来歴
1938年2月、
福岡県福岡市で、
陸軍上等兵として出征していた父のもと生まれる。父は、下駄職人であったが、軍役に転じ、戦後は傷痍軍人として駐留生活を送ることができた。
幼少期に、母な急逝したことで、父親の実家で幼少期を過ごす。中学校からは、「傷痍軍人家庭特例奨学金」が存在した全寮制の
福岡学院中学校・高等学校に進学する。1956年4月から
九州大学法学部に進学。
弁護士を志し、
「九州大学司法試験研究会」し初代会長を務める。この勉強会は、学生サークルとして設立され、九大最高峰の頭脳と呼ばれる
小田伊月(のちの
日本大学学術機構総裁)など多くの法律家を輩出する。
大学3年次に
司法試験を突破した。大学4年時には、
有藤治孝教授のもとで憲法学を学び、官僚への道を開くように薫陶を受けた。1960年4月から
司法修習生の2年間を経て、1962年から岡本・吾妻弁護士事務所に勤務した。主に市民運動を支える人権派弁護士として活躍、実務型ではなく研究型の弁護士として活動する。
官僚時代
1999年3月に退官し、
福岡県に帰郷。
自由党からの出馬要請を蹴って、旧友の
安塚浩大が経営する安塚法律事務所のパートナー弁護士に就任する。2000年に、
福岡県知事が設置する日本初の公営法律研究機関である
九州法務研究科初代所長に着任する。
2015年に肺がんで逝去。研究型の人権派弁護士、外務官僚として国際法の専門家、市井の法律研究の発展への貢献、様々な法分野で新たな日本建設に生涯をささげた。
略年歴
| 1963年 |
4月 |
大蔵省へ入省(高等文官行政科) |
|
7月 |
主計局調査課 |
| 1965年 |
6月 |
北日本財務局旭川税務署副署長 |
| 1966年 |
10月 |
旭川税務署長 |
| 1968年 |
10月 |
主計局調査課主務 |
| 1969年 |
4月 |
主税局徴収課係長 |
| 1970年 |
10月 |
主計局主計官補秘書役 |
| 1972年 |
1月 |
主計局総務課長補佐 |
| 1973年 |
10月 |
外務省へ出向 |
|
|
大臣官房会計課長補佐 |
| 1975年 |
6月 |
アジア太平洋局経済課長補佐 |
| 1976年 |
12月 |
欧州局経済課長補佐 |
| 1977年 |
5月 |
全権委員会専門職員(併)外務副大臣次席補佐官 |
|
10月 |
領事局外交官課長 |
| 1979年 |
4月 |
領事局在外邦人課長 |
| 1981年 |
1月 |
大臣官房人事課長 |
| 1983年 |
6月 |
外務副大臣秘書官 |
| 1987年 |
5月 |
外務大臣秘書官事務取扱 |
| 1989年 |
10月 |
大臣官房付 |
| 1990年 |
1月 |
領事局長 |
| 1992年 |
4月 |
大臣官房長 |
| 1994年 |
12月 |
船中勉の首相秘書官 |
| 1997年 |
8月 |
国際審議官付 |
|
12月 |
国際審議官 |
| 1999年 |
3月 |
外務省退官 |
選挙歴
最終更新:2026年03月29日 21:30