市民や周辺諸国には好かれていたようで、死を惜しむ声は多かったという。

また、ネロの『寛容』を是とする治世はローマの歴史の中でも有数のものとされており、評価が高い。

なお、若い頃のネロは優秀な裁判官であり、その有能さは、本来担当できない事件も持ち込まれるくらいだったとか。

一般的に『暴君』とされるネロだが、その略歴を見ると『暴君』のイメージは誇張された結果…なのかもしれない。

ていうか『暴君ネロ』というイメージは、
  • 歴史家タキトゥス
  • スエトニウス
  • 帝政末期のキリスト教系文化人
だいたいこいつらの記述の影響。
であるが、ネロがした事を考えれば、当然ちゃ当然であり、また、暴君ではなかったかといえば、そうでもない。
暴君と呼ばれる面もあるのも事実であり、分かりやすく言うと『いい皇帝だけど、たまに暴走する』または『暴君だけどいいところもある』という感じだったと思われる。

とはいえ人格面がかなり無茶苦茶なのは決して間違いでは無い。
貞淑な妻でありローマ市民にも人気のあったクラウディア・オクタウィアの処刑したり、親友から妻を奪うために離縁させた上に僻地へ左遷するなどしている。
特にクラウディアの一件はローマ市民の間ではかなり悪評が立ったと今へ伝わる。
また上記でも乗せられてるように愛人は数多く享楽三昧・淫行三昧は枚挙に暇がない。
母親から受け継いだのか自身を敵対視と思った相手(あくまでネロの予想でしかない)を特に確証も無く殺害したり、些細なミスをした兵士を容赦なく処刑したりしている。
特に自分の感情や衝動を抑えきれない話が多く、ネロの周辺からすれば恐怖の対象でしか無かったのも頷ける。

一方で皇帝としてのネロの行動としては強引な政策を行いはするものの、ローマ市民を第一に考えた上での物が多く決して暴君と言われるような物は多くはない。(自分のリサイタルの間は市民を閉じ込めるような真似してるけど)
ただし当時のローマの中では卑しいと言われる行為が多く、またネロの奔放すぎる政策や生き方は元老院から激しく疎まれており、そういう意味では既存の道徳観を破壊する暴君とも言える。
ネロの皇帝としての強みは市民からの高い支持であり、同時に仲が最悪であった元老院への対抗手段でもあったが、それもローマの大火が起こりキリスト教にその罪を擦り付け苛烈な罰を与えたことから市民からの支持を失う事となり没落してしまう。

また芸術家肌の文人皇帝と思われがちだが実際には割と反乱や暴動に自身が赴き鎮圧していると武闘派な面もある。


■ネロを扱った作品
パートナーサーヴァントの一人として登場。
通称赤セイバー。詳細はリンク先を参照。

  • 我が名はネロ(安彦良和)


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