酔歩する男

「酔歩する男」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

酔歩する男 - (2015/08/02 (日) 16:43:46) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2015/07/30 Thu 13:49:32
更新日:2024/02/25 Sun 13:36:10
所要時間:約 11 分で読めます







物語を聞いたからには、その物語の語り手は実在しなければなら――






『酔歩する男』とは小林泰三氏の短編小説。短編集『玩具修理者』に収録されている。

『時間』と『タイムトラベル』がテーマのホラー作品だが、その実SF小説の傑作となっている。

元ネタは万葉集にも歌が残されている「菟原処女(うないおとめ)伝説」であろうか。
美しい少女、菟原処女を巡って菟原壮士(うないおとこ)と、
血沼壮士(ちぬおとこ)が争い、嘆き悲しんだ菟原処女がついには自殺してしまうという悲しいお話である。
この血沼壮士は詠んだ人や土地によって智弩壮士(ちぬおとこ)とも小竹田丁子(しのだおとこ)とも血沼丈夫(ちぬのますらお)とも呼ばれる。

また、菟原処女伝説は現在でいう兵庫県の話だが、このような、
「二人の男が一人の女を取り合い、最後に女が死ぬ」という話は全国に残っており、
例えば千葉県には「真間手児奈(ままのてこな)伝説」と呼ばれる話が残っている。

所々にクトゥルフネタが散りばめられている。
(例えば作中で上映されている映画のタイトルが「アット・ザ・マウンテン・オブ・マッドネス」等)


登場人物


  • 血沼(ちぬ )壮士(そうじ)
主人公。誕生日は11月28日。AB型。
馴染みの店にどうしても行けない時があると言う秘密を抱えている男性。
道を間違っている訳ではない、何度も通っている、それでも時々辿り着けない。
一軒一軒店を確認しても存在しない……そんな悩みを抱えている。
ある時出会った男との談笑で真実を知ってしまう。

  • 小竹田丈夫(しのだ たけお)  
この物語の語り手。
血沼の親友だが血沼の事を知らないと言う、謎多き浮浪者の様な男。

  • 菟原手児奈(うない てこな) 
小竹田曰く、大学院時代に親友・血沼と取り合った事があると言う女性。
童顔でスタイルも決して良くはないが不思議な魅力を振りまいており、小竹田と付き合っていても他の男によくナンパされていた。
趣味は石の匂いで地理に疎い。
未来の事を過去として知っていたり、味を色として認識したりと不思議な所があり、そんな所に小竹田と血沼は惹かれていった。
そんな手児奈が事故か自殺か……突然死んだ事から悲劇が始まる。




用語

過去や未来に行くと言った時間移動の事。
本作品においてはタイムマシンや巨大装置、特殊能力の獲得は必要ない
必要なのは粒子線癌治療装置だけで、むしろ能力の欠如として扱われている。
血沼は時間感覚障害者のデータを元に研究した結果、時間の流れを正しく感知する器官が脳に存在する事を突き止める。
この器官は「時間を認識する能力」「時間を制御する能力」「波動関数を再発散させない能力」を司っており、
これがある限り生命体は時間を正しく認識できる。それはまるで三半規管が重力を認識するように。
血沼と小竹田はこの器官を破壊する事で時間を遡ろうとするが――







■ストーリー




以下ネタバレのため注意!!





















血沼は飲み屋で会社の同僚と、年のせいかお互いの認識にズレがある事を痛感しながら談笑していた。
そんな時小竹田と言う男が自分は血沼の親友だと言い、話しかけてくる。
しかし血沼は怪しんだ、何しろ小竹田と言う人物を全く知らないのだ。

小竹田は血沼が知らないと分かると何かを納得した様子で、
私は血沼と親友だけどあなたとは親友ではなかったのだと告げる。

意味の分からない戯言だが、小竹田に質問した所、小竹田は血沼の事を詳しく知っていた。
しかし血沼は小竹田の事はさっぱり分からない。
血沼は小竹田に問い詰め、過去の話を聞く事になった……。



小竹田は語る、血沼と通っていた大学院時代にコンパをしたら、そこにいた手児奈と言う女性に惹かれたのだと。
小竹田は積極的にアタックしたおかげで晴れて手児奈と恋人に。



その後は順調に交際を続けたが、手児奈は無意識に男を誘惑してしまうため小竹田は堪忍袋の緒が切れて別れてしまう。
小竹田は未練タラタラだったが手児奈の方は血沼と付き合うようになっていた。
小竹田は血沼に嫉妬し激怒しながら血沼に問い詰めた。親友との口論した末に、手児奈にどちらが好きか問い詰める事になった。


しかし答えを聞く前に手児奈は電車に撥ねられてしまい、バラバラ死体へとなってしまった。


その死に悲しんだ二人だったが、血沼が小竹田に手児奈を蘇生させるために医学部に編入しようと誘う。
結局編入できたのは小竹田だけだったが、別々に研究した方が良いだろうと言う事で、それぞれの道に進んだ。
その際血沼は事故現場から盗んでいた遺体の一部を小竹田に託し「クローンを作れよ」、言い残した。
しかし小竹田は医学部で研究を続けているうちにクローンを作ってもオリジナルではなく、
一つの意思を持つ別人しか生まれず、クローンの人生はその子の人生だという考えを持ち、肉体の一部を捨てた。


それから30年後――


小竹田は妻子持ちになり医学部の教授へとなっていた。
勿論手児奈の蘇生の事なんか全然していなかった。だが……ある日小竹田の元へ血沼が訪れる。
血沼は教授のコネで時間障害の患者のデータと研究室を貸してくれと頼んでくる。罪悪感から許諾する。


5月14日、血沼は研究が成功したと告げる。絶対手児奈を助けられると……。

それは時間逆行という手段だった――



小竹田は過去に戻る事なんて不可能だと言う。
ここから二人は物理学量子論について語り始めるが、まとめると、
血沼はそもそも時間とはなんだ? と問いかける。
何故時間は流れていると人は考えているんだ、そもそもその流れは本当に前に向かって流れているのか? と尋ねる。
小竹田は未来に行くと共に宇宙は膨大していき、太陽系は崩壊していく。これが時間の概念に近いと答える。
血沼は『エントロピーは時間と共に増大する』という法則は時間が前に進む事が前提だが、何故当たり前のように方向性が決まっているのか?


そして血沼は結論として時間の方向性を決めているのは人の意思、意識の流れこそが時間の流れそのものだと。
人の意識が観測する事で時間が実在化する……『シュレディンガーの猫』『波動関数の収束』と言われる現象だと。
意識の流れをコントロールすることで時間を操ることが出来る、しかし今は時間を正しく認識している。

三半規管が壊れると上下の感覚が可笑しくなるように、
未知の器官を壊し時間を正しく捉える事が出来ない状態ならば時を遡る事が出来ると。



血沼は小竹田を説得し『粒子線癌治療装置』で器官を壊すことになった。
血沼と小竹田は治療を施したがタイムトラベルする事もなく、特に変化らしいものは見られず二人は首をかしげた。

血沼は恐ろしい事に気付いた、三半規管に何かあっても視覚等の別の感覚がフォローしてくれる。
……つまり同じ現象が起きた、知識や経験が時間の流れを無意識に捉えようとしているのだ……と。

二人はガッカリして自宅に帰った。


翌日目が覚めると小竹田は6月20日にタイムスリップしていた
混乱した小竹田は奥さんに聞いたりして前日から一月経っている事を再確認する。
しかも今日は学会での講演があったが、準備をしていない小竹田に為すすべはなく、失敗して終わってしまった。

そんな時に血沼に出会う。彼は既に100回はタイムスリップしていると言う。
血沼曰くこんな事になったのは時間が連続体であることに一切疑問を抱いていなかったのだが、実は時間は連続体どころか点の集合体だったためだと。
某未来人の言葉を借りると時間はパラパラ漫画のようなもの。

……つまり5月14日の翌日は5月15日だと当たり前に信じていたが、 実は14日の次はどこかの時間帯だったと言う事だ。
脳は混乱しないように時間に順番付けをする事で、時間を連続体だと錯覚させていた

通常は14日と15日が独立しており、それとは別に意識も独立している。
脳は正しい時間の流れを感知してからその時間の意識に接続し統合する。
しかしそれが壊れてしまったため、意識の接続先が分からなくなってしまう。
そこで脳はまぁこの辺の時間帯が正解かな……と適当に接続したため小竹田の意識は6月20日に飛ばされてしまった。
しかし15日にも小竹田の意識は存在し20日までの時間帯の小竹田にも意識は存在している。
そのため小竹田は意識不明状態になる事はなかった。ただ現在の小竹田が今までの意識とは繋がっていないだけ。


血沼曰く、起きている時は脳の別部分がフォローしているから、
この時間を認識していられるが、眠ってしまうと脳の機能が弱まるためタイムスリップしてしまうと言う。


俺はもうお前に会えないだろう。『小竹田丈夫』と言う意味じゃない。

今、俺の目の前にいる『小竹田丈夫』と同じ意識の流れを持つ『小竹田丈夫』と言う意味だ。

悪いが、全然分からない。


二人は別れ翌日には小竹田は5月15日に戻っていた。さっそく小竹田は前日に眠れなかったと言う血沼に相談する。


未来に行った事を証明するために予言すればいいのか? と小竹田は告げるが、血沼はそれは出来ないと答える。

血沼曰く、小竹田は未来へ行き様々な可能性がある未来の中で一つを観測し、未来を実在化させた。つまり波動関数が収束した。
小竹田は確定したのだから予言は当たるだろう? と尋ねるが、
小竹田の中で未来が確定しても不特定多数の中では未来は確定していない。
過去の人は未来を観測する事は出来ない、つまり過去に戻った時点で波動関数が発散する
未来で宝くじや株価を知っても、当日を迎えると知っている未来とは異なる結果になると――

しかし言い換えれば未来を知る事で、その未来を改変する事は容易い事だと。



小竹田は血沼に「過去はどう改変するんだ」と当初の目的を尋ねる。
血沼は小竹田が6月20日から5月15日に遡ったから大丈夫だと告げる。
小竹田は15日は現在で20日は未来じゃないかと言うが、
血沼は15日を基準にするからだ、現に小竹田にとって6月20日は昨日だろ? と言う。


そして血沼は手児奈を救うために時間を超える、ただ明日いる自分と、
現在の自分の意識が繋がるとは保証がないのでこれが別れの挨拶だと言って立ち去った。


その後小竹田はタイムスリップの味を占め同じ能力を持つ血沼の存在が鬱陶しくなる。
偶然治療当日に戻った事で血沼にタイムスリップ能力を与えない事に成功する。


……がここから小竹田の苦しみが始まる事になった。
小竹田の意識はランダムで未来や過去にタイムスリップする。そしてそのたびに波動関数が収束したり発散したりする。
例えば行った先で学会の準備をしたとしよう、今後未来に跳んだ場合は、
学会の準備をしたという波動関数が収束したままだが、これよりも過去に行った場合波動関数が発散し、
準備が無かった事になり、気付かずに何もしないと自分か別の意識の自分が6月20日の学会で失敗する事になる。
行き先がランダムのため20日以前なら準備をし、以後なら成功と失敗の2パターンが存在するため脱力したり睡眠薬を使ったりした。

こんな生活をしていると力を得たのではなく、力が欠如したと言う意味を理解するように。


そしてまた治療当日に戻った小竹田は二人とも治療をしないで済むように過去改変したが、能力は無くなる事がなかった。
実は脳の方ではなく精神の方が時間を認識していたのではないか、だから無事な肉体を得ようと、
時間移動は続くのではないか、記憶媒体が駄目になったのではなく記録自体の傷が原因ではないか。そう小竹田は憶測した。


小竹田はタイムトラベル物のお約束の時間指定が出来ず、寝たら飛ばされるためその時間には最長1日程度しかいる事が出来ない。
何らかの行動を起こしても一度でも過去に飛ばされると未来は不安定になるため、行動の積み重ねと言った事は出来ない。
そのため数千回に一度あると言う大跳躍で浪人時代に戻され、自身の功績全てが非実在になった事でやる気を失ってしまう。


以後死のうと思ってもとはつまり意識を失う――つまり、
過去に戻るだけで意味がない行為なので、ただただ生きているだけの人生になった。
そんな人生でも現在までで主観時間で数億年が経過した。
小竹田はどうしても昨日までの自分とは記憶を共有しないため、
前日の自分との手紙のやり取りは欠かせないが、それでも完全な共有は出来ないので社会ではやっていけなかった。




ここまで話を聞いていた血沼は半信半疑ではあったものの、小竹田に質問した。
過去を改変した際に始まり付近の時間軸の血沼はタイムスリップ能力を失った、けれど、
今の小竹田の様に精神は傷ついているはずだから、その血沼や自分がタイムトラベラーではないのは可笑しいのではないか? と。

小竹田は血沼が嘘をついていないのなら、過去を変えた際にいた、
処置される前の血沼は精神が傷ついていないのでそれで固定化された。その場にいた自分は傷ついていたからこのままだった。
もしくは、タイムトラベラーの血沼は平行世界に紛れ込み今でも孤独に彷徨っているのではないか……と。


そして小竹田は改めて血沼に尋ねる。


『時間を認識する能力』や『時間を制御する能力』はあるようです。

ところで『波動関数を再発散させない能力』は持っておられますか? 本当に街は昨日のままですか?



その問いに血沼は答える事が出来ずにいた……。
そこで血沼は尋ねた、結局手児奈は助けたのかと。

小竹田は二人が脳の処理を受けた時、その瞬間に生まれた歪んだ存在こそ手児奈だと言う。
原因と結果、そんなものは脳が生み出す幻想に過ぎず、因果律を超え、時間に広がるように存在する存在を垣間見たのだと。



話が終わると小竹田は消えていた、まるで元からいなかったように……。


血沼は段々と怖くなっていた。
飲み屋から帰る時、腕時計が無いと思ったら暫くすると現れる。
本当にここは自分が知っている街なのか? 小竹田と言う先ほどの人物は夢か現実か?
自分がいる職場はここであっているのか、見知らぬ人物が親しげに話しかけてくるじゃないか。
いつもと同じ駅に降りたら別の駅だし、何故かホームは広くなっているし。


それから血沼は会社への行き帰りで寄り道はせず、休日は家に閉じ籠るように。

怯えきった血沼は妻の背中に小さな声で問いかける。





俺は何だろう?

あなたは犠牲獣。

何故、人は安心していられるのだろう?

波動関数が収束するから。

俺を苦しませる物は何?

それは運命。でも、本当は違う。

何故、人は希望を捨てられないのか?

波動関数が発散するから。




































君は誰だろう?

私は手児奈。







追記・修正は時の迷子になってからお願いします。


この項目が面白かったなら……\ポチッと/