第213話 疑問符の戦果(前篇)
1485年(1945年)1月15日 午前6時 ヒーレリ領リーシウィルム沖
「発艦始め!」
まだ夜が開け切らない、寒い冬の洋上で、凛とした声音が鳴り響いた。
飛行甲板上でエンジンを唸らせていた艦載機は、待っていましたとばかりに次々と発艦していく。
戦闘機、艦爆、艦攻で編成された第1次攻撃隊は、僅か20分で発艦を終えた。
第58任務部隊の旗艦である正規空母ランドルフの艦上で、第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将は薄ら寒い艦橋の張り出し通路から、
艦橋の内部へ移動した。
「司令官。各任務群共に、第1次攻撃隊の発艦は完了したようです。」
参謀長のアーレイ・バーク少将は、今しがた通信参謀から受け取った報告を、ミッチャーに伝えた。
「今の所、予定通りだな。」
ミッチャーは単調な声音でバーク少将に返答する。
マーケット・ガーデン作戦の開始日は、1月21日と定められているが、マーケット作戦実行部隊の一翼を担う第58任務部隊は、
一足先にヒーレリ領を叩く事になっていた。
その最初の目標が、今まで無視して来たヒーレリ領有数の港湾施設、リーシウィルムである。
第5艦隊司令部からは、15日にリーシウィルム、16日と17日にリリャンフィルク周辺の鉄道、港湾施設、並びに手付かずのまま残されている
航空基地を叩くように命令を受け取っている。
攻撃隊の編成については第58任務部隊に任せると伝えられているため、ミッチャーは5つの空母任務群のうち、最初の第1次、第2次攻撃隊を
TG58.1、TG58.2、TG58.3から発艦させ、後の第3次、第4次攻撃隊をTG58.4,TG58.5から発艦させようと考えていた。
第1次攻撃隊は、ファイタースイープと通常編成の攻撃隊を合同で編成している。
TG58.1からはF6F24機、F4U34機、SB2C24機、TBF24機、TG58.2からはF6F38機、F4U52機、SB2C18機、
TBF20機。TG58.3からはF4U60機、SB2C18機、TBF18機が出撃している。
戦闘機208機、艦爆60機、艦攻64機。総計332機の大編隊は、一路リーシウィルムに向かいつつあった。
「参謀長。予定通り第2次攻撃隊も発艦させよう。」
「アイアイサー。至急、各艦に伝えます。」
バーク参謀長はそう答えた後、通信参謀に、各艦に命令を伝えるように指示を下した。
やや間を置いてから、ランドルフの艦長が電話越しに飛行長へ
「第2次攻撃隊、発艦準備急げ!」
と、鋭い声音で指示を飛ばす。
5分も経たない内に、飛行甲板上には、第2次攻撃隊の戦闘機、艦爆、艦攻が次々とエレベーターに上げられ、順序良く敷き並べられていった。
午前7時50分 リーシウィルム港東2ゼルド地点
第5親衛石甲師団第509連隊第3大隊を乗せていた軍用列車がリーシウィルム付近に到達し始めたのは、午前8時をもう少しで迎えようかと
言う時であった。
この時、大隊のキリラルブス搭乗員は、全員が長旅の疲れで寝込んでいたが、突然の空襲警報に叩き起こされてしまった。
「空襲警報発令!空襲警報発令!」
車両の真ん中の通路を、血相を変えた大隊の伝令兵が口でそう叫びながら駆け抜けて行く。
座席に毛布を被って寝入っていたフィルス・バンダル伍長は、当然の空襲警報発令に、最初、これは夢でないかと思った。
「ああ?空襲警報発令だとぉ?あいつ、なに寝ぼけてやがんだ。」
フィルスは、眠気でぼやけた意識を晴らそうとしながら、突拍子の無い事を叫ぶ伝令兵を睨みつける。
その伝令兵は、あっという間に、後ろの車両に駆け込んでいった。
「……とにかく寝よう。」
フィルスは、伝令兵の言葉を気にする事無く、再び睡眠を取ろうとした。
だが、彼がうとうとしかけた時、再び伝令兵が空襲警報発令!と絶叫しながら彼の居る車両に駆け込んで来た。
「やかましいぞこの馬鹿野郎!こっちは疲れて眠ってるんだ!」
フィルスと同様に、伝令兵の絶叫に腹を立てていた者が居たのだろう。誰かが乱入して来た伝令兵に食ってかかった。
その時、前の車両から新たな人物が入って来た。
「おい!貴様らいつまで寝ている!?」
「ちゅ、中隊長殿!おはようござます!」
伝令兵に怒鳴り散らした搭乗員が、慌てた口調でその人物に挨拶をする。
「挨拶は後だ!それより、今は寝ている場合じゃない!さっさとこいつらを叩き起こせ!」
彼らのやり取りを聞いていた搭乗員達は、伝令兵に噛み付いた兵に起こされるまでも無く、全員が自分で起き上がった。
その時、誰かが窓の外を指さして叫んだ。
「お、おい!ワイバーン隊が飛んで来たぞ!」
フィルスは、咄嗟に窓辺に目を向ける。
最初は何も見えなかったが、しばらくして、軍用列車の上空を通り過ぎたワイバーンの編隊が、海がある方角に向けて飛んで行くのが見えた。
数は約50騎ほどである。
「先程、リーシウィルムの海軍部隊から魔法通信が入った!本日午前7時40分頃、洋上の監視艇が、リーシウィルムに向かう敵艦載機と
思われる大編隊を発見したようだ!」
彼の言葉を聞いた搭乗員達は、飛び上がらんばかりに驚いた。
「中隊長殿、それは本当ですか!?」
「昨日の情報では、敵機動部隊はリリャンフィルクの攻撃に向かっている筈じゃ無かったのですか?」
搭乗員達は、中隊長に対して次々に質問を浴びせて行く。
第5親衛石甲師団は、いち早く配置先に到着するため、最短コースを選んだのだが、この移動路は海岸線に線路が引かれている場所が多く、
特にヒーレリ領では、線路と海岸線との距離が2、3ゼルドしか離れていない箇所が多い。
第5親衛石甲師団の将兵は、噂になっているアメリカ機動部隊の艦載機に襲われやしないかと、常に不安に思っていた。
そのため、師団司令部では将兵の不安を少しでも和らげるため、海軍から敵機動部隊に関する情報を回して貰うように手配していた。
昨日の情報では、アメリカ機動部隊はリーシウィルム寄りの西方220ゼルドを北西に向かって進んでいると伝えられたため、将兵達は、
敵がリーシウィルムには来ないであろうと思い、安堵していた。
ところが、来ないと信じていた筈の敵機動部隊が、急にリーシウィルムに向けて、艦載機の大編隊を送り込んで来たのである。
驚かぬ者など居る筈が無かった。
「昨日までの情報によれば、確かに敵機動部隊はリリャンフィルクに向かっていたと思われていた。だが、敵の狙いはリリャンフィルクでは
無かったようだ。」
「敵艦載機はどれぐらい居るのですか?」
「それは、俺にも分からん。だが、少なく見積もっても200機近くは居るかも知れん。」
「200機……さっき飛んで行ったワイバーン隊はせいぜい50騎前後。これでは、とても防げませんよ!」
「中隊長!前方の機関室に行って、速度を上げるように言いましょう!10ゼルド南にあるリフィンの森に入れば、敵艦載機に襲われても
爆弾を浴びる可能性は低くなります!」
「既に、大隊長が機関室に行って指示を下している。」
中隊長がそう答えた時、後ろから通信員が報告を伝えに来た。
「中隊長。リーシウィルム港付近の監視艇から追加報告です。敵艦載機約300機は、リーシウィルム港に尚も接近中、間も無く味方ワイバーン隊と
交戦を開始する模様なり」
午前8時10分 リーシウィルム港西10マイル地点
第58任務部隊より発艦した第1次攻撃隊328機(途中で4機が不調で引き返した)は、制空隊のF6F、F4U100機を前方に押し出した
形で進撃を続けていた。
TG58.1に所属している空母イントレピッドは、12機の艦爆と12機の艦攻を攻撃機として発艦させている。
空母イントレピッド艦爆隊VB-12の一員として、第2小隊の2番機を操縦しているカズヒロ・シマブクロ1等飛行兵曹は、先発するエセックス隊の
前方で繰り広げられている空中戦を遠目で見ていた。
「カズヒロ!制空隊の連中はどうだ?上手くやっているか?」
後部座席に乗っているニュール・ロージア1等兵曹がカズヒロに聞いて来た。
「ああ。敵ワイバーンの動きを上手く抑えている。こっちに向かって来る敵は居ないようだぜ。」
カズヒロはそう返答しながら、やや遠くの空中戦を見続ける。
(状況からして、敵の方が、こっちの制空隊よりも少ない。あんな不利な状況だったら、俺ならさっさと逃げ出しそうやっさ……
でも、敵も頑張るやぁ……)
彼は、独特の口調でそう独語する。
制空隊は100機以上は居るのに対して、敵のワイバーン隊は50騎程度しかいない。
これでは、攻撃隊に襲い掛かる事もままならないばかりか、自分達の身を守る事で精一杯な筈だ。
だが、敵ワイバーン隊は数の上で不利であるにもかかわらず、屈しようとはしなかった。
(父ちゃんから聞いた、三山時代の南山王も……最後はああやって戦ったかも知れんなぁ)
カズヒロは、父に小さい頃から聞かされてきた、故郷沖縄の歴史を心中で思い出していた。
制空隊は、敵ワイバーン隊の迎撃を上手く抑え込んだ為、攻撃隊は悠々とリーシウィルムに近付きつつあった。
「攻撃隊指揮官より各機へ!これより攻撃を開始する。各隊は割り当てられた目標を攻撃せよ!」
攻撃隊指揮官機を務めるエセックスの艦攻隊長から指示が伝わり、攻撃隊各機はそれぞれの目標に向かって進み始めた。
イントレピッド攻撃隊は、港湾部からやや内陸部にある敵の物資集積所を攻撃する手筈になっていた。
イントレピッド隊が進撃を続ける中、一足先にエセックス隊の艦爆、艦攻が港湾施設に向かって突進して行く。
リーシウィルム港周辺には対空火器が設置されていて、エセックスのヘルダイバー隊の周囲に、高射砲弾が炸裂するが、
経験豊富なパイロットで占められている艦爆乗り達は、それに臆する事無く、目標を正確に見定めて攻撃に移っていく。
程無くして、エセックス隊の突進を受けた港湾施設が、1000ポンド爆弾の直撃を次々に受けて、忽ちのうちに爆炎と黒煙に
包まれていく。
手痛い一撃を受けた港湾施設に、駄目押しとばかりにアベンジャー隊が水平爆撃を食らわせ、港湾施設に集中する倉庫等の目標が、
加速度的に破壊されていった。
倉庫や港の船舶を爆撃しただけでは飽き足らないのか、一部のアベンジャーやヘルダイバーは、これでもかとばかりに機銃掃射を仕掛けている。
「ふぅ、エセックス隊の連中、暴れに暴れているねぇ。」
エセックス隊のアベンジャー、ヘルダイバーの暴れっぷりを見ていたニュールが、苦笑いを浮かべながら喋った。
「エセックス・エアグループの搭乗員は荒っぽい奴がいるからな。飛行長のマッキャンベル中佐からしてその通りだし。」
「ハハ。あの上官にして、この部下ありって奴か。」
「だな。まっ、実際は良い奴が多いんだけどね。」
カズヒロはそう言ってから、ふと、目標である物資集積所の向こう側に、点在する林に隠れた線路らしき物が北から南に延びているのが見えた。
そして、その線路の上に、うっすらと何かが移動している姿も……
「おいニュール。目標の向こう側に、線路らしき物を見つけたぜ。」
「線路か。どうせそれだけだろう?」
ニュールはどうでも良いと言わんばかりの口調でカズヒロに返す。
「いや……線路だけでは無い。こっちから見辛いが、何か列車らしき物が動いているみたいだ。」
カズヒロはそう言いながら、持っていた双眼鏡で、動いている物の正体を確かめる。
双眼鏡越しに見えたそれは、明らかに列車であった。
彼らの位置から列車までの距離は6キロ程離れていたが、パイロットであるカズヒロの視力は2.5と高く、彼の眼には客車らしき車両と、
その後ろに繋がっている幌つきの無数の貨車。そして、一番最後の車両に積まれている対空機銃と思し物が写っていた。
「ニュール。あれは敵の軍用列車だな。結構長いぞ。」
「軍用列車だと?本当か!?」
「ああ。こっからじゃ詳細は分からんけど、幌が付いている貨車がかなり多いから、前線に何か物資を運んでいるかも知れんぜ。」
カズヒロは双眼鏡を構えながら、その線路の先を見る。
軍用列車が走るその先には、濃い森林地帯があった。森の状況からして、線路が木々に覆われている事は容易に想像が付く。
もし軍用列車が森林地帯に逃げ込めば、いくらヘルダイバーとはいえ、急降下爆撃で仕留めるのは不可能になる。
攻撃するなら、今、やるしかない。
「カズヒロ!すぐに中隊長に報告しろ!あれは重要な兵器を運んでいるかも知れんぞ!」
「了解!」
カズヒロは即答すると、レシーバー越しに中隊長を呼び出した。
「中隊長!こちらは2番機。聞こえますか!?」
「こちら中隊長。よく聞こえる。何かあったのか?」
「目標より4キロ東に線路を見つけました。それに加えて、線路上を移動する軍用列車も見つけました!もしかしたら、レスタン領に
増援を運んでいるかもしれません!」
レシーバーの向こう側に居る中隊長は、すぐに答えなかった。
30秒ほど間を置いてから、返事が届く。
「確かに見えた。お前の言う通り、あれは敵の増援を運んでいるかも知れん。あそこの森林地帯までもう距離が無い。攻撃するなら、
今のうちだな。」
「中隊長、では、攻撃ですね?」
「ああ。物資集積所の攻撃は、第3小隊とアベンジャー隊に任せよう。第2小隊は俺の小隊と共同であの列車を叩くぞ!」
中隊長は命令するや否や、すぐさま増速して直率の小隊と共に前進し始めた。
カズヒロは第1小隊に属しているため、左斜めを飛ぶ中隊長機につられる形でスピードを速める。
第1小隊と第2小隊8機のヘルダイバーは、急速に軍用列車との距離を詰めて行く。
だが……
「くそ!軍用列車と森林地帯の距離が近い!」
カズヒロは悪態をついた。
発見のタイミングが遅かったのか、軍用列車の先頭と森林地帯との距離は、指呼の間にまで迫っていた。
「第1小隊は貨車!第2小隊は客車が集中している部分を狙え!突撃!!」
中隊長はすかさず指示を下した。
降下を開始したのは、意外にも第2小隊からであった。
「第2小隊の奴ら、早々と降下を始めたな。焦ってるのかな?」
カズヒロは、横目で急降下に移っていく第2小隊を見つめながらそう呟いた。
前方の中隊長機が機を翻して急降下に入る。カズヒロも、手慣れた手つきで機体を捻らせた後、機首を下にして降下に移った。
カズヒロ達が冷静に攻撃を開始したのに対して、狙われた方の軍用列車。
第509連隊第3大隊が乗る軍用列車では、誰もが恐怖に顔を歪めていた。
「敵がこっちに急降下して来たぞぉ!!」
窓から顔を出して上空を見ていた兵士が、顔面を真っ青に染めながら絶叫した。
ウィーニ・エペライド軍曹は、耳に今まで聞いた事が無い、甲高い音が響き始めた事に気が付いた。
「この音は……もしや……!」
ウィーニは、徐々に大きくなって来る甲高い音が、噂に聞いている死の高笛なのかと思った。
死の高笛とは、アメリカ軍の急降下爆撃機が発する急降下音の事である。
米艦爆が発するダイブブレーキの轟音は、第3大隊の将兵達に計り知れない恐怖を与えていた。
唐突に、ウィーニの後ろに居た別のキリラルブスの射手が、大声を上げて窓から飛び出ようとした。
「おい!何をしているんだ!?」
「離してくれ!ここにいたら死んでしまう!!」
その伍長は、制止する仲間を振り払って、窓から体を乗り出そうとするが、2、3人の仲間が強引に伍長を取り押さえた。
甲高い轟音が極大に達したかと思った時、ウィーニは自然と、頭を抱えながら床に伏せていた。
その次の瞬間、車両の右側で物凄い轟音が鳴り響き、車両が線路から飛びあがらんばかりに激しく揺れ動いた。
爆発は1度だけでは無く、2度、3度、4度と連続した。
最後の爆発は、ウィーニが乗る車両から10メートルと離れていない場所で起きた。
その瞬間、凄まじい轟音が鳴り、爆風と破片が車両の左側のガラスを1枚残らず叩き割った。
爆風と共に煙が車内に吹き込み、ツンとした硝薬の匂いがあっという間に充満する。
「ぎゃああーーー!!やられたぁ!!!」
誰かが負傷したのだろう、車両の後ろ側で悲痛な叫びが上がった。
ウィーニは、誰が負傷したのか確認しようと、体を起こし掛けたが、その瞬間、彼女達が乗る車両から離れた後方で再び強い衝撃が伝わり
起き上がる事は叶わなかった。
またもや数度の爆発音が後方から伝わった後、車両が再び揺れ動いた。
上空を何かが轟音を唸らせながら、車両の真上を飛んで行く。ウィーニはふと、音が飛び去る方角に目を向ける。
そこには、黒っぽい色に染まったずんぐりとした形の飛空挺が居た。その飛空挺の胴体には、鮮やかな白い星が描かれている。
(あれが、ヘルダイバー……!)
ウィーニは、その敵機が、空母艦載機のヘルダイバーである事に気付いた。
唐突に、視界が遮られた。
「良かった……無事に森林地帯に逃げられた。」
ウィーニの隣で、同じように伏せていたフィルスが、ホッとため息を吐きながらそう言った。
「台長。これで安心ですよ。上は森の木々がカバーしています。これなら、精密爆撃が得意なヘルダイバーも手出しは出来ませんよ。」
フィルスは、落ち着いた声音でウィーニに言い、にこやかな笑みを浮かべた。
そのフィルスの上を、衛生兵が数人の兵と共に大慌てで上手く飛び退きながら車両の後ろに駆け抜けて行く。
「おっと、そろそろ立たないと……」
フィルスはそう言うと、体を起こして立ち上がろうとする。だがどういう訳か、彼はなかなか立ちあがれない。
「あ、あれ?おかしいな、膝がガクガク動いて立てない。」
フィルスは苦笑しつつ、懸命に立ち上がろうとする。だが、それでも立てなかった彼は、仕方なく座席に座る事にした。
「台長、大丈夫ですか?手を貸しますよ。」
フィルスは、伏せたままの彼女に手を差し伸べる。ウィーニはその手を取って、起き上がろうとした。
その時、股間の辺りで違和感を感じた。
「……!」
一瞬、彼女の表情が強張った。
「ん?どうかしたんですか?」
「い……いや!何でも……ない。」
ウィーニはすぐに起き上がり、体を縮めこませながら座席に座った。
「台長?本当に大丈夫ですか?」
フィルスの言葉に、ウィーニは何も言わなかったが、代わりに2、3度頷いた。
彼は、ウィーニがしきりに股間を隠している事に気付き、それ以上は何も言わなかった。
2人が、爆撃のショックで体を小刻みに震わせている時、そのすぐ後ろで、衛生兵と同僚達のやり取りが聞こえて来る。
「どうだ?助かるか……?」
「……いや、もう、何もやる必要は無くなったよ。」
「……え?どういう事だ?」
「もう、亡くなっちまった。破片が胸を貫いているから、もうどうしようもなかったが……」
「なんてこった………こいつは、子供連中をいじめるだけの、うんざりした仕事からようやく解放されたって言ってたのに……」
後ろから流れて来る暗い空気は、すぐに車両全体に充満していき、それから5分と経たぬ内に、車両内部は、うすら寒く、重苦しい
空気に包まれていた。
同日 午後4時50分 ヒーレリ領リーシウィルム
米機動部隊による波状攻撃が終わりを告げたリーシウィルムは、再び静寂に包まれていたが、リーシウィルムから東に10ゼルド
離れた場所にある、ヒーレリ領南部航空軍司令部では、その静寂とは裏腹の状況が展開されていた。
「統括司令官殿!何度も申しますように、私はそのような命令は受け入れられません!」
第31空中騎士軍司令官であるワロッカ・ラバイダロス中将は、ヒーレリ領空中騎士軍統括司令官であるバフォンド・ピルッスグ大将に
向けて、きつい口調で言い放った。
「我が部隊は元々、レスタン領への増援として編成された部隊です!それなのに、いきなり、洋上の敵機動部隊への攻撃に向かえと
命じられては困ります!」
「何故困るのだね?」
痩身のピルッスグ大将は、ラバイダロス中将をじと目で見つめる。
「リーシウィルムの70ゼルド沖には、アメリカの機動部隊が不用心にも接近しておるのだぞ?このヒーレリ領南西部に、ワイバーン部隊の
大群が居るとも知らずにな。これは、敵が油断していると言う明らかな証拠だ。今を置いて、叩く機会は無いと考えるが。」
「今はもう、夜間ですぞ!?出撃できるワイバーン隊はあまりおりません!それ以前に、我々はレスタン領で戦う事を予定されて編成されたのですよ?
こんな、場違いな所で戦う事は出来ません!」
「ふむ……貴官の主張も理解できる。だが、君は知らないのかね?」
ピルッスグ大将は、傲然と胸を逸らしながら言う。
「陸軍総司令部からは、好機あらば、あらゆる兵力を用いて、敵機動部隊の殲滅を計れと命令されておる。私は、ヒーレリ領空中騎士軍統括司令官だ。
確かに、君は一時的にヒーレリ領に居候している身に過ぎんのだろうが、同時に、“一時的に”私の部下でもある。つまり、君達のワイバーン部隊や
飛空挺部隊も、私の指揮下にあるのだよ。」
「そ……そんな命令聞いておりませんぞ!?」
「命令を聞いていない?それは……どういう事かな。」
「我々の部隊は秘匿部隊であるため、1月初旬頃から魔法通信の送受信を限り無く少なくしながら行動しておるのです。一応、重要な命令文は受信
するように命じられておりますが……その件については、私は何も知らされておりません!」
「なんと……知らされていないだと?2日前に発せられたばかりだぞ?」
「なっ……!?」
ラバイダロス中将は、思わず絶句してしまった。
彼には、そのような命令は全く知らされていなかった。
「で……では、我々は……」
「まぁ、私も鬼では無い。私としては、今日の報復を今すぐしてやりたいが、君達がそう言っている以上、無理に通す事は出来んだろう。よろしい、
本国の指示を仰いでみる。」
ピルッスグ大将は、穏やかな口調でラバイダロスにそう言った。
「魔道士官!すぐに本国に確認しろ!」
ピルッスグは、魔道士官に指示を下す。指示を受け取った魔道士官は、頷いてから確認作業に入った。
「はぁ……感謝いたします。」
「心配したかね?」
唐突に、ピルッスグ大将は質問をして来た。
「は……と、いいますと?」
「私が、このまま無茶な主張を押し通すと思ったかね?」
「はぁ……閣下のお家の事に付いては、いくつか聞き及んでおりましたので。」
「ふむ。馬鹿な弟を持つと、苦労するのはいつも、兄である私だな。」
ピルッスグ大将は苦笑しながら言う。
「ピルッスグ家が、多方面に関係を持っている事は確実だ。だが、それを成し遂げたのは私では無い。弟の方だよ。私はどちらかと言うと、
弟よりは役立たずの方でね。家では寂しい思いをしている物だ。」
ラバイダロスは、先ほどとは打って変わった、優しげなピルッスグに、内心驚いていた。
「私は先程、君に厳しく言ったが、あれはあくまで職責上の事さ。君が本国から何も聞いておらず、本国も君らに対して、何の指示もしないと
言うのであれば、私は君達に何もせずに、レスタン領に送り届けよう。万が一の場合は、我々の場所からも、援軍を送り届けて良いぞ。」
「援軍と申されましても……ヒーレリ領西部には、300騎ほどしかワイバーンが居ないのでは?」
「今日一日の防空戦で、300騎以下に減っている。だが、されど300騎以下だ。リーシウィルムは、約1000機近くの敵艦載機の猛攻に
よって、確かに壊滅的打撃を受けた。被害はそれだけに留まらず、第5親衛石甲師団の部隊にも被害が生じている。だが、幸いにして航空戦力は
まだ残っている。信じられるかね?この地方に駐屯していた私のワイバーン隊はたったの70騎足らずだ。70対1000。戦えば全滅するのは
目に見えている。だが、戦闘が終わってみれば、なんと、まだ34騎も残っている。無論、この状態では、部隊は壊滅したも同然だが、律儀に
敵の攻撃隊を迎撃し続けて、それでも34騎ものワイバーンが残っている。これは、まさに奇跡と思わんかね?」
「は……確かにそうですな。私の指揮下にある空中騎士隊とは大違いです。」
「私は噂話でしか聞いておらんのだが、君の指揮下にある部隊には、新米が多数いるようだな。」
「はい。1個空中騎士隊は、歴戦の部隊で、夜間戦闘もこなすのですが、残りの3個空中騎士隊は、錬度が完璧とは言えません。」
「編成上では、4個空中騎士隊のうち、3個が夜間戦闘も行えると聞いているが……そこの部分でもそうなのかね?」
「……正直申しまして、私が教官なら、半数以上は落第点スレスレか、確実に不合格です。残りも、夜間飛行はこなせるが、攻撃は難しいと
思える者しかおりません。一応、部隊としては存在しますが、実質的には、書類上の部隊と言っても過言ではありません。」
「そんなに酷いのか……私は、君になんて悪い事を言ってしまったのだろうか。」
今度は、ピルッスグが謝る番だった。
「いえ……統括司令官の言われる事も理解できます。閣下の立場からすれば、我々に出撃せよと申すのは当然の事です。」
ラバイダロスは、最初とは打って変わった、落ち着いた口調でピルッスグに言う。
最初は、いきなり部隊を出撃させる必要があると言って来たピルッスグに強い反発心を覚えた物だが、実際は心優しい人物であると分かり、
内心ホッとしていた。
(ピルッスグ家は、シホールアンル10貴族にも選ばれる大貴族と聞いていたから、色々とごり押しして来るんだろうと思っていたが……
この人は別なんだな)
ラバイダロスは、目の前に居る心優しき上官に、そんな印象を抱き始めていた。
だが、彼の安心も束の間であった。
「閣下!本国の総司令部より通信です!」
「うむ。読め。」
ピルッスグは魔道士官に命じた。
「ヒーレリ領航空部隊は、敵機動部隊に対して、直ちに攻撃を開始せよ!兵力不足の場合は、レスタン領に展開予定の増援ワイバーン隊も
参加させよ!以上であります。」
「………」
「………」
予想外の言葉の前に、2人の将星は、言葉を失ってしまった。
午後7時30分 リーシウィルム沖西方70ゼルド地点
第503空中騎士隊は、寒い夜空の中、高度50グレル以下、速力200レリンクで敵機動部隊の予想位置を目指しながら前進を続けていた。
「先導騎!生命反応は捉えたか?」
第503空中騎士隊の指揮官であるレビス・ファトグ少佐は、攻撃隊の2ゼルド前方を飛んでいる先導騎の竜騎士に、魔法通信で尋ねる。
「いえ、今の所、敵らしき反応はありません!」
頭の中で返信を受け取ったファトグ少佐は舌打ちする。
「参ったな……レンフェラルからの情報では、この海域に敵機動部隊が居る筈なんだが……敵に逃げられたかな?」
ファトグ少佐は、敵が発見できない事に苛立つ半面、内心ではこれで良いかもしれないという、見敵必殺をモットーとするシホールアンル軍人
にしては珍しい思いを抱いていた。
(もし、敵がさっさと逃げてくれれば……後ろから付いて来ている奴らを、無為に失わなくて済む)
彼は心中で呟きながら、顔を後ろに振り向けた。
第503空中騎士隊は、68騎のワイバーンでもって出撃しているが、それとは別に、第601空中騎士隊と第602空中騎士隊から発進した、
160騎のワイバーンも出撃を終えている。
この3個空中騎士隊は、レスタン領に移動予定であった第31空中騎士軍に所属しており、日も暮れた午後6時頃に、軍司令官であるラバイダロス
中将から直々に出撃を命じられた。
3個空中騎士隊228騎の大編隊は、夜間戦闘のベテランである第503空中騎士隊を先導役に当てる形で前進を続けている。
この3個空中騎士隊の任務は、リーシウィルム沖を北に向かって北上し続ける米機動部隊に痛烈な打撃を与える事である。
だが、ファトグ少佐は、この戦力で、敵機動部隊に大損害を与える事は難しいと考えていた。
3個空中騎士隊の内、満足に戦闘をこなせそうな部隊は、経験豊富な兵ばかりを集めた第503空中騎士隊だけであり、残りの2個空中騎士隊は、
竜騎士の大半が新米という有様であり、更に錬度に関してもまだ不安が残っていた。
ファトグ少佐としては、せめて、第503空中騎士隊だけで敵機動部隊の攻撃に移りたかったが、3個空中騎士隊で攻撃せよとの命令が下った
以上は、実行するしかなかった。
(敵機動部隊と戦闘となったら、一体、どれだけのワイバーンと竜騎士が失われるのだろうか。俺達も危ないが、後ろの新米共は更に危ない。
どうせなら、もっと訓練を行わせてから、前線に出したかったのだが……)
ファトグ少佐が思考に費やせる時間は、余り長くは無かった。
「隊長!2時方向に多数の生命反応を探知!距離は約12ゼルド!(36キロ)」
この時、ファトグ少佐の心中には、やっと見つかったかという思いと、まずい事になったという思いが複雑に絡み合っていた。
第58任務部隊旗艦である空母ランドルフのCICでは、TF58司令官のミッチャー中将が、対勢表示板上に描かれた敵騎群を険しい表情で
見つめていた。
「司令官。ピケットラインに配置した駆逐艦からは、敵編隊は100メートル以下の低高度で接近して来たとの報告が届いています。」
「まずいな……上空警戒のアベンジャーの交代する時に接近して来るとは。敵に悪運が強い奴が混じっているぞ。」
ミッチャーは、バーク参謀長の言葉に対して、眉をひそめながら答える。
「敵編隊は、このままのコースで行けばTG58.5かTG58.4に攻撃を仕掛ける可能性があります。」
「上空に上がっている夜間戦闘機は何機だ?」
「8機です。所属はハンコックとアンティータム。いずれもF4Uです。」
「他に飛ばせる機は?」
「このランドルフとボクサーからF6F4機、F4U4機を増援に向けられますが、残りは準備中の為、すぐには出撃出来ません。」
「ラングレー隊はどうなっている?VFN-91だけでも早く飛ばせんか?」
「今確認してみます。航空参謀!」
バーク少将は航空参謀を呼び付け、急いでラングレーに確認を取らせた。
2分後、ラングレーから返事が届いた。が……その返事は、ミッチャーの期待とは裏腹の物であった。
「目下、早急な発艦は不可能なり。発艦準備完了までは、あと20分掛かる見込み……か。」
「当分は、ハンコックとアンティータムのコルセアと、増援の8機に任せるしかありません。」
「参ったな……たった16機で、敵の大編隊を食い止める事はほぼ不可能だぞ。」
「不可能ではありますが、敵の数を減らす事は出来ます。それに、ハンコックとアンティータムのF4Uは、海兵隊の夜間戦闘機隊から
送られた物で、パイロットは既にエルネイル戦線でシホールアンル軍と夜間戦闘を経験済みです。ある程度は減らせますよ。」
ハンコックとアンティータムは、今回の作戦では戦闘機専用空母としての任務が与えられており、ハンコックはF6F48機、F4U34機を、
アンティータムはF4U72機を搭載している。
両艦は、それぞれTG58.4とTG58.5の防空任務の要となっているが、搭乗しているF4Uのパイロットは、半数以上が実戦を経験して
来た腕自慢のパイロットである。
機数は少ないとはいえ、敵編隊に少なからずダメージを与えられる事は期待できる。
「また、すり減った敵航空部隊は、機動部隊の対空砲火で対処できます。全部叩き落とす、と言う事は難しいですが。」
「どうせなら、いっそ、この間提出された案のように行けば、敵の撃墜比率も上がると思ったが……敵にもまだ“当てて来る奴が多い”以上、
そうもいかん。後は、各艦長の腕次第だな。」
先日提出された案……それは、機動部隊の防空戦闘時に関する意見書である。
この意見書には、防空戦闘時には、全艦が一定の速度、間隔を保ちつつ航行するという物である。
ミッチャーは、一月に一度行われる、各母艦の艦長達を招いた勉強会で、この意見書にあった案を採用したらどうかと言った。
防空戦闘時には、敵の攻撃をかわすために、各母艦も急回頭を行って爆弾や魚雷の回避に努めている。
だが、これでは輪形陣がばらつきやすくなる上、母艦の機銃員達も急回頭によって機銃や高角砲の照準を一時的とはいえ、狂わされる為、
少しばかりであるが、敵ワイバーンや飛空挺に対する弾幕が薄くなると言う問題があった。
それを解消するために、先の案が提出されている。
要するに、回避運動を行わず、機銃や高角砲がまともに狙い撃てる時間を極力増やし、圧倒的な弾幕で持って敵ワイバーンや飛空挺を片っ端から
叩き落とそうと言うのである。
だが、空母艦長達の大部分は、この案に反対であった。
「敵ワイバーンの竜騎士や、飛空挺パイロットの技量が落ちたとはいえ、依然として敵航空部隊は侮れない強敵である。敵にとって、空母は
涎が出そうなほどの獲物であり、もし直進ばかりを続けると気が付いたら、敵は1隻に対して5、60騎もの大群で襲い掛かって来るだろう。
そうなれば、我が太平洋艦隊は、大規模な航空戦がある度に、数があるとはいえ、高額な正規空母を1隻ないし、2隻ずつ失う事になりかねない。」
空母艦長達は、このような反対意見を述べ、頑として新戦法の採用を拒んだ。
ミッチャーはそれでも、この新戦法の有用性を説明し続け、以降の防空戦闘時に役立てようと考えたが、艦長達の言う事も理解できるため、
結局、この新戦法を取り入れるのは時期尚早と判断され、採用は見送られた。
(ミッチャーとしても、航空戦や海戦の度に、正規空母を複数失った提督と言われたくなかった)
「夜間戦闘隊、敵編隊と接触!間もなく交戦に入ります!」
レーダー員が、やや声を裏返しながらそう伝えて来る。
レーダー上に移っている光点は2つ。
1つめは、艦隊の南東方面から向かいつつある。その光点は数が多く、敵が相当数のワイバーンか飛空挺を動員している事を伺えさせる。
もう1つは、その光点に向かいつつある小さな光点だ。この光点が、頼みの綱の夜間戦闘機隊である。
やがて、大小2つの光点が重なり合った。
午後7時55分 TG58.4旗艦 空母シャングリラ
TG58.4司令官であるフレデリック・ボーガン少将は、旗艦シャングリラのCICで、対勢表示板を見つめていたが、その時、予想していた
報告が耳に入って来た。
「敵編隊、夜間戦闘隊の防衛ラインを突破!我が任務群に向かって来ます!」
「敵編隊の数は?」
ボーガンはすかさず聞き返した。
「約60騎前後です!」
「まずいな……あまり数が減っていないぞ。」
彼は眉をひそめた。
最初、敵編隊の数は70騎前後であり、夜間戦闘機隊は、数こそは少なかったものの、最低でも敵を14、5騎は叩き落とすか、傷つけて
編隊から脱落させるだろうとボーガンは考えていた。
だが、夜間戦闘隊は思った以上に戦果を上げておらず、逆に敵の護衛騎に追い回され、今までに3機が犠牲となっていた。
敵編隊は、夜間戦闘機隊に襲われる前と同じ攻撃力をほぼ維持したまま、TG58.4に接近しつつある。
「敵編隊、艦隊より8マイルまで接近!間もなく外輪部の駆逐艦と戦闘に入ります!」
「ピケット艦より入電!艦隊より80マイル南東に新たな敵編隊!数は約200騎前後!」
ボーガンは、2つ目の報告を耳にするなり、険しい表情を浮かべた。
「200騎前後だと。畜生!敵の奴ら、本気でTF58を叩くつもりだぞ!」
ボーガンは悪態を交えながら、そう言い放った。
空母アンティータムの艦上では、配置に付いた機銃員や高角砲要員が眦を決しながら、戦闘開始の時を待ち続けていた。
ヴィンセント・バルクマン少尉は、艦橋前に配置されている2基の連装両用砲の内、2段目にある2番両用砲の指揮官を務めている。
彼は、砲塔中央にある観測用ハッチから顔を出し、敵編隊が迫っていると思われる輪形陣右側に顔を向けていた。
(畜生め。空母群は5つもあるのに、シホット共は何でTG58.4に向かって来るんだよ!あの人でなし共め!)
彼は内心で、このTG58.4を狙って来た敵編隊を呪いつつも、ヘルメットの下に付けた、両耳のレシーバーからは射撃管制官からの
指示を聞き続けていた。
「敵編隊約50騎、二手に別れながら依然、前進中。戦闘に備えろ。」
「こちら2番砲塔、了解した!」
バルクマン少尉は、緊張で上ずった口調で、口元のマイクに向けてそう返した。
輪形陣右側で発砲炎と思しき閃光が煌めき、その直後、上空に高角砲弾炸裂の光が暗闇の向こうに灯る。
光の明滅は無数に湧き起こっている。
(駆逐艦が高角砲を撃った!いよいよ戦闘開始だな!)
バルクマン少尉は内心でそう叫びつつ、緊張を和らげるため、へその下を撫でた。
「射撃指揮所より両用砲へ!敵機約20騎前後が駆逐艦の上空を突破して本艦に向かいつつある!敵編隊は超低空より12騎、高度300メートル
ほどから14、5騎だ。両用砲は超低空より接近する敵を撃て!」
「2番砲塔了解!」
バルクマン少尉は観測用ハッチから顔を引っ込め、砲塔内の部下達に指示を伝える。
「敵編隊が向かって来る!目標は超低空より接近する敵騎!恐らく雷撃隊かも知れん、内輪を突破して来たら狙い撃ちにしろ!」
彼はそう伝えた後、再びハッチから顔を出した。
アンティータムの右舷前方800メートルの位置に占位する戦艦マサチューセッツが、右舷の両用砲と機銃を撃ちまくる。
マサチューセッツに習うかのように、右舷後方の重巡ニューオーリンズも両用砲、機銃をここぞとばかりに撃ち放つ。
敵ワイバーン隊の姿は見え辛いものの、高角砲弾炸裂時の閃光で、一瞬ながらもハッキリとした姿を見る事が出来た。
敵編隊は、戦艦や重巡から5インチ両方砲弾や40ミリ弾、20ミリ弾の弾幕射撃を受けて、次々と撃ち落とされていく。
唐突に、ワイバーンが飛んでいた海面で強烈な閃光が煌めき、その直後には派手な水柱が噴き上がった。
撃墜されたワイバーンが海面に墜落した瞬間、腹に抱いていた魚雷に機銃弾か、高角砲弾の破片が命中して大爆発を起こしたのであろう。
敵ワイバーン隊は1騎、また1騎と叩き落とされていくが、それでも9騎程が迎撃を突破してアンティータムに突進してきた。
「撃て!」
バルクマン少尉がすかさず命じる。次の瞬間、2門の5インチ両用砲が火を噴いた。
軍艦の艦載砲としては小さな部類に入る5インチ砲だが、近い場所で聞くとその砲声と衝撃は侮れない物がある。
両用砲の射撃に加え、舷側の40ミリ、20ミリ機銃座も一斉に射撃を開始する。
敵ワイバーン隊は、前方のアンティータムと、後方のニューオーリンズ、マサチューセッツから挟み撃ちにされ、瞬く間に2騎が叩き落とされた。
「更に2騎撃墜!」
射撃指揮所から伝えられるその言葉を聞いて、バルクマンは敵を1騎残らず殲滅出来るかも知れないと思った。
だが、それは甘い考えだった。
「敵ワイバーン急速接近!降爆だ!!」
唐突に、射撃管制官から慌てふためいたような声が流れた。
バルクマン少尉は咄嗟に上空を見上げた。
高度300メートルから接近して来た敵ワイバーンは、全速力でアンティータムに向かっていた。
アンティータムに向けて突撃を開始する頃は、14騎居たワイバーンも、今では7騎に減ってしまったが、それでも竜騎士達は臆する事無く
相棒を突っ込ませた。
暖降下爆撃の要領で接近して来た7騎のワイバーンは、すぐさまアンティータムの機銃に狙い撃ちにされる。
更に2騎が撃墜されたが、あのワイバーン隊に指向出来た機銃は、雷撃隊も同時に相手していることも災いして、思いの外少なかった為、
撃墜できたのは2騎だけであった。
5騎のワイバーンが次々と爆弾を投下する前に、アンティータムは右に急回頭を行った。
5騎のワイバーンは、それぞれ2発の150リギル爆弾を搭載しており、総計で10発の爆弾がアンティータムに降り注いだが、爆弾の大半は
アンティータムの左右両舷に降り注いで空しく水柱だけを噴き上げただけに留まったが、最後の3発が連続してアンティータムに命中した。
爆弾が命中した瞬間、バルクマン少尉は体が飛び上がり、背中を砲塔の側壁に打ち付けてしまった。
彼は一瞬だけ気を失い、気が付いた時には、砲塔内に夥しい煙と火災の熱気が籠っていた。
「くそ……一体どうしたって言うん」
彼は最後まで言葉を発せなかった。
唐突に、体が浮かびあがる様な猛烈な衝撃が伝わった。衝撃は、右舷前部から伝わり、非常に大きかった。
彼の体は再び飛び上がり、側壁に体をぶつけてしまった。
その揺れが収まらぬ内に、再び同じような衝撃が伝わり、バルクマン少尉はアンティータムが、海底から現れた巨大な獣に引っ掴まれて、
派手に振り回されているのではないか思った。
揺れが収まると、彼はよろめいた足取りで砲塔の外に歩み出た。
「何てこった……第1砲塔が……!」
彼の目の前には、無残にも変わり果てた第1両用砲座があった。
砲塔は、左半分が大きく破損し、2本あった砲塔は、1本が千切れており、もう1本があらぬ方向に折れ曲がっている。
砲塔の外には、2名の水兵が血まみれで横たわっており、戦死している事は明らかであった。
午後8時15分
ファトグ少佐は、ようやく部隊の終結を終え、帰還の途に付いていた。
「……敵正規空母1隻撃沈確実、1隻撃破。巡洋艦1隻撃破……か。」
ファトグは、洋上ゆらめく炎を見つめながら、自分達が上げた戦果を確認する。
彼が1個中隊を率いて雷撃したエセックス級空母には、右舷側に4本の水柱が立ち上がっており、それ以前に爆弾命中によって甲板上に
火災を起こしていた。
その敵空母は、火災煙を発しながら洋上に停止している。
敵の捕虜から得た情報では、エセックス級空母は爆弾に対する防御力は優れているが、魚雷に対する防御いま一つであり、片側に魚雷が
3本命中すれば致命傷となると伝えられている。
ファトグ隊は、計4本の水柱を確認している。
それに加えて、魚雷を当てた空母は火災を起こして停止しているため、致命傷を負った事は充分に考えられた。
また、別の正規空母にも、魚雷は命中させられなかったものの、爆弾を最低でも4、5発命中させているため、実質的に空母としての
機能を喪失させている。
それに加えて、護衛の巡洋艦1隻にも損傷を与えている。
68騎の空中騎士隊……護衛を除けば50騎程度の飛行隊が挙げた戦果としては、まさに大戦果と言える。
だが、同時に代償も大きかった。
「攻撃前には、50騎は居た攻撃騎が、今はたったの21騎か……やはり、アメリカ機動部隊の攻撃は、死地への旅出も同然だな。」
ファトグ少佐は小声でぼやきながら、生き残りのワイバーンを率いながら、戦闘海域を離れて行った。
そのファトグ隊と入れ替わりに、第601空中騎士隊と602空中騎士隊の攻撃隊はようやく、戦闘海域に到達した。
第602空中騎士隊第2中隊に所属するフェルビ・ジュベルドーナ伍長は、初めての実戦に興奮しつつも、仲間のワイバーンと共に暗い洋上を飛行していた。
「右前方に火災炎を視認!」
第602空中騎士隊の指揮官が、右前方洋上にゆらめく炎を見つけた。
「確か、俺達の前にはベテラン揃いの第501空中騎士隊が居たな。流石は、年季が入っているだけあって、きっちり仕事をこなしている……」
先輩達に続いて、俺達も頑張らないとな。
ジュベルドーナ伍長は、最後の部分は口中で呟いた。
彼は、昨年の9月にワイバーン竜騎士として軍務に付き始めたばかりで、それ以来はずっと、本国で訓練を行って来た。
年は19歳であり、第602空中騎士隊は、指揮官を除く大多数の竜騎士が同じような年齢の者ばかりである。
今回が初の実戦であるため、彼は極度に緊張しているが、訓練通りにやれば必ず、敵艦に魚雷を叩きこめると彼は信じていた。
第602空中騎士隊は、601空中騎士隊と共に順調に進み続け、火災炎を見つけてから20分後には、敵機動部隊まであと10ゼルドの
位置にまで接近していた。
「これより、敵機動部隊に向けて攻撃を開始する!事前の打ち合わせ通り、まだ無傷の空母群から攻撃する。601空中騎士隊はここから
南西の位置にある生命反応を辿れ。602空中騎士隊は、損傷空母のいる空母群のすぐ南に居る空母群を狙う。」
攻撃隊指揮官を兼ねる601空中騎士隊の飛行隊長が、魔法通信で命令を飛ばす。
ジュベルドーナ伍長も、ここで自らの生命反応探知魔法を使って前方の生命反応を探してみる。
彼の脳裏には、前方に大きく3つの生命反応が固まっているのが分かった。
3つの大きな生命反応は、それぞれが5ゼルド程間隔を開けながら航行しているのが分かる。
(こんなに纏まって行動するなんて、敵も馬鹿だな。)
ジュベルドーナ伍長は、心中で米機動部隊の指揮官を嘲笑した。
「これより攻撃態勢に入る!」
601空中騎士隊指揮官の新たな声が頭の中に響いた。
その直後、上空から何かの轟音が響いて来た。
ジュベルドーナ伍長はハッとなってその音がする方向を見つめる。その方向は、真っ暗闇に覆われて何も見えない。
彼は素早く、暗視効果のある魔法を発動させ、その音の正体を確かめようとした。
うっすらとだが、真っ暗だった視界が明るくなる。
「あれは……ヘルキャット!」
ジュベルドーナは、驚愕の表情で、自分の目に映った敵機の名を叫ぶ。
上空から急降下して来たヘルキャットは、あっという間の内に602空中騎士隊の編隊に接近し、機銃掃射を仕掛けてきた。
ヘルキャットに狙われたワイバーンは、突然の奇襲に対応できなかったため、一瞬のうちに全身に機銃弾を浴びて撃墜されてしまった。
「敵だ!敵の戦闘機だ!!」
602空中騎士隊の指揮官が、慌てた口調で叫ぶ。
「護衛隊!敵の戦闘機を追い払え!!」
指揮官は、攻撃隊の周囲に張り付いていた、護衛役の24騎のワイバーンに命じた。
24騎のワイバーンは指示に従い、編隊から離れようとするが、その護衛隊に、新たな敵機がやはり急降下で襲い掛かって来た。
今度の敵機もやはりヘルキャットであり、両翼の12.7ミリ機銃を乱射しながら編隊の下方に飛び抜けて行く。
戦闘ワイバーン2機が致命傷を負い、海面に墜落して行った。
それから敵戦闘機とワイバーン隊との間で戦闘が続いた。
この時、602空中騎士隊に襲い掛かった戦闘機は、軽空母ラングレー所属のVFN-91のヘルキャット12機である。
海軍航空隊では珍しく、レスタン人パイロットで編成されたこの夜間戦闘機隊は、機動性にやや難があると言われているヘルキャットを
軽戦闘機のように使いこなし、次々とワイバーンを叩き落として行く。
これに対して、竜騎士の大半が新米であるシホールアンル側は、米夜間戦闘機の猛攻の前に、完全に後手に回っていた。
しかし、それでも数の多いシホールアンル側は、12機のヘルキャットを徐々に押し始めた。
空戦開始から15分後、VFN-91のヘルキャット隊は、1機の喪失も出していないにも関わらず、40機以上のワイバーンに取り囲まれ、
危機的状況に陥っていたが、彼らの運命は未だに決して居なかった。
VFN-91を追い詰めたワイバーン隊を、海兵隊のコルセア隊が側面から突き上げたため、形勢は逆転した。
それに加えて、護衛戦闘隊が全く居なくなった為、他の空母から飛び立ったヘルキャットやコルセアに襲撃され、601空中騎士隊と
602空中騎士隊は、完全に編隊を崩され、バラバラのまま敵機動部隊の輪形陣に突っ込んで行った。
602空中騎士隊は、ようやく米機動部隊の至近にまで辿り着いていたが、この時、56騎は居た攻撃ワイバーンは、今や41騎にまで目減りしていた。
編隊もバラバラであり、敵の機銃掃射で傷付いたワイバーンも少なくない。だが、彼らは新米であるにも関わらず、戦意は旺盛であった。
「やっと……やっと見つけたぞ!」
ジュベルドーナ伍長は、先頭隊の突入で迎撃の対空砲火を放っている米機動部隊を見つめながら、絶叫していた。
彼の第2中隊は、他の中隊と比べて比較的纏まった隊形を維持しながら、米機動部隊の輪形陣に突っ込んで行った。
ジュベルドーナの第2中隊は雷撃班であるため、生き残った9騎のワイバーンは横一列に並びながら、150レリンクの低速で輪形陣の突破を図る。
輪形陣外輪部の駆逐艦が猛烈に両用砲や機銃弾を放って来る。
(これが、敵機動部隊の対空砲火なのか!?)
ジュベルドーナは、初めて目の当たりにする敵機動部隊の対空砲火に度肝を抜かされた。
駆逐艦の対空砲火は、1隻が放つ量はさほど多くない物の、思いの外近くで炸裂する両用砲弾や、至近距離ばかりを通り過ぎる機銃弾は脅威である。
また、駆逐艦の数は1隻だけでは無く、6、7隻と多く、しかも陣形の片側を完全にカバーしているため、飛んで来る両用砲弾や機銃弾の数はかなりの物である。
「もっとだ!もっと高度を下げろ!」
第2中隊の中では唯一、実戦経験がある中隊長が、魔法通信を使って部下達に伝えて来る。
高度は20メートルほどしかない。
一瞬でも相棒に間違った指示を送れば、確実に海面に接触するが、中隊長は、これよりも更に下げろと言う。
(無謀過ぎるが……やはりやるしかない!)
ジュベルドーナは、相棒のワイバーンに、更に高度を下げろと、繋げた魔術回路を通じて命じる。
唐突に、前方遠くで眩い閃光が煌めく。位置からして、敵の空母か戦艦が居ると思われる方角だが、どの艦に何を命中させたかは判然としない。
だが、ジュベルドーナは、自然に味方部隊が敵艦に爆弾か魚雷を命中させたのだと確信していた。
第2中隊が敵駆逐艦の輪形陣を突破しようとした時、一番右端を飛んでいたワイバーンが対空砲火に撃墜された。
「8番騎の生命反応が消えた!」
ジュベルドーナは後ろに振り向こうかと思ったが、すぐに考え直した。
今は視界が極端に悪い夜間である。
せめて、味方の死に様ぐらいは見ようと思っても、真っ暗闇の中に消えて行く味方騎など、見える筈は無い。
(今は、任務に集中しなければ!)
ジュベルドーナは、湧き起こる恐怖感を無理矢理抑え込みつつ、ワイバーンの高度と速度を維持する事に、意識を集中させた。
駆逐艦の陣形を突破した後は、巡洋艦がしばしの間、第2中隊の相手となる。
第2中隊の目の前には、大小3つの艦影が見えている。
3つの影のうち、最先頭を行く影は他の2つよりも形がかなり大きい。
「あれは……見た限りだと、敵の戦艦みたいだが……あれが噂のアイオワ級戦艦なのだろうか?」
ジュベルドーナは、その戦艦が、マオンド戦線で派手に大暴れしたという強力なアイオワ級なのかと思った。
その戦艦はアイオワ級では無く、アラスカ級巡洋戦艦の3番艦トライデントであり、兵装も艦の外見も大きく違っている。
だが、トライデントは、形式上は巡洋戦艦となっている物の、対空火力は5インチ連装両用砲8基16門、40ミリ4連装機銃19基76丁、
20ミリ機銃42丁と新鋭戦艦並みに強力であり、これを片舷だけでも5インチ砲8門、40ミリ機銃10基40丁、20ミリ機銃21丁と、
実に巡洋艦1隻分の火力を敵に使う事が出来る。
トライデントの他にも、後続する巡洋艦カンザスティとガルベストンは、共に新鋭のボルチモア級重巡洋艦とクリーブランド級軽巡洋艦であり、
5インチ砲だけでも最大8門ずつは第2中隊に向ける事が出来た。
3隻の戦艦、巡洋艦が両用砲と機銃を第2中隊に向けて撃ち放つ。
その猛烈な銃砲弾幕の前に、あっという間に2騎が叩き落とされた。
第2中隊は犠牲に顧みず、依然として突進を続け、遂に巡洋艦、戦艦の防御ラインを突破したが、それまでに中隊は3騎に減っていた。
「見えた……敵空母だ!!」
ジュベルドーナは、眼前に現れた敵空母を見るなり、歓喜の叫びを上げた。
目の前を航行している敵空母は、明らかにエセックス級の大型空母だ。
ジュベルドーナは、初陣にしてエセックス級空母を雷撃すると言う、滅多にない機会に恵まれたのである。
「今までに散った仲間の仇だ、腹の魚雷を叩き込んでやる!!」
彼は、かぁっと頭が熱くなるような感覚に囚われながらも、相棒に高度と速度の維持を伝え続ける。
距離は徐々に縮まっていく。敵空母からは、猛烈な対空砲火が注がれてくるのだが、不思議にも1発の機銃弾も命中しなかった。
「ぐぁ!後を頼む!!」
唐突に、魔法通信に仲間の声が聞こえたような気がするが、ジュベルドーナはそれに気を止める事も無く、投下地点まで相棒を前進させる事に
意識を集中する。
魚雷投下までの時間は、意外にも早く感じられた。
敵空母との距離が300グレルに迫った所で、ジュベルドーナは魚雷を投下した。
重い魚雷がワイバーンの腹から離れ、ワイバーンの体が一瞬浮き上がるが、ジュベルドーナはすかさず、相棒に高度を下げろと命じた為、
何とか高度10メートル程を維持できた。
ジュベルドーナは敵空母の右舷後部をかすめるように避退に移った。
至近距離をひっきりなしに機銃弾が駆け抜け、両用砲弾が周囲で炸裂する。
魚雷投下という任務を終えた後、ジュベルドーナはひたすら、米艦艇の猛攻に耐えるしかなかった。
「畜生!こんな所で、死んでたまるか!!」
今までに抑え込んでいた恐怖感が噴き出し掛けるが、ジュベルドーナは何とか抑え続ける。
その時、後方から重々しい爆発音が聞こえてきた。その直後には、何かの誘爆と思しき爆発音と、後方から差し込んで来たオレンジ色の閃光も確認できた。
ジュベルドーナは振り返らなかったが、爆発音からして、確実に敵空母を仕留めただろうと確信していた。
1月16日 午前7時 ヒーレリ領ヒレリイスルィ
第4機動艦隊司令官であるリリスティ・モルクンレル大将は、いつも通り朝7時に起きた後、軍服に着替えて朝食を取ろうと、部屋を
出ようとした時、突然、魔道参謀が血相を変えながら司令官公室に入って来た。
「失礼します!」
「おはよう……って、何かあったの?」
「司令官……ヒーレリ領南西部で、陸軍のワイバーン部隊が、アメリカ機動部隊との間で大規模な戦闘を行った模様です。」
「魔道参謀、それは既に聞いているけど……まさか、戦闘が起こった時間は夜間?」
「はい。」
「ちょ、ちょっと待って。」
リリスティは困惑する。
「ヒーレリ領のワイバーン部隊は、もう航空攻勢に移れるほどの戦力を有していない筈じゃ。」
「攻撃に使われたワイバーン隊は、ヒーレリ領に元々居た部隊ではありません。」
「……!?」
リリスティは、即座に事態の深刻さを悟った。
「そんな……冗談でしょう。」
彼女は頭を抱えてしまった。
「決戦用に用意された部隊を勝手に使ったと言うの?なんて……馬鹿な事を!!」
リリスティは怒りの余り、目の前に置かれていたゴミ箱を蹴り飛ばそうと思ったが、魔道参謀の手前、そうする事も出来ず、
ただ、天井を仰ぎ見るしか無かった。
「ねぇ……決戦部隊を勝手に使ったのは、現地のワイバーン隊司令官なのかな?」
「いえ、現地の司令官は、どうやら命令に従っただけのようです。」
「命令に従った?」
リリスティは魔道参謀に顔を向け、意外だと思わんばかりに目を丸くする。
「と言う事は……命令は、もっと上から出ている事なのね。」
「はい。報告書をお持ちしましたが、ご覧になりますか?」
リリスティは、無言で魔道参謀が持っていた報告書をひったくった。
「どれどれ……15日夜半に、第31空中騎士軍に攻撃を命じる……ハッ。何ともご立派な命令だ事。レスタン領での決戦兵力が、
これでどれだけ減ったのかな……」
彼女は、憎らしげな口調でそう吐き捨てながら、2枚目の紙に視線を移す。
「……え?ちょっと待って。」
リリスティは、急に不審な顔つきになりながら、2枚目の紙をはためかせながら魔道参謀に聞く。
「これはどういう事なの?誤報じゃないの?」
「は……私も最初は、自分の目を疑いましたが……どうやら、嘘ではないようです。」
「嘘じゃ……ない?」
リリスティは、納得がいかなかった。
「ワイバーン220騎を投入して……大型空母3隻撃沈、2隻撃破、戦艦1隻撃破、巡洋艦、駆逐艦各3隻撃破。我が方の喪失、
ワイバーン140騎。」
「ワイバーンの損害が大きいのは非常に痛い事ですが、事実であれば、敵機動部隊は1個空母群が壊滅したと思われます。」
「……昼間の戦闘でも、敵空母を沈めるのは意外と難しいのに、夜間戦闘でこれだけの戦果を上げた……じゃあ、昨年9月の戦闘はなんだったの?」
リリスティは、2枚目の紙を手で叩きながら言う。
「1800ものワイバーンと飛空挺を投入したけど、それでも空母5隻と戦艦1隻しか撃沈できなかったのよ?なのに、レビリンイクル沖海戦よりも
遥かに少ない数で、大型空母3隻撃沈だって?魔道参謀、あたしはハッキリ言う。」
リリスティはそう言いながら、魔道参謀に2枚の紙を押し付ける。
「今後、幾度かヒーレリ領沖で戦闘があるかもしれないけど、それに関係する、本国からの情報は余り信用しなくていい。」
「え?しかし……」
「冷静に考えて。視界の悪い夜間と、新米ばかりのワイバーン隊。この2つが合わされば何が起こるかは、ベテランのワイバーン乗りなら必ず分かるわよ。」
リリスティは魔道参謀に言いながら、過去に自分が犯した失敗を思い出す。
「あたしも経験がある。だから、この件に関しては、なるべく信用しない事ね。信用したとしても話半分……いや、話一割と考えた方が、丁度いいかもね。」
彼女はそう苦笑した後、ゆっくりとした足取りで司令官公室から出て行った。
1485年(1945年)1月15日 午前6時 ヒーレリ領リーシウィルム沖
「発艦始め!」
まだ夜が開け切らない、寒い冬の洋上で、凛とした声音が鳴り響いた。
飛行甲板上でエンジンを唸らせていた艦載機は、待っていましたとばかりに次々と発艦していく。
戦闘機、艦爆、艦攻で編成された第1次攻撃隊は、僅か20分で発艦を終えた。
第58任務部隊の旗艦である正規空母ランドルフの艦上で、第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将は薄ら寒い艦橋の張り出し通路から、
艦橋の内部へ移動した。
「司令官。各任務群共に、第1次攻撃隊の発艦は完了したようです。」
参謀長のアーレイ・バーク少将は、今しがた通信参謀から受け取った報告を、ミッチャーに伝えた。
「今の所、予定通りだな。」
ミッチャーは単調な声音でバーク少将に返答する。
マーケット・ガーデン作戦の開始日は、1月21日と定められているが、マーケット作戦実行部隊の一翼を担う第58任務部隊は、
一足先にヒーレリ領を叩く事になっていた。
その最初の目標が、今まで無視して来たヒーレリ領有数の港湾施設、リーシウィルムである。
第5艦隊司令部からは、15日にリーシウィルム、16日と17日にリリャンフィルク周辺の鉄道、港湾施設、並びに手付かずのまま残されている
航空基地を叩くように命令を受け取っている。
攻撃隊の編成については第58任務部隊に任せると伝えられているため、ミッチャーは5つの空母任務群のうち、最初の第1次、第2次攻撃隊を
TG58.1、TG58.2、TG58.3から発艦させ、後の第3次、第4次攻撃隊をTG58.4,TG58.5から発艦させようと考えていた。
第1次攻撃隊は、ファイタースイープと通常編成の攻撃隊を合同で編成している。
TG58.1からはF6F24機、F4U34機、SB2C24機、TBF24機、TG58.2からはF6F38機、F4U52機、SB2C18機、
TBF20機。TG58.3からはF4U60機、SB2C18機、TBF18機が出撃している。
戦闘機208機、艦爆60機、艦攻64機。総計332機の大編隊は、一路リーシウィルムに向かいつつあった。
「参謀長。予定通り第2次攻撃隊も発艦させよう。」
「アイアイサー。至急、各艦に伝えます。」
バーク参謀長はそう答えた後、通信参謀に、各艦に命令を伝えるように指示を下した。
やや間を置いてから、ランドルフの艦長が電話越しに飛行長へ
「第2次攻撃隊、発艦準備急げ!」
と、鋭い声音で指示を飛ばす。
5分も経たない内に、飛行甲板上には、第2次攻撃隊の戦闘機、艦爆、艦攻が次々とエレベーターに上げられ、順序良く敷き並べられていった。
午前7時50分 リーシウィルム港東2ゼルド地点
第5親衛石甲師団第509連隊第3大隊を乗せていた軍用列車がリーシウィルム付近に到達し始めたのは、午前8時をもう少しで迎えようかと
言う時であった。
この時、大隊のキリラルブス搭乗員は、全員が長旅の疲れで寝込んでいたが、突然の空襲警報に叩き起こされてしまった。
「空襲警報発令!空襲警報発令!」
車両の真ん中の通路を、血相を変えた大隊の伝令兵が口でそう叫びながら駆け抜けて行く。
座席に毛布を被って寝入っていたフィルス・バンダル伍長は、当然の空襲警報発令に、最初、これは夢でないかと思った。
「ああ?空襲警報発令だとぉ?あいつ、なに寝ぼけてやがんだ。」
フィルスは、眠気でぼやけた意識を晴らそうとしながら、突拍子の無い事を叫ぶ伝令兵を睨みつける。
その伝令兵は、あっという間に、後ろの車両に駆け込んでいった。
「……とにかく寝よう。」
フィルスは、伝令兵の言葉を気にする事無く、再び睡眠を取ろうとした。
だが、彼がうとうとしかけた時、再び伝令兵が空襲警報発令!と絶叫しながら彼の居る車両に駆け込んで来た。
「やかましいぞこの馬鹿野郎!こっちは疲れて眠ってるんだ!」
フィルスと同様に、伝令兵の絶叫に腹を立てていた者が居たのだろう。誰かが乱入して来た伝令兵に食ってかかった。
その時、前の車両から新たな人物が入って来た。
「おい!貴様らいつまで寝ている!?」
「ちゅ、中隊長殿!おはようござます!」
伝令兵に怒鳴り散らした搭乗員が、慌てた口調でその人物に挨拶をする。
「挨拶は後だ!それより、今は寝ている場合じゃない!さっさとこいつらを叩き起こせ!」
彼らのやり取りを聞いていた搭乗員達は、伝令兵に噛み付いた兵に起こされるまでも無く、全員が自分で起き上がった。
その時、誰かが窓の外を指さして叫んだ。
「お、おい!ワイバーン隊が飛んで来たぞ!」
フィルスは、咄嗟に窓辺に目を向ける。
最初は何も見えなかったが、しばらくして、軍用列車の上空を通り過ぎたワイバーンの編隊が、海がある方角に向けて飛んで行くのが見えた。
数は約50騎ほどである。
「先程、リーシウィルムの海軍部隊から魔法通信が入った!本日午前7時40分頃、洋上の監視艇が、リーシウィルムに向かう敵艦載機と
思われる大編隊を発見したようだ!」
彼の言葉を聞いた搭乗員達は、飛び上がらんばかりに驚いた。
「中隊長殿、それは本当ですか!?」
「昨日の情報では、敵機動部隊はリリャンフィルクの攻撃に向かっている筈じゃ無かったのですか?」
搭乗員達は、中隊長に対して次々に質問を浴びせて行く。
第5親衛石甲師団は、いち早く配置先に到着するため、最短コースを選んだのだが、この移動路は海岸線に線路が引かれている場所が多く、
特にヒーレリ領では、線路と海岸線との距離が2、3ゼルドしか離れていない箇所が多い。
第5親衛石甲師団の将兵は、噂になっているアメリカ機動部隊の艦載機に襲われやしないかと、常に不安に思っていた。
そのため、師団司令部では将兵の不安を少しでも和らげるため、海軍から敵機動部隊に関する情報を回して貰うように手配していた。
昨日の情報では、アメリカ機動部隊はリーシウィルム寄りの西方220ゼルドを北西に向かって進んでいると伝えられたため、将兵達は、
敵がリーシウィルムには来ないであろうと思い、安堵していた。
ところが、来ないと信じていた筈の敵機動部隊が、急にリーシウィルムに向けて、艦載機の大編隊を送り込んで来たのである。
驚かぬ者など居る筈が無かった。
「昨日までの情報によれば、確かに敵機動部隊はリリャンフィルクに向かっていたと思われていた。だが、敵の狙いはリリャンフィルクでは
無かったようだ。」
「敵艦載機はどれぐらい居るのですか?」
「それは、俺にも分からん。だが、少なく見積もっても200機近くは居るかも知れん。」
「200機……さっき飛んで行ったワイバーン隊はせいぜい50騎前後。これでは、とても防げませんよ!」
「中隊長!前方の機関室に行って、速度を上げるように言いましょう!10ゼルド南にあるリフィンの森に入れば、敵艦載機に襲われても
爆弾を浴びる可能性は低くなります!」
「既に、大隊長が機関室に行って指示を下している。」
中隊長がそう答えた時、後ろから通信員が報告を伝えに来た。
「中隊長。リーシウィルム港付近の監視艇から追加報告です。敵艦載機約300機は、リーシウィルム港に尚も接近中、間も無く味方ワイバーン隊と
交戦を開始する模様なり」
午前8時10分 リーシウィルム港西10マイル地点
第58任務部隊より発艦した第1次攻撃隊328機(途中で4機が不調で引き返した)は、制空隊のF6F、F4U100機を前方に押し出した
形で進撃を続けていた。
TG58.1に所属している空母イントレピッドは、12機の艦爆と12機の艦攻を攻撃機として発艦させている。
空母イントレピッド艦爆隊VB-12の一員として、第2小隊の2番機を操縦しているカズヒロ・シマブクロ1等飛行兵曹は、先発するエセックス隊の
前方で繰り広げられている空中戦を遠目で見ていた。
「カズヒロ!制空隊の連中はどうだ?上手くやっているか?」
後部座席に乗っているニュール・ロージア1等兵曹がカズヒロに聞いて来た。
「ああ。敵ワイバーンの動きを上手く抑えている。こっちに向かって来る敵は居ないようだぜ。」
カズヒロはそう返答しながら、やや遠くの空中戦を見続ける。
(状況からして、敵の方が、こっちの制空隊よりも少ない。あんな不利な状況だったら、俺ならさっさと逃げ出しそうやっさ……
でも、敵も頑張るやぁ……)
彼は、独特の口調でそう独語する。
制空隊は100機以上は居るのに対して、敵のワイバーン隊は50騎程度しかいない。
これでは、攻撃隊に襲い掛かる事もままならないばかりか、自分達の身を守る事で精一杯な筈だ。
だが、敵ワイバーン隊は数の上で不利であるにもかかわらず、屈しようとはしなかった。
(父ちゃんから聞いた、三山時代の南山王も……最後はああやって戦ったかも知れんなぁ)
カズヒロは、父に小さい頃から聞かされてきた、故郷沖縄の歴史を心中で思い出していた。
制空隊は、敵ワイバーン隊の迎撃を上手く抑え込んだ為、攻撃隊は悠々とリーシウィルムに近付きつつあった。
「攻撃隊指揮官より各機へ!これより攻撃を開始する。各隊は割り当てられた目標を攻撃せよ!」
攻撃隊指揮官機を務めるエセックスの艦攻隊長から指示が伝わり、攻撃隊各機はそれぞれの目標に向かって進み始めた。
イントレピッド攻撃隊は、港湾部からやや内陸部にある敵の物資集積所を攻撃する手筈になっていた。
イントレピッド隊が進撃を続ける中、一足先にエセックス隊の艦爆、艦攻が港湾施設に向かって突進して行く。
リーシウィルム港周辺には対空火器が設置されていて、エセックスのヘルダイバー隊の周囲に、高射砲弾が炸裂するが、
経験豊富なパイロットで占められている艦爆乗り達は、それに臆する事無く、目標を正確に見定めて攻撃に移っていく。
程無くして、エセックス隊の突進を受けた港湾施設が、1000ポンド爆弾の直撃を次々に受けて、忽ちのうちに爆炎と黒煙に
包まれていく。
手痛い一撃を受けた港湾施設に、駄目押しとばかりにアベンジャー隊が水平爆撃を食らわせ、港湾施設に集中する倉庫等の目標が、
加速度的に破壊されていった。
倉庫や港の船舶を爆撃しただけでは飽き足らないのか、一部のアベンジャーやヘルダイバーは、これでもかとばかりに機銃掃射を仕掛けている。
「ふぅ、エセックス隊の連中、暴れに暴れているねぇ。」
エセックス隊のアベンジャー、ヘルダイバーの暴れっぷりを見ていたニュールが、苦笑いを浮かべながら喋った。
「エセックス・エアグループの搭乗員は荒っぽい奴がいるからな。飛行長のマッキャンベル中佐からしてその通りだし。」
「ハハ。あの上官にして、この部下ありって奴か。」
「だな。まっ、実際は良い奴が多いんだけどね。」
カズヒロはそう言ってから、ふと、目標である物資集積所の向こう側に、点在する林に隠れた線路らしき物が北から南に延びているのが見えた。
そして、その線路の上に、うっすらと何かが移動している姿も……
「おいニュール。目標の向こう側に、線路らしき物を見つけたぜ。」
「線路か。どうせそれだけだろう?」
ニュールはどうでも良いと言わんばかりの口調でカズヒロに返す。
「いや……線路だけでは無い。こっちから見辛いが、何か列車らしき物が動いているみたいだ。」
カズヒロはそう言いながら、持っていた双眼鏡で、動いている物の正体を確かめる。
双眼鏡越しに見えたそれは、明らかに列車であった。
彼らの位置から列車までの距離は6キロ程離れていたが、パイロットであるカズヒロの視力は2.5と高く、彼の眼には客車らしき車両と、
その後ろに繋がっている幌つきの無数の貨車。そして、一番最後の車両に積まれている対空機銃と思し物が写っていた。
「ニュール。あれは敵の軍用列車だな。結構長いぞ。」
「軍用列車だと?本当か!?」
「ああ。こっからじゃ詳細は分からんけど、幌が付いている貨車がかなり多いから、前線に何か物資を運んでいるかも知れんぜ。」
カズヒロは双眼鏡を構えながら、その線路の先を見る。
軍用列車が走るその先には、濃い森林地帯があった。森の状況からして、線路が木々に覆われている事は容易に想像が付く。
もし軍用列車が森林地帯に逃げ込めば、いくらヘルダイバーとはいえ、急降下爆撃で仕留めるのは不可能になる。
攻撃するなら、今、やるしかない。
「カズヒロ!すぐに中隊長に報告しろ!あれは重要な兵器を運んでいるかも知れんぞ!」
「了解!」
カズヒロは即答すると、レシーバー越しに中隊長を呼び出した。
「中隊長!こちらは2番機。聞こえますか!?」
「こちら中隊長。よく聞こえる。何かあったのか?」
「目標より4キロ東に線路を見つけました。それに加えて、線路上を移動する軍用列車も見つけました!もしかしたら、レスタン領に
増援を運んでいるかもしれません!」
レシーバーの向こう側に居る中隊長は、すぐに答えなかった。
30秒ほど間を置いてから、返事が届く。
「確かに見えた。お前の言う通り、あれは敵の増援を運んでいるかも知れん。あそこの森林地帯までもう距離が無い。攻撃するなら、
今のうちだな。」
「中隊長、では、攻撃ですね?」
「ああ。物資集積所の攻撃は、第3小隊とアベンジャー隊に任せよう。第2小隊は俺の小隊と共同であの列車を叩くぞ!」
中隊長は命令するや否や、すぐさま増速して直率の小隊と共に前進し始めた。
カズヒロは第1小隊に属しているため、左斜めを飛ぶ中隊長機につられる形でスピードを速める。
第1小隊と第2小隊8機のヘルダイバーは、急速に軍用列車との距離を詰めて行く。
だが……
「くそ!軍用列車と森林地帯の距離が近い!」
カズヒロは悪態をついた。
発見のタイミングが遅かったのか、軍用列車の先頭と森林地帯との距離は、指呼の間にまで迫っていた。
「第1小隊は貨車!第2小隊は客車が集中している部分を狙え!突撃!!」
中隊長はすかさず指示を下した。
降下を開始したのは、意外にも第2小隊からであった。
「第2小隊の奴ら、早々と降下を始めたな。焦ってるのかな?」
カズヒロは、横目で急降下に移っていく第2小隊を見つめながらそう呟いた。
前方の中隊長機が機を翻して急降下に入る。カズヒロも、手慣れた手つきで機体を捻らせた後、機首を下にして降下に移った。
カズヒロ達が冷静に攻撃を開始したのに対して、狙われた方の軍用列車。
第509連隊第3大隊が乗る軍用列車では、誰もが恐怖に顔を歪めていた。
「敵がこっちに急降下して来たぞぉ!!」
窓から顔を出して上空を見ていた兵士が、顔面を真っ青に染めながら絶叫した。
ウィーニ・エペライド軍曹は、耳に今まで聞いた事が無い、甲高い音が響き始めた事に気が付いた。
「この音は……もしや……!」
ウィーニは、徐々に大きくなって来る甲高い音が、噂に聞いている死の高笛なのかと思った。
死の高笛とは、アメリカ軍の急降下爆撃機が発する急降下音の事である。
米艦爆が発するダイブブレーキの轟音は、第3大隊の将兵達に計り知れない恐怖を与えていた。
唐突に、ウィーニの後ろに居た別のキリラルブスの射手が、大声を上げて窓から飛び出ようとした。
「おい!何をしているんだ!?」
「離してくれ!ここにいたら死んでしまう!!」
その伍長は、制止する仲間を振り払って、窓から体を乗り出そうとするが、2、3人の仲間が強引に伍長を取り押さえた。
甲高い轟音が極大に達したかと思った時、ウィーニは自然と、頭を抱えながら床に伏せていた。
その次の瞬間、車両の右側で物凄い轟音が鳴り響き、車両が線路から飛びあがらんばかりに激しく揺れ動いた。
爆発は1度だけでは無く、2度、3度、4度と連続した。
最後の爆発は、ウィーニが乗る車両から10メートルと離れていない場所で起きた。
その瞬間、凄まじい轟音が鳴り、爆風と破片が車両の左側のガラスを1枚残らず叩き割った。
爆風と共に煙が車内に吹き込み、ツンとした硝薬の匂いがあっという間に充満する。
「ぎゃああーーー!!やられたぁ!!!」
誰かが負傷したのだろう、車両の後ろ側で悲痛な叫びが上がった。
ウィーニは、誰が負傷したのか確認しようと、体を起こし掛けたが、その瞬間、彼女達が乗る車両から離れた後方で再び強い衝撃が伝わり
起き上がる事は叶わなかった。
またもや数度の爆発音が後方から伝わった後、車両が再び揺れ動いた。
上空を何かが轟音を唸らせながら、車両の真上を飛んで行く。ウィーニはふと、音が飛び去る方角に目を向ける。
そこには、黒っぽい色に染まったずんぐりとした形の飛空挺が居た。その飛空挺の胴体には、鮮やかな白い星が描かれている。
(あれが、ヘルダイバー……!)
ウィーニは、その敵機が、空母艦載機のヘルダイバーである事に気付いた。
唐突に、視界が遮られた。
「良かった……無事に森林地帯に逃げられた。」
ウィーニの隣で、同じように伏せていたフィルスが、ホッとため息を吐きながらそう言った。
「台長。これで安心ですよ。上は森の木々がカバーしています。これなら、精密爆撃が得意なヘルダイバーも手出しは出来ませんよ。」
フィルスは、落ち着いた声音でウィーニに言い、にこやかな笑みを浮かべた。
そのフィルスの上を、衛生兵が数人の兵と共に大慌てで上手く飛び退きながら車両の後ろに駆け抜けて行く。
「おっと、そろそろ立たないと……」
フィルスはそう言うと、体を起こして立ち上がろうとする。だがどういう訳か、彼はなかなか立ちあがれない。
「あ、あれ?おかしいな、膝がガクガク動いて立てない。」
フィルスは苦笑しつつ、懸命に立ち上がろうとする。だが、それでも立てなかった彼は、仕方なく座席に座る事にした。
「台長、大丈夫ですか?手を貸しますよ。」
フィルスは、伏せたままの彼女に手を差し伸べる。ウィーニはその手を取って、起き上がろうとした。
その時、股間の辺りで違和感を感じた。
「……!」
一瞬、彼女の表情が強張った。
「ん?どうかしたんですか?」
「い……いや!何でも……ない。」
ウィーニはすぐに起き上がり、体を縮めこませながら座席に座った。
「台長?本当に大丈夫ですか?」
フィルスの言葉に、ウィーニは何も言わなかったが、代わりに2、3度頷いた。
彼は、ウィーニがしきりに股間を隠している事に気付き、それ以上は何も言わなかった。
2人が、爆撃のショックで体を小刻みに震わせている時、そのすぐ後ろで、衛生兵と同僚達のやり取りが聞こえて来る。
「どうだ?助かるか……?」
「……いや、もう、何もやる必要は無くなったよ。」
「……え?どういう事だ?」
「もう、亡くなっちまった。破片が胸を貫いているから、もうどうしようもなかったが……」
「なんてこった………こいつは、子供連中をいじめるだけの、うんざりした仕事からようやく解放されたって言ってたのに……」
後ろから流れて来る暗い空気は、すぐに車両全体に充満していき、それから5分と経たぬ内に、車両内部は、うすら寒く、重苦しい
空気に包まれていた。
同日 午後4時50分 ヒーレリ領リーシウィルム
米機動部隊による波状攻撃が終わりを告げたリーシウィルムは、再び静寂に包まれていたが、リーシウィルムから東に10ゼルド
離れた場所にある、ヒーレリ領南部航空軍司令部では、その静寂とは裏腹の状況が展開されていた。
「統括司令官殿!何度も申しますように、私はそのような命令は受け入れられません!」
第31空中騎士軍司令官であるワロッカ・ラバイダロス中将は、ヒーレリ領空中騎士軍統括司令官であるバフォンド・ピルッスグ大将に
向けて、きつい口調で言い放った。
「我が部隊は元々、レスタン領への増援として編成された部隊です!それなのに、いきなり、洋上の敵機動部隊への攻撃に向かえと
命じられては困ります!」
「何故困るのだね?」
痩身のピルッスグ大将は、ラバイダロス中将をじと目で見つめる。
「リーシウィルムの70ゼルド沖には、アメリカの機動部隊が不用心にも接近しておるのだぞ?このヒーレリ領南西部に、ワイバーン部隊の
大群が居るとも知らずにな。これは、敵が油断していると言う明らかな証拠だ。今を置いて、叩く機会は無いと考えるが。」
「今はもう、夜間ですぞ!?出撃できるワイバーン隊はあまりおりません!それ以前に、我々はレスタン領で戦う事を予定されて編成されたのですよ?
こんな、場違いな所で戦う事は出来ません!」
「ふむ……貴官の主張も理解できる。だが、君は知らないのかね?」
ピルッスグ大将は、傲然と胸を逸らしながら言う。
「陸軍総司令部からは、好機あらば、あらゆる兵力を用いて、敵機動部隊の殲滅を計れと命令されておる。私は、ヒーレリ領空中騎士軍統括司令官だ。
確かに、君は一時的にヒーレリ領に居候している身に過ぎんのだろうが、同時に、“一時的に”私の部下でもある。つまり、君達のワイバーン部隊や
飛空挺部隊も、私の指揮下にあるのだよ。」
「そ……そんな命令聞いておりませんぞ!?」
「命令を聞いていない?それは……どういう事かな。」
「我々の部隊は秘匿部隊であるため、1月初旬頃から魔法通信の送受信を限り無く少なくしながら行動しておるのです。一応、重要な命令文は受信
するように命じられておりますが……その件については、私は何も知らされておりません!」
「なんと……知らされていないだと?2日前に発せられたばかりだぞ?」
「なっ……!?」
ラバイダロス中将は、思わず絶句してしまった。
彼には、そのような命令は全く知らされていなかった。
「で……では、我々は……」
「まぁ、私も鬼では無い。私としては、今日の報復を今すぐしてやりたいが、君達がそう言っている以上、無理に通す事は出来んだろう。よろしい、
本国の指示を仰いでみる。」
ピルッスグ大将は、穏やかな口調でラバイダロスにそう言った。
「魔道士官!すぐに本国に確認しろ!」
ピルッスグは、魔道士官に指示を下す。指示を受け取った魔道士官は、頷いてから確認作業に入った。
「はぁ……感謝いたします。」
「心配したかね?」
唐突に、ピルッスグ大将は質問をして来た。
「は……と、いいますと?」
「私が、このまま無茶な主張を押し通すと思ったかね?」
「はぁ……閣下のお家の事に付いては、いくつか聞き及んでおりましたので。」
「ふむ。馬鹿な弟を持つと、苦労するのはいつも、兄である私だな。」
ピルッスグ大将は苦笑しながら言う。
「ピルッスグ家が、多方面に関係を持っている事は確実だ。だが、それを成し遂げたのは私では無い。弟の方だよ。私はどちらかと言うと、
弟よりは役立たずの方でね。家では寂しい思いをしている物だ。」
ラバイダロスは、先ほどとは打って変わった、優しげなピルッスグに、内心驚いていた。
「私は先程、君に厳しく言ったが、あれはあくまで職責上の事さ。君が本国から何も聞いておらず、本国も君らに対して、何の指示もしないと
言うのであれば、私は君達に何もせずに、レスタン領に送り届けよう。万が一の場合は、我々の場所からも、援軍を送り届けて良いぞ。」
「援軍と申されましても……ヒーレリ領西部には、300騎ほどしかワイバーンが居ないのでは?」
「今日一日の防空戦で、300騎以下に減っている。だが、されど300騎以下だ。リーシウィルムは、約1000機近くの敵艦載機の猛攻に
よって、確かに壊滅的打撃を受けた。被害はそれだけに留まらず、第5親衛石甲師団の部隊にも被害が生じている。だが、幸いにして航空戦力は
まだ残っている。信じられるかね?この地方に駐屯していた私のワイバーン隊はたったの70騎足らずだ。70対1000。戦えば全滅するのは
目に見えている。だが、戦闘が終わってみれば、なんと、まだ34騎も残っている。無論、この状態では、部隊は壊滅したも同然だが、律儀に
敵の攻撃隊を迎撃し続けて、それでも34騎ものワイバーンが残っている。これは、まさに奇跡と思わんかね?」
「は……確かにそうですな。私の指揮下にある空中騎士隊とは大違いです。」
「私は噂話でしか聞いておらんのだが、君の指揮下にある部隊には、新米が多数いるようだな。」
「はい。1個空中騎士隊は、歴戦の部隊で、夜間戦闘もこなすのですが、残りの3個空中騎士隊は、錬度が完璧とは言えません。」
「編成上では、4個空中騎士隊のうち、3個が夜間戦闘も行えると聞いているが……そこの部分でもそうなのかね?」
「……正直申しまして、私が教官なら、半数以上は落第点スレスレか、確実に不合格です。残りも、夜間飛行はこなせるが、攻撃は難しいと
思える者しかおりません。一応、部隊としては存在しますが、実質的には、書類上の部隊と言っても過言ではありません。」
「そんなに酷いのか……私は、君になんて悪い事を言ってしまったのだろうか。」
今度は、ピルッスグが謝る番だった。
「いえ……統括司令官の言われる事も理解できます。閣下の立場からすれば、我々に出撃せよと申すのは当然の事です。」
ラバイダロスは、最初とは打って変わった、落ち着いた口調でピルッスグに言う。
最初は、いきなり部隊を出撃させる必要があると言って来たピルッスグに強い反発心を覚えた物だが、実際は心優しい人物であると分かり、
内心ホッとしていた。
(ピルッスグ家は、シホールアンル10貴族にも選ばれる大貴族と聞いていたから、色々とごり押しして来るんだろうと思っていたが……
この人は別なんだな)
ラバイダロスは、目の前に居る心優しき上官に、そんな印象を抱き始めていた。
だが、彼の安心も束の間であった。
「閣下!本国の総司令部より通信です!」
「うむ。読め。」
ピルッスグは魔道士官に命じた。
「ヒーレリ領航空部隊は、敵機動部隊に対して、直ちに攻撃を開始せよ!兵力不足の場合は、レスタン領に展開予定の増援ワイバーン隊も
参加させよ!以上であります。」
「………」
「………」
予想外の言葉の前に、2人の将星は、言葉を失ってしまった。
午後7時30分 リーシウィルム沖西方70ゼルド地点
第503空中騎士隊は、寒い夜空の中、高度50グレル以下、速力200レリンクで敵機動部隊の予想位置を目指しながら前進を続けていた。
「先導騎!生命反応は捉えたか?」
第503空中騎士隊の指揮官であるレビス・ファトグ少佐は、攻撃隊の2ゼルド前方を飛んでいる先導騎の竜騎士に、魔法通信で尋ねる。
「いえ、今の所、敵らしき反応はありません!」
頭の中で返信を受け取ったファトグ少佐は舌打ちする。
「参ったな……レンフェラルからの情報では、この海域に敵機動部隊が居る筈なんだが……敵に逃げられたかな?」
ファトグ少佐は、敵が発見できない事に苛立つ半面、内心ではこれで良いかもしれないという、見敵必殺をモットーとするシホールアンル軍人
にしては珍しい思いを抱いていた。
(もし、敵がさっさと逃げてくれれば……後ろから付いて来ている奴らを、無為に失わなくて済む)
彼は心中で呟きながら、顔を後ろに振り向けた。
第503空中騎士隊は、68騎のワイバーンでもって出撃しているが、それとは別に、第601空中騎士隊と第602空中騎士隊から発進した、
160騎のワイバーンも出撃を終えている。
この3個空中騎士隊は、レスタン領に移動予定であった第31空中騎士軍に所属しており、日も暮れた午後6時頃に、軍司令官であるラバイダロス
中将から直々に出撃を命じられた。
3個空中騎士隊228騎の大編隊は、夜間戦闘のベテランである第503空中騎士隊を先導役に当てる形で前進を続けている。
この3個空中騎士隊の任務は、リーシウィルム沖を北に向かって北上し続ける米機動部隊に痛烈な打撃を与える事である。
だが、ファトグ少佐は、この戦力で、敵機動部隊に大損害を与える事は難しいと考えていた。
3個空中騎士隊の内、満足に戦闘をこなせそうな部隊は、経験豊富な兵ばかりを集めた第503空中騎士隊だけであり、残りの2個空中騎士隊は、
竜騎士の大半が新米という有様であり、更に錬度に関してもまだ不安が残っていた。
ファトグ少佐としては、せめて、第503空中騎士隊だけで敵機動部隊の攻撃に移りたかったが、3個空中騎士隊で攻撃せよとの命令が下った
以上は、実行するしかなかった。
(敵機動部隊と戦闘となったら、一体、どれだけのワイバーンと竜騎士が失われるのだろうか。俺達も危ないが、後ろの新米共は更に危ない。
どうせなら、もっと訓練を行わせてから、前線に出したかったのだが……)
ファトグ少佐が思考に費やせる時間は、余り長くは無かった。
「隊長!2時方向に多数の生命反応を探知!距離は約12ゼルド!(36キロ)」
この時、ファトグ少佐の心中には、やっと見つかったかという思いと、まずい事になったという思いが複雑に絡み合っていた。
第58任務部隊旗艦である空母ランドルフのCICでは、TF58司令官のミッチャー中将が、対勢表示板上に描かれた敵騎群を険しい表情で
見つめていた。
「司令官。ピケットラインに配置した駆逐艦からは、敵編隊は100メートル以下の低高度で接近して来たとの報告が届いています。」
「まずいな……上空警戒のアベンジャーの交代する時に接近して来るとは。敵に悪運が強い奴が混じっているぞ。」
ミッチャーは、バーク参謀長の言葉に対して、眉をひそめながら答える。
「敵編隊は、このままのコースで行けばTG58.5かTG58.4に攻撃を仕掛ける可能性があります。」
「上空に上がっている夜間戦闘機は何機だ?」
「8機です。所属はハンコックとアンティータム。いずれもF4Uです。」
「他に飛ばせる機は?」
「このランドルフとボクサーからF6F4機、F4U4機を増援に向けられますが、残りは準備中の為、すぐには出撃出来ません。」
「ラングレー隊はどうなっている?VFN-91だけでも早く飛ばせんか?」
「今確認してみます。航空参謀!」
バーク少将は航空参謀を呼び付け、急いでラングレーに確認を取らせた。
2分後、ラングレーから返事が届いた。が……その返事は、ミッチャーの期待とは裏腹の物であった。
「目下、早急な発艦は不可能なり。発艦準備完了までは、あと20分掛かる見込み……か。」
「当分は、ハンコックとアンティータムのコルセアと、増援の8機に任せるしかありません。」
「参ったな……たった16機で、敵の大編隊を食い止める事はほぼ不可能だぞ。」
「不可能ではありますが、敵の数を減らす事は出来ます。それに、ハンコックとアンティータムのF4Uは、海兵隊の夜間戦闘機隊から
送られた物で、パイロットは既にエルネイル戦線でシホールアンル軍と夜間戦闘を経験済みです。ある程度は減らせますよ。」
ハンコックとアンティータムは、今回の作戦では戦闘機専用空母としての任務が与えられており、ハンコックはF6F48機、F4U34機を、
アンティータムはF4U72機を搭載している。
両艦は、それぞれTG58.4とTG58.5の防空任務の要となっているが、搭乗しているF4Uのパイロットは、半数以上が実戦を経験して
来た腕自慢のパイロットである。
機数は少ないとはいえ、敵編隊に少なからずダメージを与えられる事は期待できる。
「また、すり減った敵航空部隊は、機動部隊の対空砲火で対処できます。全部叩き落とす、と言う事は難しいですが。」
「どうせなら、いっそ、この間提出された案のように行けば、敵の撃墜比率も上がると思ったが……敵にもまだ“当てて来る奴が多い”以上、
そうもいかん。後は、各艦長の腕次第だな。」
先日提出された案……それは、機動部隊の防空戦闘時に関する意見書である。
この意見書には、防空戦闘時には、全艦が一定の速度、間隔を保ちつつ航行するという物である。
ミッチャーは、一月に一度行われる、各母艦の艦長達を招いた勉強会で、この意見書にあった案を採用したらどうかと言った。
防空戦闘時には、敵の攻撃をかわすために、各母艦も急回頭を行って爆弾や魚雷の回避に努めている。
だが、これでは輪形陣がばらつきやすくなる上、母艦の機銃員達も急回頭によって機銃や高角砲の照準を一時的とはいえ、狂わされる為、
少しばかりであるが、敵ワイバーンや飛空挺に対する弾幕が薄くなると言う問題があった。
それを解消するために、先の案が提出されている。
要するに、回避運動を行わず、機銃や高角砲がまともに狙い撃てる時間を極力増やし、圧倒的な弾幕で持って敵ワイバーンや飛空挺を片っ端から
叩き落とそうと言うのである。
だが、空母艦長達の大部分は、この案に反対であった。
「敵ワイバーンの竜騎士や、飛空挺パイロットの技量が落ちたとはいえ、依然として敵航空部隊は侮れない強敵である。敵にとって、空母は
涎が出そうなほどの獲物であり、もし直進ばかりを続けると気が付いたら、敵は1隻に対して5、60騎もの大群で襲い掛かって来るだろう。
そうなれば、我が太平洋艦隊は、大規模な航空戦がある度に、数があるとはいえ、高額な正規空母を1隻ないし、2隻ずつ失う事になりかねない。」
空母艦長達は、このような反対意見を述べ、頑として新戦法の採用を拒んだ。
ミッチャーはそれでも、この新戦法の有用性を説明し続け、以降の防空戦闘時に役立てようと考えたが、艦長達の言う事も理解できるため、
結局、この新戦法を取り入れるのは時期尚早と判断され、採用は見送られた。
(ミッチャーとしても、航空戦や海戦の度に、正規空母を複数失った提督と言われたくなかった)
「夜間戦闘隊、敵編隊と接触!間もなく交戦に入ります!」
レーダー員が、やや声を裏返しながらそう伝えて来る。
レーダー上に移っている光点は2つ。
1つめは、艦隊の南東方面から向かいつつある。その光点は数が多く、敵が相当数のワイバーンか飛空挺を動員している事を伺えさせる。
もう1つは、その光点に向かいつつある小さな光点だ。この光点が、頼みの綱の夜間戦闘機隊である。
やがて、大小2つの光点が重なり合った。
午後7時55分 TG58.4旗艦 空母シャングリラ
TG58.4司令官であるフレデリック・ボーガン少将は、旗艦シャングリラのCICで、対勢表示板を見つめていたが、その時、予想していた
報告が耳に入って来た。
「敵編隊、夜間戦闘隊の防衛ラインを突破!我が任務群に向かって来ます!」
「敵編隊の数は?」
ボーガンはすかさず聞き返した。
「約60騎前後です!」
「まずいな……あまり数が減っていないぞ。」
彼は眉をひそめた。
最初、敵編隊の数は70騎前後であり、夜間戦闘機隊は、数こそは少なかったものの、最低でも敵を14、5騎は叩き落とすか、傷つけて
編隊から脱落させるだろうとボーガンは考えていた。
だが、夜間戦闘隊は思った以上に戦果を上げておらず、逆に敵の護衛騎に追い回され、今までに3機が犠牲となっていた。
敵編隊は、夜間戦闘機隊に襲われる前と同じ攻撃力をほぼ維持したまま、TG58.4に接近しつつある。
「敵編隊、艦隊より8マイルまで接近!間もなく外輪部の駆逐艦と戦闘に入ります!」
「ピケット艦より入電!艦隊より80マイル南東に新たな敵編隊!数は約200騎前後!」
ボーガンは、2つ目の報告を耳にするなり、険しい表情を浮かべた。
「200騎前後だと。畜生!敵の奴ら、本気でTF58を叩くつもりだぞ!」
ボーガンは悪態を交えながら、そう言い放った。
空母アンティータムの艦上では、配置に付いた機銃員や高角砲要員が眦を決しながら、戦闘開始の時を待ち続けていた。
ヴィンセント・バルクマン少尉は、艦橋前に配置されている2基の連装両用砲の内、2段目にある2番両用砲の指揮官を務めている。
彼は、砲塔中央にある観測用ハッチから顔を出し、敵編隊が迫っていると思われる輪形陣右側に顔を向けていた。
(畜生め。空母群は5つもあるのに、シホット共は何でTG58.4に向かって来るんだよ!あの人でなし共め!)
彼は内心で、このTG58.4を狙って来た敵編隊を呪いつつも、ヘルメットの下に付けた、両耳のレシーバーからは射撃管制官からの
指示を聞き続けていた。
「敵編隊約50騎、二手に別れながら依然、前進中。戦闘に備えろ。」
「こちら2番砲塔、了解した!」
バルクマン少尉は、緊張で上ずった口調で、口元のマイクに向けてそう返した。
輪形陣右側で発砲炎と思しき閃光が煌めき、その直後、上空に高角砲弾炸裂の光が暗闇の向こうに灯る。
光の明滅は無数に湧き起こっている。
(駆逐艦が高角砲を撃った!いよいよ戦闘開始だな!)
バルクマン少尉は内心でそう叫びつつ、緊張を和らげるため、へその下を撫でた。
「射撃指揮所より両用砲へ!敵機約20騎前後が駆逐艦の上空を突破して本艦に向かいつつある!敵編隊は超低空より12騎、高度300メートル
ほどから14、5騎だ。両用砲は超低空より接近する敵を撃て!」
「2番砲塔了解!」
バルクマン少尉は観測用ハッチから顔を引っ込め、砲塔内の部下達に指示を伝える。
「敵編隊が向かって来る!目標は超低空より接近する敵騎!恐らく雷撃隊かも知れん、内輪を突破して来たら狙い撃ちにしろ!」
彼はそう伝えた後、再びハッチから顔を出した。
アンティータムの右舷前方800メートルの位置に占位する戦艦マサチューセッツが、右舷の両用砲と機銃を撃ちまくる。
マサチューセッツに習うかのように、右舷後方の重巡ニューオーリンズも両用砲、機銃をここぞとばかりに撃ち放つ。
敵ワイバーン隊の姿は見え辛いものの、高角砲弾炸裂時の閃光で、一瞬ながらもハッキリとした姿を見る事が出来た。
敵編隊は、戦艦や重巡から5インチ両方砲弾や40ミリ弾、20ミリ弾の弾幕射撃を受けて、次々と撃ち落とされていく。
唐突に、ワイバーンが飛んでいた海面で強烈な閃光が煌めき、その直後には派手な水柱が噴き上がった。
撃墜されたワイバーンが海面に墜落した瞬間、腹に抱いていた魚雷に機銃弾か、高角砲弾の破片が命中して大爆発を起こしたのであろう。
敵ワイバーン隊は1騎、また1騎と叩き落とされていくが、それでも9騎程が迎撃を突破してアンティータムに突進してきた。
「撃て!」
バルクマン少尉がすかさず命じる。次の瞬間、2門の5インチ両用砲が火を噴いた。
軍艦の艦載砲としては小さな部類に入る5インチ砲だが、近い場所で聞くとその砲声と衝撃は侮れない物がある。
両用砲の射撃に加え、舷側の40ミリ、20ミリ機銃座も一斉に射撃を開始する。
敵ワイバーン隊は、前方のアンティータムと、後方のニューオーリンズ、マサチューセッツから挟み撃ちにされ、瞬く間に2騎が叩き落とされた。
「更に2騎撃墜!」
射撃指揮所から伝えられるその言葉を聞いて、バルクマンは敵を1騎残らず殲滅出来るかも知れないと思った。
だが、それは甘い考えだった。
「敵ワイバーン急速接近!降爆だ!!」
唐突に、射撃管制官から慌てふためいたような声が流れた。
バルクマン少尉は咄嗟に上空を見上げた。
高度300メートルから接近して来た敵ワイバーンは、全速力でアンティータムに向かっていた。
アンティータムに向けて突撃を開始する頃は、14騎居たワイバーンも、今では7騎に減ってしまったが、それでも竜騎士達は臆する事無く
相棒を突っ込ませた。
暖降下爆撃の要領で接近して来た7騎のワイバーンは、すぐさまアンティータムの機銃に狙い撃ちにされる。
更に2騎が撃墜されたが、あのワイバーン隊に指向出来た機銃は、雷撃隊も同時に相手していることも災いして、思いの外少なかった為、
撃墜できたのは2騎だけであった。
5騎のワイバーンが次々と爆弾を投下する前に、アンティータムは右に急回頭を行った。
5騎のワイバーンは、それぞれ2発の150リギル爆弾を搭載しており、総計で10発の爆弾がアンティータムに降り注いだが、爆弾の大半は
アンティータムの左右両舷に降り注いで空しく水柱だけを噴き上げただけに留まったが、最後の3発が連続してアンティータムに命中した。
爆弾が命中した瞬間、バルクマン少尉は体が飛び上がり、背中を砲塔の側壁に打ち付けてしまった。
彼は一瞬だけ気を失い、気が付いた時には、砲塔内に夥しい煙と火災の熱気が籠っていた。
「くそ……一体どうしたって言うん」
彼は最後まで言葉を発せなかった。
唐突に、体が浮かびあがる様な猛烈な衝撃が伝わった。衝撃は、右舷前部から伝わり、非常に大きかった。
彼の体は再び飛び上がり、側壁に体をぶつけてしまった。
その揺れが収まらぬ内に、再び同じような衝撃が伝わり、バルクマン少尉はアンティータムが、海底から現れた巨大な獣に引っ掴まれて、
派手に振り回されているのではないか思った。
揺れが収まると、彼はよろめいた足取りで砲塔の外に歩み出た。
「何てこった……第1砲塔が……!」
彼の目の前には、無残にも変わり果てた第1両用砲座があった。
砲塔は、左半分が大きく破損し、2本あった砲塔は、1本が千切れており、もう1本があらぬ方向に折れ曲がっている。
砲塔の外には、2名の水兵が血まみれで横たわっており、戦死している事は明らかであった。
午後8時15分
ファトグ少佐は、ようやく部隊の終結を終え、帰還の途に付いていた。
「……敵正規空母1隻撃沈確実、1隻撃破。巡洋艦1隻撃破……か。」
ファトグは、洋上ゆらめく炎を見つめながら、自分達が上げた戦果を確認する。
彼が1個中隊を率いて雷撃したエセックス級空母には、右舷側に4本の水柱が立ち上がっており、それ以前に爆弾命中によって甲板上に
火災を起こしていた。
その敵空母は、火災煙を発しながら洋上に停止している。
敵の捕虜から得た情報では、エセックス級空母は爆弾に対する防御力は優れているが、魚雷に対する防御いま一つであり、片側に魚雷が
3本命中すれば致命傷となると伝えられている。
ファトグ隊は、計4本の水柱を確認している。
それに加えて、魚雷を当てた空母は火災を起こして停止しているため、致命傷を負った事は充分に考えられた。
また、別の正規空母にも、魚雷は命中させられなかったものの、爆弾を最低でも4、5発命中させているため、実質的に空母としての
機能を喪失させている。
それに加えて、護衛の巡洋艦1隻にも損傷を与えている。
68騎の空中騎士隊……護衛を除けば50騎程度の飛行隊が挙げた戦果としては、まさに大戦果と言える。
だが、同時に代償も大きかった。
「攻撃前には、50騎は居た攻撃騎が、今はたったの21騎か……やはり、アメリカ機動部隊の攻撃は、死地への旅出も同然だな。」
ファトグ少佐は小声でぼやきながら、生き残りのワイバーンを率いながら、戦闘海域を離れて行った。
そのファトグ隊と入れ替わりに、第601空中騎士隊と602空中騎士隊の攻撃隊はようやく、戦闘海域に到達した。
第602空中騎士隊第2中隊に所属するフェルビ・ジュベルドーナ伍長は、初めての実戦に興奮しつつも、仲間のワイバーンと共に暗い洋上を飛行していた。
「右前方に火災炎を視認!」
第602空中騎士隊の指揮官が、右前方洋上にゆらめく炎を見つけた。
「確か、俺達の前にはベテラン揃いの第501空中騎士隊が居たな。流石は、年季が入っているだけあって、きっちり仕事をこなしている……」
先輩達に続いて、俺達も頑張らないとな。
ジュベルドーナ伍長は、最後の部分は口中で呟いた。
彼は、昨年の9月にワイバーン竜騎士として軍務に付き始めたばかりで、それ以来はずっと、本国で訓練を行って来た。
年は19歳であり、第602空中騎士隊は、指揮官を除く大多数の竜騎士が同じような年齢の者ばかりである。
今回が初の実戦であるため、彼は極度に緊張しているが、訓練通りにやれば必ず、敵艦に魚雷を叩きこめると彼は信じていた。
第602空中騎士隊は、601空中騎士隊と共に順調に進み続け、火災炎を見つけてから20分後には、敵機動部隊まであと10ゼルドの
位置にまで接近していた。
「これより、敵機動部隊に向けて攻撃を開始する!事前の打ち合わせ通り、まだ無傷の空母群から攻撃する。601空中騎士隊はここから
南西の位置にある生命反応を辿れ。602空中騎士隊は、損傷空母のいる空母群のすぐ南に居る空母群を狙う。」
攻撃隊指揮官を兼ねる601空中騎士隊の飛行隊長が、魔法通信で命令を飛ばす。
ジュベルドーナ伍長も、ここで自らの生命反応探知魔法を使って前方の生命反応を探してみる。
彼の脳裏には、前方に大きく3つの生命反応が固まっているのが分かった。
3つの大きな生命反応は、それぞれが5ゼルド程間隔を開けながら航行しているのが分かる。
(こんなに纏まって行動するなんて、敵も馬鹿だな。)
ジュベルドーナ伍長は、心中で米機動部隊の指揮官を嘲笑した。
「これより攻撃態勢に入る!」
601空中騎士隊指揮官の新たな声が頭の中に響いた。
その直後、上空から何かの轟音が響いて来た。
ジュベルドーナ伍長はハッとなってその音がする方向を見つめる。その方向は、真っ暗闇に覆われて何も見えない。
彼は素早く、暗視効果のある魔法を発動させ、その音の正体を確かめようとした。
うっすらとだが、真っ暗だった視界が明るくなる。
「あれは……ヘルキャット!」
ジュベルドーナは、驚愕の表情で、自分の目に映った敵機の名を叫ぶ。
上空から急降下して来たヘルキャットは、あっという間の内に602空中騎士隊の編隊に接近し、機銃掃射を仕掛けてきた。
ヘルキャットに狙われたワイバーンは、突然の奇襲に対応できなかったため、一瞬のうちに全身に機銃弾を浴びて撃墜されてしまった。
「敵だ!敵の戦闘機だ!!」
602空中騎士隊の指揮官が、慌てた口調で叫ぶ。
「護衛隊!敵の戦闘機を追い払え!!」
指揮官は、攻撃隊の周囲に張り付いていた、護衛役の24騎のワイバーンに命じた。
24騎のワイバーンは指示に従い、編隊から離れようとするが、その護衛隊に、新たな敵機がやはり急降下で襲い掛かって来た。
今度の敵機もやはりヘルキャットであり、両翼の12.7ミリ機銃を乱射しながら編隊の下方に飛び抜けて行く。
戦闘ワイバーン2機が致命傷を負い、海面に墜落して行った。
それから敵戦闘機とワイバーン隊との間で戦闘が続いた。
この時、602空中騎士隊に襲い掛かった戦闘機は、軽空母ラングレー所属のVFN-91のヘルキャット12機である。
海軍航空隊では珍しく、レスタン人パイロットで編成されたこの夜間戦闘機隊は、機動性にやや難があると言われているヘルキャットを
軽戦闘機のように使いこなし、次々とワイバーンを叩き落として行く。
これに対して、竜騎士の大半が新米であるシホールアンル側は、米夜間戦闘機の猛攻の前に、完全に後手に回っていた。
しかし、それでも数の多いシホールアンル側は、12機のヘルキャットを徐々に押し始めた。
空戦開始から15分後、VFN-91のヘルキャット隊は、1機の喪失も出していないにも関わらず、40機以上のワイバーンに取り囲まれ、
危機的状況に陥っていたが、彼らの運命は未だに決して居なかった。
VFN-91を追い詰めたワイバーン隊を、海兵隊のコルセア隊が側面から突き上げたため、形勢は逆転した。
それに加えて、護衛戦闘隊が全く居なくなった為、他の空母から飛び立ったヘルキャットやコルセアに襲撃され、601空中騎士隊と
602空中騎士隊は、完全に編隊を崩され、バラバラのまま敵機動部隊の輪形陣に突っ込んで行った。
602空中騎士隊は、ようやく米機動部隊の至近にまで辿り着いていたが、この時、56騎は居た攻撃ワイバーンは、今や41騎にまで目減りしていた。
編隊もバラバラであり、敵の機銃掃射で傷付いたワイバーンも少なくない。だが、彼らは新米であるにも関わらず、戦意は旺盛であった。
「やっと……やっと見つけたぞ!」
ジュベルドーナ伍長は、先頭隊の突入で迎撃の対空砲火を放っている米機動部隊を見つめながら、絶叫していた。
彼の第2中隊は、他の中隊と比べて比較的纏まった隊形を維持しながら、米機動部隊の輪形陣に突っ込んで行った。
ジュベルドーナの第2中隊は雷撃班であるため、生き残った9騎のワイバーンは横一列に並びながら、150レリンクの低速で輪形陣の突破を図る。
輪形陣外輪部の駆逐艦が猛烈に両用砲や機銃弾を放って来る。
(これが、敵機動部隊の対空砲火なのか!?)
ジュベルドーナは、初めて目の当たりにする敵機動部隊の対空砲火に度肝を抜かされた。
駆逐艦の対空砲火は、1隻が放つ量はさほど多くない物の、思いの外近くで炸裂する両用砲弾や、至近距離ばかりを通り過ぎる機銃弾は脅威である。
また、駆逐艦の数は1隻だけでは無く、6、7隻と多く、しかも陣形の片側を完全にカバーしているため、飛んで来る両用砲弾や機銃弾の数はかなりの物である。
「もっとだ!もっと高度を下げろ!」
第2中隊の中では唯一、実戦経験がある中隊長が、魔法通信を使って部下達に伝えて来る。
高度は20メートルほどしかない。
一瞬でも相棒に間違った指示を送れば、確実に海面に接触するが、中隊長は、これよりも更に下げろと言う。
(無謀過ぎるが……やはりやるしかない!)
ジュベルドーナは、相棒のワイバーンに、更に高度を下げろと、繋げた魔術回路を通じて命じる。
唐突に、前方遠くで眩い閃光が煌めく。位置からして、敵の空母か戦艦が居ると思われる方角だが、どの艦に何を命中させたかは判然としない。
だが、ジュベルドーナは、自然に味方部隊が敵艦に爆弾か魚雷を命中させたのだと確信していた。
第2中隊が敵駆逐艦の輪形陣を突破しようとした時、一番右端を飛んでいたワイバーンが対空砲火に撃墜された。
「8番騎の生命反応が消えた!」
ジュベルドーナは後ろに振り向こうかと思ったが、すぐに考え直した。
今は視界が極端に悪い夜間である。
せめて、味方の死に様ぐらいは見ようと思っても、真っ暗闇の中に消えて行く味方騎など、見える筈は無い。
(今は、任務に集中しなければ!)
ジュベルドーナは、湧き起こる恐怖感を無理矢理抑え込みつつ、ワイバーンの高度と速度を維持する事に、意識を集中させた。
駆逐艦の陣形を突破した後は、巡洋艦がしばしの間、第2中隊の相手となる。
第2中隊の目の前には、大小3つの艦影が見えている。
3つの影のうち、最先頭を行く影は他の2つよりも形がかなり大きい。
「あれは……見た限りだと、敵の戦艦みたいだが……あれが噂のアイオワ級戦艦なのだろうか?」
ジュベルドーナは、その戦艦が、マオンド戦線で派手に大暴れしたという強力なアイオワ級なのかと思った。
その戦艦はアイオワ級では無く、アラスカ級巡洋戦艦の3番艦トライデントであり、兵装も艦の外見も大きく違っている。
だが、トライデントは、形式上は巡洋戦艦となっている物の、対空火力は5インチ連装両用砲8基16門、40ミリ4連装機銃19基76丁、
20ミリ機銃42丁と新鋭戦艦並みに強力であり、これを片舷だけでも5インチ砲8門、40ミリ機銃10基40丁、20ミリ機銃21丁と、
実に巡洋艦1隻分の火力を敵に使う事が出来る。
トライデントの他にも、後続する巡洋艦カンザスティとガルベストンは、共に新鋭のボルチモア級重巡洋艦とクリーブランド級軽巡洋艦であり、
5インチ砲だけでも最大8門ずつは第2中隊に向ける事が出来た。
3隻の戦艦、巡洋艦が両用砲と機銃を第2中隊に向けて撃ち放つ。
その猛烈な銃砲弾幕の前に、あっという間に2騎が叩き落とされた。
第2中隊は犠牲に顧みず、依然として突進を続け、遂に巡洋艦、戦艦の防御ラインを突破したが、それまでに中隊は3騎に減っていた。
「見えた……敵空母だ!!」
ジュベルドーナは、眼前に現れた敵空母を見るなり、歓喜の叫びを上げた。
目の前を航行している敵空母は、明らかにエセックス級の大型空母だ。
ジュベルドーナは、初陣にしてエセックス級空母を雷撃すると言う、滅多にない機会に恵まれたのである。
「今までに散った仲間の仇だ、腹の魚雷を叩き込んでやる!!」
彼は、かぁっと頭が熱くなるような感覚に囚われながらも、相棒に高度と速度の維持を伝え続ける。
距離は徐々に縮まっていく。敵空母からは、猛烈な対空砲火が注がれてくるのだが、不思議にも1発の機銃弾も命中しなかった。
「ぐぁ!後を頼む!!」
唐突に、魔法通信に仲間の声が聞こえたような気がするが、ジュベルドーナはそれに気を止める事も無く、投下地点まで相棒を前進させる事に
意識を集中する。
魚雷投下までの時間は、意外にも早く感じられた。
敵空母との距離が300グレルに迫った所で、ジュベルドーナは魚雷を投下した。
重い魚雷がワイバーンの腹から離れ、ワイバーンの体が一瞬浮き上がるが、ジュベルドーナはすかさず、相棒に高度を下げろと命じた為、
何とか高度10メートル程を維持できた。
ジュベルドーナは敵空母の右舷後部をかすめるように避退に移った。
至近距離をひっきりなしに機銃弾が駆け抜け、両用砲弾が周囲で炸裂する。
魚雷投下という任務を終えた後、ジュベルドーナはひたすら、米艦艇の猛攻に耐えるしかなかった。
「畜生!こんな所で、死んでたまるか!!」
今までに抑え込んでいた恐怖感が噴き出し掛けるが、ジュベルドーナは何とか抑え続ける。
その時、後方から重々しい爆発音が聞こえてきた。その直後には、何かの誘爆と思しき爆発音と、後方から差し込んで来たオレンジ色の閃光も確認できた。
ジュベルドーナは振り返らなかったが、爆発音からして、確実に敵空母を仕留めただろうと確信していた。
1月16日 午前7時 ヒーレリ領ヒレリイスルィ
第4機動艦隊司令官であるリリスティ・モルクンレル大将は、いつも通り朝7時に起きた後、軍服に着替えて朝食を取ろうと、部屋を
出ようとした時、突然、魔道参謀が血相を変えながら司令官公室に入って来た。
「失礼します!」
「おはよう……って、何かあったの?」
「司令官……ヒーレリ領南西部で、陸軍のワイバーン部隊が、アメリカ機動部隊との間で大規模な戦闘を行った模様です。」
「魔道参謀、それは既に聞いているけど……まさか、戦闘が起こった時間は夜間?」
「はい。」
「ちょ、ちょっと待って。」
リリスティは困惑する。
「ヒーレリ領のワイバーン部隊は、もう航空攻勢に移れるほどの戦力を有していない筈じゃ。」
「攻撃に使われたワイバーン隊は、ヒーレリ領に元々居た部隊ではありません。」
「……!?」
リリスティは、即座に事態の深刻さを悟った。
「そんな……冗談でしょう。」
彼女は頭を抱えてしまった。
「決戦用に用意された部隊を勝手に使ったと言うの?なんて……馬鹿な事を!!」
リリスティは怒りの余り、目の前に置かれていたゴミ箱を蹴り飛ばそうと思ったが、魔道参謀の手前、そうする事も出来ず、
ただ、天井を仰ぎ見るしか無かった。
「ねぇ……決戦部隊を勝手に使ったのは、現地のワイバーン隊司令官なのかな?」
「いえ、現地の司令官は、どうやら命令に従っただけのようです。」
「命令に従った?」
リリスティは魔道参謀に顔を向け、意外だと思わんばかりに目を丸くする。
「と言う事は……命令は、もっと上から出ている事なのね。」
「はい。報告書をお持ちしましたが、ご覧になりますか?」
リリスティは、無言で魔道参謀が持っていた報告書をひったくった。
「どれどれ……15日夜半に、第31空中騎士軍に攻撃を命じる……ハッ。何ともご立派な命令だ事。レスタン領での決戦兵力が、
これでどれだけ減ったのかな……」
彼女は、憎らしげな口調でそう吐き捨てながら、2枚目の紙に視線を移す。
「……え?ちょっと待って。」
リリスティは、急に不審な顔つきになりながら、2枚目の紙をはためかせながら魔道参謀に聞く。
「これはどういう事なの?誤報じゃないの?」
「は……私も最初は、自分の目を疑いましたが……どうやら、嘘ではないようです。」
「嘘じゃ……ない?」
リリスティは、納得がいかなかった。
「ワイバーン220騎を投入して……大型空母3隻撃沈、2隻撃破、戦艦1隻撃破、巡洋艦、駆逐艦各3隻撃破。我が方の喪失、
ワイバーン140騎。」
「ワイバーンの損害が大きいのは非常に痛い事ですが、事実であれば、敵機動部隊は1個空母群が壊滅したと思われます。」
「……昼間の戦闘でも、敵空母を沈めるのは意外と難しいのに、夜間戦闘でこれだけの戦果を上げた……じゃあ、昨年9月の戦闘はなんだったの?」
リリスティは、2枚目の紙を手で叩きながら言う。
「1800ものワイバーンと飛空挺を投入したけど、それでも空母5隻と戦艦1隻しか撃沈できなかったのよ?なのに、レビリンイクル沖海戦よりも
遥かに少ない数で、大型空母3隻撃沈だって?魔道参謀、あたしはハッキリ言う。」
リリスティはそう言いながら、魔道参謀に2枚の紙を押し付ける。
「今後、幾度かヒーレリ領沖で戦闘があるかもしれないけど、それに関係する、本国からの情報は余り信用しなくていい。」
「え?しかし……」
「冷静に考えて。視界の悪い夜間と、新米ばかりのワイバーン隊。この2つが合わされば何が起こるかは、ベテランのワイバーン乗りなら必ず分かるわよ。」
リリスティは魔道参謀に言いながら、過去に自分が犯した失敗を思い出す。
「あたしも経験がある。だから、この件に関しては、なるべく信用しない事ね。信用したとしても話半分……いや、話一割と考えた方が、丁度いいかもね。」
彼女はそう苦笑した後、ゆっくりとした足取りで司令官公室から出て行った。