来歴
政界入りまで
政界入り
1967年4月に、
片山明彦が委員長退陣を表明。後任の委員長の選任について、
常任幹事会に一任する方向で党内調整をかけた。常任幹事会では、
片山委員長の後任として戦中活動家出身の
村本紘一を選任する方向であったが、これに対して、総評を中心とする支援母体は、
「戦後レジームからの脱却、福祉国家構想」への舵切を党に迫ることになる。その結果として、
労働組合に近い人物として、川村にも白羽の矢が立つ。
1967年7月、
国鉄中労連を支持母体に持つ、前
団体運動本部長の
海穐吉と
両院議員総会による決選投票によって、第4代
社会党委員長に指名される。同年8月の全国社会党大集会によって任命される。委員長就任以降、
社会党は、これまでの左翼政党路線から決別することを決定した。福祉型社会主義への路線変更を目指した、政権綱領の再策定に入ることとなる。1968年8月の
第21回全国社会党大集会で、政権綱領を大幅改定するに至る。急速に中道左翼路線への転換を図り、これまでの
学生運動や
戦後革命運動から決別する流れをとる。この矢面に立ちながら政策を実現するに至る。1970年には、政権党に返り咲きを達成し、自らも入閣するように打診を受けるが、社会党の党是に従って入閣を固辞。1975年に、保守合流の末に
自由党が結党すると、党諸派の一掃を名目に大同団結を図るため、委員長引退を宣言。自身の後任については、
常任幹事会に一任するものとして距離を置いた。
選挙歴
最終更新:2025年11月10日 09:57