酔歩する男

登録日:2015/07/30 Thu 13:49:32
更新日:2025/02/19 Wed 02:48:32
所要時間:約 11 分で読めます








物語を聞いたからには、その物語の語り手は実在しなければなら――








概要

『酔歩する男』とは小林泰三氏の短編小説。短編集『玩具修理者』に収録されている。

『時間』と『タイムトラベル』がテーマのホラー作品だが、その実SF小説の傑作となっている。

元ネタは万葉集にも歌が残されている「菟原処女(うないおとめ)伝説」であろうか。
美しい少女、菟原処女を巡って菟原壮士(うないおとこ)血沼壮士(ちぬおとこ)が争い、
嘆き悲しんだ菟原処女がついには自殺してしまうという悲しいお話である。
この血沼壮士は詠んだ人や土地によって智弩壮士(ちぬおとこ)とも小竹田丁子(しのだおとこ)とも血沼丈夫(ちぬのますらお)とも呼ばれる。

また、菟原処女伝説は現在でいう兵庫県の話だが、このような、
「二人の男が一人の女を取り合い、最後に女が死ぬ」という話は全国に残っており、
例えば千葉県には「真間手児奈(ままのてこな)伝説」と呼ばれる話があり、『雨月物語』の「浅茅が宿」ラストで引き合いに出されている。

所々にクトゥルフネタが散りばめられている。
(例えば作中で上映されている映画のタイトルが「アット・ザ・マウンテン・オブ・マッドネス」等)


登場人物

  • 血沼(ちぬ) 壮士(そうじ)
主人公。誕生日は11月28日。AB型。妻帯者。
馴染みの店にどうしても行けない時があると言う秘密を抱えている男性。
道を間違っている訳ではない、何度も通っている、それでも時々辿り着けない。
一軒一軒店を確認しても存在しない……そんな悩みを抱えている。
ある晩出会った男の話で真実を知ってしまう。

  • 小竹田(しのだ) 丈夫(たけお)
この物語の語り手。物語の大部分は、彼の回想という形で語られる。
血沼の親友だが血沼の事を知らないと言う、謎多き浮浪者の様な男。

  • 菟原(うない) 手児奈(てこな)
小竹田曰く、大学院時代に親友・血沼と取り合った事があると言う女性。
童顔でスタイルも決して良くはないが不思議な魅力を振りまいており、小竹田と付き合っていても他の男によくナンパされていた。
趣味は石の匂いで地理に疎い。
未来の事を過去として知っていたり、味を色として認識したりと不思議な所があり、そんな所に小竹田と血沼は惹かれていった。
そんな手児奈が事故か自殺か……突然死んだ事から悲劇が始まる。


用語

過去や未来に行くと言った時間移動の事。
本作品においてはタイムマシンや巨大装置、特殊能力の獲得は必要ない
必要なのは粒子線癌治療装置だけで、むしろ能力の欠如として扱われている。

血沼は時間感覚障害者のデータを元に研究した結果、時間の流れを正しく感知する器官が脳に存在する事を突き止める。
この器官は「時間を認識する能力」「時間を制御する能力」「波動関数を再発散させない能力」を司っており、
これがある限り生命体は時間を正しく認識できる。それはまるで三半規管が重力を認識するように。

血沼と小竹田は手児奈を救うため、粒子線癌治療装置を使って前述の脳の器官を破壊する処置を受けるが……

+ 「時間の流れは意識の流れだ。意識の流れをコントロールすれば、時間の流れもコントロールできる」
血沼と小竹田の誤算は二つあった。

一つは、実は時間は連続体どころか点の集合体だったこと(別作品の某未来人の言葉を借りると時間はパラパラ漫画のようなもの)。
時間と時間に連続性はなく、脳は混乱しないように時間に順番付けをする事で、時間を連続体だと錯覚させていた
……つまり5月14日の翌日は5月15日だと当たり前に信じていたが、 実は14日の次はどこかの時間帯だったと言う事だ。20日かもしれないし、4月15日かもしれないのだ。
通常は14日と15日が独立しており、それとは別に意識も独立している。
脳は正しい時間の流れを感知してからその時間の意識に接続し統合する。
しかし粒子線癌治療装置によって時間の流れを正しく感知する器官が壊されたことで、意識の接続先が分からなくなってしまう。

それでも起きている間は、三半規管に何かあっても視覚等の別の感覚がフォローしてくれるように、
知識や経験が時間の流れを無意識に捉えてしまうので、タイム・トラベルを起こすことはない。
しかし眠ってしまうと大脳の働きは弱まってしまい、脳は時間の流れを完全に捉えられなくなる。
つまり、意識を失えば強制的にタイム・トラベルが発動する。これがもう一つの誤算だった。

たとえほんの数秒の居眠り程度であっても、脳は「まぁこの辺の時間帯が正解かな……」と適当に接続するため、本人の意識はランダムに別の時間軸へ飛ばされる。
しかし飛ばされた先にもタイム・トラベラの意識は存在し、その時間軸までの時間帯のタイム・トラベラにも意識は存在している。
そのためタイム・トラベラは意識不明状態になる事はないが、ただ現在のタイム・トラベラが今までの意識とは繋がっていないだけ。つまり実質記憶喪失
たとえ過去に飛ばされ未来を変えたとしても、また過去に飛ばされれば波動関数が発散しなかった事になる。
だからと言って日々を適当に過ごせば、未来に行った場合適当に過ごした未来になってしまう。

しかも死のうと思っても、とは意識を失うこと――つまり、タイム・トラベルするだけなので絶対に死ねない


以下ネタバレのため注意!!



+ 「結局、謎が残りますよ」
意図せぬタイム・トラベルを繰り返す中、奇跡的に脳の処置を受ける日付に戻ることができた小竹田は、血沼と共に脳の処置を免れることに成功する。しかし、その後もタイム・トラベルは続いた。
このことについて小竹田は後に、実は時間の流れを探知していたのは脳の一部と共に破壊された精神の方であり、
たとえ脳が無傷だった時間に戻ったとしても、精神は壊れたままで元には戻らないため、延々と時間の中を彷徨っていると解釈している。

また小竹田曰く、二人が脳の処置を受けた時、その瞬間に生まれた歪んだ存在こそ手児奈だと言う。
原因と結果、そんなものは脳が生み出す幻想に過ぎず、因果律を超え、時間に広がるように存在する存在だと確信したらしい。

そして、小竹田は今もなおタイム・トラベルに苦しんでいるのに対し、血沼は何故タイム・トラベラではなくなっているのか
この疑問に対する小竹田の出した一つの答えが血沼を恐怖のどん底に叩き落とし、辛うじて社会生活を送れる程度にまで心を弱らせてしまう。


俺は何だろう?

あなたは犠牲獣。

何故、人は安心していられるのだろう?

波動関数が収束するから。

俺を苦しませる物は何?

それは運命。でも、本当は違う。

何故、人は希望を捨てられないのか?

波動関数が発散するから。




































君は誰だろう?

私は手児奈。




余談

クトゥルフ神話を題材にしたアンソロジー作品『超時間の闇』に掲載された同著者の短編小説『大いなる種族』において、
時間軸から解放された血沼が事の顛末を論文としてまとめあげていたことが語られている。
どの意識の血沼が書いた論文なのかは不明だが、確かに存在していた筈が後に消失しており、
どうやら処置を受けた血沼と小竹田同様にかなり不安定な存在だったようだ。

血沼の論文からインスピレーションを得た同作の主人公の科学者は、
「情報流入を制限する役割を持つ脳の部位を一時的に麻痺させることで、短時間で大量の情報を注入出来るのでは?」と仮定。
『対人間収量情報技術実験装置』なるものを開発し、実験を行うのだが……。


また、同著者のミステリーシリーズ、〈メルヘン殺し〉シリーズの三作目『ドロシイ殺し』では大学生の血沼と小竹田が登場している。
こちらでは同じ大学に通うドロシイという女性を巡って三角関係になっており、世界が変わっても中々難儀な星の下に生まれている様子。
しかし物語の終盤、ドロシイは誰も予想だにしなかった事実を告げる。


追記・修正は時の迷子になってからお願いします。

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最終更新:2025年02月19日 02:48