マジョリア大陸東部の北方を統べる半定住半遊牧勢力。なお秦王国とは劉帝国側の呼称であり、これといった自称はない。秦王国を自称した政権は既に消滅している。
元々は劉帝国と一つの国であったが分裂した。その前はまた別だったのが面倒なところ。併合自体は一応円満だったのも。
現在では劉帝国を侵略解体すべく虎視眈々と機会を狙っているが魔物や魔王等に対処する必要があり、さらに両勢力を隔てる大河(臥螭河)とそこを守る劉帝国水軍を突破する手立てが乏しいため上手くいっていない。
部族ごとの分権体制が敷かれている。大規模な南征計画や劉帝国の北伐、魔王出現などの統一見解を要する案件があれば有力者たちの大会合が催されるが、日常の魔物対策は完全に各部族に委ねられており、意思決定が迅速。
元々は劉帝国と一つの国であったが分裂した。その前はまた別だったのが面倒なところ。併合自体は一応円満だったのも。
現在では劉帝国を侵略解体すべく虎視眈々と機会を狙っているが魔物や魔王等に対処する必要があり、さらに両勢力を隔てる大河(臥螭河)とそこを守る劉帝国水軍を突破する手立てが乏しいため上手くいっていない。
部族ごとの分権体制が敷かれている。大規模な南征計画や劉帝国の北伐、魔王出現などの統一見解を要する案件があれば有力者たちの大会合が催されるが、日常の魔物対策は完全に各部族に委ねられており、意思決定が迅速。
秦王国の歴史
螭北のさらに北に横たわる高原は古くから獣人族や人族の遊牧民の地であった。パレカット山脈での戦訓からエルニア帝国はこの地に手をつけず、その結果温存されていた遊牧人口が帝国崩壊後空白地帯となった螭北に流入、現地農耕民との混血により、螭南とは異なる半定住半分遊牧文化が誕生する。
これを見た南方、すなわち劉帝国は北方の有力集団ダワン族(狼獣人の一支族。後に打完氏を名乗り南方に亡命するも更龍三年ごろ北伐中の不手際により族滅)主導の北方統一・秦王国建国を支援、時を置いて外交的に併合した。
当時の龍帝は南方の制度・文化の無謀な押し付けとそのための都督配置を断行したためにかえって反発を招き、特に中央集権的で大規模だが鈍重な軍制の強制により魔物の跋扈を許したことで蜂起が発生する。機動力に優れる北方騎兵の活躍により、程なくして全ての都督府(劉帝国の制度における地方支配の拠点)が陥落。龍帝は渋々ながら北方が現地人の完全自治下にあることは認めて秦王国の呼称は復活させた。しかし、完全独立は認めず宗主権回復を狙っており、北方側も劉帝国は根本的に信用ならないとして壊滅を目指すことで一致し、今日まで紛争が続いている。
これを見た南方、すなわち劉帝国は北方の有力集団ダワン族(狼獣人の一支族。後に打完氏を名乗り南方に亡命するも更龍三年ごろ北伐中の不手際により族滅)主導の北方統一・秦王国建国を支援、時を置いて外交的に併合した。
当時の龍帝は南方の制度・文化の無謀な押し付けとそのための都督配置を断行したためにかえって反発を招き、特に中央集権的で大規模だが鈍重な軍制の強制により魔物の跋扈を許したことで蜂起が発生する。機動力に優れる北方騎兵の活躍により、程なくして全ての都督府(劉帝国の制度における地方支配の拠点)が陥落。龍帝は渋々ながら北方が現地人の完全自治下にあることは認めて秦王国の呼称は復活させた。しかし、完全独立は認めず宗主権回復を狙っており、北方側も劉帝国は根本的に信用ならないとして壊滅を目指すことで一致し、今日まで紛争が続いている。
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