大地の鳴動が始まってから、もうどのくらいの時間が過ぎたか。
「・・・良かった」
‘白銀の翼’は呟いた。
No2の悲願は達成されたのだろう。
審判の門が開き、方舟が浮上する。
もはや‘感覚糸’は展開出来ないが、はっきりと分かる。
先程から続く大地の鳴動がその証だ。
母胎で胎動する胎児の心音。
間もなく、逆十字団による新たな世界が誕生する。
世界が更新されるのだ。
-戦いは終わっていた。
- ◇ - ◇ - ◇ -
異端審問局十一課課長フェルメノ・キルス。
乾くこと無き‘紅蓮腕’。
接近戦を主体としながらも、優れた投擲術による遠距離戦もこなす。
飛行による距離と速度。
絶対的有利な条件を持つ‘白銀の翼’に対し、牽制と反撃を行い冷静に対応し続けた。
苛立ちを覚えた‘白銀の翼’が、飛行速度を上昇させる。
その瞬間に勝負は決した。
速度を上げすぎた‘白銀の翼’は、自分で‘間合い’を崩した。
制御出来ない速度など、重すぎる鎧、巨大すぎる武器と同様だ。
『身の程を知る事は、大切よ』
ごく基礎的な数式を教えるようにフェルメノが囁いたのは、手甲に覆われた拳が振り下ろされる直前だった。
フェルメノの体を包むのは、軽装鎧型AF‘巡礼者の聖衣’
羽を模した肩当。
動作性を優先した腰当て。
十字架が刻まれた胸甲。
額と頭部を守る帝冠 に似た兜。
先の第二課課長より受け継いだ、フェルメノの格闘能力と機動性を最大限にまで引き出す白き鎧。
過去に一度しか発動させた事はなく、今回もイルドルフの‘マトレイヤの紋章’による誤作動に近い形での発動だが、フェルメノは感覚的に使いこなしていた。
‘巡礼者の聖衣’は、鎧自身が使用者の意識を取り込む事で形状を変形し、能力を向上させる。
同時に鎧に意識を集中させていないと、性能は引き出せない。
戦闘という高度な集中力を必要とされる場で、鎧に意識を集中される事は至難の技だ。
だが、フェルメノにとってはコツを掴むか否かの話だ。
『無意識で意識する』
常に戦いの中に身を置いてきたフェルメノの研ぎ澄まされた精神力が作り出す境地。
振り下ろされた手甲が‘白銀の翼’に接触する瞬間に、フェルメノは全神経を手甲の先一点に集中させる。
‘巡礼者の聖衣’を通す事で鎧内部の洗礼合金と共鳴、増幅され、物理的な効果を伴った超振動として‘白銀の翼’に叩きつけられる。
『どんな刃物も無効、だったわよね』
確認している訳ではない。
『だったら、どんな防御も無効の攻撃はどうかしら?
ただ、結果を告げているだけだ。
事実、透過性の超振動は体内の細胞を破壊し‘白銀の翼’の胸部は、熱線で貫かれたかの様に、穴が開けられる。
『・・・姉様、ごめんなさい』
崩れ落ちる‘白銀の翼’は全身を痙攣させた。
『約束、覚えている?
足元に倒れた‘白銀の翼’を睥睨し、フェルメノは最後の言葉をかける。
『まだしゃべれるなら、あんたの名前、教えなさいよ。
墓石に刻んでおいてあげるから』
勝ち誇る訳でもない。
誕生日に飾る好みの花を聞くかのような、軽い口調。
ごく自然体な話し方。
それでいて、『無意識に意識』する事は継続させている。
『・・・ごめんなさい、姉様からの贈り物、返します』
倒れ伏した‘白銀の翼’の胸元に刻まれた逆十字から、爪先程の銀塊がこぼれ落ちた。
- ◇ - ◇ - ◇ -
「・・・良かった。ボクは・・・」
白銀の翼は呟く。
「姉様の役に立てたんだね」
もう、動く事も出来ない
視力も失われた。
姉様の後ろを歩くことも、姉様を見る事も出来ない。
「でも、・・・邪魔な奴は排除した」
‘白銀の翼’の『足元』には、血まみれのフェルメノが横たわっている。
‘巡礼者の聖衣’は、朽ちた板の様に無数の穴が穿たれている。
「お前は知らなかったろう、フェルメノ・キルス」
‘目’に変わる感覚器官で、フェルメノを見下ろす。
視覚、聴覚、嗅覚が合わさったかの様な、人間には理解し得ない特殊感覚。
「知るはずがない。ボクと姉様以外は、誰も知らなかったんだ」
腕もなく。
足もなく。
そこにあるのは、無数の枝を蠢かせ、大地深くまで根を張り、天を衝くかのように聳え立つ、大樹。
‘銀爪芽’に与えられていたのは、人間の姿。
逆十字団の歴史の中でも極めて特異な死徒。
「ボクがただ一人、姉様の‘銀爪芽’の力で、『弱くなっている』死徒だっていう事は・・・」
森がまだ若木であった頃、`彼女’は生まれた。
年月と供にいくつもの季節が巡り、多くの過酷な経験をした。
干ばつを。
洪水を。
大雪を。
それでも`彼女’は森と供に成長し、やがて自分が何者であるかに気づいた。
`彼女’は同時に理解した。
`交信’出来る範囲に、彼女の同族は居ないことを。
自分達が、滅びゆく太古の種族である事を。
そして、自分は決して孤独ではない事を。
初めは小さな虫、やがて小鳥がやってきた。
そして小動物が、草食動物が生活を始め、それを狙って肉食の獣もやってきた。
いつしか森は彼女を中心とした豊かな生態系を育んでいた。
彼女は満ち足りていた。
嬉しい時や、悲しい時は、風に合わせて体を揺らし、唄った。
春の風に目覚め、夏の陽光に体を伸ばし、秋の夕暮れを慈しみ、冬の間は短く眠り、そしてまた春と供に目覚めた。
穏やかで、満ち足りた日々。
それが森の守護者である樹人(エント)として生まれた彼女の幸福だった。
そしてある日、全てが変わった。
突如、森を切り開き、多くの人間達が足を踏み入れてきた。
鉄の斧により木々が次々と切り倒される。
下草は踏みにじられ、焼けた石を宿す鉄の塊が蒸気を上げている。
動物達は逃げまどい、小鳥達は散った。
美しく、豊かだった彼女の森は無惨に切り裂かれ、踏みにじられ、陵辱された。
彼女は戦った。
根は岩盤ごと大岩を蹴り上げ、葉を刃に、枝を槍に、幹を鞭に変え戦った。
人間達の鉄の武器が彼女の表皮に突き刺さる。
だが、千年の時を生きた彼女の樹皮を貫くには脆すぎる。
身を焦がす怒りのままに暴れ、人間達を蹂躙した。
偉大なる太古の原種族。
森を統べる礎王。
人間達がいくら集おうが、森で樹人を前にしては、一降りで消える夜露同様だ。
事実、生き残った人間達は撤収した。
ただし、大量の爆薬を置きみやげに。
彼女が変わらぬ時を慈しむ間、人間達は凶悪なまでに進化していた。
全ては終わった。
彼女が育んだ豊かな森は、灰と炭にまみれた広大な焼け野原に変わった。
枝は焼け落ち、樹皮の表面は黒く焼け焦げ、雄大な巨木であった彼女の姿は、巨大な火山岩のような姿に変わり果てた。
だが、まだ生きている。
森を焼き付く程の炎も、巨大な樹幹を全焼させるには至らなかった。
焼け焦げた体内には、水分は残されておらず、根はその巨体を支えるには、ほとんどが焼け落ちてしまった。
巨木を焼け焦げた大地に横たえ、彼女は泣いていた。
悠久の時が、一瞬で灰に変わる不条理。
何も守れる自分。
なぜ、自分な樹人などに生まれたのだろう。
時の流れに取り残された樹人などに生まれたのだろう。
生まれ変われば、全てを淘汰する速さが欲しい。
人間などの進化も及びも付かぬ、速さが欲しい。
彼女は口惜しさで巨木を捻り、声にならぬ声で叫び続けた。
「届いたわよ、貴方の声」
黒と灰色に染まった世界に突如舞い降りた、美しい銀髪。
人間?
いや、彼女は状況を視覚で捉えない。
視覚、聴覚、嗅覚。
それらを統括し、さらに超越した超感覚で状況を認識する。
横たわった彼女に手をさしのべる銀色は、人間などではない。
もっと深く、もっと激しい、千年の時を生きた彼女でも出会った事のない超存在。
「叶えるわ、貴方の願い。
この`銀水晶’が誘いましょう」
ゆっくりと、焼け焦げた樹皮をなで回す手が、爪を立てる。
「貴方の強い思いが、私を引き寄せた。
だから・・・」
爪が、食い込む。
「最後の扉は、貴方が開けなさい」
彼女の意識はもがいていた。
体内に流れ込もうとする新たな力は、彼女も感じていた。
だが、その力を掴むことは出来ない。
水辺に浮かぶ小枝の様に、表面に浮かんだままだ。
彼女は、ほの暗い水の底から浮上する事が出来ないというのに。
「大丈夫、絶対に」
銀色の髪の下から、優しい笑顔が浮かぶ。
同時に、左胸から銀白光が全身へと広がった。
目映い銀白光の中、髪がゆっくりと伸びていく。
細い四肢からは、弦楽器のような和音が響く。
「大丈夫、貴方なら」
水面から、目映い銀色が降りてくる。
彼女は水底で、必死に足掻き、浮上する。
翼が欲しい。
かつて、彼女の枝の上に集った小鳥達の様な、翼が欲しい。
どんな炎も飛び越える翼が欲しい。
人間達に追いつき、そしてたたき落とす、翼が欲しい。
そう、あの目映い輝きの様な`白銀の翼’。
ピシッ。
焼け焦げた樹木の表面に、亀裂が走った。
亀裂は樹幹全体を走り、やがて焼け焦げた樹皮は砕け散った。
そこに彼女は座っていた。
淡い銀髪の少女の裸身。
若木の様にしなやかな肢体。
そして、その背には`銀色の翼’
その顔立ちは、心なしか`銀水晶’を幼くした造形に似ている。
少女は戸惑っている。
自分の四肢に触れ、体全体を撫で回す
景色。
音。
空気。
同じものであるはずなのに、全てが違う。
「おめでとう。人間以外で、この`銀爪目’を受け入れたのは、貴方が初めてよ」
振り向いた彼女が見たものは、冬の月のような`銀水晶’の微笑みだった。
既に全身を包む銀白光は収まっていたが、その神秘性は少しも損なわれていない。
なんと美しいのか。
五感と、それに伴う感情を手に入れた彼女は、その美しさに心酔した。
誕生と同時に付き従う主を得た幸運。
「さあ、貴方の名前を教えて」
命令される喜び。
美しく、偉大な主が自分を欲している。
「・・・`白銀の翼’」
初めて発する声に合わせて、背中の羽を広げる・
枝から変化し形状を変えた翼は
その響きに歓喜で震える。
「そうお呼び頂いて、よろしいでしょうか?
「もちろんよ。でも、貴方にはもう一つの名前が必要だわ。
失われたこの森の、古代の名前。
それは・・・」
「ああ、そう言えば・・・」
体内から放出した`銀爪芽’を視て、思う。
`白銀の翼’に人の姿を与えたあの日、`銀水晶’は体内の永久機関`銀水晶’の稼働率を限界近くまで引き上げた。
光輝くあの姿が、銀水晶の僅
今ならば、分かる。
`銀水晶’が全身全霊を込めて打ち込んだ`銀爪芽’を自分から吐き出した以上、人の姿には戻れない。
樹人としての、今の姿。
天を突くような巨大な幹。
樹皮は硬化し、鋼の鎧と化している。
大地に張り巡らされた根は、瞬時に硬度を増し、剣山へと姿を変える。
天を覆いつくす程四方に伸びた枝は、鞭であり、槍。
何千万という数の葉は、一つ一つが鋭利な刃だ。
その全てを超感覚で捉えた敵に対し、精密かつ強力に行使する。
目標に対し、枝による上空から、根により足下から、葉による全包囲から攻撃を加える。
完全な立体攻撃を前に、`紅練腕’フェルメノ・キルスでさえ、反撃はもとより回避もままならず、致命傷を浴び、倒れ伏した。
一体にして、一群にして、一軍。
人の姿を捨てた代償として得る、圧倒的な暴力。
それが、逆十字団No6`白銀の翼’の真の姿、樹人の本領だ。。
一方で、一度樹人として戻った以上、もはやこの場所から動く事は出来ない。
千年の風雪と供に、ここに生き、朽ちる。
人間の姿を得て、人間の思考を感化された精神は、樹人となった今の変わらない。
精神が擦り切れて、崩壊するには、百年か、二百年か。
それでも、と`白銀の翼’は、反芻する。
「ボクは、姉様の役に立てた」
ならば、何の悔いもない。
「・・・ボクの名前、教える前に死んでしまったのかい?」
`白銀の翼’は、血溜まりに沈んだフェルメノを認識し、呟いた。
口も声帯も持たざる樹人の声は、外部に認識される事はない。
例えフェルメノに意識があっても、その声が届く事はない。
「最も、お前に何かに、姉様からもらった名前を教えるつもりはないけどね」
「奇遇ね」
フェルメノの口唇が動く。
「私も今更アンタの名前如きに興味はないわ」
`白銀の翼’の思考は、精神交信にのみ理解される。
同族である樹人以外には、かつて`銀水晶’だけが、この思念を理解した。
だが、瀕死の状態にあるフェルメノは、明らかに`白銀の翼’の思考に呼応して、言葉を発している。
なんだ。
この女は、なんなんだ。
「そんな事より、戦いの続きよ。決着をつけましょう」
血溜まりの中からフェルメノが立ち上がった。
致死量に匹敵する流血状態にありながら、フェルメノは笑う。
左手は、肩口を枝槍に貫かれ、だらりとぶら下がっている。
いや、繋がっているというべきか。
剥き出しになったその腕には、鴉の刺墨が血に塗れている。
立っているのが不思議なくらいの重傷だ。
決着どころの話ではない。
「・・・だが」
`白銀の翼’は叫ぶ。
まさか`樹人’となってまで叫ぶとは思わなかった
「なぜ貴様は笑う!フェルメノ・キルス!」
「・・・久々にブチ殺し甲斐のある相手に出会えた。笑わずにいられるか」
粗暴な口調で話すフェルメノに呼応し、`巡礼者の聖衣’が三度、形状を変える。
フェルメノが発するのは、聖衣に対し、意識しているのではない。
明確にして凶悪な、圧縮された殺意。
その殺意は隠す事なく全身から放出される。
`巡礼者の聖衣’に必要なのは、圧倒的な意志。
先程までは、聖衣の為に「鎧化の為の意識を集中」していたが、今や「剥き出しの殺意」に聖衣本体が反応している。
ギギギッ。
金属が擦れる不協和音と共に、聖衣は形状を変える。
主の発する本質のままに、黒く染まっていく。
一度目の鎧化の変形音は、繊細なオルゴールの様な調べであったが、今回は巨大な魔獣の断末魔のようなうねりを響かせる。
完全に黒く染まった聖衣は、血塗れのフェルメノを斑に染める。
反り返った鋭利な脚甲。
一際黒く輝く複合胸板。
首輪の様な喉防甲。
肩から背中に流れる背面装甲は、一対の翼を思わせる。
そして、兜は顔の前面を守るだけの鳥の嘴に似た面鎧に姿を変える。
装甲部位自体は減少したが、「フェルメノ・キルスに最適化した鎧」が誕生する。
凶悪、そして美しい「銀の黒鴉(シルヴァー・レイブン)」。