東マジョリアで広く祝われる祭日。天の龍王が遊び呆ける男女を臥螭河の両岸に引き離し特定の日にのみ逢瀬を許したという故事にちなんだもので、樹木に色々とりどりの布片を吊るして何か他者のための願い事を書きつけ成就を龍王(土地ごとの風習により変化あり)に願うという形が一般的。裕福な家庭では菓子に願いを表す一字を書いたり刻みつけたりしてその願いを向ける他者に贈ることも多い。つまり求婚の日でもある。
起源は劉帝国と龐帝国が結んだ捕虜交換の協定に遡る。当時は決められた日に捕虜となった将兵を迎え来た家族が布片に捕虜の名を記したものを集めて両軍が交換、その通りに協定を履行していくというものであった。伏龍帝が劉帝国の名の下で螭南を統合し戦乱が減ると、この行事はより平和的な現在の姿に変わっていきそれに伴い東マジョリア全域に拡散していった。
臥螭河や秋津列島など戦乱が続く地域では、未だに捕虜交換の日としての役割を果たしている
起源は劉帝国と龐帝国が結んだ捕虜交換の協定に遡る。当時は決められた日に捕虜となった将兵を迎え来た家族が布片に捕虜の名を記したものを集めて両軍が交換、その通りに協定を履行していくというものであった。伏龍帝が劉帝国の名の下で螭南を統合し戦乱が減ると、この行事はより平和的な現在の姿に変わっていきそれに伴い東マジョリア全域に拡散していった。
臥螭河や秋津列島など戦乱が続く地域では、未だに捕虜交換の日としての役割を果たしている
伝承
昔々、紬姫(つむぎひめ)という姫が天の龍王の娘におりました。
紬姫はとても美人であり、働き者であった。
ところが天の龍王にとってみれば、働き者すぎてこれはこれで大変だということで、龍王はこれまた働き者な猟師の青年、猎人と引き合わせることにしました。
二人は即座に恋に落ち、さっくりと結婚しました。
紬姫はとても美人であり、働き者であった。
ところが天の龍王にとってみれば、働き者すぎてこれはこれで大変だということで、龍王はこれまた働き者な猟師の青年、猎人と引き合わせることにしました。
二人は即座に恋に落ち、さっくりと結婚しました。
ところが、結婚するや否や二人で遊んでばかり。これを見た天の龍王は激怒し、二人を川の両岸に引き離してしまいました。
しかし、紬姫がこれを悲しんで泣いてばかりであったため、仕方なく年に一度会えるように采配しました。
しかし、紬姫がこれを悲しんで泣いてばかりであったため、仕方なく年に一度会えるように采配しました。
かくて、青天の日には再び二人は会えるようになったそうな。