字素論(じそろん)
英 graphemics
『言語学大辞典術語』
文字は,たとえそれが二次的であっても,立派に言語記号である以上,言語学で当然まともに取りあげるべきものであるのに,現在にいたるまで然るべく取り扱われていないのはむしろ不思議である.そこで,文字を対象とする言語学の分野として文字論 (graphology)が考えられるが,これはいまだ十分に理論的に体系化されていない.しかし,その文字論の中で,文字の要素を論じる部門があって然るべきであり,それが字素論である.
英 graphemics
『言語学大辞典術語』
文字は,たとえそれが二次的であっても,立派に言語記号である以上,言語学で当然まともに取りあげるべきものであるのに,現在にいたるまで然るべく取り扱われていないのはむしろ不思議である.そこで,文字を対象とする言語学の分野として文字論 (graphology)が考えられるが,これはいまだ十分に理論的に体系化されていない.しかし,その文字論の中で,文字の要素を論じる部門があって然るべきであり,それが字素論である.
字素論は,音論における音韻論(phonemics)の類推で考えられたものである.音声言語を取り扱う場合,その素材である音声に要素を設ける必要があり,その要素が音素(phoneme)であるが,文字言語の場合も,それを綴る文字の要素を考えることができる.それが字素(grapheme)である.その文字が表音文字であるとき,特に単音文字(アルファベット)であるときは,原則として1字(letter)が1音(音素)を表わすので,それぞれの字(letter)が字素となる.ただし,2字以上で1音を表わす場合があるが,その2字結合,もしくは3字結合が字素となる.たとえば,英sh,ph, th; 独schなど.日本の仮名のような音節文字では,字素は音節を表わす.朝鮮のハングルは,要素は音素を示すが,その要素の集まりからなる単位は音節を表わす.つまり,この文字は単音文字と音節文字の2つを兼ねた文字である.この場合には,字素と単位(unit)を明確に区別しなければならない.
字素は,具体的にはさまざまな変異として現われることがある.たとえば,日本の平仮名で〈か〉を〈■〉と書くことがある.ギリシア文字のσは語末ではςとなる.このように,語頭・語中・語末の位邇によって字体を変えることはセム系の文字によく見られる.このような変異を「異字(allograph)」という.
漢字のような表語文字では,字素は表音文字の場合とは違った性格のものになる.いわゆる「六書」の中の,独体(simplex)のもの,すなわち,象形および指事の文字は要素の合成によるものでないから,その一字一字は単位をなすとともに字素でもある.会意とか形声による文字は要素の合成で単位をなすので,その要素が字素となる.会意による信の字は,亻と言からなり,それぞれが字素となる.また,形声による河の字は,氵(水)と可を字素とする.この形声の場合,義符(たとえば氵)と声符(たとえば可)の結合によって示されるが,義符はその形声文字(ここでは河)が表わす語の意味範疇(水に関係するもの)を示し,声符はその語の音形(ɣâ)を暗示する,というふうに,同じ字素といっても,一方は意味を暗示し,一方は音形を髣髴させており(ただし,完全な表音にはなりきっていない),その機能が表音文字のように単一ではない.なお,象形や指事による独体文字も,字素として表意的であり,会意の文字もその要素である字素は表意的である.以下,字素は〈 〉で示す.
表音文字にせよ,表語文字にせよ,本来表語を目的とする文字では,字素のある集まりがあって,それが単位をなし,その単位が有意味の単位,すなわち語を表わす.そのような単位を〈字(graph)〉と称することができる.アルファベットの場合は,いくつかの字素が集まって1つのスペリング(spelling)を作り,それが1つの〈字〉を表わす.たとえば,英字の〈sun〉は〈s・u・n〉の3つの字素からなり,それが1つの〈字〉となって[sʌn]という音を示して語{太陽}を表わしている.
日本の仮名では,たとえば,〈はな〉で語{花}を表わす場合,字素〈は〉と字素〈な〉の結合を用いる.この字素の結合の仕方がいわゆる「仮名遣」である.
単音文字にしろ,音節文字にしろ,字素の集まりである〈字〉によって表語する.〈字〉がその表わす語の音形をうまく表わしている場合,「適合している(fit)」という(Gleason,1955,p.302).そして,その場合,表音文字であっても,その〈字〉はそれを形成する字素の表音価値をそのまま発揮するとは限らない.たとえば,現代の英字の<enough>は[in■f]と発音し,字素の表音を無視している.このスペリングが成立した時には,<gh>はその表音価値に近く発音されたにちがいない(現代ドイツ語genug[gǝnú■k]を参照).しかし,時代の流れとともに発音に変化が起こり,スペリングは表音力を失って固定してしまったのである.それは,文字は本来,表音よりも表語をその主要な目的とするものであるからである.