&font(#6495ED){登録日}: 2011/12/13(火) 23:03:34 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &font(#6495ED){所要時間}:約 3 分で読めます ---- ▽タグ一覧 &tags() ---- 天下三名槍は室町時代に日本を代表する名槍と称えらた&font(#ffb74c){蜻蛉切}・&font(#0000ff){御手杵}・&font(#ff0000){日本号}の三本である。 #center(){&font(#ffb74c){蜻蛉切}} #center(){トンボキリ} 本多忠勝 戦国最強と称えらた本多忠勝の愛槍。 本来、主な攻撃手段が突くことにある槍にとって切れ味は必要とされない事が多い。 が、この槍の切れ味は凄まじく&font(#ff0000){刃先に止まろうとした蜻蛉がそのまま両断された}程であったという。 そんな蜻蛉切を作ったのは藤原正真という人物で、なんとあの&font(#ff0000){徳川を呪った妖刀と名高い村正}を作った村正一派の刀工である。 徳川を呪った刀と同じ一派から生まれた槍を家康の懐刀といわれた男が愛用していたのは面白い #center(){&font(#0000ff){御手杵}} #center(){オテギネ} 松平大和守 刃長四尺三寸、&font(#ff0000){総長七尺と2M}に及ぶ長い槍穂が特徴の大身槍。(前述の蜻蛉切は約55C程) 鞘の形が民話で語られる中央のくびれた杵、手杵に似ている事が名の由来である。 その長い槍穂に似合ってかなり重い槍だったようだ。 上級の武士は敵との交戦まで自身の槍を付き従う足軽に持たせていたのだが、その重量ありすぎる御手杵は持たされる足軽には悩みの種であったといわれる。 そんな剛槍だが昭和20年5月25日。 &font(#0000ff){B-29の空襲の前にあえなく焼失してしまった} 三名槍で唯一現存しない悲劇の槍である #center(){&font(#ff0000){日本号}} #center(){ニホンゴウ} 母里太兵衛 &font(#ff0000){「酒は呑め呑め、呑むならば、日の本一のこの槍を、呑取るほどに、呑むならば、これぞまことの黒田武士」} じさまばさまが酒の席でほろ酔い気分で唄うのがこの黒田節である この中で歌われる槍こそ日本号でありそして歌どおり&font(#ff0000){呑み取って}しまった槍である 元々は天下に名高い福島正則の愛槍であった。 呑み取った男、母里太兵衛はあの天才、黒田官兵衛が一目おく傑物であったようで合戦に出れば数十もの首をあげ 幕府が諸大名に無理矢理出費させんと命じた江戸城の改修工事においても、難しい箇所をやり遂げおもわず幕府も報酬をたまわしたという そんな男が正則に呑取り勝負を挑んだのはとある正月のこと 主君の名代として挨拶に訪れた太兵衛であったが正則は既に酔っぱらっておりさんざからみにからみ しまいには主君、黒田長政にたいしての暴言まではいたという これには太兵衛も堪忍袋がぶちギレ 正則に呑み取り勝負をけしかける 先ほどまで下戸同然だった太兵衛が怒りに我を忘れて挑んできたと正則も調子にのり &font(#ff0000){正則「いいぜwwもしおまえが勝ったらなんでもやるよwwww」} 大杯にとっかえひっかえ次から次と酒をついだ 正則、下戸相手になんとも大人げない男である #center(){''下戸相手ならな''} なんとこの太兵衛、実は相当なザルで主君から「人様の家で羽目はずすなよ」と釘を刺されていたため下戸を装っていたのである。 なんというチート性能 愕然とする正則尻目に片っ端から酒を飲み干した太兵衛は天下に名高い日本号を所望 これには正則も涙目で &font(#ff0000){正則「ちょ…ま…まてまってくれ…} &font(#ff0000){ソレはまずいって…ほ、ほらこれはどうだ?こっちだって俺秘蔵の一品だぜ?」} 天下の名槍を渡す訳にもいかず必死に他の槍を与えようとしたが &font(#0000ff){太兵衛''「武士に二言は無いよな」''} 正則の抵抗むなしく天下の名槍をひっつかみ酔っぱらった様子もなく意気揚々と引き上げたのであった。 この槍、元々は太刀であったとされるが天皇家が所蔵した逸品であったという 秀吉が天皇より賜ったとされるが腰に佩刀するのは恐れ多いと槍につくりかえたのだという 槍ならば頭上に掲げるためちょうどよいというわけだ また槍でありながら朝廷より正三位の位を賜っている、&font(#ff0000){あの天下の副将軍こと水戸黄門より偉い。}控えおろう! …そんな槍がまさか酒席の失態で奪われてしまったというのもアレな話である…。 追記、修正は天下の槍を呑み取ってからでお願いします